2016年 11月 09日

『ジャパン・バード・フェスティバル 2016/船上バードウォッチング』

11月5日。
ジャパン・バード・フェスティバル 2016。

船上バードウォッチング。
10:30、12:30、14:30の1日3便、35名/便、105名/日。
家を出るのが少々遅れ、到着したのは10時少し前。
既に、第1便と第2便は予約完了、残るは第3便のみ。
残り僅かの中、24番の乗船券をゲット。
ラッキー!
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出発時間までまだ間があるが、早めに乗船場へ。
乗船場でポスターや鳥写真を眺める。
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今年のポスターは、魚を捕らえようとするミサゴの図。
迫力がある。

手賀沼は手賀大橋を挟んで西側を上沼、東側を下沼と称している。
遊覧船は、先ず、上沼へ。
jitensha で手賀沼を周遊していると、上沼の真ん中あたりの杭にとまるミサゴをよく目にする。
この日は、沿岸ではなく、水上からのミサゴに期待。
楽しみ、楽しみ...。

いつも、最初に配られる「確認できた鳥のリスト」。
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前に席の、鳥見ガール。
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子供帽には青い鳥、子供服にはペンギン。
完璧な鳥見ガールだ。

上沼の真ん中あたりに差し掛かる。
いた!ミサゴが!
期待通り!
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足元に魚らしきものが。
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ズーム・アップ。
小物だが、獲物の魚を足でしっかりと押さえ、どうだ!と言わんばかりの<勇姿>を見せてくれている。
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上沼から下沼へ。
jitensha で手賀沼を周遊していると、下沼でも、時折、ミサゴの姿を目にする。
楽しみ、楽しみ...。
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上空高く、飛翔する<鶴>。
鶴といっても、鶴丸JALだけどね。
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手賀沼公園。
jitensha で手賀沼周遊するときに、いつも休憩する公園を船上から眺めるのも一興である。
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手賀大橋をくぐり、下沼に入る。
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手賀沼河童噴水像。
噴水が上がらなくなって久しいが...。
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ミサゴ、発見!
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ズーム・アップ!
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<鳥見ング>/その1。
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<鳥見ング>/その2。
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ズーム・アップ!と<鳥見ング>その1、その2の3枚の写真を一定のスピードでスクロールを続けると、ミサゴの飛翔しているようで結構、楽しめる(と思うの小生だけだろうか?)。

下沼の東端を遠望。
いつも沿岸から眺めている、緑に白の「我孫子高校野球場」の文字を船上から眺めるのも一興。
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手賀沼の今昔。
上段/昭和30年頃の手賀沼、下段/平成10年頃の手賀沼。
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東側は干拓によって今は手賀川となっている。
昭和30年頃は橋はなく、渡しであったが、昭和39年(1964年)に手賀大橋が開通し、渡船はなくなった。
現在の手賀大橋は、平成9年(1997年)に開通した二代目の橋である。
今も渡船場跡に渡船「中秋丸」の名が刻まれている。

いつも岸から眺めているカワウが群れる杭を船上から別の角度で眺める。
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生い茂る緑であったハス群生地もすっかり枯れて。
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下船前に、野鳥を守る会の人と乗船者全員で、この日、見た鳥を、冒頭、配られた「確認できた鳥のリスト」を広げ、整理する。
野鳥を守る会の人の話によれば、複数で観察していて、その中の一人しか見なかったとしても数に入れるとのこと。
この日、見た鳥は、リストに記載されていない鳥も含め、全部で24種類であった。
上沼と下沼の両方でミサゴを見ることが出来て、大満足の船上バードウォッチングであった。

フォト:2016年11月5日
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# by ryujincho | 2016-11-09 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 11月 08日

『ジャパン・バード・フェスティバル 2016/ペンギン・コレクション』

9月5日。
ジャパン・バード・フェスティバル 2016。
数々の出展、出店。

おっ、ペンギンの置物だ!
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大小、取り混ぜて、かなりの数のペンギンの置物をコレクションしている。
何故、ペンギンのコレクションを始めたか。
いくつか理由があり、それを語り出すと長くなるが、ひとつだけ簡単に言えば、鳥類の中で特異な姿をしているから、ということが揚げられる。
フクロウの置物はよく見掛けるが、それに比べると、ペンギンの置物を見掛けることはそう多くはなく、出遭う都度、買い求めて来た。
だが、ここ数年、ペンギンの置物に出遭っても、買ったことはない。
何故なら、そろそろ、<終活>に入らねばならない年齢になりつつあるからだ。
で、今回も買うのはぐっと我慢して、写真だけにして、もう1枚、アップで。
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そうこうしていると、後ろで「ダチョウ、皇帝ペンギン、コンドル」と鳥の名を読み上げる声が。
皇帝ペンギンの言葉に、即、反応して、振り返ると、出題されたクイズは不明ながら、三択であったようだ。
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こうして、短い時間に、ふたつのペンギン・コレクションが出来上がったのであった。
写真でのコレクションだけどね。

フォト:2016年11月5日
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# by ryujincho | 2016-11-08 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 11月 07日

『ジャパン・バード・フェスティバル 2016/スワロフスキー・オプティック』

9月5日。
ジャパン・バード・フェスティバル 2016。
数々の出展、出店。
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スワロフスキー・オプティック。
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父親のダニエル・スワロフスキーが創業した”スワロフスキー”は白鳥のマーク。
息子のヴィルヘルム・スワロフスキーが創業した”スワロフスキー・オプティック”は鷹のマーク。
ヨメへの土産にスワロフスキー製のペンダントを買ったことはある。
自分用に欲しいなあと思うスワロフスキー・オプティック製双眼鏡は、いつも店先で眺めるだけである。

フォト:2016年11月5日
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# by ryujincho | 2016-11-07 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 11月 06日

『ジャパン・バード・フェスティバル 2016/台湾』

11月5日。
ジャパン・バード・フェスティバル 2016。
数々の出展、出店。

台湾ブース。
「これ、写真を撮らせて貰ってもいいでしょうか」。
「ドウゾ、ドウゾ」。
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左上、「大赤啄木」。
これは直ぐに分かる。
オオアカゲラ。

その右隣り、「火冠戴菊」。
さて?
電脳網で調べてみる。
学名: Regulus goodfellowi
英名: Flamecrest / Taiwan firecrest
キクイタダキの一種である。
和名は、タイワンキクイタダキではなく、ニイタカキクイタダキ。
ニイタカは、今の玉山、旧称はあのニイタカヤマノボレの新高山である。

右下、「金翼白眉」。
さて?
電脳網で調べてみる。
学名: Garrulax morrisonianus
英名:white-whiskered laughingthrush
和名は?

書籍コーナーで、台湾の野鳥図鑑を手に取り、「この間、台湾へ写真を撮りに行ったんだけど、台湾にいる鳥の名がぜんぜん分からないんだよね」といいながら、この図鑑を買ったオッチャンは、今頃、図鑑と首っ引きで撮った野鳥写真の鳥名を調べていることだろう。

1990年代、ビジネスで随分と台湾に出張した。
当時は野鳥などにはまったく興味はなかったが、ジャパン・バード・フェスティバルで、台湾に愛着を感じながら、書籍コーナーの台湾の野鳥図鑑を見たり、台湾ブースの展示を眺めるのであった。

フォト:2016年11月5日
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# by ryujincho | 2016-11-06 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 11月 05日

『ジャパン・バード・フェスティバル 2016/書籍』

11月5日。
ジャパン・バード・フェスティバル 2016。
数々の出展、出店。
並んでいる書籍を見るだけでも楽しい。
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毎年、楽しみにしている書籍のひとつは台湾の野鳥図鑑。
漢字で鳥の名が見られるというのがいい。
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脇から手を伸ばして来たオッチャン、この本を取り上げ、「この間、台湾へ写真を撮りに行ったんだけど、台湾にいる鳥の名がぜんぜん分からないんだよね」といいながら、一冊、お買い上げ。

先日、図書館でゆっくりと見た書籍がこれ。
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日本語のタイトル「世界の美しい飛んでいる鳥」よりも英語のタイトル”Flying Birds Flying Beuty”の方が何だか分かりやすい書籍である。

フォト:2016年11月5日
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# by ryujincho | 2016-11-05 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 10月 19日

『盛岡冷麺』

9月6日。
盛岡。
上り新幹線の出発時間までまだ間がある。
盛岡といえば、盛岡冷麺。
駅前の交差点を渡った角に旨い冷麺を食べさせる店があるという。
店は直ぐにみつかった。
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ガラス張り。
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旨かった。

駅地下。
クイズその1/みちのくの酒を五種類、述べよ。
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盛岡が生んだ偉人を五人、延べよ。
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こうして、3泊4日の東北の旅は終わったのであった。

フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-19 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 19日

『みちの駅くじ やませ土風館』

9月6日。
北山崎から、再び、久慈市街地へ。

みちの駅くじ やませ土風館。
復興支援は、観光と土産の購入。
土産は連れ合いに任せ、館内をぶらぶらと。

やませ土風館。
名称が難しい。
「やませ」は、夏、北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風。
「土風館」は物産館の「土の館」と観光交流センターの「風の館」を総称したもののようだ。

物産館の2階に上がってみる。
久慈レトロ館。
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館主さんは東宝映画がお好きなよう。
昔のミュージカル映画もお好きなよう。
看板を眺めながら、何となくニヤリとしてしまう。
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館主さんは五月みどりのお座敷ソングもお好きなよう。
看板を眺めながら、何となくニヤリとしてしまう。
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切符売場。
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「東北随一 シネマスコープ」、何となくニヤリとしてしまう。
「毎週土曜日 オールナイト致します」、学生時代によく行ったなあ。
切符売場の婦人は館主さんの奥さんかな?上出来!
因みに、レトロ館は、レトロな映画館ではなく、館長さんのコレクションである昔なつかしい生活用品やおもちゃの博物館である。

NHK朝ドラ『あまちゃん』ポスター。
左/地元編、右/東京編。
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アップは、やっぱり、この人でしょ!
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地元民、総出演のポスター。
左/「ありがとう『あまちゃん』 次は、オラたちだ!」、右/「光の射す方へ 次は、オラたちだ!」。
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どっふう君。
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「どっふう君」とは何ぞや?
脇にちゃんと説明書きが置かれていた。
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やませ土風館オリジナルキャラクター
《どっふう君(恐竜キャラクター)》
平成24年、久慈市で8500万年前の地層から小型獣脚類恐竜化石が発見されました。
東北地方では初めて見つかった肉食恐竜の化石です。
平成25年NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の最終週でもこの話題が久慈琥珀とともに取り入れられました。
このことから、当館の名称にちなみ、「どっふう君」として、久慈市のPRに活躍中です。

《かじぇーちゃん(うにキャラクター)》
どっふう君と同じように、「あまちゃん」の中で何度も取り上げられた着た三陸の名産「うに」をキャラクター化しました。
当地方では、「うに」のことを「かぜ」とか「かじぇ」と言っております。
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久慈琥珀。
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台風10号でこの地方は大きな被害を受けた。
日本三大鍾乳洞のひとつといわれる龍泉洞や世界最古年代の約8500万年前の地層を掘る琥珀採掘場も浸水被害を受けたと報じられた。
その後、如何なったであろうかと、河北新報電子版を見てみると、龍泉洞は照明などが壊れており閉鎖中だが、ミネラルウォーター「龍泉洞の水」の生産は再開したとあった。
また、琥珀採掘場の復旧はまだ先のことだが、在庫の原料や製品は被災を免れており、琥珀製品は健在とあった。
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琥珀を見て思い出すこと、それは、20余年前、ロンドンに住まいしていた頃のことである。
次男坊が小学校の課外授業で Natural History Museum(大英自然史博物館)を見学。
琥珀(Amber)の説明書きを丸写しして来て、日本語に訳してくれという。
Natural History Museum には興味深いものが多々展示されているが、昆虫が封じ込められた琥珀に興味を持ったのであろう。
子供のみならず、英和辞典、英英辞典を片手に、オトッツァン自身が琥珀の生成過程を英語でベンキョーをさせて貰ったのである。

今は、「mm(ミリ)の世界」と題し、オリンパス製TG-3で10mm以下の虫を撮って楽しんでいる。
琥珀に封じ込められた虫たちも「mmの世界」である。

フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-19 23:57 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 18日

『三陸復興国立公園/北山崎』

9月6日。
三陸復興国立公園/北山崎。

10年ぶりに眺める断崖の景観。
得意(???)の、遠・中・近・超近で。
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「第1展望台からの眺望」。
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この案内板でいいものをみつけた。
左手前の岩に「ミサゴの営巣地」と記され、ミサゴの飛翔図が描かれている。
案内板に照らしながら、もう一度、断崖の景観を眺める。
鳥影が見える。
ひょっとしたら、ミサゴか!?
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鳥影の部分を拡大、<鳥見ング>。
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はっきりと識別は出来ないが、黒に白の体色が視認出来る。
ミサゴの形態(雄雌ほぼ同じ色彩、背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色、顔も白色、眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る)に照らしてみる。
飛翔している鳥の白の体色が背中の部分であれば、ミサゴの形態(背中の上面は黒褐色)に反する。
だが、何らかの都合で、尾をぐっと上げ、腹部が見えているのなら、ミサゴの形態(腹部の下面は白色)に合致する。
一応、ミサゴらしき鳥ということにしておこう。

更に飛翔している鳥はいないかと、彼方に目を遣ると、群れで飛んでいる鳥がいる。
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拡大、<鳥ミング>。
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腹部は一部だけ白色で残りは黒っぽく、翼の下面も黒っぽい。
ミサゴとは言い難い配色である。
しかし、尾羽の広がり方はミサゴのようでもある。
ミサゴが群れで飛ぶということはあるのだろうか。
この鳥名は鳥博物館の学芸員さんに確認すべき事案としておこう。

上空を見上げる。
空高く、2羽の鳥が飛翔している。
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拡大、<鳥ミング>。
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尾が特徴的である。
尾は二股で、いわゆる燕尾形である。
アジサシの一種と思われる。

前日、下北半島/仏ヶ浦遊覧船の発着港の佐井で、佐井村のシンボルの鳥はミサゴであると知った。
北山崎と合わせ、二日連続で、ミサゴ情報を得た。
因みに、筆者の鳥見フィールドである手賀沼でミサゴを見る機会があるが、これは湖沼であり、海のミサゴ情報は新鮮である。
期せずして、北山崎で2種類の鳥見が出来、喜んでいる。

さて、話が相前後するが、三陸復興国立公園について、少し触れておこう。
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三陸復興国立公園
三陸復興国立公園は、東北地方側約180kmにわたって指定されている、わが国の外洋性の海岸景観を代表する国立公園です。
本公園のぼぼ中央に位置する宮古湾付近を境に、北部は大規模な隆起性の段丘海岸で、比較的出入りの少ない単純な海岸線をもち、南部は沈降性のリアス式海岸で、外洋に長く突き出た半島や岬と深い湾入が繰り返し展開しています。
いずれも海洋によって激しく侵食されており、高さ50mから200mにも達する海食崖、無数の海食洞、海食棚など地形的変化に富み、「海のアルプス」とも称されています。
本公園では、陸上からだけでなく、遊覧船などにより海上からも海岸景観の鑑賞が楽しめるほか、自然歩道の探勝や魚釣り、サケやウニに代表される魚介類の味覚探訪、夏季の砂浜での海水浴などが楽しめます。

北山崎
北山崎は、長い年月をかけて海底から隆起してできた海岸です。
高さ200mにも及ぶ断崖の迫力、この見事なまでの自然造形美は訪れた人を魅了します。
晴天時はもちろんですが、朝日に染まる岩肌やヤマセに包まれる奇岩怪岩など、私たちにさまざまな姿を見せてくれます。

環境省
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三陸海岸はすべて沈降性のリアス式海岸と思っていたが、北は隆起性の段丘海岸、南は沈降性のリアス式海岸だったのだ。

子供の頃、国立公園の切手シリーズの中に「陸中海岸国立公園」があった。
調べてみると、それも含め、幾度か「陸中海岸国立公園」切手が発行されているようである。
環境省のホームページの「国立公園一覧」を見ると、「指定:1955年5月2日(陸中海岸国立公園として指定)/2013年5月24日(区域を拡張し、三陸復興国立公園として指定)」とある。

2011年の東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受けたことを受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、2013年、区域を拡張し、「三陸復興国立公園」に改めたのである。

以前から、「陸中」なのに「三陸」と呼ばれたり、陸前・陸中・陸奥のすべてが入っていないのに「三陸」とよばれたりして、複雑なことになっていたが、指定区域も含め、「三陸復興国立公園」となり、すっきりしたのである。
余談ながら、弊ブログのカテゴリーは、正確には「出羽国・陸奥国・陸中国の旅」とせねばならないところを「出羽国・陸奥国の旅」としているが、これは明治になっての陸奥国の分割以前の意を踏まえてのことである。

松林の中の、観音像。
何故、ここに建立されているのか...。
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ビジターセンター前から断崖方面を眺める。
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ビジターセンターに入る。
映像での紹介。
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「絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。」
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絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。
高さ200メートルの絶壁が8キロも連なる北山崎は、迫力ある姿から海のアルプスと呼ばれるほどだべ。
それに、ここ田野畑村は昔ながらの漁村が残る日本有数の場所でな、今はウニとホヤが旬。
いい海で育ったホヤは、甘くって最高だべ。
雄大な景色はもちろん、新鮮な海の幸も楽しみにな。
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ウニといえば、海女さん。
”先輩”海女さん。
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”後輩”海女さん。
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海女さんが登場したことでもあり、南部ダイバーにも登場願おう。
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NHK朝の連ドラ「あまちゃん」で、南部ダイバーを育てる三陸高校潜水土木科が登場した。
これは、岩手県立種市高等学校海洋開発科(九戸郡洋野町種市)がモデルとなっている。
福士蒼汰が演じる北三陸高校潜水土木科卒の青年の名は種市浩一。
知名あるいは校名の「種市」が青年の苗字に使われているのである。
脚本の宮藤官九郎は、エライ!
皆川猿時が演じる教師と生徒が共に歌う歌、『南部ダイバー』の作詞作曲は、洋野町種市出身の安藤睦夫の手によるものである。

♪白い鷗か 波しぶき
♪若い血潮が 踊るのさ
♪カップかぶれば 魚の仲間
♪僕は海の底 南部ダイバー

♪広い海だよ 千尋の底さ
♪通う心も生綱だより
♪命をかけた 男の仕事
♪僕は海の人 南部のダイバー

♪沖はどどろく 発破のひびき
♪腕におぼえの くろがね切りさ
♪技と度胸の 晴仕事
♪僕は海の華 南部のダイバー

余談ながら、安藤睦夫は、往年のヒット曲『北上夜曲』の作曲者でもある。

ホンドタヌキの剥製。
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本州最北端、下北半島/大間崎でブランキストン線の解説があった。
タヌキもブランキストン線を境にして、ホンドタヌキとエゾタヌキに分かれる。

北山崎断崖の真打、登場!
ミサゴのパネル写真。
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小生が撮った、マイ・鳥見フィールド、手賀沼のミサゴもここに登場させておこう。
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海のミサゴを撮ってみたいものだ...。

北山崎を訪れる前々日、日本海側の入道崎を訪れた。
入道崎は北緯40度を<売り>にしていた。
北山崎はそうしたことは<売り>にしていないが、北緯はほぼ同じである。
入道崎/北緯40度0分24秒 東経139度42分3秒
北山崎/北緯39度58分49秒 東経141度57分20秒
中1日を挟んで、日本海側と太平洋側の北緯40度近辺を訪ねたことになる。
特段、それがどうしたということはないが、地理のベンキョーになった。

次回、北山崎を訪れる機会があれば、ミサゴ、ミサゴと唱えながら、展望台へと進んで行きたい。

フォト#1~#21:2016年9月6日
フォト#22~#24:2013年11月8日
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# by ryujincho | 2016-10-18 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 17日

『三陸鉄道/車窓から』

9月6日。
三陸鉄道。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

久慈駅で乗車、前回は宮古駅までであったが、今回は普代駅まで。
観光であるから、車窓からの風景を愛でるべきところであろう。
だが、どうしても、2011年3月11日の、あの巨大津波と重ね合わせて眺めてしまう。
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野田玉川駅で上下線待ち合わせ。
単線ならではの光景。
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野田玉川駅
愛称:西行の庵
*歌人・西行法師が玉川海岸の景色に惹かれ草庵を結んだという伝承から。
駅のホームからは太平洋から登る日の出を拝むことができます。
近隣には烏帽子の形をしたえぼし岩などの奇岩怪岩が続く玉川海岸があります。
西行法師は玉川海岸の景色の美しさにひかれ、しばし草庵を結んだと伝えられている。
(三陸鉄道ホームページ/駅紹介より)
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駅名板の下段に「不思議の国の北リアス」とある。
こういうキャッチーな駄洒落が好きだ。
「不思議の国の北リアス」の創作の経緯はどういうものであっただろうと、三陸鉄道のホームページを見てみた。
そうしたことについては触れられていなかったが、リアス式海岸の説明があった。
地学のおさらいをここでしておこう。
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リアス式海岸(リアス海岸)という名称は、スペイン北西部のガリシア地方で入り江が多く見られたことに由来する。
ガリシア語で「入り江」を意味するリア(ría)、あるいは、入り江の多い地方の名前(Costa das Rías Altas)等を元に、複雑な形の海岸線をリアス式海岸と定義されました。
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ガリシア地方には、「サンチャゴの道」の名で知られる巡礼路をたどり、その終点となるカトリックの巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステーラがある。
サンティアゴ・デ・コンポステーラはガリシア州の州都でもある。
昨年、フランスから巡礼路をたどり、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、1,600kmを自転車で走った友人がいる。
今年は、ツアーでサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪ねた友人もいる。
そんなこととリアス式海岸の「リアス」が相まって、ガリシア地方に親しみを覚えるのであった。


下り列車が入線。
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三陸鉄道の車両は、シンボルカラーである青、赤、白の三色が塗り分けられている。
青は三陸の海、赤は鉄道に対する情熱、白は誠実を表しているという。

電車は徐行を始める。
三陸鉄道北リアス線の絶景ポイントに差し掛かっての、徐行サービスである。
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漁港。
建物に「普代村漁業協同組合堀内水産物荷捌施設」の文字が見える。
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普代駅で下車。
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10年前に眺めた海岸線、今回、眺めた海岸線。
眺める気持ちは随分と違う。
復興はまだまだ、いや、復興途上、いや、復興は順調に進んでいる、明るくいうか、暗くいうか、やはり、明るく、復興は順調に進んでいると思うべきであろう。
三陸鉄道も元気に頑張っているんだし...。

フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-17 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 16日

『三陸鉄道/レトロ列車』

9月6日。
三陸鉄道。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

久慈駅でレトロ列車に乗車。
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大漁旗に出迎えられて。
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大漁旗に送られて。
朝の連ドラ「あまちゃん」で、夏ばっぱが大漁旗を振るシーンを思い出すなあ...。
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出発。
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レトロな車内。
10年前はもっと煤けていたような気がするが、このレトロ列車は垢抜けしている。
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土産の車内販売が始まった。
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復興支援は観光で。
ということは、土産をいっぱい買うことだ。
写真を撮っている場合じゃない。
急いで、席に戻る。

トンネルに入る。
レトロな味わいの灯りがより暖かみを増す。
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トンネル。
2011年3月11日の大津波のあとに映し出されたトンネルはこのトンネルだったかもしれない。
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普代駅で下車。
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車両前面の左下にアラビア文字が記されたエンブレムが目に入る。
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クウェートからの三陸鉄道復旧支援に対する感謝の言葉と共に、クウェートの国章が記されているのであった。

フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-16 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 15日

『三陸鉄道/久慈駅』

9月6日。
三陸鉄道久慈駅。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

8月末、この地方を台風が直撃した。
久慈駅周辺も冠水したとのことで、ようやく、清掃、片付けが終わりつつあるところであった。
被災直後の観光は気が引けるが、ご勘弁いただいて...。

久慈駅前デパート。
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ドラマでは、このデパート内に「観光協会」があった。
「ロケ地探訪」もテーマのひとつとしており、どうしても、ドラマと重ね合わせてしまう。

北限の海女/三陸久慈小袖海岸/久慈広域観光協会。
次回は絶対に jitensha で行くぞ!と思いながら、「三陸久慈小袖海岸」の看板をカメラに収める。
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後ろの左手のビルに「三陸鉄道北リアス線全線運行再開 平成26年4月6日 久慈-日野畑-小本-宮古」の看板が見える。

看板には「小本駅」とあるが、今は「岩泉小本駅」に改称されている。
開業時の駅名は小本駅(おもとえき)であったが、2014年(平成26年)4月1日に岩泉線の廃線に伴って岩泉駅が廃止されて以来、岩泉町内から「岩泉」の名称を持つ駅が消えていたため、岩泉町からの要請により2015年(平成27年)12月23日に「岩泉」を冠した駅名に改称された(出典/ウィキペディア)。

うに弁当。
宮本信子が演じる天野夏、通称「夏ばっぱ」が、毎日、うに弁当をこしらえていたなあ...。
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うに弁当とリアス亭。
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三陸鉄道北リアス線列車時刻表。
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「オラ、三陸が好きだ!」。
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ドラマで、主人公が始めてウニを獲ったとき、こんなシーンであったなあ...。
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切符売り場。
杉本哲太の駅長と荒川良々の副駅長のドタバタ演技が思い出されるなあ...。
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これで、2013年の夏に<取材>した、ドラマ「あまちゃん」の東京編と繋がったのである。
2013年の<取材>とは、これである。
***2013年7月27日付け『取材/アメ横女学園』***
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。
いつも楽しみに見ている。
7月23日、所用があり、都内へ出掛けた。
ついでにと言っては何だが、アメ横に立ち寄り、「アメ横女学園」を取材。
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女優、鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は超音痴。
鈴鹿ひろ美が歌う「潮騒のメロディー」は、天野春子(小泉今日子)が鈴鹿ひろ美の影武者となって歌う。
実際の薬師丸ひろ子は、女優でありながら、透明感のある声で、歌は上手かった(過去形にしているのは、昔、その歌声を聴いたことはあるが、最近の歌声を聴いたことはないので)。
一方、アイドル歌手であった小泉今日子は、声量はなく、歌が上手いかと問われれば、さて?と疑問符付きであった(但し、リズミカルな歌い方は心地よく、歌が下手!とは決め付け難い)。
脚本家 宮藤官九郎は、この二人の歌唱力を承知の上で、ああいう脚本を書いているのだろう。
恐るべし、宮藤官九郎!
そして、脚本家の思惑に素直に(???)に応じた、小泉今日子も薬師丸ひろ子の両女優も”大人”である。
そんなことを思いながら、薬師丸ひろ子の、昔のCDをラックから引っ張り出し、久方ぶりに彼女の歌声を聴きながら、このブログを綴っている。
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「薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション」、1987年に購ったCDである。
小泉今日子には申し訳なきことながら、彼女のCDは我がCDコレクションにはない(数多のCDコレクションの中で、ポピュラー音楽のCDは極々少数で、薬師丸ひろ子、更に申せば、竹内まりやと鄭麗君を加えた三人は特別なのである)。
小泉今日子のCDを図書館で借りて来て聴いてみよう、「艶姿ナミダ娘」を。

フォト:2013年7月23日
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今年の9月6日に話を戻そう。

改札を抜けると「北三陸応援団」、右/うにすけさん、左/アパッチさとう氏が現れる。
その右手には、岩手産短角牛であろうか、「鮭を抱えた熊」ならぬ、「鮭を抱えた牛」の像も。
「モー 一歩、ゆっくり、しっかり、久慈の元気」の言葉と共に。
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フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-15 23:23 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 14日

『下北半島/馬門温泉』

9月5日。
下北半島。
本州最北端の大間岬、奇勝仏ヶ浦、日本最大霊場の一つ、恐山をめぐり、馬門温泉に投宿。
馬門温泉は、青森県上北郡野辺地町にある温泉である。

宿のロビーで目を惹かれたものが、これ。
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下段の銘板には「のへじ祇園まつり/山車飾り/馬門組祭典部」とある。
左の札には「奇術競(きじゅつくらべ)」とある。
右の札には「最優秀賞」とある。

青森県といえば、勇壮な山車飾りの「ねぶた祭り」のイメージだが、ここ、野辺地町では「のへじ祇園まつり」なる優美な山車飾りの祭りが催されているのだ。

野辺地町には申し訳ないことながら、「のへじ祇園まつり」なるものを今回、初めて知った。
「のへじ祇園まつり」が如何なる祭りか、野辺地町のホームページを開いてみた。
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のへじ祇園まつり
艶やかに着飾った稚児たちが優雅な祇園囃子を奏で、豪華絢爛ないくつもの山車が町内を練り歩きます。
お囃子の旋律が京都の祇園祭のものに似ているのは、野辺地湊が南部藩の商港として栄えた時代に移入した上方文化の一つと考えられます。
まつりは8月中旬の4日間開催され、初日は長さ11メートル、重さ1.5トンもの大しめ縄が八幡宮に奉納され、2日目からは山車運行や大漁旗を掲げた多数の漁船による海上渡御が行われます。
また、平成17年からはライトアップされた山車の夜間運行が行われ、飾りつけされた人形や花は、昼とはまた違う雰囲気を醸し出します。
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野辺地町図書館のホームページでは、航海の安全と豊漁を祈願する行事であるなど、更に詳しく記されている。
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のへじ祇園祭りは、藩政時代、野辺地港が南部藩の商港として大阪、長崎方面と交易していた最盛期の文化、文政時代に野辺地八幡宮のつけ祭りとして、日本海航路で上方から移入されたものであるといわれています。
船山車が先頭に運行される御神輿渡御(おみこしとぎょ)、山車行列は、海水運が交通体系の主軸であった時代の「浜下り神事」(潮垢離ーしおこり)に共通した意味をもっており、先進地の文物を運ぶ「宝船」である千石船の航海の安全と豊漁を祈願する行事です。船山車は野辺地港の合船場(造船所)で建造された千石船(北前船)の模型であると伝えられています。
一般の山車の運行は、藩政時代にも運行されたのではないかと思われますが、明治30年に町内有志によって飾山車として、屋形様式の山車に移行し、今日に至っています。
初日と最終日は、歌舞伎や中国の故事から題材を取った豪華絢爛な山車と、その山車の曳網に参加する男女の童子の曳子を中心に、笛、太鼓、三味線の合奏による祇園ばやしは、深い情趣と優雅で香り高い気品があり、南部藩における唯一の上方文化の移入地であった野辺地で形成された貴重な文化遺産であり、格調高い祭礼として知られています。
平成17年からはライトアップされた山車の夜間運行が行われ、飾りつけされた人形や花は、昼とはまた違う雰囲気を醸し出します。
中日に行われる「海上渡御」では神輿を先頭に各地の町印と神楽が続き、これに付き従って大漁旗や吹流しで飾った船が野辺地湾内を巡ります。
湊町として栄えていた往時を偲ばせる光景です。 
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野辺地湊に寄港する北前船が、数々の物資のみならず、数多くの文化や習慣も運んで来たのである。
祗園まつりのお囃子の旋律が京都の祇園祭のものに似ているとのこと。
お囃子は楽譜で伝わったのであろうか、それとも口伝で伝わったのであろうか、後者であれば、京から人がこの地に移り住んで来たとも思えるなど想像が膨らむのである。

更に調べると、最優秀賞を獲得した「のへじ祇園まつり/山車飾り/馬門組祭典部『奇術競』」のことが書かれた『広報のへじ 2015年9月号』にヒットした。
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のへじ祇園まつり
野辺地町最大のイベント、のへじ祇園祭りが8月20日から23日にかけて行われました。
八幡宮への大しめ縄・神楽の奉納を皮切りに、駅前で獅子・神楽の共演、ささ踊りが盛大に披露され、お祭りムードを一気に盛り上げました。
山車表彰式では馬門組が最優秀賞に輝いたほか、新設された祇園未来賞を城内組が獲得しました。
雨で海上渡御は中止となりましたが、各祭典部は神楽の音を響かせて町内を練り歩きました。
最終日に開かれたふるさとテント市は、開始5分で売り切れる品がでるなど大盛況!
合同運行では沿道の観客を稚児行列や神楽、カサホコの演舞が魅了したほか、夏の終わりを惜しむような全力で神楽の音色を響かせていました。

(掲載写真)
最優秀賞・輝星賞・流粋賞 馬門組祭典部「奇術競」
優秀賞・祇園未来賞 城内組祭典部「日本伝説 オロチ退治」
秀作 新道組祭典部「龍王」
特別賞 下袋町組祭典部「渡辺の綱 館の場」
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下北半島はマサカリの形。
野辺地町(青森県上北郡)は、そのマサカリの柄の下端に位置する。
更にその下(南側)に、平内町(青森県東津軽郡)、浅虫(青森県青森市)が位置する。

青森県は大きく分けて、奥羽山脈を挟んで西側が津軽地方、東側が南部地方である。
これらの地方を青森県として括りにしたのは明治になってからのことであり、それ以前は津軽氏領と南部氏領でそれぞれ独立した地方であった。
言葉も津軽弁と南部弁の大きく違い、その境界もはっきりと分かれているという。
東津軽郡平内町狩場沢と下北郡野辺地町馬門が津軽藩と八戸藩の藩境で、関所が置かれ、両藩2基ずつの藩境塚が残っているという。
馬門はそうしたところなのである。

由来好きの小生としては、「馬門(まかど)」の地名の由来が気になる。
宿のスタッフに尋ねてみた。
「馬門の地名の由来は?この地で馬を育てていたのでしょうか?」。
「マカドはアイヌ語です。、漢字の『馬門』は後に当てられたもので、馬とは関係ないとのことです」。
アイヌ語の「マカド」の意味は聞き損ねた。
調べてみた。
「マカド」は、アイヌ語の「マカ(開く)」と「ト(湖水)」との二語から成る言葉のようだ。
「マカド」という地名は、「馬門」のほか、「真門」、「間門」など各地に見られるが、そのすべてがアイヌ語を由来としているかどうかは定かではない。

因みに、野辺地町の由来は下北半島の「野辺」の「地」にあるからかと思いきや、これもアイヌ語の「ヌプンペッ(野中を流れる川)」とのことである。

宿のロビーに展示された山車飾りのお陰で、野辺地町のこと、馬門のこと、そして、日本の文化について、随分とベンキョー出来た。

温泉に浸かる。
馬門温泉は、義経が弁慶らと湯浴みをしたとも、一羽の鶴が傷を癒したという言い伝えのあるという。
青森ヒバの総ヒバ造りの大浴場でゆったりと。
そして、露天風呂でもゆたったりと。
夕餉は、ホタテ、ホタテ、ホタテづくしであった。

下北半島を満喫した1日であった。

フォト:2016年9月5日
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# by ryujincho | 2016-10-14 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 13日

『下北半島/恐山(下)』

(「下北半島/恐山」/(上)の巻からの続き)

9月5日。
下北半島。
恐山。
総門、山門、地蔵堂と伽藍域を参拝し、いよいよ、地獄と極楽へ。
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バス・ガイドのおばちゃんが木柵のところに立って、「つまづかないように注意してくださーい。つまづいて、転ばないように気をつけてくださーい」と声掛けをしている。

で、転ぶと、どうなるか。
それは恐ろしくて、ここでは書けない。

転ぶことばないが、齢を重ね、足の上げ方が小さくなって来たのか、最近、時々、つまづくことがある。
要注意である。

さて、「下北半島/恐山」/(上)の巻の冒頭から、雲は垂れ込め、霧が立ち込め、おどろおどろしい雰囲気と綴って来たが、「恐山」の語源は「おそろしい山」ではないのである。
語源について、大好きなウィキペディアでは次の通り記されている。
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恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。
古くは「宇曽利山/うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、「恐山/おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。
「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。
外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
「恐山」という名称の単独峰はない。
火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。
-------------------------------

「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味するとあるが、アイヌ語の「ウショロ(入江とか、湾という意味)」に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったという説もある。

既に、硫黄の臭いが漂っている。
木柵の向こうへと進む。
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石碑と和歌。
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石碑には「空風火水地 大師説法之地」と刻まれている。
大町桂月が仏が浦を詠んだ歌は、「神のわざ 鬼の手造り 仏宇多 人の世ならぬ ところなりけり」であった。
ここ、恐山を詠んだ歌は、「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり」。
宇曽利湖を囲む外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
これら八峰の姿は蓮華八葉とも呼ばれ、この歌にそれが詠み込まれている。
恐山を詠んだ歌は優しげ、仏ヶ浦を詠んだ歌は恐ろしげ、そうした対比で詠んだ歌なのであろう。

和歌が書かれた札の「大町」の「大」の文字は薄れて、「入」に見える。
この地は、「入」ではなく、「出」であろう。
ちょっと、筆でなぞってやりたい、そんなことを思わせる雰囲気が恐山には漂っている。

ほかの人も歩いているから安心だが、一人だけで歩くには何やら心細くなるであろう小径を進む。
硫黄の臭いが強く漂っている。
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荒涼とした岩、地蔵、そして、風車。
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更に荒涼とした地の奥に微かに坐像の姿が見える。
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坐像の御姿をアップで。
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こちらは小石を積み上げた塚と坐像、そして、風車。
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地獄の小径から宇曽利湖畔と極楽浜を遠望。
大町桂月もこの風景を眺めたのであろうと思いながら、カメラを向ける。
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極楽浜を、超望遠で。
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宇曽利湖畔に向かって進むと、右手に御堂が見えて来る。
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地蔵堂である。
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宇曽利湖畔の極楽浜に至る。
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山側を、今一度、
眺める。
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荒涼とした岩の中の小径から眺めた宇曽利湖畔の極楽浜に、今、立っているのである。
言わずもがなのことなれど、地獄よりも極楽の方がいいに決まっている。
「まむし注意」の立て札があるということは、極楽浜にはマムシが生息しているのである。
マムシだって、極楽浜の方が棲み易いのである。

極楽浜から、一路、伽藍域へと向かう。
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六大地蔵さんの背が見えて来た。
何やら、ほっとする。
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総門脇の案内板、「恐山奥の院」に目を通す。
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恐山奥の院

地蔵菩薩は中心にして不動阿字の本体なり
若し衆生有って是の心を知らば決定して成就す
「仏説延命地蔵菩薩経」より

この一句は地蔵菩薩と不動明王の二而不二を意味し、不動明王は地蔵菩薩の化身というのであります。
それゆえに、当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、奥の院地蔵山不動明王、奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線上に奉納され、三者が一体であることを意味しております。

当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。
地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし、「蔵」は生命を産み出す母胎、母の心をあらわしております。
人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と、子の痛みを我が痛みとしてしかとうけとめてくれる母の心こそ、地蔵菩薩そのものなのであります。

即ち、釈迦如来の附属を受けた本尊の慈悲心と一切の煩悩を打ち砕く確固たる不動心の現成(げんじょう)が蓮華の花びらのような八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山・剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山そのものなのであります。

ご参拝の皆様には「釈迦地蔵不動一体義」の元、これら三聖地をお参りなされることによって、当山参拝の結願が決定成就されるのであります。

霊場恐山 恐山菩提寺
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仏ヶ浦ヶ奥の院かと思いきや、然に非ず。
この案内板で奥の院のことがよく分かった。
更に、山門の扁額は「恐山」、地蔵堂の扁額は「伽羅陀山」で、いずれが山号であろうかとの疑問を持ったが、その疑問もこの案内板で解けた。

三聖地を参ることは叶わなかったが、地蔵堂の地蔵菩薩をお参りし、地獄・極楽浜をめぐることが叶った。

フォト:2016年9月6日
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# by ryujincho | 2016-10-13 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 12日

『下北半島/恐山(上)』

9月5日。
下北半島。
霊場 恐山。
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大間崎と仏ヶ浦をめぐり、恐山へ。
大間崎と仏ヶ浦は青空であったが、恐山に近づくに連れ、周辺は煙って来た。
恐山に着いた頃には、雲は低く垂れ込め、薄く霧も立ち込めていた。
まさに、恐山の様相はこれか!と思わせる雰囲気である。

恐山菩提寺。
開基は、貞観4年(862年)、慈覚大師円仁(貞観4年、862年)によるとされる。
本尊は地蔵菩薩。

総門。
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総門の屋根にカラスが一羽。
何やら不気味。
アップで一枚。
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総門を抜け、参道を進む。
前方は山門。
後背の山、地蔵山には低く雲が垂れている。
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山門。
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扁額コレクション/其の壱。
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阿形仁王像。
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吽形仁王像。
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灰色の風景の中で、カラフルな扁額とカラフルな仁王像を見て、何か、ほっとする。

山門を抜け、参道を進む。
前方は地蔵堂。
後背の山、地蔵山はますます低く雲が垂れ込めている。
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境内でも温泉が湧き出ており、参道脇には温泉に浸かれる湯小屋もある。
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参道脇の、謎の、大亀と子亀。
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手水舎。
背後に並ぶのは宿坊。
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手水鉢には、龍の口はなく、設えられているのは擬宝珠。
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狛犬コレクション/地蔵堂を守る狛犬一対。
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地蔵堂。
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扁額コレクション/其の弐。
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山門の扁額は「恐山」、地蔵堂の扁額は「伽羅陀山」。
山号はいずれなのであろうか?と調べてみた。
「恐山 伽羅陀山菩提寺」と書かれたものもあれば、「恐山菩提寺」と書かれたものもある。
この疑問は最後の最後に、総門脇の案内板「恐山奥の院」に目を通し、解けることとなる。
詳しくは「下北半島/恐山」(下)の巻で綴ることととしたい。

さあ、いよいよ、木柵の向こうの、おどろおどろしい世界へ。
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バス・ガイドのおばちゃんが木柵のところに立って、「つまづかないように注意してくださーい。つまづいて、転ばないように気をつけてくださーい」と声掛けをしている。

つまづくと、どうなるか。
それは恐ろしくて、ここでは書けない。

転ぶことばないが、時々、つまづくことはある。
要注意である。

さて、冒頭から、雲は垂れ込め、霧が立ち込め、おどろおどろしい雰囲気と綴って来たが、「恐山」の語源は「おそろしい山」ではないのである。
語源について、大好きなウィキペディアでは次の通り記されている。
-------------------------------
恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。
古くは「宇曽利山/うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、「恐山/おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。
「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。
外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
「恐山」という名称の単独峰はない。
火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。
-------------------------------

「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味するとあるが、アイヌ語の「ウショロ(入江とか、湾という意味)」に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったという説もある。

既に、硫黄の臭いが漂っている。
木柵の向こうへと進む。

フォト:2016年9月5日

(「下北半島/恐山」/(下)の巻に続く)
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# by ryujincho | 2016-10-12 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 11日

『下北半島/佐井港にて』

9月5日。
下北半島。
佐井港周辺。
奇勝 “仏ヶ浦”遊覧を終え、佐井港近くで昼餉を摂る。
昼餉のあと、佐井港ターミナル周辺を散策。

奇勝 “仏ヶ浦”の形成に関わる解説あり。
奇勝 “仏ヶ浦”遊覧を終えたことでもあり、早速、ベンキョー。
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-----------------------------
元々、ユーラシア大陸の端に位置していた日本は、約2000万年前頃から活発になってきた火山活動によって大陸から離れ、日本海ができはじめました。
日本海の海底で噴火した火山から出た灰は、海水と反応して緑色の鉱物に変質し、日本海側に広く分布するグリーンタフとなりました。
海上まで隆起した後、降水・波浪で削られ、仏ヶ浦は現在の姿になりました。
-----------------------------

英名/グリーンタフは、和名では緑色凝灰岩。
凝灰岩のうち、緑色、緑白色、淡緑色を呈するもののことをいう。

創ったのは、自然か?鬼か?
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創ったのは、自然か?鬼か?
下北半島・仏ヶ浦は、青森をこよなく愛した明治の詩人が訪れた際に和歌を詠み、「神か、鬼の手で創ったものとしか思えない」と表現したほど、壮大なスケールの巨岩が連なる景勝地です。
そらは、まさに波と風と有給の時が作り上げた自然の造形美です。
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土産物店で売られていた暖簾。
奇勝 “仏ヶ浦”の風景と大町桂月の歌が染め抜かれている。
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神のわざ 鬼の手造り 仏宇多 人の世ならぬ ところなりけり
大町桂月
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「仏宇多」は、仏ヶ浦の古い呼称である。
仏ヶ浦極楽浜に大町桂月の歌碑が立っているという。


佐井村のシンボル。
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-----------------------
村の花
スカシユリ
ユリ科の多年草で30cm-50cmの高さで、海岸の岩場に6月~8月にかけて朱色の花をつけ、上を向いて咲く。
また、古語でユリを「サイ」といい、我が村「佐井」の地名語源とするのである。
------------------------
村の鳥
ミサゴ
ワシタカ科ミサゴは、佐井村では「ウミタカ」と言われている。
ワシタカ目の鳥でトビとほぼ同じ大きさです。
海岸の断壁に営巣してヒナを育て、低空飛翔し、急降下して魚類を捕まえる。
-----------------------
村の木
ヒバ
日本三大美林の一つで、ヒノキ科あすなろ属に属しており、建築材として強度耐久性に優れた材質を誇る。
また、近年、ヒバから抽出したヒノキオールで石鹸や殺菌剤に利用され注目を浴びている。
-------------------------

「佐井村の木『ひば』材に村の花『すかしゆり』、村の鳥『みさご』」を藤田幸雪氏が彫刻したものです」。
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アップで。
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ミサゴは、我が鳥見のフィールドワーク地、手賀沼でも見られる鳥である。

上述の説明書きで、少々、気になる記述がある。
「低空飛翔し、急降下して魚類を捕まえる」とあるが、手賀沼での観察では「上空で飛翔し、一気に急降下して魚類を捕まえる」である。
ただ、湖沼は比較的波が穏やかなので、上空で飛翔しても魚の姿を捉えることが出来るのであろうが、海だと波静かといっても、それなりに波はあろうから、「低空飛翔し、急降下して」ということもあろうかと思う。

ミサゴは、魚を捕まえ、再び、飛び立つときに、魚の頭は飛び立つ方向に向けて掴んでいるということが多い。
鉄棒でいうところの順手で魚を捕まえると魚は横向きになってしまうが、順手ではなく、人間の指で言えば、右の親指と左の親指を内側に向けて少し前後にずらせて魚を捕まえるのである。
そういう形で捕まえると魚は飛び立つ方向に向くこととなる。
且つ、ミサゴの凄いところは、魚の頭が飛び立つ方向に向いているということである。

彫刻を見ると、魚の腹部を順手で掴んでいる。
これは魚を捕まえたときの形からすると正しくない。
しかし、魚を捕まえて巣に戻ったときに、巣の上で持ち替えることもあろうから、彫刻の魚の持ち方が間違っているとは言えないだろう。

彫刻の作者、藤田幸雪さんについて検索してみた。
北通り総合文化センター「ウイング」/イベント報告/2002年度なるサイトにヒットした。
---------------------------
イベント報告
2002年度(平成14年度)
5月15日
文化講座「陶芸教室」
講師:藤田幸雪さん(佐井村)
主催:電源開発(株)
---------------------------

北通り総合文化センター「ウイング」は、大間町、風間浦村、佐井村の3町村からなる北通りの人々を対象とした「文化」、「教育」、「健康」および原子力に係わる知識向上を目指す複合型文化施設とある。

そういえば、大間岬から佐井港へ向かう途中、大間原子力発電所の建設現場近くを通った。
北通り総合文化センター「ウイング」が、「文化」、「教育」、「健康」に加え、原子力に係わる知識向上を目指す複合型文化施設というのはそういうことなのである。
陶芸教室の主宰が「電源開発(株)」となっているが、大間原子力発電所の運営者が電源開発(株)であることで、これもそういうことなのである。
原子力発電所を取り巻く諸々の一端を垣間見た気がする。

で、彫刻の作者である藤田幸雪さんのプロフィールの詳細は不明ながら、「講師:藤田幸雪さん(佐井村)」とあるので、佐井村在の芸術家であるということだけは分かったのであった。

佐井村出身の偉人/三上剛太郎像。[#IMAGE|a0289546_9453115.jpg|201610/25/46/|mid|525|700#]
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台座には次の通り刻まれている。
---------------------
佐井村名誉村民
三上剛太郎先生像
仁愛
---------------------

案内板に三上剛太郎生家への道順が記されているが、時間の都合で立ち寄ることは叶わず。
佐井村観光協会のホームページで「三上剛太郎生家」について次の通り紹介されている。
-----------------------------
日露戦争で多くの命を救った三上剛太郎先生の生まれ育った家を展示館として開放しています。
三上剛太郎は、明治38年(1905年)の日露戦争時に軍医として満州へ渡りました。
仮包帯所で負傷兵の手当をしていたとき、ロシア兵に囲まれ全滅の危機に瀕した剛太郎は、ジュネーブ条約に基づく赤十字の精神に従い「手縫いの赤十字旗」を包帯所に掲げ、それを見たロシア兵は攻撃の手を止めたと言われています。
そうして敵味方問わず多くの兵士を救った剛太郎の功績をたたえ、生家を保存し、展示館としました。
晩年は佐井村の村医として村人に慕われた剛太郎が導入した、当時としては貴重なドイツ製レントゲン装置をはじめとする医療機器なども展示されています。
------------------------------

大間のまぐろ。
大間岬の土産物店で写真を撮り損ねたので、佐井港の土産物店にて。
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こちらの方が色艶がよさそう。
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佐井村キャラクター「雲丹(うんたん)」。
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「雲丹(うに)」を「うんたん」と読ませるところに佐井村役場の諸君の苦労が滲み出ている。

次は、いよいよ、恐山である。

フォト:2016年9月5日

(つづく)
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# by ryujincho | 2016-10-11 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 10日

『下北半島/仏ヶ浦』

9月5日。
下北半島めぐり。

仏ヶ浦。
佐井港で、仏ヶ浦観光船に乗船。
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高速観光船”ニューしもきたⅢ”。
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仏ヶ浦観光船は、季節柄、
運航期間は4月下旬~10月下旬、冬場は運休。
半年間で1年の稼ぎをせねばならないので、少々、波があっても出航するとのこと。
この日は、仏の御加護か、幸いにも波は穏やか、船酔いの心配はない。

出港。
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津軽海峡を突っ走る。
下北半島は金太郎のマサカリの形に似ている。
刃の部分を北から南に向かって走っている。
津軽半島は下北半島ほどには北に伸びておらず、西の方は津軽半島ではなく、日本海である。
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半島を通り過ぎ、回り込むと、眼前に白い奇岩群が現れた。
仏ヶ浦である。
船は速度を落とし、時には停止し、次々と現れる数々の奇岩をゆるりと見せてくれる。
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地蔵堂。
お参りしている人の姿が見える。
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仏ヶ浦は恐山の奥の院とも称されている。
堂には、恐山菩提寺と同じく、地蔵菩薩がまつられている。
2キロメートル以上に亘って奇岩が連なる海蝕崖に、「如来の首」、「五百羅漢」、「蓮華岩」、「極楽浜」などの仏教にまつわる名を付け、浄土のイメージとし、恐山を参拝した後、この地へも巡拝するのが習わしだったという。
こうした、先人の想像力には驚かされるものがある。
順序は逆だが、このあと、恐山に参ることとなっている。

奇岩は続く。
鳥形奇岩かな?
鳥見が好きなせいか、岩の形が鳥に見える。
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白い奇岩はここまで。
南の半島の手前で船はUターン。
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左舷から右舷に移動し、仏ヶ浦を見納める。
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観光船は、高速航行のときは波しぶきを避けるために窓ガラス代わりのビニール幕を下ろし、仏ヶ浦に到着するとビニール幕を捲くり上げるという段取り。
捲り上げたビニール幕、観光客のカメラを持った手をカメラフレームに入れて、一枚、パチリ。
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仏ヶ浦をあとにして、佐井港へ向かう。
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座席のうしろは仏ヶ浦の奇岩がプリントされている。
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佐井港に着桟。
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10年前に三陸の浄土ヶ浜を訪れたことがある。
浄土ヶ浜と仏ヶ浦、何れも仏教と結びつけた景勝地。
さて、次の訪問地、恐山はどんなところなのだろうか...。

フォト:2016年9月5日
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# by ryujincho | 2016-10-10 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 09日

『本州最北端、大間崎の生物たち』

9月5日。
下北半島めぐり。

本州最北端、大間崎。
「ここ本州最北端の地」碑、「まぐろ一本釣り おおま」像、沖合いの弁天島や津軽海峡の眺めなどを楽しむ。
そして、本州最北端の地で鳥見、そして、マグロやその他の動物のベンキョーも。

ウミネコ。
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ウミネコ、セグロカモメ、ユリカモメの見分け方。
ウミネコ
・嘴:黄色で、先端部が黒、最先端部に赤斑。。
・足:黄色。
・尾羽:黒い帯あり(これはウミネコだけに見られる特徴)。
セグロカモメ
・嘴:黄色で、下嘴の先端に赤斑がある。
・足:薄いピンク色。
・翼上部の羽:グレー。
ユリカモメ
・嘴:赤色。
・頭部:目の後ろに黒色斑。
・足:ピンク色。

マグロ。
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----------------------------------
マグロ一本釣り
明治・大正時代のマグロ漁は、大謀網や一本釣りであった。
昭和30年代に入り、漁船の大型化や漁具の進歩と相まって、豊漁を続けた。
その後、エサにするトビウオのヒレに針金を付けて、トビウオが生きているようにみせる仕掛けが考案されるなど漁法にも次第に工夫が重ねられ、北海道や沖縄の漁師にも指導されている。
また、大間のマグロ漁を題材にして描かれた、吉村昭の小説『魚影の群れ』は全国的に脚光を浴び、相米慎二監督によって映画化された。

超大物マグロ
大間のマグロは超一級品として取り引きされていたが、昭和50年前後を境に大間沖からの水揚げはほとんど無く、再び、マグロが戻って来たのは、平成5年のこと。
平成6年には、440kgの超大物マグロも釣れるようになった。
マグロの漁期は以前、7月から10月頃であったが、近年は9月から12月に変化してきている。
また、平成8年には、12月末までで170トンが水揚げされ、このうち100kgを超える大物も213本を数えた。
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ブラキストン線による動物の違い。
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中央図/津軽海峡を東西に横切るブラキストン線。
左+中央/本州の生物
ツキノワグマ、ホンドテン、ホンドギツネ、ムササビ、ニホンリス、ヤマネ、カワネズミなど。
右+中央/北海道の生物
ヒグマ、クロテン、キタキツネ、ナキウサギ、シマリス、エゾヤチネズミなど。

ブラキストン線とは。
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トーマス・ブラキストン(1832~1891)
イギリス人。軍人、貿易商人、動物学者。
1861年(文久元年)、貿易商人として来日。
函館に住み、事業を行うかたわら、北海道と本州の動物研究に没頭。
その結果、1883年(明治16年)に、津軽海峡の動物分布境界線を提唱、後に、「ブラキストン線」と名づけられる。
1864年(元治元年)、大間崎弁天島で座礁したアスモール号事件で南部藩の役人が通訳として連れてきたのが、トーマス・ブラキストンであった。
1884年(明治17年)に帰国し、アメリカ・カリフォルニアで亡くなっている。
現在、函館山に、その銅像が建てられている。

津軽海峡
津軽海峡は、かつて、津軽・下北両半島のヒバ財、豊かな海産物などを運ぶ北前船、あるいは江戸へ向かう東廻り航路の発達により、さまざまな船が行き交う海であった。
海峡幅は約20kmほどであるが、海流が速く、陸生動物の行き来が困難なため、北海道と本州以南の動物相が異なっている。
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トーマス・ブラキストンは、貿易商人としてのビジネスにはいろいろと問題があったようだが、動物学者としは、①津軽海峡に生物分布境界線(ブラキストン線)が存在するという見解を発表したほか、北海道で採集した鳥類標本を開拓使に寄贈したこと(現在は北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園所蔵)や「日本鳥類目録」を出版したことなど、いわゆる「お雇い外国人>とは別に、日本において業績を残した人物である。
11月初旬に、毎年恒例の『ジャパン・バード・フェスティバル2016』が開催されるので、山階鳥類研究所で、トーマス・ブラキストンが残した北海道の鳥類標本がどんなものなのか、「日本鳥類目録」がどんなものなのかなどを尋ねてみたいと思っている。

フォト:2016年9月5日
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# by ryujincho | 2016-10-09 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 08日

『本州最北端、大間崎』

9月5日。
下北半島めぐり。

本州最北端の地、大間崎。
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「ここ本州最北端の地」と刻まれた石碑の右手に見える島は弁天島。
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弁天島は大間崎の沖合い約600mに浮かぶ周囲2.7kmの無人島。
赤く塗られた祠には弁財天が祀られている。
祀られている弁才天は漁師の網に偶然掛かったものであるという。
白と黒に塗り分けられた灯台は、1291年(大正10年)に設置された大間埼灯台。
白と黒のツートンカラーは、青森県黄金崎の黄金崎灯台でベンキョーした通り、雪国ならではのものである。
石川啄木の「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣なきぬれて 蟹かにとたはむる」の歌のなかにある「小島」はこの弁天島といわれている。

弁財天に護られて、潮流の速い「クキド瀬戸」を航行し、津軽海峡へ進む漁船。
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彼方の沖合いを航行するコンテナ船と漁船。
超ズーム・アップで。
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大間といえば、マグロの一本釣り。
「まぐろ一本釣の町 おおま」と題された像。
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---------------------------
大間崎を回遊するクロマグロは、北緯30度以南の台湾東方海域で産卵し、孵化した稚魚は黒潮に乗り北上する。
その中にはアメリカ西海岸のカリフォルニアまで回遊するものもあり、2、3年後、日本近海で成長したクロマグロと合流して産卵場に回帰するのである。
クロマグロの習性として、荒天前によく跳ねる習性があり、遊泳層は水深2メートルから60メートルであるが、時には150メートルも潜ることがある。
南風の時には表層を遊泳し、北風の時には深層を泳ぐといわれている。
あた、釣り針にかかると一気に潜る習性がある。

大間のクロマグロは、大間崎沖1キロメートルから3キロメートルで捕れる近海物で、平成8年8月から9年1月までの半年間に、水揚げ量は110トン、水揚げ本数738本、大物は400キロを超え、平成6年には410キロの超大物が水揚げされている。

大間のクロマグロ漁は他地区と異なり、明治・大正から続く、昔ながらの一本釣りである。
漁場は、海がなぎていてもその漁場だけは波が高く、5トン前後の船で、数百キロのクロマグロを追う一本釣りはまさに命懸けである。
このような命懸けの大間のマグロ一本釣り漁を、緒形拳、夏目雅子主演により、松竹映画にて『魚影の群れ』というタイトルで映画化され、全国から一躍脚光を浴びたのである。
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本州最北端大間崎到着証明書。
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表紙を開くと;
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前掲の写真では人影は全く写っていないが、実際には結構な数の観光客あり。
その中で、こんな人たちを。
先ず、外国人ファミリーさん。
パパ&ママ、子供さんは4人共、お嬢ちゃんのよう。
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標柱の次は、まぐろ一本釣りの像の前で。
三女さん(多分)に「カメラの方を向いて」と声を掛けるパパ。
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三女さん、何とか、カメラの方へ向いたよう。
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「オール・ファミリーの写真を撮ってあげましょう」と声を掛けようかと思ったが、スマホ・カメラは不得意なので、声が掛けなかった。
それに、変なジイさんとなると、お嬢ちゃん方の顔が強張ってしまうかもしれないし...。

次は、自転車青年。
「何所から来られましたか」。
「埼玉県です」。
「埼玉県はどちらですか」。
「川越です」。
「GIANT にも、こういうタイプの自転車があるんですね。荷物は何キロぐらいありますか」。
「30キロはあると思うんです」。
「えらいですね。いつ、川越を出発されたんですか」。
「6月に出発したので、丁度、3ヶ月経ちました。これからフェリーでで函館へ渡り、北海道を一周です」。
「ここのところ、台風続きですけど、どうされていましたか」。
「道の駅で過ごしていました」。
「そうか、道の駅はそういう使い方もあるんですね。まさに、道の駅ですね」。

こちらから質問した訳ではないが、青年から「私、23歳なんです。友達は皆、この4月に就職しましたが、私はこんなことをやっているんです」と、少々、自虐的な発言あり。
「若いときにやれることをやっておくというのはいいことです。気にすることはないでしょう」と応えたものの、実際は何かあったのかもしれないな、でも、そこまで聞くのは失礼だなと思い、問うのは止めた。

「あなたのカメラで写真を撮りましょうか」。
「いえ、先ほど、三脚を使って撮りましたので」。
「では、おっちゃんのカメラで1枚撮らせて貰ってもいいですか」。
「どうぞ」。
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「では、気をつけて自転車の旅を」。
「はい、有難うございます」。

自転車を見せて貰ったときに、後ろの荷物に小さくマジックインクで「日本一周」と書かれていた。
この3ヶ月でどこをどう走って来たかは聞かなかったが、ただただ、無事の走りを祈るばかりであった。
その後も、テレビで天気予報を見るたびに、「北海道は今日はいい天気。自転車青年は元気に走っているだろうな」、「今日は雨。雨中行軍かな?それとも、道の駅で雨宿りかな?」などと思うのであった。

フォト:2016年9月5日
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# by ryujincho | 2016-10-08 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 07日

『ねぶた』

9月5日。
下北半島めぐり。
途中、むつ市内、下北名産センターで休憩。
表に飾られた「大湊ねぶた」を眺める。

「除災清浄 五芒星 陰陽師 安倍晴明」。
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「雷神」。
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残念ながら、ねぶた祭りを見物したことはない。
だが、これまでに二度、ねぶたに接する機会があった。
20年前くらいであったか、お客さんはいないと思っていた青森に出張する機会があった。
ちょうど、青森ねぶた祭りの直前の頃であった。
仕事を終え、駅近く(と記憶)の、ねぶたを収納している小屋を訪ねてみた。
それが、ねぶたを見た最初であった。
後年、観光で弘前を訪ねた際、青森では「ねぷた」(nebuta)、弘前では「ねぷた」(neputa)ということを知った。
この違いは、「ねぶた」の語源の「眠たし」(諸説あり)の方言の違いによるものというが、さて?

前日の投宿先、浅虫温泉でこんなものを見た。
「ねぶた発祥の地 浅虫温泉」。
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坂上田村麻呂が砦を築いたという「谷地山」は何処にあるのだろうかと調べてみた。
浅虫温泉の南、浅虫地区と久栗坂地区の間にある小高い山であった。
因みに、坂上田村麻呂にまつわる伝説は各地にあり、田村麻呂の東征は現在の青森県にまでは至っていないという説もある。

青森ねぶた、弘前ねぷた、浅虫ねぶた、大湊ねぶたについて触れたが、毎年、青森県内でどれくらいのねぶた祭りが行われているのだろうかと数えてみたら、44ヶ所あった。

今夏、大湊ねぶたで出陣した人型山車は、前出の「」陰陽師 阿倍晴明」と「雷神」のほか、「激闘芳流閣」、「李逵(りき)と張順」、「川中島の戦い」、「庚申山の妖猫退治」、「鬼人 人首丸伝説」、「背水の陣」、「西遊記」、「空海」、「義経千本桜」、「真田幸村 大坂の夏の陣」など(むつ市HPより)。
陰陽師安倍晴明の人型山車に、野村萬斎もびっくり!であろう。

フォト#1~#6:2016年9月5日
フォト#7、#8:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-10-07 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 06日

『陸奥湾産帆立貝』

9月5日。
陸奥湾はホタテの産地。

宿に飾られた貝殻絵。
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ペンギン・コレクション。
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龍コレクション。
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相撲王国青森。
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「青森県四季むかし」。
弘前城の花見かな?
で、あれば、今も。
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「なまはげ参上」。
隣県秋田から。
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余談を少々。
20数年前、ロンドンに駐在していた頃、仕事柄、時折、ロイヤル・ダッチ・シェルの英国の本拠地、シェル・センターを訪ねることがあった。
廊下に置かれたガラス・ケースの中に貝の標本が並べられており、「シェルらしいなあ」と思った記憶がある。
シェル石油のロゴ・マークの貝の種類は、ホタテ貝。
その由来を調べてみたところ、なかなか面白いことが書かれていたが、それを綴ると長くなるのでここでは割愛する。
(詳しくは「シェルのロゴの歴史」で検索してください)

余談ついでに、もうひとつ。
シェル石油の貝殻マークで思い出すのは、2012年9月の尾道でのこと。
昼餉を摂った尾道ラーメンの元祖「朱華園」で、ふと、目に入った「尾道では、『暁』と言う世界万国の洋酒をよせ集めた居酒屋と、この『朱』と言うラーメン屋に、おそれ入ったようなものだ」との壇一雄の言葉が気になる。
その夜、宴を催した「きっ粋」で、この『暁』なる居酒屋につき問うたところ、既に閉店しており、それに類した店として、『ロダン』なる店を教えて貰った。

「ロダン」。
白地に青い貝の図柄。
青い貝の図柄に白ヌキで、"Jazz & Shell Collection ロダン"の文字。
そして、ペトロ・ステーションに掲げられている"SHELL"の琺瑯看板。
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初老の夫婦二人で営む店。
カウンターで寛ぐ。
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カウンター正面の棚には貝のコレクションがぎっしり。
カウンターのガラスケースにも貝のコレクションがぎっしり。
カウンターの周りのみならず、店内すべてがコレクション、コレクション、コレクション!
夫婦はダイビングが趣味で、世界各地でダイビングをしながら蒐集したものだという。
店の表に掲げられた"SHELL"の琺瑯看板はアメリカで蒐集したものだという。
ロイヤル・ダッチ・シェルが膨大な貝のコレクションを持っているかどうかは不祥ながら、「ロダン」のコレクションはシェル・センターの陳列とは比較にならないくらいに素晴らしいものであった。
(「ロダン」の詳細は、兄弟ブログ「上総守が行く!」の2012年10月27日付けで綴っています。「上総守が行く! 尾道 ロダン」で検索してみてください)

陸奥湾のホタテのにを戻ろう。
お気に入りの貝殻絵は、これ。
「ふんどし」。
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この貝殻絵を見て、思わず笑ってしまった。
作者のユーモアのセンスに敬意を表し、掲載!

ホタテの名前の由来。
ホタテの和名には、帆立(ほたて)のほか、海扇(かいせん)もある。。
ホタテの名の起こりは、江戸時代の百科辞典、『和漢三才図会』の「その殻、上の一片は扁(ひらた)くして蓋のごとく、蚶(あかがい)、蛤(はまぐり)の輩と同じからず、大なるもの径1、2尺、数百群行し、口を開いて一の殻は舟のごとく、一の殻は帆のごとくにし、風にのって走る。故に帆立蛤と名づく」との記述によるものであろう。
船の帆に見立てた「帆立」の名は情緒がある。
そんな名前を無粋ながら学術的にいうと、閉殻筋(貝柱)で殻を閉じることによって貝の中に入っている海水を勢いよく吐き出し、その反作用で跳ぶように動くのだそうである。

普段、食べるホタテは、獲れたてそのものはなく、フニャッとしているので、余り好きではないが、浅虫温泉で食べたホタテはプリッとしており、美味であった。
因みに、青森県のホタテ養殖生産量は、北海道に次いで、国内第二位である。

フォト#1~#8、#11:2016年9月5日
フォト#9、#10:2012年9月28日
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# by ryujincho | 2016-10-06 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 05日

『朝の陸奥湾』

9月5日。
浅虫温泉。
朝風呂に入る。
展望風呂から陸奥湾の朝景色を眺める。
部屋に戻り、陸奥湾の朝景色を眺める。

南、西、北の順にカメラを向ける。
前日は彼方に津軽富士ともいわれる岩木山が見えていたが...。
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浅虫の沖合いに浮かぶ湯の島。
前日は湯の島の左に太陽が沈んだ。
湯の島に鎮座する弁財宮の海上鳥居が見える。
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海上鳥居をアップで。
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浅虫の北に見える島は鷗島。
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眼下の広い道は、以前は海岸であったところに、新たに通した国道4号線。
旧国道4号線は宿を挟んで東側を通っている。
国道4号線は、東京・日本橋から青森市長島の青森県庁前を結ぶ、総延長約870km、日本一長い国道である。

国道4号の青森県内のルートを地図で見ると、南部地方を北上し、野辺地町(上北郡)で陸奥湾に至り、夏泊半島の南側を抜け、陸奥湾沿いに南下し、浅虫を経由して青森の市街地に至っている。

この日、下北半島の名所、大間岬、仏ヶ浦、恐山をめぐることになるのだが、大間崎で川越市(埼玉県)から来たという自転車に乗った青年に出会った。
川越市からどのルートを辿り、大間に至ったのかは聞かなかったが、国道4号線を走って来て、野辺地町で国道4号から外れ、国道279号線を北上し、本州最北端の大間岬に至ったのかもしれない。

終点間近の浅虫で国道4号を見たことでもあり、次回、日本橋の「日本国道路元標」を眺めたときには、これまでとは別の感慨深いものがあるのではないかと思うのであった。

フォト:2016年9月5日
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# by ryujincho | 2016-10-05 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 04日

『津軽三味線』

9月4日。
浅虫温泉に投宿。
前夜は男鹿温泉でなまはげ太鼓。
浅虫温泉では津軽三味線と横笛。
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ギターがカッコイイと思う若者もいれば、津軽三味線や横笛が好きという若者も。
いいことだ。

横笛の曲はこの若者が作曲したという。
曲名は忘れたが、静かな雰囲気が漂ういい曲だった。

フォト:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-10-04 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 03日

『陸奥湾の夕景』

9月4日。
浅虫温泉に投宿。
宿の部屋はオーシャン・ビュー。
陸奥湾の夕景を眺める。

左手、陸奥湾の彼方に津軽富士とも呼ばれる岩木山が見える。
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正面には、陸奥湾に浮かぶ湯の島、そして、湾の彼方に夕陽が沈む。
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午後6時、西の空はオレンジ色に染まる。
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フォト:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-10-03 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 02日

『浅虫温泉』

9月4日。
この日は浅虫温泉に投宿。
湯に浸かる前に宿の周辺を散策。

「わだばゴッホになる」。
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棟方志功。
青森市安方出身。
「門世の柵」(1968年)。
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棟方志功記念館にも行ってみたいが...。

「大人になったら、したいこと。たとえば、棟方志功の青森を巡る/大人の休日倶楽部」。
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このポスターの島は陸奥湾に浮かぶ湯の島だったんだ...。

舞の海。
西津軽郡鰺ヶ沢町出身。
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舞の海は世田谷自然食品だけじゃなかったんだ...。

龍コレクション。
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全国第一位。
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観光案内図。
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浅虫水族館。
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散歩に出るとき、宿の人に尋ねた。
「浅虫水族館は遠いですか」。
「1km先にあります.午後5時で閉館となります」。
時計を見ると4時半、次回の楽しみとした。
案内図にはラッコがホタテを食べている姿が描かれているが、今はラッコは飼育されていないはずだ。

国道4号バイパスに架かる横断陸橋「ゆうやけ橋」。
もうしばらくしたら、陸奥湾に沈むであろう夕陽がまぶしい。
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ヨットハーバーと湯の島。
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歌碑。
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飛行機雲と投宿先「海扇閣」。
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さあ、宿に戻り、オーシャンビューの部屋から陸奥湾に沈む夕陽を眺めてみよう。

フォト:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-10-02 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 01日

『浅虫温泉』

9月4日。
この日の宿は浅虫温泉。
南部屋・海扇閣に投宿。
「南部屋」は、「みなみべや」ではなく、「なんぶや」である。

青森県は大きく分けて、奥羽山脈を挟んで西側が津軽地方、東側が南部地方である。
これらの地方を青森県として括りにしたのは明治になってからのことであり、それ以前は津軽氏領と南部氏領でそれぞれ独立した地方であった。
言葉も津軽弁と南部弁の大きく違い、その境界もはっきりと分かれているという。
東津軽郡平内町狩場沢と下北郡野辺地町馬門が津軽藩と八戸藩の藩境で、関所が置かれていたという。
浅虫温泉(青森市浅虫)は平内町の手前にあるから津軽地方である。
津軽地方なのに南部屋とはこれ如何に、なのである。

南部屋が木造であった頃の「鬼板」。
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今は、9階建ての<海扇閣(かいせんかく)>。
海扇閣は、陸奥湾の特産でもある帆立貝(ホタテガイ)の別称、ウミオオギに因んで名付けられたようである。

由来好きの小生にとって、宿屋の話よりもっと大事なことがある。
それは「浅虫温泉」の「浅虫」の由来である。
虫に関係があるのかと思いきや、然に非ず。
平安時代に慈覚大師(円仁)により発見された温泉は、布を織る麻を蒸すためだけに使われていた。
建久元年(1190年)にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめ、それ以来、人々に利用される温泉名も麻を蒸すことに由来し、「麻蒸」が転じて「浅虫」になったといわれている。

麻蒸湯札。
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のちほど、ゆるりと、海扇閣9階の展望風呂に入ろう。
眼前に湯の島が浮かぶ陸奥湾を眺めながら...。
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余談ながら、海扇閣の展望風呂に浸かっているお笑いコンビ「サンドイッチマン」の二人は、青森県ではなく、宮城県の出身であるが、東北代表のお笑いコンビといったところかもしれない。

フォト:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-10-01 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷/2016.9.30/(下)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。
史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。
東大駒場キャンパス構内のレストランで昼餉を摂り、少々、ワインも頂戴し、日本民藝館を見学。
つづいて、駒場公園を抜け、渋谷方面へ。

駒場公園南門を入ると、洋館が現れる。
旧前田公爵邸である。
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建物を回り込むと表玄関が現れた。
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旧前田公爵邸。
1929年(昭和4年)、旧加賀百万石の前田家第16代当主、前田利為(としなり)の本邸として建てられた。
当時の駒場の田園の野趣に合わせ、英国のチュー ダー様式を取り入れた建築。
玄関ポーチの扁平アーチに英国チューダー様式の特徴をみせている。
保存整備工事のため、平成28年7月から平成30年9月まで休館となっている。

東大駒場キャンパス北沿いの道を東へ歩き、山手通り/東大裏交差点を渡り、住宅街の一角にある鍋島松涛公園に立ち寄る。
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「どの家かは分からぬも、正面のどれかが山本富士子の家」と備前さん。
山本富士子といえば、長谷川一夫と並んで、大映の男優、女優の二枚看板。
今でこそ、物まねといえば、歌手の物まねが多いが、昔は、声帯模写と称し、有名人の声色、動物の鳴き声などが主流であった。
山本富士子の声帯模写を得意としたのは、桜井長一郎であった。
山本富士子の特徴は、余り口を開けず、小声で、時折、息を吸うというものであった。
山本富士子は1931年生まれの84歳、最近、映画やテレビでその姿を見たことはないが、今も健在だ。

池の水草が白い花を咲かせている。
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バイカモ(梅花藻)と思われる。
バイカモは冷涼で流れのある清流を好む植物。
池の水は澄んでおり、湧水である。

支柱コレクション。
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数年前、盟友、大給さんの国許御屋敷の松の支柱を検討すべく、手始めに、鎌倉・瑞泉寺の梅の支柱をコレクションして以来、支柱が気になり、コレクションするようになった。
鍋島松涛公園の、この支柱は大型の鳥居型支柱である。

鍋島松涛公園。
江戸時代、この辺り一帯は紀州徳川家の下屋敷があった。
1876年(明治9年)、佐賀の鍋島家に払い下げられ、鍋島家は茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売を行っていた。
1932年(昭和7年)、茶園は廃止、公園化、東京市に寄贈され、1950年(昭和25年)、渋谷区の管轄となった。

鍋島松涛公園から松涛美術館の脇を抜け、道玄坂下の飲み屋街に。
この店に入ったわけではないが、看板の面白さに惹かれて、カメラを向けた。
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面白い点その1:「ヨロシク!ユウチャン」とあるが、看板に描かれた顔は、ユウチャンではなく、アキラと思われる。
面白い点その2:「串カツ片手に大暴れ ソースは二度漬け禁止だぜ!!」のキャッチ・コピー。

更に、面白い点がふたつ。
それはアップで。
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面白い点その3(看板、左上):「総天然色」ならぬ「総天然食」。
昔は「総天然色」と言っていた。
いつの頃からか「カラー作品」という表示になった。
今じゃ、カラーとかモノクロとか書かれた映画看板やポスターにお目に掛かったことはない。
面白い点その4(看板左下):「日活」ならぬ「串活」。
小・中学生の頃、東映、東宝、松竹、大映、日活の大手五社が華やかりし頃、お袋から日活の映画だけは絶対に見てはいけません!ときつく言われていたことを思い出す。
この看板を見て、この看板に描かれた日活映画のパロディをなるほど!と思える世代は何歳くらいまでであろうか...。

昼のワインの酔いも抜けぬまま、ビールと日本酒を頂戴する。
そして、大放談を。

帰路、再び、JRと井の頭線を結ぶコンコースに立ち寄り、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆を眺める。
昼前より人は増えている図に満足!
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次回は、12月上旬、三浦半島/観音崎の予定。
楽しみ、楽しみ...。

フォト:2016年9月30日

(完)
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# by ryujincho | 2016-09-30 23:58 | 街歩き | Comments(0)
2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷 2016.9.30/(上)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。

史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。

集合刻限と場所は、11時30分、京王井の頭線駒場東大前駅。
井の頭線に乗るのは数十年ぶりである。
JR渋谷駅・東京メトロ渋谷駅と京王井の頭線を結ぶコンコースで、岡本太郎の『明日の神話』を鑑賞する。
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前回、この巨大壁画を鑑賞したのは、壁画がここに設置された年、2008年のことで、これも久しぶりである。

この壁画は、1969年、メキシコオリンピックに向けてメキシコ中心部に建築中だったホテルのために製作されたが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となり、その後、2003年にメキシコ国内で発見され、日本に移送、修復し、各地で一般公開の後、吹田市、広島市、長崎市、東京都渋谷区などが誘致運動をした結果、2008年、渋谷のこの地に恒久的に設置されることになったたという曰く付きの壁画である。

このコンコースでは、巨大壁画の鑑賞のほか、もうひとつ楽しみがある。
それは、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆の図である。
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ウィークデーの午前11時過ぎなので、まだ、群衆の数は少ない。
夕方、もう一度、来てみようと思いながら、井の頭線に乗車。

駒場東大前駅で下車。
自宅を出る前に、電車の時刻を電脳網の「乗換案内」でチェック。
到着駅を「東大駒場」と打ち込んだところ、これは間違いで、「駒場東大前」が正しいことに気付く。
普通、東大本郷とか東大駒場とかいうのに、何故、駅名は駒場東大前なんだろう、駅員さんに問うてみようと思いつつ、問わずに改札を通過。
その答えは、昼餉のときに自然発生的に知ることとなり、スッキリ。
その答えは、後ほど綴ることとしたい。

東大駒場キャンパス。
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昼餉は東大構内で、というのが本日の趣向。
我々の世代は、大学構内の食堂となると、いわゆる、ガクショクである。
しかし、昨今は然様なガサツなものではない。
レストラン風、いや、洒落たレストランで、その名も"ルヴェ ソン ヴェール駒場"。

食事を注文。
「酒、飲みましょか」。
「散歩のあとの一献だけど、まっ、いいか。飲みましょう」。
「シェリー酒があります」。
「それにしましょう」。
「シェリー酒といえば、リバプールの中華レストランでのことを思い出しますね。伊豫さん、IM さん、KI さん、小生の4人で出張。リバプールの中華レストランで夕食を摂ったとき、シェリー酒大好き人間の KI さんが TIO PEPE、TIO PEPE と何度も言うんで、中華レストランにそんなもん、ある訳ないやんと言いながら、駄目もとで聞いてみたら、ありましたね」。

「備前さんは、いつ頃から目黒に住んでいたんですか」。
「昭和27年から」。
「小学1年生ですね」。
「そう。夜行列車で上京したんだよね。いまでいうところの、瀬戸だね」。
「昭和20年代、30年代は夜行列車がいっぱいありましたね。親父が東京へで出張するときは、『銀河』で。神戸駅へ見送りに行った記憶があります。『銀河』、ええ名前です」。
「こちらへ来た当時の井の頭線は路面電車のようなもので、駒場駅と東大前駅というのがあったのだけれど、この二つの駅を合体して、駒場東大前駅になったんだ」。
「そうですか。それで謎が解けました。何故、東大駒場前駅じゃなくて、駒場東大前なのかと思っていたもので」。
いつ新駅になったのかと調べてみたところ、1965年(昭和40年)であるから、小生が大学生となり、上京する3年前であった。
親戚の家へ行くのに、隣の、池の上駅で下車していたのだが、池の上駅のひとつ手前の、駒場東大前は開業3年目のまだ新しい駅だったのだ。
今の今まで、知らんかった、街歩きのお陰で、京王電鉄の歴史をベンキョーできたんや、と思うのであった。

シェリー酒が運ばれて来た。
「久しぶりのシェリー酒、旨いですね」。
「ロンドンで飲んだジン・トニックも旨かったなあ」。
「どんなジンかな」。
「ビフィーター、ゴードン...」。
「この間、テレビでジン・トニックの薀蓄を語っていた番組を見ました。ジンはシップスミス VJOP、トニック・ウォーターはフィーバー・ツリー。この組み合わせのジン・トニックが本場ロンドンの味だと。シップスミス VJOPの香り付けは普通より量の多いジュニパーベリー。フィーバー・ツリーのトニック・ウォーターはキニーネ入り。元々、トニック・ウォーターはマラリア予防のキニーネを飲み易くするために作られた薬用飲料水で、更に飲み易くするためか、ジンを加えるようになったということのよう」。
「インドでのマラリア予防。それで、ボンベイ・サファイアというジンもあるんだね」。
「そうそう、ボンベイ・サファイアの、あの青い、透き通ったボトルが旨さを誘いますね」。

料理が運ばれて来た。
「ワイン、飲みましょか」。
「散歩は千鳥足になるかも。でも、飲みましょ」。

昼餉を終えて、柳宗悦によって創設された「日本民藝館」へ。
これは小生の希望で。
柳宗悦は、叔父の嘉納治五郎の別荘が我孫子(千葉県)にあったことから、我孫子に住まいするようになり、同地に志賀直哉らを呼び、我孫子に文人らが集結し、白樺派文学が進展するきっかけをつくったことにより、我孫子市には「白樺文学館」なるものがあり、そこで、柳宗悦の草稿を見たり、地下の音楽室では夫人で声楽家の柳兼子の歌声を聴いたりしたこともあり、駒場の「日本民藝館」を是非訪れてみたいと常々思ったいたので、丁度、よい機会を得、リクエストしたのであった。

日本民藝館本館。
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入館料1100円也。
展示の民藝品の数々を鑑賞。
よくぞ、これだけのものを蒐集したな、そして、分類も、と思うほどに。
展示品もさることながら、建物の内部の造りそのものも見応えがある。

備前さんが係りの人と何やら会話をしたあと、戻って来た。
「大原孫三郎の援助を得て、1936年(昭和11年)に、この地に日本民藝館ができたとのこと」と。
大原孫三郎は、倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)など経済界で活躍する一方、大原美術館を開設するなど文化事業にも熱心な人であった。
大原孫三郎が柳宗悦の民藝運動にも関わりを持っていたとは知らなかった。
ベンキョーになった。

館内は撮影禁止なので、外で何枚か<カメラ取材>を。
本館入り口の水鉢。
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同じく、本館入り口の水甕(かな?)。
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本館南西角外壁。
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本館南面外壁。
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道を挟んで西側の日本民藝館西館。
こちらは、旧柳宗悦邸を民芸館にしたもの。
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西館の脇に碑が建っている。
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碑の裏面に刻まれた文字。
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---------------------------
不二之碑
日本民藝館創立五十周年記念
昭和六十一年十月
柳 宗理 建立
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柳宗理は、日本民藝館三代目館長。
初代館長は柳宗悦、二代目は陶芸家の濱田庄司(1894-1978)、三代目は宗悦の長男でプロダクトデザイナーの柳宗理(1915-2011)、四代目は実業家(富士ゼロックス元会長)の小林陽太郎(1933-2015)、現在はプロダクトデザイナーの深澤直人となっている。

昭和61年(1986年)が50周年、今年は80周年。
ということで、只今、『創設80周年特別展/柳宗悦・蒐集の軌跡―日本の工芸を中心に-』が開催されているのであった。

見慣れた銘板、登録有形文化財。
「第13-0053号/この建造物は貴重な国民的財産です/文化庁」。
日本民藝館本館、西館共に、登録有形文化財に指定されている。
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「駒場公園を抜けて、渋谷方面へ歩いてゆきましょう。途中、あれこれと眺めながら」との備前さんの案内に従い、日本民藝館をあとにした。

フォト:2016年9月30日

(つづく)
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# by ryujincho | 2016-09-30 23:57 | 街歩き | Comments(0)
2016年 09月 29日

『JR五能線/深浦~千畳敷~鯵ヶ沢(下)』

9月4日。
JR五能線。
深浦~千畳敷~鯵ヶ沢、距離は40km弱、所要時間約1時間の区間だけながら、リゾート快速しらかみ3号にて、五能線を楽しむ。

千畳敷駅に近づく。
「千畳敷駅に15分間、停車します。千畳敷の観光をお楽しみください」と社内放送が流れる。
いわゆる、観光停車、よい趣向である。
そして、「汽笛を三度鳴らしましたら、お戻りください」と。
なるほど、これもよい手立てである。

千畳敷駅。
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東能代------86.0km-----千畳敷-----61.2km------川部
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観光案内
かつて津軽の殿さまが畳を千枚敷いて宴会をしたと伝わる岩畳の海岸。
奇岩奇岩が連なり波打ち際まで続く岩畳と水平線が絶景!
「日本の夕陽百選」にもなっており、夕暮れ時はロマンチック。
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一般道を挟んで、岩畳が広がり、その向こうに日本海。
岩畳へと向かう。

千畳敷。
右から左(東から西)へと目を遣る。
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千畳敷を歩く。
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波打ち際。
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スフィンクス?獅子岩?
千畳敷にそびえる奇岩はそんな風にも見える。
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男鹿半島の形成、一ノ目潟・二ノ目潟・三ノ目・戸賀湾の形成、潟白神山地/十二湖の形成についてベンキョーしたので、それに続いて、千畳敷の形成もベンキョーせねばと、スマホで検索してみたところ、「1792年年(寛政4年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面」と僅か一行で地学のベンキョーは終わってしまった。

そして、この「千畳敷海岸隆起生誕200年記念」の石碑にもその答えが刻まれていたのであった。
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太宰治 小説「津軽」
...木造から、五能線に依つて約三十分くらゐで鳴澤、鰺ヶ澤を過ぎ、その邊で津軽平野もおしまひになつて、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の餘波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。
この邊の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで、その海蝕を受けて平坦になつた斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、數百人の宴会を海濱に於いて催す事が出来るほどのお座敷になつたので、これを千畳敷と名附け、またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼(さかずきぬま)と稱するのださうだけれど、直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よつぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。
この邊の海岸には奇岩削立し、怒濤にその脚を絶えず洗はれてゐる、と、まあ、・・・・・・
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生干しイカ。
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当然のことながら、生干し焼きイカ、350円也をゲット!
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「そろそろ、列車へ戻ってくださーい」と、汽笛が3回、鳴る。
列車に戻る。

デッキに輪行袋に入った自転車が置かれている。
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男鹿半島からバスで北上しながら、また、五能線で北上しながら、この辺りは比較的平坦は地形だし、日本海を眺めながら自転車で走ったら気持ちがいいだろうなあと思いながら車窓の風景を眺めていた。
そんなこともあり、五能線で輪行はもったいないんじゃないの?とふと思うも、いやいや、このライダーは既にハードなコースを走り終えて、輪行し、寛いでいるんだろうと思い直した。

生干しイカ焼きを食す。
旨い!

鯵ヶ沢駅に到着。
深浦は安美錦の出身地、鯵ヶ沢は舞の海の出身地。
そして、ブスかわいい秋田犬、わさおの出身地でもある。
<取材>時間はなく、三角屋根の駅の写真のみ。
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フォト:2016年9月4日

(つづく)
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# by ryujincho | 2016-09-29 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 29日

『JR五能線/深浦~千畳敷~鯵ヶ沢(上)』

9月4日。
JR五能線。
深浦~千畳敷~鯵ヶ沢、距離は40km弱、所要時間約1時間の区間だけながら、リゾート快速しらかみ3号にて、五能線を楽しむ。

リゾートしらかみ<青池>。
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リゾートしらかみには、<青池>編成のほか、<橅>編成と<くまげら>編成もある。
なかなかよい名付け方である。
<青池>編成は、ハイブリッド気動車のHB-E300系を使用している。

車窓からの眺めを楽しむ。
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千畳敷駅に近づく。
「千畳敷駅に15分間、停車します。千畳敷の観光をお楽しみください」と社内放送が流れる。
いわゆる、観光停車、よい趣向である。
そして、「汽笛を三度鳴らしましたら、お戻りください」と。
なるほど、これもよい手立てである。

千畳敷駅。
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東能代------86.0km-----千畳敷-----61.2km------川部
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観光案内
かつて津軽の殿さまが畳を千枚敷いて宴会をしたと伝わる岩畳の海岸。
奇岩奇岩が連なり波打ち際まで続く岩畳と水平線が絶景!
「日本の夕陽百選」にもなっており、夕暮れ時はロマンチック。
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一般道を挟んで、岩畳が広がり、その向こうに日本海。
岩畳へと向かう。

フォト:2016年9月4日

(つづく)
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# by ryujincho | 2016-09-29 23:57 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 28日

『JR五能線 深浦駅(下)』

9月4日。
JR五能線 深浦駅。
待合所で、深浦の名の由来、深浦マグロステーキ丼、五能線80周年などを<取材>し、13:34発下り、快速リゾートしらかみ3号に乗車すべく、ホームへと進む。
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しらかみ3号の入線まで少々時間がある。
時間があれば、<取材>である。

駅名板、その1/横磯/深浦/広戸。
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隣り駅の横磯(青森県西津軽郡深浦町大字横磯字下岡崎)は上り側、広戸(青森県西津軽郡深浦町大字広戸字小広戸)は下り側の無人駅。
何れも地形がイメージ出来る駅名である。

駅名板、その2/横磯/深浦/広戸。
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「川部------80.3km-----深浦-----66.9km------東能代」の表示あり。
深浦駅は五能線の要衝となる駅であり、普通列車は深浦駅を境に運転系統が分かれるとのこと。

駅名板に書かれた「観光案内」に目を通す。
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北前船の風待ち湊として栄え、由緒ある寺などで歴史めぐりができる。
最近は「深浦マグログルメ」が話題、食事処では味を競っている。
また、奇岩、怪岩が連なる海岸線を赤々と夕陽が染める絶景スポット。
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奇岩と夕陽の図をアップで。
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ホームから奇岩の方角を眺める。
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奇岩の頂上に柵らしきものが見える。
ということは、上ることが出来るということのように思える。
アップで。
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「深浦駅から見える岩」で検索したところ、奇岩の頂上から撮影した写真が掲載されたブログにヒットした。
これによれば、海岸線から磯に遊歩道が設けられており、この奇岩まで行けるようになっている。
頂上からの景色は絶景である。
ホームからの眺めで、右手の家がなければ、磯も見えるはずである。
惜しい!
だが、ヒットしたブログで頂上からの絶景写真と駅名板に描かれた夕景でよしとしよう。

下り、1番線/千畳敷・鯵ヶ沢方面。
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快速リゾートしらかみ3号が下り1番線に入線して来た。
快速リゾートしらかみ3号は、秋田駅発、東能代駅から五能線を経由し、川部駅で再び奥羽本線に入り、 弘前終点となる。
便によっては青森終点もある。
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快速リゾートしらかみ3号に乗車。
13:34、定刻通り、深浦駅を出発した。

フォト:2016年9月4日
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# by ryujincho | 2016-09-28 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)