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龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 07月 15日

『炎暑、上野国古墳めぐり/二子山古墳』 mt-3

『炎暑、上野国古墳めぐり/二子山古墳』 mt-3

7月14日、上野国史跡めぐり第8弾。
前橋・高崎古墳探訪。
先ず、前橋市/広瀬古墳群を探訪。
前橋天神山古墳(広瀬町)、八幡山古墳(朝倉町)に続いて、二子山古墳(文京町)へ。

二子山古墳。
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標柱「史跡 二子山古墳」。
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余談ながら、何処の史跡を訪ねても標柱に刻まれた文字が気になる癖がある。
この標柱の右側面には「史蹟名勝天然記念物保存法ニ依リ昭和二年六月十四日内務省大臣指定」と刻まれている。
左側面には「昭和九年九月建設」と刻まれている。
指定されてから7年後に建てられたものであり、苔が蒸すこともなく、真新しく見えるが、80余年前に建てられたものである。
「史蹟名勝天然記念物保存法」は1919年(大正8年)に施行され、1950年(昭和25年)、現行の「文化財保護法」により継承された法律である。

標柱の足元に葺石らしき丸い石が数個、散在している。
葺石については、後程、じっくりと。

説明板に目を通す。
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国指定 前橋二子山古墳
文化庁・群馬県教育委員会・前橋市教育委員会

前橋二子山古墳は昭和2年国指定指摘に指定され、地名をとった天川二子山古墳で親しまれています。
古墳の形は前方後円墳といい、墳丘は二段に築かれています。
墳丘の表面は川原石が厚く敷き詰められていますが、墳丘を保護するため、薄く盛土をしています。
埋葬施設は未調査ですが、横穴式石室と推定されています。
また、周囲をめぐる堀の一部が県立文書館の敷地内で確認されました。

墳丘の規模
全長 104m
前方部幅 76m 後円部径 72m
前方部高 9.5m 後円部高 11m
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「測量図」。
※説明板では方位は北が左になっているが、分かり易くするため、北が上になるよう90度、右に回転させている。
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「前橋の地形と古墳」。
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オレンジ色で示されて地域が、ここ、前橋二子山古墳や、先ほど、探訪した前橋天神山古墳や八幡山古墳などが属する広瀬古墳群である。
後述の説明書きの中の「左上図のように広瀬川低地帯を見下ろす前橋台地のふちに細長く立地し」の「左上図」がこの図である。
「天川二子山古墳はその西北端にあります」は、この図のオレンジ色の西北端の辺りである。
八幡山古墳は西北端から1km南東に、前橋天神山古墳は1.2km南東に位置している。


広瀬古墳群。
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前橋(天川)二子山古墳と広瀬古墳群
天川二子山古墳がある地域は、古代をしのぶ古墳や集落の多い所です。
この分布図は昭和10年の調査や航空写真をもとに作成したもので、昭和10年の調査では約150基ほど数えられますが、それ以前に失われた古墳を含めると更に多くの古墳がありました。
このように、広瀬古墳群は関東においてもかなりの規模を持ったものでした。
左上図(※前掲「前橋の古墳と地形」図)のように、広瀬川低地帯を見下ろす前橋台地のふちに細長く立地し、天川二子山古墳はその西北端にあります。

古墳が造られるようになったのは、近畿地方では4世紀前半頃、関東地方では4世紀後半頃からで、8世紀初め頃まで造られました。
広瀬古墳群は、天川二子山古墳のような前方後円墳や八幡山古墳のような前方後方墳の大きな古墳と、多くの小規模な円墳などからなっています。

古墳を造るには、高度な土木技術や大勢の人々の老労力や強い統率力などが必要とされました。
前橋天神山古墳や八幡山古墳のあるこの地域は、4世紀後半頃の上毛野の国づくりの中心でした。
そして、天川二子山古墳のような古墳は、前橋の地域に勢力をもっていた朝倉君の墓だと考えれています。
分布図を見ても判るように、いくつかの大きな古墳を持つ広瀬古墳群のあったこの地域は、東国の古墳文化の中心地のひとつでした。

古墳が造られた時期は、次の通りです。
・前橋天神山古墳(県史跡) 4世紀後半頃
 関東で最初に造られた前方後円墳のひとつ
・八幡山古墳(国史跡) 4世紀後半前後
 全国でも最大級の前方後方墳のひとつ
・亀塚山古墳(市史跡) 5世紀後半~6世紀初期
・天川二子山古墳 6世紀前半~7世紀初期
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墳丘を見上げる。
虫取り親子さんの姿が目に入る。
夏らしい、微笑ましい風景である。
墳丘に生える木々は虫たちのサンクチュアリであり、親子さんの虫取りフィールドでもある。
数年前、小生も<虫撮り>に熱中し、夏、日の出前から近所のかわせみ池近くの林に出掛け、いろんな虫を撮影。
そこで、虫取り親子さんとよく出遭い、「昆虫少年交遊録」を3シーズンに亘ってブログにアップしたこともあった。
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我らも墳丘に上る。
我らは虫取りではなく、古墳ケンキューのためのフィールドワークで。

墳頂へ向かう階段が前方部南面の中程に設けられている(冒頭掲載の「標柱」の脇)。
説明書きにある通り、この古墳は二段築成であることがこの階段を上りながら、はっきりと分かる。
階段はテラスで一旦、途切れ、更に階段が設けられているからである。

テラスに立ち、墳丘を眺める。
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テラスの後円部方向にジョギングさんの姿が目に入る。
墳丘は虫取りフィールドのほか、ジョギング・コースにもなっているのだ。
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同じく、テラスの後円部方向に、先ほどの虫取り親子さんが現れた。
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階段を更に上り、前方部中程の墳頂に立つ。
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葺石がしっかりと残っている。
葺石を見ると、その昔、葺石が前面に施された光景が目に浮かび、古墳にコーフンするのである。
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アップで。
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超アップで。
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前方部南面(前方部中程から後円部方向の南面)。
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同上(前方部中程から前方部先端方向の南面)。
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前方部先端。
右手の人物は、古墳探訪の相棒、武衛さん。
しっかりと前方部墳丘を検分中。
手前には葺石がびっしり!
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葺石をアップで。
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前方部先端から西側を見下ろす。
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前方部墳頂に設けられた三角点付近から後円部方向を眺める。
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前方部中程、北側下り階段。
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前方部中程、南側下り階段(先程、上って来た階段)。
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南側階段を下る。
ここで「南側階段を下る」と綴り、ふと、気付いたことがある。
それは、後円部墳頂の写真がないことだ。
炎暑、暑さボケ、そして、正午近くで昼餉時でもあり、後円部の墳頂に足を運ぶ忘れていたのであった(トホホ)。

南側から墳丘を眺める。
墳丘全体を1枚には撮り切れないので、後円部、中程、前方部の順に、三分割で。
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古墳の近く(というよりは敷地内)には、よく、こうしたミニ公園があり、子供さん用の遊具が備えられていることが多い。
因みに、先程の八幡山古墳の東側は野球場と公園となっていた。
古墳とその周辺の保全とともに空き地の有効活用である。

次は、午後からの「群馬県埋蔵文化財調査事業団創立40周年記念講演会」である。
会場は前橋の市街地にある前橋テレサ・ホール。
その前に昼餉を摂ることにして、市街地に向け、走る。

フォト:2018年7月14日

(つづく)



by ryujincho | 2018-07-15 23:33 | 炎暑、上野国古墳めぐり 2018 | Comments(0)


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