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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 27日

『秋の早慶戦同窓会 2018』

10月27日(土曜)、晴れ。

恒例の、早慶戦同窓会。
神宮球場に向かう。

球場に入る前に、国立競技場の建設状況を<取材>するのも恒例となった。
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木造部分。
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アップで。
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早慶戦。
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初めて早慶戦を観戦したのは1968年の春季早慶戦。
次に、同年秋季早慶戦。
今年は2018年。
あれから50年...。

いつの頃からか、早慶戦同窓会が始まった。
幹事役のK君に感謝!

フォト:2018年10月27日



by ryujincho | 2018-10-27 23:51 | Comments(0)
2018年 10月 26日

『エドヴァルド・ムンク/叫び』

今年6月、オスロ国立美術館でムンクの『叫び』を鑑賞した。
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初めてムンクの『叫び』を鑑賞したのは、1988年7月、オスロ市立ムンク美術館であった。
それから30年を経て、今年6月、オスロ国立美術館で『叫び』を鑑賞したのであった。
『叫び』と題する作品が複数あることを、今年6月にオスロ国立美術館で『叫び』を鑑賞したときに初めて知った。

話は変わって、今朝のこと。
テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』を見ていたところ、明日、27日から東京都美術館で『ムンク展―共鳴する魂の叫びー』が開催されると報じると共に、「『叫び』4作品 名画に隠された作者の思い」と題し、ムンクの『叫び』4作品が紹介された。
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四つの作品について、野上慎平アナウンサーからいくつかの解説があった。
その内容はオン・エアーで消え去ってしまっているので、Goo のテレビ番組紹介記事をここに引用させて貰う。

-----テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」2018年10月26日放送回-----
「叫び」は4種類ある。
最初に描いたときは29歳のときで最後は46歳くらいの時に描いた。
1~3番目までは眼球があるのに最後に描いたのは眼球がない。
奥の方に描かれている人は1番は前を向いていて、2番、4番は背を向けて遠ざかっていく感じ。
3番だけ考えている様子で、それぞれ船の位置も違う。
1番と4番がムンク美術館にあり、3番だけ個人所有だという。
「叫び」に描かれている人は叫んでおらず、自然が発する“叫び”が聞こえて耳を塞いでいる様子だという。
東京都美術館では4番を見ることができる。
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この解説について、疑問等も含め、何点かハイライトしておきたい。

1)「1~3番目までは眼球があるのに最後に描いたのは眼球がない」:

この言葉と共にアップされた4番目の作品。
確かに、眼球がない。
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2)「東京都美術館では4番を見ることができる。」:

東京都美術館のHP『ムンク展―共鳴する魂の叫びー』で、「世界中の誰もが知るムンクの代表作『叫び』。現存するいくつかのバージョンのうち、今回はオスロ市立ムンク美術館が所蔵するテンペラ・油彩画の《叫び》(1910年?)が初来日します」とあり、合致している。

3)「1番と4番がムンク美術館にあり、3番だけ個人所有だという。」:

小生が最も気になるのがこの点である。
先ず、指摘しておきたいことは、『叫び』は4作品ではなく、少なくとも5作品あることだ。

5作品のうち、どの作品が欠けているのかを知るために、番組に映し出された4作品をチェックしてみた(→以下が筆者のチェック結果)。
「①1893年(クレヨン版)」→パステル、オスロ市立ムンク美術館所蔵
「②1893年(テンペラ・クレヨン版)」→テンペラ・油彩、オスロ国立美術館所蔵
「③1895年(パルテル版)」→個人所蔵
「④1910年?(テンペラ・油彩版)」→オスロ市立ムンク美術館所蔵

番組で紹介されていない作品は、1895年制作のリトグラフ(オスロ市立ムンク美術館所蔵)である。

次に、「1番と4番がムンク美術館にあり、3番だけ個人所有だという。」というのは正しい。
ムンク美術館の所蔵作品を中心に開かれるムンク展であるから「1番と4番がムンク美術館にあり」はよいのだが、「3番だけ個人所有だという」というのであれば、「2番はオスロ国立美術館にある」ということも付け加えるべきであろう。

個人所有のムンクの作品(1895年 パステル画)の所有者を調べていたところ、「嘗て所持していた人物は、ペッター・・オルセン。ノルウェーの実業家。フレッド・オルセン・グループ社長であるフレドリック・オルセンの弟にあたる 」(ウィキぺディア)とあった。

フレッド・オルセン社は、ノルウェーの海運会社で、現役時代、仕事柄、同社と付き合いがあり、よく知っている会社である。
社長のオルセン氏と親しく話をしたこともあった(残念ながら、絵画の話題はなく、ビジネス・トーク)。
30年近く前のことになるが...。

このムンクの作品は、兄弟の父親、トーマス・フレドリック・オルセンによって収集されたもので、母、アンリエットは遺書に作品は弟ペッター・オルセンへ相続すると書き残していた。
そのため、兄のフレドリック・オルセンはペッター・オルセンと相続について、2001年、オスロ地方裁判所で争ったが敗訴した。ペッター・オルセンが所持していた叫びは、2012年、競売にかけられ、1億1990万ドル、史上最高額で落札された。
その収益はノルウェー・ヴィドステンでの博物館建設にあてられた。
(出典/ウィキぺディア)
因みに、落札者は誰かと思い、ネット検索したところ、「アメリカの実業家でコレクターとして有名なレオン・ブラック氏である、とウォールストリートジャーナルが報道したが、本人からの正式発表はない」とあった。

絵画の本筋から離れた話になってしまった。
こうして、ムンクの作品『叫び』のことについて綴りながら、30年前にオスロ市立ムンク美術館で鑑賞した『叫び』(1910年?(テンペラ・油彩版)の画調を思い起そうとするのであったが、生の画調が如何なるものであったかは、30年も前のことなので、記憶から消え失せてしまっている。
しかし、ムンク美術館のHPなどに掲載されており、そうしたことで生の画風を感じることが出来る。

ムンクは幼き頃に母親と姉を結核で亡くし、以来、死への恐怖を持ち続けていたという。
『叫び』は精神的不安とアルコール依存症の中でムンクの内面が描かれたものともいう。
背景の赤い空はそうした精神状態を表しているのかと思いきや、さにあらず、北欧の空にでしばしば現れる<真珠母雲(しんじゅぼぐも)>ともいわれている。

真珠母雲。
高度20~30km付近の成層圏にできる特殊な雲。
極や高緯度地方で冬によく見られる雲である。
非常に高高度にある雲のため、日没後も太陽の光を受けて輝く姿を見ることがある。
真珠母雲の名は、その色彩が真珠母貝であるアコヤガイの内側に似た虹色をしていることより付けられた。

ムンクは精神異常を来したこともあるが、ゴッホのように破滅することなく、晩年も絵を描き続け、80歳の天寿を全う。
晩年の作品は、あの陰陰滅滅とした画風は消え失せ、『太陽』(1911~1916年)に代表される、生命力のあふれた明るい画風となり、何やら、ほっとするのであった。

朝のテレビ番組をヒントに、30年前のオスロ市立ムンク美術館の『叫び』と今年6月のオスロ国立美術館の『叫び』を対比して鑑賞することが出来たことは有難いことであった。

フォト#1~3:2018年6月26日
フォト#4、5:2018年10月26日



by ryujincho | 2018-10-26 23:51 | Comments(0)
2018年 10月 01日

『イグ・ノーベル賞の世界展』

10月1日(月曜)、晴れ。
3ヶ月に一度の「大放談会」は、文化的活動とセットでの飲み会。
今回は、東京ドーム・ギャラリーで開催中の『イグ・ノーベル賞の世界展』へ。
今年6月、ストックホルムを訪ね、ノーベル賞の記念晩餐会が行われる市庁舎やノーベル博物館を見学した。
ノーベル賞だけでは片落ちじゃないかと思い(そんなことはないか!?)、イグ・ノーベル賞展も見学することにしたのであった。
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イグ・ノーベル賞とは?
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1991年 Marc Abrahams(マーク・エイブラハムズ)により創設
イグ・ノーベル賞は、1991年にアメリカの科学雑誌"Improbable Reserch(風変りな科学雑誌)"の編集長マーク・エイブラハムズ氏によって創設された。

賞の対象は「まず笑わせ、そして考えさせる」
この賞は「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる。
それは様々な研究には柔軟な思考が必要で、そのためには心の余裕(笑い)が不可欠という考えからきている。
世界中から脚光を浴びるノーベル賞は、苦労話が多く語られるが、そうしたことに対して、若干の皮肉を込めて創設され、あえて、イグ・ノーベル賞と名付けられた。
元々、イグ・ノーベル賞の語源は"Ignoble(不名誉な)")からきており、「誰もがマネできない、そして、マネすべきでない」研究がその対象となる。

ハーバード大学での授賞式
授賞式は毎年秋にハーバード大学のサンダースシアター(大講堂)で行われ、ノーベル賞の式典にも負けないくらい世界的な話題となっている。
壇上にはノーベル賞の授賞者やハーバード大学の高名な教授が並んでいる。
ただ堅苦しい雰囲気は全くなく、むしろユニークを超越した笑いに包まれた内容である。
奇抜な格好の人たちが幼稚園式に入場し、途中で紙飛行機を飛ばしたたり、高名な教授が壇上に飛んできた紙飛行機を掃除したりと、普段の悩みが飛んでいくような内容である。
そのためか、毎年授賞式のチケットはあっという間に売り切れてしまう。

授賞式の顔ぶれ
多い日本人、そして、ノーベル賞の授賞者も
2018年までに24組の日本人授賞者を生み出し、現在まで12年連続で受賞している。
マーク・エイブラハムズ氏によれば、「日本人に根付いている自然豊かな感性が、イグ・ノーベル賞の波長と合っている」という。
また、イグ・ノーベル賞を受賞後数年して、ノーベル賞を受賞した人もいて、この賞の持つユニークさと感性の豊かさを示している。
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年表。
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入場者の中には子供さんの姿も。
この子供さんは、将来のイグ・ノーベル賞候補、いや、ノーベル賞候補、いや、両省受賞候補であろう。
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授賞式の様子。
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授賞式の様子は、パネル写真のほかに、映像もある。
まあ、兎にも角にも、賑やか、賑やか。

イグ・ノーベル賞に輝いた研究の数々がパネルや模型で紹介されている。
すべてをここで紹介する訳にもいかないので、小生の最も好きな研究をここに掲載しておこう。

物理学賞(2014年)/「バナナの皮は滑るという通説は本当か?」。
授賞者は北里大学 馬淵清資博士。
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受賞理由
床に置かれたバナナを人間が踏んだときの摩擦の大きさを計測した研究について
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バナナの皮は滑るという通説は本当か?
バナナの皮はそのままだと別に滑りやすくない。では、とうして?
馬淵先生を中心とするチームは、バナナの皮を踏み続けた。
バナナの皮を測定器の上に置いて踏む。
踏んで踏んで、踏み続ける。
バナナの皮を裏返してみたり、乾燥させたり、夏みかんやきゅうりの皮など、比較するために様々なものを踏み続けた。
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皮の内側がつぶれて出る粘液が犯人だ!
このヌルヌル粘液の滑りやすさは、雪のゲレンデを滑るスキーの板と同じ。
踏み続けた結果:上から踏んで皮の内側がつぶれると、ヌルヌルとした粘液が染み出す。
これにより、摩擦係数が激減する。
つまり、滑りやすくなるのだ。
バナナを踏んだ時、染み出す粘液でバナナの皮の摩擦係数は0.066となる。
これはゲレンデでスキー板が滑るときの数値に近い。
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研究のポイントは「人工関節の研究」
バナナの皮と間接の共通点は、粘液が存在することなのである。
この続きはここで学べる!
https://www.kitasato-u.ac.jp/ahs/ce/seitai/mabuchiJP.htm
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ゴジラ大好き人間は、こういうイラストに惹かれる。
近い将来、「ゴジラ vs バナナ」なんていうゴジラ映画が作られるかも。
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手書きのコメントが笑わせる。
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賞状(所蔵 馬淵清資)。
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「バナナの皮で船の進水式が出来ちゃった!?」。
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港湾労働者は、3.4tのバナナを進水式において船を滑らせる作業に用いた。
その結果、海事委員会はそれがグリースより効率がよいことを確認した。(1941年 米国)
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造船関係に勤めていた者として誠に興味深い記事である。


上述のイグ・ノーベル賞とは?の中に「2018年までに24組の日本人授賞者を生み出し、現在まで12年連続で受賞している」とあった。
ということで、今年のイグ・ノーベル賞をここに掲載しておこう。
授賞者は堀内朗医師(伊南行政組合昭和伊南総合病院 内科診療部長・消化器病センター長)。
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受賞理由
座った姿勢で大腸の内視鏡検査を行うと苦痛が少ないことを自ら実証したことに対して
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昭和伊南総合病院は長野県駒ケ根市にある病院である。

授賞者の堀内朗氏は、長野県上伊那郡飯島町出身。
長野県伊那北高等学校、信州大学医学部卒。同大助手、アメリカ合衆国への留学などを経て、1999年(平成11年)に昭和伊南総合病院に着任。
当時は胃がんが多かったが、苦しさを理由に検査を嫌う患者を目の当たりにし、「医療側の配慮が足りなかった」と患者の負担軽減策を模索。
細径スコープでの検査などを経て全身、麻酔薬の使用や、検査時に発見したポリープを同時に除去する方法を導入し、「駒ケ根方式」として知られ、全国から患者や視察が集まるようになった。
2018年(平成30年)、同研究でイグノーベル賞・医学教育賞を受賞した。
(ウィキペディアより)

堀内医師が座った姿勢で大腸の内視鏡検査を行うと苦痛が少ないことを自ら実証している姿をテレビで見たことがある。
こうした医師もいるのだと知り、頭の下がる思いであった。


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「イグ・ノーベル賞の世界展」の会場内で、映像で表彰式の様子を楽しむ人々。
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「柔軟な思考が必要、そのためには心の余裕(笑い)が不可欠」、「日本人に根付いている自然豊かな感性が、イグ・ノーベル賞の波長と合っている」。
イグ・ノーベル賞を頂戴するのは無理だが、心の余裕やイグ・ノーベル賞的感性は持っておきたいものである。
そんなことを思いながら、飲み会の会場へ、いや、大放談会の会場へ向かうのであった。

フォト:2018年10月1日


by ryujincho | 2018-10-01 23:51 | Comments(0)
2018年 08月 07日

『縄文』

8月1日(水曜)、晴れ。
シアター・イメージフォーラム(渋谷)へ出掛けた。
上映作品は『縄文にハマる人々』。
古墳時代に入れ込んでいる最中なので、弥生時代、更に遡っての縄文時代までは手が回らないが、この映画の前評判を耳にし、映画館に足を運んだのであった。
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縄文にハマったのは、この人たち。
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映画の中で、縄文にハマった人たちの印象深い言葉が数々あった。
中でも、縄文造形家、猪風来さんの「ガラスケースの中に納められた出土品を眺めていても仕方がない」、「出土品を手に取って、その重さや感触を直に感じると、縄文土器を拵えたくなる」という言葉が琴線に触れた。
実は、4月、遠賀川流域古墳をめぐった際、こんなことがあった。
直方市の水町遺跡群を見学した際、出土品の須恵器をこの手で持つことが出来た。
思いのほか、軽かった。
古代人の技量を知る思いであった。
博物館や資料館でて展示された出土品を眺めていても味わえないひとときであった。
よって、猪風来さんの「ガラスケースの中に納められた出土品を眺めていても仕方がない」は琴線に触れる言葉であったのだ。

そして、映画の中で、何よりも印象部深かったのは、岡本太郎が縄文土器に造形美を見出したことに幾度も触れていることであった。
岡本太郎は、1970年の日本万国博覧会(大阪)でテーマ館展示プロデューサーを務め、あの『太陽の塔』を制作した。
『太陽の塔』を制作するする傍ら、メキシコで『明日の神話』も制作した。
『明日の神話』は、紆余曲折を経て、メキシコから日本へ戻り、2008年、京王井の頭線渋谷駅とJR渋谷駅を結ぶ連絡通路の壁画として復活した。

映画からの帰り、渋谷駅井の頭線コンコースに立ち寄り、久しぶりに『明日への神話』を鑑賞した。
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渋谷駅井の頭線コンコースから渋谷駅前交差点を眺める。
火焔土器ならぬ、炎暑の中を歩く人々をカメラに収めた。
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8月7日(火曜)、雨一時曇り。
上野の東京国立博物館で開催中の特別展『縄文 1万年の美の鼓動』へ。
1週間前、渋谷へ映画『縄文にハマる人々』を観に行った際は、気温35度超の炎暑。
その後もずっと暑さは続いたが、この日は20度台、やれやれである。
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特別展は;
第1章 暮らしの美
第2章 美のうねり
第3章 美の競演
第4章 縄文美の最たるもの
第5章 祈りの美、祈りの形
第6章 新たにつむがれる美
で構成されている。

縄文時代中期の火焔型土器・王冠型土器。
圧巻!
ガラス・ケースなし。
触ったり、持ち上げたりすることは厳禁なれど、あの複雑な造形美を間近に見られ、大満足。

ハイライトは、真っ赤な床、壁、天井の展示室に置かれた国宝6点。
国宝に指定された順に6点を列挙する。
・国宝「土偶 縄文のヴィーナス」 長野県茅野市/棚畑遺跡 縄文時代中期 1995年国宝指定
・国宝「火焔型土器」 新潟県十日町市/笹山遺跡 縄文時代中期 1999年国宝指定
・国宝「土偶 中空土偶」 北海道函館市/著保内遺跡 縄文時代後期 2004年国宝指定
・国宝「土偶 合掌土偶」 岩手県八戸市/風張1遺跡 縄文時代後期 2009年国宝指定
・国宝「土偶 縄文の女神」 山形県舟形町/西ノ前遺跡 縄文時代中期 2014年国宝指定
・国宝「土偶 仮面の女神」 長野県茅野市/中ッ原遺跡 縄文時代後期 2014年国宝指定

「土偶 縄文のヴィーナス」が縄文時代出土品の国宝第1号として指定されたのは1995年で、然程、昔のことではない。
これは縄文時代の出土品が如何に長らく評価されなかったことを示しているが、時代は変わり、その後、指定が続き、現在、6点が国宝となっている。

国宝のほかにも素晴らしい土偶は幾つもあるが、お気に入りを3点、挙げておきたい。
・国の重要文化財「ハート形土偶」 群馬県東吾妻町/郷原遺跡 縄文時代後期
 昨年4月、群馬県埋蔵文化財センター情報館を見学。
 そのとき、「ハート形土偶」の眺め、この土偶についてベンキョーした。
 今回、実物を間近に見学する機会を得、嬉しく思った。
 因みに、ハート型土偶は岡本太郎作の『太陽の塔』のルーツになったとされている。
・国の重要文化財「遮光器土偶」 青森県つがる市/木造亀ヶ岡遺跡 縄文時代晩期
 或る時、東北を旅した。
 遠目に、大きな遮光器土偶を模した建物が目に入った。
 五能線木造駅舎であった。
 そのときから、木造亀ヶ岡遺跡を訪ねたいと思い続けているが、実現していない。
 同遺跡出土の遮光器土器は現地の博物館所蔵かと思いきや、東京国立博物館の所蔵であることを今回知った。
 因みに、遮光器土器は木造亀ヶ岡遺跡のほかからも何点か出土していることを今回知った。
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・重要文化財「猪形土製品」 青森県弘前市/十腰内2遺跡 縄文時代後期
 猪形のみならず、亀形や水鳥、海獣など、動物型土製品も縄文時代を語る上で大事な要素である。

展覧会の最終章「新たにつむがれる美」で、岡本太郎が登場。
このコーナーは写真撮影、OK!
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岡本太郎(1911~96)
岡本太郎は、日本を代表する芸術家であり、思想家です。
パリ大学で哲学・社会学・民族学と幅広く学び、帰国後に前衛芸術運動を押し進めました。
それまで等閑視されていた縄文土器の造形美に注目し、高く評価したことでも著名です。
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岡本太郎と東博
「芸術は爆発だ」の名言で知られる芸術家です。
岡本は昭和26年(1951年)に東京国立博物館で開催された特別展「日本古代文化展」で「縄文」と出会いました。
そのときに受けた衝撃から、美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話ー縄文土器論」を発表しました。
美術品としては評価されることのなかった縄文土器の美を認めたのです。
それによって日本美術史の始まりは、飛鳥時代から縄文時代に引き上げられました。
後に岡本は、自らカメラを手に取り、自分の目に映る縄文土器や土偶を写真に収めて『日本の伝統』を出版しました。
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岡本太郎が東京国立博物館で出会った縄文土器。
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映画は一人で行ったが、特別展は、史跡めぐりの相棒、武衛さんと共に。
特別展の帰り、上野の居酒屋で一献傾けながら、歴史談義。

フォト:2018年8月1日、8月7日


by ryujincho | 2018-08-07 23:51 | Comments(0)
2018年 07月 31日

『火星最接近!』

7月31日(火曜)、晴れ。

国立天文台ホームページでの案内。
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火星観望の好機到来!
7月31日に火星が地球に最接近します。
最接近時の火星と地球の間の距離は5,759万キロメートルです。
今回の接近は、「大接近」とも呼ばれる近い距離での最接近となります。
6000万キロメートルよりも近い距離まで近づくのは2003年の最接近以来15年ぶりです。
火星は地球のひとつ外側にある惑星で、約780日(約2年2カ月)の周期で地球への接近(会合)を繰り返しています。
地球の軌道はかなり円に近い形をしていますが、火星の軌道は少しつぶれた楕円形をしています。
また、会合周期がちょうど2年ではなく2年2カ月であるため、火星と地球が接近する位置は毎回ずれ、距離も大きく変わります(最も近い位置での接近と最も遠い位置での接近では、距離が2倍ほど違います)。
火星の直径は地球の半分程度と小さく、遠い時は表面のようすがよく観察できませんが、地球との最接近を迎えるころは火星が大きく見えるため、観察の好機となります。
火星の接近というと最接近の日ばかりが話題になりますが、最接近前後の数週間は、地球と火星の距離はそれほど変わりません。
この機会に、ぜひ火星を望遠鏡で観察してみてください。
望遠鏡をお持ちでない方は、天文施設にお出かけになって、大きな望遠鏡で火星をご覧になってみてはいかがでしょう。

(図)「2018年7月31日 21時頃 東京の星空」
「7月31日の夜9時頃には赤くとても明るい星が南東の低い空に見えます」のキャプションと共に火星の位置を図示。
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夜9時。
南東の空を眺める。
火星を視認!
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火星を眺め、部屋に戻ると、ちょうど、夜のニュースで火星最接近が報じられていた。
NHK "NEWS WATCH 9"/21時18分(時刻は写真データによる)。
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ズーム・アップ!で、再度、眺めてみる。
円の中の文様はカメラ・レンズの悪戯(と思われる)。
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超ズームアップで眺めてみる。
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ズームアップで映し出された火星は、古代の銅鏡の如し。
カメラ・レンズの悪戯はなかなかのものである。

火星最接近のこの日は火曜日。
火曜日に火星を眺める。
奇遇である。

折角なので、ホルストの組曲「惑星」の第1曲「火星」を聴く。
数ある同曲異演の中で、高校生の頃から愛聴しているカラヤン/ウィーン・フィルの演奏で。

フォト:2018年7月31日


(追記)
8月19日(日曜)、晴れ。
関西の盟友、六々守さんの案内で、兵庫県立考古博物館加西分館「古代鏡展示館」を訪ねた。
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数々の銅鏡を見学しながら、7月31日、カメラ・レンズを通して眺めた火星を思い起す。
そして、古代の人々は、火星になぞらえて銅鏡を作ったのではないかと勝手な想像をするのであった。

フォト:2018年8月19日


by ryujincho | 2018-07-31 23:51 | Comments(0)
2018年 06月 02日

『早慶戦同窓会 2018.6.2』

6月2日(土曜)、晴れ。
早慶戦同窓会。
神宮球場へ出掛ける。

ここ数年、信濃町駅から神宮球場まで歩く途中、新国立競技場の建設現場を<取材>することが恒例となっている。
因みに、昨秋は早慶戦同窓会が開かれなかったので、10月末に東京体育館裏の高台から林立するクレーンを取材した。
今回はそれ以来のことである。

絵画館前広場からの眺め。
新国立競技場建設現場のクレーン、その向こうにドコモタワー。
昨年秋、東京体育館裏の高台から見た林立するクレーンがここからも見えるかと期待したが、奥床しく(???)1本だけ。
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”青山門”。
林立するクレーンが見えて来た。
旧国立競技場ではこの角に”青山門”があった。
新国立競技場でもに”青山門”となるのであろうか?
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神宮球場。
チケットをゲット。
毎度、思うことだが、シニア割引はない。
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ライト側外野席。
集合場所は、例年、ヤクルトタフマンの広告前であった。
集合場所に変わりはないが、看板は変わり、MITSUI E&S となった。
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旧三井造船は、この4月、持ち株会社制に移行し、株式会社三井E&Sホールディングスとなった。
船舶・艦艇事業は三井E&S造船株式会社、機械・システム事業は株式会社三井E&Sマシナリー、エンジニアリング事業は株式会社三井E&Sエンジニアリングとなった。
三井造船は旧仕官先の同業他社。
持ち株会社への移行は、時代の流れを感じさせる。

ところで、ヤクルト社は、何故、長年、定位置で頑張っていたヤクルトタフマンの看板を手放したのだろうか?
三井E&Sホールディングスは、何故、神宮球場に新社名の看板を掲げることにしたのだろうか?
野球好きの若者をリクルートしようという算段なのかな?
それとも...。

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この日の早慶戦は1対3でW大の負け。
優勝はかかっていないし...。

試合後の応援席への敬礼は、応援への感謝か、それとも、優勝できなかったお詫びか?
まあ、OBにとっては50年前を思い出させてくれるだけでよく、勝ち負けには拘らないのだが、優勝するに越したことはない。
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去年であったか、一昨年であったか、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催期間とその前後、数ヶ月間、オリンピック開催のための資材や放送機材の置き場所、観客の待機場所として球場を貸せという話が浮上し、そうなれば、プロ野球は開催できないし、東京六大学野球も出来ないと反対の声があがった。
あれはどうなったんだろう?と思いながら、神宮球場から一献傾ける席へ向かった。

フォト:2018年6月2日








by ryujincho | 2018-06-02 23:31 | Comments(0)
2018年 05月 17日

『生誕150年 横山大観展』

5月15日(火曜)、晴れ。
ここしばらく、東京都美術館「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」、国立新美術館「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」と西洋画が続いたことでもあり、東京国立近代美術館で開催中の「生誕150年 横山大観展」へ。

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朦朧体、極彩色、数々の作品に圧倒される。
ここで、作品紹介をするつもりはない。
ただ、『生々流転』についてだけ、少し触れておきたい。
深山に降った雨の水滴が大河をつくり、海に注ぎ、大海で水蒸気となり、雲となり...、そして、再び、深山に雨を降らせ...と水の一生に例え、全長40.7mの巻紙に描く大作。
大海で水蒸気になり、雲になるとき、龍の姿となる。
龍コレクションをやっている小生にとって、誠に嬉しい《龍》であった。

メモ。
生誕150年 横山大観展
横山大観(1868-1958)の生誕150年、没後60年を記念しての回顧展。
東京美術学校に学んだ大観は、師の岡倉天心とともに同校を去り、日本美術院を設立。
新たな時代における新たな絵画の創出を目指た。
西洋からさまざまなものや情報が押し寄せる時代の中、日本の絵画の伝統的な技法を継承しつつ、時に改変を試み、また主題についても従来の定型をかるがると脱してみせた。
やがてこうした手法はさらに広がりを見せ、自在な画風と深い精神性をそなえた数々の大作を生み出した。
本展では、40メートル超で日本一長い画巻《生々流転》(重要文化財)や《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作に、数々の新出作品や習作などの資料をあわせて展示し、制作の過程から彼の芸術の本質を改めて探る。
出品点数90点。本画82点、習作ほか資料8点を展観する大回顧展。
(東京国立近代美術館ホームページより抜粋)

この紹介記事に書き加えておきたいことは、100年ぶりに発見された《白衣観音》。
アンバランスの美、西洋画を圧倒する観音の力強い目、お気に入りとなった。

フォト:2018年5月16日




by ryujincho | 2018-05-17 23:31 | Comments(0)
2018年 03月 03日

『貝化石灯篭』

3月3日、晴れ。
手賀沼の新田開発に尽力した旧井上家住宅を見学。

庭でこんな灯篭が目に入った。
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この灯篭、貝の化石で作られている。
この貝の化石で作られた灯篭を見て、ここ、井上家住宅から数キロ離れたところにある「木下貝層(きおろしかいそう)」が頭に浮かんだ。
木下貝層は一昨年の秋に訪ねたことがあるが、せっかく、貝化石灯篭なるものを見たことでもあり、木下貝層へと足を運んだ。

『国指定天然記念物 木下貝層』(印西市木下字平台)
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詳しくは、2016年の秋に綴ったこちらのブログで。
(貼り付け画面をクリックすると全文が現れます)



フォト#1、#2:2018年3月3日
フォト#3~#10:2016年11月6日(兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」より)




by ryujincho | 2018-03-03 23:35 | Comments(0)
2018年 03月 03日

『影盛(かげもり)』

3月3日、晴れ。
手賀沼の新田開発に尽力した旧井上家住宅を見学。

表門。
形式は医薬門。
屋根は切妻造桟瓦葺。
棟の両端には鬼瓦と漆喰を盛り上げた「影盛(かげもり)」。
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フォト:2018年3月3日


by ryujincho | 2018-03-03 23:33 | Comments(0)
2018年 02月 22日

『差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり』

2月22日(木曜)。
今朝の朝刊に、2月20日に亡くなった金子兜太さんに関する投稿記事が幾つか掲載されていた。
金子兜太さんの句に身近に触れたのは、2010年の秋、渥美半島をポタリングした際、伊良湖岬で彼の作が刻まれた句碑に出遭ったときのことであった。

「差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり」
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サシバは「鷹の渡り」をみせる代表的な鳥である。
4月頃、夏鳥として東南アジアやニューギニアから日本に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
秋の渡りは9月初めに始まり、沖縄・南西諸島を経由して東南アジアやニューギニアで冬を越す。
一部は沖縄・南西諸島で冬を越すものもある。
日本では4月ごろ夏鳥として本州、四国、九州に渡来し、標高1000m以下の山地の林で繁殖する。
秋の渡りの時には非常に大きな群れを作り、渥美半島の伊良湖岬や鹿児島県の佐多岬ではサシバの大規模な渡りを見ることができる。
一方、春の渡りは秋ほど大規模な群れは作らない。

「伊良湖岬」と「サシバ」、これらふたつの言葉から連想されるのはサシバの秋の渡りであるが、句碑に刻まれた「差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり」は春から夏にかけての伊良湖岬の風景である。

伊良湖岬の高台に建てられた伊勢湾海上交通安全センターの外壁に数羽のサシバが刻まれている。
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このレリーフのサシバは、句碑とは異なり、春の渡りではなく、秋の渡りが刻まれたものであろう。

金子兜太さんは、戦中、トラック諸島に海軍主計中尉として赴任していたという。
1月4日に亡くなった、小生の極々近しい人も、戦中、トラック諸島に。

2009年3月、三浦半島をポタリングした際、「浦賀港引揚げ記念の碑」に目を惹かれた。
そのときのことをマイ・ブログに通り綴った。
その抜粋は次の通りである。
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東浦賀から浦賀の中心地を経て、浦賀港沿いに、西浦賀へ。
海側の歩道を走っていたところ、「浦賀港引揚げ記念の碑」と記された碑が目に入りました。
碑文を読みながら、小生に最も近しい人の話を思い出し、この碑をカメラに収めました。
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碑文は次の通り記されています。

昭和20年(1945年)8月15日、太平洋戦争は終結。ポツダム宣言により海外の軍人、軍属及び一般邦人は日本に送還された。ここ浦賀港も引揚指定港として、中部太平洋や南方諸地域、中国大陸などから56万余人を受け入れた。
引揚者は敗戦の失意のもと疲労困憊の極限にあり、栄養失調や疫病で倒れる者が続出した。ことに翌21年、華南方面からの引揚船内でコレラが発生。以後、続々と感染者を乗せた船が入港。このため、旧海軍対潜学校(久里浜長瀬)に設けられた浦賀検疫所に直接上陸、有史以来かつてない大防疫が実施された。この間、祖国を目前にして多くの人々が船内や病院で亡くなる悲劇があった。昭和22年5月浦賀引揚援護局の閉鎖で、この地の引揚業務も幕を閉じる。
私たちは再び繰り返してはならない戦争による悲惨な引揚の体験を後世に伝え、犠牲となられた方々の鎮魂と恒久の平和を祈念し、市制百周年にあたりここに記念碑を建立する。                 
横須賀市 

小生の最も近しい人は、終戦後、引揚げ船で南方の戦地、トラック諸島から、無事、帰還。
その人が傘寿を迎えるにあたって綴った「生い立ちの記 風雪80年」の中で、次のように記されています。

「(略) 小笠原諸島を過ぎた頃、前方の雲間に白い三角形のものが見えた。船が内地に近づく程、三角形は大きくなり、富士山の頂上だとはっきり認識出来るようになり、白扇逆さまに掛かるの表現がよく理解出来た。直ぐに、船室の同僚に知らせたら、船酔いも忘れて、皆、甲板に出て、3年振りに見る霊峰富士の神々しい姿に、万感胸に迫り、ただただ、涙を流すばかりだった。
 昭和20年10月29日、「巨斉」は浦賀港に入港した。やっと生きて故国の土を踏むことが出来た。入国検査では、現在、有毒と言うことで使用が禁止されているDDTを頭から身体中が真っ白になる程、米兵に掛けられ、近くの横須賀銃砲隊の兵舎に入った。(略)」

この章では、この後、東京から復員専用列車で故郷に帰還するときの様子や故郷に無事、到着したときの様子も綴られています。

本ブログでは、紙面の都合上、上述の抜粋に留めますが、戦時の章では、召集令状から入隊、訓練、南方諸島への出陣、南方諸島での戦いや生活、無事の帰還、復員の様子が31ページに亘り、綴られています。

今回、ブログを掲載するに際して、この章を読み返してみましたが、やはり、胸の詰まる思いです。

碑の写真一枚で、苦労なさった皆さんのことを済ますつもりはありませんが、それはお許し戴いた上での掲載です。
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金子兜太さんは享年98歳、極々近しい人は享年96歳。
ひょっとしたら、二人はトラック諸島で出会っていたかもしれない。

このようにこのブログを綴っていると、トラック諸島からの無事の帰還と南方から日本に渡って来るサシバとが重なり合う思いに至るのであった。

合掌

フォト#1~#3:2010年11月7日(当時、綴ったブログより転載)
フォト#4:2009年3月21日(同上)



by ryujincho | 2018-02-22 23:31 | Comments(0)