龍人鳥の徒然フォト日記

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2016年 10月 19日

『盛岡冷麺』

9月6日。
盛岡。
上り新幹線の出発時間までまだ間がある。
盛岡といえば、盛岡冷麺。
駅前の交差点を渡った角に旨い冷麺を食べさせる店があるという。
店は直ぐにみつかった。
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ガラス張り。
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旨かった。

駅地下。
クイズその1/みちのくの酒を五種類、述べよ。
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盛岡が生んだ偉人を五人、延べよ。
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こうして、3泊4日の東北の旅は終わったのであった。

フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-19 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 19日

『みちの駅くじ やませ土風館』

9月6日。
北山崎から、再び、久慈市街地へ。

みちの駅くじ やませ土風館。
復興支援は、観光と土産の購入。
土産は連れ合いに任せ、館内をぶらぶらと。

やませ土風館。
名称が難しい。
「やませ」は、夏、北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風。
「土風館」は物産館の「土の館」と観光交流センターの「風の館」を総称したもののようだ。

物産館の2階に上がってみる。
久慈レトロ館。
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館主さんは東宝映画がお好きなよう。
昔のミュージカル映画もお好きなよう。
看板を眺めながら、何となくニヤリとしてしまう。
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館主さんは五月みどりのお座敷ソングもお好きなよう。
看板を眺めながら、何となくニヤリとしてしまう。
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切符売場。
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「東北随一 シネマスコープ」、何となくニヤリとしてしまう。
「毎週土曜日 オールナイト致します」、学生時代によく行ったなあ。
切符売場の婦人は館主さんの奥さんかな?上出来!
因みに、レトロ館は、レトロな映画館ではなく、館長さんのコレクションである昔なつかしい生活用品やおもちゃの博物館である。

NHK朝ドラ『あまちゃん』ポスター。
左/地元編、右/東京編。
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アップは、やっぱり、この人でしょ!
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地元民、総出演のポスター。
左/「ありがとう『あまちゃん』 次は、オラたちだ!」、右/「光の射す方へ 次は、オラたちだ!」。
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どっふう君。
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「どっふう君」とは何ぞや?
脇にちゃんと説明書きが置かれていた。
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やませ土風館オリジナルキャラクター
《どっふう君(恐竜キャラクター)》
平成24年、久慈市で8500万年前の地層から小型獣脚類恐竜化石が発見されました。
東北地方では初めて見つかった肉食恐竜の化石です。
平成25年NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」の最終週でもこの話題が久慈琥珀とともに取り入れられました。
このことから、当館の名称にちなみ、「どっふう君」として、久慈市のPRに活躍中です。

《かじぇーちゃん(うにキャラクター)》
どっふう君と同じように、「あまちゃん」の中で何度も取り上げられた着た三陸の名産「うに」をキャラクター化しました。
当地方では、「うに」のことを「かぜ」とか「かじぇ」と言っております。
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久慈琥珀。
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台風10号でこの地方は大きな被害を受けた。
日本三大鍾乳洞のひとつといわれる龍泉洞や世界最古年代の約8500万年前の地層を掘る琥珀採掘場も浸水被害を受けたと報じられた。
その後、如何なったであろうかと、河北新報電子版を見てみると、龍泉洞は照明などが壊れており閉鎖中だが、ミネラルウォーター「龍泉洞の水」の生産は再開したとあった。
また、琥珀採掘場の復旧はまだ先のことだが、在庫の原料や製品は被災を免れており、琥珀製品は健在とあった。
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琥珀を見て思い出すこと、それは、20余年前、ロンドンに住まいしていた頃のことである。
次男坊が小学校の課外授業で Natural History Museum(大英自然史博物館)を見学。
琥珀(Amber)の説明書きを丸写しして来て、日本語に訳してくれという。
Natural History Museum には興味深いものが多々展示されているが、昆虫が封じ込められた琥珀に興味を持ったのであろう。
子供のみならず、英和辞典、英英辞典を片手に、オトッツァン自身が琥珀の生成過程を英語でベンキョーをさせて貰ったのである。

今は、「mm(ミリ)の世界」と題し、オリンパス製TG-3で10mm以下の虫を撮って楽しんでいる。
琥珀に封じ込められた虫たちも「mmの世界」である。

フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-19 23:57 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 18日

『三陸復興国立公園/北山崎』

9月6日。
三陸復興国立公園/北山崎。

10年ぶりに眺める断崖の景観。
得意(???)の、遠・中・近・超近で。
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「第1展望台からの眺望」。
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この案内板でいいものをみつけた。
左手前の岩に「ミサゴの営巣地」と記され、ミサゴの飛翔図が描かれている。
案内板に照らしながら、もう一度、断崖の景観を眺める。
鳥影が見える。
ひょっとしたら、ミサゴか!?
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鳥影の部分を拡大、<鳥見ング>。
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はっきりと識別は出来ないが、黒に白の体色が視認出来る。
ミサゴの形態(雄雌ほぼ同じ色彩、背中と翼の上面は黒褐色、腹部と翼の下面は白色、顔も白色、眼を通って首に達する太い黒褐色の線が走る)に照らしてみる。
飛翔している鳥の白の体色が背中の部分であれば、ミサゴの形態(背中の上面は黒褐色)に反する。
だが、何らかの都合で、尾をぐっと上げ、腹部が見えているのなら、ミサゴの形態(腹部の下面は白色)に合致する。
一応、ミサゴらしき鳥ということにしておこう。

更に飛翔している鳥はいないかと、彼方に目を遣ると、群れで飛んでいる鳥がいる。
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拡大、<鳥ミング>。
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腹部は一部だけ白色で残りは黒っぽく、翼の下面も黒っぽい。
ミサゴとは言い難い配色である。
しかし、尾羽の広がり方はミサゴのようでもある。
ミサゴが群れで飛ぶということはあるのだろうか。
この鳥名は鳥博物館の学芸員さんに確認すべき事案としておこう。

上空を見上げる。
空高く、2羽の鳥が飛翔している。
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拡大、<鳥ミング>。
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尾が特徴的である。
尾は二股で、いわゆる燕尾形である。
アジサシの一種と思われる。

前日、下北半島/仏ヶ浦遊覧船の発着港の佐井で、佐井村のシンボルの鳥はミサゴであると知った。
北山崎と合わせ、二日連続で、ミサゴ情報を得た。
因みに、筆者の鳥見フィールドである手賀沼でミサゴを見る機会があるが、これは湖沼であり、海のミサゴ情報は新鮮である。
期せずして、北山崎で2種類の鳥見が出来、喜んでいる。

さて、話が相前後するが、三陸復興国立公園について、少し触れておこう。
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三陸復興国立公園
三陸復興国立公園は、東北地方側約180kmにわたって指定されている、わが国の外洋性の海岸景観を代表する国立公園です。
本公園のぼぼ中央に位置する宮古湾付近を境に、北部は大規模な隆起性の段丘海岸で、比較的出入りの少ない単純な海岸線をもち、南部は沈降性のリアス式海岸で、外洋に長く突き出た半島や岬と深い湾入が繰り返し展開しています。
いずれも海洋によって激しく侵食されており、高さ50mから200mにも達する海食崖、無数の海食洞、海食棚など地形的変化に富み、「海のアルプス」とも称されています。
本公園では、陸上からだけでなく、遊覧船などにより海上からも海岸景観の鑑賞が楽しめるほか、自然歩道の探勝や魚釣り、サケやウニに代表される魚介類の味覚探訪、夏季の砂浜での海水浴などが楽しめます。

北山崎
北山崎は、長い年月をかけて海底から隆起してできた海岸です。
高さ200mにも及ぶ断崖の迫力、この見事なまでの自然造形美は訪れた人を魅了します。
晴天時はもちろんですが、朝日に染まる岩肌やヤマセに包まれる奇岩怪岩など、私たちにさまざまな姿を見せてくれます。

環境省
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三陸海岸はすべて沈降性のリアス式海岸と思っていたが、北は隆起性の段丘海岸、南は沈降性のリアス式海岸だったのだ。

子供の頃、国立公園の切手シリーズの中に「陸中海岸国立公園」があった。
調べてみると、それも含め、幾度か「陸中海岸国立公園」切手が発行されているようである。
環境省のホームページの「国立公園一覧」を見ると、「指定:1955年5月2日(陸中海岸国立公園として指定)/2013年5月24日(区域を拡張し、三陸復興国立公園として指定)」とある。

2011年の東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受けたことを受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、2013年、区域を拡張し、「三陸復興国立公園」に改めたのである。

以前から、「陸中」なのに「三陸」と呼ばれたり、陸前・陸中・陸奥のすべてが入っていないのに「三陸」とよばれたりして、複雑なことになっていたが、指定区域も含め、「三陸復興国立公園」となり、すっきりしたのである。
余談ながら、弊ブログのカテゴリーは、正確には「出羽国・陸奥国・陸中国の旅」とせねばならないところを「出羽国・陸奥国の旅」としているが、これは明治になっての陸奥国の分割以前の意を踏まえてのことである。

松林の中の、観音像。
何故、ここに建立されているのか...。
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ビジターセンター前から断崖方面を眺める。
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ビジターセンターに入る。
映像での紹介。
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「絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。」
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絶景も、絶品も、いっぱい用意して待ってんぞ。
高さ200メートルの絶壁が8キロも連なる北山崎は、迫力ある姿から海のアルプスと呼ばれるほどだべ。
それに、ここ田野畑村は昔ながらの漁村が残る日本有数の場所でな、今はウニとホヤが旬。
いい海で育ったホヤは、甘くって最高だべ。
雄大な景色はもちろん、新鮮な海の幸も楽しみにな。
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ウニといえば、海女さん。
”先輩”海女さん。
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”後輩”海女さん。
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海女さんが登場したことでもあり、南部ダイバーにも登場願おう。
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NHK朝の連ドラ「あまちゃん」で、南部ダイバーを育てる三陸高校潜水土木科が登場した。
これは、岩手県立種市高等学校海洋開発科(九戸郡洋野町種市)がモデルとなっている。
福士蒼汰が演じる北三陸高校潜水土木科卒の青年の名は種市浩一。
知名あるいは校名の「種市」が青年の苗字に使われているのである。
脚本の宮藤官九郎は、エライ!
皆川猿時が演じる教師と生徒が共に歌う歌、『南部ダイバー』の作詞作曲は、洋野町種市出身の安藤睦夫の手によるものである。

♪白い鷗か 波しぶき
♪若い血潮が 踊るのさ
♪カップかぶれば 魚の仲間
♪僕は海の底 南部ダイバー

♪広い海だよ 千尋の底さ
♪通う心も生綱だより
♪命をかけた 男の仕事
♪僕は海の人 南部のダイバー

♪沖はどどろく 発破のひびき
♪腕におぼえの くろがね切りさ
♪技と度胸の 晴仕事
♪僕は海の華 南部のダイバー

余談ながら、安藤睦夫は、往年のヒット曲『北上夜曲』の作曲者でもある。

ホンドタヌキの剥製。
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本州最北端、下北半島/大間崎でブランキストン線の解説があった。
タヌキもブランキストン線を境にして、ホンドタヌキとエゾタヌキに分かれる。

北山崎断崖の真打、登場!
ミサゴのパネル写真。
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小生が撮った、マイ・鳥見フィールド、手賀沼のミサゴもここに登場させておこう。
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海のミサゴを撮ってみたいものだ...。

北山崎を訪れる前々日、日本海側の入道崎を訪れた。
入道崎は北緯40度を<売り>にしていた。
北山崎はそうしたことは<売り>にしていないが、北緯はほぼ同じである。
入道崎/北緯40度0分24秒 東経139度42分3秒
北山崎/北緯39度58分49秒 東経141度57分20秒
中1日を挟んで、日本海側と太平洋側の北緯40度近辺を訪ねたことになる。
特段、それがどうしたということはないが、地理のベンキョーになった。

次回、北山崎を訪れる機会があれば、ミサゴ、ミサゴと唱えながら、展望台へと進んで行きたい。

フォト#1~#21:2016年9月6日
フォト#22~#24:2013年11月8日
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by ryujincho | 2016-10-18 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 17日

『三陸鉄道/車窓から』

9月6日。
三陸鉄道。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

久慈駅で乗車、前回は宮古駅までであったが、今回は普代駅まで。
観光であるから、車窓からの風景を愛でるべきところであろう。
だが、どうしても、2011年3月11日の、あの巨大津波と重ね合わせて眺めてしまう。
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野田玉川駅で上下線待ち合わせ。
単線ならではの光景。
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野田玉川駅
愛称:西行の庵
*歌人・西行法師が玉川海岸の景色に惹かれ草庵を結んだという伝承から。
駅のホームからは太平洋から登る日の出を拝むことができます。
近隣には烏帽子の形をしたえぼし岩などの奇岩怪岩が続く玉川海岸があります。
西行法師は玉川海岸の景色の美しさにひかれ、しばし草庵を結んだと伝えられている。
(三陸鉄道ホームページ/駅紹介より)
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駅名板の下段に「不思議の国の北リアス」とある。
こういうキャッチーな駄洒落が好きだ。
「不思議の国の北リアス」の創作の経緯はどういうものであっただろうと、三陸鉄道のホームページを見てみた。
そうしたことについては触れられていなかったが、リアス式海岸の説明があった。
地学のおさらいをここでしておこう。
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リアス式海岸(リアス海岸)という名称は、スペイン北西部のガリシア地方で入り江が多く見られたことに由来する。
ガリシア語で「入り江」を意味するリア(ría)、あるいは、入り江の多い地方の名前(Costa das Rías Altas)等を元に、複雑な形の海岸線をリアス式海岸と定義されました。
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ガリシア地方には、「サンチャゴの道」の名で知られる巡礼路をたどり、その終点となるカトリックの巡礼地、サンティアゴ・デ・コンポステーラがある。
サンティアゴ・デ・コンポステーラはガリシア州の州都でもある。
昨年、フランスから巡礼路をたどり、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、1,600kmを自転車で走った友人がいる。
今年は、ツアーでサンティアゴ・デ・コンポステーラを訪ねた友人もいる。
そんなこととリアス式海岸の「リアス」が相まって、ガリシア地方に親しみを覚えるのであった。


下り列車が入線。
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三陸鉄道の車両は、シンボルカラーである青、赤、白の三色が塗り分けられている。
青は三陸の海、赤は鉄道に対する情熱、白は誠実を表しているという。

電車は徐行を始める。
三陸鉄道北リアス線の絶景ポイントに差し掛かっての、徐行サービスである。
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漁港。
建物に「普代村漁業協同組合堀内水産物荷捌施設」の文字が見える。
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普代駅で下車。
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10年前に眺めた海岸線、今回、眺めた海岸線。
眺める気持ちは随分と違う。
復興はまだまだ、いや、復興途上、いや、復興は順調に進んでいる、明るくいうか、暗くいうか、やはり、明るく、復興は順調に進んでいると思うべきであろう。
三陸鉄道も元気に頑張っているんだし...。

フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-17 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 16日

『三陸鉄道/レトロ列車』

9月6日。
三陸鉄道。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

久慈駅でレトロ列車に乗車。
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大漁旗に出迎えられて。
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大漁旗に送られて。
朝の連ドラ「あまちゃん」で、夏ばっぱが大漁旗を振るシーンを思い出すなあ...。
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出発。
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レトロな車内。
10年前はもっと煤けていたような気がするが、このレトロ列車は垢抜けしている。
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土産の車内販売が始まった。
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復興支援は観光で。
ということは、土産をいっぱい買うことだ。
写真を撮っている場合じゃない。
急いで、席に戻る。

トンネルに入る。
レトロな味わいの灯りがより暖かみを増す。
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トンネル。
2011年3月11日の大津波のあとに映し出されたトンネルはこのトンネルだったかもしれない。
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普代駅で下車。
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車両前面の左下にアラビア文字が記されたエンブレムが目に入る。
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クウェートからの三陸鉄道復旧支援に対する感謝の言葉と共に、クウェートの国章が記されているのであった。

フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-16 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 15日

『三陸鉄道/久慈駅』

9月6日。
三陸鉄道久慈駅。

三陸鉄道の旅をしたのは、ちょうど、10年前、2006年の夏であった。
2011年3月11日、巨大地震が東日本を襲った。
2013年、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』が放映された。
丁度、完全にリタイアした年であったので、このドラマは全話、欠かさず見た。
いくらかでも東北地方を支援したい、出来ることは観光しかない。
久慈駅から小袖海岸(ドラマでは袖ヶ浜)までの距離を調べると8kmだ。
久慈駅まで輪行し、自走して小袖海岸まで行ってみたい。
そう思うも、実行力なく、月日が過ぎた。
だが、この度、輪行ではないが、久慈駅発の三陸鉄道の旅が実現した。

8月末、この地方を台風が直撃した。
久慈駅周辺も冠水したとのことで、ようやく、清掃、片付けが終わりつつあるところであった。
被災直後の観光は気が引けるが、ご勘弁いただいて...。

久慈駅前デパート。
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ドラマでは、このデパート内に「観光協会」があった。
「ロケ地探訪」もテーマのひとつとしており、どうしても、ドラマと重ね合わせてしまう。

北限の海女/三陸久慈小袖海岸/久慈広域観光協会。
次回は絶対に jitensha で行くぞ!と思いながら、「三陸久慈小袖海岸」の看板をカメラに収める。
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後ろの左手のビルに「三陸鉄道北リアス線全線運行再開 平成26年4月6日 久慈-日野畑-小本-宮古」の看板が見える。

看板には「小本駅」とあるが、今は「岩泉小本駅」に改称されている。
開業時の駅名は小本駅(おもとえき)であったが、2014年(平成26年)4月1日に岩泉線の廃線に伴って岩泉駅が廃止されて以来、岩泉町内から「岩泉」の名称を持つ駅が消えていたため、岩泉町からの要請により2015年(平成27年)12月23日に「岩泉」を冠した駅名に改称された(出典/ウィキペディア)。

うに弁当。
宮本信子が演じる天野夏、通称「夏ばっぱ」が、毎日、うに弁当をこしらえていたなあ...。
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うに弁当とリアス亭。
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三陸鉄道北リアス線列車時刻表。
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「オラ、三陸が好きだ!」。
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ドラマで、主人公が始めてウニを獲ったとき、こんなシーンであったなあ...。
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切符売り場。
杉本哲太の駅長と荒川良々の副駅長のドタバタ演技が思い出されるなあ...。
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これで、2013年の夏に<取材>した、ドラマ「あまちゃん」の東京編と繋がったのである。
2013年の<取材>とは、これである。
***2013年7月27日付け『取材/アメ横女学園』***
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。
いつも楽しみに見ている。
7月23日、所用があり、都内へ出掛けた。
ついでにと言っては何だが、アメ横に立ち寄り、「アメ横女学園」を取材。
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女優、鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は超音痴。
鈴鹿ひろ美が歌う「潮騒のメロディー」は、天野春子(小泉今日子)が鈴鹿ひろ美の影武者となって歌う。
実際の薬師丸ひろ子は、女優でありながら、透明感のある声で、歌は上手かった(過去形にしているのは、昔、その歌声を聴いたことはあるが、最近の歌声を聴いたことはないので)。
一方、アイドル歌手であった小泉今日子は、声量はなく、歌が上手いかと問われれば、さて?と疑問符付きであった(但し、リズミカルな歌い方は心地よく、歌が下手!とは決め付け難い)。
脚本家 宮藤官九郎は、この二人の歌唱力を承知の上で、ああいう脚本を書いているのだろう。
恐るべし、宮藤官九郎!
そして、脚本家の思惑に素直に(???)に応じた、小泉今日子も薬師丸ひろ子の両女優も”大人”である。
そんなことを思いながら、薬師丸ひろ子の、昔のCDをラックから引っ張り出し、久方ぶりに彼女の歌声を聴きながら、このブログを綴っている。
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「薬師丸ひろ子 ベスト・コレクション」、1987年に購ったCDである。
小泉今日子には申し訳なきことながら、彼女のCDは我がCDコレクションにはない(数多のCDコレクションの中で、ポピュラー音楽のCDは極々少数で、薬師丸ひろ子、更に申せば、竹内まりやと鄭麗君を加えた三人は特別なのである)。
小泉今日子のCDを図書館で借りて来て聴いてみよう、「艶姿ナミダ娘」を。

フォト:2013年7月23日
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今年の9月6日に話を戻そう。

改札を抜けると「北三陸応援団」、右/うにすけさん、左/アパッチさとう氏が現れる。
その右手には、岩手産短角牛であろうか、「鮭を抱えた熊」ならぬ、「鮭を抱えた牛」の像も。
「モー 一歩、ゆっくり、しっかり、久慈の元気」の言葉と共に。
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フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-15 23:23 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 14日

『下北半島/馬門温泉』

9月5日。
下北半島。
本州最北端の大間岬、奇勝仏ヶ浦、日本最大霊場の一つ、恐山をめぐり、馬門温泉に投宿。
馬門温泉は、青森県上北郡野辺地町にある温泉である。

宿のロビーで目を惹かれたものが、これ。
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下段の銘板には「のへじ祇園まつり/山車飾り/馬門組祭典部」とある。
左の札には「奇術競(きじゅつくらべ)」とある。
右の札には「最優秀賞」とある。

青森県といえば、勇壮な山車飾りの「ねぶた祭り」のイメージだが、ここ、野辺地町では「のへじ祇園まつり」なる優美な山車飾りの祭りが催されているのだ。

野辺地町には申し訳ないことながら、「のへじ祇園まつり」なるものを今回、初めて知った。
「のへじ祇園まつり」が如何なる祭りか、野辺地町のホームページを開いてみた。
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のへじ祇園まつり
艶やかに着飾った稚児たちが優雅な祇園囃子を奏で、豪華絢爛ないくつもの山車が町内を練り歩きます。
お囃子の旋律が京都の祇園祭のものに似ているのは、野辺地湊が南部藩の商港として栄えた時代に移入した上方文化の一つと考えられます。
まつりは8月中旬の4日間開催され、初日は長さ11メートル、重さ1.5トンもの大しめ縄が八幡宮に奉納され、2日目からは山車運行や大漁旗を掲げた多数の漁船による海上渡御が行われます。
また、平成17年からはライトアップされた山車の夜間運行が行われ、飾りつけされた人形や花は、昼とはまた違う雰囲気を醸し出します。
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野辺地町図書館のホームページでは、航海の安全と豊漁を祈願する行事であるなど、更に詳しく記されている。
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のへじ祇園祭りは、藩政時代、野辺地港が南部藩の商港として大阪、長崎方面と交易していた最盛期の文化、文政時代に野辺地八幡宮のつけ祭りとして、日本海航路で上方から移入されたものであるといわれています。
船山車が先頭に運行される御神輿渡御(おみこしとぎょ)、山車行列は、海水運が交通体系の主軸であった時代の「浜下り神事」(潮垢離ーしおこり)に共通した意味をもっており、先進地の文物を運ぶ「宝船」である千石船の航海の安全と豊漁を祈願する行事です。船山車は野辺地港の合船場(造船所)で建造された千石船(北前船)の模型であると伝えられています。
一般の山車の運行は、藩政時代にも運行されたのではないかと思われますが、明治30年に町内有志によって飾山車として、屋形様式の山車に移行し、今日に至っています。
初日と最終日は、歌舞伎や中国の故事から題材を取った豪華絢爛な山車と、その山車の曳網に参加する男女の童子の曳子を中心に、笛、太鼓、三味線の合奏による祇園ばやしは、深い情趣と優雅で香り高い気品があり、南部藩における唯一の上方文化の移入地であった野辺地で形成された貴重な文化遺産であり、格調高い祭礼として知られています。
平成17年からはライトアップされた山車の夜間運行が行われ、飾りつけされた人形や花は、昼とはまた違う雰囲気を醸し出します。
中日に行われる「海上渡御」では神輿を先頭に各地の町印と神楽が続き、これに付き従って大漁旗や吹流しで飾った船が野辺地湾内を巡ります。
湊町として栄えていた往時を偲ばせる光景です。 
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野辺地湊に寄港する北前船が、数々の物資のみならず、数多くの文化や習慣も運んで来たのである。
祗園まつりのお囃子の旋律が京都の祇園祭のものに似ているとのこと。
お囃子は楽譜で伝わったのであろうか、それとも口伝で伝わったのであろうか、後者であれば、京から人がこの地に移り住んで来たとも思えるなど想像が膨らむのである。

更に調べると、最優秀賞を獲得した「のへじ祇園まつり/山車飾り/馬門組祭典部『奇術競』」のことが書かれた『広報のへじ 2015年9月号』にヒットした。
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のへじ祇園まつり
野辺地町最大のイベント、のへじ祇園祭りが8月20日から23日にかけて行われました。
八幡宮への大しめ縄・神楽の奉納を皮切りに、駅前で獅子・神楽の共演、ささ踊りが盛大に披露され、お祭りムードを一気に盛り上げました。
山車表彰式では馬門組が最優秀賞に輝いたほか、新設された祇園未来賞を城内組が獲得しました。
雨で海上渡御は中止となりましたが、各祭典部は神楽の音を響かせて町内を練り歩きました。
最終日に開かれたふるさとテント市は、開始5分で売り切れる品がでるなど大盛況!
合同運行では沿道の観客を稚児行列や神楽、カサホコの演舞が魅了したほか、夏の終わりを惜しむような全力で神楽の音色を響かせていました。

(掲載写真)
最優秀賞・輝星賞・流粋賞 馬門組祭典部「奇術競」
優秀賞・祇園未来賞 城内組祭典部「日本伝説 オロチ退治」
秀作 新道組祭典部「龍王」
特別賞 下袋町組祭典部「渡辺の綱 館の場」
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下北半島はマサカリの形。
野辺地町(青森県上北郡)は、そのマサカリの柄の下端に位置する。
更にその下(南側)に、平内町(青森県東津軽郡)、浅虫(青森県青森市)が位置する。

青森県は大きく分けて、奥羽山脈を挟んで西側が津軽地方、東側が南部地方である。
これらの地方を青森県として括りにしたのは明治になってからのことであり、それ以前は津軽氏領と南部氏領でそれぞれ独立した地方であった。
言葉も津軽弁と南部弁の大きく違い、その境界もはっきりと分かれているという。
東津軽郡平内町狩場沢と下北郡野辺地町馬門が津軽藩と八戸藩の藩境で、関所が置かれ、両藩2基ずつの藩境塚が残っているという。
馬門はそうしたところなのである。

由来好きの小生としては、「馬門(まかど)」の地名の由来が気になる。
宿のスタッフに尋ねてみた。
「馬門の地名の由来は?この地で馬を育てていたのでしょうか?」。
「マカドはアイヌ語です。、漢字の『馬門』は後に当てられたもので、馬とは関係ないとのことです」。
アイヌ語の「マカド」の意味は聞き損ねた。
調べてみた。
「マカド」は、アイヌ語の「マカ(開く)」と「ト(湖水)」との二語から成る言葉のようだ。
「マカド」という地名は、「馬門」のほか、「真門」、「間門」など各地に見られるが、そのすべてがアイヌ語を由来としているかどうかは定かではない。

因みに、野辺地町の由来は下北半島の「野辺」の「地」にあるからかと思いきや、これもアイヌ語の「ヌプンペッ(野中を流れる川)」とのことである。

宿のロビーに展示された山車飾りのお陰で、野辺地町のこと、馬門のこと、そして、日本の文化について、随分とベンキョー出来た。

温泉に浸かる。
馬門温泉は、義経が弁慶らと湯浴みをしたとも、一羽の鶴が傷を癒したという言い伝えのあるという。
青森ヒバの総ヒバ造りの大浴場でゆったりと。
そして、露天風呂でもゆたったりと。
夕餉は、ホタテ、ホタテ、ホタテづくしであった。

下北半島を満喫した1日であった。

フォト:2016年9月5日
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by ryujincho | 2016-10-14 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 13日

『下北半島/恐山(下)』

(「下北半島/恐山」/(上)の巻からの続き)

9月5日。
下北半島。
恐山。
総門、山門、地蔵堂と伽藍域を参拝し、いよいよ、地獄と極楽へ。
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バス・ガイドのおばちゃんが木柵のところに立って、「つまづかないように注意してくださーい。つまづいて、転ばないように気をつけてくださーい」と声掛けをしている。

で、転ぶと、どうなるか。
それは恐ろしくて、ここでは書けない。

転ぶことばないが、齢を重ね、足の上げ方が小さくなって来たのか、最近、時々、つまづくことがある。
要注意である。

さて、「下北半島/恐山」/(上)の巻の冒頭から、雲は垂れ込め、霧が立ち込め、おどろおどろしい雰囲気と綴って来たが、「恐山」の語源は「おそろしい山」ではないのである。
語源について、大好きなウィキペディアでは次の通り記されている。
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恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。
古くは「宇曽利山/うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、「恐山/おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。
「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。
外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
「恐山」という名称の単独峰はない。
火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。
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「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味するとあるが、アイヌ語の「ウショロ(入江とか、湾という意味)」に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったという説もある。

既に、硫黄の臭いが漂っている。
木柵の向こうへと進む。
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石碑と和歌。
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石碑には「空風火水地 大師説法之地」と刻まれている。
大町桂月が仏が浦を詠んだ歌は、「神のわざ 鬼の手造り 仏宇多 人の世ならぬ ところなりけり」であった。
ここ、恐山を詠んだ歌は、「恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり」。
宇曽利湖を囲む外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
これら八峰の姿は蓮華八葉とも呼ばれ、この歌にそれが詠み込まれている。
恐山を詠んだ歌は優しげ、仏ヶ浦を詠んだ歌は恐ろしげ、そうした対比で詠んだ歌なのであろう。

和歌が書かれた札の「大町」の「大」の文字は薄れて、「入」に見える。
この地は、「入」ではなく、「出」であろう。
ちょっと、筆でなぞってやりたい、そんなことを思わせる雰囲気が恐山には漂っている。

ほかの人も歩いているから安心だが、一人だけで歩くには何やら心細くなるであろう小径を進む。
硫黄の臭いが強く漂っている。
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荒涼とした岩、地蔵、そして、風車。
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更に荒涼とした地の奥に微かに坐像の姿が見える。
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坐像の御姿をアップで。
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こちらは小石を積み上げた塚と坐像、そして、風車。
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地獄の小径から宇曽利湖畔と極楽浜を遠望。
大町桂月もこの風景を眺めたのであろうと思いながら、カメラを向ける。
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極楽浜を、超望遠で。
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宇曽利湖畔に向かって進むと、右手に御堂が見えて来る。
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地蔵堂である。
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宇曽利湖畔の極楽浜に至る。
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山側を、今一度、
眺める。
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荒涼とした岩の中の小径から眺めた宇曽利湖畔の極楽浜に、今、立っているのである。
言わずもがなのことなれど、地獄よりも極楽の方がいいに決まっている。
「まむし注意」の立て札があるということは、極楽浜にはマムシが生息しているのである。
マムシだって、極楽浜の方が棲み易いのである。

極楽浜から、一路、伽藍域へと向かう。
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六大地蔵さんの背が見えて来た。
何やら、ほっとする。
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総門脇の案内板、「恐山奥の院」に目を通す。
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恐山奥の院

地蔵菩薩は中心にして不動阿字の本体なり
若し衆生有って是の心を知らば決定して成就す
「仏説延命地蔵菩薩経」より

この一句は地蔵菩薩と不動明王の二而不二を意味し、不動明王は地蔵菩薩の化身というのであります。
それゆえに、当山本尊伽羅陀山地蔵大士を中心に、奥の院地蔵山不動明王、奥の院釜臥山嶽大明神本地釈迦如来が一直線上に奉納され、三者が一体であることを意味しております。

当山は伽羅陀山地蔵大士を本尊に仰ぐ霊場であります。
地蔵菩薩の「地」という文字は大地をあらわし、「蔵」は生命を産み出す母胎、母の心をあらわしております。
人に踏まれても、ひたすら人をささえていく大地と、子の痛みを我が痛みとしてしかとうけとめてくれる母の心こそ、地蔵菩薩そのものなのであります。

即ち、釈迦如来の附属を受けた本尊の慈悲心と一切の煩悩を打ち砕く確固たる不動心の現成(げんじょう)が蓮華の花びらのような八峰(地蔵山・鶏頭山・大尽山・小尽山・北国山・釜臥山・屏風山・剣の山)に囲まれた蓮華台の如き恐山そのものなのであります。

ご参拝の皆様には「釈迦地蔵不動一体義」の元、これら三聖地をお参りなされることによって、当山参拝の結願が決定成就されるのであります。

霊場恐山 恐山菩提寺
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仏ヶ浦ヶ奥の院かと思いきや、然に非ず。
この案内板で奥の院のことがよく分かった。
更に、山門の扁額は「恐山」、地蔵堂の扁額は「伽羅陀山」で、いずれが山号であろうかとの疑問を持ったが、その疑問もこの案内板で解けた。

三聖地を参ることは叶わなかったが、地蔵堂の地蔵菩薩をお参りし、地獄・極楽浜をめぐることが叶った。

フォト:2016年9月6日
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by ryujincho | 2016-10-13 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 12日

『下北半島/恐山(上)』

9月5日。
下北半島。
霊場 恐山。
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大間崎と仏ヶ浦をめぐり、恐山へ。
大間崎と仏ヶ浦は青空であったが、恐山に近づくに連れ、周辺は煙って来た。
恐山に着いた頃には、雲は低く垂れ込め、薄く霧も立ち込めていた。
まさに、恐山の様相はこれか!と思わせる雰囲気である。

恐山菩提寺。
開基は、貞観4年(862年)、慈覚大師円仁(貞観4年、862年)によるとされる。
本尊は地蔵菩薩。

総門。
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総門の屋根にカラスが一羽。
何やら不気味。
アップで一枚。
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総門を抜け、参道を進む。
前方は山門。
後背の山、地蔵山には低く雲が垂れている。
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山門。
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扁額コレクション/其の壱。
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阿形仁王像。
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吽形仁王像。
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灰色の風景の中で、カラフルな扁額とカラフルな仁王像を見て、何か、ほっとする。

山門を抜け、参道を進む。
前方は地蔵堂。
後背の山、地蔵山はますます低く雲が垂れ込めている。
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境内でも温泉が湧き出ており、参道脇には温泉に浸かれる湯小屋もある。
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参道脇の、謎の、大亀と子亀。
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手水舎。
背後に並ぶのは宿坊。
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手水鉢には、龍の口はなく、設えられているのは擬宝珠。
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狛犬コレクション/地蔵堂を守る狛犬一対。
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地蔵堂。
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扁額コレクション/其の弐。
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山門の扁額は「恐山」、地蔵堂の扁額は「伽羅陀山」。
山号はいずれなのであろうか?と調べてみた。
「恐山 伽羅陀山菩提寺」と書かれたものもあれば、「恐山菩提寺」と書かれたものもある。
この疑問は最後の最後に、総門脇の案内板「恐山奥の院」に目を通し、解けることとなる。
詳しくは「下北半島/恐山」(下)の巻で綴ることととしたい。

さあ、いよいよ、木柵の向こうの、おどろおどろしい世界へ。
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バス・ガイドのおばちゃんが木柵のところに立って、「つまづかないように注意してくださーい。つまづいて、転ばないように気をつけてくださーい」と声掛けをしている。

つまづくと、どうなるか。
それは恐ろしくて、ここでは書けない。

転ぶことばないが、時々、つまづくことはある。
要注意である。

さて、冒頭から、雲は垂れ込め、霧が立ち込め、おどろおどろしい雰囲気と綴って来たが、「恐山」の語源は「おそろしい山」ではないのである。
語源について、大好きなウィキペディアでは次の通り記されている。
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恐山は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。
古くは「宇曽利山/うそりやま」と呼ばれたが、下北訛りにより変化し、「恐山/おそれやま/おそれざん」と呼ばれるようになった。
「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味する。
外輪山は、釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰。
「恐山」という名称の単独峰はない。
火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。
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「ウソリ」とは、アイヌ語の「ウショロ/窪地」であり、これは恐山山系のカルデラを意味するとあるが、アイヌ語の「ウショロ(入江とか、湾という意味)」に由来していて、これがさらに転化してオソレ(恐)になったという説もある。

既に、硫黄の臭いが漂っている。
木柵の向こうへと進む。

フォト:2016年9月5日

(「下北半島/恐山」/(下)の巻に続く)
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by ryujincho | 2016-10-12 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 10月 11日

『下北半島/佐井港にて』

9月5日。
下北半島。
佐井港周辺。
奇勝 “仏ヶ浦”遊覧を終え、佐井港近くで昼餉を摂る。
昼餉のあと、佐井港ターミナル周辺を散策。

奇勝 “仏ヶ浦”の形成に関わる解説あり。
奇勝 “仏ヶ浦”遊覧を終えたことでもあり、早速、ベンキョー。
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元々、ユーラシア大陸の端に位置していた日本は、約2000万年前頃から活発になってきた火山活動によって大陸から離れ、日本海ができはじめました。
日本海の海底で噴火した火山から出た灰は、海水と反応して緑色の鉱物に変質し、日本海側に広く分布するグリーンタフとなりました。
海上まで隆起した後、降水・波浪で削られ、仏ヶ浦は現在の姿になりました。
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英名/グリーンタフは、和名では緑色凝灰岩。
凝灰岩のうち、緑色、緑白色、淡緑色を呈するもののことをいう。

創ったのは、自然か?鬼か?
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創ったのは、自然か?鬼か?
下北半島・仏ヶ浦は、青森をこよなく愛した明治の詩人が訪れた際に和歌を詠み、「神か、鬼の手で創ったものとしか思えない」と表現したほど、壮大なスケールの巨岩が連なる景勝地です。
そらは、まさに波と風と有給の時が作り上げた自然の造形美です。
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土産物店で売られていた暖簾。
奇勝 “仏ヶ浦”の風景と大町桂月の歌が染め抜かれている。
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神のわざ 鬼の手造り 仏宇多 人の世ならぬ ところなりけり
大町桂月
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「仏宇多」は、仏ヶ浦の古い呼称である。
仏ヶ浦極楽浜に大町桂月の歌碑が立っているという。


佐井村のシンボル。
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村の花
スカシユリ
ユリ科の多年草で30cm-50cmの高さで、海岸の岩場に6月~8月にかけて朱色の花をつけ、上を向いて咲く。
また、古語でユリを「サイ」といい、我が村「佐井」の地名語源とするのである。
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村の鳥
ミサゴ
ワシタカ科ミサゴは、佐井村では「ウミタカ」と言われている。
ワシタカ目の鳥でトビとほぼ同じ大きさです。
海岸の断壁に営巣してヒナを育て、低空飛翔し、急降下して魚類を捕まえる。
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村の木
ヒバ
日本三大美林の一つで、ヒノキ科あすなろ属に属しており、建築材として強度耐久性に優れた材質を誇る。
また、近年、ヒバから抽出したヒノキオールで石鹸や殺菌剤に利用され注目を浴びている。
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「佐井村の木『ひば』材に村の花『すかしゆり』、村の鳥『みさご』」を藤田幸雪氏が彫刻したものです」。
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アップで。
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ミサゴは、我が鳥見のフィールドワーク地、手賀沼でも見られる鳥である。

上述の説明書きで、少々、気になる記述がある。
「低空飛翔し、急降下して魚類を捕まえる」とあるが、手賀沼での観察では「上空で飛翔し、一気に急降下して魚類を捕まえる」である。
ただ、湖沼は比較的波が穏やかなので、上空で飛翔しても魚の姿を捉えることが出来るのであろうが、海だと波静かといっても、それなりに波はあろうから、「低空飛翔し、急降下して」ということもあろうかと思う。

ミサゴは、魚を捕まえ、再び、飛び立つときに、魚の頭は飛び立つ方向に向けて掴んでいるということが多い。
鉄棒でいうところの順手で魚を捕まえると魚は横向きになってしまうが、順手ではなく、人間の指で言えば、右の親指と左の親指を内側に向けて少し前後にずらせて魚を捕まえるのである。
そういう形で捕まえると魚は飛び立つ方向に向くこととなる。
且つ、ミサゴの凄いところは、魚の頭が飛び立つ方向に向いているということである。

彫刻を見ると、魚の腹部を順手で掴んでいる。
これは魚を捕まえたときの形からすると正しくない。
しかし、魚を捕まえて巣に戻ったときに、巣の上で持ち替えることもあろうから、彫刻の魚の持ち方が間違っているとは言えないだろう。

彫刻の作者、藤田幸雪さんについて検索してみた。
北通り総合文化センター「ウイング」/イベント報告/2002年度なるサイトにヒットした。
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イベント報告
2002年度(平成14年度)
5月15日
文化講座「陶芸教室」
講師:藤田幸雪さん(佐井村)
主催:電源開発(株)
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北通り総合文化センター「ウイング」は、大間町、風間浦村、佐井村の3町村からなる北通りの人々を対象とした「文化」、「教育」、「健康」および原子力に係わる知識向上を目指す複合型文化施設とある。

そういえば、大間岬から佐井港へ向かう途中、大間原子力発電所の建設現場近くを通った。
北通り総合文化センター「ウイング」が、「文化」、「教育」、「健康」に加え、原子力に係わる知識向上を目指す複合型文化施設というのはそういうことなのである。
陶芸教室の主宰が「電源開発(株)」となっているが、大間原子力発電所の運営者が電源開発(株)であることで、これもそういうことなのである。
原子力発電所を取り巻く諸々の一端を垣間見た気がする。

で、彫刻の作者である藤田幸雪さんのプロフィールの詳細は不明ながら、「講師:藤田幸雪さん(佐井村)」とあるので、佐井村在の芸術家であるということだけは分かったのであった。

佐井村出身の偉人/三上剛太郎像。[#IMAGE|a0289546_9453115.jpg|201610/25/46/|mid|525|700#]
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台座には次の通り刻まれている。
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佐井村名誉村民
三上剛太郎先生像
仁愛
---------------------

案内板に三上剛太郎生家への道順が記されているが、時間の都合で立ち寄ることは叶わず。
佐井村観光協会のホームページで「三上剛太郎生家」について次の通り紹介されている。
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日露戦争で多くの命を救った三上剛太郎先生の生まれ育った家を展示館として開放しています。
三上剛太郎は、明治38年(1905年)の日露戦争時に軍医として満州へ渡りました。
仮包帯所で負傷兵の手当をしていたとき、ロシア兵に囲まれ全滅の危機に瀕した剛太郎は、ジュネーブ条約に基づく赤十字の精神に従い「手縫いの赤十字旗」を包帯所に掲げ、それを見たロシア兵は攻撃の手を止めたと言われています。
そうして敵味方問わず多くの兵士を救った剛太郎の功績をたたえ、生家を保存し、展示館としました。
晩年は佐井村の村医として村人に慕われた剛太郎が導入した、当時としては貴重なドイツ製レントゲン装置をはじめとする医療機器なども展示されています。
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大間のまぐろ。
大間岬の土産物店で写真を撮り損ねたので、佐井港の土産物店にて。
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こちらの方が色艶がよさそう。
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佐井村キャラクター「雲丹(うんたん)」。
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「雲丹(うに)」を「うんたん」と読ませるところに佐井村役場の諸君の苦労が滲み出ている。

次は、いよいよ、恐山である。

フォト:2016年9月5日

(つづく)
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by ryujincho | 2016-10-11 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)