龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 04月 05日 ( 6 )


2018年 04月 05日

『明日香めぐり/キトラ古墳』 ask-8

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

高松塚古墳から、この日、最後の訪問地、キトラ古墳へと向かう。
キトラ古墳を訪ねるのは、今回が初めて。

県道209号線を下り、南に向かう県道210号線に入る。
途中から、ゆるやかな上り坂となる。
電動アシスト付が威力を発揮!

キトラ古墳に到着。
さて、どこに自転車を止めようかと思ったとき、道端に立っていたガードマンのおっちゃんが声を掛けてくれた。
「自転車はこちらに止めてくださ~い」。
更に続けて、「先ず、地下におりて、『四神の館』を見学し、地下からそのまま向かい側のキトラ古墳に行くことをおすすめしま~す」と親切な案内。

ガードマンのおっちゃん、そして、後方の木立の陰にちらっとキトラ古墳が。

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駐輪場に自転車を置き、石段を下りる。
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先ほど、電動アシスト付で上って来た道路が見える。
道路の下が地階となっており、キトラ古墳壁画体験館『四神の館』が設けられているのである。
1階に、壁画保存管理施設が見える。
(写真、右下/『四神の館』地階入口、右上/保存管理施設、正面の丘はキトラ古墳と勘違いしてのもの、キトラ古墳は右手、画角の外)

レンタル自転車は夕方5時までに返却せねばならない。
時間は、押せ、押せ。
『四神の館』で、15分ほどで簡単に説明をとお願いした。

ボランタリーの案内役の婦人から説明を受ける。

先ず、キトラ古墳の概要について。
築造時期、規模、構造など。
高松塚古墳との比較も含め。
(詳細は別の項にて)
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石室(原寸レプリカ)について。
四神の壁画、天井の天文図、天井の形状(台形)など。
高松塚古墳との比較も含め。
(詳細は別の項にて)
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四神像。
東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武の解説、そして、天井に投影された天文図。
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玄武、青龍、白虎、朱雀の拡大版。
本ブログでは、発見順で掲載。
(詳細は別の項にて)

玄武(北壁)。
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青龍(東壁)。
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白虎(西壁)。
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朱雀(南壁)。
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十二支像のうち、発見されているのは、子、丑、寅、午、戌、亥の像。
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これらの像を代表して、寅の拡大版を。
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四神像が高精細映像で実物の最大100倍まで拡大して鑑賞できる設備も設けられている。
スマホの画面を操作するが如くに、指を画面に当てて動かすと、画像が拡大されたり、見る角度を変えられたりするのである。
本物あるいはレプリカの壁画を見学したあとに、こうした装置で鑑賞すると面白さは倍増するであろう。

天文図の解説。
(詳しくは別の項で)
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キトラ古墳の規模。
(詳しくは別の項で)
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キトラ古墳と高松塚古墳の比較。
(詳しくは別の項で)
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前掲の展示物について、詳細は別の項で述べることとしたいとしているが、キトラ古墳の名称の由来についてだけ、ここで触れておきたい。

キトラ古墳は盗掘されている。
盗掘の際、石室入口の石材の左上が四角く切り掻かれている。
その跡は原寸大レプリカで再現されている。
石室の入口は南側。
ということは、入口の石材の内側に朱雀が描かれていることとなる。
石材の一部は切り掻かれていたが、その内側に描かれた朱雀は幸運にも残っていた。
盗掘で入口の石材の一部が切り掻かれ、開いたまま時が過ぎ、そうした中で、地元民は内部を覗いたのであろう。
その際、正面(北側)に「亀」、左側(西側)に「虎」の壁画がよく見えたのであろう。
で、いつの頃からか、「亀虎(きとら)」と呼ばれるようになったとのことである。
正面奥に描かれた壁画は、「亀」ではなく、「亀」のようなものに「蛇」のようなものが巻きついた「玄武」であるが、昔の人は玄武など知らず、実際にこの世に存在する「亀」と思い、「亀虎(きとら)」となったのであろうとのこと。

親しみが感じられる、なかなかよい言い伝えである。
地元民と共存して来た古墳といえるだろう。

「そろそろ時間です。古墳の方に行ってみます。案内、有難うございました」。
「駅までは下り坂ですので、10分もあれば着きます。気をつけてお帰りください」。

ボランタリーの案内役の婦人とこうした会話を交わしたのち、地階から上階に上がり、キトラ古墳へと向かった。

緩やかな坂を上る。

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古墳が見えて来る。

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「特別史跡 キトラ古墳」。
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キトラ古墳はこういう形をしていたんだ、と感慨深げに、古墳を見上げる。
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キトラ古墳地形復元模型と共に古墳を眺める。
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復元模型は、二段築成がしっかりと分かる作りとなっている。
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説明板と共に古墳を眺める。

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説明板に目を通す。

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キトラ古墳は初めて訪れたことでもあり、説明板の読み下しをここに記しておこう。
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特別史跡 キトラ古墳
キトラ古墳は7世紀末から8世紀初め頃に造られた古墳で、丘陵の南側斜面に位置します。
墳丘は二段築成の円墳で、発掘調査の成果などから、下段の直径が13.8m、上段の直径が9.4mに復元できます。
現在の墳丘は下段部分を築造当時の大きさに復元しています。
内部には二上山産凝灰岩の切石を18枚組み合わせて作られた石室があります。
石室内部は奥行2.40m、幅1.04m、高さ1.24mの大きさで、鎌倉時代に盗掘を受けていましたが、刀装具片、琥珀玉などの副葬品の一部と、木棺片や棺の飾金具、人骨などが出土しています。
昭和58年に行ったファイバースコープによる石室内部の探査で、北壁に玄武が描かれていることが分かり、高松塚古墳に次ぐ我が国で二例目の大陸的な壁画古墳であることが明らかとなりました。
その後の小型カメラによる探査では、青龍、白虎、朱雀、十二支像、天文図がみつかりました。
石室内部の少型カメラによる探査では、壁画が危険な状態にあることも明確となりました。
そのため、早急な対応が必要とされ、平成15年に仮設保護覆屋を設置し、平成16年に石室内の調査を行いました。
その結果、すべての壁画を取り外して保存処理を行う方針が決定しました。
この方針を受けて、平成22年までにすべての壁画が取り外され、修理が進められました。
現在は壁画の保存・公開が行われています。
平成28年 文化庁
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石室は二上山産凝灰岩の切石が使われているとある。
数年前、「日本最古の官道 竹内街道(たけのうちかいどう)を走る」と銘打ち、大阪府堺市から、二上山を眺めながら、その南麓の竹内峠を越え、奈良県葛城市までポタリングしたことがある。
そんなこともあって、あの二上山から石材を切り出し、遠くこの地に石を運んだのかと感慨深さを覚えるのであった。

鎌倉時代に盗掘を受け、とある。
先ほど、『四神の館』でも同様の話を聞いた。
何故、鎌倉時代と分かるのか?と尋ねた。
「盗掘のときに点した灯明の皿が石室内に残されており、その皿が鎌倉時代のものであった」とのことであった。
調査の成果として、いろんなことが分かるものなのである。

説明板の文章から、カビが生えてしまった高松塚古墳と同じ轍は踏まないぞ!との決意が読み取れる。

発掘調査時の石室内部(南より)(平成16年撮影)。
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発掘位置と墳丘復元平面図。
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こんな設えも。
「乾拓板」。
いわゆる、拓本、ラビング(rubbing)である。
子供さんはこうしたものでキトラ古墳に興味を持つであろう。
子供じゃなくっても、大人でも興味を持つ。
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四神を代表して、玄武の乾拓板を。
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十二支像を代表して、寅の乾拓板を。
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龍コレクションのひとつとして、青龍の乾拓板も。
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キトラ古墳をあとにして、飛鳥駅前の明日香レンタサイクルに向け、坂道を下る。
午後5時前、約束通り、自転車を返却。

飛鳥駅で電車に乗ったところ、先ほど、『四神の館』での案内の婦人に出会った。
改めて御礼を伝え、橿原駅まで短い時間ながら、あれこれと会話。
その中で、関西らしい、面白い話があった。

「石舞台古墳は訪ねたことが数度ありますが、桜の時期は今回が初めてでした。素晴らしい風景でした」。
「近くに石舞台を見下ろす丘があります」。
「その丘の上で、昼餉の柿の葉寿司を食べました」。
「そうですか。それはよかったです。あの丘の名前は『タダミの丘』といいます。
「なるほど!『タダミ』ですね」。
「その通り!です」。
「明日香の最後に、面白い話を聞きました。サンキューです」。

丘の上からなら、拝観料250円也を支払わなくでもしっかりと石舞台古墳が眺められ、無料、すなわち、只で見られる、只見の丘、なのである。

最後は押せ、押せとなってしまったが、当初から連れ合いを案内しようと思っていた史跡の殆どをめぐることが出来た。
桜満開、春爛漫の明日香を満喫した。

フォト:2018年3月31日

(完)

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by ryujincho | 2018-04-05 23:38 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!高松塚古墳』 ask-7

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の高松塚古墳。
高松塚古墳の向かいの高台に上り、先ず、桜花を愛でる。

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向かいの高台から高松塚古墳を望む。
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高台から下る。
今度は少し下から眺めとなる。
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古墳の間近に立ち、眺める。
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古墳をぐるっとめぐる。
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左手に、さきほどの高台が桜と共に見える。
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右手に、さきほどの高台が桜と共に見える。
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同じような写真ばかりだが、古墳好きには幾枚撮っても楽しいのである。

この日の午前、東京からの新幹線車内で、高松塚古墳の保存の失敗とその原因について縷々綴った書物を読んだ。
古墳の脇に設けられた説明板にも「...壁画の発見後、石室南側に保存修理のための施設を建設し、保存対策を行いましたが、壁画の劣化が止められず、平成17年に、石室ごと取り出して修復することを決定しました...」との記述がある。
小生の読んだ書物によれば、保存修理のための施設、即ち、ハード面よりも、人が入り過ぎたことや人体や衣服に付着した雑菌をばら撒かないようにするための防護服を着用していなかったこと、即ち、ソフト面での管理が足らなかったことが指摘されていた。
2年前、国立科学博物館で開催された「ラスコー壁画展」において、ラスコーの洞窟でも同様のことが起こったとの説明があった。
そうしたことを教訓にしておれば、高松塚古墳の壁画は上手く保存出来たのではないかと思うのであった。

国宝 高松塚古墳壁画(西壁女子群像)/説明板掲載写真より。
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古墳好きの小生としては、高松塚古墳についてあれこれ触れておきたいところだが、それは別の項で綴ってみたい。

時間は押せ、押せ。
高松塚壁画館は次回の楽しみとし、キトラ古墳へと向かう。

フォト:2018年3月31日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-05 23:37 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!一路、高松塚古墳へ』 ask-6

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の、聖徳太子生誕の地、橘寺から、次は、亀石、猿石、鬼の俎、鬼の雪隠などの不思議な石造物、そして、高松塚古墳とキトラ古墳とまだまだ立ち寄りたいところは数多あり。
時間が、段々、押せ、押せになって来た。
橘寺をあとにして、走れ、走れ!

押せ、押せだが、道沿いでもあるので、川原寺跡へ立ち寄る。

川原寺跡。
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古代寺院好きの小生、川原寺跡について少々触れておきたいところだが、ぐっと我慢して、別の項で触れることとしたい。
川原寺跡のほか、山田寺跡や紀寺跡も立ち寄ってみたかったが、これらは次回の楽しみとしたい。

亀石。
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省エネの時代である。
今回はあれこれ綴らず、5年前に亀石を訪れたときのことを綴ったマイ・ブログをここに転載しておくこととしたい。

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亀石。
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亀石も、いつ、誰が、何のために造ったかは不明の、「謎の石造物」である。
亀石と呼ばれているが、亀、蛙など諸説あるとの由。
ユーモラスさでは、群を抜いている。

更にアップで。
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こうやって、ゆるりと亀石を眺めていると、おっとりと瞼を閉じたような目、そして、その上を貫く波のようにも見える彫りの絶妙さに見入ってしまう。

フォト:2013年2月23日
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「押せ、押せなので、猿石、鬼の俎、鬼の雪隠はカットしよう!次は高松塚古墳!」。

坂道を下る。
坂道の途中から左へ入る。

左折するとすぐに「中尾山古墳」の標識が目に入る。
立ち寄ってみたいが、次回の楽しみとする。
上り口と中尾山古墳が位置する尾根をカメラに収め、先に進む。
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飛鳥公園内を走る。
上り坂となる。
5年前の記憶が蘇る。
坂道の途中から中尾山古墳が位置する尾根を眺める。

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尾根そのものが古墳のように見えるが、中尾山古墳はこの尾根の最高所に位置している。
因みに、中尾山古墳は古墳時代終末期の八角墳とのことである。
次回、訪ねるのが楽しみである。

上り坂。
電動アシスト付きは威力を発揮!
もう直ぐ、高松塚古墳だ。

フォト:2018年3月31日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-04-05 23:36 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!橘寺』 ask-5

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の飛鳥寺から、その直ぐ北に位置する飛鳥水落遺跡を見学。
春爛漫!の飛鳥川沿いを、飛鳥大仏さまがそちらの方角を向いておられるという、聖徳太子生誕の地、橘寺へと走る。

春爛漫!橘寺。
5年ぶりの狛犬、桜花と共に。
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太子殿と黒駒が日輪に映えて(単なる逆光なんだけどね)。
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黒駒と桜花、これは順光で。
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黒駒、観音堂、護摩道、そして、桜花を太子殿から望む。
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5年前、ハリポタの面々と橘寺を訪れた際、競馬好きの播磨守さんは本尊の聖徳太子さんよりも愛馬の黒駒に手を合わせていたことを思い出す。

太子殿(本堂)で木造聖徳太子像を拝見する。
いつも凛々しいお姿である。
(撮影禁止にて写真はなし)

二面石。
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桜花。
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紅色も文字通り花を添えて。
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三光石。
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阿字池。
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桜花。
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鐘楼と桜花。
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撞木を握り、鐘を撞いた。
明日香の里に鐘の音が響いた。

そのあと、父娘さんが現れ、幼い娘さんが鐘を撞いた。
幼いながら、見事に鐘の音が響いた。

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五重の塔跡。
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塔の跡を見ると、古代寺院好きの血が騒ぐ。
「春爛漫!橘寺」がテーマなので、往時の橘寺については別の項で触れることとしたい。

さて、段々、時間が押せ、押せになって来た。
次は亀石、猿石、鬼の俎、鬼の雪隠などの不思議な石造物を連れ合いに案内せねばならない。
更に、高松塚古墳とキトラ古墳は、連れ合いにも、そして、古墳好きの小生にとっても必須である。
橘寺をあとにして、走れ、走れ!

フォト:2018年3月31日

(つづく)






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by ryujincho | 2018-04-05 23:35 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!飛鳥川』 ask-4

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の飛鳥寺から、その直ぐ北に位置する飛鳥水落遺跡を見学。
春爛漫!の飛鳥川沿いを、飛鳥大仏さまがそちらの方角を向いておられるという、聖徳太子生誕の地、橘寺へと走る。

飛鳥水落遺跡。
この遺跡を訪ねたのは初めて。
遺跡は一部、復元されている(写真はなし)。
説明板に目を通す。

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史跡 飛鳥水落遺跡
史跡指定 昭和51年2月20日
斉明天皇6年(660年)5月、皇太子中大兄皇子(のちの天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせた、と「日本書紀」に書かれています。
「日本書紀」はその場所について何も語っていません。
1981年、その水時計の遺跡が、ここ飛鳥水落遺跡で掘り出されたのです。
ここでは、精密に、堅固に築いた水時計建物と、建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置とが見つかりました。
水時計建物を中心にして、水を利用したさまざまな施設があることもわかりました。
当時の日本は、中国の先進文明を積極的に取り入れて、律令制に基づく中央集権的な国家体制を急速に整えつつありました。
中大兄皇子は、中国にならい、政治や人々の生活を明確な時刻制によって秩序づけようとしたのです。
時計装置の製作と運用は、当時の、最新かつ最高の科学技術を結集した国家的な大事業であったことでしょう。
その意味において、飛鳥水落遺跡は律令国家確立への記念碑といえるでしょう。
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イラストは、右上/水時計建物と地下水路網、左下/礎石と地中梁、央/建物内部の様子(1階:時計装置、2回:都に時刻を知らせる鐘と太鼓)、右下/水時計建物の外観と後方に飛鳥寺)。

これらのイラストのうち、右下の「水時計建物の外観と後方に飛鳥寺」の図がこれ。
飛鳥寺周辺の様子がよく再現されている。
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日本標準時・子午線の町、明石で育った小生としては、もう少し本件に触れておきたい。

前述の説明板に「斉明天皇6年(660年)5月、皇太子中大兄皇子(のちの天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせたと『日本書紀』に書かれています」とある。
これは、『日本書紀』斉明天皇六年五月是月條(斉明天皇6年5月、グレゴリオ暦660年6月)の記述、「又皇太子初造漏尅。使民知時。(「皇太子、初はじめて漏剋を造り、民をして時を知しらしむ」)」を指す。

更に、『日本書紀』 天智天皇十年四月辛卯條(天智天皇10年4月25日、グレゴリオ暦671年6月10日)に「置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。云々。(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なり。云々)」との記述がある。
これらにおける皇太子は中大兄皇子のこと、漏尅(ろうこく)は水時計のことである。
1920年(大正9年)、時の記念日が6月10日と定められた。
これは、『日本書紀』斉明天皇六年五月是月條では年月のみの記載に対し、『日本書紀』 天智天皇十年四月辛卯條では年月日が記載されていることから、後者の6月10日を時の記念日としたのである。
因みに、天智天皇は、皇子時代の飛鳥のみならず、大津京においても水時計を設置している。

明石育ちの小生は、時間は守りたがる性格である。

今日の jitensha/飛鳥川沿いにて、箒桜と共に。
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今日の jitensha/飛鳥川沿いにて、染井吉野と共に。
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橘寺へと向かう。

フォト:2018年3月31日

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by ryujincho | 2018-04-05 23:34 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)
2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!飛鳥寺』 ask-3

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の石舞台古墳から飛鳥寺へ。

飛鳥寺。
春爛漫!
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神々しく輝く桜花。
桜花に、そして、飛鳥寺に、神々しいという言葉が適切か否かとの思いはあるも、小生の目にはそのように映った。

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「山門の鬼瓦は笑っているように見えます」と連れ合いの声。
瓦好きの小生に気遣っての言葉かと、「どれどれ」と山門の鬼瓦を眺める。

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「ほんまやなあ。笑ってるなあ。アップで撮っておこう」と小生。

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さあ、いよいよ、日本最古の大仏さまを拝顔となる。
小生は今回で三度目。
連れ合いは今回が初めて(ということもあって飛鳥寺へ案内と相成ったのである)。

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飛鳥大仏。

大仏さまの前で説明を聞く。
大仏さまは、聖徳太子生誕の地、橘寺の方角を向いておられる、と。
大仏さまのお顔は、向って右側はちょっと厳しい表情、そして、向って左側はやさしい慈悲の表情をされている、と。

向かって右側の表情(撮影禁止なので、看板に掲載されていた写真で)。

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向かって左側の表情(撮影禁止なので、奥の展示室で見た「西陣美術織 飛鳥寺 釈迦如来坐像」の写真で)。

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境内を眺める。
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飛鳥寺(法興寺)は、蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院。
古代寺院好きの小生としては、ここで、飛鳥寺についてあれこれ綴りたいところであるが、今回は「春爛漫!飛鳥寺」に徹し、別の項で綴ってみたい。

連れ合いを寺の西側へ案内する。

蘇我入鹿首塚。

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首塚には真新しい花が飾られている。
背後の飛鳥川沿いの箒桜が彩りを添えている。

「蘇我氏は悪者のように言われているけど、あれは後年、藤原氏がそのようにしたもの。関東地方の遺跡めぐりをしていると、地方豪族は蘇我氏と繋がりを持ち、中央と遜色のない文化を興し、氏寺を建立し、仏教を広げた。蘇我氏あっての仏教文化である。蘇我氏は、ワルモンではなく、ええモンである。ただ、奢れるものは久しからずの面はあったかも」と講釈を垂れる。

首塚と飛鳥寺、そして、小さく”今日の jitensha”。

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南側を眺める。
桜花を遠望。

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BS朝日で再放送されていた「五木寛之の百寺巡礼」が、先日、最終回を迎えた。
飛鳥寺は第二回で登場した。
五木寛之さんが、田畑の中の細道を歩み、途中、道端に腰掛け、握り飯を頬張るシーンがあった。
そんなことを思いながら、この風景を眺めた。

「五木寛之の百寺巡礼」の飛鳥寺での冒頭、槙大輔のナレーションはこうであった。
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飛鳥寺(奈良県)は、日本最古の本格的仏教寺院。
日本の原風景とも言うべき棚田が広がる明日香の里にひっそりと佇みます。
千五百年ほど昔、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏の対立を経て、崇仏派の勝利の証として建立されました。
塔を中心とした壮大な伽藍となりながら、後に落雷でほとんどを焼失します。
「飛鳥大仏」として親しまれる釈迦如来坐像は日本最古の大仏です。
小さな堂宇に祀られた傷だらけの大仏の美しさに、五木さんは息を呑みました。
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余談が過ぎたかもしれないが、簡潔にして名調子である。

飛鳥寺の北に位置する飛鳥水落遺跡を見学し、飛鳥川沿いを走り、飛鳥大仏さまがそちらの方角を向いておられるという、聖徳太子生誕の地、橘寺へと向かう。

フォト:2018年3月31日

(つづく)



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by ryujincho | 2018-04-05 22:33 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)