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龍人鳥の徒然フォト日記

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2019年 01月 26日

『武蔵国古墳探訪/赤羽台第3号古墳石室』 kk-2

1月25日(金曜)、晴れ。
都内の古墳探訪に出掛ける。
古墳探訪の相棒、武衛さんと共に。

先ず、飛鳥山1号古墳を探訪。
続いて、赤羽台第3号古墳石室へ。

飛鳥山から旧岩槻街道を北へ、音無橋を渡り、王子神社の前を通り過ぎ、王子新道を西へ。
王子神社の前を通り過ぎながら、王子に来るのは東京十社めぐり以来、東京十社めぐりはいつのことであったろうかなど、思いを巡らす。
2012年3月3日、jitensha club ドラポタの面々と「東京十社めぐり、川向うの二社以外の八社めぐり」と銘打ち、南の品川神社から北の王子神社まで八社をめぐったのであった。

赤羽台第3号古墳石室の目印は、北区中央公園内の文化センター。

北区中央公園の入り口に到着。

前方に想像外の姿をした白い建物が!
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白い建物は中央公園文化センター。
戦前の東京第一陸軍造兵廠(兵器工場)の本部として昭和5年に建てられたもの。
北区の赤羽から王子に至る間には旧日本陸軍の施設が数多くあったということは承知していたが、実際に目にしたのはこれが初めて。
数年前、極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷となった大講堂などを移設・復元した市ヶ谷記念館を見学したことがある。
バルコニーや車寄せが設けられた玄関など、建物正面はそれとよく似た姿である。

赤羽台第3号古墳石室は文化センターの右手(東側)にあった。
石室は覆屋で覆われている。
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覆屋の中を覗く。
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少し、角度を変えて。
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説明板に目を通す。
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赤羽台第3号古墳石室
この古墳の石室は、昭和57年7月、東北新幹線工事にともなう発掘調査により発見されたものです。
ほかに十数基の古墳、横穴墓群、多数の竪穴住居跡が見つかっています。
北区の歴史を知る上で貴重な資料であるため、石室をそのまま切り取って移設し、展示しているものです。
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発見場所と移設場所を示した図。
発見場所:北区赤羽台4-2 星美学園内
現在地:北区十条台1-2-1 中央公園内
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この図には石室の発見場所と移設場所のほかに幾つかの情報が織り込まれている。
・南東(右下)から北東(左上)に京浜東北線が走っている。
・京浜東北線は台地の裾(崖下)を通っている。
・現在地の東(右)の王子駅の南(下)に、先ほど、探訪した飛鳥古墳1号墳がある。
・飛鳥古墳1号墳の巻で綴った通り、台地から北東に隅田川、荒川を望む。
・赤羽台第3号古墳石室の発見場所は、赤羽駅の北。
・石室の移設場所の南に、西から東へ石神井川(荒川水系の支流)が流れている。
・石室の発見場所の北に、西から東へ新河岸川(荒川水系隅田川の支流)が流れている。
 明治の遺物/几号水準点探訪で赤羽北の諏訪神社を訪ねた際、新河岸川から南へ台地を上ったことを思い出す。

石室の概要。
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石室の概要
石室の概要この石室は今から約1400年前の古墳時代に作られた横穴式石室です。
現在は石積みが二段しか残っていませんが、当時は数段積まれ、その上に天井石をのせたものと推定されています。
石材は凝灰質砂岩で海浜の自然石を用いたものです。
また、床面には、全面に小石が、一部にカキ殻も敷かれていました。
石室の中には人骨とともにガラス玉・碧玉製の管玉・耳飾りなどの装身具と直刀・矢の先に付けられる鉄鏃などの武器類が副葬品として納められていました。
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石室平面図、出土品。
上段、左/副葬品出土状態
上段、右/石室平面図
下段、左/装身具類(ガラス玉、管玉、耳環)
下段、右/武器類(直刀、刀子、鉄鏃)
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石室復元図。
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明治の遺物。
石室の覆屋の奥にこんなものが展示されていた。
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説明板に目を通す。
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東京砲兵工廠銃包製造所のボイラ(部品)と鋼製耐震煙突銘板
明治38年(1905)、現在の十条台1丁目一帯に「東京砲兵工廠銃包製造所」が開設されました。
日露戦争を機に弾薬(銃包)の増産が必要となったことから、小石川地区(現後楽園周辺)より当地に移転・拡張されたものです。
敷地内には銃包を製造するための煉瓦造の工場棟が多数建設されました。
銃包製造所では、製造に必要な工作機械の動力として、英国バブコック&ウイルコックス社製のWIF型蒸気ボイラーが導入され、ボイラーの煙突には、東京芝浦製作所製の鋼製耐震煙突が使われました。
この煙突は、煉瓦造の煙突の周りに鉄板を巻き、耐震性を高めたものです。
ここに展示されている部品は、ボイラーのドラム・水管の一部・鉄製の扉、および鋼製耐震煙突の銘板で、十条自衛隊の施設建替の際に解体・保存したものです。
銘板には銃包製造所開設年にあたる「明治三十八年九月竣工」の年代が入っており、これらは銃包製造所の歴史を伝えるとともに、日本の近代産業遺産としても貴重な資料です。

(写真)
左/ボイラー外観
ボイラーは正面に4枚の鉄製扉が付き、内部には水管が収められている。
扉には「BABCOCK&WILCOX LTD.」「LONDON&GLASGOW」と記された銘板が取り付けられている。
扉の上にはドラムの端部が見える。

央/ボイラー内部
ドラムの下部に水管群が斜めに配置されている。
水管を熱し、蒸気を発生させ、ドラムから蒸気を取り出す構造。

右/鋼製耐震煙突
高さ約30mの煉瓦造煙突は、地上から約3mより上部をすべて鉄板で覆っている。

平成27年3月 東京都北区教育委員会
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扉に貼られた「BABCOCK&WILCOX LTD.」「LONDON&GLASGOW」の銘板。
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アップで。
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東京砲兵工廠は、旧幕府の関口大砲製作所を受け継いだ、旧日本陸軍の兵器工廠。
小石川の旧水戸藩邸跡に建設され、小銃を主体とする兵器の製造を行った。
1871年(明治4年)から、1923年(大正12年)の関東大震災により甚大な被害を受け、1935年(昭和10年)その機能を小倉工廠に移転するまで小石川にて操業した。
跡地の小石川後楽園で弾丸製造機械など砲兵工廠の遺構や、記念碑を目にしたことがある。また、東京ドームの近くで、煉瓦造りの遺構を目にしたこともある。
なお、東京砲兵工廠は、板橋火薬製造所、岩鼻火薬製造所、十条兵器製造所など関東の陸軍兵器工場を管下においたことがあり、今般、目にした東京第一陸軍造兵廠(兵器工場)の本部建物やボイラー、煙突などはこの十条兵器製造所を指しているのだと思う。

次の探訪地、十条富士塚古墳へと向かう。

フォト:2019年1月25日

(つづく)





by ryujincho | 2019-01-26 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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