人気ブログランキング | 話題のタグを見る

龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ
2017年 05月 13日

『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7

5月12日(金曜)、晴れ。
jitensha を携え、松戸駅まで輪行。
そこから、江戸川左岸の、矢切の渡し、野菊の墓文学碑(その傍で国府台合戦地跡を<発見>)をめぐり、新葛飾橋を渡り、江戸川右岸の水元公園を訪ねたのち、「しばられ地蔵」の南蔵院へと向かう。

南蔵院の「しばられ地蔵」について。
いつぞや、テレビ時代劇「大岡越前守」で「しばられ地蔵」なるものを観た。
単なる物語と思いきや、大岡政談の中の有名な話のひとつであることを知った。
そのときから、荒縄でぐるぐる巻きにされた「しばられ地蔵尊」にお目に掛かりたいと思い続けていた。
そんなことで、この機会に南蔵院を訪ねてみたのであった。

南蔵院山門。
超広角レンズで。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_1735305.jpg
「天台宗業平山南蔵院」。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_17363475.jpg
「江戸名所 縛られ地蔵尊」。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_17413713.jpg
山門脇の案内板に目を通す。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_17495813.jpg
----------------------------
史跡 しばられ地蔵尊
当山は業平山東泉寺南蔵院と号し、貞和4年(約600年前)林能法師の開創に成り、境内の地蔵堂には「しばられ地蔵尊」が安置されている。
「しばられ地蔵尊」は、昭和4年、旧本所区中之郷(墨田区吾妻橋3丁目)から寺とともに移転してきた。
大岡政談の一つとしても有名である「しばられ地蔵尊」は昔より、盗難除け、足止め、厄除け、あらゆる願いごとを叶えるとして祈願するものが多く、祈願者は先ず地蔵尊を荒縄でしばり、成就の暁にはこれを解く風習となっている。
南蔵院
----------------------------

山門脇の小口から境内に入る。
山門と同様、境内もよく整えられている。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_1813147.jpg
「パンフテット、自由にお持ちください」。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_18172997.jpg
パンフレットを頂戴し、目を通す。
『江戸川ポタリング/業平山南蔵院(上)』 ed-7_a0289546_18201910.jpg
-----------------------------
南蔵院のはじまり
伊勢物語で知られる平安時代の歌人 在原業平が東下りの際に、隅田川で舟遊びをした時、船が転覆して多くの人が亡くなりました。
業平はその人々を弔い、像を刻み村人に与え、法華経を写経して塚に納めました(業平塚)。
その傍らに南蔵院が創建されました。
そこには橋が架け渡され、業平橋と名付けられました。
南蔵院の境内はその隅田川の様子を表したものです。
白御影の砂利は隅田川、参道は業平橋、右手の石は業平の舟石です。
古(いにしえ)の世に思いを馳せつつ眺めていただければ幸いです。

名にし負わばいざこと問はむ都鳥
わが思う人はありやなしやと   
在原業平 
渡し舟に揺られ詠みし歌
-----------------------------

山門脇の標柱に刻まれた山号「業平山」を見て、在原業平に関係があるのかな?と思ったが、やはり、在原業平ゆかりの寺であったのだ。

パンフレットに「白御影の砂利は隅田川、参道は業平橋、右手の石は業平の舟石」とある。
今一度、境内を眺める。
確かにそのように整えられていることが見て取れる。
当院のご住職は几帳面な方なのだと想像する。

山門脇の案内板によれば、当院は昭和初期に墨田区吾妻橋3丁目から当地、葛飾区東水元2丁目に移転してきたとある。
境内の「白御影の砂利は隅田川、参道は業平橋、右手の石は業平の舟石」の設えを眺めていると、以前の地である隅田川や業平橋の辺りにいるような気分になって来る。

都内ポタリングで幾度か業平橋付近を走っている。
マイ・ブログで業平橋のことを綴った記憶がある。
探してみた。
2011年8月のポタリングで業平橋を訪ねた際のことを綴ったブログがあった。
『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 第6話
読み返してみた。
業平橋のことは第6話に綴っているが、第1話から全部読み返してみた。
当時のことが蘇る。

業平橋について、ウィキペディアを参照してみた。
面白い記述がある。
それは、最近、古墳めぐりに凝っており、「業平塚」なるものについて、上代の舟形式古墳との説もあるという記述に目を惹かれたのであった。
------------------------------
業平塚
この橋の名の由来となった業平天神社(現存せず、現、墨田区吾妻橋3丁目6番)は、南蔵院(現、葛飾区東水元、昭和元年に転出)の境内にあった神社である。
江戸時代初期に開かれたといわれ、その由緒は、在原業平が亡くなった場所に建てられた業平塚に由来する(『江戸名所記』)といわれるが、業平塚については、力士成川運平の墓が業平の墓に転じたという説(『遊歴雑記』)、里見成平の墓という説(『本所雨やどり』)など諸説あり、『江戸名所図会』には「当社の伝説粉々として詳らかならず。」と記されている。
歴史研究者の石川悌二は「業平天神の由来は定かではないが、業平塚と里人がよんでいた塚は古くからこの地にあって、考古学の鳥居龍蔵博士はそれを上代の舟形式古墳であると推定した。要するに伝承が伝承を生んで業平天神の社祠が建立されたものであろう」と推測している。
(出典:ウィキペディア)
------------------------------

境内の右手に手水舎と鐘楼、左手に本堂、奥に地蔵堂、しばられ地蔵尊、太子堂と三つのお堂が並んでいる。

境内を進む。

フォト:2017年5月12日

(つづく)

by ryujincho | 2017-05-13 23:37 | 江戸川ポタ/矢切~水元 | Comments(0)


<< 『江戸川ポタリング/業平山南蔵...      『江戸川ポタリング/水元公園』... >>