龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/千曲市森将軍塚古墳館(上)』 sp-5

5月11日(金曜)、晴れ。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。

千曲市/森将軍塚古墳。
有明山の尾根に築かれた前方後円墳を見学。
尾根の地形に合わせ築造されたため、「くの字」になっているという珍しい形の前方後円墳。
床面積が日本最大と推測されている竪穴式石室。
眼前に広がる、善光寺平、千曲川の流れ、彼方の山々、さらにその向こうに冠雪した北アルプスなどの素晴らしい眺望。
復原された古墳を眺め、案内人さんの話を聞き、説明板を参照し、古墳好きには堪らなくよき時間を過ごした。

千曲市森将軍塚古墳館。
古墳を見学する前に、古墳館で簡単にヨシューした。
次は、古墳を見学した後の古墳館で、この目で見た古墳のあれこれを頭に描きながら、フクシューである。

「千曲市森将軍塚古墳館」。
後背の山は有明山。
その尾根に森将軍塚古墳が見える。
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古墳館2階の展示室へ。

「-集団墓から巨大な古墳へー 森将軍塚古墳の時代」。
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弥生時代には、溝で区画した円形や方形の周溝墓が溝とうし寄り添うように集落の近くに造られていたのです。
古墳時代になると、ひときわ高い墳丘を築いた墓が単独で造られるようになります。
長野県下では、最初に前方後方墳が造られ、次いで、前方後円墳が築かれるようになります。
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年表では、黄色で古墳時代が塗り分けられている。
その右に「主な出来事」の記述がある。
古墳時代の右側には、その前後の弥生時代の末尾と飛鳥時代の冒頭も含め、次の通り記されている。
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239 邪馬台国の卑弥呼が中国に遣いを送る
    
    全国各地に古墳が造られる
    森将軍塚古墳が造られる
    大和政権 国内の統一を進める

504 聖徳太子が17条の憲法を定める
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随分とざっくりした記述である。
「全国各地に古墳が造られる」には「3世紀中頃」と補足しておきたい
「森将軍塚古墳が造られる」には「4世紀末頃」と補足しておきたい。

「主な出来事」の右側の掲載写真。
左/周溝墓 長野市篠ノ井遺跡。
右/前方後方墳 松本市弘法山古墳。
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前方後方墳に興味がある。
前方後方墳である松本市弘法山古墳について調べてみた。
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弘法山古墳(こうぼうやまこふん)
長野県松本市並柳、松本市の南西部、弘法山(標高約 650 m)にある古墳。
東日本最古級の3世紀末築造の前方後方墳。
墳丘長 66 m、前方部幅22 m ・高さ 2 m 、後方部幅 33 m ・高さ 6 m 。
東日本特有の前方後方墳は、前方後円墳に先駆けて出現。
長野県では、弘法山古墳と同時期の4世紀末に、姫塚古墳(長野市篠ノ井石川)が出現。
山梨県では、4世紀中頃に、小平沢古墳(甲府市下向山)が出現。
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弘法山古墳は、最寄り駅のJR篠ノ井線南松本駅から徒歩15分、花見の名所とある。
訪ねてみたい古墳である。

早速、話しが反れてしまった。
森将軍塚古墳に話しを戻そう。

古墳館2階の展示室中央に、後円部の二段墓壙と竪穴式石室が再現されている。
そして、その手前にそれらに関わる説明と石室から出土した副葬品が展示されている。

正面から。
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左から。
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右から。
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二段墓壙と竪穴式をアップで。
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竪穴石室からの出土した副葬品。
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撮影方向を変えて。
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副葬品をアップで。

左/小型丸底土器。
右、上段から/復元した矢、矢じり、復元した鎌。
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直刀、剣、剣。
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硬玉製勾玉、碧玉製管玉。
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右/三角縁神獣鏡(片)、右/三角縁神獣鏡の模型(森将軍塚古墳友の会寄贈)。
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説明書きに目を通す。

「残された副葬品」、「副葬品が語る古墳の主」。
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残された副葬品
古墳時代前期の古墳には、武器(剣・刀・矢)と共に、鎌、ノミなどの農具や工具が副葬されるのが特徴です。
中期以降の古墳では、多量の武器や馬具などが副葬されます。
この二つの土器は小型丸底鉢と呼ばれるもので、当時の政治や文化の中心である近畿地方の影響のもとに作られて土器です。
この科野のクニが、当時、近畿地方をはじめ各地と盛んに交流していたことがわかります。
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副葬品が語る古墳の主
石室内の副葬品は、そのほとんどがすでに持ち去られたようです。
しかし、残された品々から、大和王権と密接な関係を持ち、人々に反映をもららす指導力を発揮した、科野のクニの最初の王の姿をみることができます。
見つかった三角縁神獣鏡片は、中国製の大型鏡です。
大和王権から全国各地の王に、政治的な関係を結んだ証として与えられたといわれる、長野県下で唯一のものです。
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「竪穴式石室に納められた木棺」。
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竪穴式石室に納められた木棺
古墳時代前期の竪穴式石室に納められた棺は、巨木を二つに縦割りにし、内部をくり抜いて合わせた割竹形木棺が主流だといわれています。
森将軍塚古墳の棺は残っていませんでしたが、石室の床が幅広く平坦であることなどから、割竹形木棺ではなかったかと考えられます。
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「竪穴式石室は日本最大級」。
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竪穴式石室は日本最大級
古墳時代の埋葬施設には、竪穴式石室・粘土槨・横穴式石室などがあります。
竪穴式石室は、棺を納めた後、さらに側壁を積み上げ、大きな石などで蓋をして埋め戻す棺の保護施設です。
古墳時代初めの頃から、5世紀代まで用いられています。
森将軍塚古墳の竪穴式石室は、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mの長大なもので、日本最大級の規模です。
床面積の幅が特に広いのが特徴です。
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前期古墳の竪穴式石室の比較
鳥取県 馬山4号古墳 長さ8.8m 面積 7.1m2
奈良県 メスリ山古墳 長さ8.3m 面積10.4m2
静岡県 松林山古墳 長さ8.0m 面積 9.2m2
長野県 森将軍塚古墳 長さ7.6m 面積15.6m2
京都府 椿井大塚山古墳 長さ6.9m 面積 7.6m2
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「後円墳に設けられた埋葬施設」。
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後円墳に設けられた埋葬施設
ひときわ高い後円部の中央には、長大な竪穴式石室が設けられ、森将軍塚古墳の主が埋葬されていました。
この竪穴式石室は、「墓壙(ぼこう)」と呼ばれる二重の石垣で囲まれた長さ15.0m、幅9.3m、深さ2.8mの大きな穴の中に築かれ、石室内には遺体を入れる木棺が納められていました。
墳頂から石室の底までは、約3.5mもあり、手厚く埋葬された様子が伺われます。
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しばらくすると、正面のワイドスクリーンに月が現れ、後円部の上空が明るくなった。

もう一度、左から。
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右から。
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正面から。
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左奥から、墓壙(ぼこう)と石室の間近に。
先ほど、墳頂で、石室の大きさがブロックで示された枠内に南国守さんに立って貰ったので、展示室での実物大の大きさがよく理解出来る(南国守さん、サンキューです)。
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1階から、石室内部の再現が見られるという。
1階へ降り、ガラス越しに見学する。
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こちらは、赤く塗られた石室内の再現。
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説明書きに目を通す。
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赤く塗られた石室
この石積みは、森将軍塚古墳の竪穴式石室の一部を築造当時の姿に再現したものです。
板状の石(石英閃緑岩)は古墳から3kmほど離れた倉科地籍の山から運ばれています。
石室の内部は、真っ赤に塗られていましたが、壁面の赤い顔料はベンガラ(酸化第二鉄)と呼ばれるものです。
棺の周りの床には、当地方にはなく、貴重品であった朱(赤色硫化水銀)がまかれていました。
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板状の石(石英閃緑岩)は「古墳から3kmほど離れた倉科地籍の山から運ばれた」とある。
先ほど、墳頂で、案内人さんが指差して教えてくれた採石場は東隣の山の崖であった。
倉科地籍の山は古墳から北東部に見える山である。
案内人さんは、採石の痕跡を教えてくれるために、例えば、ということで東隣の崖の採石跡を教えてくれたのであろう。

ベンガラ(酸化第二鉄)と朱(赤色硫化水銀)について。

昨年4月、金井東裏遺跡(群馬県渋川市)を探訪し、この遺跡から出土した「赤玉(あかだま)」なる遺物を群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館で見学した。
そのときにベンキョーしたことは次の通りであった。
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・出土した赤玉の大きさは、直径5.5 ~ 8 ㎝、重さ350 ~ 400 gほどのものであった。
・赤玉は、赤色顔料の素材を団子状に丸めたものと考えられる。
・この種のものでは、九州地方で「朱玉(しゅだま)」と呼ぶ円形で扁平なものが知られている他は、全国的に見ても類例の少ないものである。
・赤い色は、古墳時代には神聖な意味があったようで、古墳の石室の壁のほか、土器や埴輪に塗られている。
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4月半ば、九州・遠賀川流域古墳の特別公開日に合わせ、超一級の装飾古墳といわれる王塚古墳(福岡県嘉穂郡桂川町)も含め、6基の古墳をめぐった。
特別公開された王塚古墳の石室の実物は写真で見るほどの色彩感はなかった。
しかし、隣接の王塚装飾古墳館で見た、実寸大で造られたレプリカの石室は、赤・黄・緑・黒・白の5色で描かれた装飾壁画が見事に再現されていた。
王塚古墳の石室はいわば極彩色であったが、古墳の石室で彩色されたものの多くは赤色である。

上述の説明書きに、森将軍塚古墳では「棺の周りの床に、当地方にはなく、貴重品であった朱(赤色硫化水銀)がまかれていた」とある。
これまで数々の古墳の石室の説明書きを見て来たが、棺の周りに朱(赤色硫化水銀)という事例は初めて知ることであった。

硫化水銀とは。
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1.硫化水銀(Ⅰ)。
不安定で、常温の水溶液中でただちに分解し、硫化水銀(Ⅱ)と水銀とになる。
化学式Hg2S
2.硫化水銀(Ⅱ)。
黒色または赤色の固体。天然には辰砂(しんしゃ)として産出し、黒色のものは昇華により安定な赤色の粉末に変わる。
赤色のものは顔料に用い、朱(しゅ)とよぶ。化学式HgS
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因みに、高松塚古墳(奈良県明日香村)の女人像の赤い上衣はベンガラで、帯の赤は朱(赤色硫化水銀,HgS)で彩色されており、2種類の赤色が使い分けられている。
王塚装飾古墳館では、「九州の古墳」と「高松塚古墳」の分類で各種彩色見本が展示されたいた。
その中で、高松塚古墳の項には、九州の古墳と同じ"赤色A"に加え、”赤B”の見本も展示されていた。

更に、説明書きに「貴重品であった朱(赤色硫化水銀)は当地にはなかった」とある。
然らば、何処から持ち込まれたのであろうか。
朱(赤色硫化水銀)の産地について、調べてみた。
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・赤色硫化水銀は、弥生時代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。
・古くは、伊勢国丹生(現在の三重県多気町)のほか、大和水銀鉱山(奈良県宇陀市菟田野町)、吉野川(奈良県/吉野川、和歌山県/紀の川)上流などが特産地として知られた。
・現在では、大分県、熊本県、奈良県、徳島県などで産する。
・因みに、赤色硫化水銀は「辰砂(しんしゃ)」とも呼ばれるが、これは中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことによるものである。
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伊勢国丹生、大和水銀鉱山、吉野川上流辺りから産出されたものが、大和王権を経由して、科野のクニにもたらされたのかもしれない。

先ほどは、墳頂に立ち、案内人さんの話しを聞きながら、森将軍塚古墳を見学し、その前後に隣接の古墳館で数々の展示を見学した。
現場と資料館、両方を同時に見学することが古墳めぐりの"王道"であることを改めて実感した。

この「森将軍塚(Ⅳ)」では、墓壙(ぼこう)と竪穴式石室を中心に綴ったが、数多くの展示物を見学しており、それらについては続編で、"資料編"としてそのあらましを綴ることとしたい。

フォト:2018年5月11日

(つづく)





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by ryujincho | 2018-05-14 23:35 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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