龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ

<   2017年 01月 ( 20 )   > この月の画像一覧


2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
a0289546_231867.jpg
「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
a0289546_28695.jpg
創業天保元年、「いせ源」。
a0289546_281974.jpg
創業昭和5年、「竹邑」。
a0289546_2135486.jpg
創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
a0289546_2154652.jpg
創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
a0289546_2305970.jpg
a0289546_2312069.jpg
「けむり」。
a0289546_2315223.jpg
「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
[PR]

by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅱ)』

「世界遺産 ラスコー展」。
本ブログの前編で、謎の「記号」について綴ってみた。

本ブログでは「記号」のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしているなど興味深い点が多々あるので、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

「井戸の場面」。
a0289546_047365.jpg
--------------------------------
井戸の場面
・物語を感じさせる場面で、洞窟の最深部である「井戸状の空間」に描かれました。
・傷つき、腸がはみ出たバイソンが、トリの頭をした男を突き刺しています。
・男の下にあるのは、トリを彫刻した投槍器(槍投げの補助具)と思われます。
・向かって左側にはケサイがあり、その尻尾の下に6つの点が描かれています。
・第3章でご覧いただいた<ラスコー洞窟のランプ>はここで発見されました。
--------------------------------

腸がはみ出たバイソン。
a0289546_1113638.jpg
トリの頭をした男、足元の投槍器。
a0289546_1135752.jpg
左/ケサイ、尻尾の下に6つの点。
a0289546_1154355.jpg
この洞窟壁画を眺めながら、昨年11月に訪ねた保渡田古墳群(群馬県高崎市)の八幡塚古墳から出土した埴輪群と重ね合わせるのであった。
埴輪群の中に、弓矢で射られ、臀部に矢が刺さり、血の滲んだイノシシがあった。
時代は大きく異なれど、何かを表現したいという欲求に駆られることは共通しているのかもしれない。

左端の「ケサイ」とは?
その姿は「第5章 ラスコーの壁画研究」のパネル「クロマニョン人がみた動物たち」にあった。
a0289546_783191.jpg
a0289546_79392.jpg
右から二頭目が「ケサイ」である。
ケサイについて調べてみたところ、「ケサイ(毛犀)。ケブカサイ(毛深犀)ともいう。2万~10万年前の大氷河時代の終りに、ヨーロッパから北アジアにかけて広く分布していた大型で毛深いサイ」とあった。

「第5章 ラスコーの壁画研究」での映像解説の中で記憶に残ったことは次の通りである。
-------------------------------
描かれたウシは、胴が太く、頭と首は小さく、細く、四肢は細く、短いのが特徴である。
複数のウシが描かれているが、どのウシも同様の特徴で描かれている。
ラスコーの壁画は、一人の<画家>が描いたのではなく、複数の人たちで描かれたはずなので、誰かリーダーがいて、こういう形で描くようにと指示したのではないかと思われる。
因みに、リーダーの<画家>はシャーマン的な人であったかもしれないとの説もある。
--------------------------------

この解説を聞いて、複数のウマも同様の特徴で描かれていることに気付いた。
リーダーがいて、その指示のもと、同様のパターンで描く。
クロマニョン人は、個々の動物のみならず、壁画全体の仕上がりもイメージしながら、統一感の絵ある壁画を描き残そうとしたとすれは、これは素晴らしい芸術心、美的感覚を持った人たちであったことが伺える。

子供たち向けの案内キャラクターになった「トリ人間」。
a0289546_7435884.jpg
ラスコー洞窟内部の写真。
「牡牛の広間:入り口側からの眺め」(写真右下記載のキャプション)。
a0289546_7483315.jpg
『身廊』内の眺め:左壁に黒い牝ウシ、右壁に《泳ぐシカ》、左奥に《背中合わせのバイソン》」(同上)。
前述では、《泳ぐシカ》と《背中合わせのバイソン》の写真掲載は割愛したが、展示で素晴らしい造形を見た。
a0289546_7484339.jpg
「軸状ギャラリーの入口:牡牛の広間からの眺め」(同上)。
a0289546_7485516.jpg
首から上が黒い牝ウシ。体が赤褐色の牝のウシは、首から上が黒く描かれている。ほっそりとした首や角、長い尻尾が優美である」(同上)
a0289546_749711.jpg
「突き当たりのひっくり返るウマ。この空間の突き当たりでは、体が黄褐色で、たてがみと脚が黒いウマが真っ逆さまにに落ちていくかのように描かれている。(写真右中央)」(同上)。
a0289546_7515917.jpg
ラスコーの壁画は非公開となっている今、洞窟内の<ナマ>の写真は貴重である。

あれこれ綴って来た本ブログも、愈々、最後となった。
最後ではあるが、会場に入ったときに目を通した主催者の挨拶文を掲載しておこう。
--------------------------------
ご挨拶
今から2万年ほど前、フランス南西部のヴェゼール渓谷にある洞窟に、壮大な壁画が描かれました。
そこはラスコー洞窟、壁画を描いたのはクロマニョン人です。
ラスコー洞窟の壁画は、クロマニョン人が描いた数ある壁画の中でも色彩の豊かさや、技法、そして600頭とも言われる圧倒的な数の躍動感あふれる動物画が格別に素晴らしく、1979年に世界遺産にも登録されました。
壁画を保存するため、洞窟は現在非公開となっていますが、その魅力を広く人々に知ってもらうべく、フランス政府公認のもと制作された展覧会が世界巡回している「LASCAUX INTERNATIONAL EXHIBITION」です。
そして、世界各国で人気を博しているこの巡回展に日本独自のコンテンツを加えたのが「世界遺産 ラスコー展」です。
本展では、謎に包まれたラスコー洞窟の全貌を紹介するとともに、1ミリ以下の精度で再現した実物大の洞窟壁画展示によって、研究者ですら入ることができない洞窟内部の世界を体験することができます。
また、クロマニョン人が残した芸術的な彫刻や多彩な道具にも焦点をあて、2万年前の人類の豊かな創造性や芸術のはじまりを知る旅にご案内いたします。
最後になりましたが、本展の開催にあたり、貴重な資料を出品いただきました、フランスの国立考古学博物館、国立先史博物館、古人類学研究所、アキテーヌ博物館をはじめ国内外の博物館、研究機関、ご後援、ご協賛、ご協力を賜りました関係各位に心から御礼申し上げます。
主催者
---------------------------------

フランスの西南部、ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置するラスコー洞窟は1963年に閉鎖され、壁画は非公開となっているが、1983年、一般見学が可能なように、オリジナルの洞窟の近くにレプリカの洞窟「ラスコー2」が作られた。
更に、遠隔地での展示が可能なようにレプリカの洞窟「ラスコー3」が作られ、フランス国内で巡回の後、カナダやアメリカを巡回、日本では、今年、上野の国立科学博物館、東北歴史博物館、九州国立博物館を巡回することとなっている。
オリジナルの洞窟近くでは、昨2016年12月、「ラスコー4」がオープンしたとAFP通信は伝えている。

見物客の吐く息で壁画は損傷し、洞窟は閉鎖されたが、レプリカを次々と製作し、一般公開しているのは、文化に優れたフランスらしいない失敗をしてしまった(日本でも高松塚古墳で同様の失敗をしている)が、それをリカバーする努力もなされている現われであろう。

レプリカは「ラスコー2」、「ラスコー3」、「ラスコー4」と名付けられているが、しからば、「ラスコー1」は?
それは、オリジナルのラスコー洞窟壁画であることは申すまでもなきことであろう。

「世界遺産 ラスコー展」公式ショップにて。
a0289546_132355.jpg
牡ウシの足元の、四角形の記号をもう一度...。
a0289546_1321472.jpg
発見!牡ウシの足元のみならず、胴、首、顔にも記号らしきものが...。

フォト:2017年1月26日

(完)
[PR]

by ryujincho | 2017-01-27 23:52 | Comments(0)
2017年 01月 27日

『世界遺産 ラスコー展(Ⅰ)』

1月26日、上野・国立科学博物館で開催中の「世界遺産 ラスコー展」を楽しんだ。
a0289546_6482970.jpg
「ラスコー展」に行こうかどうしようかと昨年秋から思案。
年が明け、1月21日(土曜)、TBS「世界ふしぎ発見!30周年スペシャル」を見た。
番組の中で、雑誌「ナショナルジオグラフィック」が毎年世界から選抜する“エマージング・エクスプローラー(新しい時代を切り開く研究者)"の一人、洞窟壁画を研究するカナダの新進気鋭の古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史が紹介された。
彼女が注目したのは、動物画ではなく、これまで見過ごされてきた図形や記号で、ヨーロッパ中の洞窟の図形や記号を調査し、その解読に挑戦しているのである。

洞窟壁画の中に、図形や記号があることをこの番組で知り、図形や記号を是非見たいと思い、「ラスコー展」に行こうと決心した。

TBS「世界ふしぎ発見!」から、少々、画像を拝借して。
古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史。
a0289546_0535983.jpg
図形と点。
a0289546_0544913.jpg
ヨーロッパ中の洞窟で集めた32の記号。
a0289546_0564018.jpg
a0289546_056591.jpg
自然界や生活のことを表した記号との仮定のもと、女史は一生を掛けてその解読に挑むという硬い決意。
a0289546_058584.jpg
1940年、世紀の大発見をした4人の少年のうちの一人、シモン・コエンカス少年(再現映像)。
a0289546_14026.jpg
今や好々爺となったシモン・コエンカス氏が登場。
a0289546_153086.jpg

国立科学博物館「ラスコー展」へ。

「ラスコー展」は全8章で構成されている。
第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖
第2章 封印された洞窟を開く よみがえるラスコー
第3章 洞窟に残されていた画材・道具・ランプの謎
第4章 ラスコー洞窟への招待
第5章 ラスコーの壁画研究
第6章 クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか
第7章 クロマニョン人の正体 彼らはどこから来たのか
第8章 クロマニョン人の時代の日本列島

第1章 衝撃の発見、壁画の危機、そして、閉鎖。
a0289546_1155117.jpg
---------------------------------
ラスコー洞窟とその壁画は、1940年に地元の少年によって偶然発見されました。
その素晴らしさは感動を呼び、多くの見物客が訪れましたが、そのために壁画の損傷が進みました。
壁画を構成に残すため、現在、洞窟は閉鎖され非公開となっています。
---------------------------------
偶然の発見
1940年9月8日のこと、モッティニャツク村のマルセル・ラヴィダ少年の飼い犬が穴に落ちてしまいました。
秘密の地下通路を発見したと思った少年は、4日後、友だち3人と、間に合わせのランプをもって現場へ戻りました。
入り口を広げて入ったところ、それは新発見の洞窟でした。
驚いたことに、その中には、無数の古そうな壁画が描かれていました。
(以下、調査の様子、研究者や見物客の吐く炭酸ガスの影響で壁画が劣化、閉鎖に至る記述の掲載は省略します)
---------------------------------

TBS「世界ふしぎ発見!」ではシモン・コエンカス少年が登場、「ラスコー展」では犬の飼い主であったマルセル・ラヴィダ少年の名が登場。
解説では「犬が穴に落ちてしまった...」とあるが、或る資料では「犬が追いかけていたウサギが穴に逃げ込んだので...」とある。
細かいことをいうつもりはない。
洞窟内に描かれた無数の動物たちと、犬、ウサギ、そして、少年たちの<動物つながり>、更には、少年たちの<探検心>が「世紀の大発見」に結びついたということである。

第4章 ラスコー洞窟への招待。
次の5ヶ所が再現されている。
・「褐色のバイソン・ヤギの列・ウマの列」
・「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」
・「背中合わせのバイソン」
・「泳ぐシカ」
・「井戸の場面」

「ラスコー展」の全貌をここに綴るつもりはなく、図形や記号を中心に綴っておきたい。

「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」の壁画の中の<記号>を視認!
解説。
a0289546_7402848.jpg
--------------------------
黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号
・中央に大きく描かれた黒い牝ウシの背後を、様々なポーズをした20頭のウマが行進しています。
・ウシの角は先端だけが黒く塗られ、鼻先の線は舌を出しているようにも見えます。
・奇蹄類で1本指のウマと、偶蹄類で2本指のウシを脚は、しっかり描き分けられています。
・ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています。
---------------------------

「ウシの足元にある謎の四角形記号は、赤・黒・茶・紫で色づけられています」とある。
有難い解説である。

特殊ライトで浮かび上がる「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」。
ウシの足元の、謎の四角形記号を視認。
a0289546_105128.jpg
特殊ライトが消え、彩色された壁画が現れる。
謎の四角形記号をしっかりと見る。
a0289546_1073415.jpg
アップで。
a0289546_1075839.jpg
再び、特殊ライトが点灯し、謎の四角形記号の輪郭がくっきりと現れる。
a0289546_10163550.jpg
アップで。
a0289546_10164959.jpg
「ラスコー展」での記号に関わる解説は、然程、多くはなく、この「黒い牝ウシ・ウマの列・謎の記号」に関わる1行の解説のほか、後程、巡った二つのコーナーで解説があったのみである。

第5章の「ラスコーの壁画研究」のコーナーでの映像解説によれば、紫色が使われているのは、謎の四角形記号、ただひとつであるとのこと。
紫は貴重な顔料であったのかもしれない。
紫は何を意味していたのであろうか。
そして、枡形に仕切られた四角形は何を意味しているのであろうか。
映像解説の中で、枡形に色を塗っている様子が映し出された。
そのとき、この四角形は図形や記号ではなく、色合いを調合するパレットの役目をしていたのではないかと想像した。
ひょっとしたら、この素人考えが新説となるかも...。

壁画の記号のほか、第6章の「クロマニョン人の世界 芸術はいつ生まれたか」のコーナーに展示されていたトナカイの角で作られた投槍器に、線刻された動物と共に、楕円や菱形などの記号が刻まれていた。
楕円と菱形をTBS「世界ふしぎ発見!」で登場した「32の記号」で探してみた。
楕円(oval)はあるが、菱形は見当たらなかった。

TBS「世界ふしぎ発見!」の中で、古人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー女史は、洞窟の壁に描かれた図形や記号のみならず、無数に描かれた「点(dot)」の集合体にも拘っていた。
a0289546_143255.jpg
「ラスコー展」では、顔に点で<化粧>する様子が展示されていた。
a0289546_1461243.jpg
a0289546_1462334.jpg
この<化粧>も何か意味するものがあるのであろう。

以上が、「記号の謎」についてである。。
記号のことだけに留めようと思ったが、再現された5ヶ所の洞窟壁画のうち、5ヶ所目の「井戸の場面」は先の4ヶ所と画風を異にしており、続編で、「井戸の場面」について少々触れておきたい。

フォト#2~#8、#16:2017年1月21日from TBS「世界ふしぎ発見!」
フォト#1、#9~#15、#17、#18:2017年1月26日@「ラスコー展」

(つづく)
[PR]

by ryujincho | 2017-01-27 23:51 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『前原古墳で鳥見』

あなたは誰ですか?
a0289546_0483335.jpg
はい、ヤマガラです。
a0289546_049883.jpg

1月13日。
手賀沼北岸の高台の古墳をめぐった。
ドラポタの盟友、武衛さんから、1月15日に予定しているポタリングは手賀沼周辺の鳥見との希望あり。
鳥見は偶然に遭遇という側面があるので、空振りもあり得る。
それでは気の毒なので、最近、傾注している古墳めぐりも加味してと思い、手賀沼北岸の台地にある三ヶ所の古墳、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳を下見がてら、久しぶりに訪ねたのであった。
三ヶ所の古墳のひとつ、手賀沼を一望できる高野山桃山公園にある前原古墳に立ち寄ったとき、次々と鳥が現れた。

ヤマガラに続いて、コゲラが登場。
a0289546_19527.jpg
a0289546_192078.jpg
あなたは誰ですか?
a0289546_1152898.jpg
はい、メジロです。
a0289546_115373.jpg
シジュウカラも登場。
a0289546_1265189.jpg
夕方3時過ぎということもあって、光線の具合が難しいが、高野山桃山公園の前原古墳あたりは鳥見スポットであることが分かった。

翌14日。
前日の前原古墳での鳥見に味をしめて、朝、再び、前原古墳へ。
鳥影は皆無、今日はハズレかな?と思った瞬間、エナガの群れが現れた。
a0289546_1401793.jpg
a0289546_1402931.jpg
エナガの群れが去ったあと、今度はメジロが現れた。
a0289546_1424748.jpg

明日15日、武衛殿との手賀沼周辺鳥見ポタのときも鳥影が多ければいいのだがと思いながら、手賀沼北岸の台地から手賀沼遊歩道まで下る。
手賀沼を一周しようと東へ向かうも、相当の追い風。
ということは、南岸を走るときは相当の向かい風となろう。
手賀沼東端でUターンして、向かい風を軽減させるため、北岸台地沿いの里山の道を走る。
途中、雪雲が来襲、曇り空となり、更に風は増し、雪が舞い始める。
防寒はしているが、手足の指先が痛い。
しばらくすると、晴れに。
天気雨ならぬ天気雪、狐の嫁入り/雪の巻であった。

翌15日。
武衛さんと手賀沼へ。
快晴ながら、前日よりも更に風は強く、且つ、更に寒い。
手賀沼北岸、オオバン、オナガ、コブハクチョウ、ユリカモメなどのポピュラーな水鳥たちを眺めながら走る。
台地に上り、香取神社古墳群、水神山古墳、前原古墳をめぐる。
前日、前々日、鳥見を楽しんだ前原古墳だが、鳥影は皆無。
寒風、強く、鳥たちは巣篭もりしてしまっているのだろう。
北岸台地を下り、手賀沼遊歩道を走る。
ヒクイナの鳥見スポットで畔を眺める。
ヒクイナの姿はないが、2羽のバンが餌をついばんでいる。
a0289546_6495832.jpg
昨年末、ここでヒクイナを撮った。
年が明けて、ここで、連日、Birderさんの姿を見るようになった。
昨年の暮れまではそんな姿はなかったのだが。
「おいらは昨年12月19日にヒクイナを撮影。登場時間は僅か、5秒。12月19日付けブログに掲載しています」と話ながら、東へ走る。

手賀沼南東端に至る。
強い、北西の風。
サーフィンが出来るくらいに湖面は波立っている。
a0289546_657296.jpg
手賀沼の平均水深は0.95メートル。
湖底の泥が巻き上がり、水の色は無残。

向かい風の強い南岸を走るのは止め、東端でUターン。
前日と同様、向かい風を避けるため、台地沿いの里山の道を走る。

蝋梅が見事に開花。
a0289546_732989.jpg
冬晴れの青空に蝋梅の花の色が映える。
a0289546_743735.jpg
駅前の蕎麦屋に入り、一息ついた。

フォト#1~#7:2017年1月13日、手賀沼北岸/前原古墳にて
フォト#8~#10:2017年1月14日、同上
フォト#11~#14:2017年1月15日、手賀沼北岸にて
[PR]

by ryujincho | 2017-01-17 23:55 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『ビーズのような目の、エナガちゃん』

ビーズのような目の、エナガちゃん。
でも、ピン甘。
ゴメンネ。
a0289546_18323151.jpg


フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて。
[PR]

by ryujincho | 2017-01-17 23:54 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『逆光の葦の原に鳥影』

手賀沼北岸。
逆光の葦の原に、鳥影。
a0289546_18192222.jpg
「おいらだよ」と、ホオジロ。
a0289546_18193357.jpg


フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
[PR]

by ryujincho | 2017-01-17 23:53 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『メジロの正面顔』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼鳥見ポタリング。

念願の、メジロの正面顔を撮ることが叶った。
a0289546_255466.jpg
でも、メジロの正面顔は何だか不気味。
やっぱり、横顔がいい。
a0289546_261498.jpg


フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
[PR]

by ryujincho | 2017-01-17 23:52 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 17日

『葦の原のメジロ』

1月17日(火曜)、晴れ。
手賀沼を鳥見ポタリング。

葦の原で群れている鳥影あり。
葦の原で群れる鳥といえばスズメが定番だが、スズメではないことは直ぐに分かった。
目の周りにくっきりと白いリングがあったので。
a0289546_104874.jpg
a0289546_11177.jpg
a0289546_11145.jpg
何故、メジロは目の周りに白いリングがあるのだろうか。
これは、何故、カラスは黒いのだろうかというものと同じなので、愚問ではあろう。
だが、その答えを強いて探すとせば、「ウグイスとの違いを示すため」であろう。

メジロとウグイスの違いは、アイリングの有無のほか、鳴き声が異なること、うぐいす色と呼ばれる色はウグイスよりもメジロの色であること、ウグイスは警戒心が強いが、メジロは警戒心は薄く、その姿をゆっくりと見せてくれるということなど。

次回は、メジロの正面顔を是非撮ってみたい。

フォト:2017年1月17日、手賀沼北岸にて
[PR]

by ryujincho | 2017-01-17 23:51 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(下)』

1月11日、午後5時。
両国「もヽんじや」、開店。

先ず、麦酒で乾杯。
猪のもつ煮が運ばれて来る。
続いて、猪鍋の肉と野菜、豆腐、しらたきが運ばれて来る。
仲居さんが割り下の入った鍋に肉と野菜、豆腐、しらたきを入れた。
「これ、何人前ですか」。
「二人前を煮て、食べ終わったら、残りの二人前を煮ます。しっかりと煮た方が美味しいです。しばらくお待ちください」と言い残して去って行った。
a0289546_0442919.jpg
鹿刺しが運ばれて来た。
鹿の竜田揚げも運ばれて来た。
熊汁も運ばれて来た。

鹿刺し。
a0289546_0461710.jpg
食い気が先走り、鹿の竜田揚げと熊汁は撮り忘れた。

ぐつぐつと煮える猪鍋を前に、ご機嫌の大給守さんと伊豆守さん。
a0289546_110879.jpg
「猪鍋は食べ頃です」と仲居さん。
「猪は何処産ですか」。
「丹波篠山です」。「
「我が国許では、ぼたん鍋と称し、やはり、丹波篠山産。直近で、ぼたん鍋を食ったのは2013年の冬だったなあ。兵庫県の越知川上流のコテージでハリポタのプチ別荘遊びをしたときに、ハリポタのメンバーが丹波篠山から猪肉を取り寄せよったんだよね」。
「鹿はニュージランド産。熊はツキノワグマで国内産です」。
「2011年の冬、ニュージランドを旅したとき、羊の放牧と並んで、鹿の放牧を見ました。鹿肉はヨーロッパ向けと言っていましたが、日本にも流通してたんですね」。
「信州からは来ることはありませんか」。
「信州はないですね」。

焼酎をボトルで注文する。
お湯と水、氷も。
a0289546_1173428.jpg
「この店にはお相撲さんも来ますか」。
「そうですね、時々。こう言っては何ですか、四つ足なので、お相撲さんによっては縁起を担いで敬遠する人もいます」。
「なるほど、四つ足ね。昨年末の『赤穂浪士討入凱旋の旅』のとき、本所松坂町の『吉良祭元禄市』で食べたちゃんこは、春日野部屋風で、豚肉だったなあ。毎年、鶏肉だったのに」。

店に入ったときは、我らのグループだけであったが、いつの間にか、満席に近くなっていた。
隣の席では、カップルが猪鍋をつつきながら、赤ワインを飲んでいた。
皆、ジビエ、ゲーム、いや、百獣(ももんじゅう)が好きなのである。
(註:「百獣(ももんじゅう)、「ジビエ」、「ゲーム」のあれこれについては、上の巻をご覧ください)、

猪鍋の第二ラウンド。
(写真解説)指でツンツンしているのではありません、これはセリです、と指差しているのです。
a0289546_118217.jpg
「あー、喰った、喰った」。
「最初、ちょっと甘めやなあと思いましたが、ちょうど、ええ味やったですね。関西の味付けとは違う、江戸の味やね」。

焼酎のボトル2本を空けた。
締めの乾杯、、、とはならず、、、
a0289546_1292217.jpg
焼酎での、締めの乾杯とはならず、日本酒を二合徳利で数本、頂戴した。

宴は終わり、1階で再び<取材>を。
熊の毛皮、鹿の毛皮。
a0289546_1354121.jpg
「女将さん、これ、何でしょうか?熊の鼻?」。
a0289546_137442.jpg
「そうです、熊の鼻です。皆さん、触っているうちに、鼻がもげちゃったんです」。

毛皮の前で記念撮影。
a0289546_1485632.jpg
大サービスで、もう一枚。
a0289546_1491041.jpg
表に出て、記念撮影/その1(カメラマン、大給守さん)。
a0289546_1531812.jpg
表に出て、記念撮影/その2(カメラマン、上総)。
a0289546_1552360.jpg
表に出て、記念撮影/その3(カメラマン、上総)。
a0289546_1563853.jpg
「ありゃ、人物、真っ暗け。取り直します」。
表に出て、記念撮影/その4(カメラマン、上総)。
a0289546_1595146.jpg
表に出て、記念撮影/その5「金の猪」(カメラマン、上総)。
a0289546_225573.jpg
毎年末、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の途中、眺めて来た「金の猪」だが、猪鍋を味わったあとの「金の猪」の姿は格別である。

JR両国駅へと向かう。
回向院に差し掛かる。
a0289546_275250.jpg
「月明かりもあるし、夜の回向院に参っておきましょう」。
回向院の境内に入り、ぐるっと巡り、再び、門の方へ。
前方を歩く三匹の熊さん、いや、御三人さん。
a0289546_214166.jpg
「手が、熊になっちまった」と大給守さん。
a0289546_2153985.jpg
「手が、熊になっちまった」は、脚本家、上総の脚色。
本当は、「この手袋、例の手袋なんです」という言葉であった。
この皮手袋は大給守さんにとって思い出深い手袋なのである。
或る日、某地下鉄駅の露天販売でこの手袋を買った。
露天商曰く、鹿皮製だと。
しばらくすると、縫製が悪く、縫い目が解け、バラバラになってしまった。
自ら手直しし、愛用している手袋なのである。
鹿皮製であることは間違いないようだが、さて?
因みに、値段については聞かされていない。

「東京の灯よいつまでも」。
この標題は、近々、東京を離れ、国許に隠居する大給守さんの気持ちを代弁してのものである。
回向院前の交差点に立ち、JR両国駅方面を眺める。
a0289546_228448.jpg
「東京の灯よいつまでも」ではあるが、現在の両国一帯について、若干、補足しておきたい。
その昔、現在の両国一帯は江戸ではなかった。
隅田川を国境として、西は武蔵国、東は下総国であった。
両国橋は万治2年(1659年)(寛永元年(1661年)との説もある)に架橋された。
武蔵国と下総国に跨っていたことから両国橋と呼ばれた。
貞享3年(1686年)に国境が変更され、現在の両国一帯は武蔵国に編入され、北は本所松阪町、南は深川として江戸の一画となり、明治に入り、東京になった。

諸般の事情で南国守さんは参加が叶わなかったが、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、上総の4名は「もヽんじや」の野獣肉コースに大満足の夜となったのであった。

フォト:2017年1月11日
フォト#3,4、910、11:大給守殿提供

(完)
[PR]

by ryujincho | 2017-01-12 23:52 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(上)』

両国「もヽんじや」。
念願の猪鍋を食すことが叶った。
a0289546_1015148.jpg
何故、念願の、であったか。
それを語り出すと少々長くなるが、綴っておこう。

jitensha club ドラポタの年末恒例の企画は、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺まで赤穂浪士ゆかりの地に立ち寄りながら走る「赤穂浪士討入凱旋の旅」。
JR両国駅前に集合し、吉良邸跡から回向院、そして、両国橋東詰めの袂に立つ大高源五の句碑「日の恩や忽ちくだく厚氷」に立ち寄ることを恒例としている。
その途中、「山くじら もヽんじや」の看板と金色の猪を眺めるのも恒例となっている。
一度、店に入ってみたいなあと思いつつ、いつも金の猪を眺めるだけであった。

昨年末の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月10日、武衛さん、南国守さん、上総の3名にて挙行。
「もヽんじや」の店先に置いてあるパンフレットを手に取り、目を通す。
「大給守さんの壮行会を兼ねて、ドラポタの新年会はここでやりましょか」。
「それがいいですね」。
「では、忘年会の席で評定し、決めましょう」。

大給守さんは年末をもって江戸勤番を終え、仕官先を完全リタイア、年明けに引っ越し、国許で隠居ということと相成り、国許の獣肉の流通ルート確立のためにも、「もヽんじや」で市場調査をしておくのもよかろうということも、「もヽんじや」で新年会兼壮行会を開催する背景にあった。

12月15日、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、南国守さん、上総のメンバー5名、全員打ち揃いての忘年会での席で評定。
「新年会兼大給守さんの壮行会を両国『もヽんじや』で行いたいと思います」。
「賛成!」。
「では、『もヽんじや』で決定とします。料理は野獣肉コース、税込金7,140文也。コースの品書きは、先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚と相成っております」。
「国許で熊を食したときは、毛が入っていましたね」。
「では、熊は外して、単品の注文で」。
「いや、いや、折角ですから、野獣肉のフル・コースでいきましょう」。
「では、野獣肉コースで、日時は1月11日(水曜)午後5時にて予約しておきます」。

1月11日(水曜)。
JR両国駅。
折りしも、両国国技館で大相撲初場所が開催中。
駅構内での展示物/往年の横綱の手形。
我らの世代は栃若時代。
a0289546_0573591.jpg
沿道といえば、永谷園、永谷園といえば、遠藤。
a0289546_104851.jpg
今年中に大関と嘱望される正代と御岳海。
a0289546_1206.jpg
午後4時半過ぎ。
勝負を終えて部屋へ戻る力士。
左側、ポールの外側で、力士を<出待ち>するファン。
a0289546_155616.jpg
「山くじら もヽんじや」。
午後5時前、両国橋の彼方にうっすらと夕日の残光が。
a0289546_1144253.jpg
「江戸の味 もヽんじや」。
a0289546_122468.jpg
------------------------------
江戸の味 もヽんじや Momonjiya
享保3年(1718)創業の猪料理店です。
「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称しました。
現在は、この「もヽんじや」を店名にしていますが、正式には「もヽんじやの豊田屋」です。
しかし、屋号の豊田屋はどこにも掲げられていません。
元は漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身しました。
猪の肉は、冷え性や疲労回復に効果があり、肉食が禁じられた江戸時代でも、「山くじら」と称して食べられていました。
猪は丹波や鈴鹿などから仕入れたもので、味噌仕立てのすき焼きにします。
その他、鹿刺し、狸汁など、他ではめったに味わえない珍しい肉料理が味わえます。
(図/江戸時代の宣伝チラシ)
墨田区
-------------------------------

「もヽんじや」のパンフレットでは、「ももんじとは、百獣(ももんじゅう)から発した言葉で...」とあり、「百獣」の読みがしっかりと書かれていた。
更にパンフレットを読み進むと、「猪鍋は、何より肉の良し悪しが肝心で、当店では、三重、滋賀、兵庫などから野生のものを吟味して取り寄せ、養殖ものは使用しておりません」とある。
養殖の猪もいるのである。

「ジビエ料理」という言葉をしばしば耳にする。
ジビエ(gibier)とは、フランス語で、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことである。
日本で「ジビエ料理」という言葉がよく言われるようになったのは、いつ頃からであったろうか。
筆者は20数年前、英国に4年ばかり住まいしていたことがあった。
レストランのメニューに「ゲーム(game)」という欄があり、英国の伝統文化の一つである狩猟を「ゲーム」ということを知り、狩猟による鳥獣肉料理を「ゲーム料理」というのであった。
「ゲーム」、「ジビエ」というのもよいが、我ら日本人には「百獣(ももんじゅう)」が相応しいかもしれない。

表通りの壁に吊るされたイノシシ。
何だか、クマのようにも見える。
これまで毎年末に見て来た、この壁にぶら下がっていたのはイノシシであったので、イノシシだと思うのだが...。
a0289546_1232493.jpg
開店ちょっと前。
まだ、店内は灯りがついていない。。
a0289546_1425246.jpg
午後5時、点灯、扉が開き、暖簾が掛かる。
開店!
a0289546_1434139.jpg
a0289546_1443981.jpg
「この店では、まだ、注連飾りは外していないなあ」と武衛さん。

先日7日に挙行した「ドラポタ走り初め」のときも、こんな会話が。
「松の内は今日まで。注連飾りや注連縄を外さなければなあ」と武衛さん。
「松の内は、関西では15日なんやけど、関東は7日なんやね」と上総。

帰宅後、調べてみた。
注連縄や注連飾りは、松の内が明ける頃に外すのがよいとされている。
松の内とは、門松を飾っている期間である。
松の内は、今では地域により異なっており、7日、10日、15日までなどがあるが、元々は全国的に1月15日までであった。
松の内が7日(或いは10日)までとなったことについては、江戸幕府の通達が絡んでいる。
即ち、
松の内は、元々、1月15日までと決められていた。
その頃は、鏡開きは1月20日に行われていた。
鏡餅に松の内の期間、年神様が宿っており、松の内が明けた後の1月20日に鏡開きをして鏡餅を食べるという風習であった/風習である。
江戸時代、慶安4年(1651年)4月月20日に徳川三代将軍家光が亡くなり、毎月20日が家光の月命日となり、月命日に鏡開きをするのはよくないということで、鏡開きを1月11日に行うようになった。
しかし、1月11日は松の内で年神様が宿っており、年神様に失礼であろうということとなり、寛文2年(1662年)、幕府は「1月7日を以て飾り納め」の通達を出したのであった。
幕府のお膝元である関東では松の内は1月7日までが浸透したが、関西では通達は浸透せず(江戸に対抗して無視した?)、従来通り、松の内は1月15日までのままとなったという。
なお、幕府の松の内短縮の通達には左義長(いわゆる「どんど焼き」)の禁止も織り込まれており、注連飾りを燃やす火祭りによる火災予防の意味もあったといわれている。
左義長禁止令は、明暦3年(1657年)の明暦の大火が反映されているものと思われる。

「もヽんじや」に話を戻そう。
「お二階へどうぞ」との案内を受ける。
一階に<取材>したいものが幾つか目に入る。
先ずは、ふたつを<取材>。

平成19年亥年、西暦2007年の年賀状。
a0289546_7393639.jpg
この年は、50代最後の年であったなあ...。

歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」。
a0289546_7394510.jpg
「びくにばし」は、現在の京橋の下を流れていた京橋川に架かっていた橋である。
この絵の手前左側に「山くじら」と大書された看板が、雪景色の中に置かれている。
その向かい側に「〇やき十三里」の看板がある。
栗(九里)より(四里)美味い十三里、焼き芋屋である。

年賀状と浮世絵を眺めながら、涎がじわーっと出て来る。
猪鍋が楽しみ、楽しみと思いながら、階段をとんとんとんと上がり、二階の席へ。

フォト:2017年1月11日

(つづく)
[PR]

by ryujincho | 2017-01-12 23:51 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)