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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日日、壱岐島内探訪(9)原の辻遺跡ガイダンス施設(上)』 kk-21

10月18日(木)、晴れ。壱岐島南東部方面、探訪。
壱岐市立一支博物館を見学。
博物館上階のビューシアターの窓から、そして、屋上展望広場から原の辻遺跡とその周辺を眺めた。
そのあと、原の辻遺跡へ。

一支国博物館から坂道を下り、台地から平野部に出る。
西から東へ流れる幡鉾川沿いを西へ向かって走る。

右手(北側)に、先ほど訪ねた大塚山古墳や一支国博物館のある丘陵が見える。
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ロールベーラーで丸められた干し草をローディングショベルで運んでいる。
30年前、英国にしばらく住まいしていた頃、丸められた干し草を見て以来、こうした風景が好きだ。
因みに、息子たちは、丸められた干し草をグリコの「コロン」になぞらえて”コロン”と呼んでいた。

その向こうの高台に一支国博物館が見える。

”コロン”と博物館をアップで。
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左手に原の辻遺跡を含む「原の辻一支国王都復元公園」とちょいと仰々しい名称の公園が見えて来る。
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公園の北西端にある「ガイダンス施設」に立ち寄る。

「国指定特別史跡 原の辻遺跡」。
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上段の説明に目を通す。
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国特別史跡
原の辻遺跡
長崎県壱岐市芦辺町・石田町(深江田原一帯)

長崎県で2番目の大きさを誇る平野(深江田原)にある原の辻遺跡は、弥生時代から古墳時代の初め(今から約2200年前から1650年前)に栄えた国内を代表する環濠集落跡で、国の特別史跡に指定されています。
中国の歴史書『三国志』の中に記された「魏志」倭人伝には、壱岐嶋が「一支国(原文では一大国と記載)の国名で登場し、当時の様子が57文字で書かれています。
「魏志」倭人伝に記された国で”国の位置”と”王都の場所”の両方が特定されているのは壱岐・原の辻遺跡だけであり、倭人伝に記された内容と遺跡の発掘調査成果を見比べながら”弥生時代における東アジアとの交流の歴史”を解明できる国内唯一の事例として注目されています。
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(右上掲載写真)
左上段船着き場調査状況 
左下段/人面石出土状況
中央/原の辻遺跡概略図
右上段/環濠
右下段/墓域
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下段の説明に目を通す。

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上段/船着き場の再現図
下段右/原の辻遺跡遠景
下段左/「魏志」倭人伝に記された一支国の57文字
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(原文)
又南渡一海千余里 名曰瀚海 至一大(支)国
官亦曰卑狗 副曰卑奴母離
方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
差有田地 耕田猶不足食
亦南北市糴
(訳文)
(対馬国を出港し)南に海を渡ること千余里で一支国に到着する
この海は瀚海(かんかい)と名付けられている
大官は卑狗(ひこ)、次官は卑奴母離(ひなもり)という
広さ三百里ばかり、竹木の叢林が多く、三千ばかりの家がある
やや田畑があるが、水田を耕しても
皆が食べるだけの量には足りない
南や北のクニグニと交易をして暮らしている
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船着場跡模型。
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船着場跡模型
日本最古 東アジア唯一
■説明
この船着場跡は、平成8年度の発掘調査で発見されました。
弥生時代の川の中に造られており、2本の突堤と荷揚げ場、それと「コ」の字形に囲まれたドック部分と通路からなっています。
突堤の造り方は、
①基礎の部分に木や枝や石を敷き、その上に盛土する
②盛り土が崩れないように、木で抑えたり、杭で止める
③水で流されないように盛土の斜面に樹の川や石を張り付けて補強する
というハイテク技術が使われています。
この工法は、「敷粗朶(しきそだ)工法」といわれ、大陸から伝わった技術と考えられますが、東アジアにおける発見例は、ここ原の辻遺跡が唯一ですか?。
なお、船は大阪府久宝寺遺跡で出土した準構造船を参考に復元し、高床式建物や当時の人々の働く姿を再現してあります。
■縮尺 1/10
■時代 弥生時代中期(約2200年前)
■規模・・・書き下し、省略
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準構造船とは、丸木舟を船底にして、舷側板などの船材を結合した船のことである。
丸木舟から準構造船、そして、すべて板材を結合した構造船へと船の建造技術は変遷。

船着場跡再現模型。
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先ほど、一支国博物館のジオラマで船着場を見た。
あちらはどちらかというとミニチュア。
こちらは縮尺1/10で、規模の大きい再現模型、しかも、発掘現場近くで見られるというところにリアリティさを感じる。

「ガイダンス施設」の館内へ入る。
のちほど、ガイダンス施設の館内で、船着場について更にベンキョーすることとなる。
それについては、続編で。

フォト:2018年10月18日

(つづく)




by ryujincho | 2018-10-23 23:21 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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