龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 04月 06日

『春の京都/西本願寺(下)』 hk-2

4月1日(日曜)、晴れ。
この日は恒例となった京都での兄弟姉妹会。
この機会を捉え、前日から二泊三日の関西行脚。
午後からの兄弟姉妹会に先立ち、午前、連れ合いと共に西本願寺を訪ねた。

我が家は浄土真宗である。
信心深いという訳ではない。
これまで京都市内をポタリングしたり、観光したりしたときに西本願寺の前をよく通るが、素通りするばかりであった。
BS朝日で再放送されていた「五木寛之の百寺巡礼」を見る中で、西本願寺が登場。
ということもあって、今回、西本願寺を訪ねたのであった。
午後、兄弟姉妹にて、両親の墓所、東山五条の大谷本廟へ参り、そのあと、夜の宴となっており、午前、西本願寺を訪ねるのはちょうどよい流れでもあった。

阿弥陀堂、御影堂から境内南側の唐門へ。

書院。
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唐門。
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境内の南側には、東から北に向かって、唐門、大玄関門、台所門と三つの門が並ぶ。

大玄関門を眺めながら、こりゃー、時代劇の撮影に使われているなあと、ロケ地訪問も趣味としていることでもあり、そう呟く。

唐門を外からも眺めたいと思ったとき、台所門に立つ守衛さんと目が合った。
「この門の木戸から外に出して貰えるでしょうか。唐門を外からもみたいもんで」と声を掛けた。

「もちろん、出入りしていただいて結構です」、更に言葉を続けて、「唐門は6月から修理に入りますので、ちょうどいいときに見学に来られました」、そして、「唐門の彫刻について説明しましょうか」と。

唐門外側の「黄石公と張良」の故事、唐門内側の「許由と巣父」の故事について、見事な口調での説明を拝聴した。

ひとことで言うなら、門の外は俗世間、門の内側は浄土というものであった。

その故事について、守衛さんの話プラス小生の補足も加え、唐門の外側と内側の彫刻の写真と共に綴っておきたい。

台所門の木戸から南側の北小路通に出る。

大玄関門を外側から眺める。
やっぱり、これは時代劇のロケに使われているなあと呟く。
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唐門を外側から眺める。
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唐門外側の彫り物の故事はこうだ。
張良は夢で老人(黄石公)に兵法を教えてやろうといわれる。
その後、張良が老人と会ったとき、老人は自分の靴を川に投げ捨て、張良に拾わせようとする。
張良は屈辱に思いつつも、靴を拾うため川に飛び込む。
靴を探していると龍が現れ、張良は龍を退治する。
すると、龍は靴を差し出し、張良は龍に乗って地上に戻り、老人に靴を差し出す。
結果、老人は張良に兵法の書を渡した。

左/龍に乗り、靴を差し出す張良、右/馬に乗った黄石公。
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アップで。
龍に乗り、靴を差し出す張良/外側から。
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龍に乗り、靴を差し出す張良/内側から。
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馬に乗った黄石公/内側から。
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馬に乗った黄石公/外側から。
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再び、台所門の木戸から中へ入る。
内側から唐門を眺める。
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滝の水で耳を洗う許由と牛を引いて来た巣父の彫り物を眺める。

唐門内側の彫り物の故事はこうだ。
許由は清廉潔白な人で、人徳も高く、人々から尊敬されていた。
このことを伝え聞いた中国の名帝・堯は天子の座を許由に譲ろうとした。
これを知った許由は「世俗事の汚れた話を聞いてしまった」と、山奥に逃げ、穎川の滝で耳を洗い、隠世した。
牛を引いて来た巣父が、許由が耳を洗っているの姿を見て、「牛に、こんな汚れた水は飲ませられない」と引き返したという。

滝で耳を洗う許由。
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牛に水を飲ませようと川へ牛を引いて来た巣父。
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唐門外側の、張良と黄石公の故事は、出世など俗世をあらわしている。
唐門内側の、許由と巣父の故事は、欲にまみれることのない、精錬潔白な世界、即ち、浄土をあらわしている。
唐門を境にして、そうした、ふたつの世界をあらわしているというのであった。

守衛さんに礼を伝え、南側から、再び、東側の境内へ。

樹齢、約400年のイチョウ。
春らしく、青々とした葉を出し始めている。
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阿弥陀門をくぐり、堀川通に出る。
堀川通を挟んで向かい側の、総門を眺める。
その奥に、築地本願寺を思わせる建物が見える。
堀川通を渡り、総門を抜け、数珠屋町(正面通)を東へ進む。

総門近くの店の、花まつりのディスプレーを眺める。
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建物の脇に立つ説明板に目を通す。
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重要文化財
本願寺伝道院
この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものです。
当初は「本館」のほか、「付属屋」、「倉庫」2棟、「人力車置場、便所」、「屋根伝ひ廊下」が建っていましたが、現在は「本館」のみが残っています。
伊東忠太の提唱した「建築進化論」(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています。
現在は本願寺伝道院として浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用しています。
本願寺
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やはり、伊東忠太が設計した建物であった。

因みに、古代インド様式をモチーフとした築地本願寺の本堂(1934年竣工)は、当時、浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計である。

大工さんの遊び心である「埋め木」探し、唐門の故事と親切な守衛さん、伊藤忠太設計の建物など西本願寺を楽しんだ。

「五木寛之の百寺巡礼」に倣えば、前日の飛鳥寺、橘寺、この日の西本願寺と「三寺巡礼」と相成ったのであった。

フォト:2018年7月1日

(つづく)



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by ryujincho | 2018-04-06 23:32 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)


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