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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日日、壱岐島内探訪(6)壱岐市立一支国博物館(Ⅲ)』 kk-18

10月18日(木)、晴れ。
壱岐島南東部方面、探訪。
壱岐市立一支博物館。

上階で、ビューシアターと「魏志倭人伝」のコーナーを見学。
そして、展示室へと移る。
古墳時代の展示を見学。
次に、時代は変わり、壱岐国分寺跡のコーナー。

国府跡・国分寺跡・国分尼寺跡めぐりは、古墳めぐりを始める前から掲げているテーマで、<各国>をめぐっている。
壱岐国分寺跡は、前日、探訪。
その<おさらい>の意味も兼ねて、壱岐国分寺跡のコーナーで展示物を見学。

壱岐国分寺跡(壱岐嶋分寺跡)。
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壱岐国分寺跡(壱岐嶋分寺跡)
奈良時代、聖武天皇は、仏教の力で国を守るため、全国に国分寺を建てるように指示を出しました(741年(天平13年))国分寺建立の詔)。
その指示を受けて、各国は国司が政務を司る役所(国府)があった場所もしくはその周辺に国分寺を新たに建立しました。
壱岐国では、新たに国分寺を建立せず、壱岐を統治していた壱岐直(いきのあたい)が建てたお寺を壱岐国分寺に昇格させたことが『延喜式』に記載されています。
お寺の名称も「壱岐国分寺」ではなく、「壱岐嶋分寺」とされ、756年にはまだ国分寺として機能していなかったことが『続日本紀』に記されていますが、844年には国分寺として機能を果たしていたことが当時の記録の中に残っています。
壱岐国分寺(壱岐嶋分寺)は、新たに建立せず、壱岐直のお寺を国分寺に昇格させたため、新たに建立された全国にある国分寺の伽藍配置と異なっているのが特徴です
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壱岐国分寺(壱岐嶋分寺)の瓦のすごいところ!
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奈良時代、九州各地につくられた役所(国府)、有力者のすまい(館)、大きなお寺などは、当時、九州の政治の中心地だった大宰府の瓦と同じ瓦を使って建てられました。
しかし、壱岐国分寺(壱岐嶋分寺)の瓦は、大宰府と同じ瓦ではなく、日本の政治の中心だった奈良の平城京と同じ瓦を使って建てられています。
しかも、平城京遷都時に建てられた大極殿に用いられた瓦の笵木をもとに製作された軒丸瓦が使用されていることから、はやい段階から壱岐国(壱岐直)と平城京(中央政権)との間に強い結びつきがあったことが発見された瓦から分かります。
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水を差すようだが、ちょっと、小生の意見を述べておきたい。
各国の国分寺建立に使われた瓦には、中央寺院の川原寺系や山田寺系、紀寺系などがある。
瓦の笵木は中央政権が管理しており、地方に貸与したという説がある。
九州の国分寺跡としては、今年4月、筑前国分寺跡と国分尼寺跡、更に国分寺跡近くの国分瓦窯跡を訪ねた。
国分窯跡の説明書きによれば、「窯跡の周囲からは、老司式軒丸瓦のほか、縄目や格子模様の叩きを施した平瓦が見つかっている。また、窯も複数あることから、奈良時代の初め頃から平安時代にかけて、長期間操業していたと推定される。ここで焼かれた瓦は、周辺の遺跡で出土した瓦の状況から、筑前国分寺をはじめ、大宰府政庁や観世音寺周辺の建物の屋根に葺かれていたと考えられる」とある。
一支国博物館の説明書きでは「九州の役所、館、大きな寺は大宰府と同じ瓦を使った」とあり、国分寺に使ったとは書かれていないが、この国分窯跡の説明書きからして、少なくとも、筑前国分寺と大宰府の瓦は共通であることが分かる(他の九州の国分寺の瓦も同様と理解したい)。
中央では川原寺系・山田寺系・紀寺系などの貸与用の笵木が払底し、大宰府の瓦の笵木を使ったのではないかとも推定出来る。また、壱岐については、大宰府の瓦の笵木が払底し、やむなく、平城京大極殿の瓦の笵木を貸与したのかもしれない。
但し、壱岐に瓦窯があったかどうかは不詳である。
瓦窯がなければ、笵木が貸与されても瓦は焼けないこととなり、中央から瓦そのものを搬送(常識的にはそれはないが)したか、九州本土の瓦窯で焼いて貰い、島に運び込んだということになる。

出土瓦。
古代瓦を見るのが大好き。
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左/平瓦。
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壱岐嶋分寺から発見された資料
平瓦(ひらがわら)
古代 壱岐嶋分寺跡 出土
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央/軒丸瓦。
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平城京の大極殿に使用された軒丸瓦と同じ笵木でつくられた壱岐嶋分寺の瓦
軒丸瓦(のきまるがわら)
古代 壱岐嶋分寺 出土
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アップで。
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壱岐国分寺、平城京大極殿、筑前国分寺、大宰府の軒丸瓦は、これまでに撮り集めた写真を見ると、いずれも複弁八葉蓮華文のように思える。
のちほど、ゆるりと詳細に見比べ、「壱岐国分寺=平城京大極殿」であることを見極めてみたい。

丸瓦。
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壱岐嶋分寺から発見された資料
丸瓦(まるがわら)
古代
壱岐嶋分寺跡 出土
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上階から、スロープの両脇の数々の展示の中で古墳時代と壱岐国分寺跡のコーナーをメインに見学しながら、スロープを下る。
すると、1階の展示フロアに設えられた大きなジオラマが見えて来た。
弥生時代の遺跡、原の辻集落を再現したジオラマのようなである。
詳しくは続編で。

フォト:2018年10月18日

(つづく)



by ryujincho | 2018-10-23 23:18 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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