龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 04月 05日

『明日香めぐり/春爛漫!飛鳥川』 ask-4

3月31日(土曜)、晴れ。
電動アシスト付き自転車で、明日香めぐり。

春爛漫!の飛鳥寺から、その直ぐ北に位置する飛鳥水落遺跡を見学。
春爛漫!の飛鳥川沿いを、飛鳥大仏さまがそちらの方角を向いておられるという、聖徳太子生誕の地、橘寺へと走る。

飛鳥水落遺跡。
この遺跡を訪ねたのは初めて。
遺跡は一部、復元されている(写真はなし)。
説明板に目を通す。

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史跡 飛鳥水落遺跡
史跡指定 昭和51年2月20日
斉明天皇6年(660年)5月、皇太子中大兄皇子(のちの天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせた、と「日本書紀」に書かれています。
「日本書紀」はその場所について何も語っていません。
1981年、その水時計の遺跡が、ここ飛鳥水落遺跡で掘り出されたのです。
ここでは、精密に、堅固に築いた水時計建物と、建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置とが見つかりました。
水時計建物を中心にして、水を利用したさまざまな施設があることもわかりました。
当時の日本は、中国の先進文明を積極的に取り入れて、律令制に基づく中央集権的な国家体制を急速に整えつつありました。
中大兄皇子は、中国にならい、政治や人々の生活を明確な時刻制によって秩序づけようとしたのです。
時計装置の製作と運用は、当時の、最新かつ最高の科学技術を結集した国家的な大事業であったことでしょう。
その意味において、飛鳥水落遺跡は律令国家確立への記念碑といえるでしょう。
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イラストは、右上/水時計建物と地下水路網、左下/礎石と地中梁、央/建物内部の様子(1階:時計装置、2回:都に時刻を知らせる鐘と太鼓)、右下/水時計建物の外観と後方に飛鳥寺)。

これらのイラストのうち、右下の「水時計建物の外観と後方に飛鳥寺」の図がこれ。
飛鳥寺周辺の様子がよく再現されている。
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日本標準時・子午線の町、明石で育った小生としては、もう少し本件に触れておきたい。

前述の説明板に「斉明天皇6年(660年)5月、皇太子中大兄皇子(のちの天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせたと『日本書紀』に書かれています」とある。
これは、『日本書紀』斉明天皇六年五月是月條(斉明天皇6年5月、グレゴリオ暦660年6月)の記述、「又皇太子初造漏尅。使民知時。(「皇太子、初はじめて漏剋を造り、民をして時を知しらしむ」)」を指す。

更に、『日本書紀』 天智天皇十年四月辛卯條(天智天皇10年4月25日、グレゴリオ暦671年6月10日)に「置漏尅於新臺。始打候時動鐘鼓。始用漏尅。此漏尅者天皇爲皇太子時始親所製造也。云々。(漏尅を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。始めて漏剋を用いる。此の漏剋は、天皇の皇太子に爲(ましま)す時に、始めて親(みづか)ら製造(つく)りたまふ所なり。云々)」との記述がある。
これらにおける皇太子は中大兄皇子のこと、漏尅(ろうこく)は水時計のことである。
1920年(大正9年)、時の記念日が6月10日と定められた。
これは、『日本書紀』斉明天皇六年五月是月條では年月のみの記載に対し、『日本書紀』 天智天皇十年四月辛卯條では年月日が記載されていることから、後者の6月10日を時の記念日としたのである。
因みに、天智天皇は、皇子時代の飛鳥のみならず、大津京においても水時計を設置している。

明石育ちの小生は、時間は守りたがる性格である。

今日の jitensha/飛鳥川沿いにて、箒桜と共に。
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今日の jitensha/飛鳥川沿いにて、染井吉野と共に。
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橘寺へと向かう。

フォト:2018年3月31日

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by ryujincho | 2018-04-05 23:34 | 春の関西行脚/明日香&京都 2018 | Comments(0)


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