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龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(上)』

両国「もヽんじや」。
念願の猪鍋を食すことが叶った。
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何故、念願の、であったか。
それを語り出すと少々長くなるが、綴っておこう。

jitensha club ドラポタの年末恒例の企画は、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺まで赤穂浪士ゆかりの地に立ち寄りながら走る「赤穂浪士討入凱旋の旅」。
JR両国駅前に集合し、吉良邸跡から回向院、そして、両国橋東詰めの袂に立つ大高源五の句碑「日の恩や忽ちくだく厚氷」に立ち寄ることを恒例としている。
その途中、「山くじら もヽんじや」の看板と金色の猪を眺めるのも恒例となっている。
一度、店に入ってみたいなあと思いつつ、いつも金の猪を眺めるだけであった。

昨年末の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月10日、武衛さん、南国守さん、上総の3名にて挙行。
「もヽんじや」の店先に置いてあるパンフレットを手に取り、目を通す。
「大給守さんの壮行会を兼ねて、ドラポタの新年会はここでやりましょか」。
「それがいいですね」。
「では、忘年会の席で評定し、決めましょう」。

大給守さんは年末をもって江戸勤番を終え、仕官先を完全リタイア、年明けに引っ越し、国許で隠居ということと相成り、国許の獣肉の流通ルート確立のためにも、「もヽんじや」で市場調査をしておくのもよかろうということも、「もヽんじや」で新年会兼壮行会を開催する背景にあった。

12月15日、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、南国守さん、上総のメンバー5名、全員打ち揃いての忘年会での席で評定。
「新年会兼大給守さんの壮行会を両国『もヽんじや』で行いたいと思います」。
「賛成!」。
「では、『もヽんじや』で決定とします。料理は野獣肉コース、税込金7,140文也。コースの品書きは、先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚と相成っております」。
「国許で熊を食したときは、毛が入っていましたね」。
「では、熊は外して、単品の注文で」。
「いや、いや、折角ですから、野獣肉のフル・コースでいきましょう」。
「では、野獣肉コースで、日時は1月11日(水曜)午後5時にて予約しておきます」。

1月11日(水曜)。
JR両国駅。
折りしも、両国国技館で大相撲初場所が開催中。
駅構内での展示物/往年の横綱の手形。
我らの世代は栃若時代。
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沿道といえば、永谷園、永谷園といえば、遠藤。
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今年中に大関と嘱望される正代と御岳海。
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午後4時半過ぎ。
勝負を終えて部屋へ戻る力士。
左側、ポールの外側で、力士を<出待ち>するファン。
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「山くじら もヽんじや」。
午後5時前、両国橋の彼方にうっすらと夕日の残光が。
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「江戸の味 もヽんじや」。
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江戸の味 もヽんじや Momonjiya
享保3年(1718)創業の猪料理店です。
「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称しました。
現在は、この「もヽんじや」を店名にしていますが、正式には「もヽんじやの豊田屋」です。
しかし、屋号の豊田屋はどこにも掲げられていません。
元は漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身しました。
猪の肉は、冷え性や疲労回復に効果があり、肉食が禁じられた江戸時代でも、「山くじら」と称して食べられていました。
猪は丹波や鈴鹿などから仕入れたもので、味噌仕立てのすき焼きにします。
その他、鹿刺し、狸汁など、他ではめったに味わえない珍しい肉料理が味わえます。
(図/江戸時代の宣伝チラシ)
墨田区
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「もヽんじや」のパンフレットでは、「ももんじとは、百獣(ももんじゅう)から発した言葉で...」とあり、「百獣」の読みがしっかりと書かれていた。
更にパンフレットを読み進むと、「猪鍋は、何より肉の良し悪しが肝心で、当店では、三重、滋賀、兵庫などから野生のものを吟味して取り寄せ、養殖ものは使用しておりません」とある。
養殖の猪もいるのである。

「ジビエ料理」という言葉をしばしば耳にする。
ジビエ(gibier)とは、フランス語で、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことである。
日本で「ジビエ料理」という言葉がよく言われるようになったのは、いつ頃からであったろうか。
筆者は20数年前、英国に4年ばかり住まいしていたことがあった。
レストランのメニューに「ゲーム(game)」という欄があり、英国の伝統文化の一つである狩猟を「ゲーム」ということを知り、狩猟による鳥獣肉料理を「ゲーム料理」というのであった。
「ゲーム」、「ジビエ」というのもよいが、我ら日本人には「百獣(ももんじゅう)」が相応しいかもしれない。

表通りの壁に吊るされたイノシシ。
何だか、クマのようにも見える。
これまで毎年末に見て来た、この壁にぶら下がっていたのはイノシシであったので、イノシシだと思うのだが...。
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開店ちょっと前。
まだ、店内は灯りがついていない。。
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午後5時、点灯、扉が開き、暖簾が掛かる。
開店!
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「この店では、まだ、注連飾りは外していないなあ」と武衛さん。

先日7日に挙行した「ドラポタ走り初め」のときも、こんな会話が。
「松の内は今日まで。注連飾りや注連縄を外さなければなあ」と武衛さん。
「松の内は、関西では15日なんやけど、関東は7日なんやね」と上総。

帰宅後、調べてみた。
注連縄や注連飾りは、松の内が明ける頃に外すのがよいとされている。
松の内とは、門松を飾っている期間である。
松の内は、今では地域により異なっており、7日、10日、15日までなどがあるが、元々は全国的に1月15日までであった。
松の内が7日(或いは10日)までとなったことについては、江戸幕府の通達が絡んでいる。
即ち、
松の内は、元々、1月15日までと決められていた。
その頃は、鏡開きは1月20日に行われていた。
鏡餅に松の内の期間、年神様が宿っており、松の内が明けた後の1月20日に鏡開きをして鏡餅を食べるという風習であった/風習である。
江戸時代、慶安4年(1651年)4月月20日に徳川三代将軍家光が亡くなり、毎月20日が家光の月命日となり、月命日に鏡開きをするのはよくないということで、鏡開きを1月11日に行うようになった。
しかし、1月11日は松の内で年神様が宿っており、年神様に失礼であろうということとなり、寛文2年(1662年)、幕府は「1月7日を以て飾り納め」の通達を出したのであった。
幕府のお膝元である関東では松の内は1月7日までが浸透したが、関西では通達は浸透せず(江戸に対抗して無視した?)、従来通り、松の内は1月15日までのままとなったという。
なお、幕府の松の内短縮の通達には左義長(いわゆる「どんど焼き」)の禁止も織り込まれており、注連飾りを燃やす火祭りによる火災予防の意味もあったといわれている。
左義長禁止令は、明暦3年(1657年)の明暦の大火が反映されているものと思われる。

「もヽんじや」に話を戻そう。
「お二階へどうぞ」との案内を受ける。
一階に<取材>したいものが幾つか目に入る。
先ずは、ふたつを<取材>。

平成19年亥年、西暦2007年の年賀状。
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この年は、50代最後の年であったなあ...。

歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」。
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「びくにばし」は、現在の京橋の下を流れていた京橋川に架かっていた橋である。
この絵の手前左側に「山くじら」と大書された看板が、雪景色の中に置かれている。
その向かい側に「〇やき十三里」の看板がある。
栗(九里)より(四里)美味い十三里、焼き芋屋である。

年賀状と浮世絵を眺めながら、涎がじわーっと出て来る。
猪鍋が楽しみ、楽しみと思いながら、階段をとんとんとんと上がり、二階の席へ。

フォト:2017年1月11日

(つづく)

by ryujincho | 2017-01-12 23:51 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
Commented by ogyunokami at 2017-01-20 07:54 x
我が郷土出身の力士″御嶽海”の取組結果は
翌日の信濃毎日新聞スポーツ欄のトップ扱いです。
大関昇進お見えてきました。
Commented by ryujincho at 2017-01-21 00:11
大給守殿 
大相撲初場所13日目。
御嶽海、前頭筆頭、9勝4敗。
来場所は帰り三役、間違いなし。
世代交代の筆頭をひた走り。
年内、大関昇進、期待。
楽しみなお相撲さんです。


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