龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/信濃国分寺跡・国分尼寺跡(二)』 sp-15

5月12日(土曜)、晴れ時々薄曇り。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
二日目。

信濃国分寺跡・国分尼寺跡。

相当に期待していたのだが、少々、期待外れであったので、前第14話では、先に<文句垂れの巻>を綴った。

この第15話では、機嫌を直して、信濃国分寺跡・国分尼寺跡見学の巻を綴りたい。

国分寺と国分尼寺は幾らか距離を開けて建立されているのが通常であるが、信濃国分寺と国分尼寺は隣接して建立されており、これは珍しい事例である。

通常、国分寺跡・国分尼寺跡の見学は、南側の南大門跡からスタートするのが通例である。
しかし、信濃国分寺跡・国分尼寺跡は、北側に国道18号線が通っていることから、北側が入り口となっており、北から南の順で見学するという、特異なケースとなっている(往時の官道が何処を通っていたかまではまだ調べきれていない)。
加えて、史跡の真ん中を鉄道が横切っており、線路を挟んで、北側ゾーンと南側ゾーンに分断されているという、これも特異なケースとなっている。

よって、北から南の順で見学していくこととする。

僧寺伽藍配置。
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僧坊跡。
これまでに見て来た国分寺跡では、僧坊は講堂の北側にあり、これが<標準的配置>である。
一方、信濃国分寺跡では、僧坊は東側に設けられている(配置図参照)。

講堂跡。
北側から見た講堂跡。
(手前の敷石の道は回廊跡ではなく、単なる通路)
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北西角から見た講堂跡。
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金堂跡。
北から見た金堂跡。
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北西角から見た金堂跡。
南面、南西角(写真、右上)を線路がかすめている。
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線路の南側を眺める。
中門跡と回廊跡と思しき礎石が見える。
後ほど、見学。
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塔跡。
北側から見た塔跡。
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北西角から見た塔跡。
金堂跡と同様に、南面、南西角(写真、右上)を線路がかすめている。
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塔跡から、西側を眺める。
手前のコンクリート敷きは、東側回廊跡。
奥、左の金網のところが線路、その右のコンクリート敷きのところが金堂跡、その右の木が一本生えているところが講堂跡。
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西側の国分尼寺へ向かう。
各地の国分寺(僧寺)と国分尼寺は少し距離を置いて(少なくとも数百メートル)建立されているが、信濃国分寺と国分尼寺は隣接しており、これは珍しい事例である。

僧寺と尼寺が並んでいる様子はこの案内図でよく分かる。
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僧寺と尼寺の間の”空き地”は10数メートルであろう。
なお、いうまでもないことであるが、何処の国分寺、国分尼寺でも同様だが、いずれも築地塀で囲まれており、それぞれ独立した寺域となっている。

僧寺と尼寺の間の”空き地”。
白い建物は千曲市立信濃国分寺資料館。
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ちょうど、しなの鉄道長野行きが通過。
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尼寺跡の北側の「カバンの藤」。
「カバンの藤」については、続編で。
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尼寺跡。
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北門跡。
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北西角から見た北門跡。
北門跡の南面、南西角(写真、右側)を線路で削られている。
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尼寺の北側で見事に花を咲かせている「カバンの藤」をゆるりと鑑賞。
「カバンの藤」の詳細については、続編にて。

南側ゾーンへ行く前に、上田市立信濃国分寺資料館に立ち寄る。
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受付スタッフさんとしばし会話。
会話の内容は前第14話の<文句垂れの巻>、いや、<苦言の巻>で縷々述べた述べたので、詳しいことはここでは割愛するが、ひとことで言えば、こちらが投げかけた話に対し、ピリッとした対応ではなかったということで、興醒め。
よって、館内の展示は見学せず、ロビーの展示を軽く見学。

「上田市立信濃国分寺資料館」。

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上田市立信濃国分寺資料館
今から約1200年前、聖武天皇の発願によって、各国ごとに国分寺(僧寺と尼寺)が建てられました。
この国分寺は国家の繁栄と幸福を祈ることを目的とした国の寺(官寺)であります。
昭和5年11月、国の指定を受けた信濃国分寺跡は、上田市が国・県の指導を得て、昭和38年から昭和46年にかけて大規模な学術調査を実施しました。
その結果、僧寺と尼寺の規模と全容が明らかにされ、さらに窯跡(瓦を焼いた窯)跡まで発掘されるという成果を得ました。
その間、昭和43年3月にはこの一帯が国の追加指定を受け、国分寺史跡公園として整備を重ねて今日に至ったものであります。
この信濃国分寺資料館は、その発掘調査によって出土した信濃国分寺関係資料を中心として、上田小県(ちいさがた)地方の原始・古代から平安時代に至る資料を一堂に展示し、この地方の歴史を学ぶ場としたいとの願いをこめて建設されたものであります。
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国分寺址・国分尼寺址分布図。
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「信濃」をアップで。
八葉複弁蓮華文軒丸瓦。
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瓦について調べたところ、信濃国分寺跡の発掘調査で、創建期の瓦が出土しているという。
国分寺・国分尼寺の瓦の多くは、山田寺系、川原寺系のいずれであり、それにつても調べたところ、東大寺の軒丸瓦に似ているとあった(小生としては、この答えに納得し兼ねるところあり、と申し上げておこう)。

線路下の通路を通り、北側ゾーンから南側ゾーンへ。
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フォト:2018年5月12日

(つづく)






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by ryujincho | 2018-05-14 23:45 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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