龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/信濃国分寺跡・国分尼寺跡(一)』 sp-14

5月12日(土曜)、晴れ時々薄曇り。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
二日目。

戸倉上山田温泉から、千曲川左岸サイクリングロード(一部、一般道)を自走し、上田に到着。
昼餉は、手打ち蕎麦の「刀屋」で、極太の量的にも大満足な、ざるそばを頂戴する。
蕎麦パワーを充填し、元気いっぱいで、上田市内の史跡めぐりに出動。

数年前から、史跡めぐりの相棒、武衛さんと、国府跡、国分寺跡・国分尼寺跡、総社、これら三点セットでめぐることをテーマとして来た。
これまでに、常陸国、上総国、下総国、上野国、下野国、武蔵国、相模国、伊豆国、播磨国、讃岐国、筑前国などを探訪した。
今回は、その一環で、上田市内にある信濃国分寺跡・国分尼寺跡と信濃国総社をめぐることとなった。
信濃国府の所在地は不明なので、信濃国総社の探訪を以て国府跡も探訪したことにする。

信濃国総社である科野大宮社を探訪の後、信濃国分寺跡・国分尼寺跡へと向かう。
県道141号線を走り、国道18号線に合流。
どちらの道も車道が狭く、jitensha で走るには難儀な道。
歩道を走ろうとするが、歩道は溝の上に作られた、あの凸凹の歩道で、これも走るのが難儀。
やっぱり、千曲川を渡り、左岸を走るべきであったかと反省しながら、そのまま走り続け、信濃国分寺跡史跡公園に至る。

信濃国分寺跡史跡公園。
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入り口に掲示された「信濃国分寺跡史跡公園周辺の観光案内図」。
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楽しみにして来た信濃国分寺跡・国分尼寺跡なので、最初から文句を垂れてはいけないと思うのだが、垂れておこう、いや、文句ではなく、格好良くいえば、苦言を呈しておこう、であろう。

文句垂れ、いや、苦言は、見学開始前に感じたこと、見学中に感じた、それら全てをこの冒頭に書き出しておこう。
なお、信州の盟友、大給守殿に、これらのことを伝えたところ、「上田市のため、是非、よろしく。改善のヒントとなるでしょう」との応援メッセージも貰ったことでもあり、遠慮なく書かせていただこう。

苦言その1:
案内図の北が左、南が右となっている。
北は上、南は下というのが、地図や案内図の常識であろう。
時折、東西南北を、上下左右、無視して作られている案内図を見掛けることはある。
それは大目に見るとしても、こちらの案内図は国分寺と国分尼寺の伽藍配置を示す図でもある。
国分寺と国分尼寺は、先ず、南大門から始まる。
南大門は南にある。
よって、北を上に、南を下にして案内図を作れば、方角と伽藍配置が一致し、誠に気持ちのよい案内図となるのだが、南北を左右にされてしまうと、国分寺跡・国分尼寺跡好きの人間にとっては、我慢ならん!ということになるのである。

ということで、90度回転させ、北が上に、南が下になった案内図をここにアップロードしておこう。
まことに見易い案内図となった。
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苦言その2:
案内図に「JR信越線」とある。
この案内図は相当、昔に作られたもののようだ。
現在、軽井沢/長野間は第三セクターの「しなの鉄道」である。

国分寺跡・国分尼寺跡の真ん中を横切るように鉄道が敷かれている。
これについて、文句をいうつもりはない。
史跡好きの者にとっては、信濃国分寺跡・国分尼寺跡は可哀相であると思うくらいである。

信越線の歴史を紐解くと、官設鉄道として、1888年(明治21年)に軽井沢/上田間が延伸開通している。
以後、いろいろな変遷を辿り、1997年(平成9年)、軽井沢/長野間はJR東日本から第三セクターの「しなの鉄道」に引き継がれた。
今なら史跡保存を優先するであろうが、明治の頃は鉄道敷設優先であったことは否めず、線路が国分寺跡・国分尼寺跡を横切っていることは止むを得ないことと思わざるを得ない。

苦言その3:
史跡に北側に幹線道路の国道18号線が通っており、国道に面して「上田市立信濃国分寺資料館」が設けられていることから、北側が史跡の入り口となっている。
しかし、国分寺と国分尼寺の伽藍は、南から北に、南大門、中門、金堂、講堂が配置され、中門から講堂をつなぐ回廊があり、東西に鐘楼と経蔵、多くは東に塔という伽藍配置で、入り口はあくまでも南である。
そのことを強調するように、案内図や説明板に織り込むべきである。

因みに、我々は北から見学し、「しなの鉄道」下に設けられた連絡通路を通り、南側も見学した。
そこで見た案内図は、北を上に、南を下にした配置となっており、我々の満足のゆく作りとなっていた。
上田市の<名誉>のために、その案内図をここにアップロードしておこう。
この図は、上田市教育委員会による平成30年3月1日付けの説明文が掲示された説明板に添えられていたものであり、日付からして、最新版である。
こうしたものを北側の入り口に掲げておれば、ベストである。
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苦言その4:
「国分寺史跡公園」と称されている。
史跡と史跡公園では、所掌官庁も予算も別のものであると理解している。
しかしながら、この「国分寺史跡公園」は、史跡そのものを理解していないのか、史跡としての整備がよろしくない。
例えば、礎石。
オリジナルの場所にあるものはそのまま保存・・・これがベストである。
オリジナルの礎石であるが、伽藍域内の別の場所に置いてある・・・これも許される。
ところが、この「国分寺史跡公園」では、庭石と思しきものがあちらこちらに置かれており、礎石なのか、庭石なのか紛らわしいこととなっている。
次に、回廊跡。
細く、コンクリートが打設されたり、或いは、敷石が敷かれているところがある。
回廊跡を示しているのかと思いきや、史跡公園内の、単なる道なのである。
と、思いきや、或る場所では、回廊跡を示しているところもある。
回廊跡なのか、単なる道なのか、はっきりと仕分けをして欲しいものである。

苦言その5:
上述の通り、史跡内を線路が横切っている。
線路の下に通路が設けられ、南北の行き来ができるようになっている。
しかし、史跡公園内に「連絡通路はこちら」の標識は立っていない。
案内図にもその表示はない。
お粗末である。
なお、連絡通路入り口の頭上にはこんな表示があった。
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苦言その6:
上田市立信濃国分寺資料館の受付スタッフに覇気がない。
北側ゾーンをめぐって、資料館へ。
礎石と庭石のことを話したら、ふにゃふにゃと何を言っているか分からない返事。
回廊跡と道のことを話したら、やはり、ふにゃふにゃと何を言っているか分からない返事。
資料館の展示物の中で、これは必見というものはありますかと問うても、ふにゃふにゃと何を言っているか分からない返事。
学芸員さんを呼んで欲しいと言おうかと思ったが、学芸員はいませんという答えだったら、最悪と思い、敢えて聴かず。
信州の盟友、大給守さんから当館の元・館長さんの名前も聞いており、学芸員さんとの会話の中で元・館長さんの名も出せば、盛り上がるだろうと思ったが、その楽しみも敢えてなしとした。
「南側のゾーンへ行くには、外の踏み切りを渡っていくんですか?」と問うたところ、「連絡通路がありますよ」と、このときだけは元気な声で、バルコニーから指差し、その場所を教えてくれた。
そもそも案内表示がないのがおかしいと言おうと思ったが、また、ふにゃふにゃした答えであろうから、そのことについては言わず。

文句垂れ、いや、苦言の巻はこれくらいにして、機嫌よく、信濃国分寺跡・国分尼寺跡見学の巻に移ることとしたい。

フォト:2018年5月12日

(つづく)


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by ryujincho | 2018-05-14 23:44 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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