2018年 04月 07日
4月2日(月曜)、晴れ。 3月31日から二泊三日の関西行脚。 初日は明日香史跡めぐり。 二日目は京都街歩き&兄弟姉妹会。 三日目のこの日は伏見稲荷大社と岩清水八幡宮へ。 伏見稲荷大社で、参拝、外国人観光客の人気度の<取材>、そして、狐コレクションという所期の目的を達成した。 次は石清水八幡宮。 京阪電車で、伏見稲荷駅から八幡市駅へと向かう。 八幡市駅に到着。 JR稲荷駅、京阪伏見稲荷駅と同様、この駅でも多くの人が降りた。 しかし、外国人観光客の姿はない。 右方向は男山ケーブルカーだが、そちらへ向かう人は少ない。 ほとんどの人は左方向へ。 彼らは背割堤の桜見物に向かう人たちなのであった。 石清水八幡宮へ参るのは10年余ぶり。 記憶はあるが、記録はなく、それがいつであったか、具体的な年月日は分からない。 八幡市駅に降り立ったのは、木津川に架かる流れ橋、上津屋橋を訪ねる際に輪行したとき以来のことである。 流れ橋のことについてはマイ・ブログに綴ったことがあり、訪ねた時期はいつのことかとマイ・ブログを紐解いてみたところ、2013年10月28日のことであった。 その頃、お袋は存命で、ご機嫌伺いでご老体を訪ねた帰りのことであった。 ケーブルカーで山上へ向かう前に、山麓で、徒然草第五十二段の<取材>を。 徒然草第五十二段 仁和寺にある法師年よるまで石清水を拝まざりければ心憂くおぼえてある時思ひ立ちてただ一人かちより詣でけり 極楽寺高良などを拝みてかばかりと心得て帰りにけり さてかたへの人に逢ひて 年頃思ひつる事はたし侍りぬ 聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ そも参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん ゆかしかりしかど神へ参るこそ本意なれと思ひて山までは見ず とぞ云ひける 少しの事にも先達はあらまほしきことなり 「石清水八幡宮」とくっきりと刻まれた石標。 仁和寺にある法師の時代には斯様な石標はなかったであろうが...。 ![]() 一の鳥居。 ![]() 扁額コレクション。 ![]() 扁額「八幡宮」は銅製。 一条天皇(980-1011)の勅により藤原行成(972-1028)が書いたものを松花堂昭乗(1582-1529)が元和5年(1619年)に書写し、打ち出したものとされる。 藤原行成は、小野道風、藤原佐理と共に「三蹟」と称される能書家。 松花堂昭乗は、石清水八幡宮の社僧で、近衛信尹、本阿弥光悦と共にに「寛永の三筆」と称せられる能書家。 扁額に刻まれた「八」の文字は、向かい合った二羽の鳩が顔を外に向けた形となっている。 因みに、鎌倉の鶴岡八幡宮の扁額も同様であったやに記憶する。 頓宮北門。 ![]() 右手前/頓宮殿、左奥/頓宮南門。 ![]() 頓宮殿。 頓宮は祭事における神輿の待機所で、他の神社での御旅所に当たる。 ![]() 朱塗りの回廊に桜花を愛でる。 仁和寺にある法師はどの季節の頃にここへ参ったのであろうか。 桜花を眺めながらそんなことを思うのであった。 ![]() 頓宮南門。 ![]() 高良社。 写真を撮り忘れたので、案内図を流用。 ![]() 仁和寺にある法師が参拝した山麓の極楽寺と高良社は、慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いで焼失。 高良社は明治17年(1884年)に再建されたが、極楽寺は再建されなかった(明治新政府の神仏分離令によるものか?)。 因みに、この近辺の地図を仔細に見ると、岩清水八幡宮の数キロ南に極楽寺なる寺がある。 この寺が場所を変えての後継寺院であろうか。 二の鳥居。 仁和寺にある法師の「そも参りたる人ごとに山へ登りしは何事かありけん」 はこの場所あたりと思われる。 ![]() 案内図を眺め、二の鳥居から山上へのルートを目でたどる。 ![]() 前々日は明日香史跡めぐり、前日は京都街歩き、そして、この日の午前中は伏見稲荷千本鳥居四ツ辻を往復したことでもあり、徒歩(かち)で上るのは次回の楽しみとする。 山上へはケーブルカーで行くこととし、来た道を戻ろうとしたとき、駐車場の向こうに木造の橋があることに気付いた。 安居橋。 ![]() ![]() ![]() ![]() ------------------------------------ 安居橋(あんごばし) 安居橋の名の由来には、諸説があります。 一説では、鎌倉時代より八幡の町ぐるみで行われていた安居神事から名付けられたと言われています。 また、かつて、すぐ川下にあった「五位橋」に相対する仮の橋として造られてたため、「相五位橋(あいごいはし)」と呼ばれ、これが変化して安居橋と呼ばれるようになったとの説もあります。 江戸時代の初めには、この場所に橋が架けられていたことが古絵図で確認できますが、構造は反り橋ではなく、平橋で描かれています。 元禄7年(1694)には、「安居橋の月」が八幡八景のひとつとして選ばれ、数々の歌が詠まれています。 慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いで焼失しましたが、古くから「高橋」という反り橋(太鼓橋)が約150メートル川下にあったことから、この高橋を偲ばせる形で再興されました。 現在の石清水八幡宮である石清水祭(放生会)の舞台として親しまれています。 八幡市 ------------------------------------ 極楽寺や高良社と同様、安居橋も鳥羽伏見の戦いで焼失とある。 まさに、この辺りは激戦地であったのだ。 「安居」という名字がある。 「やすい」や「あぐい」という読みの人を知っている。 「あんご」という読みは初めて知った。 「安居」の名字の読みを調べてみると、「やすい」、「あぐい」、「あんご」のほかに「あい」、「あご」、「あくい」(濁らない)、「あんきょ」、「やない」などもあった。 地名の「安居」としては、茨城県笠間市「あご」、富山県南砺市「やすい」、静岡県駿河区「あご」、和歌山県西牟婁郡白浜町「あご」などが散見される。 地名の由来、名字の由来までは調べきれていない。 余談が過ぎた。 男山ケーブルカー乗り場へと向かう。 フォト:2018年4月2日 (つづく)
by ryujincho
| 2018-04-07 23:38
| 春の関西行脚/明日香&京都 2018
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