2013年 06月 11日
池上本門寺。 参道を進み、総門を眺める。 元禄年間に建てられたものという。 扁額は本阿弥光悦の筆によるものという。 石段を眺める。 「加藤清正」の文字がある。 しっかりと読んでみた。 ----------------------------- 大田区文化財 池上本門寺の石段 この石段は加藤清正(1562~1611)の寄進によって造営されたと伝えられ、「法華経」宝塔品の偈文(げぶん)九十六文字に因み、九十六段に構築され、別称を「此経難持坂(しきょうなんじさか」」という。 なお、元禄(1688~1704)の頃に改修されているが、造営当時の祖型を残しており、貴重な石造遺構である。 清正は慶長11年(1606)に祖師堂を寄進建立し、寺域を整備しているので、この石段もその頃の所産と思われる。 昭和49年2月2日 指定 大田区教育委員会 ----------------------------- 今一度、加藤清正が築いたという石段をじっくりと眺めた。 話は少し長くなるが、それについて触れておきたい。 今年3月、几号水準点探索で港区白金今里の覚林寺を訪れた。 この寺は熊本藩の江戸中屋敷跡に建立された寺で、清正ゆかりの地である。 『清正公大明神』の石碑があり、覚林寺に近接する桜田通りと目黒通りの交差点は清正公前交差点と称されている。 いずれも「清正公」は「せいしょうこう」と音読みである。 清正は豊臣秀吉の子飼いの家臣であったが、秀吉没後は徳川氏の家臣となり、熊本藩主となったことは承知済みなるも、江戸府内に加藤清正ゆかりの地があることを、この時初めて知った次第だ。 そのとき、山手七福神サイトなる"参考書"でベンキョーしたことは次の通りであった。 ---------------------------- 加藤清正公は、尾張に生まれ、12歳の時に長浜城主であった豊臣秀吉に仕えた。 賤ヶ岳七本槍の一人に数えられるほど勇猛で、安土桃山時代に活躍した武将。 加藤清正は武将としての力量もさることながら、築城、治水、干拓など優れた土木技術の専門家としても、今日、高い評価を得ています。 これによりこのお寺では、江戸時代から庶民に信仰され、建築、治水等の祈願者が多い。 日本三大名城の一つとして数えられる熊本城主としても名高い。 清正公は、朝鮮出兵の際(文禄・慶長の役)に、朝鮮国の王子を連れ帰り養育した。 清正公は熱心な法華経の信者で、その影響を受け成長した王子は、やがて出家し、小湊の誕生寺住職となった。 この日延上人が、寛永8年(1631)、熊本藩の中屋敷だった現在地に覚林寺を開き、清正公を祀った。 清正公大祭(毎年5月4・5日)では、清正公像が特別開帳され、「勝守り」が授与される。 武運の強かった清正公にちなんだ「勝守り」は、あらゆる勝負に勝つという意味を持つ。 大祭に限り、菖蒲の入った勝守りを受けることができる。 菖蒲が、勝負や尚武に通じ、縁起がいいとされ、江戸時代から人気が高かった。 また、「開運出世祝鯉」という、紙でできた30センチほどの鯉のぼりも授与され、子供の成長を願う参拝者に人気だ。 本堂の扁額には「破魔軍」という勝軍祈願を込めた字が書かれており、現在拡大解釈され、受験の勝負に勝つ御利益に変身しています。 なお、山手七福神(目黒)の毘沙門天も祀られている。 ---------------------------- 加藤清正は熱心な法華経の信者であったとあり、清正と池上本門寺との関わりがよく理解出来る。 都内での、加藤清正ゆかりの地、二つ目の《発見》となった。 96段の石段を上りきり、仁王門を眺める。 フォト:2013年6月6日 (つづく)
by ryujincho
| 2013-06-11 05:38
| 街歩き、村歩き、ポタリング
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Comments(5)
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ogyunokami
at 2013-06-11 21:23
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“池上”とは懐かしい場所です。
社会に出たころ、1年ほど住んだ場所です。 本門寺の石段では、真新しい登山靴の慣らしのため 何度も上り下りしました。 周囲からは奇異の目で見られて いたかと。 向田邦子作品に雰囲気がただよう街です。
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ryujincho at 2013-06-12 07:46
大給守殿
池上は、大給守殿ゆかりの地でも御座りましたか。 池上、初めて訪れました。 几号水準点探索/覚林寺と今般の池上本門寺が加藤清正繋がりになるとは思いもせず、大いに喜び居ります。 次回、洗足池/勝海舟の墓所も含め、この辺りをポタリングするのもよさそうですね。
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at 2021-04-18 10:58
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
本門寺
戸塚七郎
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