2017年 02月 11日

『手賀沼鳥見 2017.2.11/梅林雑木林で談笑/アトリ』 tb-1

2月11日(土曜)、晴れ。
手賀沼に出動。
手賀沼西端、かわせみ池近くの剪定されていない雑木林的な梅林に立ち寄る。
毎度、変わらぬパターン。

顔なじみの Birder さんがいた。
「おはようございます。何か、来ていますか」。
「梅にメジロと思って、ここに来たのですが、メジロはおらず、アトリがいます。ちょうど、この正面の奥の枝にアトリが数羽、とまっています」。
枝かぶりの向こうに目を凝らす。
「すみません。右目が白内障になってしまったもので、枝かぶりの向こうでは、左目、近眼+右目、白内障じゃ視力不足です」。
「そうですか。実は私も右目の眼圧が高く、緑内障です。眼圧を下げる目薬をさしています。右目でファインダーを覗いて、左目でファインダーの外の様子を見るというのが常識ですが、右目が不自由なので、左目でファインダーを覗いています。白内障の手術は?」。
「3月初めで予約しています」。
「白内障の手術をした人は元気いっぱいになっています。心臓のカテーテル手術をした人はパワー全快です」。

そんな会話を交わしているうちに、アトリが前面に出て来てくれた。
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ズームアップ。
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地面に降り立って。
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この写真、首を少し傾けているが、正面顔が撮れている。
最近、鳥の正面顔のコレクションにトライしている。
正面顔を<鳥ミング>して、コレクションに。
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正面顔より、やはり、斜め横顔がカワユイ。
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「この間は、風の強い日が続きましたが、そのときは自転車は?」。
「風のきつい中、4、5、6、7、8日と手賀沼出動、5連勝。途中、1日は余りに強い風で半周でギブアップしましたけどね」。
「電動アシスト付き自転車は、風が強いと電気をよく食うんです」。
「なるほど、上り坂だけじゃないんですね。向かい風でもアシストするという理屈はよく分かります」。
この Birder さん、愛車を2台、持っている。
1台はメルセデス、もう1台は某社製電動アシスト付きチャリ。

「カメラとレンズを修理に出して、戻って来たので、今日はその試し撮り。試し撮りは終わったので、これで帰ります」。
「はい、私も来月初め、レンズ交換しておきます。では、また」。

手賀沼南岸を走る。
湖面は穏やか。
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カンムリカイツブリの群れ。
風はさほどなく、寒さもそれほどでもないのに、全員、首をすくめている。
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河津桜の蕾がほころび始めている。
鉄塔もうれしそうだ。
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ハス群生地。
枯れたハスは水面上に残っていたが、年が明けてから、どんどん、水没。
初夏に若い葉が水面に出る準備はもう始まっているのかもしれない。
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水没したハス群生地で、コブハクチョウたちが群れている。
セミ・ズームアップで。
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フル・ズームアップで。
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手賀沼東端に至る。
先日は、強風下、白波を立てていた湖面も今日は穏やか。
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手賀沼北岸を走る。
三度目の正直の鳥が撮れた。
その写真も含め、北岸での鳥見の様子は続編で。

フォト:2017年2月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-02-11 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 09日

『ドラポタ佐久平支部便り/浅間遠望+α/2017.2.8+α 』

ドラポタの盟友、大給守殿は、1月中旬、国許、信州に引っ越し、隠居。
ドラポタ佐久平支部を開設。
隠居前は、時折、参勤交代で戻った国許から電子飛脚便添付で写真が送られて来て、「大給守殿からの便り」とか「佐久便り」と題し、ブログにアップしたことがあった。
隠居後も写真が送られて来るようになった。
これらを「ドラポタ佐久平支部便り」と題し、掲載していくこととしたい。

2月8日。
大給守殿からドラポタ・メンバー宛に「浅間遠望」が送られて来た。
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浅間山は今日も水蒸気を吹き上げています。
菅平にて。
大給
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武衛殿から大給殿宛て、cc:ドラポタ・メンバー宛て返信。
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大給守殿
農閑期の体力作り、ご苦労様です。
浅間山は先日の上野史跡巡りでポタした高崎から前橋にかけてもよく見えました。
水蒸気が東側に流れていました。
「歴史秘話ヒストリア」曰く。古墳時代の人は伊那から浅間山の麓を通って榛名山東麓に入り広大な範囲を開拓して、上野古墳の繁栄をもたらしましたと。今では信じられませんが、その後、2回も大噴火があった由。
武衛
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1月28日、「上野国史跡めぐり」第三弾で、武衛殿と上総にて、山王廃寺、総社古墳群などをめぐった際に、高崎、前橋方面から浅間山を遠望したのであった。

上総より返信。
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大給守殿
ええ写真!
左下の人物はなし、あるいは、足まで(スキー姿かな?)しっかり写っていたら、もっとええんやけどね。
マイ・ブログに「佐久だより」改め「ドラポタ佐久平支部便り」のカテゴリーをつくらなくっちゃと思うとります。
スマホ宛てだったんで、電脳に転送し、拡大して拝見。
カメラからスマホにwi-fiで転送?
写真ナンバーのDSCはニコン?
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大給守殿から「浅間遠望2」と題し、返信あり。
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方々
スマホでの撮影に御座ります。
かじかんだ手で撮影、スキーの時はコンタクトレンズを使用、近いものはメガネと同じで、ほとんど見えず。
スマホの標準文字サイズは良く見えず、勘で入力です。
平日のゲレンデは、がら空き、マイ・ゲレンテとなり、思いきって高速滑降が楽しめます。
10時半から16時半迄、昼休み1時間のみで、休み無し、滑りを堪能しております。
写真は入れ替えました。
大給
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「浅間遠望」と「浅間遠望2」を並べると、標題「浅間遠望」しては、最初に送られて来た写真の方がよさそうだ。
彼は以前からスマホ写真が得意。
スマホを携帯し、スキーに興じる、時代は大きく変わった。

今回で菅平は二度目のよう。
前回、1月26日付けの菅平の様子はこうだった。
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今朝も明日も、放射冷却でよく冷えます。
若くしてスキー指導員免許を取った友人から、今日は暇?と誘われて昼から菅平高原へ行ってきました。
何台か最新型スキー板を持ってきてもらい、乗り比べをして来ました。
ブーツのみ最新型、板は何にしようかと迷っているときに絶好の誘い。
平日の菅平は、高校生のスキー実習が多くありましたが、滑りには邪魔にならず。
リフト代はシニア割引、空いているゲレンデは快適そのもの。
13時から16時半のリフト運転停止まで、休み無でのフリー滑走で、スキー現役復活の気力が盛り上がってきました。
(中略)
高原の気温は低く、16時過ぎには指先が感じない程度気温低下でした。
フォトは、菅平白金ゲレンデからの妙高です。
大給
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スキー実習の高校生を見ながら、昔を思い出したのかな?
それとも、昔、取った杵柄、若者に隠居の颯爽とした滑りを見せ付けてやったのかな?
「リフト代はシニア割引」には笑ってしまった。
※このときのカメラはキヤノン。

1月23日付けで送られて来た「鳥見写真/7割、凍結」も掲載しておこう。
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アップで。
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雪の佐久平では jitensha に乗ることはままならないが、そこはよくしたもの、スキーという楽しい遊びがあるのであった。

瀬戸内育ちの小生には、雪国での生活がよくわかっていないが、大給守殿からの便りでそれを疑似体験。
今日は関東地方も降雪、積雪。

フォト提供:ドラポタ佐久平支部 大給守殿
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# by ryujincho | 2017-02-09 23:58 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(2)
2017年 02月 08日

『趾(あしゆび)/シジュウカラ、コゲラ』

2月8日(水曜)、晴れ。
ベランダのゼラニウムの葉陰で越冬するツチイナゴに遊んで貰ったあと、手賀沼に出動。
これで、今月の手賀沼出動は五連荘。
北風が強いが、前日の強風に比べれば、楽勝。

手賀沼西端、かわせみ池近くの雑木林の梅林に立ち寄る。
シジュウカラが2羽、小枝を突っついている。
枝かぶりで鳥見写真は上手く撮れない。

南岸を走る。
昨日は左肩からの追い風、或いは、左横からの風に煽られたりしたが、今日は楽チン。
手賀大橋近くの葦の原に、ジョウビタキ(オス)の姿が。
カメラを準備しているうちに飛び去った。
ここで、ジョウビタキの姿を見たのは初めてだ。
鳥見写真は撮り損ねたが、ジョウビタキの新たな鳥見スポットを発見ということが大事なことだ。

連日、白波を立てていた湖面も今日は穏やかな波。
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手賀沼東端から北岸へ入る。

輝く湖面とカモのシルエットを楽しむ。
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北岸を走る。
桜並木に差し掛かる。
シジュウカラが小枝の表面を突っついている。
昆虫の蛹かカイガラムシを突っついているのであろう。
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ズームアップ。
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コンデジのファインダーは画角が狭く、ズームアップすると画角からはみ出しそうになり、センターを外してしまった。
しかし、この写真は、枝を掴む趾(あしゆび)の形が、バッチリ、撮れており、採用。
枝を掴む趾(あしゆび)は、鉄棒でいうところの、逆手のようである。

コゲラの声が聞こえる。
コゲラの姿を探す。
いた、いた、白と褐色の斑模様のコゲラが。
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落ち着きなく、幹を、枝を、上へ上へと登って行く。
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斜めに張り出した枝の下であろうと、自慢の趾(あしゆび)でしっかりと枝に張り付いている。

「東京オリンピック 2020」では新しい競技として、ボルダリング(Bouldering)が加わった。
”boulder”とは「(水の作用で角の取れた)大きな岩、巨石」の意。
大きな岩を登ることから、このスポーツを”ボルダリング(Bouldering)”と称するようになったとのことである。

先日、テレビで、ボルダリング・ジャパンカップを見た。
岩(擬似の岩だが)がせり出した下にぶら下がらなければならない箇所もある。
コゲラの趾(あしゆび)を持たずとも、選手は見事に登って行った。
そんな場面を思い出しつつ、コゲラを眺めた。

自慢の趾(あしゆび)に続いて、自慢の嘴(くちばし)も撮ってやった。
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画像を90度、回転させるとこんな感じ。
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趾(あしゆび)について。
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趾(あしゆび、英: Dactyly, toe)とは、鳥類特有の足のつま先に該当する部分である。
鳥類の趾では、第5趾が完全に退化しており、基本は4本の趾を持つ。
第1趾が後方を向く形が多く、これは木の枝を掴む際に好都合な形状をしている。
この場合を三前趾足(さんぜんしそく)または正足(せいそく)と呼ぶ。
それぞれ第1趾(後趾)、第2趾(内趾)、第3趾(中趾)、第4趾(外趾)のように別称がある。
なお、ダチョウ目のエミューでは、第1趾が退化して三趾となっており、ダチョウではさらに第2趾が退化して二趾(第3趾、第4趾)となっている。
キジ類のうちのウコッケイは、例外的に趾が5本ある。
(出典:ウィキペディア)
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フォト:2017年2月8日
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# by ryujincho | 2017-02-08 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 02月 08日

『越冬/ツチイナゴ』

ベランダのゼラニウムの葉陰に、バッタの姿が。
数日前にも見たので、ずっとここで寒さを凌いでいるようだ。
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「バッタ 越冬」でネット検索したところ、「ツチイナゴ、成虫で越冬」にヒット。
図鑑のツチイナゴとゼラニウムの葉陰にいるバッタを見比べてみた。
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ツチイナゴと判定。

このツチイナゴ、薄紅色の葉陰を常宿としているなら、冬が終わる頃、その体色は枯葉色から薄紅色に華麗なる変身をしているかもしれない。

フォト:2017年2月8日
カメラ:オリンパスTG-3/顕微鏡モード(フォト#2)
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# by ryujincho | 2017-02-08 10:35 | 虫撮りの記(2017年) | Comments(0)
2017年 02月 07日

『南極観測60周年を思いながら』

2月7日(火曜)。
晴れ、最高気温8度、北寄りの風、強し。
昨日に続き、手賀沼へ出動。
今月の手賀沼出動はこれで四連荘。

南岸を東へ向け、走る。
昨日は西風で、完全に追い風だったが、今日は北寄りの風。
追い風ではあるが、左後方からの風、時として左横からの強い風に煽られて jitensha が右へ押し流される。

波立つ湖面。
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白波をアップで。
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余りに風が強いので、このまま南岸を走り、東端を回り、北岸に入り、手賀沼一周という毎度のパターンは諦め、手賀大橋を渡り、半周で終わりとすることにした。

手賀大橋南詰の「道の駅 しょうなん」の脇を通り、橋へと向かう。

「道の駅 しょうなん」脇の「チーバくん」の幟旗が強風で捲くれ上がってしまっている。
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少し顔を出したチーバくん。
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懸命に顔を出してくれたチーバくん。
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手賀大橋を渡る。
波立つ湖面。
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白波をアップで。
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橋の上は、もろに風を受ける。
煽られて倒れそうになる。
常磐線や地下鉄東西線は風が強いと江戸川鉄橋で徐行したり、運転を取りやめたりする(今日はどうだったかは不明ながら)。
瀬戸大橋を走るJR瀬戸大橋線も同様の対応である(同上)。
橋の上で jiensha に乗って、ひっくり返って、怪我でもしたら、アホやといわれるだけである。
jitensha から降り、<押し>で進む。

最近、南極観測60周年のテレビ番組を幾つか見た。
1956年(昭和31年)11月8日、第1次観測隊の「宗谷」は東京を出港、順調に南極の氷海に接岸し、1957年(昭和32年)1月29日、南極・オングル島で上陸式を挙行。
その日から60周年を迎えたのだ。
番組では、昭和基地の建設、ブリザードの中での作業などが映し出された。
そして、後に、タロとジロの姿も。
筆者、小学低学年の頃に見た記憶が蘇って来る。
その頃、テレビはまだ家にはなかったから、映画館のニュース映画で見たのであろう。

手賀大橋を<押し>で渡りながら、ブリザードはこんなもんじゃない、ヤワなことやと恥じ入りながら橋を渡った。

夜のニュースで東京地方は風速20メートルであったと報じていた。
手賀沼半周としたこと、jitensha を押して橋を渡ったこと、こりゃ。まあ、しゃーないことや、と心の中で思った。

フォト:2017年2月7日
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# by ryujincho | 2017-02-07 21:45 | Comments(0)
2017年 02月 06日

『梅の花』

2月6日(月曜)。
晴れ、最高気温14度、西風強し。
2月に入り、1日は昼飲み会、酒を飲んだ二日酔い気味の翌日は何となく過ごし、3日は所用ありということで、jitensha に乗っていなかった。
だが、4日、5日、そして、今日と手賀沼出動、三連荘。

いつもとは違う道から手賀沼へ。
強い西風を避けるため、風除けとなる里山沿いの道を西へ走る。
梢で鳥の声。
梢を見上げ、鳥影を探していたところ、左側に立っていた杭から鳥が1羽、飛び立った。
黒い羽、オレンジ色の胸、ジョウビタキのオスであった。
左の杭に鳥が止まっていることに全く気付かなかった。
高さといい、距離といい、鳥見写真を撮るのに絶好の位置だった。
残念と思っても仕方がない。
この道にジョウビタキのオスがいることが分かっただけでも儲けものとポジティヴに考えることとした。

手賀沼西岸、かわせみ池近くの梅林に立ち寄ってみる。
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梅林といったって、全く剪定されていない、梅の雑木林である。
ベニマシコが来ていたり、メジロが来ていたりで、結構、鳥見で楽しませてくれる梅林であるが、今日は、全く、
鳥影がない。
先日、テレビで太宰府天満宮の「飛梅」の開花した様子を見たなあと思いながら、雑木梅林の白い梅の花を楽しむのえあった。

手賀沼南岸を走る。
相当に西風が強い。
強い西風を背に受けて、完全追い風モード。
ペダルを漕がずとも、サイクルコンピューターの時速表示は19km/hから20km/hの間を行ったり来たりしている。
楽チン!

波立つ湖面。
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白波をアップで。
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手賀沼東端から北岸に入る。
今度は、チョー、強力な向かい風。
サイクルコンピューターの時速表示は、10km/h、9、8、7...と下がっていく。
漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ、5km/hをキープして。

輝く湖面。
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強い風を避け、入り江で休息するカモたち。
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明日はジョウビタキのオスを撮るぞ!と固い決意だが、さて?

フォト:2017年2月6日
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# by ryujincho | 2017-02-06 23:58 | Comments(0)
2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
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「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
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創業天保元年、「いせ源」。
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創業昭和5年、「竹邑」。
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創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
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創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
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「けむり」。
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「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅱ)』

「世界遺産 ラスコー展」。
本ブログの前編で、謎の「記号」について綴ってみた。

本ブログでは「記号」のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしているなど興味深い点が多々あるので、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

「井戸の場面」。
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井戸の場面
・物語を感じさせる場面で、洞窟の最深部である「井戸状の空間」に描かれました。
・傷つき、腸がはみ出たバイソンが、トリの頭をした男を突き刺しています。
・男の下にあるのは、トリを彫刻した投槍器(槍投げの補助具)と思われます。
・向かって左側にはケサイがあり、その尻尾の下に6つの点が描かれています。
・第3章でご覧いただいた<ラスコー洞窟のランプ>はここで発見されました。
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腸がはみ出たバイソン。
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トリの頭をした男、足元の投槍器。
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左/ケサイ、尻尾の下に6つの点。
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この洞窟壁画を眺めながら、昨年11月に訪ねた保渡田古墳群(群馬県高崎市)の八幡塚古墳から出土した埴輪群と重ね合わせるのであった。
埴輪群の中に、弓矢で射られ、臀部に矢が刺さり、血の滲んだイノシシがあった。
時代は大きく異なれど、何かを表現したいという欲求に駆られることは共通しているのかもしれない。

左端の「ケサイ」とは?
その姿は「第5章 ラスコーの壁画研究」のパネル「クロマニョン人がみた動物たち」にあった。
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右から二頭目が「ケサイ」である。
ケサイについて調べてみたところ、「ケサイ(毛犀)。ケブカサイ(毛深犀)ともいう。2万~10万年前の大氷河時代の終りに、ヨーロッパから北アジアにかけて広く分布していた大型で毛深いサイ」とあった。

「第5章 ラスコーの壁画研究」での映像解説の中で記憶に残ったことは次の通りである。
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描かれたウシは、胴が太く、頭と首は小さく、細く、四肢は細く、短いのが特徴である。
複数のウシが描かれているが、どのウシも同様の特徴で描かれている。
ラスコーの壁画は、一人の<画家>が描いたのではなく、複数の人たちで描かれたはずなので、誰かリーダーがいて、こういう形で描くようにと指示したのではないかと思われる。
因みに、リーダーの<画家>はシャーマン的な人であったかもしれないとの説もある。
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この解説を聞いて、複数のウマも同様の特徴で描かれていることに気付いた。
リーダーがいて、その指示のもと、同様のパターンで描く。
クロマニョン人は、個々の動物のみならず、壁画全体の仕上がりもイメージしながら、統一感の絵ある壁画を描き残そうとしたとすれは、これは素晴らしい芸術心、美的感覚を持った人たちであったことが伺える。

子供たち向けの案内キャラクターになった「トリ人間」。
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ラスコー洞窟内部の写真。
「牡牛の広間:入り口側からの眺め」(写真右下記載のキャプション)。
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『身廊』内の眺め:左壁に黒い牝ウシ、右壁に《泳ぐシカ》、左奥に《背中合わせのバイソン》」(同上)。
前述では、《泳ぐシカ》と《背中合わせのバイソン》の写真掲載は割愛したが、展示で素晴らしい造形を見た。
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「軸状ギャラリーの入口:牡牛の広間からの眺め」(同上)。
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首から上が黒い牝ウシ。体が赤褐色の牝のウシは、首から上が黒く描かれている。ほっそりとした首や角、長い尻尾が優美である」(同上)
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「突き当たりのひっくり返るウマ。この空間の突き当たりでは、体が黄褐色で、たてがみと脚が黒いウマが真っ逆さまにに落ちていくかのように描かれている。(写真右中央)」(同上)。
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ラスコーの壁画は非公開となっている今、洞窟内の<ナマ>の写真は貴重である。

あれこれ綴って来た本ブログも、愈々、最後となった。
最後ではあるが、会場に入ったときに目を通した主催者の挨拶文を掲載しておこう。
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ご挨拶
今から2万年ほど前、フランス南西部のヴェゼール渓谷にある洞窟に、壮大な壁画が描かれました。
そこはラスコー洞窟、壁画を描いたのはクロマニョン人です。
ラスコー洞窟の壁画は、クロマニョン人が描いた数ある壁画の中でも色彩の豊かさや、技法、そして600頭とも言われる圧倒的な数の躍動感あふれる動物画が格別に素晴らしく、1979年に世界遺産にも登録されました。
壁画を保存するため、洞窟は現在非公開となっていますが、その魅力を広く人々に知ってもらうべく、フランス政府公認のもと制作された展覧会が世界巡回している「LASCAUX INTERNATIONAL EXHIBITION」です。
そして、世界各国で人気を博しているこの巡回展に日本独自のコンテンツを加えたのが「世界遺産 ラスコー展」です。
本展では、謎に包まれたラスコー洞窟の全貌を紹介するとともに、1ミリ以下の精度で再現した実物大の洞窟壁画展示によって、研究者ですら入ることができない洞窟内部の世界を体験することができます。
また、クロマニョン人が残した芸術的な彫刻や多彩な道具にも焦点をあて、2万年前の人類の豊かな創造性や芸術のはじまりを知る旅にご案内いたします。
最後になりましたが、本展の開催にあたり、貴重な資料を出品いただきました、フランスの国立考古学博物館、国立先史博物館、古人類学研究所、アキテーヌ博物館をはじめ国内外の博物館、研究機関、ご後援、ご協賛、ご協力を賜りました関係各位に心から御礼申し上げます。
主催者
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フランスの西南部、ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟は1963年に閉鎖され、壁画は非公開となっているが、1983年、一般見学が可能なように、オリジナルの洞窟の近くにレプリカの洞窟「ラスコー2」が作られた。
更に、遠隔地での展示が可能なようにレプリカの洞窟「ラスコー3」が作られ、フランス国内で巡回の後、カナダやアメリカを巡回、日本では、今年、上野の国立科学博物館、東北歴史博物館、九州国立博物館を巡回することとなっている。
オリジナルの洞窟近くでは、昨2016年12月、「ラスコー4」がオープンしたとAFP通信は伝えている。

見物客の吐く息で壁画は損傷し、洞窟は閉鎖されたが、レプリカを次々と製作し、一般公開しているのは、文化に優れたフランスらしいない失敗をしてしまった(日本でも高松塚古墳で同様の失敗をしている)が、それをリカバーする努力もなされている現われであろう。

レプリカは「ラスコー2」、「ラスコー3」、「ラスコー4」と名付けられているが、しからば、「ラスコー1」は?
それは、オリジナルのラスコー洞窟壁画であることは申すまでもなきことであろう。

「世界遺産 ラスコー展」公式ショップにて。
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牡ウシの足元の、四角形の記号をもう一度...。
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発見!牡ウシの足元のみならず、胴、首、顔にも記号らしきものが...。

フォト:2017年1月26日

(完)
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:52 | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅰ)』

1月26日、上野・国立科学博物館で開催中の「世界遺産 ラスコー展」を楽しんだ。
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「ラスコー展」に行こうかどうしようかと昨年秋から思案。
年が明け、1月21日(土曜)、TBS「世界ふしぎ発見!30周年スペシャル」を見た。
番組の中で、雑誌「ナショナルジオグラフィック」が毎年世界から選抜する“エマージング・エクスプローラー(新しい時代を切り開く研究者)"の一人、洞窟壁画を研究するカナダの新進気鋭の古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史が紹介された。
彼女が注目したのは、動物画ではなく、これまで見過ごされてきた図形や記号で、ヨーロッパ中の洞窟の図形や記号を調査し、その解読に挑戦しているのである。

洞窟壁画の中に、図形や記号があることをこの番組で知り、図形や記号を是非見たいと思い、「ラスコー展」に行こうと決心した。

TBS「世界ふしぎ発見!」から、少々、画像を拝借して。
古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史。
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図形と点。
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ヨーロッパ中の洞窟で集めた32の記号。
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自然界や生活のことを表した記号との仮定のもと、女史は一生を掛けてその解読に挑むという硬い決意。
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1940年、世紀の大発見をした4人の少年のうちの一人、シモン・コエンカス少年(再現映像)。
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今や好々爺となったシモン・コエンカス氏が登場。
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国立科学博物館「ラスコー展」へ。

「ラスコー展」は全8章で構成されている。
第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖
第2章 封印された洞窟を開く よみがえるラスコー
第3章 洞窟に残されていた画材・道具・ランプの謎
第4章 ラスコー洞窟への招待
第5章 ラスコーの壁画研究
第6章 クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか
第7章 クロマニョン人の正体 彼らはどこから来たのか
第8章 クロマニョン人の時代の日本列島

第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖。
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ラスコー洞窟とその壁画は、1940年に地元の少年によって偶然発見されました。
その素晴らしさは感動を呼び、多くの見物客が訪れましたが、そのために壁画の損傷が進みました。
壁画を構成に残すため、現在、洞窟は閉鎖され非公開となっています。
---------------------------------
偶然の発見
1940年9月8日のこと、モッティニャツク村のマルセル・ラヴィダ少年の飼い犬が穴に落ちてしまいました。
秘密の地下通路を発見したと思った少年は、4日後、友だち3人と、間に合わせのランプをもって現場へ戻りました。
入り口を広げて入ったところ、それは新発見の洞窟でした。
驚いたことに、その中には、無数の古そうな壁画が描かれていました。
(以下、調査の様子、研究者や見物客の吐く炭酸ガスの影響で壁画が劣化、閉鎖に至る記述の掲載は省略します)
---------------------------------

TBS「世界ふしぎ発見!」ではシモン・コエンカス少年が登場、「ラスコー展」では犬の飼い主であったマルセル・ラヴィダ少年の名が登場。
解説では「犬が穴に落ちてしまった...」とあるが、或る資料では「犬が追いかけていたウサギが穴に逃げ込んだので...」とある。
細かいことをいうつもりはない。
洞窟内に描かれた無数の動物たちと、犬、ウサギ、そして、少年たちの<動物つながり>、更には、少年たちの<探検心>が「世紀の大発見」に結びついたということである。

第4章 ラスコー洞窟への招待。
次の5ヶ所が再現されている。
・「褐色のバイソン・ヤギの列・ウマの列」
・「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」
・「背中合わせのバイソン」
・「泳ぐシカ」
・「井戸の場面」

「ラスコー展」の全貌をここに綴るつもりはなく、図形や記号を中心に綴っておきたい。

「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」の壁画の中の<記号>を視認!
解説。
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黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号
・中央に大きく描かれた黒い牝ウシの背後を、様々なポーズをした20頭のウマが行進しています。
・ウシの角は先端だけが黒く塗られ、鼻先の線は舌を出しているようにも見えます。
・奇蹄類で1本指のウマと、偶蹄類で2本指のウシを脚は、しっかり描き分けられています。
・ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています。
---------------------------

「ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています」とある。
有難い解説である。

特殊ライトで浮かび上がる「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」。
ウシの足元の、謎の四角形記号を視認。
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特殊ライトが消え、彩色された壁画が現れる。
謎の四角形記号をしっかりと見る。
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アップで。
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再び、特殊ライトが点灯し、謎の四角形記号の輪郭がくっきりと現れる。
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アップで。
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「ラスコー展」での記号に関わる解説は、然程、多くはなく、この「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」に関わる1行の解説のほか、後程、巡った二つのコーナーで解説があったのみである。

第5章の「ラスコーの壁画研究」のコーナーでの映像解説によれば、紫色が使われているのは、謎の四角形記号、ただひとつであるとのこと。
紫は貴重な顔料であったのかもしれない。
紫は何を意味していたのであろうか。
そして、枡形に仕切られた四角形は何を意味しているのであろうか。
映像解説の中で、枡形に色を塗っている様子が映し出された。
そのとき、この四角形は図形や記号ではなく、色合いを調合するパレットの役目をしていたのではないかと想像した。
ひょっとしたら、この素人考えが新説となるかも...。

壁画の記号のほか、第6章の「クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか」のコーナーに展示されていたトナカイの角で作られた投槍器に、線刻された動物と共に、楕円や菱形などの記号が刻まれていた。
楕円と菱形をTBS「世界ふしぎ発見!」で登場した「32の記号」で探してみた。
楕円(oval)はあるが、菱形は見当たらなかった。

TBS「世界ふしぎ発見!」の中で、古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史は、洞窟の壁に描かれた図形や記号のみならず、無数に描かれた「点(dot)」の集合体にも拘っていた。
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「ラスコー展」では、顔に点で<化粧>する様子が展示されていた。
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この<化粧>も何か意味するものがあるのであろう。

以上が、「記号の謎」についてである。。
記号のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしており、続編で、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

フォト#2~#8、#16:2017年1月21日from TBS「世界ふしぎ発見!」
フォト#1、#9~#15、#17、#18:2017年1月26日@「ラスコー展」

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-27 23:51 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『前原古墳で鳥見』

あなたは誰ですか?
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はい、ヤマガラです。
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1月13日。
手賀沼北岸の高台の古墳をめぐった。
ドラポタの盟友、武衛さんから、1月15日に予定しているポタリングは手賀沼周辺の鳥見との希望あり。
鳥見は偶然に遭遇という側面があるので、空振りもあり得る。
それでは気の毒なので、最近、傾注している古墳めぐりも加味してと思い、手賀沼北岸の台地にある三ヶ所の古墳、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳を下見がてら、久しぶりに訪ねたのであった。
三ヶ所の古墳のひとつ、手賀沼を一望できる高野山桃山公園にある前原古墳に立ち寄ったとき、次々と鳥が現れた。

ヤマガラに続いて、コゲラが登場。
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あなたは誰ですか?
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はい、メジロです。
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シジュウカラも登場。
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夕方3時過ぎということもあって、光線の具合が難しいが、高野山桃山公園の前原古墳あたりは鳥見スポットであることが分かった。

翌14日。
前日の前原古墳での鳥見に味をしめて、朝、再び、前原古墳へ。
鳥影は皆無、今日はハズレかな?と思った瞬間、エナガの群れが現れた。
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エナガの群れが去ったあと、今度はメジロが現れた。
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明日15日、武衛殿との手賀沼周辺鳥見ポタのときも鳥影が多ければいいのだがと思いながら、手賀沼北岸の台地から手賀沼遊歩道まで下る。
手賀沼を一周しようと東へ向かうも、相当の追い風。
ということは、南岸を走るときは相当の向かい風となろう。
手賀沼東端でUターンして、向かい風を軽減させるため、北岸台地沿いの里山の道を走る。
途中、雪雲が来襲、曇り空となり、更に風は増し、雪が舞い始める。
防寒はしているが、手足の指先が痛い。
しばらくすると、晴れに。
天気雨ならぬ天気雪、狐の嫁入り/雪の巻であった。

翌15日。
武衛さんと手賀沼へ。
快晴ながら、前日よりも更に風は強く、且つ、更に寒い。
手賀沼北岸、オオバン、オナガ、コブハクチョウ、ユリカモメなどのポピュラーな水鳥たちを眺めながら走る。
台地に上り、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳をめぐる。
前日、前々日、鳥見を楽しんだ前原古墳だが、鳥影は皆無。
寒風、強く、鳥たちは巣篭もりしてしまっているのだろう。
北岸台地を下り、手賀沼遊歩道を走る。
ヒクイナの鳥見スポットで畔を眺める。
ヒクイナの姿はないが、2羽のバンが餌をついばんでいる。
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昨年末、ここでヒクイナを撮った。
年が明けて、ここで、連日、Birderさんの姿を見るようになった。
昨年の暮れまではそんな姿はなかったのだが。
「おいらは昨年12月19日にヒクイナを撮影。登場時間は僅か、5秒。12月19日付けブログに掲載しています」と話ながら、東へ走る。

手賀沼南東端に至る。
強い、北西の風。
サーフィンが出来るくらいに湖面は波立っている。
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手賀沼の平均水深は0.95メートル。
湖底の泥が巻き上がり、水の色は無残。

向かい風の強い南岸を走るのは止め、東端でUターン。
前日と同様、向かい風を避けるため、台地沿いの里山の道を走る。

蝋梅が見事に開花。
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冬晴れの青空に蝋梅の花の色が映える。
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駅前の蕎麦屋に入り、一息ついた。

フォト#1~#7:2017年1月13日、手賀沼北岸/前原古墳にて
フォト#8~#10:2017年1月14日、同上
フォト#11~#14:2017年1月15日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:55 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『ビーズのような目の、エナガちゃん』

ビーズのような目の、エナガちゃん。
でも、ピン甘。
ゴメンネ。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて。
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:54 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『逆光の葦の原に鳥影』

手賀沼北岸。
逆光の葦の原に、鳥影。
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「おいらだよ」と、ホオジロ。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:53 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『メジロの正面顔』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼鳥見ポタリング。

念願の、メジロの正面顔を撮ることが叶った。
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でも、メジロの正面顔は何だか不気味。
やっぱり、横顔がいい。
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フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:52 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『葦の原のメジロ』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼を鳥見ポタリング。

葦の原で群れている鳥影あり。
葦の原で群れる鳥といえばスズメが定番だが、スズメではないことは直ぐに分かった。
目の周りにくっきりと白いリングがあったので。
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何故、メジロは目の周りに白いリングがあるのだろうか。
これは、何故、カラスは黒いのだろうかというものと同じなので、愚問ではあろう。
だが、その答えを強いて探すとせば、「ウグイスとの違いを示すため」であろう。

メジロとウグイスの違いは、アイリングの有無のほか、鳴き声が異なること、うぐいす色と呼ばれる色はウグイスよりもメジロの色であること、ウグイスは警戒心が強いが、メジロは警戒心は薄く、その姿をゆっくりと見せてくれるということなど。

次回は、メジロの正面顔を是非撮ってみたい。

フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-01-17 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(下)』

1月11日、午後5時。
両国「もヽんじや」、開店。

先ず、麦酒で乾杯。
猪のもつ煮が運ばれて来る。
続いて、猪鍋の肉と野菜、豆腐、しらたきが運ばれて来る。
仲居さんが割り下の入った鍋に肉と野菜、豆腐、しらたきを入れた。
「これ、何人前ですか」。
「二人前を煮て、食べ終わったら、残りの二人前を煮ます。しっかりと煮た方が美味しいです。しばらくお待ちください」と言い残して去って行った。
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鹿刺しが運ばれて来た。
鹿の竜田揚げも運ばれて来た。
熊汁も運ばれて来た。

鹿刺し。
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食い気が先走り、鹿の竜田揚げと熊汁は撮り忘れた。

ぐつぐつと煮える猪鍋を前に、ご機嫌の大給守さんと伊豆守さん。
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「猪鍋は食べ頃です」と仲居さん。
「猪は何処産ですか」。
「丹波篠山です」。「
「我が国許では、ぼたん鍋と称し、やはり、丹波篠山産。直近で、ぼたん鍋を食ったのは2013年の冬だったなあ。兵庫県の越知川上流のコテージでハリポタのプチ別荘遊びをしたときに、ハリポタのメンバーが丹波篠山から猪肉を取り寄せよったんだよね」。
「鹿はニュージランド産。熊はツキノワグマで国内産です」。
「2011年の冬、ニュージランドを旅したとき、羊の放牧と並んで、鹿の放牧を見ました。鹿肉はヨーロッパ向けと言っていましたが、日本にも流通してたんですね」。
「信州からは来ることはありませんか」。
「信州はないですね」。

焼酎をボトルで注文する。
お湯と水、氷も。
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「この店にはお相撲さんも来ますか」。
「そうですね、時々。こう言っては何ですか、四つ足なので、お相撲さんによっては縁起を担いで敬遠する人もいます」。
「なるほど、四つ足ね。昨年末の『赤穂浪士討入凱旋の旅』のとき、本所松坂町の『吉良祭元禄市』で食べたちゃんこは、春日野部屋風で、豚肉だったなあ。毎年、鶏肉だったのに」。

店に入ったときは、我らのグループだけであったが、いつの間にか、満席に近くなっていた。
隣の席では、カップルが猪鍋をつつきながら、赤ワインを飲んでいた。
皆、ジビエ、ゲーム、いや、百獣(ももんじゅう)が好きなのである。
(註:「百獣(ももんじゅう)、「ジビエ」、「ゲーム」のあれこれについては、上の巻をご覧ください)、

猪鍋の第二ラウンド。
(写真解説)指でツンツンしているのではありません、これはセリです、と指差しているのです。
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「あー、喰った、喰った」。
「最初、ちょっと甘めやなあと思いましたが、ちょうど、ええ味やったですね。関西の味付けとは違う、江戸の味やね」。

焼酎のボトル2本を空けた。
締めの乾杯、、、とはならず、、、
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焼酎での、締めの乾杯とはならず、日本酒を二合徳利で数本、頂戴した。

宴は終わり、1階で再び<取材>を。
熊の毛皮、鹿の毛皮。
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「女将さん、これ、何でしょうか?熊の鼻?」。
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「そうです、熊の鼻です。皆さん、触っているうちに、鼻がもげちゃったんです」。

毛皮の前で記念撮影。
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大サービスで、もう一枚。
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表に出て、記念撮影/その1(カメラマン、大給守さん)。
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表に出て、記念撮影/その2(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その3(カメラマン、上総)。
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「ありゃ、人物、真っ暗け。取り直します」。
表に出て、記念撮影/その4(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その5「金の猪」(カメラマン、上総)。
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毎年末、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の途中、眺めて来た「金の猪」だが、猪鍋を味わったあとの「金の猪」の姿は格別である。

JR両国駅へと向かう。
回向院に差し掛かる。
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「月明かりもあるし、夜の回向院に参っておきましょう」。
回向院の境内に入り、ぐるっと巡り、再び、門の方へ。
前方を歩く三匹の熊さん、いや、御三人さん。
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「手が、熊になっちまった」と大給守さん。
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「手が、熊になっちまった」は、脚本家、上総の脚色。
本当は、「この手袋、例の手袋なんです」という言葉であった。
この皮手袋は大給守さんにとって思い出深い手袋なのである。
或る日、某地下鉄駅の露天販売でこの手袋を買った。
露天商曰く、鹿皮製だと。
しばらくすると、縫製が悪く、縫い目が解け、バラバラになってしまった。
自ら手直しし、愛用している手袋なのである。
鹿皮製であることは間違いないようだが、さて?
因みに、値段については聞かされていない。

「東京の灯よいつまでも」。
この標題は、近々、東京を離れ、国許に隠居する大給守さんの気持ちを代弁してのものである。
回向院前の交差点に立ち、JR両国駅方面を眺める。
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「東京の灯よいつまでも」ではあるが、現在の両国一帯について、若干、補足しておきたい。
その昔、現在の両国一帯は江戸ではなかった。
隅田川を国境として、西は武蔵国、東は下総国であった。
両国橋は万治2年(1659年)(寛永元年(1661年)との説もある)に架橋された。
武蔵国と下総国に跨っていたことから両国橋と呼ばれた。
貞享3年(1686年)に国境が変更され、現在の両国一帯は武蔵国に編入され、北は本所松阪町、南は深川として江戸の一画となり、明治に入り、東京になった。

諸般の事情で南国守さんは参加が叶わなかったが、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、上総の4名は「もヽんじや」の野獣肉コースに大満足の夜となったのであった。

フォト:2017年1月11日
フォト#3,4、910、11:大給守殿提供

(完)
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# by ryujincho | 2017-01-12 23:52 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(上)』

両国「もヽんじや」。
念願の猪鍋を食すことが叶った。
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何故、念願の、であったか。
それを語り出すと少々長くなるが、綴っておこう。

jitensha club ドラポタの年末恒例の企画は、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺まで赤穂浪士ゆかりの地に立ち寄りながら走る「赤穂浪士討入凱旋の旅」。
JR両国駅前に集合し、吉良邸跡から回向院、そして、両国橋東詰めの袂に立つ大高源五の句碑「日の恩や忽ちくだく厚氷」に立ち寄ることを恒例としている。
その途中、「山くじら もヽんじや」の看板と金色の猪を眺めるのも恒例となっている。
一度、店に入ってみたいなあと思いつつ、いつも金の猪を眺めるだけであった。

昨年末の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月10日、武衛さん、南国守さん、上総の3名にて挙行。
「もヽんじや」の店先に置いてあるパンフレットを手に取り、目を通す。
「大給守さんの壮行会を兼ねて、ドラポタの新年会はここでやりましょか」。
「それがいいですね」。
「では、忘年会の席で評定し、決めましょう」。

大給守さんは年末をもって江戸勤番を終え、仕官先を完全リタイア、年明けに引っ越し、国許で隠居ということと相成り、国許の獣肉の流通ルート確立のためにも、「もヽんじや」で市場調査をしておくのもよかろうということも、「もヽんじや」で新年会兼壮行会を開催する背景にあった。

12月15日、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、南国守さん、上総のメンバー5名、全員打ち揃いての忘年会での席で評定。
「新年会兼大給守さんの壮行会を両国『もヽんじや』で行いたいと思います」。
「賛成!」。
「では、『もヽんじや』で決定とします。料理は野獣肉コース、税込金7,140文也。コースの品書きは、先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚と相成っております」。
「国許で熊を食したときは、毛が入っていましたね」。
「では、熊は外して、単品の注文で」。
「いや、いや、折角ですから、野獣肉のフル・コースでいきましょう」。
「では、野獣肉コースで、日時は1月11日(水曜)午後5時にて予約しておきます」。

1月11日(水曜)。
JR両国駅。
折りしも、両国国技館で大相撲初場所が開催中。
駅構内での展示物/往年の横綱の手形。
我らの世代は栃若時代。
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沿道といえば、永谷園、永谷園といえば、遠藤。
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今年中に大関と嘱望される正代と御岳海。
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午後4時半過ぎ。
勝負を終えて部屋へ戻る力士。
左側、ポールの外側で、力士を<出待ち>するファン。
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「山くじら もヽんじや」。
午後5時前、両国橋の彼方にうっすらと夕日の残光が。
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「江戸の味 もヽんじや」。
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江戸の味 もヽんじや Momonjiya
享保3年(1718)創業の猪料理店です。
「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称しました。
現在は、この「もヽんじや」を店名にしていますが、正式には「もヽんじやの豊田屋」です。
しかし、屋号の豊田屋はどこにも掲げられていません。
元は漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身しました。
猪の肉は、冷え性や疲労回復に効果があり、肉食が禁じられた江戸時代でも、「山くじら」と称して食べられていました。
猪は丹波や鈴鹿などから仕入れたもので、味噌仕立てのすき焼きにします。
その他、鹿刺し、狸汁など、他ではめったに味わえない珍しい肉料理が味わえます。
(図/江戸時代の宣伝チラシ)
墨田区
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「もヽんじや」のパンフレットでは、「ももんじとは、百獣(ももんじゅう)から発した言葉で...」とあり、「百獣」の読みがしっかりと書かれていた。
更にパンフレットを読み進むと、「猪鍋は、何より肉の良し悪しが肝心で、当店では、三重、滋賀、兵庫などから野生のものを吟味して取り寄せ、養殖ものは使用しておりません」とある。
養殖の猪もいるのである。

「ジビエ料理」という言葉をしばしば耳にする。
ジビエ(gibier)とは、フランス語で、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことである。
日本で「ジビエ料理」という言葉がよく言われるようになったのは、いつ頃からであったろうか。
筆者は20数年前、英国に4年ばかり住まいしていたことがあった。
レストランのメニューに「ゲーム(game)」という欄があり、英国の伝統文化の一つである狩猟を「ゲーム」ということを知り、狩猟による鳥獣肉料理を「ゲーム料理」というのであった。
「ゲーム」、「ジビエ」というのもよいが、我ら日本人には「百獣(ももんじゅう)」が相応しいかもしれない。

表通りの壁に吊るされたイノシシ。
何だか、クマのようにも見える。
これまで毎年末に見て来た、この壁にぶら下がっていたのはイノシシであったので、イノシシだと思うのだが...。
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開店ちょっと前。
まだ、店内は灯りがついていない。。
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午後5時、点灯、扉が開き、暖簾が掛かる。
開店!
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「この店では、まだ、注連飾りは外していないなあ」と武衛さん。

先日7日に挙行した「ドラポタ走り初め」のときも、こんな会話が。
「松の内は今日まで。注連飾りや注連縄を外さなければなあ」と武衛さん。
「松の内は、関西では15日なんやけど、関東は7日なんやね」と上総。

帰宅後、調べてみた。
注連縄や注連飾りは、松の内が明ける頃に外すのがよいとされている。
松の内とは、門松を飾っている期間である。
松の内は、今では地域により異なっており、7日、10日、15日までなどがあるが、元々は全国的に1月15日までであった。
松の内が7日(或いは10日)までとなったことについては、江戸幕府の通達が絡んでいる。
即ち、
松の内は、元々、1月15日までと決められていた。
その頃は、鏡開きは1月20日に行われていた。
鏡餅に松の内の期間、年神様が宿っており、松の内が明けた後の1月20日に鏡開きをして鏡餅を食べるという風習であった/風習である。
江戸時代、慶安4年(1651年)4月月20日に徳川三代将軍家光が亡くなり、毎月20日が家光の月命日となり、月命日に鏡開きをするのはよくないということで、鏡開きを1月11日に行うようになった。
しかし、1月11日は松の内で年神様が宿っており、年神様に失礼であろうということとなり、寛文2年(1662年)、幕府は「1月7日を以て飾り納め」の通達を出したのであった。
幕府のお膝元である関東では松の内は1月7日までが浸透したが、関西では通達は浸透せず(江戸に対抗して無視した?)、従来通り、松の内は1月15日までのままとなったという。
なお、幕府の松の内短縮の通達には左義長(いわゆる「どんど焼き」)の禁止も織り込まれており、注連飾りを燃やす火祭りによる火災予防の意味もあったといわれている。
左義長禁止令は、明暦3年(1657年)の明暦の大火が反映されているものと思われる。

「もヽんじや」に話を戻そう。
「お二階へどうぞ」との案内を受ける。
一階に<取材>したいものが幾つか目に入る。
先ずは、ふたつを<取材>。

平成19年亥年、西暦2007年の年賀状。
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この年は、50代最後の年であったなあ...。

歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」。
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「びくにばし」は、現在の京橋の下を流れていた京橋川に架かっていた橋である。
この絵の手前左側に「山くじら」と大書された看板が、雪景色の中に置かれている。
その向かい側に「〇やき十三里」の看板がある。
栗(九里)より(四里)美味い十三里、焼き芋屋である。

年賀状と浮世絵を眺めながら、涎がじわーっと出て来る。
猪鍋が楽しみ、楽しみと思いながら、階段をとんとんとんと上がり、二階の席へ。

フォト:2017年1月11日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-12 23:51 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
2017年 01月 10日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/杉並区~中野区の巻』 df-8

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。

世田谷区内の寺社、松蔭神社、豪徳寺、世田谷八幡宮をめぐり、宮之坂から豪徳寺、梅ヶ丘、松原、羽根木を経由して、環七へ出て、環七を北上する。

環七、妙法寺入口交差点に差し掛かる。
「妙法寺に寄りますか?」。
「上高田の♪垣根の垣根の曲がり角♪と新井薬師はカットしたので、妙法寺へ行ってみましょう」。

妙法寺。
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閉門時間の4時半は僅かに過ぎ、山門は閉ざされている。
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山門の外に吊るされた鰐口を一叩きし、お参りする。
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この鰐口は上手く出来ている。
通常は「鈴の緒」(神社ではそういうが、寺院ではどういうのだろうか?)を振り、その結び目を鰐口に当てて鳴らすのだが、ここでは鰐口の前に横向きの撞木があり、そこに「鈴の緒」があたり、鰐口を鳴らすようになっている。
硬い撞木が鰐口を叩くので、よい響きで鳴るのである。

鉄格子の間から境内を眺める。
滑り込みセーフの参拝客が祖師堂でお参りをしている。
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常夜灯。
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常夜灯の台座に火消しの組名が刻まれている。
江戸の火消し組は、いろは四十八組、深川本所十六組があったという。

「一月行事予定」脇の鉄扉の隙間から境内右手奥のジョサイア・コンドル設計の「鉄門」を眺める。
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境内にいる守衛さんに「鉄門の写真を撮りたいので、ちょっと、脇に寄って頂けると有難いのですが」と声を掛け、脇に寄って貰い、シャッターを切る。
「あっ、人が来てしまった」と思わず声が出た。
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まあ、こうした写真も面白いと納得しつつあったとき、守衛さんから「中に入って、近くで撮ってください」と有難い言葉あり。
午前中に訪ねた清泉女子大の融通の利かない、いや、職務に忠実な守衛さんと異なり、こちらの守衛さんは臨機応変、誠に有難い対応である。
境内に入り、鉄門の前に立つ。
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折角、中に入れて貰って撮ったのだが、格子越しで撮った、人の入った写真の方が生き生きとしてそちらの方が出来がよかったかもしれない。。

折角、境内に入れて貰ったので、鐘楼と祖師堂も撮る。
「妙法寺」、「謹賀新年」と書かれたピンク色の提灯が妙にマッチしているところが面白い。
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妙法寺の由緒を調べようとホームページを紐解くと、冒頭、「日蓮宗 本山 やくよけ祖師 堀之内 妙法寺」の文字が現れる。
由緒は次の通りである。
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當山の由来は、今を去る事三百数十年前、元和(1615~1623)の頃、元真言宗の尼寺であったが、覚仙院日逕上人は老母妙仙院日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し、老母を開山とし、日逕上人自らは開基第二祖となられた。
山号は開山日圓上人にちなみ日圓山とし、寺号を妙法寺と号した。

当初は、目黒碑文谷の法華寺の末寺となりましたが、元禄12年(1699)3月、身延山久遠寺の直末となりました。
この時、法華寺から除厄け日蓮大聖人の霊像を お迎え致しました。
この像があらゆる災難除けに霊験あらたかなことから人々の信仰を集め、法運隆盛をきわめて 今日に至っております。

祖師堂に安置し奉る日蓮大聖人像は、世に「除厄け祖師」と呼ばれ、江戸時代から現代に至るまで、霊験あらたかなことでひろく信仰を集めています。
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妙法寺を訪ねたのは、今回で三度目となる。
一度目は、「日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」の一環として2009年8月1に「訪ねたのが最初であった。

そのときのポタリング記録を紐解くと、「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/前編」/日暮里駅~上野、秋葉原、神田~丸の内/三菱一号館~霞ヶ関/旧法務省~浜松町(福気ラーメン)~芝公園~桜田通り~三田/綱町三井倶楽部(旧三井家倶楽部)~桜田通り~白金台/明治学院大学~高輪/高輪消防署二本榎出張所、承教寺(英一蝶の墓)~桂坂、第一京浜~高輪/三菱開東閣(旧岩崎弥之助高輪邸)~東五反田/清泉女子大学(旧島津家袖ヶ崎邸)~目黒川沿い桜並木~アルコタワー、目黒雅叙園旬遊紀(旧岩永省一邸)~白金~首都高速2号線沿い~恵比寿3丁目~外苑西通り(広尾、西麻布、青山墓地、南青山、神宮前(SPECIALIZED店)、仙寿院(明治公園/バイシクル・ホッケー)、JR中央線高架、四谷4丁目、新宿御苑東)~新宿通り~明治通り~大久保通り~環七通り~杉並・堀ノ内/妙法寺(鉄門)~環七通り~高円寺駅/走行距離は46.35km」と記されている。

そのときのことは兄弟ブログの初代「上総守が行く!」で「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」第9話「妙法寺鉄門」と題し、綴っており、読み返してみた。
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途中、バイシクル・ポロなどを眺めたりして寄り道もありましたが、目黒から恵比寿、広尾、西麻布、青山、神宮前、四谷、新宿を抜け、大久保通りを西へ走り、環七通りに至りました。
先ほどまでの天気は何処へやら、黒雲が広がって来て、今にも降りそうな雲行き。
環七通りを少し南へ下ると妙法寺、「もうちょっとだから、降らないでおくれ」と念じながら、妙法寺へ向け、急ぎ、走りました。

妙法寺に着くと、丁度、寺の鐘が鳴り始めました。
時計を見ると5時。
山門は既に閉じられていました。
お寺は、後日、ゆっくりお参りすることにして、鐘の音を聞きながら、目的の「鉄の門」を探しました。
直ぐに分かりました。
山門の右手に鉄門がありました。
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説明書きに「国重要文化財。1878年(明治11年)製作。明治初期の和洋折衷様式の鉄門として数少ないもの...」とありました。
こ鉄門が製作された1878年(明治11年)は、コンドルが来日した翌年です。
この鉄門は工部省の製作によるものとの記録はあるものの、コンドルが関わったかどうかは定かではないとのこと。
但し、コンドルは工部大学校の教師に加え、工部省の顧問でもあったので、この鉄門に関わったとの説もあるようです。
何故、工部省がお寺の門に関わったのかと、またまた、"歴史徘徊病"が頭をもたげて来ました。

JR高円寺駅から輪行にて帰宅。

走行距離46.35km。

フォト:2009年8月1日

<前編、完/後編に続く>
-------------------------

因みに、「日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」の後編は、翌週の8月8日、「日暮里駅~上野/旧岩崎邸庭園~本郷/東大構内 ジョサイア・コンドル像~神田駿河台/ニコライ堂~湯島聖堂~神田明神~外堀通り、水道橋、春日通り、不忍通り~護国寺/ジョサイア・コンドル夫妻墓所~不忍通り、本郷通り~旧古河庭園~本郷通り~日暮里駅/26.67km」であった。

二度目の妙法寺訪問は、2012年2月11日。
最初の訪問は単独行であったが、二度目のときは、今回のメンバーと同様、大給守殿と武衛殿と共に、であった。

そのときのポタリング記録を紐解くと「JR中野駅集合~曹洞宗天徳院/梶川與惣兵衛の墓所(「抱きとめた片手が二百五十石」。浅野を抱き留めた梶川殿はその功績で五百石の加増とか)~曹洞宗龍寶山萬昌院功運寺/江戸の吉良家菩提寺~鈴木家/童謡♪たきび♪の垣根の曲がり角~真言宗豊山派新井山薬師寺、別称・新井薬師~哲学堂~北から南へ下がって~妙法寺/日本近代建築の父、ジョサイア・コンドル設計の鉄門~一路、高田馬場へ~~中山安兵衛高田馬場之決闘助太刀ゆかりの地/水稲荷神社境内/「堀部武庸加功遺跡之碑」~甘泉園/徳川御三卿清水家下屋敷跡~面影橋/太田道灌と山吹伝説、石碑「山吹の里」~上総旧宅跡(早い話が下宿先「三ヶ島家」跡)~神田川沿い~関口芭蕉庵~Printing Museum/球形モニュメント~丸の内/32.33km」と記されている。

最初の訪問のときは、閉門後であり、ジョサイア・コンドル設計の「鉄門」は表の鉄扉と思い込んでしまったが、二度目の訪問で境内右奥の「鉄門」がジョサイア・コンドル設計の門であることに気づいたのであった。

そんなこんなで、今回、閉門後ではあったが、ジョサイア・コンドル設計の「鉄門」を鉄扉越しに、そして、守衛さんの配慮で間近に眺めることが出来たのであった。

旧仕官先の先輩、K.K.氏は杉並区堀ノ内にお住まいだったなあと思いながら、妙法寺をあとにした。

JR中野駅に到着。
ちょうど、日は暮れた。
上高田の童謡「たきび」の♪垣根の垣根の曲がり角♪発祥地と新井薬師はカットし、中野ブロードウェイ東側のディープな飲み屋街に入り、台湾料理店で反省会。
先ずは、皮蛋と麦酒で乾杯。
そして、各種料理と台湾紹興酒を。
大給守殿から「紹興酒をもう1本」の声が出たが、「あかん、あかん、引っ越し前の大事な身体。ハーフボトルにしときましょ」。
三人で1.5本、適量であった。
もちろん、帰路は<押し>で。

こうして、今月半ばに引越しし、国許で隠居生活に入る大給守殿の(取り敢えずの)ドラポタ江戸府内ラストラン、題して、「ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでも」は無事に終わったのであった。
「東京の灯よいつまでも」写真は11日に予定されているドラポタ新年会&大給守殿壮行会のときに撮るであろう写真として、本ブログの最後を飾る写真は、グルメ写真家、大給守殿撮影の「皮蛋」で〆てみた。

フォト:2017年1月7日
#19(皮蛋):大給守殿提供
#13~#18:2009年8月1日(アーカイブより)

(完)
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# by ryujincho | 2017-01-10 23:38 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 09日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/世田谷区の巻(Ⅲ)』 df-7

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。

豪徳寺から西へ走り、世田谷八幡宮へ。
道に迷うことなく、走る。

世田谷八幡宮。
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変額コレクション。
シンプルに「八幡宮」とだけ刻まれているところがなかなかよい。
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狛犬コレクション。
狛犬は、片や、子連れ、方や、蹴鞠という姿が多いが、ここ、世田谷八幡宮の狛犬は、阿形、吽形、両方とも子連れで、これは珍しいものである。
2012年1月にこの両方とも子連れの狛犬を見て以来、各地の寺社の狛犬を仔細に見るようになり、狛犬コレクションを始めた、そうした切っ掛けを作ってくれたのが世田谷八幡宮の狛犬なのであった。

「狛犬さん、狛犬ちゃん、久しぶりだね、5年ぶりだね」と思いながら撮った6葉の写真をここに掲載しておこう。

右/阿形。
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角度を変えて、親を見上げる子の姿を。
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吽形。
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角度を変えて、親を見上げる子の姿を。
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世田谷八幡宮の祭神は、應神天皇、仲哀天皇、神功皇后。
例祭日は、9月15日。
由緒 は、寛治5年(1091年)、後三年の役の帰途、源義家がこの宮の坂の地で豪雨に会い、天気回復を待つため、滞在することとなり、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請し、祀ったという。

夕日に映える土俵を眺める。
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嘗ては、奉納相撲で、その勝敗によって豊作・凶作を占ったり、あるいは、豊作を感謝した。
今でも、毎年、秋の例祭には東京農大相撲部による奉納相撲が行われている。

時計は午後4時を指している。
「中野に到着する頃は日暮れ。上高田の ♪垣根の垣根の曲がり角♪と新井薬師 はカットとなりましょう」。
「取り敢えず、中野駅を目指し、走りましょう」。

宮之坂から豪徳寺、梅ヶ丘、松原、羽根木を走り、環七へ出て、環七を北上する。

フォト:2017年1月7日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-09 23:37 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 09日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/世田谷区の巻(Ⅱ)』 df-6

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。

松蔭神社から西へ走り、豪徳寺へ。
2012年1月、猫殿の誘いで「世田谷寺社めぐり」をした際は、順序が逆で、世田谷八幡宮、豪徳寺、松蔭神社の順に訪ねたが、案内は猫殿に任せていたので、道順ははっきりとは分かっていない。
多分、ここら辺りだったはずというところで、道行く人に尋ねた。
「ここは、ちょうど、豪徳寺の裏手です。その先の角を左に曲がり、真っ直ぐに行くと豪徳寺の山門へ出ます」と教えてくれた。

「諸説ありますが、井伊家の殿さんが鷹狩りに出掛けたとき、雨が降ってきて、木の下で雨宿りしていたところ、猫が招くので、そちらの方に行ったところ、先ほど、雨宿りしていた木に雷が落ち、殿さんは猫のお陰で命びろい。それが、豪徳寺の招き猫の由来」と知ったかぶりを披露しながら走っているうちに、豪徳寺の山門前に到着した。

豪徳寺の招き猫に関わる諸説を参照するため、2012年1月に豪徳寺を訪ねたときのことを綴ったマイ・ブログ、初代「上総守が行く!」を紐解いてみた。
我ながら申すのも何だが、誠によく書けている(???)おり、それをここに転載しておこう。

=====2012年3月2日付け=====
豪徳寺。
彦根般井伊家菩提寺、そして、招き猫の由来を持つ寺である。
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山門の扁額「碧雲閣」。
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三重塔には、小判をくわえた鼠の彫り物の脇に招き猫が飾られているとのこと。
これは、後日、知ったことで、次回の楽しみとなった。

彦根藩主井伊家墓所。
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説明書きの骨子は次の通りである。
寛永10年(1623年)頃、世田谷が井伊家所領となり、弘徳院が菩提寺になった。
2代藩主井伊直孝が没した後、その法号「久昌院豪徳天英大居士」に因み、「豪徳寺」となった。
井伊家菩提寺は、豪徳寺、清涼寺(彦根市)、永願寺(東近江市)の三ヶ寺である。

井伊家墓所全体図で、2代藩主井伊直孝と13代藩主井伊直弼の墓所を確認する。
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墓所の案内図は有難いものだ。
「日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」の際、護国寺では受付で墓地の配置図が貰えた。
「赤穂浪士討入凱旋の旅」《番外編》で、吉良家家老 小林平八郎の墓所である、巣鴨の龍眼寺を訪れた際には、掲示もなにもなく、墓を探すのに往生したこともあった。

井伊家墓所に入る。
直孝の墓は正面、直弼の墓は左奥だ。
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2代藩主井伊直孝の墓。
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13代藩主井伊直弼の墓。
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数日前に降った雪が残っている。
桜田門外の変のときも雪であった。
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墓参のあと、三重塔向かいの、招猫殿に詣でた。

フォト:2012年1月28日

(つづく)

=====2012年3月4日付け=====
豪徳寺。
近江彦根藩主井伊家墓参を終えた後、招猫殿に詣でた。
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ゆるキャラ「たまにゃん」。
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「御祈祷 お札 お守り福銭 塔婆 招福猫児 総受付迄」。
豪徳寺では、招き猫を「招福猫児(まねぎねこ)」という。
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招き猫の由来には諸説ある。
豪徳寺由来説もそのひとつ。
豪徳寺由来説にも諸説ある。

<豪徳寺由来説/その1>
近江彦根藩二代藩主 井伊直孝が鷹狩りの帰りに弘徳院(のちの豪徳寺)の前を通りかかった。
そのとき、この寺の和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたので、寺に立ち寄り、休憩した
すると、雨が降りはじめた。
雨に降られずに済んだことを喜んだ直孝は、弘徳院に多額の寄進をし、豪徳寺と改め、井伊家の菩提寺とした。
猫が招いた縁によって盛り返した豪徳寺は、後に境内に招猫堂を建立し、猫が片手をあげ招いている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)を作るようになった。

<豪徳寺由来説/その2>
近江彦根藩二代藩主 井伊直孝が鷹狩りの帰りに弘徳院(のちの豪徳寺)の前を通りかかった。
豪徳寺の一本の木の下で雨宿りをしていたところ、一匹の猫が手招きをしていた。
直孝がその猫に近づいたところ、先ほど雨宿りをしていた木に雷が落ちた。
雷に打たれずに済んだことを喜んだ直孝は、弘徳院に多額の寄進をし、豪徳寺と改め、井伊家の菩提寺とした。
猫が招いた縁によって盛り返した豪徳寺は、後に境内に招猫堂を建立し、猫が片手をあげ招いている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)を作るようになった。

彦根藩のお殿様が、寺の前にある、一本の木の下で雨宿りをするというのは不自然である。
寺があるのだから、寺の中で雨宿りをするというのが自然であろう。
しかし、猫の手招きに誘われて、落雷を避けることが出来たという説の方がインパクトがあるので、小生は、<豪徳寺由来説/その2>の”落雷説”を採りたい。

豪徳寺の招き猫を見てみると、大変、シンプルである。
右手(右前足)を掲げているだけである。
小判や打ち出の小槌などは持っていない。
右手(右足)としているのは、井伊家の菩提寺であることと関わりがあり、武士にとって左手は不浄の手であるからとのことだ。
また、招き猫は機会を与えてくれるが、結果までついてくるわけではなく、機会を活かせるかどうかは本人次第という考え方から、小判は持っていないとのことだ。

彦根には、ゆるキャラ日本一の呼び声が高い、「ひこにゃん」がいる。
「ひこにゃん」は、世田谷・豪徳寺のゆるキャラ「たまにゃん」の兄貴分といったところであろう。

今回の企画ならびに案内役を務めてくだすった「招猫守」殿の名も、ここ、豪徳寺の招き猫を由来とする。
即ち、世田谷在住の愛猫家、世田谷といえば豪徳寺、豪徳寺といえば招き猫ということで、ご本人、自ら命名されたもの。

世田谷寺社めぐりも、愈々、佳境。
最後の訪問地、松陰神社へ向かう。

フォト:2012年1月28日

(つづく)
========================

以上が前回、豪徳寺を訪れたあと、綴ったブログである。
今回、訪れたときに撮った写真の中で、前回と被らないような写真のみピックアップして掲載しておきたい。

狛犬コレクション、その一。
仏殿前の大香炉。
豪徳寺は猫の寺であるが、狛犬コレクションの一環で大香炉の唐獅子を超アップで。
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仏殿。
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井伊家の家紋は「丸に橘」。
この家紋を見ると思い出すこと、それは映画『切腹』。
原作、滝口康彦著小説『異聞浪人記』。
小林正樹監督、仲代達矢、石浜朗主演、1962年松竹作品。
リメイク版は『一命』。
三池崇史監督、役所広司、市川海老蔵主演、2011年松竹配給。

物語りの始まりはこうだ。
寛永7年(1630年95月13日、井伊家の江戸屋敷を、元・安芸広島藩福島家の家臣、津雲半四郎と名乗る浪人が訪ねてきた。
半四郎は井伊家の家老である斎藤勘解由に「仕官もままならず生活も苦しいので、このまま生き恥を晒すよりは武士らしく、潔く切腹したい。ついては屋敷の庭先を借りたい」と申し出た。
そして、...。

第一作はモノクロ、リメイク版はカラー、モノクロがこの物語の陰惨さをよりリアルに表現している。
リメイク版は、第一作をリスペクトしてか、カメラ・アングルが非常に似通っており、好印象。
全体的に出来栄えは第一作に軍配であるが、リメイク版で、井伊家の家臣、沢潟彦九郎を演じた青木崇高の、あの演技がこの物語のおどろおどろしさに大いに貢献している。

この物語の面白いところは、元・安芸広島藩福島家の家臣である浪人の訪ね先が井伊家江戸屋敷になっているということだ。
豊臣恩顧の武将、福島正則は関ヶ原の戦いで徳川方につき、安芸広島藩49万石を拝領するも、徳川秀忠の時代になって、幕府に無断で広島城の石垣を修復したといちゃもんを付けられ、信濃高井野藩4万5千石に減封、その後、あれやこれやで改易となる。
元・福島家家臣にすれば、にっくき徳川幕府、ならば、徳川の重臣、井伊家をやっつけてやるということとなったになったのであろう。
井伊家江戸屋敷はえらく迷惑なことではあるが...。

さて、然様な物語のずっと以前の井伊家の物語、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』は新年8日から始まるが、どのような展開になるのか...。

本堂と八角灯籠。
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火袋には
雲の中を駆ける獅子と楽器を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)が浮き彫りされている。
昨年秋、東大寺を訪ねた際、大仏殿前の八角灯篭を見たばかりであったので、こちらの八角灯篭も興味深く見た。

笙を演奏する音声菩薩。
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縦笛を吹く音声菩薩。
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横笛を吹く音声菩薩。
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鈸子(ばっし)を打ち鳴らす音声菩薩。
鈸子はシンバルを小型にしたような楽器である。
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「招福猫児(まねぎねこ)」。
前回、訪ねたときはいっぱい写真を撮った。
今回はじっくりと眺めた。
今回、気づいたことは、猫の表情はすべて同じなのだろうが、見る角度によって異なって見えるということであった。
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「福」をカメラに吸い込んでいる大給守殿。
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「御祈祷お札お守り福銭塔婆招福猫児は總受付迄」。
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前回、訪ねたとき、同じ場面を撮っている。
上掲の当時の写真と見比べてみた。
変わりはないように見えたが、一点、異なっているところを見つけた。
それは、右上にある「家内安全」「商売繁昌」のお札に朱印がないということであった。
拡大してみると、朱印の痕跡のようなものがあるので、日に焼けて変色し、消えてしまったのかもしれない。
ちょっと細かいところを見過ぎてしまったようで、反省!

大小のペアで並んでいる招福猫児も可愛らしい。
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井伊家墓所。
前回も感じたことだが、ゆったりとした墓地。
午後3時過ぎの冬の光がきれいに掃き清められた墓地を照らす。
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歴代の殿様の墓を一つ一つの墓を見ながら、「やはり、皆、戒名は院殿なんだなあ」と武衛殿。

井伊直弼の墓。
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墓石には「宗觀院殿正四位上前羽林中郎將柳暁覺翁大居士」と刻まれている。
武衛殿が「正四位なんだなあ」と呟く。

上述の、2012年のブログで「三重塔には、小判をくわえた鼠の彫り物の脇に招き猫が飾られているとのこと。これは、後日、知ったことで、次回の楽しみとなった」とある。
今回、地元の案内人の人が参拝客に説明している声が聞こえたが、しっかりとは見なかった。
次回の楽しみに残しておこう。

松蔭神社を訪ね、豪徳寺も訪ねた。
これは、神田明神にも参るけど、成田山新勝寺にも参るというようなもので、我ながら、ちょいと呆れるが、まあ、何れにもご容赦願おう。

山門を抜け、参道を通り、表通りへ。
狛犬コレクション、その二/参道入り口にて。
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豪徳寺から西へ走り、世田谷八幡宮へ。

フォト#1~#20:2012年1月28日(アーカイブより)
フォト#21~36:2017年1月7日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-09 23:36 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 09日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/世田谷区の巻(Ⅰ)』 df-5

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。

目黒不動尊に参り、目黒通りを西へ走る。
「次は、駒沢オリンピック公園、松陰神社、豪徳寺、世田谷八幡宮となります。駒沢オリンピック公園は中根交差点を右折して、自由通りを北上。これをカットするなら、その手前の柿ノ木坂陸橋交差点を右折して環七を北上。後工程を考え、駒沢公園はカットしましょうか」。
「駒沢公園はカットしましょう」。

駒沢オリンピック公園。
2020年の東京五輪の施設建設で、声高に、レガシー、レガシーと叫んでいる御仁がいる。
レガシー、レガシーと叫んでいる割りには、駒沢オリンピック公園の施設利用の話はまったく耳にしない。
1964年の東京オリンピックが開催された当時、旧国立競技場や駒沢オリンピック公園がレガシーになると思われていたはず。
ということは、いま、レガシー、レガシーと言って建設される施設も、いずれ、旧国立競技場や駒沢オリンピック公園のように解体されたり、忘れ去られたりするのであろう。
今回は時間の都合で駒沢オリンピック公園はカットするが、2012年に世田谷在の猫殿が案内してくれた「世田谷寺社めぐり」の中で訪ねて以来、行っていないので、2020年の東京五輪開催までに、もう一度、訪ねておきたい。

松陰神社。
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申すまでもなきことながら、祭神は「吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと)」。
神紋は「五瓜に隅立て万字」。
吉田家の家紋である。
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参道を進む。
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「松蔭先生、2012年1月以来のご無沙汰です」。
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境内奥の松下村塾を眺める。
「学は、人なる所以を学ぶなり」(松下村塾記)

萩の松蔭神社、そして、松下村塾を訪ねたのは、2010年秋のことであったなあ...。
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アーカイブ(2010年11月19日)より。
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世田谷の松蔭神社に話を戻して。
「一月 松蔭先生の言葉」。
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一月 松蔭先生の言葉
神明を崇め尊ぶべし。
妹 千代宛書簡
安政元年 在野山獄
十二月三日 二十五歳
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妹 千代宛書簡
安政元年(1854)12月3日
◎神明を崇め尊ぶべし。
大日本と申す国は神国と申し奉りて、神々様の聞き給える御国なり。
然ればこの尊き御国に生まれたるものは貴きとなく、賤しきとなく、神々様をおろそかにしてはすまぬことなり。
併し世俗にも信神心という事する人もあれど、大てい心得違ふなり、神前に詣でて柏手を打ち、立身出世を祈りたり、長命富貴を祈りたりするは皆大間違ひなり。
神と申すものは正直なるを好み、又清浄なる事を好み給う、夫れ故神を拝むには先ず己が心を正直にし、又己が体を清浄にして、外に何の心もなくただ慎み拝むべし。
是を誠の神信心と申すなり。
▲児玉家に嫁ぎ一児の母となった妹に送った手紙、松陰先生の家族観、育児観、女性観そして各々の家風を尊重し微風として受け継ぐことが大切としている。
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この日のポタリングには不出馬ながら、盟友、南国守殿がドラポタのメンバーとなる切っ掛けとなったのは、世田谷在の友、猫殿の計らいによるものであった。
猫殿と南国守殿は某商社の同僚にて、筆者の顧客で、若いころから仕事のみならず、夜な夜な、一緒に遊ぶこともあり、云わば、社会人になってからの、ポン友である。
南国守殿は2000年から或る南の国に駐在となり、時折、メル友はしていたが、10余年、会っていなかった。
2012年1月、猫殿の誘いで「世田谷寺社めぐり」を挙行。
コースは「東急田園都市線桜新町駅~<林田(水前寺清子)邸>~<長谷川町子美術館>~玉川大師~二子玉川~野毛公園~等々力渓谷~<小林旭邸>~九品仏/浄真寺~<小澤一郎邸>~日体大~駒沢大学~駒沢オリンピック公園~<猫殿ファクトリー/かとう>~<元・笠置シズコ邸>~世田谷八幡宮~豪徳寺~松陰神社~東急電鉄田園都市線駒沢大学駅前/居酒屋「酉の市」>というもので、最後の訪問地が松蔭神社、そして、反省会は駒沢大学駅前の居酒屋「酉の市」であった。
居酒屋「酉の市」へ入った瞬間、見慣れた顔が。
南国守殿であった。
10余年ぶりの再会であった。
「上総ちゃん、自転車、やってるんだって。おれさぁ、この3月で完全隠居だから、今、やってる合気道、登山、魚釣りに加え、自転車もやりたいんだよ」。
「了解!自称、自転車の伝道師。今は寒いから、春になる前に愛馬をゲットし、暖かくなったら、あちこち、一緒に走りましょう。いい馬市を知ってますんで、いずれ、そこへお連れしましょう」。
こうして、南国守殿はこの年、ドラポタのメンバーになったのであった。
そういうことで、ここ、松蔭神社は思い出の地なのであった。
ここで、改めて、猫殿に感謝!と申し上げておきたい。

松蔭神社から西へ走り、豪徳寺、世田谷八幡宮へと向かう。

フォト:2017年1月7日
フォト#1:大給守殿提供
フォト#6~#11:2010年11月19日(アーカイブより)

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-09 23:35 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 09日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/目黒区の巻』 df-4

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。
千代田区から港区を経て、品川区/清泉女子大へ、そして、再び、港区に入り、白金台の三田用水路跡と東京都庭園美術館を訪ね、丁度、昼餉時となった。
ラーメン好きの大給守殿の提案で、権之助坂下の「勝丸」へ行くこととなった。
目黒通りを西へ走り、目黒駅を通過し、権之助坂を下る。

今回のポタで気付いたのだが、目黒駅は、目黒区内ではなく、品川区内なのである。

「勝丸はあるかなあ」。
権之助坂をどんどん下る。
「あった!」。
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「何で勝丸を知ってるの?」。
「仕事でここら辺りも来ていたこともあるので」。
今月半ば、国許に戻る大給守殿、思い出のラーメン店なのであった。

さて、愈々、次は、大給守殿からリクエストのあった目黒不動尊だ。

昨年末、武衛殿と霞ヶ浦ポタをしながら、次のような会話があった。
「何故、大給守殿は目黒不動尊を所望したのでありましょう?」。
「多分、ブラタモリで目黒界隈をやっていたからじゃないでしょうか」。

で、大給守殿に尋ねた。
答えは「仕事でこの界隈に来ることがあったんですが、目黒不動尊に参ったことがなく、是非に、と思った次第。そして、ブラタモリでやっていたから」。
武衛殿の推察通りであった。
因みに、理由はここでは述べないが、筆者はブラタモリは見ないことにしている。

大鳥神社交差点を左折し、山手通りを南進、適当なところで右折、細道を行き、不動公園を左折、目黒不動尊に至る。

目黒不動尊 瀧泉寺。
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山号は泰叡山、宗派は天台宗、本尊は不動明王。
通称、目黒不動。

寺伝では、808年(大同3年)、円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して創建したという。
円仁(諡号、慈覚大師)は、794年(延暦13年)、下野国都賀郡の豪族、毛野氏の一族、壬生首麻呂の子として生まれる。
昨年8月、国府跡・国分寺跡・総社めぐりの一環で下野国を訪ね、更に、9月、男鹿半島の真山神社を訪ねた際、慈覚大師(円仁)お手植えと伝えられる樹齢千百余年の榧の木を見物した。
そんなこともあって、円仁(慈覚大師)が瀧泉寺を創建したと知り、親しみを覚えるのであった。
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扁額コレクション。
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龍コレクション、その一/山門脇手水鉢の龍の口(たつのくち)。
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龍コレクション、その二/独鈷の滝。
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独鈷の滝の傍らに立つ不動像に水をかける参拝客。
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大阪・法善寺横丁の、苔むした水掛不動を思い出す。
そして、場違いなるも、藤島恒夫が唄う「月の法善寺横丁」の歌詞とメロディーが頭の中を過ぎる。
♪包丁一本 さらしに巻いて 旅にでるのも 板場の修業...♪
台詞入りというのが、これまた、よかったなあ。
「...はよう、立派な板場はんになりやゆうて、長いこと水掛不動さんにお願いしてくれましたなあ。あの晩から、わては、わては、こいさんが好きになりました」。
1960年(昭和35年)、筆者、小学6年の頃のヒット曲であった。

石段を上り、本堂へ。
龍コレクション、その三/本堂前手水鉢の龍の口(たつのくち)。
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本堂。
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龍コレクション、その四。
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拍手に反応して踊る獅子舞。
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龍コレクション、その五/下り女坂の途中で見掛けた龍の口(たつのくち)。
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鷹居(たかすえ)の松跡。
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鷹居(たかすえ)の松跡
江戸幕府3代将軍家光が、寛永(1624~1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹が行方不明になりました。
家光が目黒不動別当の実栄という僧に祈らせたところ、鷹は境内の大きな松の枝に飛び戻ってきました。
このことに家光は大いに喜び、この松を「鷹居の松」と命名したといわれています。
これ以後、家光は不動尊を深く信仰するようになり、火災によって焼失していた目黒不動尊の堂塔を次々と再建させ、寛永11年(1634)には諸堂末寺等を併せて50余棟に及ぶ壮大な堂塔伽藍が完成したといいます。
幕府の保護を受けて以来、歴代将軍が目黒不動尊へ参詣するようになると、江戸庶民にも不動尊信仰が広がり、目黒不動尊は江戸近郊の有名な行楽地の一つとなり、大変にぎわいました。
尚、現在の松は「鷹居の松」の話から何代か後のものになります。

平成21年3月
目黒区教育委員会
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ここに「目黒のさんま」のことも、ちょいと触れてくれておれば、粋な目黒区教育委員会となると思うんだが...。

武衛さんの案内で、門前の一角にある「白井権八、小紫の比翼塚」を眺める。
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白井権八は、4世鶴屋南北作の歌舞伎 「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」 の一場、「鈴が森」 に登場する浪人崩れ。 
モデルは、実在の鳥取藩家臣、平井正右衛門の長男、平井権八。
歌舞伎は、平井権八の実話、即ち、寛文12年(1672年)年秋、父親と同僚の本庄助太夫と間のささいな諍いを耳にした権八が腹を立て、本庄を殺害し、そのかどで追われ、江戸へ逃れ、あれやこれやの経過を辿り、品川・鈴が森で処刑され、自分のために大罪を犯して、獄門になったことを知った小紫は、吉原を抜け出し、東昌寺の権八の墓前で後追い心中したという話をヒントに作られた物語。

歌舞伎には疎いが、鈴が森の場面での幡随院長兵衛の「お若いのー、お待ちなせーやし」、白井権八の「待てとおとどめなされしは、拙者が事で御座るかなー」の台詞はよく知られるところである。

東昌寺にあった比翼塚は、東昌寺が明治時代に廃寺となったため、この地に移されたとのこと。

比翼塚の脇に立つ札。
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江戸情緒 目黒比翼塚 白井権八 小柴
傾城の恋に眞こと無いとは誰が云うた 
まことありやこそ今が世に目黒にのこる比翼塚
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「江戸情緒」のひとつなのである。

江戸名所図会/目黒不動尊。
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昔も今もよく賑わっている。
正月七日ということもあるのかもしれないが、人気の目黒不動尊であるから普段から賑わっているだのだろう。

再び、目黒通りに出て、西へと走る。

フォト:2017年1月7日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-09 23:34 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 08日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/港区~品川区~港区の巻(Ⅱ)』 df-3

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。
千代田区から港区を経て、品川区/旧島津邸の清泉女子大本館見学をと思うも空振りし、、再び、港区に入り、白金台の旧三田用水路跡を見物し、目黒通りに出る。

「東京都庭園美術館に寄りましょうか?」。
「今日は館内には入れませんが、庭園だけでも見物しましょう」。

東京都庭園美術館。
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入園料100円、65歳以上50円。
嬉しいというか、ちょいと、悲しいような入園料。
今日1日で、何人の入園があるのだろう、券売所のお嬢さんの昼餉代くらいは出るのだろうかと妙な心配をしたりして。

東京都庭園美術館とは。
リーフレットに目を通す。
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東京都庭園美術館は、1933年(昭和8)に建設されたアール・デコ様式の旧朝香宮邸とその空間をいかした展覧会、そして緑豊かな庭園が調和したユニークな美術館として、1983年(昭和58)の開館以来、多くのみなさまに親しまれてきました。
そして2014年(平成26)にはホワイトキューブのギャラリーを備えた新館が完成し、80年余の歴史と伝統に、新たな創造空間が加わりました。
今後は文化財保護と新しい価値の創造を目指し、みなさまに芸術作品の鑑賞の機会を提供してまいります。
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旧朝香宮邸とは。
黒のエナメル仕様かと思わせる案内板に目を通す。
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重要文化財(建造物)
旧朝香宮邸
4棟 本館・茶室・倉庫・自動車庫
1基 正門
所在地 港区白金台5丁目26番
指定 平成27年7月8日

朝香宮鳩彦(やすひこ)王の住宅として昭和8年(1933)に竣工した建築群で、昭和22年まで朝香宮の本邸として使われていた。
本館は鉄筋コンクリート造2階建(一部3階建)で、外観は簡明な意匠である。
中庭を囲むロの字形平面の南半分を客間や住居とし、他を事務や厨房にするのはこの時期の宮内省内匠(たくみ)寮設計の邸宅に共通の配置である。
南側テラスは洋風庭園へ続き、和風庭園や正面からのアプローチも往時の雰囲気を良く留める。
和風庭園には茶室が現存する。
本館主要室の内装設計はフランス人装飾美術家アンリ・ラパンが担当、実施設計あ内匠寮工務課技師の権藤要吉らが分担して行った。
鳩彦殿下と允子(のぶこ)妃殿下は大正14年(1925)にパリで、のちにアール・デコ博といわれる美術博覧間を視察。
新邸にもアール・デコ様式が随所に採用され、新鮮かつ洗練された華やかな意匠が満ちている。
正面玄関のガラス扉は工芸家ルネ・ラリックの作品として有名である。
当時最新のフランスの芸術作品を取り入れたこの建物は、宮内省内匠寮による邸宅建築の頂点のひとつとして意匠的に優れ、価値が高い。

平成28年3月 建設
東京都教育委員会
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「指定 平成27年7月8日」とある。
昨年、国の重要文化財に指定されて間もない建物なのであった。
そういえば、昨年、松江城が国の重要文化財から国宝に格上げされたということもあったなあ...。
毎年、こうやって、いろいろな項目が審議され、国宝や重文に指定されているのである。

正門から本館へのアプローチ。
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梢のてっぺんで鳥影が。
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<鳥見ング図>で確認したところ、メジロであった。
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「隣の自然教育園には鳥がいっぱいいます」と武衛殿。
自然教育園とは、「国立科学博物館付属自然教育園」。
ホームページを開いてみると次の通りであった。
都内の鳥見スポットの新発見であった。
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附属自然教育園は大都会『東京』の中心部にあって豊かな自然が残る、都市砂漠の中のオアシスともいえる緑地です。
自然に親しみ、四季折々に変化する生物の姿や風景に心をなごませ、自然と人間との考える場として大いに利用していただきたいと思います。
(中略)
附属自然教育園は東京都心にありながら自然状態の常緑広葉樹林が残された施設です。
20ヘクタールの園内では1436種の植物、2130種の昆虫、130種の鳥類が記録されています。
-----------------------------

正面玄関。
バルコニー付きもさることながら、両脇に鎮座する唐獅子像が気に入った。
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唐獅子だが狛犬コレクションのひとつとして。
右/子連れ唐獅子。
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左/手毬唐獅子。
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手毬の中に封じ込められた玉は動くのかな?と触れてみると動いた。
こういう細工も好きである。
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灯り。
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灯篭と梅の木。
庭持ちの大給、武衛ご両氏は梅の木の剪定談義。
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梅の蕾を撮る大給守殿。
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上総も梅の蕾を一枚と思うも、どうもピントが上手く合わないが、この写真を採用。
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新館。
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茶室。
庭持ちの大給、武衛ご両氏は、国許の庭に茶室を造ってはどうだろうかと茶室談義。
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池の畔の梅の木。
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本館に戻って、バルコニーを眺める。
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「上総殿は、先般、旧前田公爵邸を訪ねたとのことでしたが」。
「建物は茶色で、こちらより渋い感じ。あちらは渋谷区、こちらは東京都、手入れの仕方が段違い。そして、こちらの方が明るく、開放感がありますね」。

正門の駐輪場へ戻る。
「ちょっと、待ってください。受付に犬を連れて来てよいか聞いて来ます」と武衛殿。
老婦人三人組が来園。
これで我らの分も含め、6名、900円の売り上げ。
「犬はダメだと言われました」と武衛殿が戻って来た。
さもあらん。

「12時前ですね。何処かで昼餉を摂りましょう」。
「権之助坂を下ったところに、昭和46年創業のラーメン店、『勝丸』があります。そこへ行きましょう」。
これ、もちろん、ラーメン好きの大給守殿の提案。
目黒通りを直進する。

フォト:2016年1月7日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-08 23:33 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 08日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/港区~品川区~港区の巻(Ⅰ)』 df-2

1月7日(土曜)。
ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでもポタ。
桜田門から桜田通りを走り、愛宕トンネルを抜け、愛宕通り、日比谷通りを走る。
途中、松蓮社前を通過する。
武衛殿の案内で、懐中電灯を照らし、松蓮社の弁天洞を見学したのは2011年8月27日のことであった。

そんな思い出話をしながら、芝増上寺前を通過し、芝公園に差し掛かる。
師走恒例の「赤穂浪士討入凱旋の旅」で本所松阪町から高輪泉岳寺に向かう際、ここを通過し、正月には箱根駅伝のTV観戦でここを眺め、僅か1ヶ月足らずの間に三度目のこの界隈である。

冬晴れに聳え立つ東京タワーを眺める。
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ポタ恒例、「今日の jitensha」。
左から、武衛殿、大給守殿、上総の愛馬。
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「こうやって、改めて芝丸山古墳を眺めると、結構、大きな古墳であることが分かりますね」と、最近、上総と共に古墳めぐりに傾倒している武衛殿。
「ここにも豪族がいたのですねぇ。芝丸山古墳を訪ねたとき、東京地学協会が建立した『伊能忠敬測地遺功表』を発見。『伊能忠敬ゆかりの地を訪ねて』にプラス・アルファが出来たことを思い出します。芝東照宮の鳥居に刻まれた几号水準点も探索、発見しました」と上総。

芝公園を回り込み、赤羽橋交差点で再び桜田通りを走る。
綱坂の近くに差し掛かる。
2013年の冬、綱坂で几号水準点を探索。
しかし、見当たらず、港区区役所に電話で尋ね、その場所を確認するも、道路工事で消滅してしまったようで、唯一の未発見場所となったことを思い出す。

「もう直ぐ、『ラーメン二郎』ですね」と、ラーメン好きの大給守殿。
「ラーメン二郎」前には、まだ、朝10時過ぎだというのに、ずらっと列のなしている。
いつの日か、「朝ラー」を食べに来よう。

清正前交差点に差し掛かる。
加藤清正を祀った清正公堂がある覚林寺は初詣客で賑わっている。
覚林寺の表に立つ常夜灯の台座に刻まれた几号水準点の探索で覚林寺を訪れたのは、2013年の冬のことであった。

高輪台交差点に差し掛かる。
「清泉女子大に行ってみたいです」と大給守殿。
ここら辺りは、武衛殿の地元、彼の案内で細道から細道をすいすいと走り、清泉女子大に到着。

「ジョサイア・コンドル設計の本館を、外からだけでよいので、見せて貰いたいのですが」と上総から正門の守衛さんに用向きを伝える。
「見学は事前の予約が必要です。学校へ電話での予約をお願いします。詳しくはホームページをご覧ください」と杓子定規な返事。
「一人、信州から来ているんで、是非、この機会に見たいと言っておりますんで、お願い出来ませんか」と上総は粘る。
「信州から一人、来ている」、これは嘘ではない。
年末年始を信州で過ごした大給守殿は4日に信州から立ち戻ったのである。
しかし、粘りも泣きも通じず。

諦めきれぬ大給守さん、スマホを取り出し、学校に電話。
学校の回答は「4月、5月、6月に見学会の日を設けるので、そのときに」と。
粘る大給守殿に対し、「只今、担当者がいないので」と断りの常套文句も出たと。

上総は2009年8月、2011年1月に続いて、これで三度目の空振り、大給守殿と武衛殿は2011年1月に続いて、これで二度目の空振りであった。
というのは、次のような経緯があったからである。
過去のブログをそのまま引用して経緯をここに綴っておこう。

2009年8月9日付けブログ「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/第6話「旧島津家袖ヶ崎邸」。
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東五反田/清泉女子大学(旧島津家袖ヶ崎邸)。
正門の守衛さんが丁重に迎えてくれました。
「本日はどのようなご用件で」。
「英国の建築家ジョサイア・コンドルが携わった明治、大正時代の建物巡りをしています。こちらの本館がコンドルの設計とのことで、拝見したく参りました」。
「生憎、現在、改修工事中で建物には覆いが施されています。来年3月に完工します。日曜、祭日以外なら一般の方も構内に入れます」。
「歴史のある建物。改修工事は大事なこと。工事が終わった頃に、また、来させて戴きます。今回の来訪記念に正門の写真を撮らせて戴きます」。
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2011年1月25日付けブログ「修禅寺殿、初陣!都内ポタ/坂道と歴史を訪ねて』 第1話。
修善寺殿とは、武衛殿の当初の仮のハンドル・ネーム。
懐かしい。
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事前に、大学に確認の糸電話を入れてみたところ、次の通りであった。
<上総>
一昨年、夏、「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」の一環として、そちらの大学を訪れたことがありました。
そのときは、本館は改装工事中で見ることが出来ませんでした。
既に改装工事は終えられていることでもあり、この23日(日)に見学させて戴こうと思っておりますが、可能でしょうか。
<大学>
日曜祝日は一般の方々は構内に入れませんので、見学は出来ません。
平日9:00~17:00、土曜日9:00~13:00は、外観だけですが、見学可能です。
なお、2月3~5日は入学試験のため、一般の方々は構内には入れません。
4月から本館内部の見学会を予定しております。
詳しくはホームページのトップ、旧島津邸の項でご案内することになります。
是非、ご見学戴きたく。
<上総>
様子は分かりました。
また、改めての日取りで本館を見学させて戴きたく。

ということであったが、旧島津邸を正門から垣間見るだけでも、ということで訪れたのであった。
4月からの本館内部の見学が愉しみである。
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今回、三度目の<空振り記念>として、前回、前々回に倣い、正門をカメラに収める。
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同じ守衛さんでも、夕暮れ時に立ち寄った妙法寺(杉並区)の守衛さんは、臨機応変、全く別の対応であった。
それについては、後ほど綴る「杉並区の巻」で。

「三田用水路跡に行ってみましょう」と武衛さん。
桜田通りを横切り、白金台方面へ。

三田用水路跡。
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三田用水路跡
三田上水は、江戸市街の拡大で増加した水の需要に応じるため、寛文4年(1664)に玉川上水の水を下北沢で分水したものです。
中村八郎右衛門・磯野助六によって開かれたといわれ、代田、代々木、渋谷、目黒を経て、現在の白金台、高輪、三田、芝地区に配水されました。
享保7年(1772)に学者室鳩巣の意見で本所(亀有)、青山、千川の各上水とともに廃止され、江戸の街を潤す水道は玉川上水、神田上水の両上水だけとなりました。
しかし、三田上水は流域の村々の農業用水でもあったので、嘆願して廃止の翌々年から再び水を引くことを許され、三田用水と呼ばれて、一宿十三ヵ村の用水として使用されました。
当時の水道は自然に流れるだけでしたので、この付近では堤状に水路を残して通す工夫をしました。
ほとんど失われてしまった三田用水路の貴重な遺構は、特に断面がわかるように残されています。
また、水路の通っていた位置を示すための色違いのタイルを地上に並べて記念としています。

昭和57年3月設置(平成19年2月立替)
港区教育委員会
管理 ハイクレスト白金台管理組合
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三田上水は、いわゆる「江戸の六上水(神田上水、玉川上水、本所(亀有)上水、青山上水、千川上水、三田上水)の一つなのである。
ベンキョーになった。

三田用水路跡といわれる路地を辿り、目黒通りに出る。

フォト:2017年1月7日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-08 23:32 | 東京の灯よいつまでも | Comments(0)
2017年 01月 08日

『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/千代田の巻』 df-1

1月7日(土曜)、快晴。
ドラポタ走り初め。
ドラポタ創成期からのメンバーである大給守殿は昨年末で65歳定年を迎え、年明けに国許へ引越しし、国許で隠居することと相成った。
ということで、今回のポタリングが江戸住まい(正確には、江戸近郊住まい)最後のドラポタと相成ることでもあり、本人にコースの希望ありや?と尋ねたところ、江戸名所ポタリング、皇居と目黒不動尊を含めて欲しいとの希望であった。
これまで幾度も走った江戸府内ポタでの<思い出の場所>も幾つか散りばめ、上総にてコース設定を行った。

JR東京駅
~皇居
~清泉女子大本館/ジョサイア・コンドル設計 旧島津公爵邸 ※ポタ当日、追加
~三田用水路跡 ※ポタ当日、追加
~東京都庭園美術館/庭園のみ立ち寄り
~目黒不動尊
~駒沢オリンピック公園/懐かしの東京五輪 ※ポタ当日、カット
~松陰神社/身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
~豪徳寺/招き猫、井伊家菩提寺
~世田谷八幡宮/源義家ゆかりの神社
~妙法寺/ジョサイアコンドル 設計 鉄門 ※ポタ当日、追加
~中野区上高田/童謡「たきび」の歌発祥地 ※ポタ当日、カット
~新井薬師/目が渋くなったので... ※ポタ当日、カット
~西武新宿線新井薬師前駅 ※ポタ当日、JR中野駅に変更

大給守殿は「江戸名所ポタ」と称していたが、これまで幾度も挙行した江戸府内ポタで、今回のポタが大給守殿にとっては江戸府内ラスト・ランであり、企画者、上総としては「ドラポタ走り初め/東京の灯よいつまでも」と題した次第である。
因みに、新川二郎が唄う♪東京の灯よいつまでも♪は1964年、東京五輪の年のヒット曲であった。

この日のメンバーは、大給守殿、武衛殿、そして、上総。
南国守殿も出馬の予定であったが、諸般の事情により、出馬は見合わせとなった。

東京駅丸の内北口。
武衛殿は到着済み。
大給守殿の到着を待ちながら、東京ステーションギャラリーで開催中の「健さん」を<取材>。
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<取材>を終えて、くるっと向きを変えたところで、大給守殿に激写されちまった。
(写真提供:大給守殿)
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今回のポタの<主人公>は大給守殿ゆえ、本来なら、彼の姿が最初に登場せねばならないところであるが、撮影者として最初の登場と相成った。

皇居。
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皇居で鳥見となれば、先ず、最初に目に入るのは、お濠の白鳥(コブハクチョウ)だ。
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大給守殿撮影のお濠の白鳥もアップしておこう(写真提供:大給守殿)。
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再び、上総の写真に。
白鳥三態。
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手賀沼のコブハクチョウと比べると、同じコブハクチョウでも皇居のそれは何となく品がある

皇居のお濠で楽しみな鳥がもう一種おり、お濠の水面に集まるカモ類に目を凝らず。
「今日はキンクロハジロが見当たらないなあ」と上総。
「あそこにいますよ」との武衛殿の声。
「サンキューです!」。
ぐぐっとズームアップして、キンクロ&カイツブリを。
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そして、キンクロ、単独で。
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桜田門の積み石に刻まれた「几号水準点」。
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几号水準点探索の旅。
2013年1月下旬から約2ヶ月間、5回に亘って都内40数箇所の几号水準点を探し訪ね、その殆どを探し当てた。
桜田門は第1回目の探索の旅で訪れたが、改修工事中で見ること、叶わず、5回目の探索の旅でようやく「不」の刻印を視認する出来たのであった。
この「几号水準点探索の旅」は大給守殿の「明治の遺構、几号水準点なるものが都内のあちらこちらにあるようです」の一言で生まれた企画で、ドラポタ史上、特筆に値する企画であった。

フォト:2017年1月7日
フォト#2、#5:大給守殿提供

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-01-08 23:31 | 東京の灯よいつまでも | Comments(2)
2017年 01月 04日

『走り初め+鳥見初め 2017』

1月4日(水曜)。
世間では仕事始め。
隠居は、走り初め+鳥見初め。
手賀沼へ出動。

手賀沼北岸。
エナガ。
<鳥見ング>図で。
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ここ暫く、エナガを撮る機会が続いているが、どうも上手く撮れない。
理由は分かっている。
それは、腕の悪さ、北岸、畔沿いの木立ゆえの逆光気味、そして、殆どじっとしていないエナガの習性。
ということで、採用写真は39枚中の1枚。

老夫婦もエナガ撮影を。
エナガが飛び去った後、暫し、会話。
最近、オシドリを撮ったとのこと。
そんな話をしながら、財布を取り出した。
財布の中からオシドリの写真が出て来るのだろうなと思いきや、さにあらず。
オシドリをあしらった1月のカレンダーが出て来た。
名刺サイズの私製カレンダーである。
「これ、差し上げます」とのことで、遠慮なく頂戴した。
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このオシドリは、坂田ヶ池(成田市)で撮ったとのこと。
坂田ヶ池のほか、乙戸沼(土浦市)でもオシドリを見たとのこと。
有難い情報である。
乙戸沼は輪行でないと行けないが、坂田ヶ池ならOKだ。
次回は坂田ヶ池に出掛けてみよう。

鳥見納めの大晦日、エナガを撮っていたとき、鳥見少年と歓談。
鳥見初めの今日、同じくエナガを撮っていたとき、老夫婦と歓談。
エナガが取り持つ縁、再び、であった。

カラスの群れ。
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一斉に飛び立ち始めた。
いつぞや、ジム・ブランデンバーグの、鳥が群れで飛ぶ作品を見たことがある。
ジム・ブランデンバーグになったつもりで、カラスの群れを追う。
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カラスがいっぱい群れていると、どうしてもヒッチコックの『鳥』を思い出してしまうが、ジム・ブランデンバーグ風となると、さて?
ということで、30枚中の1枚として、この写真を選んでみた。
これなら、不気味ではないだろう。
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群れの次は、<孤高>の鳥。
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<孤高>の鳥は、スズメであった。
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南岸を走る。
手賀大橋袂のボート乗り場近くで鳥たちに遊んで貰う。

コサギ。
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オオバン。
年末、霞ヶ浦で、レンコン畑を荒らす害鳥のオオバンを撮ったが、手賀沼のオオバンは何の悪さもしない、手賀沼を代表する鳥の一種である。
正面顔コレクションを試みるも撮れず、横顔で。
赤に黒い点の目がコワイ。
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微妙な角度と光線で、コワクない目もある。
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ユリカモメ。
正面顔コレクションを撮らせて頂戴と念じる。
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撮らせてくれた。
普通の正面顔ではなく、くちばしを開いたポーズ、二態で。
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ボート乗り場は「道の駅 しょうなん」に近く、訪れる人から餌が貰えるせいか、コブハウチョウやオオバン、そして、冬になるとユリカモメなどがよく集まる。
この日も3グループの人々が集まって、間近に見える鳥の姿を楽しんでいた。
その中の一人の人がオオバンを指して「この鳥は何といいますか」と質問があった。
このときとばかりに(???)、オオバン、コブハクチョウ、ユリカモメに関わる能書きをあれこれとくっちゃべってしまった。
その中で、「在原業平の歌『名にし負わば いざ言問はん都鳥 わが思ふ人はありやなしやと』の都鳥はユリカモメであると言われています。ユリカモメは東京都の『都の鳥』です。ところが、話は少しややこしくなりますが、ミヤコドリという名の鳥が別にいます。東京都の『都の鳥』はこのミヤコドリにすべきだと思うのですが、小池百合子東京都知事はユリカモメのままでいいと言うでしょう。何故なら、コイケ・ユリ・カモメ、だからです」と語った最後のところは、手前味噌ながら、大受けであった。

「因みに、オオバンは、対岸の我孫子市の『市の鳥』です」ということも言い添えた。
皆さんの頭の中には、コイケ・ユリ・カモメ のことだけが残ったかもしれないが...。

今日は南風が強かった。
南風といえば、八重山地方では南風を「ぱいかじ」という。
八重山諸島で、鳥見と虫撮りがしたいなあ...。

フォト:2017年1月4日、手賀沼にて
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# by ryujincho | 2017-01-04 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 01日

『丁酉初詣』

初詣は、毎年恒例、成田山新勝寺。
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龍コレクション/其の一。
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本堂から境内を眺めるの図。
毎年、三が日で300万人余の初詣客があるという。
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本堂翼より三重塔を眺めるの図。
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龍コレクション/其の二。
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各地の国府跡・国分寺跡・総社めくりを始めてから、塔と大幡竿が気になることと相成り、初詣では塔と竿の龍の飾りをコレクション。

成田山参道。
創業元禄弐年 清酒「仁勇・不動」醸造元 鍋店(なべだな)で金百五十文也の甘酒を頂戴する。
これも恒例。
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川村佐平治商店で金山寺味噌を購う。
これも恒例。
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「恒例の」を済ませると、何だか、ほっとする。

丁酉(ひのと とり)の、新たな1年が始まった。

フォト:2017年1月1日
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# by ryujincho | 2017-01-01 23:51 | Comments(0)
2016年 12月 31日

『エナガ+鳥見&自転車少年との遭遇』

大晦日。
年越し正月準備のヨメは忙しそう。
午前、手伝いはした。
午後、辛抱たまらず、jitensha に跨り、鳥見+ポタリング納めで、手賀沼へ出動。

「水の館」近くで、エナガの群れに遭遇。
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ファインダーを通して、エナガと遊んでいたところ、隣に人の気配を感じる。
少年が立っていた。
「こんにちは」、「こんにちは」。
少年は手にしていたスマホ・カメラでエナガを撮り始めた。
お互い、ひとしきり、エナガ撮影に集中。
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暫くして、「フクロウの写真、見ますか」と少年。
「見せてください」。
スマホの画面を繰ると、梢にとまるフクロウが登場。
「上手く撮れていますね。いつ、どこで?」。
「最近です。家の近くです」。
「家はどこですか?」。
「我孫子高校の近くです」。
スマホ画面を次々と繰る。
「これは、おじいさんのタカです」。
「おじいさんは鷹狩りをするんですか」。
「します」。
「どこで?」。
「茨城県です」。
極彩色の鳥が幾種か登場。
「これはアメリカです」。
「こういう鳥がいるのは、中米か南米だね」。
「こんな鳥も撮りました」。
「これはハチドリだね。これも上手く撮れてるね」。
次に、ふっくらした灰色の羽毛の皇帝ペンギンの子供が登場。
「これは南極ですね」。
「そうです」。
「ペンギン、大好きです。海外で見たペンギンは、ニュージーランド、ミルフォードサウンドでフィヨルドランド・クレステッド・ペンギンだけです。いろんな国の鳥を撮っていますが、お父さんに連れて行って貰ったんですか」。
「はい、そうです」。
「お父さんは、いいカメラを持ってるんですね」。
「うーん、お母さんにだいぶん処理されてしまってるんですよね」(大笑い)。
「南極はどうやって行ったんですか。アルゼンチンから船で?」。
「国の名前はよく分かりませんが、アルゼンチンだと思います。最初、ヘリコプターに乗って、そのあと、船で」。
「坊やは、いつもスマホで撮っているんですか」。
「はい、エクスペリアです。ズームで撮ります。10万円です」。

話は自転車に。
「僕、マウンテンバイクに乗ってるんです」。
「どこ製のマウンテンバイクですか」。
「シマノとトヨタの特製です」。
「へぇー、高級車なんだね。私の大口径車はエディ・メルクスです」。
「ベルギー製ですね」。
「よく知っていますね」。
「この小径車、乗らせて貰ってもいいですか」。
「いいですよ。この辺りはポケモン・ゴーをしている人が多いから、気をつけて」。
暫くして、戻って来た。
「ぐるっと回って来ました。乗り心地、いいです。時速40kmは出る自転車ですね」。
「bd-1は小径車の中ではスピード系の自転車だからね」。

少年の年齢は聞かなかった。
ちょっと、いや、相当にマセテいる。
小学6年生とすれば、来年4月には中学生、それにしては幼く見える。
小学4、5年生といったところかもしれない。

穏やかな小春日和ながら、冬は冬。
なのに、この少年は半ズボン。
膝から下が泥だらけ。
「坊や、膝から下、靴もドロドロだね」、「えへへへっ...」と頭を掻いた。
沼の畔に入り、スマホ・カメラでいい写真を撮っていたのかもしれない。
この子ならそんなこともしかねないだろう。

「また、お会いしましょう」。
「はい」。
少年と別れ、手賀沼北岸から東端、南岸を回り、手賀沼を一周して家に戻った。

今年は会えなかったが、去年、一昨年、一昨々年の夏、かわせみ池近くで出遭った昆虫少年とよく遊び、「昆虫少年交遊録」を綴ったこともあった。
子供から話し掛けられたのは、そのとき以来のことであった。
大晦日、エナガが取り持つ、鳥見&自転車少年との遭遇であった。
来年の「水の館」前が楽しみである。

フォト:2016年12月31日
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# by ryujincho | 2016-12-31 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 12月 28日

『霞ヶ浦で鳥見』

12月28日。
霞ヶ浦ポタリング。
高浜入りの水域を高浜から反時計回りで。
目的は、「漁師市」(行方市/道のえき たまつくり)、三昧塚古墳(行方市)、茨城廃寺(石岡市)探訪。
その道中、勿論、鳥見も。

8:58、カワセミ。
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9:11、タゲリ。
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10:03、霞ヶ浦にしては珍しく湖で泳いでいるオオバン。
何故、珍しいかは後ほど。
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13:53、レンコン畑を泳ぐオオバンの群れ。
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霞ヶ浦周辺では、レンコンを食い荒らすオオバンは害鳥なのである(per 昨年の、レンコン農家でのインタビューによる)。
ほとんどのオオバンは、湖で泳がず、レンコン畑で群れているのである。

13:58、カワセミ。
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フォト:2016年12月28日、霞ヶ浦にて
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# by ryujincho | 2016-12-28 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 12月 22日

『ジョウビタキ(♀) 2016.12.22』

12月22日、曇り。
朝の天気予報では「寒冷前線が接近中。夕方頃から雨が降り始めるでしょう」とのことであった。
早めに鳥見をしておこうと jitensha に跨り、手賀沼へ。
手賀大橋近くで、ジョウビタキ(♀)に出遭う。
いつ見てもカワユイ。
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ここ数年、ジョウビタキの姿を見ることがなかったが、今年は鳥影が多い。
嬉しい。
そんなことを思って走っていたところ、天気予報に反して、雨がパラッと。
手賀大橋を渡り、手賀沼半周に切り替え、帰宅。
濡れるほどには降られなかった。
夜半、寒冷前線通過で風雨が強まるとのことだが、ジョウビタキはしっかりと耐えてくれるだろう。

フォト:2016年12月22日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2016-12-22 23:58 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2016年 12月 19日

『冬の鳥見 2016.12.19/ホシハジロ』

12月19日(月曜)。
jitensha に跨り、手賀沼へ鳥見に出動。
前日は時計回りで一周したので、今日は反時計回りで。
手賀沼北岸で、ジョウビタキ、モズ、ヒクイナたちに遊んで貰った。
反時計回りで北岸から南岸へと思っていたが、小春日和に誘われて、北岸からから手賀川へ。

頭の茶色いカモを眺める。
ヒドリガモと思い込んで、眺める。
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アップで撮る。
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ウン?目が赤いそ。
ヒドリガモじゃないぞ。
ホシハジロであった。

フォト:2016年12月19日、手賀川にて
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# by ryujincho | 2016-12-19 23:56 | 鳥見雑記 | Comments(0)