龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:春の関西行脚/明日香&京都 2018( 18 )


2018年 04月 07日

『春の京都/石清水八幡宮(下)』 hk-10

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

石清水八幡宮。
先ず、山麓で、一の鳥居、頓宮、高良社、二の鳥居をめぐり、徒然草第五十二段を<取材>。
つづいて、ケーブルカーで山上へ。
エジソン記念碑に寄り道したのち、本殿へと向かう。

南総門。
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境内。
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社殿。
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竜虎。
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龍コレクション。
虎には申し訳ないが、龍だけアップ。
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鬼門封じ/北東角。
北東の方角(丑寅)は鬼がやって来ると伝わる鬼門。
社殿北東の石垣の角は、90度ではなく、斜めに切り取られている。
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アップで。
右下の地面に見える直角三角形に注目!
この<三角地帯>が90度角を斜めに削り取ったことをよく示している。
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摂社「若宮殿社」。
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彫刻は松に鶴(であろうか)。
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摂社「若宮社」。
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彫刻は梅に鳳凰(であろうか)。
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社殿北側の築地塀内に摂社や末社が並ぶ。
それらを代表して、摂社「若宮殿社」、摂社「若宮社」をアップする次第。

北総門。
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校倉。
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築地塀(信長塀)。
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参道を戻りながら奉献酒を眺める。
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奉献酒の銘柄を眺めるのも神社参拝の楽しみのひとつでもある。
最上段/白雪、道灌、舞姫、城陽、月の桂、梅乃宿、男山、貴、白鶴
2段目/松竹梅、玉乃光、千福、日本盛、京姫
3段目/神聖、富翁、沢の鶴、黄桜
4段目/英勲、大関、白鹿、月桂冠
最下段/金鵄、長龍、旭日、國乃長

男山山上駅からケーブルカーで下山。
行き違う上下のケーブルカーを山上駅から眺める。
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車窓から、一瞬、山麓の下院、頓宮が見えた。
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急ぎ、ズームアップ!
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山麓の下院では『徒然草』第五十二段「仁和寺にある法師...」を引用し、一の鳥居、頓宮、高良社、二の鳥居などをめぐった。
古典つながりで、『源氏物語』<玉鬘>の一節も引用しておきたい。

神仏こそは、さるべき方にも導き知らせたてまつりたまはめ、近きほどに、八幡の宮と申すは かしこにても参り祈り申したまひし松浦 筥崎同じ社なりかの国を離れたまふとても、多くの願立て申したまひき、今都に帰りて、かくなむ御験を得て、まかり上りたると、早く申したまへとて八幡に詣でさせたてまつる

「八幡の宮」とは石清水八幡宮、「かしこにて」とは筑紫にて、「松浦(まつら)」とは唐津/松浦の鏡神社、「筥崎」とは筥崎宮のこと。
筑紫から都へ帰った玉鬘が最初に参拝したのが岩清水八幡宮であったのだ。

こうして、3月31日からの二泊三日の春の関西行脚、初日は明日香史跡めぐり、二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会、三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮参拝を終えたのであった。

フォト:2018年4月2日

(完)




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by ryujincho | 2018-04-07 23:40 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/石清水八幡宮(中)』 hk-9

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

石清水八幡宮。
先ず、山麓で、一の鳥居、頓宮、高良社、二の鳥居をめぐり、徒然草第五十二段を<取材>。

つづいて、山上へ。
山上へはケーブルカーで。
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正式名称、京阪電気鉄道鋼索線。
通称、男山ケーブル。
八幡市駅と男山山上駅を結び、路線距離 0.4km、所要時間 約3分。
短い距離ではあるが、途中、トンネルが2ヶ所と全長108.7mの男山橋梁がある。
上下の行き違い地点は、山麓寄りのトンネルと橋梁に跨る区間となっている。

男山山上駅に到着。

案内図の「御本殿へは矢印の通りにお進みください」に従い、進む。
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途中、「男山の野鳥たち/八幡市」、「男山鳥獣保護区域図/京都府」、「男山京都府歴史的自然環境保全地域/京都」などの大きな掲示板が並ぶ。

鳥好きなので、これら三つの掲示板のうち、「男山の鳥たち」をアップしておこう。
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最上段/ツグミ、モズ、ヒヨドリ
2段目/トビ、イカル、ルリビタキ、ヤブサメ、コゲラ、アオジ、シロハラ、エナガ
3段目/シジュウカラ、メジロ、アオバズク、トラツグミ、ホオジロ、カワラヒワ、ハシブトガラス
最下段/ツバメ、ウグイス、キジバト、コジュケイ

これらの野鳥の中で見たことがないのはヤブサメ。
今回の旅で鳥見写真が撮れたのはコゲラ(大谷本廟の桜の木で採餌中)とツバメ(八幡市駅前自転車預かり所で営巣中)の2種。

男山桜まつり。
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エジソン記念碑。
桜花と共に。
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説明板に目を通す。
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西暦1879年にトーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明し、この石清水八幡宮境内に生えている竹が電球の命ともいえるフィラメントの材料として最も適していることを知り、電球の発明の翌年から十数年もの永い間、この竹を使ってたくさんの炭素電球を造り、世界の人々に電灯のありがたさを知らされました。
つまり、この八幡の竹が炭素発熱電球の実用化に大きな役目をつとめたのです。
そこで、1929年に電灯発明50年を記念して、世界各国で電灯黄金祭が催された時、日本もこれに加わり、記念事業の一つとして電球の発明と切っても切れない関係にあるこの土地に記念碑を建て、エジソンの功績を永久に伝え、讃えることになったのです。
最初に建てられたのはこの境内北側に続く場所でしたが、エジソン彰徳会の手で昭和33年にここに移され、更に昭和59年10月に現在の姿に再建されました。
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水を指す言い様となるが、この説明書きは西暦と元号が混在している。
こういうことが気になる性質なのである。
西暦に統一するか、西暦と元号を併記すると文章が美しく見え、且つ、親切ということとなろう。
因みに、併記すると、「西暦1879年」は「西暦1879年(明治12年)」、「1929年」は「1929年(昭和4年)」、「昭和33年」は「1958年(昭和33年)」、「昭和59年」「1984年(昭和59年)」となる。

瑣末なことから書き出してしまったが、もっと大事なことがある。
説明書きの中に「トーマス・アルバ・エジソンが灯火の革命ともいえる炭素白熱電球を発明し」とあるが、白熱電球を発明したのはエジソンではなく、イギリスのジョセフ・スワンである。
スワンがイギリスで電球に関する特許を認可されたのは、エジソンに先立つ1年前の、1878年のことであった。
しかし、スワンの白熱電球にはフィラメントに課題があり、大量生産が難しかった。
一方、エジソンは白熱電球の実用化に成功し、大量生産につなげた。
そこで貢献したのが、説明書きの通り、<八幡の竹>であった。

エジソンはどうやって<八幡の竹>を見つけたのか?
これについての知識はなく、今回、ベンキョーした。
それは次の通りであった。

エジソンは、フィラメントに最適となる材料を見つけるために、何千種類もの材料を炭にして実験を続けたが、なかなか見つからなかった。
或る日、偶然、机の上に あった竹の扇子が目に入り、その竹をフイラメントに使ってみたところ、長時間、灯ったことから、フィラメントの材料に竹が適していることを発見した。
フィラメントに最適の竹を見つけるために、世界中から1000種余もの竹が集められたという。
日本の竹を探すために来日した調査員は、先ず、伊藤博文首相と会い、京都の竹を薦められ、京都の知事と会い、八幡と嵯峨野の竹を薦められ、八幡の男山に生える竹が最も長時間灯ったことから、<八幡の竹>が最適という結果となり、これが採用されることとなった。
<八幡の竹>は大量に輸出され、白熱電球の大量生産に貢献し、<八幡の竹>の灯りが世界中に灯ったのであった。

今一度、エジソン記念碑の写真を眺める。
エジソンと<八幡の竹>のつながりの背景を詳しく知ったことでもあり、記念碑がより輝かしく見えるのであった。

随分と寄り道をしてしまった。

石清水八幡宮の参道へ向かう。

フォト:2018年4月2日

(つづく)



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by ryujincho | 2018-04-07 23:39 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/石清水八幡宮(上)』 hk-8

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

伏見稲荷大社で、参拝、外国人観光客の人気度の<取材>、そして、狐コレクションという所期の目的を達成した。
次は石清水八幡宮。
京阪電車で、伏見稲荷駅から八幡市駅へと向かう。

八幡市駅に到着。
JR稲荷駅、京阪伏見稲荷駅と同様、この駅でも多くの人が降りた。
しかし、外国人観光客の姿はない。
右方向は男山ケーブルカーだが、そちらへ向かう人は少ない。
ほとんどの人は左方向へ。
彼らは背割堤の桜見物に向かう人たちなのであった。

石清水八幡宮へ参るのは10年余ぶり。
記憶はあるが、記録はなく、それがいつであったか、具体的な年月日は分からない。

八幡市駅に降り立ったのは、木津川に架かる流れ橋、上津屋橋を訪ねる際に輪行したとき以来のことである。
流れ橋のことについてはマイ・ブログに綴ったことがあり、訪ねた時期はいつのことかとマイ・ブログを紐解いてみたところ、2013年10月28日のことであった。
その頃、お袋は存命で、ご機嫌伺いでご老体を訪ねた帰りのことであった。

ケーブルカーで山上へ向かう前に、山麓で、徒然草第五十二段の<取材>を。

徒然草第五十二段
仁和寺にある法師年よるまで石清水を拝まざりければ心憂くおぼえてある時思ひ立ちてただ一人かちより詣でけり
極楽寺高良などを拝みてかばかりと心得て帰りにけり
さてかたへの人に逢ひて
年頃思ひつる事はたし侍りぬ
聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ
そも参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん
ゆかしかりしかど神へ参るこそ本意なれと思ひて山までは見ず
とぞ云ひける
少しの事にも先達はあらまほしきことなり


「石清水八幡宮」とくっきりと刻まれた石標。
仁和寺にある法師の時代には斯様な石標はなかったであろうが...。
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一の鳥居。
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扁額コレクション。
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扁額「八幡宮」は銅製。
一条天皇(980-1011)の勅により藤原行成(972-1028)が書いたものを松花堂昭乗(1582-1529)が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したものとされる。
藤原行成は、小野道風、藤原佐理と共に「三蹟」と称される能書家。
松花堂昭乗は、石清水八幡宮の社僧で、近衛信尹、本阿弥光悦と共にに「寛永の三筆」と称せられる能書家。
扁額に刻まれた「八」の文字は、向かい合った二羽の鳩が顔を外に向けた形となっている。
因みに、鎌倉の鶴岡八幡宮の扁額も同様であったやに記憶する。

頓宮北門。
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右手前/頓宮殿、左奥/頓宮南門。
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頓宮殿。
頓宮は祭事における神輿の待機所で、他の神社での御旅所に当たる。
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朱塗りの回廊に桜花を愛でる。
仁和寺にある法師はどの季節の頃にここへ参ったのであろうか。
桜花を眺めながらそんなことを思うのであった。
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頓宮南門。
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高良社。
写真を撮り忘れたので、案内図を流用。
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仁和寺にある法師が参拝した山麓の極楽寺と高良社は、慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いで焼失。
高良社は明治17年(1884年)に再建されたが、極楽寺は再建されなかった(明治新政府の神仏分離令によるものか?)。
因みに、この近辺の地図を仔細に見ると、岩清水八幡宮の数キロ南に極楽寺なる寺がある。
この寺が場所を変えての後継寺院であろうか。

二の鳥居。
仁和寺にある法師の「そも参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん」 はこの場所あたりと思われる。
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案内図を眺め、二の鳥居から山上へのルートを目でたどる。
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前々日は明日香史跡めぐり、前日は京都街歩き、そして、この日の午前中は伏見稲荷千本鳥居四ツ辻を往復したことでもあり、徒歩(かち)で上るのは次回の楽しみとする。

山上へはケーブルカーで行くこととし、来た道を戻ろうとしたとき、駐車場の向こうに木造の橋があることに気付いた。

安居橋。
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安居橋(あんごばし)
安居橋の名の由来には、諸説があります。
一説では、鎌倉時代より八幡の町ぐるみで行われていた安居神事から名付けられたと言われています。
また、かつて、すぐ川下にあった「五位橋」に相対する仮の橋として造られてたため、「相五位橋(あいごいはし)」と呼ばれ、これが変化して安居橋と呼ばれるようになったとの説もあります。
江戸時代の初めには、この場所に橋が架けられていたことが古絵図で確認できますが、構造は反り橋ではなく、平橋で描かれています。
元禄7年(1694)には、「安居橋の月」が八幡八景のひとつとして選ばれ、数々の歌が詠まれています。
慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いで焼失しましたが、古くから「高橋」という反り橋(太鼓橋)が約150メートル川下にあったことから、この高橋を偲ばせる形で再興されました。
現在の石清水八幡宮である石清水祭(放生会)の舞台として親しまれています。
八幡市
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極楽寺や高良社と同様、安居橋も鳥羽伏見の戦いで焼失とある。
まさに、この辺りは激戦地であったのだ。

「安居」という名字がある。
「やすい」や「あぐい」という読みの人を知っている。
「あんご」という読みは初めて知った。
「安居」の名字の読みを調べてみると、「やすい」、「あぐい」、「あんご」のほかに「あい」、「あご」、「あくい」(濁らない)、「あんきょ」、「やない」などもあった。
地名の「安居」としては、茨城県笠間市「あご」、富山県南砺市「やすい」、静岡県駿河区「あご」、和歌山県西牟婁郡白浜町「あご」などが散見される。
地名の由来、名字の由来までは調べきれていない。

余談が過ぎた。
男山ケーブルカー乗り場へと向かう。

フォト:2018年4月2日

(つづく)




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by ryujincho | 2018-04-07 23:38 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/伏見稲荷大社から石清水八幡宮へ』 hk-7

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

伏見稲荷大社で、参拝、外国人観光客の人気度の<取材>、そして、狐コレクションという所期の目的を達成した。
次は石清水八幡宮。
京阪/伏見稲荷駅へと向かう。

JR稲荷駅前。
伏見稲荷へ向かう人たちでごった返している。
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京阪/伏見稲荷駅から伏見稲荷へ向かう人たちも数多いる。
この道の先にあるJRの踏切は観光客と車でいっぱい。
国は異なれど、皆、阿吽の呼吸で踏切を渡っていた。
事故がないことを祈りたい。
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京阪/伏見稲荷駅。
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狐コレクション。
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京都方面行きホームで電車を待つ乗客。
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アップで。
一部モザイク処理で、兄妹のかわゆさ半減は残念であるが。
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大阪方面行き、一車両先の車内。
仲良し兄弟。
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車内吊り広告/「背割堤さくらまつり」。
昨日の兄弟姉妹会で兄貴が「石清水八幡宮へ行くんやったら、背割堤の桜見物に寄ってみてもええとちゃうか」と言っていたこともあり、目を惹かれた次第。
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木津川橋梁通過中に車窓から背割堤を遠望。
桜色のラインが見える。
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背割堤とは、木津川と宇治川を分ける堤。
この辺りは、木津川、宇治川、淀川が並走し、木津川と宇治川が合流、更に淀川に合流する場所で、いつも地図をみて、そうそう、それぞれの川はこういう流れになっているんだと納得する複雑な地形である。

京阪/八幡市駅で下車。
伏見稲荷同様、この駅でも多くの人が降りた。
伏見稲荷と異なり、外国人観光客の姿はない。
右方向は男山ケーブルだが、そちらへ向かう人は少ない。
ほとんどの人は左方向へ。
ほとんどの人は背割堤へ桜見物に向かうのだ。

駅前の自転車預かり所で見た営巣中のツバメ。
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先ず、<徒然草五十二段>の取材へと向かう。

フォト:2018年4月2日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-07 23:37 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/伏見稲荷大社(下)』 hk-6

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

伏見稲荷を訪ねることとしたことには、三つの目的があった。
これまで京都ポタリングや観光の際、街道から大鳥居に向かって拝むだけで、いわば、素通り。
ということで、先ず、正式参拝を目的として。
次に、昨今、外国人観光客に大人気とのことで、それをこの目で確認したいという野次馬的目的。
次に、狛犬コレクションの延長線上での、狐コレクションという蒐集癖的目的。

大鳥居、楼門、本殿、千本鳥居をめぐりながら、外国人観光客を<取材>、更に狐も着々とコレクションしながら、千本鳥居の四ツ辻に至る。

四ツ辻から一ノ峰までの案内図を眺める。
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この機会に、一気に一ノ峰までと思う一方、前々日の明日香史跡めぐり、前日の京都街歩きで足は疲れている。
ここから山頂は次回の楽しみに置いておくとし、下山することにした。
同じ道をたどって下るのは面白くないので、左へ曲がり、西側の道を下ることにした。

参詣客が使う道とは別の、道なき道風のところから剛力さんが現れた。
俳優の西村和彦さんの実家といわれる四ツ辻茶屋『仁志むら亭』へ荷物を運んでいるのであろうか。
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参道の入口から四ツ辻まで、大鳥居、楼門、本殿、千本鳥居と、ずーっと朱色を見続けて来た。
朱色は好きな色だ。
だが、淡い色のツツジを眺め、目を癒してやる。
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狐コレクションその10/狛犬と共に/玉をくわえる狐と阿形狛犬。
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狐コレクションその11/狛犬と共に/巻物をくわえる狐と吽形狛犬。
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西側の下山道にも、稲荷大明神以外のいろいろな大明神が祀られている。

白龍大神、黒龍大神。
龍コレクションも兼ねて。
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脇道に建つ、竹の鳥居。
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外国人男性は脇道に建つ竹の鳥居の向こうへ消えて行った。
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下山道を進むと、また、竹の鳥居が現れた。
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扁額に目を惹かれた鳥居。
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アップで。
四ツ辻茶屋『仁志むら亭』の西村家のものなのであろうか。
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再び、下界に。
枝垂れ桜を愛でる。
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参道で出遭ったジテンシャ・ファミリー。
到着したときにも、参道でジテンシャ・カップルに出遭った。
こうした偶然が好きだ。
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JR稲荷駅前。
我らが到着したのは午前9時。
今は10時半。
変わらず、駅から人が湧き出すが如くである。
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伏見稲荷大社で、参拝、外国人観光客の人気度の<取材>、そして、狐コレクションという所期の目的を達成した。
次は、石清水八幡宮である。
京阪/伏見稲荷駅へと向かう。

=備忘録=
伏見稲荷大社とは。
稲荷神を祀る稲荷神社全国に30,000社あるといわれ、伏見稲荷大社はその総本宮。
稲荷神は、稲荷大明神、お稲荷様、お稲荷さんとも呼ばれ、そもそもは穀物・農業の神であるが、今日では、農業のみならず商工業も含む、産業全体の神として信仰されている。
稲荷信仰の原点は稲荷山。
和銅4年(711)2月初午の日、稲荷大神が稲荷山に鎮座したのが始まり。
狐がくわえているものは、稲穂、巻物、玉、鍵の4種類。
その意味するところは諸説あるが、一般的には;
・稲穂は五穀豊穣をあらわしている。
・巻物は知恵をあらわしている。
・玉と鍵は「玉鍵信仰」によるもので、玉は稲荷神の霊徳の象徴、鍵はその御霊を身につけようとする願望とされている。
・また、玉と鍵は天地、陰陽をあらわし、万物の創世の理をあらわしているともいわれている。

フォト:2018年4月1日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-07 23:36 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/伏見稲荷大社(中)』 hk-5

4月2日(月曜)、晴れ。
3月31日から二泊三日の関西行脚。
初日は明日香史跡めぐり。
二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

伏見稲荷を訪ねることとしたことには、三つの目的があった。
これまで京都ポタリングや観光の際、街道から大鳥居に向かって拝むだけで、いわば、素通り。
ということで、先ず、正式参拝を目的として。
次に、昨今、外国人観光客に大人気とのことで、それをこの目で確認したいという野次馬的目的。
次に、狛犬コレクションの延長線上での、狐コレクションという蒐集癖的目的。

大鳥居、楼門、本殿をめぐり、外国人観光客を<取材>、更に狐も着々とコレクションしながら、千本鳥居の入口に至る。

千本鳥居。
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扁額コレクション。
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並ぶ扁額。
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並ぶ「奉」の文字。
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並ぶ「納」の文字。
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朱色の千本鳥居の脇には、鳥居のほかに数多の祠も献納されている。
稲荷大神のみならず、笹竜胆の紋が染め抜かれた白旗大明神の幟旗も。
後刻、四ツ辻から別の道を下ったが、そこでもいろいろな大明神を見た。
当地は、高野山と同様に、心広く、あらゆるものを受け入れているようだ。
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熊鷹社内で蝋燭の光に映し出される狐の姿は一種独特の雰囲気を醸している。
狐コレクションとするには礼を欠く思いがしたので、コレクション外とした。

「大鳥居の献納 承ります」。
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鳥居はつづく。
千本鳥居の下の方は人、ひと、ヒトで行列をなす体であったが、四ツ辻近くともなると随分と人は減り、ご利益は倍増になるような気分に。

ご利益倍増をゲットし、下山中の親子さん。
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四ツ辻に至る。

千本鳥居を上って来る、ご利益倍増組さんを眺める。
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ペットボトルのお茶を飲みながら一服。

鳥居奉納の案内に目を通す。
お金のことは言っては何だか、「5号 175,000円~」、「奉納場所によって初穂料が異なります」とある。
鳥居奉納には、ミニマム175,000円は入り用なのである。
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四ツ辻から一ノ峰までの案内図を眺める。
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この機会に、一気に一ノ峰までと思う一方、前々日の明日香史跡めぐり、前日の京都街歩きで足は疲れている。
ここから山頂は次回の楽しみとし、下山することにした。
同じルートをたどって下るのは面白くないので、左へ曲がり、西側の道を下ることにした。

フォト:2018年4月2日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-07 23:35 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 07日

『春の京都/伏見稲荷大社(上)』 hk-4

4月2日(月曜)、晴れ。
4月1日の京都での兄弟姉妹会の機会を捉え、二泊三日の関西行脚。
初日は明日香へ。
三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。

伏見稲荷を訪ねることとしたことには、三つの目的があった。
これまで京都ポタリングや観光の際、街道から大鳥居に向かって拝むだけで、いわば、素通りということであったので、先ず、正式参拝を目的として。
次に、昨今、外国人観光客に大人気とのことで、それをこの目で確認したいという野次馬的目的。
次に、狛犬コレクションの延長線上での、狐コレクションという蒐集癖的目的。

JR伏見駅で下車。
朝の9時、普通の観光地ではまだ混み合う時間帯ではないが、この地は別。
駅も伏見稲荷参道入り口も、人、ひと、ヒト。
ということで、早速、報道に違うことなく、外国人観光客だらけであることをこの目で視認。

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狐コレクションその1/稲穂をくわえる狐。
以前、那須岳に向かう途中、このように飛び跳ねた狐の像を見たこともあった。
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参道を走る自転車。
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チョー若い、日本人カップルから写真撮影を頼まれる。
日本人もいるんだ!(変な感想だが)
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楼門前も、人、ひと、ヒト。
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狐コレクションその2/玉をくわえる狐。
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狐コレクションその3/鍵をくわえる狐。
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本殿は、瞬間、人波が減じて。
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狐コレクションその4/稲穂、玉、鍵、巻物、何をくわえているのか逆行で定かでないが、消去法で巻物をくわえているらしい狐。
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狐コレクションその5/稲穂をくわえる狐。
前足の力強さが、昨年5月にコレクションした、秩父/三峯神社の眷属/狼像とよく似ているように思えた。
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千本鳥居方面へと進む。狐コレクションその6&7/右、玉をくわえる狐、右、巻物をくわえる狐。
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千本鳥居案内図。
急ぎの外国人観光客にとっては、この写真だけで十分かも...。
この写真を本ブログにアップするときに、背後に巻物をくわえる狐が鎮座していることに気づいた(コレクション外とする)。
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狐コレクションその8&9/左右、木造の狐。
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さて、いよいよ、千本鳥居の入り口に。
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前々日は、電動アシスト付きながら、明日香のあちらこちらを半日かけて史跡めぐり。
前日は、京都を街歩き。
結構、足は疲れている。
千本鳥居の何処までいけるかだが、行けるところまで行ってみようと、そんなことを話ながら連れ合いと千本鳥居を抜け始める。

フォト:2018年4月2日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-07 23:34 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 06日

『春の京都/大谷本廟墓参』 hk-3

4月1日(日曜)、晴れ。
この日は恒例となった京都での兄弟姉妹会。
この機会を捉え、前日から二泊三日の関西行脚。
午前、連れ合いと共に西本願寺を訪ねた。
午後、河原町で兄弟姉妹と落ち合い、先ず、結構な蕎麦屋で昼餉。
兄と弟はビール、小生は昼に飲むと酔いが早いので、ビール味のアルコール・フリーを頂戴する。

昼餉を終え、大谷本廟へ。
タクシーでもよいのだが、好天気なので、祇園四条駅から一駅、電車に乗り、五条清水駅から大谷本廟へ歩くこととする。

四条大橋から鴨川を眺める。
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東山五条交差点。
車も多い、観光客も多い。
もちろん、外国人観光客、多数。
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大谷本廟。
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コゲラの声が聞こえる。
その姿は直ぐに見つかった。

桜花とコゲラ。
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メジロやヒヨドリは嘴を桜の花に突っ込んで蜜を吸うが、コゲラは桜の蜜よりも木の幹に巣食う虫が好物。
キツツキの得意技、嘴で枝を突っついて、枝の中に潜む虫を探している。
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石段を上り、総門をくぐる。
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仏殿で供養の読経。
祖壇納骨所で墓参。

総門を抜け、石段を下る。
総門を抜けるときに、総門の吊灯篭の龍に髭があることに気づく。

"龍コレクション”。
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五条坂、三年坂、二年坂、霊山観音、高台寺、八坂神社を抜け、祇園近くの喫茶店で一服。

街歩きをしながら、”塔コレクション”。
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街歩きをしながら、”龍コレクション”。
というよりも、前日の明日香めぐり、キトラ古墳の”四神”の再来として目に入った。
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四条通を歩きながら、「子供の頃、京都の親戚から貰った山椒あられ、あれはどこの店のものやったんやろね。昨日、京都駅の土産物屋に置いてあったけど、買うのは見送り」と山椒あられのことを話題にした。
妹が「山椒あられ、持ってます」と一粒、味見をさせてくれた。
昔、食べた山椒あられはもっと大粒で、舌がしびれるくらいにパンチがあったような記憶が。
しかし、それは60年も前のこと、記憶は定かではない。

二条までタクシーでもよいのだが、好天気なので、祇園四条駅から一駅、電車に乗り、三条駅から二条の宴の場所まで歩くこととする。

三条駅で下車し、三条橋を渡る。
三条大橋西詰の「舩はしや」に立ち寄り、山椒あられを購入する。
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購入はしたが、みんなに味見提供する機会を失った。
ということで、帰宅後の味見をここで報告しておこう。

「舩はしや」の山椒あられ、一粒を口に放り込んだ。
舌がしびれるほどのパンチはなかった。
だが、二粒、三粒と口に放り込むに連れ、舌がしびれて来た。
子供の頃に食べたのは「舩はしや」の山椒あられであったような気がして来た。
ちょっと違うと思うのは、「舩はしや」のものは小粒、昔、食べたものは大粒(であったような記憶があるのだが...)。

三条通を外れ、木屋町通を上がる。
木屋町通には、史跡を示す標柱が数多くあるが、そのひとつを。

「高瀬川開鑿者 角倉氏邸址」。
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高瀬川一之船入。
桜花と高瀬船。
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説明板に目を通す。
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高瀬川の水運
京都は古代・中世を通して日本最大の都市であり、経済・文化の中心であった。
この情況は近世に入ってからもかわらなかったが、内陸部に位置していたため、交通運輸の面で大きな隘路を抱えていた。
これを打開するために開発されたのが、大量輸送を目的とした、伏見・二条間をつなぐ高瀬川水運であった。
その計画と施工者は、著名な嵯峨の豪商、角倉了以そのひとである。
この交通大動脈の完成は、京都を大阪より直接水運で結ばせることになり、近世京都の経済発展を支える基となったのである。
京都の運輸に画期的な変革をもたらした、この高瀬川の全長は、5,648間(約11.1キロメートル)、川幅平均約4間(約8メートル)をはかり、水路にそって9ヶ所の船入りが設置された。
総工事費に7万5千両を要した。
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兄弟姉妹会。
話題あれこれ。
楽しい時間を過ごした。
企画者の兄貴に感謝。

高瀬川一之船入。
夜桜。
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西本願寺、大谷本廟、桜花を愛でながらの街歩き、兄弟姉妹会、楽しい春の京都の1日であった。

フォト:2018年4月1日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-06 23:33 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 06日

『春の京都/西本願寺(下)』 hk-2

4月1日(日曜)、晴れ。
この日は恒例となった京都での兄弟姉妹会。
この機会を捉え、前日から二泊三日の関西行脚。
午後からの兄弟姉妹会に先立ち、午前、連れ合いと共に西本願寺を訪ねた。

我が家は浄土真宗である。
信心深いという訳ではない。
これまで京都市内をポタリングしたり、観光したりしたときに西本願寺の前をよく通るが、素通りするばかりであった。
BS朝日で再放送されていた「五木寛之の百寺巡礼」を見る中で、西本願寺が登場。
ということもあって、今回、西本願寺を訪ねたのであった。
午後、兄弟姉妹にて、両親の墓所、東山五条の大谷本廟へ参り、そのあと、夜の宴となっており、午前、西本願寺を訪ねるのはちょうどよい流れでもあった。

阿弥陀堂、御影堂から境内南側の唐門へ。

書院。
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唐門。
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境内の南側には、東から北に向かって、唐門、大玄関門、台所門と三つの門が並ぶ。

大玄関門を眺めながら、こりゃー、時代劇の撮影に使われているなあと、ロケ地訪問も趣味としていることでもあり、そう呟く。

唐門を外からも眺めたいと思ったとき、台所門に立つ守衛さんと目が合った。
「この門の木戸から外に出して貰えるでしょうか。唐門を外からもみたいもんで」と声を掛けた。

「もちろん、出入りしていただいて結構です」、更に言葉を続けて、「唐門は6月から修理に入りますので、ちょうどいいときに見学に来られました」、そして、「唐門の彫刻について説明しましょうか」と。

唐門外側の「黄石公と張良」の故事、唐門内側の「許由と巣父」の故事について、見事な口調での説明を拝聴した。

ひとことで言うなら、門の外は俗世間、門の内側は浄土というものであった。

その故事について、守衛さんの話プラス小生の補足も加え、唐門の外側と内側の彫刻の写真と共に綴っておきたい。

台所門の木戸から南側の北小路通に出る。

大玄関門を外側から眺める。
やっぱり、これは時代劇のロケに使われているなあと呟く。
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唐門を外側から眺める。
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唐門外側の彫り物の故事はこうだ。
張良は夢で老人(黄石公)に兵法を教えてやろうといわれる。
その後、張良が老人と会ったとき、老人は自分の靴を川に投げ捨て、張良に拾わせようとする。
張良は屈辱に思いつつも、靴を拾うため川に飛び込む。
靴を探していると龍が現れ、張良は龍を退治する。
すると、龍は靴を差し出し、張良は龍に乗って地上に戻り、老人に靴を差し出す。
結果、老人は張良に兵法の書を渡した。

左/龍に乗り、靴を差し出す張良、右/馬に乗った黄石公。
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アップで。
龍に乗り、靴を差し出す張良/外側から。
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龍に乗り、靴を差し出す張良/内側から。
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馬に乗った黄石公/内側から。
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馬に乗った黄石公/外側から。
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再び、台所門の木戸から中へ入る。
内側から唐門を眺める。
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滝の水で耳を洗う許由と牛を引いて来た巣父の彫り物を眺める。

唐門内側の彫り物の故事はこうだ。
許由は清廉潔白な人で、人徳も高く、人々から尊敬されていた。
このことを伝え聞いた中国の名帝・堯は天子の座を許由に譲ろうとした。
これを知った許由は「世俗事の汚れた話を聞いてしまった」と、山奥に逃げ、穎川の滝で耳を洗い、隠世した。
牛を引いて来た巣父が、許由が耳を洗っているの姿を見て、「牛に、こんな汚れた水は飲ませられない」と引き返したという。

滝で耳を洗う許由。
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牛に水を飲ませようと川へ牛を引いて来た巣父。
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唐門外側の、張良と黄石公の故事は、出世など俗世をあらわしている。
唐門内側の、許由と巣父の故事は、欲にまみれることのない、精錬潔白な世界、即ち、浄土をあらわしている。
唐門を境にして、そうした、ふたつの世界をあらわしているというのであった。

守衛さんに礼を伝え、南側から、再び、東側の境内へ。

樹齢、約400年のイチョウ。
春らしく、青々とした葉を出し始めている。
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阿弥陀門をくぐり、堀川通に出る。
堀川通を挟んで向かい側の、総門を眺める。
その奥に、築地本願寺を思わせる建物が見える。
堀川通を渡り、総門を抜け、数珠屋町(正面通)を東へ進む。

総門近くの店の、花まつりのディスプレーを眺める。
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建物の脇に立つ説明板に目を通す。
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重要文化財
本願寺伝道院
この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものです。
当初は「本館」のほか、「付属屋」、「倉庫」2棟、「人力車置場、便所」、「屋根伝ひ廊下」が建っていましたが、現在は「本館」のみが残っています。
伊東忠太の提唱した「建築進化論」(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています。
現在は本願寺伝道院として浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用しています。
本願寺
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やはり、伊東忠太が設計した建物であった。

因みに、古代インド様式をモチーフとした築地本願寺の本堂(1934年竣工)は、当時、浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計である。

大工さんの遊び心である「埋め木」探し、唐門の故事と親切な守衛さん、伊藤忠太設計の建物など西本願寺を楽しんだ。

「五木寛之の百寺巡礼」に倣えば、前日の飛鳥寺、橘寺、この日の西本願寺と「三寺巡礼」と相成ったのであった。

フォト:2018年7月1日

(つづく)



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by ryujincho | 2018-04-06 23:32 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 06日

『春の京都/西本願寺(上)』 hk-1

4月1日(日曜)、晴れ。
この日は恒例となった京都での兄弟姉妹会。
この機会を捉え、前日から二泊三日の関西行脚。
午後からの兄弟姉妹会に先立ち、午前、連れ合いと共に西本願寺を訪ねた。

我が家の宗教は浄土真宗である。
信心深い訳ではなく、これまで西本願寺は京都ポタリングや観光のときに前を素通りするばかりであった。
BS朝日で再放送されていた「五木寛之の百寺巡礼」を見る中で、西本願寺が登場。
ということもあって、今回、参拝することとした。
午後、兄弟姉妹にて、両親の墓所、大谷本廟へ参ることにしており、午前、西本願寺を参拝するのはちょうどよい流れでもあった。


西本願寺。

阿弥陀堂門をくぐる。
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顔抜き看板コレクション。
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阿弥陀堂。
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御影堂。
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龍コレクション。
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阿弥陀堂内、御影堂内、参拝。

阿弥陀堂、御影堂の縁側、廊下で、大工さんの遊び心を示す「埋め木」を探す。
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いろんな形をした埋め木。
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極め付けは、富士を模った埋め木。
木目は雲が広がるが如きで、最もお気に入りの埋め木となった。
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ズームアップするとまた違った趣きの、富士と雲に。
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埋め木はまだまだあるが、このくらいにして...。

阿弥陀堂から境内を眺める。
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狛犬(唐獅子)コレクション。
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外柱の埋め木。
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境内の南側へ向かう。

フォト:2017年4月1日

(つづく)


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by ryujincho | 2018-04-06 23:31 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)