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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 03月 29日

『上円下方墳コレクション/武蔵府中熊野神社古墳、石のカラト古墳』

3月6日、大阪の兄貴と4月の兄弟姉妹会の件で交信。
その際、<おまけ写真>と共に、次の通り、古墳めぐりの話題を提供した。
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先日4日、JR南武線/西府駅~武蔵府中熊野神社古墳(府中市)~多摩川サイクリングロード~田園調布古墳群(多摩川台公園)~東急多摩川駅をポタリング。

武蔵府中熊野神社古墳は、全国的にも珍しい「上円下方墳」。
ウィキペディアによれば、上円下方墳は下段が方形、上段が円形のほか、広義の上円下方墳としては、下段を方形、上段を八角形とする八角墳を上円下方墳に含める考え方も存在しているとのこと。

こうした広義の上円下方墳に含まれる陵墓の中でも最も有名なのは天智天皇の御廟野古墳(京都市山科区、八角墳)。
また、明日香の石舞台古墳も上円下方墳であった可能性が指摘されており、先日の読売新聞にもそういう記事あり。武蔵府中熊野神社古墳は飛鳥と関係しているのではないかとあり。

武蔵府中熊野神社古墳に隣接された資料室の展示によれば、上円下方墳は全国で次の4基のみ。
①野地久保古墳 - 福島県白河市(2010年国史跡指定)
②武蔵府中熊野神社古墳 - 東京都府中市(2005年国指定史跡)
③清水柳北1号墳 - 静岡県沼津市(復元古墳)
④石のカラト古墳(カザハヒ古墳、風灰古墳)- 奈良県奈良市と京都府相楽郡木津川市境(1996年国史跡指定、日本で最初に確認された上円下方墳)

ウィキペディアでは更に次の2基も書かれている。
⑤山王塚古墳 - 埼玉県川越市(市指定史跡)
⑥天文台構内古墳 - 東京都三鷹市

こういうことを知ると、<消し込み好き>の小生、ひとつずつ巡ってみたいとの思いに。
④の石のカラト古墳を 地図で調べてみたところ、上述の通り、奈良県と京都府の境界、近鉄/高の原駅の西2km、大和西大寺駅の北5kmあたりにあり。
どこかにドライブに行ってみようかなというときに、石のトカラ古墳は如何かなと思う次第。
小生も、いずれ機会があれば、自転車を携え、訪ねてみようと思い居ります。

武蔵府中熊野神社古墳。
南側から。
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北東側から。
このアングルからだと、上円下方墳の形がよく分かる。
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南西側から。
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同日、兄貴より返信あり。
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古墳めぐりも良いですね。
石のカラト古墳は知りませんでした。
武蔵府中熊野神社古墳も天智天皇稜も7世紀で、3世紀の古墳に比べ小ぶりになっていますね。
今、大阪の某大学公開講座で「日本を知ろう」を受講中。
2月は「古墳から飛鳥へ」、3月は「古代国家と日本」で正にこの時代で興味が湧きます。
石のカラト、一度行ってみます。
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3月29日、兄貴より「石のカラト古墳に行って来ました」とのメッセージと共に写真が3葉、送られて来た。

石のカラト古墳。
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これは反対側から(だろう)。
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説明板。
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史跡 石のカラト古墳   

この古墳は8世紀はじめの築造と推定され、昭和56(1979)年の発掘調査で上段が円形(直径約9.2m)、下段が方形(一辺約13.8m)の上円下方墳であることがわかりました。  

下段の表面には3cm大の石を葺いていましたが、上段の葺石はほとんど失われていました。  
古墳の中につくられた石室は壁画古墳として知られる飛鳥高松塚古墳と同じ横口式石槨で間口1.15m、奥行き2.6m、高さ1.2mあり、15枚の凝灰石の切石でできています。   

「カラト」の名はこの石室が唐棚に似ていることからつけられた名前らしく、石室内は盗掘のため荒らされていましたが、朱塗りの棺が納められていたらしく、漆の破片、金・銀の玉など豪華な副葬品の一部が出土しました。   

葬られていた人物の名前はわかりませんが、奈良時代はじめの貴族と推定され、平城京の北郊である奈良山丘陵に作られた数少ない終末期の古墳として昭和62(1987)年の復原整備のあと、平成8(1996)年に国の史跡に指定されています。                                                

奈良県教育委員会
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細かい話ながら、説明文1行目に「昭和56(1979)年の発掘調査」とあるが、これは「昭和54年」の誤記であろう(他の資料を確認したところ、「昭和54(1979)年に発掘調査」とあるので)。

説明文の中に「『カラト』の名はこの石室が唐棚に似ていることからつけられた名前らしく...」とある。
「唐棚」の意味がよく分からない。
広辞苑に「唐櫃(からと)⇒「からびつ」に同じ」とあるが、これとも違うようである。
宿題とする。

写真をじっくり見ると、下段にも上段にも葺石が見て取れる。
写真を拡大トリミングしてみた。
この葺石は、昔からあったものなのだろうか、調査発掘ののちに施したものなのだろうか...。
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つづいて、「平群服貴畑の里は桃源郷といわています。モクレン、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サンシュユ、ユキヤナギ、etc.」とのメッセージと共にこんな写真が送られて来た。

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桃源郷と呼ぶに相応しい風景である。
そうした風景にも増して、惹かれたのが「平群服貴畑の里」の名である。
「平群」の地名に興味があるので、平群服貴畑の里の具体的な所在地を調べてみた。
奈良県生駒郡平群町である。
古代の大和国平群郡平群郷の地であり、豪族・平群氏はここから生まれた地でもある。
安房国史跡めぐりをしたとき、館山の近くで平群の地名を見たことがあり、房総半島のこの地にも平群氏が流れて来たのだなあと思ったことがあった。
「平群服貴畑の里」の写真のお陰で、平群氏の源流の地、大和国平群郡平群郷の地を具体的に知ったのであった。
平群町には、60数基の古墳が散在しているという。
いずれ、石のカラト古墳と共に、平群町の古墳もめぐってみたいものである。

フォト#1~3:2018年3月4日
フォト#4~9:2018年3月29日(兄貴提供)

by ryujincho | 2018-03-29 23:32 | 古墳 | Comments(0)
2018年 03月 29日

『花街道』

3月29日(木曜)、晴れ。
手賀沼一周。
花街道を走る。

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里山の桜/其の一。
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菜の花と桜。
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里山の桜/其の二。
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左の桜は独特の枝ぶり。
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対岸から。
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フォト:2018年3月30日




by ryujincho | 2018-03-29 23:31 | 花紀行 | Comments(0)
2018年 03月 26日

『布施弁天で観桜』

3月26日(月曜)、晴れ。
柏あけぼの山で観桜、柏あけぼの山農業公園でオランダ風花見、そして、布施弁天でも観桜。

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フォト:2018年3月26日


by ryujincho | 2018-03-26 23:33 | 花紀行 | Comments(0)
2018年 03月 26日

『オランダ風花見』

3月26日(月曜)、晴れ。
柏あけぼの山で観桜、そして、柏あけぼの山農業公園でオランダ風花見。

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最近、古墳めぐりに凝っており、サークル状の花壇が円墳のように思えてならない。


フォト:2018年3月26日




by ryujincho | 2018-03-26 23:32 | 花紀行 | Comments(0)
2018年 03月 26日

『花より団子、花より蜜』

3月26日(月曜)、晴れ。
柏あけぼの山公園で花見。

花より団子。
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ヒヨドリも花より蜜。
どの花の蜜が旨いか品定め中。
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こちらのヒヨドリは旨そうに蜜を吸っている。
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こちらのヒヨドリは蜜を吸い終えたのか、満足そうに花見中。
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フォト:2018年3月26日、柏あけぼの山公園にて





by ryujincho | 2018-03-26 23:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 03月 25日

『春の花、三題』

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フォト:2018年3月25日、屋敷近くにて


by ryujincho | 2018-03-25 23:35 | 花紀行 | Comments(0)
2018年 03月 25日

『江戸川・利根川・渡良瀬川CRポタリング/渡良瀬遊水地』 etw-4

3月24日(土曜)、晴れのち薄曇り。
東武/川間駅から江戸川左岸CRを走り、関宿に到着。
当初の予定では、関宿から、再び、江戸川左岸CRを南下し、矢切か柴又あたりまで走るというプランであったが、コースを変更し、古河へ向かうこととした。

利根川左岸CR、渡良瀬川CRを走る。
古河桃まつりに立ち寄ったり、古河城本丸跡を眺めたりしながら、渡良瀬遊水地へと向かう。

渡良瀬川CRを走り、国道354号線に至る。
渡良瀬川に架かる三国橋を渡り、渡良瀬川左岸から右岸へ移る。

「三国橋(みくにばし)」。
なかなか良い名の橋である。
これは、下総国(茨城県)、下野国(栃木県)、武蔵国(埼玉県)の三国を跨ぐことから、三国橋と命名された。
現在の橋は、埼玉県加須市向古河と茨城県古河市桜町を結んでおり、武蔵国と常陸国の「二国橋」であるが、初代の橋は現在の橋より上流にあり、下総、下野、武蔵の三つの国に跨っていたので、まさしく「三国橋」であったという。

三国橋西詰から北西に走り、渡良瀬遊水地の中央エントランスへと向かう。
しばらくすると、渡良瀬遊水地が見えて来る。
水量が随分と少ないように見える。

中央エントランスから渡良瀬遊水地に入る。
渡良瀬遊水地は、西橋、東橋、北橋で、南ブロック、谷中ブロック、北ブロックの3ブロックに分けられている。

西橋、東橋を走り、左回りで、谷中ブロック、北ブロックを周遊する。
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北ブロックを眺める。
やはり、水量が少ない。
少ないというよりも水抜きをしているように見える。
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渡良瀬遊水地はラムサール条約登録湿地である。
干潟状態となった遊水地にシギ類などが群れていてもおかしくないのだが、鳥影はダイサギかチュウサギと思しきサギが1羽のみ。

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「前回、ここへ来たとき、上総さんは口笛でウグイスを藪の外へ誘い出していましたね」と南国守さん。
「そう。あれば大成功!それに味をしめ、手賀沼でも口笛ウグイス誘い出し作戦を展開。口笛での鳴き真似を縄張り侵入と勘違いし、藪から外に出て来たウグイスをバッチリ、カメラに収めました」。

遊水地の北側からの眺め。
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前回、来たときには、満水の遊水地で青年らがウィンド・サーフィンを、そして、少年らがカヤックの練習をしていたが、今回はそうした姿はない。
干潮時の有明海状態なので、ボートよりも、ムツゴロウ捕りの潟スキーの練習にもってこいかもしれない。

今日の jitensha 。
ヨシ焼きの跡をバックに。
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ヨシ焼きの焼けた跡は黒々としているが、焼けずに残っている枯れたヨシも随分とある。
黒々と焼けた跡には、近いうちに新芽が吹き出るであろう。
そんな写真も撮ってみたいとも思うのであった。

遊水地をぐるりと一回りし、再び、中央エントランスに。

掲示板を眺める武衛と南国守さん。
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どちらも赤の自転車装束がお似合い。
赤の衣装といえば、還暦の祝いを想像するが、南国守さんは、つい先日、古希を迎え、武衛さんは、もう直ぐ、シックスティ・セブン。
斯く申す小生も、あと20日余で古希である。
老いてから自転車を始めたことなどを縷々綴った伊藤礼翁の自転車三部作、「こぐこぐ自転車」、「自転車ぎこぎこ」、「大東京ぐるぐる自転車」に倣えば、その域に達しつつある。
引き続き、小生なりに「こきこき自転車」を綴っていこうと思っている。

ヨシ焼きのポスター。
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ヨシ焼きの実施日は3月17日、悪天候で中止の場合は3月18日と24日が予備日となっている。
先ほど、ヨシ焼きの黒々とした跡を見たし、予備日の今日24日は特段の入場規制はなかったので、3月17日に終わったのであろう。

前夜、信州在の盟友にしてドラポタ・メンバーの大給守さんから、3月11日に行ったという千曲川河川敷の野焼きの写真が送られて来ていた。

その写真がこれ。
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その返礼(???)として、渡良瀬遊水地のヨシ焼きの様子をポスターからトリミングしてここに掲載しておこう。

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右下に小さく、「第18回 渡良瀬遊水地フォトコンテスト 入選作品『炎の舞い』」と付記されている。
千曲川河川敷の野焼きについてもフォトコンテストをしてはどうかと、大給守さんに提案しておこう。

自然紹介。
掲示板に数々の鳥の写真がある。
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数ある鳥の写真の中で、ツルシギの写真に目を惹かれた。
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「去年の12月、手賀沼でツルシギをカメラに収めました。我孫子野鳥の会のホームページを見たところ、ツルシギは掲載されていないので、手賀沼では初お目見えではないかと思うております」と武衛さんと南国守さんに自慢げに話すのであった。

手賀沼のツルシギは、こちらをポチッ!



渡良瀬遊水地をあとにして最寄駅へと向かう。
JR古河駅なら約5km、東武新古河駅なら約3km、東武柳生駅なら約1km。

前回、こんなことがあった。
東武新古河駅から輪行と思い、同駅へ。
駅前で jitensha を畳もうとしたところ、栃木県内で事故があり、ずっと電車は止まっていたが、つい先ほどから運行が再開されたばかりとのことで、下り電車がようやく新古河駅に到着したところであった。
これじゃ、上り電車が動いても満員であろうから、そんなところへ jitensha を担いで乗ったら他の乗客から顰蹙を受けるだけ。
ということで、JR古河駅へ向かい、JRで帰途に就いたことがあった。

今回は東武を利用しようということで、最も近い柳生駅へ向かった。

柳生駅に到着。
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いつもなら、駅に到着したら先ず時刻表を見るのだが、このときは時刻表を見ずに jitensha を畳むなど輪行準備に入った。

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輪行準備を終え、改札を入ろうとしたところ、上り電車が入って来る気配。
上り電車のホームは跨線橋を渡った向こう側。
階段に足を掛けようとしたときには、上り電車は既に入線。
こりゃ、次の電車しか仕方がないと思ったとき、「乗ります!」との武衛さんの声。
階段を上りながら、車掌さんと武衛さんの目が合い、声を掛けたのである。

電車は待ってくれ、無事、乗車。
上り電車は南栗橋行きであった。
あとで時刻表をみたら、柳生駅でこの電車を逃していたら、33分待ちになっていたところであった。
待って貰って助かった。

東武電車は jitensha にやさしい鉄道会社というイメージは以前から持っていた。
数年前、栃木市駅から北千住まで特急に乗車した。
新幹線なら最後部座席の後ろに荷物置きのスペースがあり、jitensha はそこに置くのだが、東武特急にはそうしたスペースがなかった。
止む無く、空いた席の床に jitensha を置いていたところ、車掌さんが来て、「大丈夫です。この席は予約券を発券しないように指示しておきますから」と嬉しい言葉があった。

今回も乗り遅れそうになった客に対する車掌さんの配慮があった。
発車時刻は定刻から1、2分は遅れたであろう。
柳生駅、新古河駅、栗橋駅の乗降客の皆さんにはご迷惑をお掛けしたが、終着駅/南栗橋駅には定刻で到着。

ポタリング人生の中で、前回は新古河駅が余りよい思い出ではない思い出に残る駅となったが、今回はいい意味で柳生駅が思い出に残る駅となった。

途中、コース変更をしたお陰でほとんど向かい風に悩まされることなく、良きポタリングとなった。

=備忘録=
これまでの古河に関わるポタリングをここで整理しておきたい。
①2014年12月23日
 JR古河駅~古河市内名所旧跡めぐり~JR古河駅
 武衛殿、南国守殿、上総
②2016年3月22日
 JR古河駅~古河桃まつり+渡良瀬遊水地(東区画の一部のみ)~JR古河駅
 上総単独
③2016年4月9日
 東武川間駅~江戸川左岸CR~関宿~境大橋~利根川左岸CR~渡良瀬遊水地~JR古河駅
 南国守殿、上総

このほか、信州の盟友にしてドラポタ・メンバーの大給守殿が、江戸勤番時代に、大口径 ”巨人号”で、江戸川河口近くの屋敷/渡良瀬遊水地往復約200キロミターズ走行(期日、所要時間、失念)というのがあったこともここに書き残しておきたい。

フォト:2018年3月24日
フォト#9:2018年3月11日、大給守殿提供

=追記=
渡良瀬遊水地のあれこれ詳しいことについては、兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」/「利根川水系三川 菜の花ポタリング/渡良瀬遊水地」の第5話で縷々綴っており、そのブログをここに貼り付けておきたい。

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(完)



by ryujincho | 2018-03-25 23:34 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(4)
2018年 03月 25日

『江戸川・利根川・渡良瀬川CRポタリング/古河城本丸跡』 etw-3

3月24日(土曜)、晴れのち薄曇り。
東武/川間駅から江戸川左岸CRを走り、関宿に到着。
当初の予定では、関宿から、再び、江戸川左岸CRを南下し、矢切か柴又あたりまで走るというプランであったが、コースを変更し、古河へ向かうこととした。

利根川左岸CR、渡良瀬川CRを走り、古河市内に入る。
古河総合公園で開催中の古河桃まつりを見物し、再び、渡良瀬CRを走る。

古河城本丸跡。
今は河川敷の野球場となっているが、嘗ては、渡良瀬川の東岸のこの辺り一帯に古河城の城郭が広がっていた。
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古河公方足利成氏が康正元年(1455)に古河へ移座し、古河城は整備・拡張されていった。
その一応の完成をみたのは、土井利勝が本丸に御三階櫓を造営した寛永12年(1635)のことである。
城郭の規模は南北1800メートル、東西650メートルほどであった。
本丸には御三階櫓・菱櫓・巽櫓・弓櫓・御殿があったが、本丸御殿は江戸中期に取り壊されている。
明治7年(1874)、その威容を誇った古河城は、その前年に発効された廃城令によって取り壊され、建物や門、石垣に至るまで払い下げられた。
そして、明治43年に始まる渡良瀬川河川改修工事によって、立崎郭・頼政郭・二ノ丸・本丸・東帯郭・西帯郭・三ノ丸を失うこととなった。
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古河城三の丸より見たる二階櫓と菱櫓 明治3年(1870年) 武藤松庵撮影。
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古河城範囲推定復元図(原図『古河城跡分布調査報告書Ⅰ』古河市教育委員会)。
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図の右下に「御成門」、「諏訪郭」、「古河歴史博物館」が図示されている。
古河歴史博物館は、古河城の出城である諏訪郭跡である。
古河歴史博物館の前に、鷹見泉石記念館がある。
鷹見泉石記念館は、蘭学者にして古河藩家老であった鷹見泉石の晩年の住居を一部改装した建物である。
鷹見泉石の晩年の住居は、古河城の余材を使って建てたと伝えられている。

これらのことも含め、暫し、古河城範囲推定復元図を眺めながら、2014年の暮れのドラポタ企画で、武衛さん、南国守さん、小生の3人で初めて古河市内をめぐったときのことを語り合うのであった。

話は少し戻るが、サイクリングロード沿いの古河城本丸跡に到着したとき、「古河城本丸跡」と刻まれた石碑と説明板が2年前の4月に南国守さんとここを走ったときの様子と違っていることに気づいた。
2年前は、木柱に「古河城本丸跡」と墨書され、土手に敷かれたパイプの上に説明板が乗せられていたと記憶(2年前のことではあるが、しっかりと覚えている)。
今回は、石碑と説明板が真新しく、それらの台座には、保護用のテープであろうか、まだ、黄色いビニールテープが残っているのである。
石碑の裏をみたところ、「2018年3月18日 古河ライオンズクラブ」の文字が刻まれていた。
出来立てのホヤホヤであったのだ。

2年前の4月の古河城本丸跡の様子は、兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」/「利根川水系三川 菜の花ポタリング/渡良瀬川の巻」の第4話で縷々綴っているので、それをここに掲載しておこう。

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見てくれは悪いが、2年前の説明板の方が中身が濃い。

渡良瀬遊水地を目指し、走る。

フォト:2018年3月24日

(つづく)


by ryujincho | 2018-03-25 23:33 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2018年 03月 25日

『江戸川・利根川・渡良瀬川CRポタリング/古河桃まつり』 etw-2

3月24日(土曜)、晴れのち薄曇り。
東武/川間駅から江戸川左岸CRを走り、関宿に到着。
当初の予定では、関宿から、再び、江戸川左岸CRを南下し、矢切か柴又あたりまで走るというプランであったが、コースを変更し、古河へ向かうこととした。

変更コースは次の通り。
関宿
~境大橋、利根川渡河
~利根川左岸CRを北上
~渡良瀬川CR
~古河総合公園/
~渡良瀬川CR
~古河城跡
~渡良瀬遊水地
~最寄駅(東武/新古河駅 or JR古河駅)

このルートは2年前の4月初旬に南国守さんと走ったことのあるコース。
そのとき、利根川・渡良瀬川分岐点あたりで小生の愛馬がパンク。
パンク修理に長けた南国守さんの手を借りてチューブ交換したことを思い出す。

そのときのことを兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」/「利根川水系三川 菜の花ポタリング/利根川の巻」の第3話で次のように綴っている。

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今回は何のトラブルもなく、2年前のパンク事件の<現場>を通過し、渡良瀬川CRを走る。

右手に気球が見えて来る。
以前、気球に乗せてもらって上空から桃の花見物をしようと張り切って古河の桃まつりに来たが、強風で気球は中止で、残念!ということがあった。
ということで、気球が桃まつりの目印であることを知っていたのであった。

気球を目印に、渡良瀬川CRを外れ、桃まつりが開催されている古河総合公園(古河公方公園)へと向かう。

古河桃まつり。

会場に近づくに連れ、ソース焼きそば、いか焼きの、いい匂いが。
そして、にぎやかな音楽が聞こえて来る。

メイン・ステージ。
キッズらが元気に踊っている。
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「キッズらの踊り、なかなか上手いものですね」。
「最近、学校でダンスが必修科目になっているからでしょうね」。
「ヒップホップもいいけれど、日本舞踊など伝統舞踊も大事にせねば、ですね」。

次は筑西市〇〇小学校の皆さんです、とのアナウンスの声。
古河桃まつりは、古河市内だけでなく、近隣の町も一緒になっての祭りなのである。

池に映る桃の花。
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桃の花は桃色だけとは限らない。
白もあれば朱色もある。
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桃にまじって、コブシの花もがんばっている。
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遭遇布袋劇現代的人形桃林内之図。
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桃の花を愛でながら林の中を散策していたところ、布袋劇(ほていげき、ブータイシー)の人形に遭遇した。
布袋劇は台湾の人形浄瑠璃とでもいうべき人形劇。
布袋劇の人形には、伝統的な人形もあれば、この人形のように現代的な人形もあるという。

古河桃まつりに来たのは今回で二度目。
桃の花は同じなれど、今回は小学校の必修科目であるキッズダンスや布袋劇の現代的人形など新しい空気に触れることが出来た。
同じ場所に来ても、こうした新しい発見があることがまた楽しいのである。

渡良瀬川CRへ戻る。

フォト:2018年3月24日

(つづく)






by ryujincho | 2018-03-25 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2018年 03月 25日

『江戸川・利根川・渡良瀬川CRポタリング/関根金次郎ゆかりの地』 etw-1

3月24日(土曜)、晴れのち薄曇り。
久方ぶりの三人ポタ。
ここしばらく、我らの jitensha club ドラポタは、武衛さんと小生の二人ポタが多かったが、この日は1年数ヶ月ぶりに南国守さんも出馬。
朝、9時半、東武/川間駅に集結。

コースは次の通り。
川間駅
~江戸川サイクリングロード(CR)、北上
~東宝珠花/関根金次郎の墓・碑(+いちいのホール内/関根金次郎記念館)
~関宿/花見
~江戸川CR、南下 ※
~利根運河へ
~運河公園/花見
~東深井古墳群
~江戸川CRに戻り、南下
~多分、柴又か矢切あたりでフィニッシュ
~金町駅 or 松戸駅

※印以降はポタリングの途中でコース変更。
関宿から南へ戻ることなく、利根川を渡り、渡良瀬遊水地、古河方面へ。
変更の理由等、詳しくは追って。

川間駅を出発し、江戸川左岸CRを北上する。

右手に、いちいのホール(旧関宿町役場)が見えて来る。
関根金次郎の墓と碑の目印となる建物である。
江戸川左岸CRから外れ、いちいのホールを目指し、一般道を走る。

関根金次郎の墓と碑。


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墓石には「覇王院殿棋道大成大居士」と刻まれている。
関根金次郎は「近代将棋の父」とも呼ばれる棋士。
そうした棋士に相応しい戒名である。
将棋の駒の形をした石碑には「関根金次郎碑 関根金次郎自書」と刻まれている。

関根金次郎の墓と碑は、江戸川CRを走る都度、あの辺りにあるんだろうなあ、一度、立ち寄ってみたいなあと思いつつ、月日が経った。
昨今の将棋ブームの到来もあり、関根金次郎ゆかりの地を訪ねておきたいとの思いが湧き出で、武衛さんと南国守さんにお付き合い戴き、念願が叶った。
墓に参り、碑を眺めながら、幼き頃、辰巳柳太郎と島田正吾の主演(どちらが阪田と関根を演じていたかは記憶の彼方)の新国劇「王将」で、「関根はん、わし、あんたに負けへんで」の台詞があったことが思い出される。
新国劇を舞台で見たことはなく、多分、テレビ中継であったのだろう。

ここで、関根金次郎についてウィキペディアを紐解いてみた。
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関根金次郎は、1868年4月23日(慶応4年4月1日)、下総国葛飾郡東宝珠花村(後の千葉県東葛飾郡二川村東宝珠花、さらに関宿町、現在の千葉県野田市東宝珠花)の生れ。
東宝珠花村の近くにあった岡田村の寺子屋に通わせられるが、途中、将棋を指してばかりのため、やめさせられてしまう。
次に学校に通わされると、学校では将棋好きの校長先生と指し、村では老人らと指し、一日ごとに強くなる実感を得る。
ついには、あまりの強さに村中で相手がいなくなり、宝珠花小僧の異名で呼ばれるようになった。
学校に行くふりをして弁当持参で遠くの村にも遠征した。
その後、親によって学校に行くのをやめさせられ、奉公に出されるも、将棋を指してばかりで1週間 - 10日ほどで追い出され、奉公先を転々とする。
11歳の春、将棋指しを志して上京。
(中略)
ライバル阪田三吉とは1894年(明治27年)に初手合わせを行い、3度戦って関根の2勝1敗。
最後の対局(1918年(大正7年))までに生涯32局戦い、関根の15勝16敗1分だった。
対戦後期は阪田に対して分が悪くなっていたが、弟子の土居市太郎七段が1917年に阪田を平手で破っていたこともあり、棋界の分裂など紆余曲折もあったが、十二世名人、小野五平の死後の53歳(1921年(大正10年))で、十三世名人の位に就く。
(後略)
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いちいのホール内に関根金次郎記念館があるそうだが、これは次回の楽しみとし、江戸川左岸CRに戻る。

今日の jitensha 。

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延々とつづく菜の花。
まさに菜の花街道といってもよい江戸川CRを関宿に向けて走る。
風は穏やか、気温も穏やか。
まさにポタリング日和である。

関宿に到着。
川間駅近くの江戸川CRをスタートしたときの標識は「河口から44.5km」であった。
関宿の標識は「河口から59.5km」であったはずだから、関宿まで15kmと頭の中で計算した。
関宿に到着したが、あるべき場所に「河口から59.5km」の標識はなかった。
その代わりに(???)、利根川の標識である「(河口から)121.0k(m)」をカメラに収めた。
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桜。
都心では、この日、満開の予想なるも、都心から40kmほど離れたこの地では、まだ、一輪、二輪と僅かに開花し始めたばかりであった。

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関宿の桜はまだだし、運河公園の桜も同じような状態であろうと考え、「古河へ行きましょうか。この時期、桃まつりをやっているはずです。渡良瀬遊水地にも行ってみましょう」と小生から提案。
「途中でのコース変更はポタリングの妙。そうしましょう」と武衛さん。

古河は、小生はこれで四度目。
武衛さんは、二度目。
南国守さんは、三度目。

今回の変更コース、川間~関宿~境町~利根川左岸CR~渡良瀬川CR~渡良瀬遊水地~古河は、2年前に南国守さんと小生の二人ポタで走ったコースである。
地図はなくてもバッチリ!である。

今日の jitensha 。
関宿城博物館と蕾が膨らんだ桜と共に。
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利根川に架かる境大橋を渡り、利根川左岸へ。
境大橋へ向かうとき、向かい風を感じる。
当初の江戸川CR南下コースを取っていたら、ずっと向かい風であったかもしれない。
古河へのコース変更は好判断であったようだ。

境大橋を渡りきったところにあるスーパーマーケットで昼弁当をゲット。
ちょうど、12時を知らせるチャイムの音が...。

フォト:2018年3月24日

(つづく)





by ryujincho | 2018-03-25 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)