龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 07月 15日

『夏の午後/鉄路』

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フォト:2017年7月15日
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by ryujincho | 2017-07-15 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 07月 12日

『頭椎大刀』

7月12日、文化庁主催企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』にて。

千葉県我孫子市/根戸船戸遺跡1号墳。
古墳時代終末期 約1400年前。
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眼下に手賀沼を望む台地の縁辺に造られた古墳です。
墳丘は推定で全長約35m、高さ約2mで、前方後円形が崩れたダルマのような形をしており、周囲には部分的に幅4mの周濠が巡ります。

埋葬施設は、白色の粘土を切り出し、さも、石を使ったかのように積み上げた横穴式”石”室です。
周辺では良好な石材が産出しないため、関東ローム層下の白色粘土を柱状に切り出して代用したものと考えられます。

石室からは頭椎大刀1点のほか、大刀3点、鉄鏃約12点、玉類などが出土しました。
金メッキで飾られた頭椎大刀は大和政権から下賜されたとみられるもので、この古墳の被葬者が地域の有力者であったことを示す重要な発見です。
我孫子市教育委員会
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頭椎大刀(かぶつちのたち)とは。
柄頭 (つかがしら)が倒卵形でやや傾いたような形をしている、日本の上古時代特有の大刀拵 (たちこしらえ)。
この部分は鉄製もあるが、金銅製であることが多い。
後期古墳から出土することが多く、実戦用というより儀仗用と思われる。
(出典/ブリタニカ)

頭椎大刀を初めてみた見たのは、今年初め、総社歴史資料館(群馬県前橋市)を訪ねたときのこと。
それは、総社二子山古墳出土の頭椎大刀。
原品の所在は不明で、詳細な絵図が残されており、その絵図に基づき復元されたレプリカであった。

一方、今回の文化庁主催企画展に出展された、根戸船戸古墳出土の頭椎大刀は原品およびそのレプリカである。
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刀身、上部。
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刀身、下部。
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柄頭(つかがしら)をアップで。
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渦巻文様をアップで。
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この頭椎大刀を眺めていると、中央政権とつながりを持つ地方の有力豪族の姿が目に浮かぶ。

余談(8月19日、記)。
8月初旬、子供さんの夏休みの時期だからであろうか、BSプレミアムで、大映特撮時代劇『大魔神』シリーズ3部作、『大魔神』、『大魔神怒る』、『大魔神逆襲』(いずれも1966年作品)が一挙放映された。
後日、録画で、第3作の『大魔神逆襲』を観ていたとき、大魔神の腰に帯びた大刀に目を惹かれた。
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埴輪の武人像は右手を大刀の柄に掛けているものが多く、柄頭の形はよく見えないが、大魔神の大刀の柄頭は頭椎大刀に似た卵形となっている。

これからの史跡めぐりでは、頭椎大刀と武人像の埴輪も注視していかねばならないという思いを新たにした。

フォト:2017年7月12日、8月19日
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by ryujincho | 2017-07-12 23:34 | Comments(0)
2017年 07月 12日

『鳥が刻まれた銅鐸』

7月12日、文化庁主催企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』にて。

香川県高松市/天満・宮西遺跡。
弥生時代後期 約1800年前。
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アップで。
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「弥生ムラ 見れや壊せや 銅鐸を」。
どういう意味?
その意味は、このあと、分かることとなる。

銅鐸に描かれた鳥。
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超アップで。
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鳥が描かれた銅鐸片は銅鐸の裾の部分。
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説明パネルに目を通す。
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天満・宮西遺跡~遺跡の概要~
高松平野に所在する、弥生時代後期に栄えた拠点的な集落です。
集落の外れを流れていた自然流路とみられる落ち込みから、長さ49.5cm、厚さ4mm、重さ4.1kgもある大型の銅鐸の破片が出土しました。

銅鐸片は銅鐸作りの最終段階に作られた突線紐式のもので、裾の部分には鳥または鹿とみられる絵画が鋳出されています。
割れ口はゆがみ、破断面は表面と同じく錆びているため、意図的に割られた破片であると考えられます。

集落から他にも、古墳時代へと続いていく新たな祭祀道具であある特殊器台も出土しています。
破砕され、集落の外れに捨てられた銅鐸は、銅鐸祭祀の終わりと新たな祭祀の始まりを考える上でたいへん興味深い事例です。
高松市教育委員会
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なるほど、この銅鐸は意図的に割られたものなのであり、銅鐸祭祀の終わりと新たな祭祀の始まりを考えさせる銅鐸片であるということ。
ベンキョーになった。

讃岐には家内の実家があることでもあり、義兄の案内で「讃岐国史跡めぐり」を結構やっている。
ということで、次回、機会があれば、この天満・宮西遺跡を訪ねてみたい。
ということで、この遺跡は高松市のどの辺りだろうかと調べてみた。
住所は「高松市松縄町295-1ほか」、「熊野神社の隣接地」とある。
地図を参照したところ、南北に走る県道43号線を挟んで、栗林公園の東に熊野神社があった。
次回、是非、訪ねてみたい。

なお、天満・宮西遺跡の所在地を調べている中で、高松市のホームページにヒット。
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天満・宮西遺跡
高松市松縄町
高松市街地南東の郊外、熊野神社が鎮座する隣接地にあたる。
この地は香東川の扇状地にあたり、現地表面の標高は5~6mと低く、原始においては海岸線まであまり離れていなかったと想定される。
微高地とその北東側で旧河道を確認している。
注目される遺構は、弥生時代前期に属する環濠である。
環濠は直径約65mで、囲まれた範囲内には集落が存在したと想定されるが、後世に竪穴住居跡等の遺構は壊されたようで残っていない。
もっとも数多く確認された遺構は、弥生時代後期から古墳時代初頭のものである。
微高地では、竪穴住居跡だけで20棟以上を数え、多数の溝や井戸、柱穴なども見つかっている。
さらに、驚くべきは旧河道では捨てられた土器の破片がおびただしく堆積しており、発掘調査中は土を掘っているのか土器を掘っているのかわからないぐらいであった。
これは,水の流れがなくなった旧河道に、弥生のムラの人たちが生活不用品の土器を次々と捨てたもので、これによって旧河道がしだいに埋まっていったのである。
ゴミの回収がない昔では仕方がないかもしれないが、これを今風にいうなら,弥生時代の環境破壊といえるかもしれない。
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銅鐸の裾部に描かれた鳥はどういう意味を持っているのだろうか。
古墳時代においては、装飾古墳に船が描かれたものがあり、船の舳先に鳥が1羽、とまっている。
この鳥は、あの世に渡っていく水先案内との説がある。
弥生時代、祭祀に使われた銅鐸に刻まれた鳥は、その後、古墳時代の装飾古墳の鳥へとつながっていくのであろうか...。

フォト:2017年7月12日
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by ryujincho | 2017-07-12 23:33 | Comments(0)
2017年 07月 12日

『ツートンカラーの、漆塗り縄文土器』

7月12日、文化庁主催企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』にて。

山形県高畠町/押出遺跡。
縄文時代前期 約5800年前。
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「いにしえのツートンカラーの土器にドキッ!」。
どこかで見たようなキャッチコピー。
そう、以前、NHKで放送された『歴史秘話ヒストリア』での古墳特集の題名、「コーフン!古墳のミステリー」のダジャレ的キャッチコピーと同類。
もう少しアカデミックにやって欲しいと思うも、「いにしえのツートンカラーの土器にドキッ!」に反応していまったことでもあり、余り堅いことを申すつもりはない。

余談は扨置き、本論に。

漆塗り土器/Lacquered pottery。
斜め横から。
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上から。
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漆塗り土器の出土状況。
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漆塗り土器はこれまでの発掘調査でも出土していましたが、今回初めて、ひょうたん形をしたものが出土しました。
赤漆を前面に塗り、黒漆で渦巻きなどの文様を描いたもので、縄文人の形と色へのこだわりをうかがうことができます。
山形県教育委員会
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ズームアップ。
確かに、赤と黒のツートンカラー!
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5800年前の縄文人の形と色へのこだわりを今に伝える漆塗り土器。
漆が持つ耐久性のお陰である。
縄文人が漆の耐久性を知っていたということも驚きである。

フォト:2017年7月12日
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by ryujincho | 2017-07-12 23:32 | Comments(0)
2017年 07月 12日

『発掘された日本列島2017 新発見考古速報 』

7月12日(水)、晴れ。
両国/江戸東京博物館へ出掛けた。
目的は、文化庁主催の企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』。
2年前、2015年の秋、東山道武蔵路跡や武蔵国分寺跡、国分尼寺跡を訪ねて以来、遺跡めぐりであちらこちらへ。
そうしたこともあって、文化庁主催の『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』なる企画展があることを知った次第。
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1階特別展示室は特別展「戦国!井伊直虎から直政へ」。
NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」はなかなか面白い。
だが、この日の目的は、上階で開催中の文化庁主催の企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』の見学。
ということで、直虎さんはパス。

2階コンコースのチケット売り場で入場券を買い求める。
観覧料は、一般/600円のところ、65歳以上は300円。
勿論、65歳以上で。
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長い、長いエスカレーターに乗り、上階へ。
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この企画展の趣旨は「全国で毎年約8,000件近い発掘調査が実施されていますが、その成果に実際に触れる機会は極めて限られています。そこで、近年、とくに注目された出土品を中心とした展示を構成し、全国を巡回させることにより、多くの方が埋蔵文化財に親しみ、その保護の重要性に関する理解を深める機会となる展覧会を開催します」というもの。

新聞で、どこそこでこれこれの遺跡が発見されました、というような記事を見るが、しからばどのような遺跡であるのかという研究結果は、現地の博物館や資料館を訪ねない限り、分からず仕舞いで終わることが多い。
そういう点で、発掘間もない遺跡の内容を知る機会となるこうした展示は大事なことである。

この企画展のことを調べてみると、近年、催されるようになったものではなく、1994年から毎年開催されているようである。
江戸東京博物館のみならず、ほほ1年をかけて、八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館、三重県総合博物館、安城市歴史博物館、壱岐市立一支国博物館を巡回するとのこと。

興味深く感じたのは、次の3点。
・押出遺跡(山形県高畠町)/ツートンカラーの漆塗り土器
・天満・宮西遺跡(香川県高松市)/鳥が刻まれた銅鐸
・根戸船戸遺跡1号墳(千葉県我孫子市)/頭椎大刀
これらの姿については、続編にて。

フォト:2017年7月12日
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by ryujincho | 2017-07-12 23:31 | Comments(0)
2017年 07月 07日

『7月7日はカルピスの日』

先日、近所のスーパーマーケットで、「7月7日はカルピスの日」と大書された看板と共にカルピスがずらっと並べられていた。

へぇー、そんなんだ、7月7日はカルピスの日なんだ、と思った。

早速、カルピスのホームページを開いてみた。
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「カルピス」の誕生。
「カルピス」の誕生のきっかけは1908年(明治41年)にまでさかのぼります。
のちに創業者となる三島海雲がモンゴルを訪れたとき、長旅ですっかり疲れていた彼は、現地の遊牧民が好んで飲んでいた白い液状の酸っぱい乳「酸乳」を飲みました。
その後、体力が見る見る回復したといいます。
この経験をヒントに乳酸菌飲料「カルピス」を誕生させたのです。
「カルピス」の発売は1919年(大正8年)7月7日の七夕の日です。
七夕に願いを込めて―。

「カルピス」の名の由来。
「カルピス」の“カル”は、牛乳に含まれているカルシウムからとったもの。
“ピス”は、サンスクリット語に由来しています。
仏教では乳、酪、生酥、熟酥、醍醐を五味といい、五味の最高位を“サルピルマンダ”(醍醐)、次位を“サルピス”(熟酥=じゅくそ)というため、本来は最高のものとして“カルピル”と言うべきですが、創業者の三島海雲は、音楽家の山田耕筰氏やサンスクリット語の権威・渡辺海旭氏に相談し、言いやすい「カルピス」と命名しました。
山田耕筰は『母音の組み合わせが、とても開放的かつ堅実性があってよい。発展性が感じられる。きっと繁盛する』と答えてくれたそうです。
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そんなとき、BSで音楽番組を見ていたら、服部克久が、佐伯孝夫作詞、服部良一作曲の『銀座カンカン娘』について、「子供の頃、自宅にカルピスがよく届きました。この歌の4番で ♪ カルピス 飲んで カンカン娘…♪ という歌われているからです」と語っていた。

服部克久は1936年(昭和11年)生まれ、『銀座カンカン娘』がヒットしたのは1949年(昭和24年)。
克久少年は親父さんに感謝しながら、カルピスを味わっていたのであろう。
カルピス株式会社は、広告宣伝費を掛けることなく、PR出来たということで、佐伯孝夫、服部良一に感謝、感謝であったのだろう。

マイ・ブログでカルピスのことを綴った記憶があり、探してみた。
2008年5月、小豆島「二十四の瞳映画村」を訪ねたときに撮ったカルピスの看板の写真と共に、『夏の飲み物』と題して、こんなことを綴っていた。

----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月22日付け----
『夏の飲み物』
今や、スーパー、コンビニエンス・ストア、自動販売機には、ジュース、炭酸飲料、緑茶、烏龍茶、紅茶、スポーツ系、ミネラル・ウォーターなど様々なソフト・ドリンクが並んでいます。

我々、団塊の世代が子供の頃、夏の飲み物と言えば、カルピスでした。
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カルピスの他にも、希釈タイプの乳酸飲料として、森永コーラス、不二家ハイカップ、そして、ミルトンもありました。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて
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----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月24日付け---
『夏の飲み物/セピア・カラ-・ヴァージョン』

7月22日付掲載『夏の飲み物』に対しまして、六々守殿から「ポストとカルピス。モノクロと赤の色合い。それに板塀。これはいいですね!」とのコメントを頂戴しました。

また、人麻呂殿からは「セピアにしますとそのまま昭和30年代にタイムスリップできそうでおじゃります。」とのコメントを頂戴しました。

人麻呂殿の仰せの通り、セピア色で”塗り絵”をしてみました。
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昭和30年代は、もう少し、くすんだセピア色かもしれませんね...。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて(原板:カラー)
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ストローで上品にカルピスを飲んでいるハイカラな黒人さんの図柄。
この図柄は、第一次大戦後、苦難の中にあるドイツ画家を救うために開かれた「国際懸賞ポスター展」で3位に入賞したドイツ人デザイナーの作品とのこと。
カルピスのラベルからこの図柄がなくなったのは1990年前後の頃。
黒人差別論争により、『ちびくろさんぼ』、『ダッコちゃん』、そして、このカルピスのハイカラな黒人さんなども標的になってしまったのだ。

カルピスが誕生したのは、1908年。
以来、ラベル問題のみならず、味の素傘下に入り、更にアサヒビール傘下に、資本も変遷を辿っている。
小豆島「二十四の瞳映画村」でカルピスの看板を撮ったのは、2008年。
ちょうど、カルピス誕生100周年のときだったのだ。

今も冷蔵庫に水玉模様のパッケージのカルピスが入っている。
昔も今も、夏はカルピス!

フォト2008年5月4日
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by ryujincho | 2017-07-07 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 07月 04日

『龍の角は、鹿の角』

7月3日、輪友、大給守さんから「諏訪へ行って来ました 諏訪大社上社本宮の手水鉢の龍をプレゼントします」とのメッセージと共に、龍の写真が送られて来た。
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龍は水の守護神。
龍の口(たつのくち)は、竜頭(たつがしら)、龍蛇口、水出し龍とも言われ、清めの水の蛇口として、神社仏閣の手水舎、水盤舎、蹲い(つくばい)などの蛇口として用いられている。

龍の口は、龍コレクションの恰好の対象である。
大給守さんは小生が龍コレクションをやっていることをよく承知されており、プレゼントしてくれたのであった。

諏訪大社上社本宮の手水鉢の龍の口は、大振りで、なかなか迫力がある。
殊に、角に目を惹かれる。
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この龍を眺めながら、京都花園の、臨済宗大本山妙心寺法堂の天井画、狩野探幽筆「雲龍図」を見学した際の、「口は鰐、髭は鯰、角は鹿、胴は蛇、爪は鷹、目は牛」との解説を思い出す。

「角は鹿」、まさにその通りである。

フォト:2017年7月某日(大給守殿提供、2葉目は筆者にてトリミング)
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by ryujincho | 2017-07-04 23:32 | いきものがかり | Comments(0)
2017年 07月 04日

『諏訪/下駄スケート発祥の地』

7月3日、輪友、大給守さんから「諏訪へ行って来ました」とのメッセージと共に、”下駄スケート発祥の地”の写真が送られて来た。
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なかなか、いい像である。
下駄スケートを履いて滑っている子供の、生き生きとした様子が伝わって来る。

下駄スケート発祥の地。
1906年(明治39年)、長野県下諏訪町の飾り職人、河西準乃助が、外国製のスケート靴を模して下駄の底に鉄製の刃をつけた下駄スケートを発明した。
下駄スケートの流行により、スケートが日本国内に急速に広まった。
1908年(明治41年)、諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの「諏訪湖一周スケート大会」が開催された。
現在のような革製のスケート靴に完全に取って代わられる昭和30年代中頃まで一般的に使われていたという。
(出典:ウィキペディア、抜粋)

こうしたモニュメントは正面から撮って終わりというのが通例であろうが、背面からも撮ってみようという発想が素晴らしい!
惜しむらくは、諏訪湖の湖面に下駄スケートの下端を合わせていたら、更に良い写真になっていたんじゃないかと思うのであった(ヒョーロン家であるから、何とでも言えるのであるが...)。

この「下駄スケート発祥の地」の写真を見て、思い出したことがある。
それは、この4月、京都三条大橋の袂で「駅伝の碑」を見たことである。
ここ数年、毎年、三条大橋の袂あたりを歩いているのだが、今年初めて、斯様な碑があることに気付いたのであった。
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駅伝の歴史 ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が大正6年(1917年)4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。
スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
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ということは、上野不忍池の畔にも同様の碑があるはずと思い、調べてみた。
あった。
写真によれば、三条大橋の碑と同じデザインである。
時々、不忍池に行くことがあるが、この碑を目にした記憶はない。
京都だけでは片落ち、上野へ<取材>に行かねば。

「駅伝の碑」に「奠都(てんと)」の言葉が使われている。
「奠都」と「遷都」についても述べてみたいが、長々となるので、これは別の機会としたい。

大給守さんからの「下駄スケート発祥の地」をヒントにして、「発祥の地」シリーズをやってみたいとも思った。

フォト#1、#2:2017年7月某日(大給守殿提供)
フォト#3:2017年4月2日
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by ryujincho | 2017-07-04 23:31 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(2)
2017年 07月 03日

『1年前の、今日』

今日は7月3日(月曜)。
1年前の、今日、7月3日は日曜日。
その日の朝、某一般紙の日曜版第1面の写真に、ぐ、ぐっと目を惹かれた。
何と、我が姿が写っているではないか!
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この写真は6月に手賀沼を走っていたときのものだ。
ポタリング記録を見ると、昨年6月の手賀沼周遊の出動回数は8回。
写真は、手賀沼北岸を西から東へ走っており、時計回りでの周遊は、そのうち、6回。
”激写”されちまったのは、その6回のうちの何れかの日である。

今年の6月は、諸般の事情で一度も自転車に乗っておらず、回顧的に1年前の手賀沼での自転車姿をアップロードした次第である。

因みに、写真の下に付されたキャプションは「清らかな空気と風の中、遊歩道や公園、カッパ伝説にちなんだオブジェがあり、人々が遊ぶ手賀沼。かつて白樺派の文人たちが水辺に移り住んだ(千葉県我孫子市で)」とある。

一人乗りのヨット、ディンギーのヨットマンも「あっ、自分が写っている」と、1年前の今日、そう言っていたかもしれない。

フォト:2016年7月3日
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by ryujincho | 2017-07-03 23:58 | この一枚 | Comments(0)