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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/五日日、八女古墳群/広川町古墳公園資料館』 kk-33

10月20日(土)、晴れ。

この日のプランは、八女古墳群探訪+アルファ。

九大本線筑紫吉井駅発、久留米経由、鹿児島本線西牟田駅で下車。
先ず、八女古墳群のうち、西側に位置する「石人山古墳(せきじんやまこふん)」、「弘化谷古墳(こうかだにこふん)」と、隣接の「広川町古墳公園資料館」から。

石人山古墳、弘化谷古墳を探訪。
続いて、隣接の「広川町古墳公園資料館」へ。

広川町古墳公園資料館。
いつも迷ううこと、それは先に資料館を見学し、次に古墳を見分するのがよいのか、或いは、その逆がよいのか。
今回は先に資料館を見学するつもりでいたが、少し道に迷い、先に古墳を見分することとなった。
結果論であるが、資料館で結構、時間を費やすことが多く、先に古墳を見分しておいてよかったかもしれない。

そんなことを思いながら、資料館へのアプローチに設けられた「石人山・弘化谷古墳公園」の案内板に目を通す。

こうした案内板を先に見ておくと、実際に見分した古墳の位置関係などが頭に入り、そうしたことは資料館が先というメリットかもしれない。
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石人山・弘化谷古墳公園。
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石人山・弘化谷古墳公園
八女丘陵上には、300基近くの古墳があると考えられていますが、石人山古墳・弘化谷古墳を含む8基礎の古墳が「八女古墳群」として国の史跡に指定されています。
この古墳公園は、古代史研究や古代ロマンに想いをはせる場所として、石人山・弘化谷両古墳を見学しながら楽しんでいただく所です。

※八女古墳群(石人山古墳、弘化谷古墳、善蔵塚古墳、以上、広川町。岩戸山古墳、乗場古墳、丸山古墳、丸山塚古墳、茶臼塚古墳、以上、八女市。)
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広川町古墳公園資料館。
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広川町古墳公園資料館
広川町は八女丘陵や町の北側の丘陵など各所に多くの古墳が点在します。
また、これらの古墳の母体となった集落跡も丘陵や平野部に確認されています。
これらの古墳や集落跡の発掘調査におり、私たちの郷土の人々が古代においてどんな生活をしていたのかを知る上の、貴重な資料もたくさん出土しています。
1階はロビーに弘化谷古墳石屋形の複製を常設展示し、展示室には石人山古墳・弘化谷古墳を中心に、古墳時代をよく理解するために遺跡から出土した遺物などの展示を行っています。
2階には、研修室・資料室を設けています。
研修室からは、石人山古墳と弘化谷古墳を見渡すことができます。
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以下は、前第31話、32話で幾度も書き連ねて来たことながら、復習の意味で、そして、現場を今一度、思い起こすためにも、読み下しておきたい。

石人山古墳。
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石人山古墳(5世紀初め~中頃に築かれる)
全長107mで「造り出し」を持つ前方後円墳。
前方部2段・後円部3段に築かれています。
前方部で幅63m・高さ約11m、後円部では直径約53m・高さ約12mの規模です。
後円部の中央には、天井石が失われた横穴式石室が西に向けて開口し、石室内の空間を埋めるように凝灰岩製の横口式家形石棺が置かれています。
石棺の屋根の両側に直弧文・重圏文がそれぞれ5個ずつ立体的に浮き彫りされ、赤く塗られていた跡も残っています。
前方部と後円部のくびれの部分に、石棺を守るように凝灰岩で造られた武装した姿の石人が立っています。
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弘化谷古墳。
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弘化谷古墳(6世紀中頃に築かれる)
高さ7m、直径約39mに復元される2段に築かれた大型の円墳です。
1970年(昭和45年)に果樹園造成中に偶然発見された古墳です。
この時、石室の3分の1まで壊れましたが、その後、復元整備され、観察室を備えた保存施設が1990年(平成2年)に完成しました。
やや銅張りの横穴式石室内に石屋形奥壁に、赤色と緑色を使って靭(矢入れ)・双脚輪状文・同心円文・連続三角文が描かれ、天井と側壁の内側には赤色を使った三角文が描かれています。
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石人山古墳の俯瞰図。
案内図からの切り取り。
オリジナルの図は方位が上を南にしており、イメージし辛いため、180度回転させ、上を北にした。
そうすることによって、西に前方部、東に後円部とする前方後円墳であることが一目瞭然となる。
前第31話で、後円部の墳頂に至る間に、石段を三度上ったと記した。
一つ目の石段は丘陵上に上るため、二つ目の石段は前方部の西端、そして、三つ目は後円部の西側斜面であると思っている(のだが、少々、自信がないこともない)。
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弘化谷古墳の俯瞰図。
案内図からの切り取り。
オリジナルの図は方位が上を南にしており、イメージし辛いため、180度回転させ、上を北にした。
そうすることによって、石室の開口部が西南西であることなど、一目瞭然となる。
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広川町古墳公園資料館。
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資料館ロビー/弘化谷古墳石室石屋形および壁画(レプリカ)。
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レプリカの脇に置かれた、子供さん向けに書かれたと思しき説明書きに目を通す。

弘化谷古墳の壁画。
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弘化谷古墳の壁画
みなさんの前にあるものは、公園内にその姿を復元している「弘化谷古墳」の石室の中に造られた石屋形(いしやかた)と、その内側に描かれている装飾壁画のレプリカ(実物そっくりにつくった模型)です。
この「石の家」のような石屋形の中に、地域の有力者が死んだ後、横に寝かされ、永遠の眠りについたのです。
わたしたちは、紙によく絵を描きます。
弘化谷古墳では、亡くなった有力者の魂が安らにしずまることと、死者に悪霊などが近寄らないことを願って、古代の絵のうまい人が、平たい石に赤や緑の色を塗り、靫(ゆき、矢づつ)・同心円文・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)・三角文などの文様を描いたのです。
この壁画には、「まじない」的な意味もあったと思われます。
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双脚輪状文のはなし。
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双脚輪状文
石屋形の中を見てみましょう。
壁画の真ん中の左寄りに、円文から「たこ」の足のようなものが、2本のびている文様が2個ならんでいるのがわかると思います。
そうです!この文様が、双脚輪状文です。
この文様は、日本でも九州の福岡県と熊本県の四つの古墳で発見されているだけです。
どうですか?不思議な形ですね。
何をもとにして描かれたのでしょうか。
「翳(さしば)」と呼ばれる大きな団扇(うちわ)がもとになっているともいわれますが、まだよくわかっていません。
しかし、弘化谷古墳は永遠に眠る人の生きていたころの実力を示すと共に、魔よけの意味が込められていたことは確かです。

(図)
上段/弘化谷古墳石室石屋形の壁画
左側、上から/王塚古墳、横山古墳、釜尾古墳の双脚輪状文
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前第32話で、現場での説明板では「双脚輪状文の意味は不明」とあったので、今年4月、王塚古墳探訪時に「翳(さしば)という説もある」とベンキョーした旨綴ったが、ここ、広川町古墳公園資料館でしっかりとその旨が述べられており、ほっとした。

(メモ)双脚輪状文が描かれた古墳4例の所在地:
・弘化谷古墳(福岡県八女郡広川町)
・王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)
・横山古墳(熊本県山鹿本郡植木町→山鹿市鹿央町/肥後古代の森、移築復元)
・釜尾古墳(熊本県熊本市北区釜尾)

これら四つの古墳の双脚輪状文はそれぞれに独特である。
弘化谷古墳の双脚輪状文は横山古墳のものとよく似ている。
横山古墳と釜尾古墳の双脚輪状文の実物も是非見てみたいものである。

ロビーから展示室へ。
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石人山古墳の直弧文。
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石人山古墳の「直弧文」
古墳時代に彫られた魅力的な文様
美しく残った日本で唯一のもの
ひろかわの宝であり
守り続けていく文化財です。
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直弧文とは。
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直弧文とは
一定の幅をもった帯の組み合わせを表出した文様を「直弧文」と定義したのは小林行雄です。
この文様にはその原型となった一定の構図が明確ではありません。
浮彫や線刻された文様を読み解いていく必要があります。
この直弧文で飾られた遺物から、この文様の持つ意味は何かを厳重に封じ込めようとする文様であり、邪悪なるものを封じ、その災いを避ける(僻邪 へきじゃ)の意味を持つことが考えられます。
神霊を結び鎮める呪力がこの文様に込められていたのです。
石人山古墳の家形石棺の棺蓋表面には、5個の連接する直弧文が半浮彫風に見られます。
装飾古墳に見られる直弧文としては全国的にみても重要なものです。
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(メモ)
「僻邪(へきじゃ)」、この言葉を覚えておこう。
と思うも、「邪悪なるものを封じ、その災いを避ける(僻邪 へきじゃ)の意味を持つ」という記述に違和感を覚えたので、広辞苑を紐解いてみた。
「【僻邪 へきじゃ】心がねじけて、よこしまなこと」とある。
となれば、「邪悪なるもの」の後に(僻邪 へきじゃ)と書くべきで、「邪悪なるもの(僻邪 へきじゃ)を封じ、その災いを避けるの意味を持つ」が正しい記述であろう。細かいことが、ついつい、気になってしまうのである。

直弧文をアップで。
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今一度、5個の重圏文(円文、上段)と5個の直弧文(下段)が施された棺蓋をアップで。
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こんな展示コーナーもあった!
「直弧文彫刻体験ワークショップ」。
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道具一式。
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完成!
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2017年『直弧文の世界展』 展示資料 Nо. 1
石山古墳 直弧文(西平孝史氏作成)
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石棺と同じ阿蘇溶結凝灰岩(天草産)に彫刻された直弧文。
西平氏独自の三次元計測により直弧文の浮き彫りをみごとに再現されています。
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石人山古墳の武装石人(パネル写真)と埴輪の破片。
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石人山古墳の家形石棺(パネル写真)と須恵器。
本ブログにアップロードする際、「個人からの借用品のため、撮影をご遠慮ください」と朱書きされた札が置かれていることに気付いたので、展示品はモザイク掛けとしている。
家形石棺の棺蓋に刻まれた文様がよく写っており、それを見分するためにアップロードする次第である。
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数々のパネル資料に目を通す。
パネル資料の中で、1件だけここに掲載しておこう。

「石人山古墳の世界(4)『石人さん』のひとりごと」。
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石人山古墳の世界(4)「石人さん」のひとりごと
みんな知ってる?
ぼくがつくられたのが、今から1500年以上も前だってこと...。
最初はたくさん仲間がいて、にぎやかだったのに、お城の工事でほとんど運び出されたてしまい、残ったのはぼくだけ。
とてもさびしかったけれど、病気がなおる神様として、村の人達にとても愛されてきたのは、うれしかったなあ。
昔の人が描いた石人の図を見ると、模様がだんだん消えていくのがよくわかるとおもうのだけど、これもみんなに親しまれた証拠と言えば、仕方ないかもしれないね。
現在、僕は、国の重要文化財なので、みんがにさわってもらうことはできないけれど、この古墳のシンボルとして、これからもずっとずっとながく、親しんでもらえたらいいなあと思っているんだ。

(図)左から;
・天保3年以前に描かれた図で現在のところでは最も古い図、「歴世服飾考」明治26年 田中尚房編
・「筑後国石人図考」寛延4年5月(1751年)杉山正中図
・「筑後国柳川原石人図」 安永2年(1773年)白蓮社主人 空阿図
・「福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書第十二集」天保3年(1832年)松岡辰方図
・「帰厚遺物並三丘古物抄」嘉永5年(1852年)矢野一貞図
・「筑後将士軍談」嘉永年間(1850年頃)矢野一貞図
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このパネルは子供さん向けに書かれたものである。
本件の<大人向け>は、当館で入手したリーフレット「国指定史跡 八女古墳群 石人山古墳 」(広川町教育委員会)に掲載されており、前第31話で全文、書き下した。
江戸期に描かれた石人の図は<大人向け>リーフレットでは3点であったが、<子供向け>は3点重複+2点の都合5点が掲載されており、そうしたことも含め、<子供向け>パネル資料は貴重なものと思い、掲載する次第。

<大人向け>リーフレットの解説文は既に前第31話で掲載済みであるが、今一度、ここに掲載しておこう。
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武装石人と人形原(ひとがたばる)
石人山古墳は、その名の起こりともなった武人石人が立っていることでも有名で、石人は古墳前方部と後円部の、ちょうどくびれ部分に立っており、主体部の石棺に埋葬された被葬者を守っているかのようです。
この石人は背丈が約1.8mで、よろい(短甲)を身に着けて、靭(ゆき)と呼ぶ矢入れを背負った、武装した姿に彫刻されています。
極めて貴重な考古資料であることから、昭和51年6月5日付けで、国の重要文化財の指定を受けました。
この石人は江戸時代の中頃には地面に倒れていましたが、その当時、広川谷21ヶ村の大庄屋であった、稲員(いなかず)孫右衛門安則という人が、地面を平らにならして基壇を築き、石人を起こして顕彰しました。
時に貞享元年(1684年)3月のことです。
稲員安則が書き残した『家勤記得集』という記録には、石人山古墳をはじめ岩戸山古墳(八女市)や十連寺古墳(三潴町、みづままち)にも、もともと、石人や石馬がたくさん立てられていたことから、八女丘陵の別名を人形原(ひとがたばる)と呼ぶようになった、と書かれています。
ところが、江戸時代の初めに、関ヶ原の戦いで大手柄を立てて、筑後一国の領主となった田中吉政という人が、福島城(現・八女公園一帯)の整備のため、これらの石人石馬を選び出して、石垣の下積みに利用したのです。
このことから八女丘陵の古墳から石人石馬の姿が消えてしまったのです。
(中略)
今日、私たちが目にする石人はずいぶんと痛んでいて、特に首から上の部分は彫刻の模様がほとんど分かりません。
このように痛んでしまった原因は、地元に伝わる俗信によるのです。
昔から肩や腰の痛い人は、石人の肩や腰をさすったりすると治ると、強く信じられてきたからなのです。
ずいぶんと長い歳月、たくさんの人にさすられたり、たたかれたりして、いつの間にか今のような姿になってしまったのです。
天保3年(1832年)、久留米藩の有職故実家であっる松岡辰方の描いた模写図や、大分県日田市にある石人(江戸時代の終わり頃に模造された)の模様などから、もともとは極めて繊細な模様が彫刻されていたことが分かります。
また、石人の腰の部分には、今日なお、彫刻された当時に施された丹彩(にさい)の痕跡を留めています。
(図)江戸時代に模写された石人図
・天保3年(1832年)以前に描かれた図で、現在のところでは最も古い図、「歴世服飾考」
・天保3年(1832年)久留米藩有職故実家の松岡辰方が描いた模写図、「福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告集第十二集」
・嘉永年間(1850年頃)に矢野一貞が描いた模写図、「筑後将士軍談」
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広川町古墳公園資料館で幾つかの資料を貰った。
その資料名をここに挙げておこう。
・「石人山・弘化谷古墳公園 広川町古墳公園資料館 こふんピア広川」
・「(郷土の文化財1)国指定史跡 八女古墳群 弘化谷山古墳 」(広川町教育委員会)
・「(郷土の文化財2)国指定史跡 八女古墳群 石人山古墳 」(広川町教育委員会)
※「八女丘陵古墳マップ」

これらの資料は、遺跡の写真がプリントされた、美麗なクリアファイルに入れられ、手渡された。
広川町の<おもてなし>の気持ちが込めらていると感じた。

更に、嬉しかったのは、当館のスタッフさんとの会話の中で、我らは各地の古墳探訪を趣味としており、いずれも自転車でめぐっており、今回もその一環で当地を訪ねたと話したところ、痛く喜んで貰え、「こんな地図があります」と、ガリ版刷り風(えらく古い例えながら)の『八女丘陵古墳マップ』なるものを頂戴したことであった。

「この地図ですと、八女丘陵の茶畑の中の道を行くということになり、自転車での古墳めぐりにちょうどいいと思います」との言葉もあった。
この言葉で、自分たちが茶畑の中を走っている光景が目に浮かび、楽しさが倍増するのであった。

平成30年度 広川町古墳公園資料館企画展の案内ポスター。
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弘化谷古墳石室の一般公開案内ポスター。
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催しは翌月の11月11日から。
こうした催しに合わせて予定を組むことが出来ればいいのだが、今回は筑後川流域装飾古墳一般公開の日(10月21日)に合わせて予定を組んだので、八女古墳群を探訪できるということだけで、よし、とせねばなるまい。

スタッフさんに礼を伝え、資料館を出た。

資料館脇の庭に鎮座する「石人さん」に一礼。
遠くからだけでは失礼と思い、近くへ。
小生、身体が万全ということでもないので、その部位の治癒を願い、撫でてみたいが、レプリカといえども、すり減ってはいけない。
その代わりと言っては何だが、数枚、写真を撮らせて貰った。
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次の探訪先は、岩戸山古墳。
いざ、出発!

フォト:2018年10月20日

(つづく)



by ryujincho | 2018-10-23 23:33 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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