龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ
2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/中曽根親王塚古墳』 sp-22

5月13日(土曜)、曇りのち雨。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
三日目。

この日の探訪先は、北国街道海野宿と中曽根親王塚古墳。
天気予報は、曇りのち雨。
雨は昼前には降り始める模様。

ポタリングはしたい、雨には極力濡れたくはない、雨が降り出すのは昼前頃、これらを勘案し、往路/上田駅前→探訪先自走、帰路/大屋駅→上田駅輪行とする。

北国街道海野宿を10年ぶりに訪ね、以前と変わらぬ街道筋の風景を楽しんだ。
海野宿を出発しようとしたとき、雨がぱら、ぱらっと降って来た。
雨に濡れるのはいやだ。
次の探訪先、中曽根親王塚古墳はギブアップし、このまま、大屋駅へ向かおうかと思った。
しかし、折角、ここまで来たことでもあるし、今回の信州史跡めぐりの旅は、千曲市の森将軍塚古墳に始まったことでもあり、東御市の中曽根親王塚古墳で〆ると、古墳に始まり、古墳に終わり、落ち着きがよいと思い、中曽根親王塚古墳へ向かうこととした。

中曽根親王塚古墳は、事前の調べでは、国道18号線沿いのホームセンターの敷地内にあるということであった。
海野宿から国道18号線に出るべく北へ向かって走る。
しなの鉄道の踏み切りを渡ると河岸段丘を一段上がるという感じで坂道を上る。
坂道を上って行くと国道18号線との交差点になると思いきや、国道の下をくぐる道となっていた。
国道をくぐると、ぐるっと回って国道へ入る、遠回りの坂道のようであった。
国道をくぐる手前に、国道へ上がる歩行者用の階段が設けられている。
これは好都合と、jitensha を担いでその階段を上り、国道へ出た。
国道18号線を西へ走る。
雨は降っているが、びしょ濡れになるような降り方ではない。
有難や。

しばらく走るも、目印のホームセンターはなかなか見えて来ない。
しばらくすると、後ろから、チーン、チーンと合図のベルと共に「左に古墳が見えまーす」と武衛さんの声。
jitensha を止め、左を見る。
「ええ形の古墳ですね。ホームセンターの看板ばかりを意識して、前方ばっかり見ていたので、左に古墳があることに気づきませんでした。古希ともなれば、視野が狭まっているのかもしれません」と言い訳がましいことを語りながら、古墳を眺める。
a0289546_23581891.jpg

事前調べでの目印はホームセンターであったが、正しくはガーデンショップであった。
「やすらぎの郷 ガーデンプラザ WATABE」。
a0289546_00112064.jpg

少し先の入り口からガーデンショップの敷地内に入る。
jitensha を止め、店先を過ぎ、奥の古墳へと向かう。
a0289546_00141751.jpg
a0289546_00190724.jpg

軒先の向こうに、方墳とはっきり分かる墳丘が見える。
いい感じである。
a0289546_00201666.jpg

墳丘の裾にも販売用の植木が植えられている。
a0289546_00233310.jpg

女将さんと思しき女性とお客さんが植木の品定めをしていた。
「古墳を見学させてください」と言おうとしたところ、それより先に、女将さんと思しき女性が「どうぞ、古墳に上ってみてっください。眺めがいいですよ」と言ってくれた。
上ってはいけない古墳もあるので、有難い言葉であった。

「中曽根親王塚古墳 長野県史跡 昭和37年7月12日指定 長野県教育委員会 東御市教育委員会」。
a0289546_00342661.jpg
a0289546_00352897.jpg

北角の裾から稜線を上り、墳頂へ。
このブログを綴るに際し、最初、「北西角の裾の稜線を上り」と書いたが、後述の説明板の内容ならびに地図上で古墳の向きを確認したところ、四角錐の各々の角は東西南北に位置しており、各辺は南西・北西・北東・南東に位置していることが分かった。

先発隊、南国守さんと武衛兵さん、登頂の雄姿。
a0289546_00375858.jpg

南国守さん、武衛さんに続き、小生も墳頂へ。
拳ふたつほどの大きさの川原石と思しき石が幾つか散見される。
これが葺石であれば、素晴らしい!と思った(果たして、墳頂に設けられて説明板に葺石と書かれていた。詳細は後述)。
a0289546_00454165.jpg

墳頂に立つ。
西の稜線角と彼方の景色。
a0289546_12033983.jpg

千曲川の流れ、そして、先ほど、上田方面から自走してきたとき、千曲川右岸から左岸に渡った大石橋が見える。
右岸を走っているとき、二つ目の上り坂では、それを回避するため、未舗装の細い農道を走ったが、その際に通過した浄水センターの建屋も見えている。
そして、手前の木立の影に、大石橋のひとつ上流に架かる大屋橋も垣間見えている。

その眺望をズーム・アップ!
a0289546_12081514.jpg

北西へ目を遣る。
左端に大石橋、千曲川が山裾に沿ってずっと流れ下っていく光景が目に浮かぶ。
前々日、前日と、千曲川右岸をずっと走ったので、目に見えぬ彼方の千曲川の流れもイメージ出来る。
a0289546_16260413.jpg

北西から北北西へ目を遣る。
「やすらぎの郷 ガーデンプラザ WATABE」の店舗全景と国道18号線。
a0289546_16335756.jpg

北北西から北へ目を遣る。
先ほど、国道18号線を右(東)から左(西)へ走って来て、道路際のハンドレールのところから古墳を眺めたのであった。
a0289546_16402710.jpg

北から東へ目を遣る。
a0289546_16422434.jpg

彼方の山は浅間山であろう。
ズーム・アップ!
a0289546_16435845.jpg

東へ目を遣る。
a0289546_16451658.jpg

東から南へ目を遣る。
a0289546_16464100.jpg

南から西へ目を遣る。
手前の少し盛り上がって見えるのが西の稜線の角である。

a0289546_16483164.jpg

以上を以て、墳頂から周囲360度を見渡したこととなる。
南から西にかけて千曲川を臨み、北から東にかけて浅間山とそれに連なる山々を臨む位置に築造された古墳であるということがよく分かった。

墳頂に設けられた説明板。
(表)
a0289546_16544545.jpg
(裏)
a0289546_16553422.jpg

------------------------------------------------
中曽根親王塚古墳
この古墳は大塚(王塚)或いは丸山ともいう。
原形の一部が変形しているが、墳丘の基底が方形をなし、四隅に稜線が認められるもので、方墳に属する。
墳丘は、高さ10メートル余り、基底の一辺40メートル、上頂の一辺8メートルの截頭角錐状をなしている。
墳丘の一部に河原石をもってした葺石の跡がみられる。
埴輪の有無は明らかではないが、墳丘をめぐる周濠の存在が確認されている。
内部主体の構造は未だ確認されていないが、竪穴式石室の可能性が強い。
墳丘の各辺が東西又は南北の線に一致しないところから、方墳としては早い時期の構造と考えられるが、古墳時代の後半後期に位置すべきものと考えられる。
類例の少ない方墳中、規模の大きい点が注目される。
(裏面)
昭和49年1月
長野県教育委員会
東御市教育委員会 
------------------------------------------------

東御市は、旧・東部町と旧・北御牧村が合併して発足した市であることは先に述べた通りである。
説明板に刻まれた「東御市教育委員会」の「東御市」の文字の下に、以前、刻まれたいた「東部町」の文字の痕跡がくっきりと残っているところはがご愛嬌である。

説明書きの中で、次の3点につき、特記しておきたい。
1)「高さ10メートル余り、基底の一辺40メートル、上頂の一辺8メートルの截頭角錐状をなしている」とある。
墳頂に立ち、截頭角錐状(せつとうかくすいじょう)であることがしっかりと見て取れる。
誠に保存状態のよい方墳であるとの思いを強くする。
2)「墳丘の一部に河原石をもってした葺石の跡がみられる」とある。
北の稜線を上ったときに見た石は、やはり、葺石であったのだ。
前々日、探訪した、千曲川市の森将軍塚古墳の葺石は山で採石した石であった。
千曲川市あたりより上流の千曲川では川原石が採取できるが、千曲川市あたりの川原は砂になっており、石は採れないというのが森将軍塚古墳の案内人さんの話であった。
中曽根親王塚古墳の葺石に川原石が使われているということは、東御市あたりの千曲川の川原では葺石に適した石が採取できたということであり、森将軍塚古墳の案内人さんから的を得た説明を頂戴したということでもある。
3)「墳丘の各辺が東西又は南北の線に一致しないところから、方墳としては早い時期の構造と考えれれるが...」とある。
地図で中曽根親王塚古墳を見ると、稜線の角がほぼ東西南北の位置にあり、各辺は南西・北西・北東・南東面となっている。
この説明によれば、墳丘の各辺が東西南北の線に一致しているか、いないかが、方墳が築造された時期に関係しているように読み取れる。
即ち、各辺が東西南北に一致していれば、方墳としては遅い時期の構造ということになる。
果たして、そうなのかはこれからのベンキョーの課題としたい。
因みに、前方後円墳では、その方向に築造時期が関係したり、法則性があったりすることはなく、強いていえば、血縁関係にある古墳は同じ方向に並べて築造する場合があるということを、保渡田古墳群に隣接した「かみつけの里博物館」(群馬県高崎市)の学芸員さんに聞いたことがある。

説明書きの中には書かれていないが、築造時期は5世紀後半と考えられている。

墳頂から、上って来たのと同じ北の稜線を下る。
a0289546_17234771.jpg
途中、足を止め、葺石を改めてじっくりと眺める。
これは川原石であると自信を持って。
a0289546_17250548.jpg

古墳の下でのお客さんの応対は終わったのか、店先にいた女将さんと思しき女性に、しばし、インタビュー。
「あちらこらちの古墳をめぐっているんですが、方墳としては、なかなか立派な古墳だと思います。古墳にはいろんな名前が付けられていますが、中曽根親王塚古墳の名前の由来をご存知でしょうか?」。
「よくは知りませんが、この辺りは、以前、中曽根と呼ばれていたそうですので、それから付いた名前ではないでしょうか」。
「中曽根という地名が由来。誠に分かり易い由来です。有難い情報です」。

「中曽根」について:
1)「地名は地形から」の<原則>に従い、地形の「曽根(そね)」について調べてみた。
・河川沿いの微高地(自然堤防)
・扇状地の端で砂地のところ
・地味の悪い痩地、或いは、その荒地を開墾した地

2)「名字は地名から」の<原則>に従い、名字の「中曽根」について調べてみた。
①長野県飯山市中曽根発祥。南北朝時代に「中曽禰」の表記で記録のある地名。
②長野県東御市和曽根(旧:中曽根)発祥。戦国時代に「中そ禰」の表記で記録のある地名。長野県千曲市力石での伝承。
③群馬県高崎市上里見町での伝承。
④山梨県笛吹市付近(旧:八代郡)の中曽根から発祥。
⑤仲宗根の異形。沖縄県国頭郡本部町渡久地では1947年に仲宗根姓から改姓。

ずばり、②の通り、この地発祥の名字があった。
因みに、中曽根親王塚古墳付近の現在の住所は「東御市和」である。

「親王塚」について:
全国で「親王塚」と名づけられた古墳が散見される。
・阿保親王塚古墳(兵庫県芦屋市)/平城天皇の皇子で、在原業平の父、阿保親王(あぼしんのう)の墓所とされる。
・親王塚古墳(愛知県春日井市)/宗良親王あるいは護良親王の遺品を埋葬したとの伝承をもつ。
・小田中親王塚古墳(石川県鹿島郡中能登町)/崇神天皇の皇子、大入杵命の陵墓といわれている。

中曽根親王塚古墳の「親王塚」の由来は何処から来ているのであろうか?
森将軍塚古墳は、中国で5000人から6000人の兵を従える武将を「将軍」と称したことから、それくらいの勢力を有した豪族の墓ということで「将軍塚」と名づけられたという。
そうしたことから演繹すると、天皇の嫡出皇子に対する称号の「親王」ではなく、中央政権と深い繋がりをもった地方豪族が許しを得て、地方豪族の嫡出男子の称号としたのかもしれない。

方墳について:
方墳の有名どころをここで整理しておきたい。
・大成古墳(島根県安来市)/3世紀後半、1辺60m、最古の方墳
・造山古墳(島根県安来市)/3世紀後半、1辺60m、最古の方墳
・桝山古墳(奈良県橿原市鳥屋町)/1辺85m、5世紀前半、(宮内庁治定)第10代崇神天皇皇子の倭彦命の墓「身狭桃花鳥坂墓」、方墳としては全国第1位の規模
・春日向山古墳(大阪府南河内郡太子町)/7世紀前半、辺長63m×60m、(宮内庁治定)第31代用明天皇陵「河内磯長原陵」
・山田高塚古墳(大阪府南河内郡太子町)/7世紀前半、辺長63m×56m、(宮内庁治定)第33代推古天皇陵「磯長山田陵」
・赤坂天王山古墳(奈良県桜井市倉橋)/7世紀前半、東辺46.5m×西辺47m×南辺43.2mx北辺50.5m、第32代崇峻天皇の墓との説がある
・石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村)/7世紀前半、墳丘は喪失、横穴式石室が露出、蘇我馬子の墓との説がある、上円下方墳との説もある
・龍角寺岩屋古墳(千葉県印旛郡栄町)/7世紀前半、1辺80m、方墳としては桝山古墳に次ぎ、全国第2位の規模

関東地方の方墳+中曽根親王塚古墳についてもここで整理しておきたい。
・龍角寺岩屋古墳(千葉県印旛郡栄町)/上述の通り、7世紀前半、1辺80m、方墳としては全国第2位の規模・・・探訪済み
・駄ノ塚古墳(千葉県山武市附)/7世紀前半、1辺60m
・宝塔山古墳(群馬県前橋市総社町)/7世紀末、東辺54.5mx西辺51.2mx南辺49mx北辺42m・・・探訪済み
・蛇穴山古墳(群馬県前橋市総社町)/7世紀末、1辺39m・・・探訪済み
※中曽根親王塚古墳(長野県東御市和)/5世紀後半、1辺40m

ガーデンショップの女将さんに国道18号線から大屋駅への目印を尋ねた。
「左にTSUTAYAが見えたら、次の信号を左へ」の答えを貰い、礼を述べ、中曽根親王塚古墳を出発、しなの鉄道大屋駅へ。

フォト:2018年5月13日

(つづく)
[PR]

by ryujincho | 2018-05-14 23:52 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


<< 『信州史跡めぐり&宴の旅/大屋...      『信州史跡めぐり&宴の旅/北国... >>