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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日日、壱岐島内探訪(13)難行苦行、そして、小島神社』 kk-25

10月18日(木)、晴れ。
壱岐島南東部方面、探訪。
壱岐焼酎の猿川伊豆酒造所をカメラに収め、鍛冶屋さんと歓談。
壱岐島最古の古墳、大塚山古墳を実地見分。
壱岐市立一支博物館、原の辻遺跡ガイダンス施設で事前ベンキョーし、原の辻遺跡を実地見分。
国府跡といわれる興神社を訪ね、壱岐国総社の壱岐総社神社は近くまで行くも諸般の事情でパス。
そして、いよいよ、残るは、この日最後の立ち寄り先、日本のモンサンミッシェル、小島神社である。

午前中、芦辺港近くの宿から走って来た道を戻り、途中から海岸線に出れば、小島神社へ行ける。
しかし、このルートだと、峠を二つ、三つ、越えねばならない。
来た道を戻るか、新たなルートとするかを思案する。

興神社、壱岐総社神社近くから走りながら思案しているうちに、幡鉾川を渡り、原の辻遺跡ガイダンス施設近くに至る。

橋の上から幡鉾川の下流を眺める。
幡鉾川沿いを行けば、海岸に出られる。
そう考え、幡鉾川右岸を西から東へ走る。
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幡鉾川右岸を走りながら、ふと、原の辻ガイダンス施設の案内人さんの言葉が頭に浮かんだ。
その言葉は「川の下流に山が見えるでしょう。あの山の向こうが海です」というものであった。

幡鉾川について、第22話で縷々触れたが、今一度、ここで触れておきたい。
以下はウィキペディアの抜粋である。
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幡鉾川は、壱岐島中央部を流れ、東部の内海(うちめ、内海湾とも)に注ぐ二級河川である。
壱岐島では北部の谷江川を上回る最大の川で、流域の全てが長崎県壱岐市に属する。
河内川(こうちがわ)とも呼ばれる。
流域には「物部田原」「木田田原」「深江田原(河内盆地)」といった平野部が広がり、国の特別史跡に指定された原の辻遺跡もこの川の下流域にある。
芦辺町湯岳地区の西にある鉾の木山(標高135m)を水源とする。
本流はまず西、次いで南へ流れる。
柳田方面からの支流が合流した後は東へ流路を変える。
下流域は約3km2の河内盆地が広がり、大原・湯岳・池田・深江といった集落がある。
川は町谷川や池田川などの支流を併せながら、水田地帯の中を東へ流れる。
河内盆地の最下流に原の辻遺跡があり、旧石器時代から中世までの複合遺跡となっている。
内海(うちめ)へ注ぐ河口域は壱岐島を形成する溶岩台地を刻む谷となっていて、両岸に丘陵地が迫る。
水源が標高135mと低いうえに勾配も緩く、流域のほとんどが標高50m以下である。
昔は海だったとも伝えられている。
河内盆地のみならず川に沿ったほぼ全域が水田に利用され、壱岐最大の稲作地帯となっている。
本流に対して流域面積が比較的広く、降った雨が同時に川に集まる。
さらに流れが緩く蛇行が多かったため、流域は古来から洪水が頻発していた。
1952年-1959年(昭和27-34年)に耕地整理事業に伴う河川改修が行われ、幡鉾川の流れは直線化された。
また、1992年-2004年(平成4-16年)にも河川改修が行われた。
但し、度重なる河川改修によって、淡水魚やニホンイシガメなど各種水生生物は大きく個体数を減らした。
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ガイダンス施設の案内人さんの言葉「川の下流に山が見えるでしょう。あの山の向こうが海です」と、この解説の中の「内海(うちめ)へ注ぐ河口域は壱岐島を形成する溶岩台地を刻む谷となっていて、両岸に丘陵地が迫る」は同義なのであった。

即ち、
幡鉾川の右岸を西から東へ走るとT字路にぶつかる。
このT字路を左折し、幡鉾川に架かる橋(前掲の写真の奥に写っている橋)を渡る。
すると坂道が始まる。
川の河口近くは平地で、両岸、或いは、右岸左岸何れかの何れかに道があり、楽に海岸線に出られるという勝手な想像は一気に崩れたのである。
ガイダンス施設の案内人さんの言葉と幡鉾川の概要を縷々綴ったのは、この勘違いをより具体的に説明したいがためであった。

手元の道路地図(昭文社)のコピーを参照する。
道路地図というものは、その場に至って眺めてみると、細く描かれた道もしっかりと見えて来るものなのである。
幡鉾川の左岸を行く道が海岸線に通じていることは確かである。
坂道を漕ぐ漕ぐで上ったり、押し押しで上ったり、ひぃこらいいながら上り、数回、休憩したり...。
知らない道を行くのは何やら不安であるが、先はどうなっているのだろうという冒険心の楽しみもある。
軽四輪が二度ばかり通り過ぎて行ったので、これは島の人たちの日常、使う道であることを示しており、安心材料のひとつとなる。

ついに、峠に至る。
うわー、海や!
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アップで。
「わあー、海や!」と言ったが、この海の正式名称は「内海湾(うちめわん)」あるいは「内海(うちめ)」である。
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既に、漕ぐ漕ぐ、押す押すで、高度は確保してある。
あとは、海岸線まで”下りま専科”である。

直ぐに下っては勿体ない。
しばし、内海湾の風景を楽しむ。

カメラを望遠鏡代わりに、ズームで湾内を眺める。
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右手の丸い形をした島の左側に何か見える。
目を凝らして見る。
海の中の鳥居であった。
「あれが、日本のモンサンミッシェル、小島神社の鳥居じゃないかな」。
前夜、宿の人から「干潮のときは砂州で繋がり、陸から歩いて参拝出来ます」との案内があった。
干潮時刻は午前10時37分と教えて貰った。
その時刻にここに立ち寄ると後行程がしんどくなるので、干潮時の参拝はパスした。

少しアップ。

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更にアップ。
潮が満ちているが、砂州は僅かに顔を出している。
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陸側をアップで。
陸側からのびる砂州は海の中に没している。
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峠から海岸線へ一気に下る。
海岸線から、こんもりとした小島を眺める。
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こんもりした小島の右手に見える、平坦な島は青島。
青島の右手にシーバースらしきものが見える。
あとで分かったのだが、青島は人は住んでいないが、公園と九州電力の発電所があるのだった。
ということで、シーバースと煙突があるのであった。
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小島の奥、青島から左に橋が見える。
陸と青島を繋ぐ、その名も青島大橋である。
青島大橋は島内最長の橋(全長315m)とのこと。
この橋は一支国博物館の屋上展望台からも見えた橋である。
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小島をアップで。
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小島を超アップで。
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小島から、左、陸側へ目を遣る。
あとで分かるのだが、左端のこんもりしたところ(前小島)が陸側の先端で、海岸への降り口があるところ。
その右手、水面に黒く平坦に見えるところから右に砂州が張り出していく。
今は、陸側からのびる砂州が一部、海に没し、右へ行くに従って僅かに砂州が現れている。
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小島神社が眺められる辺りに向かって、海岸線を走る。
前日は内陸中央部の古墳探訪、この日も内陸南東部の原の辻遺跡など、内陸ばかりを走っていたので、今回の旅で、初めて海岸線を走っているのであった。
何だか嬉しい。

海岸線を走りながら気づいたことがある。
それは、朝、県道23号線を南に向かって走っていたとき、前方に激坂が見えたので、これを回避するため、海岸に出た。
しかし、海岸線のルートもその先は坂道のように思えたので、県道23号線に戻り、激坂を上った。
このときに見た海が、この内海湾だったのである。

目的地に到着!
日本のモンサンミッシェル、いや、小島神社が鎮座する小島を間近に眺める。
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「日本のモンサンミッシェル」というような言い方には、ちょいと、抵抗がある。
房総半島の屛風ヶ浦も「東洋のドーバー」とか呼ばれており、これも同様に、抵抗がある。
しかし、あれこれ説明するよりも、そう言った方が分かり易いことも事実であり、許そう。

少し、角度を変えて、鳥居の正面に立ち、眺める。
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折角なので、横長写真に続いて、縦長写真も。
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潮が満ち、砂州の一部は水没しているが、水に塗れることを我慢すれば、渡れないこともなさそうな感じもする。
ただ、これ以上に潮が満ちれば、島で孤立状態になることは必定。
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護岸の上から浜に降りて、砂州へ向かうようになっている。
護岸から降りた個所を工事していた、おっちゃん達と暫し歓談。
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「仕事中、お邪魔します」。
「どこから来られのかな」から始まり、先ず、今回の旅のあらましを述べるのは常のこと。
「壱岐風土記の丘で、作り物ですけど、壱岐牛をみました」。
「昔はどこの家でも一家に一頭、飼ってたんだけど、今はそうしたこともなくなったね」。
「昔は人口は5万人くらいいたんだけど、今は2万5千人くらい。牛を飼う人もいなくなるわけだ」。
「壱岐焼酎の猿川の向かいの鍛冶屋さんにも会いました」。
「あのおやじさんも頑張ってるな。何やら立派な看板に変えたようだし」。
「昔は7、8軒の鍛冶屋があったそうですが、今は、あのおやじさんのところ、1軒だけと言われていました」。
「自転車に乗ることは滅多にないな」。
「アップダウンがありますから、やっぱり、車社会なんでしょうね」。
「酒を飲みにいくときくらいかな、自転車に乗るのは」。
「自転車も自動車も飲酒運転は禁止!」。
「これから何処へ」。
「海沿いを走って、芦辺港近くの宿へ戻ります」。
「この道を真っ直ぐ行くと、牡蠣小屋があるから、その前を通り過ぎて、そのまま、ずーと海沿いを走れば、芦辺港だよ」。

山の方で雷が鳴るような音が聞こえる。
空は晴れており、雨が降る気配はないが、先を急ぐことに越したことはない。
方々に御礼を伝え、出発する。

暫く走ると説明板があった。
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内海湾(うちめわん)
長崎県壱岐市芦辺町
内海湾は、「一支国」の王都、原の辻を訪れる古代船が往来した玄関口です。
内海湾に入港した古代船は、小舟に荷物を積み替えて、幡鉾川を通って原の辻へと向かったものと思われます。
江戸時代末期の1861年(文久元年)に書かれた『壱岐名勝図誌』にも内海湾の様子が挿絵で描かれており、内海湾に多くの船が往来していたことが記録として残っています。
また、湾内には、神が宿る島としてあがめられてきた小島があり、満潮時には参道が海中に沈み、干潮になると海が割れて参道が海中から姿を現します。
島のほぼ中央に小島神社があり、恋愛成就、商売繁盛、五穀豊穣、航海安全などの願い事が叶う御祭神が祀られています。
限られた時間にした参詣できない神社として人を魅了するパワースポットとなっています。
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『壱岐名勝図』に描かれた内海湾の景色。
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右肩に「児島夕景」とある。
ここでは「小島」ではなく、「児島」と書かれている。
方角的には、陸側の「前小島」から南東方向に「小島」が位置している。
よって、夕日は右手の山の方に沈むこととなる。
絵図には、前小島の手前や砂州の参道に黒い点描で描かれた、多くの参拝客の姿が見て取れる。
江戸時代、島内の人々のみならず、島外からも参拝客が訪れたものと思われる。


小島/航空写真。
砂州の参道を進み、鳥居をくぐり、反時計回りで島の反対側に進むと、小島神社が鎮座しているとのことである。
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幡鉾川河口の様子。
一支国博物館のジオラマで河口付近を往来する大小の船が表現されていた光景が思い浮かぶ。
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はためく幟旗「ようこそ、壱岐へ。」。
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工事のおっちゃんたちの愛車と内海湾。
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内海湾を眺め、原の辻の集落が栄えたことがよく分かった。
内海湾そのものが天然の良港。
そして、幡鉾川の河口が湾の最も奥に位置していることも好条件。
海、川、そして、川を遡ると川の最下流に平野部、それらすべてが相まって原の辻の集落が形成されていったことがよく理解できる。
原の辻から<新規ルート>で海岸線に出たことは地形を知る上でよき選択であった。

海岸沿いの細道から一般道へ出る。
おっちゃん達の言葉通り、牡蠣小屋があった。
「長寿牡蠣」と染め抜かれた幟旗が立っている(写真はなし)。
シーズンともなれば、旨い牡蠣が食せるのであろう。

海沿いの走りを楽しむ。
それらについては続編にて。

フォト:2018年10月18日

(つづく)




by ryujincho | 2018-10-23 23:25 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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