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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 10月 23日

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16

10月18日(木)、晴れ。
壱岐島南東部方面、探訪。
訪ねる先は、大塚山古墳、壱岐市立一支博物館、原の辻遺跡、原の辻ガイダンス、興神社(壱岐国府跡‐推定‐)、壱岐総社神社(壱岐国総社)、小島神社など。

大塚山古墳をあとにして、次は、壱岐市立一支博物館。
博物館は、位置的には南西方向、大塚山古墳のある丘陵とは別の東側の丘陵にある。
坂道を下る。
そして、再び、坂道を上り、下る。
下り坂の途中の右手に壱岐市立一支博物館が現れた。

博物館前で”今日の jitensha”。
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壱岐の風景をラッピングした観光バスが駐車している。
前日、壱岐風土記の丘の駐車場でもこの種の観光バスを見たが、それぞれにラッピングの風景は異なっている。

原の辻遺跡のラッピング。
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もう、これで原の辻遺跡を見学した気分。
ということで、角度を変えて、もう1枚。
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こちらは、筒城浜(つつきはま)のラッピング。
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「壱岐市立一支博物館」/「長崎県埋蔵文化財センター」。
『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_13390958.jpg

「埋蔵文化財センター」の名を見ると、なぜかゾクゾクするのである。
群馬県埋蔵文化財センター/情報館での体験がそうさせるのかもしれない。

『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_13392459.jpg
『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_02074489.jpg

ロビーで観覧料400円也を支払う。
シニア割引はない。

「正面の階段を上がって、先ず、上階のホールへ行ってください」との案内あり。
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階段を上り、上階へ。

ビューシアター。
「魏志倭人伝」によれば、「一大國(一支國)」は...。
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原の辻集落の誕生。
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映像が写されていたスクリーンが開く。
映像に代わり、原の辻遺跡が眼前に現れる。
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ガラス越しに見えるワイド・ビュー、そののセンター部分をズームアップ。
復元された原の辻集落の環濠や物見台が見て取れる。
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前面のスクリーンが開かれ、眼前に実際の風景が現れるという趣向はこれが初めてなら凄いなあと思うところであろう。
しかし、既に、数年前、上総国分尼寺跡展示館(千葉県市原市)で、ジオラマによる尼寺跡の解説がなされた後、前面のスクリーンが開き、緑の草地の向こうに朱色も鮮やかな中門と金堂を結ぶ復元回廊が現れるという趣向を経験済みでもあり、今回、同じような仕掛けに驚くということはなかった。

原の辻遺跡は、後ほど、見学することにしており、その様子は続編にて。


次のコーナーへ。
「魏志倭人伝の世界」。
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『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_00414993.jpg

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魏志倭人伝の世界
邪馬台国への道
三世紀末に書かれた中国の歴史署「三国志」の中の「魏志倭人伝」。
「魏志倭人伝」には、日本国内の様子や邪馬台国までの道のりが2008文字で記されています。
壱岐は、朝鮮半島にある狗邪韓国を出て対馬国の次に海を渡って訪れた一支国として登場します。
このゾーンでは、57文字で記された一支国の様子や「邪馬台国への道」として重要な役割を果たしていた国々の様子を知ることができます。
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壱岐国に先立ち、対馬国に関わる記述がある
(写真8行目の4文字目「始度」・・・11行目「南北市糴」)
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始度一海千餘里 至對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴
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始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。
絶島で400余里四方の広さ。
1000余戸が有る。
山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。
船で南北岸の市へいく。
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対馬国に続く、一支国に関わる記述は次の通りである。
(写真11行目の8文字目「又南渡」・・・14行目「南北市糴」)
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又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴
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また南に瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を渡り、千余里を行くと一大國に至る。
また長官を卑狗(ひく)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)という。
広さは約三百里四方ばかり。
竹や木のしげみが多い。
三千ばかりの家がある。
田畑が少しあるが、農耕だけでは食料には足らず、また、南や北に海を渡って穀物を買い入れている。
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魏志倭人伝では「一大國」と記されている。
他の史書では「一支國」と記されている。
魏志倭人伝は「支」と書くべきところを「大」と誤記しているとの説がある。
一方、誤記ではないとする説もある。

「魏志倭人伝」について、映像での解説もあり。
一支国に関わる57文字の記述。
『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_01242269.jpg
最初の27文字、それに続く、15文字、10文字、4文字の記述とその読み下し文が次々の映像に現れる。
『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_01252126.jpg
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又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離
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対馬国から南に瀚海(かんかい)という海をわたること千余里、一支国(いきこく)に至る。
大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)という。
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『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_01254935.jpg
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方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
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一支国は三百里四方ほどの広さで、竹や木が生え、藪が多い。
そして、三千ほどの人家がある。
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『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_01261390.jpg
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差有田地 耕田猶不足食
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いくらか田畑もあるが、農耕だけでは食料が足りない。
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『壱岐島・筑後川流域古墳めぐり/三日目、壱岐島内探訪(4)壱岐市立一支国博物館(Ⅰ)』 kk-16_a0289546_01263984.jpg
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亦南北市糴
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そのため人々は、南や北に海を渡り、交易をおこなっている。
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上階のビューシアター、そして、「魏志倭人伝」のコーナーから、展示室へと移る。

フォト:2018年10月18日

(つづく)




by ryujincho | 2018-10-23 23:16 | 秋の九州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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