龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:未分類( 273 )


2018年 06月 02日

『早慶戦同窓会 2018.6.2』

6月2日(土曜)、晴れ。
早慶戦同窓会。
神宮球場へ出掛ける。

ここ数年、信濃町駅から神宮球場まで歩く途中、新国立競技場の建設現場を<取材>することが恒例となっている。
因みに、昨秋は早慶戦同窓会が開かれなかったので、10月末に東京体育館裏の高台から林立するクレーンを取材した。
今回はそれ以来のことである。

絵画館前広場からの眺め。
新国立競技場建設現場のクレーン、その向こうにドコモタワー。
昨年秋、東京体育館裏の高台から見た林立するクレーンがここからも見えるかと期待したが、奥床しく(???)1本だけ。
a0289546_23275257.jpg
a0289546_23301585.jpg

”青山門”。
林立するクレーンが見えて来た。
旧国立競技場ではこの角に”青山門”があった。
新国立競技場でもに”青山門”となるのであろうか?
a0289546_23360040.jpg
a0289546_23385319.jpg
a0289546_23391351.jpg

神宮球場。
チケットをゲット。
毎度、思うことだが、シニア割引はない。
a0289546_23452799.jpg

ライト側外野席。
集合場所は、例年、ヤクルトタフマンの広告前であった。
集合場所に変わりはないが、看板は変わり、MITSUI E&S となった。
a0289546_23532171.jpg

旧三井造船は、この4月、持ち株会社制に移行し、株式会社三井E&Sホールディングスとなった。
船舶・艦艇事業は三井E&S造船株式会社、機械・システム事業は株式会社三井E&Sマシナリー、エンジニアリング事業は株式会社三井E&Sエンジニアリングとなった。
三井造船は旧仕官先の同業他社。
持ち株会社への移行は、時代の流れを感じさせる。

ところで、ヤクルト社は、何故、長年、定位置で頑張っていたヤクルトタフマンの看板を手放したのだろうか?
三井E&Sホールディングスは、何故、神宮球場に新社名の看板を掲げることにしたのだろうか?
野球好きの若者をリクルートしようという算段なのかな?
それとも...。

a0289546_00062050.jpg

この日の早慶戦は1対3でW大の負け。
優勝はかかっていないし...。

試合後の応援席への敬礼は、応援への感謝か、それとも、優勝できなかったお詫びか?
まあ、OBにとっては50年前を思い出させてくれるだけでよく、勝ち負けには拘らないのだが、優勝するに越したことはない。
a0289546_00114174.jpg

去年であったか、一昨年であったか、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催期間とその前後、数ヶ月間、オリンピック開催のための資材や放送機材の置き場所、観客の待機場所として球場を貸せという話が浮上し、そうなれば、プロ野球は開催できないし、東京六大学野球も出来ないと反対の声があがった。
あれはどうなったんだろう?と思いながら、神宮球場から一献傾ける席へ向かった。

フォト:2018年6月2日







[PR]

by ryujincho | 2018-06-02 23:31 | Comments(0)
2018年 05月 17日

『生誕150年 横山大観展』

5月15日(火曜)、晴れ。
ここしばらく、東京都美術館「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」、国立新美術館「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」と西洋画が続いたことでもあり、東京国立近代美術館で開催中の「生誕150年 横山大観展」へ。

a0289546_01255883.jpg


朦朧体、極彩色、数々の作品に圧倒される。
ここで、作品紹介をするつもりはない。
ただ、『生々流転』についてだけ、少し触れておきたい。
深山に降った雨の水滴が大河をつくり、海に注ぎ、大海で水蒸気となり、雲となり...、そして、再び、深山に雨を降らせ...と水の一生に例え、全長40.7mの巻紙に描く大作。
大海で水蒸気になり、雲になるとき、龍の姿となる。
龍コレクションをやっている小生にとって、誠に嬉しい《龍》であった。

メモ。
生誕150年 横山大観展
横山大観(1868-1958)の生誕150年、没後60年を記念しての回顧展。
東京美術学校に学んだ大観は、師の岡倉天心とともに同校を去り、日本美術院を設立。
新たな時代における新たな絵画の創出を目指た。
西洋からさまざまなものや情報が押し寄せる時代の中、日本の絵画の伝統的な技法を継承しつつ、時に改変を試み、また主題についても従来の定型をかるがると脱してみせた。
やがてこうした手法はさらに広がりを見せ、自在な画風と深い精神性をそなえた数々の大作を生み出した。
本展では、40メートル超で日本一長い画巻《生々流転》(重要文化財)や《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作に、数々の新出作品や習作などの資料をあわせて展示し、制作の過程から彼の芸術の本質を改めて探る。
出品点数90点。本画82点、習作ほか資料8点を展観する大回顧展。
(東京国立近代美術館ホームページより抜粋)

この紹介記事に書き加えておきたいことは、100年ぶりに発見された《白衣観音》。
アンバランスの美、西洋画を圧倒する観音の力強い目、お気に入りとなった。

フォト:2018年5月16日



[PR]

by ryujincho | 2018-05-17 23:31 | Comments(0)
2018年 03月 03日

『貝化石灯篭』

3月3日、晴れ。
手賀沼の新田開発に尽力した旧井上家住宅を見学。

庭でこんな灯篭が目に入った。
a0289546_11305104.jpg

この灯篭、貝の化石で作られている。
この貝の化石で作られた灯篭を見て、ここ、井上家住宅から数キロ離れたところにある「木下貝層(きおろしかいそう)」が頭に浮かんだ。
木下貝層は一昨年の秋に訪ねたことがあるが、せっかく、貝化石灯篭なるものを見たことでもあり、木下貝層へと足を運んだ。

『国指定天然記念物 木下貝層』(印西市木下字平台)
a0289546_11382523.jpg

詳しくは、2016年の秋に綴ったこちらのブログで。
(貼り付け画面をクリックすると全文が現れます)



フォト#1、#2:2018年3月3日
フォト#3~#10:2016年11月6日(兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」より)



[PR]

by ryujincho | 2018-03-03 23:35 | Comments(0)
2018年 03月 03日

『影盛(かげもり)』

3月3日、晴れ。
手賀沼の新田開発に尽力した旧井上家住宅を見学。

表門。
形式は医薬門。
屋根は切妻造桟瓦葺。
棟の両端には鬼瓦と漆喰を盛り上げた「影盛(かげもり)」。
a0289546_11174573.jpg

フォト:2018年3月3日

[PR]

by ryujincho | 2018-03-03 23:33 | Comments(0)
2018年 02月 22日

『差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり』

2月22日(木曜)。
今朝の朝刊に、2月20日に亡くなった金子兜太さんに関する投稿記事が幾つか掲載されていた。
金子兜太さんの句に身近に触れたのは、2010年の秋、渥美半島をポタリングした際、伊良湖岬で彼の作が刻まれた句碑に出遭ったときのことであった。

「差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり」
a0104495_037166.jpg

サシバは「鷹の渡り」をみせる代表的な鳥である。
4月頃、夏鳥として東南アジアやニューギニアから日本に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
秋の渡りは9月初めに始まり、沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越す。
一部は沖縄・南西諸島で冬を越すものもある。
日本では4月ごろ夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
秋の渡りの時には非常に大きな群れを作り、渥美半島の伊良湖岬や鹿児島県の佐多岬ではサシバの大規模な渡りを見ることができる。
一方、春の渡りは秋ほど大規模な群れは作らない。

「伊良湖岬」と「サシバ」、これらふたつの言葉から連想されるのはサシバの秋の渡りであるが、句碑に刻まれた「差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり」は春から夏にかけての伊良湖岬の風景である。

伊良湖岬の高台に建てられた伊勢湾海上交通安全センターの外壁に数羽のサシバが刻まれている。
a0104495_0224349.jpg
a0104495_0225665.jpg
このレリーフのサシバは、句碑とは異なり、春の渡りではなく、秋の渡りが刻まれたものであろう。

金子兜太さんは、戦中、トラック諸島に海軍主計中尉として赴任していたという。
1月4日に亡くなった、小生の極々近しい人も、戦中、トラック諸島に。

2009年3月、三浦半島をポタリングした際、「浦賀港引揚げ記念の碑」に目を惹かれた。
そのときのことをマイ・ブログに通り綴った。
その抜粋は次の通りである。
-----------------------------------------------------------
東浦賀から浦賀の中心地を経て、浦賀港沿いに、西浦賀へ。
海側の歩道を走っていたところ、「浦賀港引揚げ記念の碑」と記された碑が目に入りました。
碑文を読みながら、小生に最も近しい人の話を思い出し、この碑をカメラに収めました。
a0104495_2121671.jpg

碑文は次の通り記されています。

昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争は終結。ポツダム宣言により海外の軍人、軍属及び一般邦人は日本に送還された。ここ浦賀港も引揚指定港として、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れた。
引揚者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出した。ことに翌21年、華南方面からの引揚船内でコレラが発生。以後、続々と感染者を乗せた船が入港。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、有史以来かつてない大防疫が実施された。この間、祖国を目前にして多くの人々が船内や病院で亡くなる悲劇があった。昭和22年5月浦賀引揚援護局の閉鎖で、この地の引揚業務も幕を閉じる。
私たちは再び繰り返してはならない戦争による悲惨な引揚の体験を後世に伝え、犠牲となられた方々の鎮魂と恒久の平和を祈念し、市制百周年にあたりここに記念碑を建立する。                 
横須賀市 

小生の最も近しい人は、終戦後、引揚げ船で南方の戦地、トラック諸島から、無事、帰還。
その人が傘寿を迎えるにあたって綴った「生い立ちの記 風雪80年」の中で、次のように記されています。

「(略) 小笠原諸島を過ぎた頃、前方の雲間に白い三角形のものが見えた。船が内地に近づく程、三角形は大きくなり、富士山の頂上だとはっきり認識出来るようになり、白扇逆さまに掛かるの表現がよく理解出来た。直ぐに、船室の同僚に知らせたら、船酔いも忘れて、皆、甲板に出て、3年振りに見る霊峰富士の神々しい姿に、万感胸に迫り、ただただ、涙を流すばかりだった。
 昭和20年10月29日、「巨斉」は浦賀港に入港した。やっと生きて故国の土を踏むことが出来た。入国検査では、現在、有毒と言うことで使用が禁止されているDDTを頭から身体中が真っ白になる程、米兵に掛けられ、近くの横須賀銃砲隊の兵舎に入った。(略)」

この章では、この後、東京から復員専用列車で故郷に帰還するときの様子や故郷に無事、到着したときの様子も綴られています。

本ブログでは、紙面の都合上、上述の抜粋に留めますが、戦時の章では、召集令状から入隊、訓練、南方諸島への出陣、南方諸島での戦いや生活、無事の帰還、復員の様子が31ページに亘り、綴られています。

今回、ブログを掲載するに際して、この章を読み返してみましたが、やはり、胸の詰まる思いです。

碑の写真一枚で、苦労なさった皆さんのことを済ますつもりはありませんが、それはお許し戴いた上での掲載です。
--------------------------------------------

金子兜太さんは享年98歳、極々近しい人は享年96歳。
ひょっとしたら、二人はトラック諸島で出会っていたかもしれない。

このようにこのブログを綴っていると、トラック諸島からの無事の帰還と南方から日本に渡って来るサシバとが重なり合う思いに至るのであった。

合掌

フォト#1~#3:2010年11月7日(当時、綴ったブログより転載)
フォト#4:2009年3月21日(同上)


[PR]

by ryujincho | 2018-02-22 23:31 | Comments(0)
2018年 01月 03日

『初詣』

正月三日。
初詣。
成田山新勝寺。
超広角レンズを持って。

仁王門。
a0289546_16332205.jpg
a0289546_16335871.jpg
大本堂前。
a0289546_16343764.jpg
a0289546_16360415.jpg
a0289546_16381387.jpg
大本堂にて参拝。
表に出て、三重塔を見上げる。
最近の初詣では珍しい光景だが、着物姿の娘さんがいたので、それも一緒に。
a0289546_16393792.jpg
a0289546_16592725.jpg
三重塔の装飾は、着物姿の娘さんに負けず劣らず美しい。

平和の大塔。
a0289546_16405626.jpg
大塔の2階の明王殿で、本尊の不動明王、四大明王を参拝。
明王殿の壁画、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図を眺める。
尾垂が浜に本尊が上陸したことも描かれていた。
昨年2月、龍尾寺(匝瑳市)から成田山本尊上陸の地である尾垂が浜(山武郡横芝光町)を訪ねたときのことを思い出しながら、壁画を眺めた。


醫王殿。
昨年秋、紅葉狩で訪れたときには、醫王殿まだ工事中であったが、その後、11月28日、醫王殿入仏落慶大法会が執り行われたことを報道で知り、初詣で、是非、参拝したいと思っていた。
a0289546_16435145.jpg
a0289546_16444423.jpg
a0289546_17093707.jpg
御手綱。
a0289546_17102721.jpg
御手綱を握り締め、祈る。
そして、醫王殿内へと進む。
醫王殿に安置された薬師如来、そして、薬師如来を護る十二神将を間近にして参拝。
薬師如来の指には御手綱が優美に結ばれているのをこの目でしっかりと見た。

表に出ると先ほどよりも参拝者の列は増している。
彼らも回向柱の御手綱を握り締めた後、醫王殿内へと進んで行く。
a0289546_17140669.jpg
醫王殿に安置された薬師如来と回向柱を繋ぐ御手綱をアップで。
a0289546_17142861.jpg
こうして、恒例の成田山初詣を無事終えることが出来た。
すっきり!

フォト:2018年1月3日
[PR]

by ryujincho | 2018-01-03 23:31 | Comments(0)
2018年 01月 02日

『初詣』

正月二日、初詣。
紅龍山 布施弁天 東海寺。
通称「布施弁天」。

楼門は竜宮城風。
a0289546_00525831.jpg
本堂と冬晴れの空。
a0289546_00532192.jpg
鐘楼の十二支。
今年の干支は、戌。
戌の彫刻に白い房が据えられている。
a0289546_00551313.jpg
a0289546_00553077.jpg

フォト:2018年1月2日

[PR]

by ryujincho | 2018-01-02 23:31 | Comments(0)
2018年 01月 01日

『謹賀新年』

謹賀新年。
2018年
平成30年
戌戊(つちのえ いぬ、ぼじゅつ)

元旦。
次男夫婦が何処で紙粘土をゲットして来た。
紙粘土で拵える御題は「犬」。
みんなで紙粘土細工に腕をふるった。
a0289546_00385094.jpg
a0289546_00392415.jpg
番号札は出来映えの順位ではなく、あみだくじでの当たり番号。

フォト:2018年1月1日


[PR]

by ryujincho | 2018-01-01 23:31 | Comments(0)
2017年 12月 22日

『ジャズ・コンサート』

12月12日、久方ぶりに、関西の盟友、播磨守さんと電子飛脚便交信。
「12月17日、熟年バンド、ジャズのコンサートに出演します」と。
「写真を1枚、送って貰えると嬉しいです」と返信。
12月21日、電子飛脚便と共にコンサートの写真が送られて来た。
a0289546_18345242.jpg
熟年バンドのメンバーの中には、播磨守さんのほか、穴子奉行さん、御典医さん、呑々守さん、本町奉行さんらの盟友の姿もあり。

播磨守さんからの電子飛脚便によれは、演目は次の通り。
シルヴァリー・ムーン
ビギン・ザ・ビギン
メモリーズ・オブ・ユー
ハロー・ドーリー
想いでのサンフランシスコ
テイスト・オブ・ハニー
マンボ No. 5
ムーンライト・セレナード

曲名を見ただけで音色が聴こえて来る。
熟年バンド、よー、頑張ってはります。

フォト:2017年12月17日、播磨守殿提供
[PR]

by ryujincho | 2017-12-22 23:31 | Comments(0)
2017年 12月 05日

『或る日の朝な夕な』

12月5日。
朝6時半、外は霧、霧、霧。
2時間ばかり過ぎ、外を見ると<雲海>。
a0289546_15531593.jpg
西方、霧の向こうの遥か彼方にはうっすらと富士の山。
a0289546_15543126.jpg
朝霧の彼方にうっすらと見えていた富士も、夕暮れときにはくっきりと。
a0289546_15561154.jpg
富士から目を転じて、夕暮れときの東京スカイツリー。
a0289546_15593773.jpg


フォト:2017年12月5日
[PR]

by ryujincho | 2017-12-05 23:31 | Comments(0)