龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:古墳( 1 )


2018年 03月 29日

『上円下方墳コレクション/武蔵府中熊野神社古墳、石のカラト古墳』

3月6日、大阪の兄貴と4月の兄弟姉妹会の件で交信。
その際、<おまけ写真>と共に、次の通り、古墳めぐりの話題を提供した。
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先日4日、JR南武線/西府駅~武蔵府中熊野神社古墳(府中市)~多摩川サイクリングロード~田園調布古墳群(多摩川台公園)~東急多摩川駅をポタリング。

武蔵府中熊野神社古墳は、全国的にも珍しい「上円下方墳」。
ウィキペディアによれば、上円下方墳は下段が方形、上段が円形のほか、広義の上円下方墳としては、下段を方形、上段を八角形とする八角墳を上円下方墳に含める考え方も存在しているとのこと。

こうした広義の上円下方墳に含まれる陵墓の中でも最も有名なのは天智天皇の御廟野古墳(京都市山科区、八角墳)。
また、明日香の石舞台古墳も上円下方墳であった可能性が指摘されており、先日の読売新聞にもそういう記事あり。武蔵府中熊野神社古墳は飛鳥と関係しているのではないかとあり。

武蔵府中熊野神社古墳に隣接された資料室の展示によれば、上円下方墳は全国で次の4基のみ。
①野地久保古墳 - 福島県白河市(2010年国史跡指定)
②武蔵府中熊野神社古墳 - 東京都府中市(2005年国指定史跡)
③清水柳北1号墳 - 静岡県沼津市(復元古墳)
④石のカラト古墳(カザハヒ古墳、風灰古墳)- 奈良県奈良市と京都府相楽郡木津川市境(1996年国史跡指定、日本で最初に確認された上円下方墳)

ウィキペディアでは更に次の2基も書かれている。
⑤山王塚古墳 - 埼玉県川越市(市指定史跡)
⑥天文台構内古墳 - 東京都三鷹市

こういうことを知ると、<消し込み好き>の小生、ひとつずつ巡ってみたいとの思いに。
④の石のカラト古墳を 地図で調べてみたところ、上述の通り、奈良県と京都府の境界、近鉄/高の原駅の西2km、大和西大寺駅の北5kmあたりにあり。
どこかにドライブに行ってみようかなというときに、石のトカラ古墳は如何かなと思う次第。
小生も、いずれ機会があれば、自転車を携え、訪ねてみようと思い居ります。

武蔵府中熊野神社古墳。
南側から。
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北東側から。
このアングルからだと、上円下方墳の形がよく分かる。
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南西側から。
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同日、兄貴より返信あり。
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古墳めぐりも良いですね。
石のカラト古墳は知りませんでした。
武蔵府中熊野神社古墳も天智天皇稜も7世紀で、3世紀の古墳に比べ小ぶりになっていますね。
今、大阪の某大学公開講座で「日本を知ろう」を受講中。
2月は「古墳から飛鳥へ」、3月は「古代国家と日本」で正にこの時代で興味が湧きます。
石のカラト、一度行ってみます。
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3月29日、兄貴より「石のカラト古墳に行って来ました」とのメッセージと共に写真が3葉、送られて来た。

石のカラト古墳。
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これは反対側から(だろう)。
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説明板。
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史跡 石のカラト古墳   

この古墳は8世紀はじめの築造と推定され、昭和56(1979)年の発掘調査で上段が円形(直径約9.2m)、下段が方形(一辺約13.8m)の上円下方墳であることがわかりました。  

下段の表面には3cm大の石を葺いていましたが、上段の葺石はほとんど失われていました。  
古墳の中につくられた石室は壁画古墳として知られる飛鳥高松塚古墳と同じ横口式石槨で間口1.15m、奥行き2.6m、高さ1.2mあり、15枚の凝灰石の切石でできています。   

「カラト」の名はこの石室が唐棚に似ていることからつけられた名前らしく、石室内は盗掘のため荒らされていましたが、朱塗りの棺が納められていたらしく、漆の破片、金・銀の玉など豪華な副葬品の一部が出土しました。   

葬られていた人物の名前はわかりませんが、奈良時代はじめの貴族と推定され、平城京の北郊である奈良山丘陵に作られた数少ない終末期の古墳として昭和62(1987)年の復原整備のあと、平成8(1996)年に国の史跡に指定されています。                                                

奈良県教育委員会
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細かい話ながら、説明文1行目に「昭和56(1979)年の発掘調査」とあるが、これは「昭和54年」の誤記であろう(他の資料を確認したところ、「昭和54(1979)年に発掘調査」とあるので)。

説明文の中に「『カラト』の名はこの石室が唐棚に似ていることからつけられた名前らしく...」とある。
「唐棚」の意味がよく分からない。
広辞苑に「唐櫃(からと)⇒「からびつ」に同じ」とあるが、これとも違うようである。
宿題とする。

写真をじっくり見ると、下段にも上段にも葺石が見て取れる。
写真を拡大トリミングしてみた。
この葺石は、昔からあったものなのだろうか、調査発掘ののちに施したものなのだろうか...。
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つづいて、「平群服貴畑の里は桃源郷といわています。モクレン、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サンシュユ、ユキヤナギ、etc.」とのメッセージと共にこんな写真が送られて来た。

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桃源郷と呼ぶに相応しい風景である。
そうした風景にも増して、惹かれたのが「平群服貴畑の里」の名である。
「平群」の地名に興味があるので、平群服貴畑の里の具体的な所在地を調べてみた。
奈良県生駒郡平群町である。
古代の大和国平群郡平群郷の地であり、豪族・平群氏はここから生まれた地でもある。
安房国史跡めぐりをしたとき、館山の近くで平群の地名を見たことがあり、房総半島のこの地にも平群氏が流れて来たのだなあと思ったことがあった。
「平群服貴畑の里」の写真のお陰で、平群氏の源流の地、大和国平群郡平群郷の地を具体的に知ったのであった。
平群町には、60数基の古墳が散在しているという。
いずれ、石のカラト古墳と共に、平群町の古墳もめぐってみたいものである。

フォト#1~3:2018年3月4日
フォト#4~9:2018年3月29日(兄貴提供)
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by ryujincho | 2018-03-29 23:32 | 古墳 | Comments(0)