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龍人鳥の徒然フォト日記

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2019年 01月 30日

『墨東散策/三囲神社』

1月30日(水曜)、晴れ。
墨東散策。
牛嶋神社と三囲神社を参拝。

牛嶋神社から三囲神社へ。
「三囲」の読みは「みめぐり」。

牛嶋神社は三輪鳥居、三囲神社は三柱鳥居。
牛嶋神社は<狛牛>、三囲神社は<狛ライオン>。
これらを愉しみに、三囲神社へ歩を進める。

三囲神社。
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「鬼平情景」。
本所界隈でしばしば目にする鬼平犯科帳ゆかりの高札である。
神社参拝の折には、先ず、社号標、鳥居、扁額コレクションなどから撮り始めるのが常だが、この高札は三囲神社について簡潔明瞭に書かれており、先ず、これを。
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鬼平情景
三囲神社(三囲稲荷社)
三井家(越後屋)が江戸進出時に三囲の名にあやかって守護神としました。
港区にあった三井八郎右衛門邸が小金井市の江戸東京たてもの園 に移築される際には、屋敷神であった顕名霊社、三角鳥居、家紋の入った水鉢などが寄贈されました。  
鬼平犯科帳 にも数回、登場しますが、特別長編「迷路」の「妙法寺の九十郎」には、
三囲稲荷社は、大川の堤の道を一段下った鳥居から田圃の中を松並木の参道が東に伸びた先にあり、境内は広くはないが、美しい木立と竹林に囲まれ、本社は立派なものであると、当時のたたずまいが描かれています。
(図)
『江戸名所図会』より
墨田区
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一の鳥居。
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扁額コレクション。
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二の鳥居。
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扁額コレクション。
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歌碑。
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日比翁助 石垣の歌碑

いしがきの 小石大石持合いて 御代はゆるがぬ 松ヶ枝の色 日比美勲

日比翁助は号を美勲と称し 三越呉服店の会長 わが国 近代百貨店の創始者であった
茲来百年 松を新たに植え 旧観を復した
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最古の紀年銘。
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最古の紀年銘
藤堂高睦(伊賀上野城主)が宝永3年(1707)に奉納した当神社で最も古い年代を示す石造物
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由緒。
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由緒
一 東京市本所區向島二丁目七番地
鎮座
一 村社
一 御祭神 宇迦能魂命
一 御祭日 例祭 四月九日
三井總元方 三井銀行 三井物産株式會社 三井鑛山株式會社 株式會社三越
右總元方始め各株式會社交代に正五九の小祭を受け持ち昔の礼の儘に祭祀を執り行ふ

當社の草創は、實に壹千餘年前の事にして其間屢々の變遷あり
元亀年間火災に罹り社殿を再建し、慶長年間には隅田川築堤に際し
旧社地より約南二丁の現地に移さる
靈験妙なるが 中にも元禄六年六月の大旱魃の時俳聖晋其角献句雨乞によりて 
靈験立ちどころに顕れ 翌日大雨あり之より御神德天下に普く
特に京都の巨商三井家江戸に進出するや 三圍大神の信仰厚く當家の守護神と仰ぎ
享保元年三井髙治三井高久三井高房相議りて 神祇の司職吉田家に神位を乞請け捧け奉り
又 享保十二年五月には 從二位卜部朝臣兼敬に請ひて更に靈璽を當社に遷し鎭め奉り 
田地を捧け 社地を擴張し 神殿瑞垣を改築せり
爾來二百餘年子孫代々祖先の志を継ぎ、敬神以て今日に至る
迠昔の隨々に當社の維持經營に努め又三圍講を創設して祭祀に力を致す
境内末社多く中にも大國神惠比壽神は隅田川七福神の一として其名髙く
額殿に奉揭せる額は三井家に関係のもの大部を占め又樹間に點綴せる諸名家の碑石は
其の數多く興趣掬すべし 
昭和十七年一月二十五日
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祭神 宇迦能魂命とは。
『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。
名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる。
記紀ともに性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた。
伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。
ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。
伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

狛犬コレクション。
奥にライオン像が一体、見えるが、これは後段で綴るとして、先ずは狛犬から。
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阿形狛犬をアップで。
狛犬にも幾つか種類があるが、これは獅子舞の獅子の面立ち。
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吽形狛犬。
うん、やっぱり、獅子舞。
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「三囲のコンコンさん」。

『墨東散策/三囲神社』_a0289546_16012679.jpg

「三囲のコンコンさん」は、先ほど、訪ねた牛嶋神社の撫で牛と同様に、不思議な面立ち。
その面立ちをアップで。


阿形のコンコンさん。
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吽形のコンコンさん。
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「三囲のコンコンさん」の説明書きに目を通す。
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三囲のコンコンさん
目尻のさがった温和な表情をここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうである
向店は越後屋本店(ほんだな)の道をへだてた向かいにあって木綿を主に扱っていた
享和2年(1802)の奉納
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狛犬、コンコンさんのあれこれに続いて、ライオン像について。
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説明書きに目を通す。
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三囲のライオン像
三越の旧池袋店から移した 三越のシンボルであるライオン像は
大正3年 当時の三越呉服店を率いた日比翁助がライオンを大いに好み
三越本店に 一対のライオン像を据えたのにはじまる
戦後 本店の像をもとに各支店に設置されている ライオン像の原形はロンドン・トラファルガー広場の有名なネルソン像をかこむライオンである。
なお、「現金安売り掛け値なし」という三井の越後屋の画期的な商売の仕方は 大いに発展し 明治29年三越呉服店につながる
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日比翁助は、欧米を視察し、デパートメントストアという概念を日本に持ち込んだ人物である。
1914年(大正3年)に本店玄関に設置されたライオン像は、英国人彫刻家、メリフィールドがトラファルガー広場のライオン像から型取りし、バルトンが鋳造したものである。
因みに、トラファルガー広場のライオン像は、英国人動物彫刻家 ランドシィーア(1802-1873)の作である。
本店のライオン像は太平洋戦争中に金属回収されたが、溶解を免れて、東郷神社に奉納されているのを社員が発見し、1946年(昭和21年)に本店に戻ったという。
これは、東郷神社が海軍の担当者からの依頼で神社の敷地内にあった防空壕の中に隠して置かれたとのことで、海軍担当者は、戦局の悪化を見通し、溶かして武器にする無意味さを悟っていたためという。
2009年に閉店した池袋三越の像は三囲神社に奉納されたほか、2015年、日本体育大学世田谷キャンパスに寄贈されている(ライオンは日体大のシンボルマスコット)。

今一度、ライオン像を眺める。
『墨東散策/三囲神社』_a0289546_01310359.jpg

上掲の狛犬阿吽形の面構えに比べるとこちらは面白さに欠ける。
トラファルガー広場のライオン像はもっと精悍な面立ちである。
百貨店だから、優し気に作ったのかもしれない。


ライオン像の隣の、三越の商標。

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(右)
「越」は三越の商標。
客に出す茶の湯を沸かす銅壺の台石に彫られ、「腰」の範形といわれる。
明治29年から昭和の初期まで実際につかわれていた。
(左)
ライオンは東洋的意匠の狛犬に変化したのだが、三越のライオン像も狛犬のように神前を守っている。
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社殿+ライオン像+三越の商標+吽形の狛犬+コンコンさん。
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扁額コレクション。
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これにて墨東散策を終えた。
終えたあと、狛犬、コンコンさん、ライオン像などに集中し過ぎて、三囲神社の必見である未柱鳥居を見忘れていたことに気付いた。
牛嶋神社の三輪鳥居は台風で倒壊し、見ることが叶わなかったことでもあり、三囲神社の三柱を見忘れたことと、ちょうど、上手くバランスしたと思うことにし、次回の愉しみとした。

フォト:2019年1月30日

(完)




by ryujincho | 2019-01-30 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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