人気ブログランキング |

龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ
2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/四日日、筑紫野市/五郎山古墳(下)』 kk-29

10月19日(金)、雨、晴れ、雨、晴れ。
朝、壱岐島を出発、九州郵船ジェットフォイルとJR鹿児島本線を利用して、博多経由、筑紫野市原田の五郎丸古墳へ。

五郎丸古墳。
先ず、古墳館で、映像や展示パネルで装飾壁画のあれこれをベンキョー、そして、館内に設けられた石室(レプリカ)に入り、石室内の様子を事前ベンキョー。
つづいて、古墳と実際の石室内見学。
再び、古墳館に戻り、まだ目を通していない展示資料を中心に館内をめぐる。

本ブログでは<資料編>的にまとめておきたい。

古墳に描かれた壁画。
a0289546_09520260.jpg
---------------------------------------------
古墳に描かれた壁画
五郎山古墳の壁画は、玄室の奥壁を中心に、側壁と玄門の袖石に描かれています。
壁画は全部で79か所あります。
赤、黒、緑の三色が使われ、描かれた当時は鮮やかな色彩を放っていたと思われます。
この壁画に古代人が何を描きたかったのか謎につつまれていますが、魂を黄泉の国へ運ぶと考えられた「船」や、魂を守護するための「靭(ゆき)」や「弓」などの武具が人物などよりも大きく描かれているいことから、これらの壁画が”死者への鎮魂”を願っていたものと思われます。
人物系や動物系などの壁画は”死者の生前の姿”を描いたのではないかとも考えられます。

人物系=騎馬人物・人物
動物系=馬、猪、犬、鳥など
器物系=靭・鞆・弓・幡・建物・船など
文様系=同心円文・円文・三日月門・珠文など
---------------------------------------------

玄室奥壁・側壁の壁画展開図。
a0289546_10132815.jpg


装飾壁画の解析。
a0289546_09211318.jpg

--------------------------------------------
装飾壁画の解析
次に掲げたパネルは、1400年の歳月を経て薄くなった壁画をコンピューターを使って再現しました。
当時の人が壁画に何を描こうとしたのか探ってみたいと思います。
ここに取り上げた絵は、奥壁と側壁に描かれたもので、ハイビジョンで撮影したものをコンピューターで補色しました。
五郎山古墳の壁画は大胆に表現されています。
でこぼこの岩肌に膠で溶いた粘り気のある顔料で描いたと思われることから、細やかな描写は難しかったのではないでしょうか。
当時の人は描こうとしたものの特徴を簡潔に表現しています。
たとえば、「船」はゴンドラのように舳先と艫を強調しています。
この描き方は、熊本県山鹿市の弁慶ヶ穴古墳や吉井町の珍敷塚古墳などにも共通しています。
--------------------------------------------

(メモ)
・熊本県山鹿市/弁慶ヶ穴古墳:いずれ探訪したい候補とする。
・吉井町/珍敷塚古墳:
 吉井町とは福岡県浮羽郡吉井町のこと。
 現在は同郡浮羽町と合併し、うきは市吉井町である。
 明後日、筑後川流域古墳探訪の一環として訪問の予定としている。

船(魂を運ぶ船)。
a0289546_09315232.jpg
----------------------------------------------
船(魂を運ぶ船)
上段/補色前
下段/補色後
玄室左の壁画に描かれた船の絵でず。
舳先と艫は2本の線で描かれ、この船が準構造船であることを示しています。
船の中央に描かれた四角い箱のようなものは、死者の魂を入れた棺とも屋形ともいわれています。
船の周りに散らばる珠文は「宿星(夜空に散らばる星)と考えられています。
このことから、死者の魂を乗せ、夜の冥界に漕ぎ出す船の図ではないかと推測されます。
----------------------------------------------

準構造船とは;
・丸木舟を船底にして、舷側板などの船材を結合した船のことである。
・丸木舟から準構造船、そして、すべて板材を結合した構造船へと船の建造技術は変遷。
これは、本ブログの第21話「原の辻遺跡ガイダンス施設」で触れた通りである。

動物(槍か矢が刺さった猪)
a0289546_09323507.jpg
----------------------------------------------
動物(槍か矢が刺さった猪)
上段/補色前
下段/補色後
左を向いた4本足の動物の絵です。
頭に鹿のような角がないことから「猪」ではないかと推測されます。
背中に赤いものが描かれていますが、おそらく槍か矢が刺さった状況を描いたのではないでしょうか。
---------------------------------------------

靭。
a0289546_09350754.jpg
----------------------------------------------
靭(ゆき)
上段/補色前
下段/補色後
赤で縁取りされた鼓のような形をしたものは「靭(ゆき)」という矢をいれる筒です。
上に見える赤い棒のゆなものは「矢」です。
人物と比較して大きく描かれているのは、靭が死者の魂を守護すると考えられていたからです。
桂川町の王塚古墳のように、壁面に多数の靭を描いた例もあります。
五郎山古墳の壁面には、3つの靭が描かれています。
----------------------------------------------

桂川町(福岡県嘉穂郡)の王塚古墳の装飾壁画は今年4月に見学。
石室内でガラス越しに装飾壁画を見学したが、保存状態はよろしくなく、よくは判別出来なかったというのが正直なところである。
一方、隣接の王塚装飾古墳館に設えられたレプリカの石室は見事なもので、その色彩に圧倒された。

盾を持つ騎馬人物。
a0289546_09360052.jpg
----------------------------------------
盾を持つ騎馬人物
上段/補色前
下段/補色後
馬にまたがり、右手に四角いものを持つ人物が描かれています。
おそらく盾ではないでしょうか。
左手には赤い棒のようなものが描かれており、剣か槍を描いたのではないかと思われます。
また、馬の尾には赤い飾りがついていることがわかります。
左の2頭の動物も馬ではないでしょうか。
----------------------------------------

人物(神殿に祈りを捧げる女性)。
a0289546_09374936.jpg
------------------------------------------
人物(神殿に祈りを捧げる女性)
上段/補色前
下段/補色後
左の絵は、建物を描いたと考えられます。
角のように飛び出したものは、切妻の屋根ではないでしょうか。
右の人物は、スカートのような裾の広がった着物で、手を前に捧げた姿をしています。
左の建物に向かって祈りを捧げているのではないかと思われます。
------------------------------------------
a0289546_09381514.jpg
-------------------------------------------
騎馬人物(旗を差した馬に乗る人物)
上段/補色前
下段/補色後
奥壁上段の壁画です。
左端の2重丸の絵は、同心円文と呼ばれるもので、中国古代思想の影響を受け、太陽を表しているといわれています。
右下の騎馬人物は、馬にまたがり、弓を引く人物を描いており、馬の尾の上には赤い縁取りの旗指し物があります。
この人物は五郎山古墳の被葬者ではないでしょうか。
-------------------------------------------

代表的な石室の壁画、5例。
上段、左/五郎山古墳、右/王塚古墳(その1/玄室奥壁)
中段、左/珍敷塚古墳、右/王塚古墳(その2/前室後壁)
下段、左/日ノ岡古墳、右/竹原古墳
a0289546_01492998.jpg
※五郎山古墳(福岡県筑紫野市原田)・・・今回、探訪
※王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)・・・・今年4月、探訪
※珍敷塚古墳(福岡県うきは市吉井町)・・・明後日、探訪の予定
※日ノ岡古墳(同上)・・・・・・・・・・・同上
※竹原古墳(福岡県宮若市竹原)・・・・・・今年4月、探訪

古墳から出土した品々。
a0289546_10212214.jpg
a0289546_10323536.jpg
------------------------------------
古墳から出土した品々
五郎山古墳の副葬品は、以前に盗掘されたり、行方不明になったものもあり、全体にはよくわかっていません。
しかし、調査したときの記録などによれば、次の出土資料がわかっています。

出土遺物実測図
碧玉製管玉 碧玉製珠 ガラス製小玉 金環 金環 
刀子 刀装具
0-5cm スケール

須恵器:坏蓋・坏身・高坏・蓋長脚高坏(有蓋・無蓋)・盌・椀・提瓶・平瓶・甕
土師器:椀
装身具:ガラス製勾玉・碧玉製管玉・ガラス製小玉・金環・銅釧
武 器:鉄鏃・刀子・刀装具
馬 具:心葉形杏葉(鉄地金金銅張)
その他:砥石
------------------------------------

出土品をアップで。
上段、須恵器 左/坏蓋(つきぶた)・坏身(つきみ)、右/同左
下段、須恵器 左/盌(まり)、央/平瓶(ひらべ)、右/提瓶(さげべ)
a0289546_10351260.jpg

古墳の発見とその後。
a0289546_02124849.jpg
------------------------------------------
五郎山古墳の発見
五郎山古墳は昭和22年(1947)10月、土地の所有者であった山内弥之助さんによって発見されました。
「古墳発見申告書」によれば、弥之助さんは父親から所有地に古墳らしきものがあるので注意するようにと言われていました。
10月11日、土地が埋没しているところをみつけてスコップで突いたところ、石室が発見されました。
中に入ってみて、絵がたくさん描かれていることに驚いた弥之吉さんは、さっそく村役場に届けました。

写真/発見者の山内弥之助さん
写真/昭和22年頃の五郎山古墳
------------------------------------------
------------------------------------------
第1回調査と史跡指定
山内さんから発見の報告を受けた福岡県は、史蹟調査委員の鏡山猛氏、森貞次郎氏、臨時委員に京都大学の小林行雄氏を選任し、昭和22年11月20日から12月6日にかけて調査を行いました。
このとき、石室内はすでに盗掘を受けており、わずかな人骨の破片と須恵器が採集されただけでした。
しかし、玄室の奥壁を中心に騎馬人物や動物、靭や弓、船などの彩色画がたくさん描かれていることがわかりました。
この調査結果から貴重な装飾古墳であることが判明し、昭和23年(1948)3月16日、仮指定を受け、昭和24年(1949)7月13日付けで国の史跡に指定されました。

写真/小林行雄先生が記録した調査日誌(昭和22年11月20日)
------------------------------------------
------------------------------------------
保存への歩み
昭和25年(1950)、石室の天井部に開いていた盗掘坑をふさぐ復元工事が行われ、昭和34年(1959)には、羨道部入口に鉄筋コンクリート製の覆屋が建設されました。
これによって、石室内部の見学が可能になりました。
その後、地元原田の人たちが「五郎山古墳保存会」を結成し、見学者の案内や古墳の清掃などに取り組んで来ましたが、石室内にカビが発生したり、見学者のいたずらが相次いだため、昭和53年(1978)に閉鎖しました。
------------------------------------------
------------------------------------------
保存整備計画と第2回調査
平成5年(1993)、五郎山古墳の保存と壁画の公開を図るため、「五郎山古墳保存整備基本計画策定委員会」が発足しました。
この中で、地質調査や石室内の温湿度観測など、基礎的なデータを得るための調査を行いました。
また、考古学的な確認調査を平成6年から8年にかけて3次に亘って実施しました。
調査は、福岡大学の小田富士雄氏を中心に行われ、墳丘の規模や構造、石室内の再調査、周溝・前庭部の確認などが行われました。
調査成果を基に、平成9年(1997)から「ふるさと歴史広場保存整備事業」に着手し、墳丘の復元、観察室の設置、五郎山古墳館の建設、周辺整備などを行い、平成13年(2001)3月に完成しました。

図:第2回調査におけるトレンチ配置図
写真:第2回五郎山古墳調査風景
------------------------------------------

奥/かなりの大きさに拡大、再現された玄室奥壁の壁画。
点前/壁画に描かれた人物・動物などの再現フィギュア。
a0289546_02263883.jpg
再現フィギア。
左から、人物(祈りを捧げる女性)、人物(袴のようなものをはいた人)、人物(矢を射る人)、人物(手を挙げる人)、動物(犬)、騎馬人物(写真は一部欠落ながら)。
a0289546_02292718.jpg

「つくしの散歩 国指定史跡 五郎山古墳」(筑紫野市教育委員会作成リーフレット)。
a0289546_07115146.jpg

------------------------------------------
国指定史跡
五郎山古墳
五郎山古墳は、1947年10月11日に土地所有者であった山内弥之助氏により発見されました。
山内氏は同月20日に、村を通じ福岡県にその旨を報告し、県教育委員会は史蹟調査委員であった鏡山猛氏、森貞次郎氏、さらに臨時委員として小林行雄氏を加え、調査を行いました。
そして、1948年3月16日に仮指定となり、1949年7月13日には国の史跡に指定されました。

五郎山古墳は途中に段をもつ円墳です。
墳丘の裾には幅(平均)2mの溝が巡り、その内側に幅(平均)1.5mのテラスが設けられています。
その外周で測った墳丘の直径は東西32.5m、南北31.8mで、上から見た形は正円に近い形をしています。
さらに、幅(平均)2.3mのテラスを挟み、二段目が築かれています。
二段目テラスは、テラスの内側で東西17.3m、南北20.3mで、やや後方が高く、卵を縦割りにしたような形をしています。
石室入口の前方は、緩やかな扇形となり、墳丘との境には石が並べてあったと考えられます。
-----------------------------------------------

まことに分かり易い、墳丘に関わる解説である。
この解説を読みながら、リーフレット掲載の航空写真も眺める。
現場をこの目で見分しており、容易にイメージ出来る。
航空写真をアップで。
a0289546_09101112.jpg

リーフレットの裏面にも目を通す。
a0289546_07161144.jpg

------------------------------------------
五郎山古墳の石室は複室の横穴式石室です。
石室の全長約11mで、ほぼ完全な状態でのこっています。
羨道の長さ3.6m、幅1mほどで、高さは前室側で1.4m、入口側が0.9mと羨道のなかほどから入口部分に向かって天井が低くなっています。
この羨道を抜けると、幅2m、奥行き1.6mほどの前室があります。
高さは2m余りと考えられます。
さらに、その奥に玄室があります。
玄室は幅3m、高さ4.2m、高さ3.5mほどです。

壁画は前室と後室に描かれていますが、後室奥に最も多くの絵が描かれています。(筆者注:ここでいう「後室」とは「玄室」のことと理解する)

腰石には、右端に鞆や靭、弓などの弓に関する道具が描かれています。

中央部には、上から鳥、同心円文、靭、船が描かれ、右端と中央部の絵の間には、冠をかぶった人物や矢が刺さった動物、スカート状の着物を着た人物などが見られます。

中央部の鳥の左には動物が描かれ、この動物を狙うように、右下に矢を構えた人物がいます。

その下には鎧兜を身につけ、太刀をもった騎馬人物、その左上に動物が上下に描かれています。

祈るようなポーズの人物、さらにその左下には両手両足を広げた人物が描かれています。

これらの最下段には、はしご状の幡か楯をもった騎馬人物が見られます。

左端には切妻造りの屋根をもつ家、動物が上下に描かれています。

腰石の上に置かれた方形の石には同心円文、その右側に左手を腰に当て、右手を上げたポーズをとる力士と思われる人物、その下にも動物と人物が描かれています。

右側には旗をなびかせ、矢をつかえた騎馬人物があり、その右上には円文が描かれています。

後室側壁では西側奥の腰石に船と16個の小さな丸、東側奥の腰石とその上の石にそれぞれ船が描かれています。

さらに船は前室奥壁側の両方の袖石にも見ることができます。

五郎丸古墳が造られた時期は古墳や石室の形体や出土遺物から6世紀後半と考えられ、当時のこの地域の豪族の墓と思われます。
近くには古代の文献にも登場する筑紫神社があり、この神社が筑紫君と何らかの関係を持つことが想定されており、葬られる人物も筑紫君と関わりがある人物かもしれません。
------------------------------------------

a0289546_09153301.jpg
a0289546_09160727.jpg

五郎山古墳について、随分とベンキョーした。
ということで、ちょっと息抜き。
こんな趣味もいいかも。
小石に壁画を模写。
左上は竹原古墳の壁画の一部(ぱっと見ただけで、それが分かるんやでぇ!と自慢げな気持ちが湧く)。
a0289546_06185082.jpg
a0289546_06191493.jpg
a0289546_06193331.jpg

参考情報。
「熊本県内 装飾古墳一斉公開」の案内ポスター。
福岡県と並び、熊本県も有名な装飾壁画を有する古墳が多く、是非探訪したみたいと思い、参考資料としてカメラに収めた。
a0289546_06264588.jpg
平成30年の一般公開対象古墳は次の通り。
井手古墳と石之室古墳については、「熊本地震からの復旧状況を説明します。石室内には入れません」との注釈あり。
あの激震、さもあらん。
(下記の※印は筆者の参考用としてメモしたもの)
--------------------------------------------
右:
・横山古墳(山鹿市)
・宇賀岳古墳(宇城市)※線刻装飾あり
・井寺古墳(嘉島町)※国指定史跡、装飾あり
・石之室古墳(熊本市)※国指定史跡・塚原古墳群に属する
・鍋田横穴群(山鹿市)※国指定史跡、61基中、16基が装飾横穴
・田河内第1号古墳(八代市)※県指定史跡、線刻装飾あり
左:
・石貫穴観音湯尾小穴(玉名市)※国指定史跡
・石貫ナギノ横穴群(玉名市)※国指定史跡
・永安寺東古墳(玉名市)※永安寺東古墳、永安寺西古墳とも国指定史跡、装飾あり
・大坊古墳(玉名市)※国指定史跡、装飾あり
・塚坊主古墳(和水町)※近傍の江田船山古墳・虚空蔵塚古墳と共に国指定史跡、装飾あり
・京が峰横穴群(錦町)※県指定史跡、線刻装飾あり
・大村横穴群(人吉市)※国指定史跡、27基の横穴群、線刻装飾あり
---------------------------------------------

・弁慶ヶ穴古墳(山鹿市)
※国指定史跡、装飾あり※前掲の展示パネル「装飾壁画の解析」で「弁慶ヶ穴古墳(山鹿市)」が挙げられていたので、備忘録として、ここに書き加えておく次第。

時計を見る。
12時55分、昼時を過ぎている。
古墳館のスタッフさんにこの辺りで昼食の摂れる店を訪ねる。
大通りに出たところに「井手ちゃんぽん」なる店があると教えて貰った。
詳しい解説と案内をしてくれたスタッフさんに礼を述べ、五郎山古墳を出発。

ちゃんぽんの全国区は「リンガーハット」で、「井手ちゃんぽん」の名は初めて聞くもの。
佐賀県武雄市で創業、「野菜たっぷり60年 昭和24年創業」とある。
創業は、五郎山古墳が発見、調査された頃とほぼ同じ頃で、これも何かの縁か。
メニューを見て面白かったのは、麺の量と野菜の量の組み合わせがいろいろあることだった。
旨かったのは申すまでもなきことかと。

「井手ちゃんぽん」で昼餉を終え、原田駅へ。
当初の予定では、次の通りであった。
13:42 原田発(鹿児島本線快速久留米行き)
13:58 久留米着
(待ち時間22分)
14:20 久留米発(大久本線日田行き)
14:52 筑紫吉井着

しかし、五郎山古墳でベンキョーをし過ぎ、時間超過。
そして、昼餉も摂ったので、13:42 原田発には間に合わず。

14:02 原田発(鹿児島本線快速原田行き)/14:17 久留米着に乗車。
原田駅を出発した後、車掌さんが車内を回って来た。
この電車の到着ホームが久大本線ホームと同じであれば、乗り換え時間は3分あるので、当初予定の、14:20久留米発筑紫吉井行きに間に合う。
車掌さんの答えは、同じホーム、ということであった。
よし!間に合う、と思いきや、我らの乗っている電車の久留米駅到着が少々遅れた。
同じホームだから、大丈夫と思いきや、九大本線は同じホームのずっと先にある、いわゆる、切欠きホームであった。
jitensha を携え、大急ぎで走る。
何とか、ぎりぎり間に合った。

筑紫吉井駅で下車。
筑紫吉井駅は、うきは市。
宿は、筑後川を渡った朝倉市の原鶴温泉。
筑紫吉井駅から原鶴温泉を目指し、走る。
途中、翌々日に探訪予定の、日岡古墳・月岡古墳を通り過ぎる。
筑後川左岸に至る。

坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎、そんなことを思いながら、筑後川を渡る。

原鶴大橋から筑後川の下流方面を眺める。
a0289546_07345320.jpg

さあ、明日は八女市の八女古墳群めぐり、そして、明後日は筑後川流域古墳めぐり、愉しみ、愉しみ...。

フォト:2018年10月19日

(つづく)




by ryujincho | 2018-10-23 23:29 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


<< 『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり...      『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり... >>