龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/戸倉上山田温泉、朝餉前の荒砥城跡』 sp-10

5月12日(土曜)、晴れ時々薄曇り。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。
二日目。

戸倉上山田温泉。
前夜は、信州の盟友、大給守さんも交えての宴で大いに盛り上がった。
早朝、目が覚める。
朝風呂に浸かる。
宿の近くを早朝散歩。
宿に戻る。
大給守さんが「朝餉前に、荒砥城跡に行きましょう」と。
前夜の宴の際、荒砥城跡を話題にし、久しぶりに行ってみたいと話したことでもあり、大給守さんの提案に、一もに二もなく、賛成!

荒砥城跡のことを話題にしたのは、前日、有明山の尾根に築造された森将軍塚古墳から善光寺平の風景を眺めながら、案内人さんとこんな話をしたからであった。

「あれはいつのことであったか、対岸の高台から今と同じような景色を見たことを思い出しました。NHKの大河ドラマ『風林火山』の頃であったような気がします。大河ドラマの撮影に使われた砦のような造りの場所でした」。
「それは、戸倉上山田温泉の裏の山にある荒砥城跡ですね。。荒砥城は、村上氏の一族、山田氏が16世紀初めに築城。武田氏、上杉氏、屋代氏、真田氏、徳川氏など、さまざまな関わりがあったのち、16世紀の末に廃城となった戦国時代の山城です」。

いつの頃であったかと、調べてみたところ、「2007年(平成19年)の大河ドラマ『風林火山』で、荒砥城跡を佐久海ノ口城に見立てて、武田晴信初陣のシーンを撮影した」とあった。
ということで、2007年以来、11年ぶりの荒砥城跡となったのであった。

大給守さん運転の四輪で、城山を上る。
この城山は、冠着山(かんむりきやま)から千曲川へ向かって伸びる舌状尾根の突端部にある。
この辺りの古墳築造も山城築城も、時代は変われど、その場所は、皆、尾根の先端部であるといえる。
因みに、この尾根には古墳はなく、倉科将軍塚古墳のように倉科氏の鷲尾城の城郭の一部に古墳を使うようなことはなく、山田氏はこの地に一から荒砥城を築城したといえる。

駐車場に車を置き、門の方へと向かう。
前方に男性が歩いている。
当地の管理人さんであった。
「開門は午前9時からなんですけど、今朝はお客さんが早めに来られるような予感がして、早めに来ました」と管理人さん。

今、朝7時過ぎ。
我らは、開門時間のことなど全く頭にないまま<登城>したのであったが、ラッキーであった。
ひょっとしたら、我らが、前夜あるいは今朝、宿で荒砥城跡のことを話題にしたのが管理人さんに聞こえていたのではないか、それとも、宿の人が我らの話を聞き、宿が気を利かせて、管理人さんに連絡したのではないか、いやいや、やはり、管理人さんのいう通り、彼の直感であったのだろう。

荒砥城跡に到着。
荒砥城の本郭は標高590mで、千曲川から比較するとおよそ220mの比高差があるとのこと。

門近くの石碑。
「甦る五百年の歴史 荒砥城 上山田町史跡整備助言委員 森嶋 稔」と刻まれている。
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アップで。
ちらっと見えている、赤いセーターの御仁は大給守さん。
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石碑裏面の碑文。
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荒砥城跡
荒砥城は中世戦国期、地域の衆族、村上氏の支族、山田氏による十六世紀頃築城による重要な山城ある。
〇〇の山城と同様にしてその出自は明確でない。
幾たびかの攻防記録も残されているが、戦国期末には、山田氏から武田方、屋代氏のもの、上杉方〇番衆による交代管理にもなったりした。
天文十一年(一五八三)四月、戦国のならいか、松代の上杉方海津城副将屋代秀正(勝永)は徳川方内通が発覚するや、この山城籠城の上、最後の抵抗を試みている。
だが、しかし、北信濃の諸将の攻撃を受けて〇日にして落城した。
その後は廃城となり、今日に至っている。
平成七年三月吉日
森島 稔 撰
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達筆なので、一部、推測しても判読不能な文字があり、それは〇印にてブランクとしている。

”早朝出勤”の管理人さんに入城料金三百文を支払い、入城券とリーフレットをゲット。
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開門!
入城券販売窓口の近くに掲げられていた「雪景色の門」の写真を借用して。
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二の郭へと進む。
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前を歩く大給守さんと管理人さんの会話が聞こえて来た。
石垣のことで会話を交わしている。
「この石垣の石は、望月の『てっぺいせき』ですね」。
「よくご存知で」。
「あの辺りにちょっとゆかりがあるものですから」。

「武衛さん、『てっぺいせき』って?」。
大給守さんと管理人さんの話に割り込んではいけないと思い、物知りの武衛さんに尋ねた。
「鉄に平な石。鉄平石です」。

鉄平石の石垣をもう一枚。
物事を理解せずして撮った写真と、理解した上で撮った写真では、その写真の重みは全く異なるので。
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鉄平石について。
毎度のウィキペディアでは面白くないので、佐久の某石材店のHPの解説文をここで引用させていただこう。
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鉄平石は長野県の諏訪や佐久地方に広く分布する安山岩で、板状節理を成すため板状に剥がれやすいのが特徴です。
この特徴を活かして様々な厚味やかたちに加工された石材は、 壁、床、庭、塀、時に屋根など、建築用の内外装材として広く利用されています。
色合いは灰色を基調とし、赤、青、黄、緑、茶など。
板状に剥離した鉄平石の表面は平板な中にも凹凸や模様が現れ、陰影によって天然石らしい手触りと表情を見せます。
また、表面を研磨すると色味が変わる特性を持ち、研磨したものは御影石とは異なるしっとりとした風合いを醸し出します。
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確かに、建物の内外装よく見掛ける石材である。
しかし、その名が鉄平石であるとは知らなかった。
また、ひとつ、カシコクなった。

カシコクなったついでに、鉄平石の石垣に咲く季節の花、ツツジをカメラに収める。
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四の郭、三の郭を過ぎ、二の郭に。

二の郭の門。
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鉄平石がやはり気になる。
石垣をアップで。
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鉄平石の特徴である平たい石が主であるが、ところどころに、平たくない、大きめの石が積まれている。
こうすることによって、石垣は平たい石だけよりも強固になるのかもしれない。
石垣を眺めていると、どうしても古墳の葺石を思い浮かべてしまう。
古墳時代からの石積みの変遷の歴史を見るようで、面白い。

ここからは、荒砥城のあれこれはさておき、善光寺平、千曲川、そして、彼方の山々の眺望を楽しむことにする。

二の郭、物見櫓に上る。
南側の眺望。
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北側の眺望。
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ここからは、前日、探訪した森将軍塚古墳が位置する有明山は見えないが、右手に見える善光寺平東辺の山伝いに東へ回り込んだ辺りに有明山は位置している。
正面の彼方に雪山が見える。
前日、森将軍塚古墳から眺めたときは、飯綱山と戸隠山の間に僅かに見えていた雪山だが、ここからはよく見える。
(左/戸隠山、央/雪山(名称不詳)、右/飯綱山の稜線のみ)
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二の郭から本郭へ。
先頭/管理人さん、赤/大給守さん、青/武衛さん、白/南国守さん、影/小生。
赤や青、白、そして、影などと書いていると、荒砥城の砦と相まって、昔、「仮面の忍者 赤影」なる忍者漫画、そして、それを原作とした特撮テレビ映画があったことを思い出す。
どんな番組だったかというと、覚えているのは、少年忍者、青影の、あのポーズ。
手のひらを閉じて、親指を鼻の頭につけて、指を開いて、「だいじょーぶ」というあれである。
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本郭。
南側の眺望。
二の郭の物見櫓、その向こうに、善光寺平と千曲川。
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北側の眺望。

二の郭からの眺望と同様に、正面の彼方に、前日、森将軍塚古墳から眺めたときは、飯綱山と戸隠山の間に僅かに見えていた雪山だが、ここからもよく見える。
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左/戸隠山、央/雪山(名称不詳)、右/飯綱山の稜線。
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左(西)に目を遣る。
木立の間の彼方に、前日、森将軍塚古墳から眺めた北アルプスがよく見えている。
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ズーム・アップ。
前日と眺める角度が違うのだが、前日と同様、白い屏風を広げたが如くである。
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前日の森将軍塚古墳からの眺望図では「北アルプス」とあったが、ここでは「北アルプス連峰」、更に(その北に)「北アルプス 白馬」と明記されている。
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荒砥城の概要、NHK大河ドラマ関連の撮影風景、脚本、撮影予定表などの展示あり。
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赤影、白影、青影の御三方。
「仮面の忍者 赤影」では、バタフライマスク状の仮面を付けていた。
仮面の代わりに、目の辺りにモザイクを。
御三方ともいい表情をなさっており、モザイクを掛けるのはもったいないのだが...。
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時計を見ると8時前。
宿の朝餉は7時45分からであったから、ちょうど、いい時間。
再び、大給守さん運転の四輪で城山を下り、宿に戻る。

もし、大給守さんもポタリングに参加であったなら、jitensha 傾向で、四輪はなく、荒砥城跡へは自走、というより<押し>、帰りは<下りま専科」であっただろう。
だが、多分、荒砥城跡はパスしていたであろう。

大給守さんの四輪があったこと、そして、案内人さんの直感で早朝開門がなされたこと、この二つのラッキーが重なって、荒砥城跡からの眺望を楽しむことが出来た。
感謝!

朝餉をゆるりと頂戴する。

フォト:2018年5月12日

(つづく)


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by ryujincho | 2018-05-14 23:40 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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