龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ
2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/北国街道海野宿』 sp-21

5月13日(土曜)、曇りのち雨。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
三日目。

この日の探訪先は、北国街道海野宿と中曽根親王塚古墳。
天気予報は、曇りのち雨。
雨は昼前には降り始める模様。

ポタリングはしたい、雨には極力濡れたくはない、雨が降り出すのは昼前頃、これらを勘案し、往路/上田駅前→探訪先自走、帰路/大屋駅→上田駅輪行とする。

7時半、宿を出発。
千曲川右岸を走り、しなの鉄道大屋駅に至る。
空は雲が立ち込めつつあるが、まだ、雨の気配はない。
雨が降る前に”今日の jitensha @大屋駅”をカメラに収める。
a0289546_11361211.jpg

中曽根親王塚古墳は大屋駅の北側を通る国道18号線沿いを東へ1kmくらい走ったところにある。
北国街道海野宿は、このまま東へ1kmくらい走ったところにある。
海野宿、中曽根親王塚古墳の順にめぐり、大屋駅に戻ってくることにし、大屋駅から東へ向け、出発する。

「北国街道 海野宿」。
ここは西の入り口。
海野宿を訪れるのはこれで三度目だが、最初と二度目は東の入り口から入ったので、様子が異なる。
a0289546_17435777.jpg

海野宿を西から東へゆっくりと走る。
記憶にある家並みが現れた。
a0289546_17455894.jpg
a0289546_17465898.jpg
a0289546_17473568.jpg

前回、海野宿を訪れたのは10年前であったと記憶。
そのときと何ら変わらない、落ち着いた町並みである。
この町並みの特徴のひとつである用水路は、10年前と同様に、清らかな水が流れている。

a0289546_18042026.jpg
a0289546_18063592.jpg
a0289546_18070396.jpg
a0289546_18074770.jpg
a0289546_18081551.jpg

「蠶種製造業 蠶児飼育所 蠶製造所 昇國館 冨士屋」。
a0289546_18091413.jpg

「蠶」は「蚕」の旧字体であることは容易に想像はつく。

漢字のベンキョー。
--------------------------
「蠶」
「蚕」の旧字体
部首 虫(むし・むしへん)
画数 26画
音読み さん
訓読み かいこ、こ
漢字の構成 兂 兂 日 虫 虫
----------------------------

前夜、上田の居酒屋で”反省会”。
その店のフロア・スタッフは信州大学繊維学部の学生たちであった。
蚕の勉強をしている学生さんもいた。

学生さんに代わって、蚕種製造業について、ここで触れておきたい。
・蚕種(さんしゅ)製造業とは、蚕の品種改良および蚕種紙(さんしゅし)の製造を行うと共に、養蚕農家への蚕種紙の販売、蚕の飼育法の指導も行う。
・蚕種紙とは、蚕紙(さんしゅし)・蚕卵紙(さんらんし)ともいいい、蚕の卵である蚕種が産み付けられた紙を指す。
・蚕種製造業には、多くの資本投下、知識集約が必要であったため、いわゆる名望家層、豪農層から転じて専業化したものが多かった。
・戦後は蚕業の衰退とともに数を減らし、今では国内にわずかに数業者が存在するのみとなっている。

前々夜、戸倉上山田温泉での酒宴の席で、信州の盟友、大給守さんが「海野宿へ行ったら、養蚕博物館に立ち寄ってみてください」との話があった。

海野宿の街道筋を注意深く見てみたが、「養蚕博物館」そのものも、案内表示も見当たらない。
まだ、8時半過ぎであったが、海野宿歴史民俗資料館の扉が開いていた。
声を掛けたところ、婦人が現れた。
「ちょっとお聞きしますが、養蚕博物館は何処でしょうか?」。
「養蚕博物館ですか?養蚕博物館というのは聞いたことがありませんね。民俗資料館の中にも養蚕に関係した展示をしています。上田で蚕を数十匹、買って来て育てています」。
海野宿歴史民俗資料館入り口に掲示されている館内案内図を見ると、確かに、養蚕のコーナーが図示されている。
「そうですか、養蚕博物館はご存知ないですか...。先ほど、筋向いで『蚕種製造業 昇國館 冨士屋』という看板を見ました。この辺りは、蚕種の製造をやっていたんでね。時間の都合もあるので、資料館の見学は次回とさせて貰います」。

後刻、大給守さんに「海野宿で養蚕博物館は見当たらず」とメールで伝えたところ、「グーグルマップのストリートビューにて、海野宿を確認しました。『富士屋』の屋号看板を出しているお宅の、左隣の家が矢島家で、裏に養蚕博物館があります。矢島家母屋は富士屋看板のお宅の道、用水を挟んだ対面の、大木戸風の門のある家です。養蚕博物館の表示はありませんね。ゴールデンウィーク中はオープンしていたのですが、今は閉館中のようです」との返信があり、我らが眺めていた、殊のほか、立派な家がそれで、"当たり!"であったのだ。

民俗資料館のおばちゃんは、養蚕博物館を知らなかったのか、そこまで気が付かなかったのかもしれず、養蚕博物館は私的な博物館なのかもしれない。
養蚕博物館があるとは認識していなかったが、前掲の写真の通り、養蚕博物館のお宅の表をしっかりとカメラに収めており、見落としてはいなかったのであった。

地面にカメラを置いて、一枚。
ロー・アングル好きの、加藤泰監督風に。
a0289546_18323271.jpg

マンホール・コレクション。
a0289546_18380820.jpg

マンホールに「とうぶ」と刻まれている。
2004年(平成16年)、小県郡東部町と北佐久郡北御牧村が合併し、東御市が発足。
マンホールに刻まれた「とうぶ」は、旧・東部町の名残りである。
各地の市町村合併で、由緒正しい令制国以来の「郡」の名(今回の例でいえば、小県郡・(北)佐久郡)が消えていくことは残念なことと思っているが、東御市は「とうみ」という音感が心地よく、この新しい名前は好ましく思っている。

マンホール写真を撮り終わったとき、ぱら、ぱらっと雨が降って来た。
雨に濡れるのはいやだ。
次の探訪先、中曽根親王塚古墳はギブアップし、このまま、大屋駅へ向かおうかと思った。
しかし、折角、ここまで来たことでもあるし、今回の信州史跡めぐりの旅は、千曲市の森将軍塚古墳に始まったことでもあり、東御市の中曽根親王塚古墳で〆ると、古墳に始まり、古墳に終わり、落ち着きがよいと思い、中曽根親王塚古墳へ向かうこととした。

フォト:2018年5月13日

(つづく)






[PR]

by ryujincho | 2018-05-14 23:51 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


<< 『信州史跡めぐり&宴の旅/中曽...      『信州史跡めぐり&宴の旅/上田... >>