龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/国分寺』 sp-19

5月12日(土曜)、晴れ時々薄曇り。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
二日目。

信濃国分寺跡・国分尼寺跡を見学。
続いて、その北にある後継寺院の国分寺へと向かう。

信濃国分寺。
宗派は天台宗。
本尊は薬師如来。
山号・院号はないが、江戸時代には「浄瑠璃山真言院国分寺」と号したとのこと。
「八日堂」の別称があるとのこと。

寺標「八日堂 信濃国分寺」と仁王門。
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参道を進む。
正面に本堂が見えて来た。
右手に三重塔が見える。
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早速、龍コレクション。
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三重塔。
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重要文化財(旧国宝)
信濃国分寺三重塔
全高20.1メートル
信濃国分寺は平安末期現地に移ったと考えられ、源頼朝公発願と伝えるこの塔内に建久8年の墨書があったとされるが、様式上、室町中期の建立と推定される。
明治40年、国宝に指定され、昭和7年から同8年にかけて全面解体修理が行われた。
外観は軒反が強く壮麗で一部唐様のほか和様式であり、内部は四天王柱上の台輪や内外陣の詰組など純唐様式で、仏像は金剛界大日如来の木像である。
上田市教育委員会
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「源頼朝公発願」とある。
源頼朝や北条一族は善光寺を信仰し、諸堂の造営や田地の寄進を行ったことなど、頼朝と信濃国の関わりはいろいろある。

鐘楼。
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本堂(薬師堂)。
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長野県宝 信濃国分寺本堂
国分寺本堂(薬師堂)の建立は、文政12年(1829)に発願され、天宝11年(1840年)に起工し、万延元年(1860)に竣工しました。
本堂再建は発願から完成まで実に31年の歳月を費やした大事業で、11冊におよぶ「信濃国分寺勧進帳」(上田市指定文化財)や、柱、梁、扉をはじめ、屋根の瓦に至るまで刻まれている寄進者の住所氏名などに、当時の勧進の苦心が偲ばれます。
本堂は、柱間1間を8尺(約2.4m)にとる桁行6間、梁行4間の入母屋造、妻入の建物です。
外観は善光寺本堂のように母屋のまわりに1間の庇(低い屋根)をつけているので、2階建てのように見えます。
内部は前側の外陣(参詣の空間)と、奥の内陣(仏の空間)にわかれ、内陣の両脇と背後の1間通りは入側(僧侶の通路)となっています。
内陣には薬師如来を本尊として、日光菩薩、学校菩薩及び十二神将を安置しています。
建立に携わった職人は、大工棟梁が佐久耳取村(現小諸市)の田島喜平、彫工は地元上沢出身の竹内八十吉で、瓦師は三河から招かれていたことが記録されています。
本堂は近世の堂としては東信地方最大の建造物で、同拝の彫刻にみられる鋭い彫りや、虹梁の複雑な絵様などに江戸時代末期の特徴がよくあらわれています。
平成9年2月20日指定
長野県教育委員会
上田市教育委員会
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本堂は「県宝」となっている。
「県宝」という言葉は初めて知る言葉である。
前掲の三重塔は「重要文化財(旧国宝)」となっている。
重要文化財とは、1950年制定の文化財保護法にいう有形文化財で、文部大臣が重要と思うものとして指定したものであり、そのうち、特に優秀で文化財史的意義の深いものは国宝に指定される。
因みに、文化財保護法施行以前の旧法では、「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」と称されていた。
日本の地方公共団体(都道府県、市町村)においては、それぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財を「県指定重要文化財」、「市指定重要文化財」等と称する場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国が指定した有形文化財のことを指す。
となると、「県宝」は、長野県指定の重要文化財という意味であろうと思い、念のため調べてみた。
長野県教育委員会のHPに掲載されている「文化財情報(国・県指定等文化財)一覧」の「県指定/県宝/建物」の項に「県宝(建物)/寺院建築/国分寺本堂」とあるので、「県指定重要文化財」の長野県独特の呼び方と理解したい。

本堂の説明の中に「瓦師は三河から招かれていたことが記録されています」とある。
信濃国分寺跡・尼寺跡は、平安時代の大修理で、近くに瓦窯をつくり対応したが、この(新)信濃国分寺本堂では、日本三大瓦である三州瓦、淡路瓦、石州瓦のうち、三州瓦が使われたのかもしれない。

本尊は、小生の大好きな薬師如来。
懇ろにお参りした。

石碑「真田徳川会見之地」。
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真田徳川会見之地とは?
特に、説明書きはない。
真田、真田と騒ぐ上田市ではあるが、説明書きがないのは不思議。
上田市教育委員会は、「真田徳川会見之地」とだけ言えば、誰でも知っていると思っているのかも知れない。
ネット検索してみた。
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上田城下から少し離れた場所にある信濃国分寺は、戦国時代にも有名になった場所です。
慶長5年(1600)の第二次上田合戦の時、上田城に籠る真田昌幸と徳川軍(東軍)についた、昌幸の長男、真田信之(信幸)とその義弟、本多忠政が会見した場所がこの信濃国分寺です。
城を明け渡す準備をするので少し待ってほしいと申し出る昌幸、幸村。
しかし、数日後、再び国分寺を訪れた昌幸は、戦の支度ができたので一戦交えるべしと東軍を挑発。
そのまま、第二次上田合戦につき進む事になったのですが、その切っ掛けの場所がこの信濃国分寺です。
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信濃国分寺跡と後継寺院の信濃国分寺の見学を終え、上田駅前の宿へ向かう。
来た道である、国道18号線、剣道41号線は車道、歩道とも狭く、走りたくない。
千曲川左岸を走り、宿へ帰ることにした。
信濃国分寺公園の北ゾーンと南ゾーン連絡通路を jitensha を担いで通り抜け、しなの鉄道の南側へ。

信濃国分寺跡の南ゾーンの周辺は住宅地。
先ずは千曲川右岸を走り、一番最初に現れた橋を渡り、左岸に出るという算段で、住宅地内の細い道を走る。
住宅地内の三叉路に至る。
三叉路に立つ標識は何れの方向も「この先、行き止まり」の表示。
山男の南国守さん、兎に角、右へ行きましょうと。
山男の勘が当たり、「行き止まり」はなく、そのまま走り、立派な橋の袂に出た。
橋の名は「小牧橋」、しなの鉄道、北陸新幹線、千曲川を跨ぐ橋。
橋を渡り、千曲川左岸に出る。

この日の午前中は、千曲川市から上田市まで千曲川左岸を遡って来たが、今度は流れに沿い、下る番。
川は人間の習性上、いや、小生の習性からして、下る方が落ち着く。
小牧橋のひとつ下流の常田新橋をやり過ごし、上田橋まで走り、右岸へ渡る。
上田橋は午前中、渡った橋である。
午前中は下流側を眺めたので、今度は上流側を眺める。
上流側の赤い鉄橋は上田駅と別所温泉駅を結ぶ上田電鉄別所線の鉄橋である。
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宿で一服。
窓からの景色を眺める。
先ほど、渡った上田橋とその手前に赤い上田鉄道の鉄橋が見える。
明日の天気は、曇りのち雨。
明日の予定は、北国街道海野宿と中曽根親王塚古墳探訪。
午前中だけでも天気がもってくれればと願う。

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夕餉と本日の反省会を兼ねて、上田市内の居酒屋へ出動。
今回の旅の企画段階で、信州の盟友、大給守さんに上田市内によい居酒屋はないか問い合わせた。
以前、大給守さんが通っていた居酒屋はなくなり、跡地にマンションが建ち、その1階に”S”という居酒屋が出来ているという。

居酒屋”S”へと向かう。
途中、飯島商店に立ち寄る。
みすず飴を試食。
以前、ジャムを溶かした詰めたいジュースを飲ませて貰った記憶があるが、それはなかった。
飯島商店のジャムは美味い。
容器の瓶が重い。
今回はみすず飴で我慢。

居酒屋”S”に入る。
鄙には稀な(といっては失礼か。上田市は、長野市、松本市に次ぐ長野県下3番目の規模の都市。その昔、国府が置かれたところだし)小洒落た店である。
我々が入店したときにはカウンターに2、3人であったが、次々と客は来店、テーブル席も小洒落た小上がりも直ぐに埋まった。
客層は若い男性に若い女性が多く、GGは我らだけであった。
飲み物と料理を注文。
フロアの男性スタッフは、皆、今様にいえば、イケメン。
「あなたは信州大学の繊維学部の学生さんですか?」と武衛さんが声を掛けた。
「そうです」。
「ES法というのを知っていますか?」。
「ES法という言葉は知っていますが、詳しくは知りません。自分は蚕を生物として捉える勉強をしていますので」。
フロアの男性スタッフは3人いた。
次のスタッフにも同様の質問を。
やはり、信州大学の繊維学部の学生さんで、蚕を専門としていた。
3人目の学生さんはES法を知っていた。

信州大学のキャンパスは、松本、長野、伊那、上田に分かれており、武衛さんと学生さんの会話で、上田には繊維学部があることを知った。

ES法とは何ぞや?
後刻、武衛さんに解説して貰った。
・ES法とは、エレクトロ・スピニング(ES)法のこと。
・シリンジに入った高分子溶液とコレクタ電極間に高電圧を印可することで、シリンジから押出された溶液が電荷を帯び、細かな繊維となってコレクターに付着する微小繊維製造方法である。
・この方法により、サブミクロンからナノの直径を持つ繊維を製造することが出来る。
・1930年代に報告された技術であるが、最近になってナノテクノロジーの台頭とともに注目を浴びてきている紡糸技術である。

ふむ、なるほど。
武衛さんは、信州大学にこの方法で繊維を作る研究者がいることに注目していたので、信大アルバイト学生に話題にしたとのこと。
絹も大事、ナノ繊維も大事、信州大学繊維学部の若者たち、頑張れ!

居酒屋を出て、宿に向かう。途
中、南国守さんから「ラーメンを食べよう」との提案あり。
塩分控えめの生活を送っているので、長らく、ラーメンを食っていない。
<禁>を破って、ラーメン店に入る。
学生と思しきアルバイトさんが数人いる。
「あなた方は信州大学の学生さんですか?」。
「そうです」。
「さっきの居酒屋も信州大学の学生アルバイトでした」。
「何処の店ですか」。
「”S”という店」。
「知らない店です」。
「”S”のアルバイトさんは、皆、イケメン。ここはラーメンだけど」。
酔った勢いでつまらん駄洒落を言うてしまった。
外国人のアルバイトさんもいた。
「あなたは何処の国から来られましたか?」。
「スリランカです」。
スリランカは10年余、南国守さんが駐在していた地。
「学生さんですか」。
「語学の勉強をしています。日本の大学へ行きたいと思っています」。
「大学で、何を勉強したいですか」。
「観光学を勉強したいです」。
「頑張ってください」。

居酒屋とラーメン店で、上田市の一面が分かったような気がした。
頑張れ、若人!

明日は北国街道海野宿と中曽根親王塚古墳。
明朝、朝の天気予報を参考にして、自走、輪行などを検討することにした。

フォト:2018年5月12日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-05-14 23:49 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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