龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 05月 14日

『信州史跡めぐり&宴の旅/森将軍塚古墳(中)』 sp-3

5月11日(金曜)、晴れ。
jitensha を携え、二泊三日の信州の旅。

千曲市/森将軍塚古墳。

下界の資料館「千曲市森将軍塚古墳館」発の見学バスに乗車。
九十九折を登り、有明山の尾根に築造された古墳近くのバス停に到着。

「何時頃、迎えに参りましょうか」と運転手さん。
事前調べのときに古墳館に電話で聞いた通り、送迎は随時なのである。

「30分後」と南国守さん。
「説明を聞きながら、古墳を見学し、景色も眺める。そして、質問もいろいろしたくなる。となると、30分以上は掛かるでしょう」と武衛さんと小生。
案内人さんに「我々は時間は十分にあります。目一杯、説明をいただいたとして、どれくらい必要でしょうか」と尋ねた
「そうですね、40分から50分くらいは必要です」。
「では、運転手さん、迎えは1時間後でお願いします」。

「史跡 森将軍塚古墳」。
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有明山の尾根に築造された前方後円墳。
遂にその姿を間近に見た。
前方部に見学中の小学生の子供たちの姿が見える。
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案内人さんの話を聞く。
古墳を見比べながら。
そして、説明板も見比べながら。
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森将軍塚古墳は、全面発掘調査の結果に基づいて、古墳築造時の姿に復原整備を行いました。
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前方後円墳に代表される古墳は、4世紀に入る頃、近畿地方の有力者たち(大和王権)によって築かれ始めたと考えられています。
古墳の形や大きさは、大和王権と各地の有力者たちとの関係の深さと力の大きさなどによって決まるといわれています。
長野県下で最初の、そして、最大の前方後円墳である森将軍塚古墳は、”科野のクニ”の最初の王者の墓といってもよいでしょう。
古墳は、主がおさめた善光寺平を一望できる、この狭い尾根の上に築かれたので、折れ曲がった形になったと考えられています。
また、尾根を削ったり、土を盛り、形を整え、表面にはこの山から集めた石英斑岩を葺き並べています。
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「狭い尾根に築かれたので、折れ曲がった形」。
前方後円墳は、通常、シンメトリー。
だが、常識に反した、この「狭い尾根に築かれたので、折れ曲がった形」が、是非、森将軍塚古墳を訪ねてみたいと思わせたポイントであったのだ。

俯瞰図。
前方後円墳とその周辺の古墳(倍塚もしくは後の時代の墓ともいわれるものも一部ある)が図示されている。
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図示されいる周辺古墳を読み取ると次の通りである。
・前方部の下(南側)に、4号墓(これは後の時代の墓ともいわれている)と12号墳(これは倍塚ともいわれている)がある。
・後円部の左(西側)に、3号墳、4号墳、10号墳、9号墳、5号墳がある。
・後円部の上(北側)に、8号墳、7号墳、14号墳、13号墳、6号墳がある。
都合11基の周辺古墳(倍塚と推定されるものも含む)と1基の墓(後の時代の墓ともいわれている)が位置している。


水平図、断面図。
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平面図
墳丘長:約100m、前方部幅:約30m、後円部幅:約43m
葺石:約80,000個の石が並べられています。
貼石帯:石を敷き詰め、古墳の形が整えられています。
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断面図
前方部高さ:約4m、前方部/後円部境界高さ:約3m、後円部高さ:約10m
丘尾切断部:古墳は尾根を断ち切り、造られています。
埴輪:約200個の埴輪が並べられています。
竪穴式石室:主の棺が納められています。
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「丘尾切断部」は前方部の裾と尾根の地面の間の箇所に矢印で示されている。
尾根の形状を利用しながら、前方後円墳の形に掘削し、築造していったということであろう。

古墳の種類と大きさ。
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古墳の種類
前方後円墳 円墳
前方後方墳、方墳
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古墳の大きさ
仁徳天皇陵/墳丘部長さ 486m
森将軍塚古墳/墳丘部長さ 100m
クフ王のピラミッド/底辺 230m
始皇陵/底辺 350m
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仁徳天皇陵、クフ王のピラミッド、始皇陵は、いずれも平地に築造されているが、森将軍塚古墳は山の尾根に築造されている。
古墳の大きさの比較もさることながら、この尾根に築造されているということが他の古墳と大いに異なるところであり、その築造場所に感心するのである。

古墳の築造。
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古墳の築造
すべて、人の力で築かれました。
(1日約100人で約550日)
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発掘調査。
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発掘調査
形や大きさなどを確かめる調査がおこなわれました。
(1日約20人で約500日)
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復原工事。
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復原工事
クレーンやトラックなどの機械が使われました。
(1日約10人で約300日)
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「古墳の築造...(1日約100人で約550日)」、「発掘調査...(1日約20人で約500日)」、「復原工事...(1日約10人で約300日)」は、なかなか面白い説明である。
古墳築造の1日100人と復原工事の1日10人は、古墳時代と現代の人口から考えると、古墳築造時の人集めだけでも大変なことであったことが推し測れる。

今一度、説明板の位置から古墳を眺める。
先ほどまで墳頂部にいた小学生の子供たちの姿は消えていた。
築造を終え、作業に携わっていた工人たちがいなくなったような感じである。
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墳丘へと向かう。
先頭、案内人さん、続いて、武衛さん...。
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葺石をアップで。
説明板に「表面にはこの山から集めた石英斑岩を葺き並べています」、「約80,000個の石が並べられています」とあった。
後刻、葺石について、案内人さんから話を聞いた。
それについては、続編にて。
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くびれ部近くで立ち止まって、何か説明を受けている。
急ぎ、そちらへ。
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説明を受けていたのは、これ。
4号埴輪棺。
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説明を聞きながら、説明板にも目を通す。
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埴輪
森将軍塚古墳には、壷の形、壷をのせる台から変化した円筒形、壷と台を組み合わせた朝顔形、家形などの儀礼的なものを型どった埴輪がたくさん並べられていました。
後に、こうした埴輪を棺に再利用した埴輪棺が造られ、4号埴輪棺の付近を中心に12基みつかっています。
組合せ式箱形石棺などと共に5世紀代に造られた、小さなお墓のひとつです。

図、左上/埴輪棺の位置(右側のくびれ部辺り)
図、左下/埴輪棺
図、右/上段:象形埴輪、朝顔形埴輪、壷形埴輪、
図、右/下段:円筒埴輪、土をこねる人、埴輪の形に整形する人
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4月半ば、弥生時代の遺跡、吉野ヶ里遺跡を訪ねた。
その際、甕棺墓群を見学した。
甕棺と埴輪棺の比較学なるものがあるのだろうか?
調べてみたい。

前方部から後円部の流れるような線を眺める。
前方部から後円部へ、ぐぐっと一気に立ち上がっている姿が見事である。
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墳頂へと進む。

フォト:2018年5月11日

(つづく)

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by ryujincho | 2018-05-14 23:33 | 信州史跡めぐり 2018 | Comments(0)


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