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2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷/2016.9.30/(下)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。
史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。
東大駒場キャンパス構内のレストランで昼餉を摂り、少々、ワインも頂戴し、日本民藝館を見学。
つづいて、駒場公園を抜け、渋谷方面へ。

駒場公園南門を入ると、洋館が現れる。
旧前田公爵邸である。
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建物を回り込むと表玄関が現れた。
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旧前田公爵邸。
1929年(昭和4年)、旧加賀百万石の前田家第16代当主、前田利為(としなり)の本邸として建てられた。
当時の駒場の田園の野趣に合わせ、英国のチュー ダー様式を取り入れた建築。
玄関ポーチの扁平アーチに英国チューダー様式の特徴をみせている。
保存整備工事のため、平成28年7月から平成30年9月まで休館となっている。

東大駒場キャンパス北沿いの道を東へ歩き、山手通り/東大裏交差点を渡り、住宅街の一角にある鍋島松涛公園に立ち寄る。
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「どの家かは分からぬも、正面のどれかが山本富士子の家」と備前さん。
山本富士子といえば、長谷川一夫と並んで、大映の男優、女優の二枚看板。
今でこそ、物まねといえば、歌手の物まねが多いが、昔は、声帯模写と称し、有名人の声色、動物の鳴き声などが主流であった。
山本富士子の声帯模写を得意としたのは、桜井長一郎であった。
山本富士子の特徴は、余り口を開けず、小声で、時折、息を吸うというものであった。
山本富士子は1931年生まれの84歳、最近、映画やテレビでその姿を見たことはないが、今も健在だ。

池の水草が白い花を咲かせている。
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バイカモ(梅花藻)と思われる。
バイカモは冷涼で流れのある清流を好む植物。
池の水は澄んでおり、湧水である。

支柱コレクション。
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数年前、盟友、大給さんの国許御屋敷の松の支柱を検討すべく、手始めに、鎌倉・瑞泉寺の梅の支柱をコレクションして以来、支柱が気になり、コレクションするようになった。
鍋島松涛公園の、この支柱は大型の鳥居型支柱である。

鍋島松涛公園。
江戸時代、この辺り一帯は紀州徳川家の下屋敷があった。
1876年(明治9年)、佐賀の鍋島家に払い下げられ、鍋島家は茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売を行っていた。
1932年(昭和7年)、茶園は廃止、公園化、東京市に寄贈され、1950年(昭和25年)、渋谷区の管轄となった。

鍋島松涛公園から松涛美術館の脇を抜け、道玄坂下の飲み屋街に。
この店に入ったわけではないが、看板の面白さに惹かれて、カメラを向けた。
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面白い点その1:「ヨロシク!ユウチャン」とあるが、看板に描かれた顔は、ユウチャンではなく、アキラと思われる。
面白い点その2:「串カツ片手に大暴れ ソースは二度漬け禁止だぜ!!」のキャッチ・コピー。

更に、面白い点がふたつ。
それはアップで。
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面白い点その3(看板、左上):「総天然色」ならぬ「総天然食」。
昔は「総天然色」と言っていた。
いつの頃からか「カラー作品」という表示になった。
今じゃ、カラーとかモノクロとか書かれた映画看板やポスターにお目に掛かったことはない。
面白い点その4(看板左下):「日活」ならぬ「串活」。
小・中学生の頃、東映、東宝、松竹、大映、日活の大手五社が華やかりし頃、お袋から日活の映画だけは絶対に見てはいけません!ときつく言われていたことを思い出す。
この看板を見て、この看板に描かれた日活映画のパロディをなるほど!と思える世代は何歳くらいまでであろうか...。

昼のワインの酔いも抜けぬまま、ビールと日本酒を頂戴する。
そして、大放談を。

帰路、再び、JRと井の頭線を結ぶコンコースに立ち寄り、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆を眺める。
昼前より人は増えている図に満足!
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次回は、12月上旬、三浦半島/観音崎の予定。
楽しみ、楽しみ...。

フォト:2016年9月30日

(完)
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by ryujincho | 2016-09-30 23:58 | 街歩き | Comments(0)
2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷 2016.9.30/(上)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。

史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。

集合刻限と場所は、11時30分、京王井の頭線駒場東大前駅。
井の頭線に乗るのは数十年ぶりである。
JR渋谷駅・東京メトロ渋谷駅と京王井の頭線を結ぶコンコースで、岡本太郎の『明日の神話』を鑑賞する。
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前回、この巨大壁画を鑑賞したのは、壁画がここに設置された年、2008年のことで、これも久しぶりである。

この壁画は、1969年、メキシコオリンピックに向けてメキシコ中心部に建築中だったホテルのために製作されたが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となり、その後、2003年にメキシコ国内で発見され、日本に移送、修復し、各地で一般公開の後、吹田市、広島市、長崎市、東京都渋谷区などが誘致運動をした結果、2008年、渋谷のこの地に恒久的に設置されることになったたという曰く付きの壁画である。

このコンコースでは、巨大壁画の鑑賞のほか、もうひとつ楽しみがある。
それは、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆の図である。
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ウィークデーの午前11時過ぎなので、まだ、群衆の数は少ない。
夕方、もう一度、来てみようと思いながら、井の頭線に乗車。

駒場東大前駅で下車。
自宅を出る前に、電車の時刻を電脳網の「乗換案内」でチェック。
到着駅を「東大駒場」と打ち込んだところ、これは間違いで、「駒場東大前」が正しいことに気付く。
普通、東大本郷とか東大駒場とかいうのに、何故、駅名は駒場東大前なんだろう、駅員さんに問うてみようと思いつつ、問わずに改札を通過。
その答えは、昼餉のときに自然発生的に知ることとなり、スッキリ。
その答えは、後ほど綴ることとしたい。

東大駒場キャンパス。
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昼餉は東大構内で、というのが本日の趣向。
我々の世代は、大学構内の食堂となると、いわゆる、ガクショクである。
しかし、昨今は然様なガサツなものではない。
レストラン風、いや、洒落たレストランで、その名も"ルヴェ ソン ヴェール駒場"。

食事を注文。
「酒、飲みましょか」。
「散歩のあとの一献だけど、まっ、いいか。飲みましょう」。
「シェリー酒があります」。
「それにしましょう」。
「シェリー酒といえば、リバプールの中華レストランでのことを思い出しますね。伊豫さん、IM さん、KI さん、小生の4人で出張。リバプールの中華レストランで夕食を摂ったとき、シェリー酒大好き人間の KI さんが TIO PEPE、TIO PEPE と何度も言うんで、中華レストランにそんなもん、ある訳ないやんと言いながら、駄目もとで聞いてみたら、ありましたね」。

「備前さんは、いつ頃から目黒に住んでいたんですか」。
「昭和27年から」。
「小学1年生ですね」。
「そう。夜行列車で上京したんだよね。いまでいうところの、瀬戸だね」。
「昭和20年代、30年代は夜行列車がいっぱいありましたね。親父が東京へで出張するときは、『銀河』で。神戸駅へ見送りに行った記憶があります。『銀河』、ええ名前です」。
「こちらへ来た当時の井の頭線は路面電車のようなもので、駒場駅と東大前駅というのがあったのだけれど、この二つの駅を合体して、駒場東大前駅になったんだ」。
「そうですか。それで謎が解けました。何故、東大駒場前駅じゃなくて、駒場東大前なのかと思っていたもので」。
いつ新駅になったのかと調べてみたところ、1965年(昭和40年)であるから、小生が大学生となり、上京する3年前であった。
親戚の家へ行くのに、隣の、池の上駅で下車していたのだが、池の上駅のひとつ手前の、駒場東大前は開業3年目のまだ新しい駅だったのだ。
今の今まで、知らんかった、街歩きのお陰で、京王電鉄の歴史をベンキョーできたんや、と思うのであった。

シェリー酒が運ばれて来た。
「久しぶりのシェリー酒、旨いですね」。
「ロンドンで飲んだジン・トニックも旨かったなあ」。
「どんなジンかな」。
「ビフィーター、ゴードン...」。
「この間、テレビでジン・トニックの薀蓄を語っていた番組を見ました。ジンはシップスミス VJOP、トニック・ウォーターはフィーバー・ツリー。この組み合わせのジン・トニックが本場ロンドンの味だと。シップスミス VJOPの香り付けは普通より量の多いジュニパーベリー。フィーバー・ツリーのトニック・ウォーターはキニーネ入り。元々、トニック・ウォーターはマラリア予防のキニーネを飲み易くするために作られた薬用飲料水で、更に飲み易くするためか、ジンを加えるようになったということのよう」。
「インドでのマラリア予防。それで、ボンベイ・サファイアというジンもあるんだね」。
「そうそう、ボンベイ・サファイアの、あの青い、透き通ったボトルが旨さを誘いますね」。

料理が運ばれて来た。
「ワイン、飲みましょか」。
「散歩は千鳥足になるかも。でも、飲みましょ」。

昼餉を終えて、柳宗悦によって創設された「日本民藝館」へ。
これは小生の希望で。
柳宗悦は、叔父の嘉納治五郎の別荘が我孫子(千葉県)にあったことから、我孫子に住まいするようになり、同地に志賀直哉らを呼び、我孫子に文人らが集結し、白樺派文学が進展するきっかけをつくったことにより、我孫子市には「白樺文学館」なるものがあり、そこで、柳宗悦の草稿を見たり、地下の音楽室では夫人で声楽家の柳兼子の歌声を聴いたりしたこともあり、駒場の「日本民藝館」を是非訪れてみたいと常々思ったいたので、丁度、よい機会を得、リクエストしたのであった。

日本民藝館本館。
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入館料1100円也。
展示の民藝品の数々を鑑賞。
よくぞ、これだけのものを蒐集したな、そして、分類も、と思うほどに。
展示品もさることながら、建物の内部の造りそのものも見応えがある。

備前さんが係りの人と何やら会話をしたあと、戻って来た。
「大原孫三郎の援助を得て、1936年(昭和11年)に、この地に日本民藝館ができたとのこと」と。
大原孫三郎は、倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)など経済界で活躍する一方、大原美術館を開設するなど文化事業にも熱心な人であった。
大原孫三郎が柳宗悦の民藝運動にも関わりを持っていたとは知らなかった。
ベンキョーになった。

館内は撮影禁止なので、外で何枚か<カメラ取材>を。
本館入り口の水鉢。
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同じく、本館入り口の水甕(かな?)。
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本館南西角外壁。
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本館南面外壁。
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道を挟んで西側の日本民藝館西館。
こちらは、旧柳宗悦邸を民芸館にしたもの。
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西館の脇に碑が建っている。
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碑の裏面に刻まれた文字。
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不二之碑
日本民藝館創立五十周年記念
昭和六十一年十月
柳 宗理 建立
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柳宗理は、日本民藝館三代目館長。
初代館長は柳宗悦、二代目は陶芸家の濱田庄司(1894-1978)、三代目は宗悦の長男でプロダクトデザイナーの柳宗理(1915-2011)、四代目は実業家(富士ゼロックス元会長)の小林陽太郎(1933-2015)、現在はプロダクトデザイナーの深澤直人となっている。

昭和61年(1986年)が50周年、今年は80周年。
ということで、只今、『創設80周年特別展/柳宗悦・蒐集の軌跡―日本の工芸を中心に-』が開催されているのであった。

見慣れた銘板、登録有形文化財。
「第13-0053号/この建造物は貴重な国民的財産です/文化庁」。
日本民藝館本館、西館共に、登録有形文化財に指定されている。
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「駒場公園を抜けて、渋谷方面へ歩いてゆきましょう。途中、あれこれと眺めながら」との備前さんの案内に従い、日本民藝館をあとにした。

フォト:2016年9月30日

(つづく)
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by ryujincho | 2016-09-30 23:57 | 街歩き | Comments(0)
2016年 09月 29日

『JR五能線/深浦~千畳敷~鯵ヶ沢(下)』

9月4日。
JR五能線。
深浦~千畳敷~鯵ヶ沢、距離は40km弱、所要時間約1時間の区間だけながら、リゾート快速しらかみ3号にて、五能線を楽しむ。

千畳敷駅に近づく。
「千畳敷駅に15分間、停車します。千畳敷の観光をお楽しみください」と社内放送が流れる。
いわゆる、観光停車、よい趣向である。
そして、「汽笛を三度鳴らしましたら、お戻りください」と。
なるほど、これもよい手立てである。

千畳敷駅。
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東能代------86.0km-----千畳敷-----61.2km------川部
------------------------
観光案内
かつて津軽の殿さまが畳を千枚敷いて宴会をしたと伝わる岩畳の海岸。
奇岩奇岩が連なり波打ち際まで続く岩畳と水平線が絶景!
「日本の夕陽百選」にもなっており、夕暮れ時はロマンチック。
-------------------------

一般道を挟んで、岩畳が広がり、その向こうに日本海。
岩畳へと向かう。

千畳敷。
右から左(東から西)へと目を遣る。
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千畳敷を歩く。
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波打ち際。
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スフィンクス?獅子岩?
千畳敷にそびえる奇岩はそんな風にも見える。
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男鹿半島の形成、一ノ目潟・二ノ目潟・三ノ目・戸賀湾の形成、潟白神山地/十二湖の形成についてベンキョーしたので、それに続いて、千畳敷の形成もベンキョーせねばと、スマホで検索してみたところ、「1792年年(寛政4年)の地震で隆起したと伝えられる海岸段丘面」と僅か一行で地学のベンキョーは終わってしまった。

そして、この「千畳敷海岸隆起生誕200年記念」の石碑にもその答えが刻まれていたのであった。
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太宰治 小説「津軽」
...木造から、五能線に依つて約三十分くらゐで鳴澤、鰺ヶ澤を過ぎ、その邊で津軽平野もおしまひになつて、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の餘波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。
この邊の岩石は、すべて角稜質凝灰岩とかいふものださうで、その海蝕を受けて平坦になつた斑緑色の岩盤が江戸時代の末期にお化けみたいに海上に露出して、數百人の宴会を海濱に於いて催す事が出来るほどのお座敷になつたので、これを千畳敷と名附け、またその岩盤のところどころが丸く窪んで海水を湛へ、あたかもお酒をなみなみと注いだ大盃みたいな形なので、これを盃沼(さかずきぬま)と稱するのださうだけれど、直径一尺から二尺くらゐのたくさんの大穴をことごとく盃と見たてるなど、よつぽどの大酒飲みが名附けたものに違ひない。
この邊の海岸には奇岩削立し、怒濤にその脚を絶えず洗はれてゐる、と、まあ、・・・・・・
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生干しイカ。
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当然のことながら、生干し焼きイカ、350円也をゲット!
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「そろそろ、列車へ戻ってくださーい」と、汽笛が3回、鳴る。
列車に戻る。

デッキに輪行袋に入った自転車が置かれている。
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男鹿半島からバスで北上しながら、また、五能線で北上しながら、この辺りは比較的平坦は地形だし、日本海を眺めながら自転車で走ったら気持ちがいいだろうなあと思いながら車窓の風景を眺めていた。
そんなこともあり、五能線で輪行はもったいないんじゃないの?とふと思うも、いやいや、このライダーは既にハードなコースを走り終えて、輪行し、寛いでいるんだろうと思い直した。

生干しイカ焼きを食す。
旨い!

鯵ヶ沢駅に到着。
深浦は安美錦の出身地、鯵ヶ沢は舞の海の出身地。
そして、ブスかわいい秋田犬、わさおの出身地でもある。
<取材>時間はなく、三角屋根の駅の写真のみ。
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フォト:2016年9月4日

(つづく)
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by ryujincho | 2016-09-29 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 29日

『JR五能線/深浦~千畳敷~鯵ヶ沢(上)』

9月4日。
JR五能線。
深浦~千畳敷~鯵ヶ沢、距離は40km弱、所要時間約1時間の区間だけながら、リゾート快速しらかみ3号にて、五能線を楽しむ。

リゾートしらかみ<青池>。
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リゾートしらかみには、<青池>編成のほか、<橅>編成と<くまげら>編成もある。
なかなかよい名付け方である。
<青池>編成は、ハイブリッド気動車のHB-E300系を使用している。

車窓からの眺めを楽しむ。
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千畳敷駅に近づく。
「千畳敷駅に15分間、停車します。千畳敷の観光をお楽しみください」と社内放送が流れる。
いわゆる、観光停車、よい趣向である。
そして、「汽笛を三度鳴らしましたら、お戻りください」と。
なるほど、これもよい手立てである。

千畳敷駅。
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東能代------86.0km-----千畳敷-----61.2km------川部
------------------------
観光案内
かつて津軽の殿さまが畳を千枚敷いて宴会をしたと伝わる岩畳の海岸。
奇岩奇岩が連なり波打ち際まで続く岩畳と水平線が絶景!
「日本の夕陽百選」にもなっており、夕暮れ時はロマンチック。
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一般道を挟んで、岩畳が広がり、その向こうに日本海。
岩畳へと向かう。

フォト:2016年9月4日

(つづく)
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by ryujincho | 2016-09-29 23:57 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 28日

『JR五能線 深浦駅(下)』

9月4日。
JR五能線 深浦駅。
待合所で、深浦の名の由来、深浦マグロステーキ丼、五能線80周年などを<取材>し、13:34発下り、快速リゾートしらかみ3号に乗車すべく、ホームへと進む。
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しらかみ3号の入線まで少々時間がある。
時間があれば、<取材>である。

駅名板、その1/横磯/深浦/広戸。
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隣り駅の横磯(青森県西津軽郡深浦町大字横磯字下岡崎)は上り側、広戸(青森県西津軽郡深浦町大字広戸字小広戸)は下り側の無人駅。
何れも地形がイメージ出来る駅名である。

駅名板、その2/横磯/深浦/広戸。
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「川部------80.3km-----深浦-----66.9km------東能代」の表示あり。
深浦駅は五能線の要衝となる駅であり、普通列車は深浦駅を境に運転系統が分かれるとのこと。

駅名板に書かれた「観光案内」に目を通す。
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北前船の風待ち湊として栄え、由緒ある寺などで歴史めぐりができる。
最近は「深浦マグログルメ」が話題、食事処では味を競っている。
また、奇岩、怪岩が連なる海岸線を赤々と夕陽が染める絶景スポット。
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奇岩と夕陽の図をアップで。
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ホームから奇岩の方角を眺める。
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奇岩の頂上に柵らしきものが見える。
ということは、上ることが出来るということのように思える。
アップで。
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「深浦駅から見える岩」で検索したところ、奇岩の頂上から撮影した写真が掲載されたブログにヒットした。
これによれば、海岸線から磯に遊歩道が設けられており、この奇岩まで行けるようになっている。
頂上からの景色は絶景である。
ホームからの眺めで、右手の家がなければ、磯も見えるはずである。
惜しい!
だが、ヒットしたブログで頂上からの絶景写真と駅名板に描かれた夕景でよしとしよう。

下り、1番線/千畳敷・鯵ヶ沢方面。
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快速リゾートしらかみ3号が下り1番線に入線して来た。
快速リゾートしらかみ3号は、秋田駅発、東能代駅から五能線を経由し、川部駅で再び奥羽本線に入り、 弘前終点となる。
便によっては青森終点もある。
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快速リゾートしらかみ3号に乗車。
13:34、定刻通り、深浦駅を出発した。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-28 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 27日

『JR五能線 深浦駅(上)』

9月4日。
JR五能線 深浦駅。
不老ふ死温泉で昼餉を摂り、湯に浸かったあとは、五能線を楽しむという趣向。
自ら jitensha の旅を企画することがあるが、次から次と繰り出す旅行会社の企画に脱帽だ。

快速リゾートしらかみ3号の到着まで少し時間がある。
時間は有効に使わねばならない。
深浦駅を<取材>する。

深浦という町に馴染みはない。
だが、深浦といえば、大相撲の古参、最年長にして老練な力士、安美錦の出身地である。
駅の何処かにに安美錦のことが記されていないかと見回すも見つからず。
安美錦は、5月場所で左アキレス腱を断裂し、3日目から休場、翌場所も全休し、この9月場所は十両へ陥落するも、7勝7敗で迎えた千秋楽、見事、勝ち越した。

冒頭から話が脱線してしまった。
おっと、鉄道の話題に<脱線>は縁起が悪いとお叱りを受けそう。
本題の深浦駅の話題に。

「深浦駅」。
<さんずい>の文字が二つ並ぶ深浦の名が美しい。
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「駅名の由来~深浦駅~」。
由来好きの小生には堪らなく嬉しい掲示である。
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深浦の地名は海から深く入った入江に由来し、古くは、吹浦(ふくうら)、安東浦(あんどううら)とも呼ばれていました。
この天然の港は、北海道松前半島と秋田男鹿半島の中間にあり、北前船の風待ち湊として、また、津軽藩の御用湊として大変に栄えました。
当時の繁栄を物語る品々が、北前の館や数々の寺宝が伝わる円覚寺に残されています。
また、付近は夕日が美しいことでも知られ、夕日海岸とも呼ばれています。
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運賃表。
路線図としても撮影。
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時刻表。
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1日の運行数は少なく、
上下線各8本。
深浦駅の1日の乗降者数を調べてみた。
2000年度 150人、2015年度 67人。
車社会の現れ、ずっと以前から、車社会に移行しているのであろう。

だが、観光路線としてはしっかりと。
我らが乗車するのは、13:34発、快速リゾートしらかみ3号。
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「マグロは大間だけじゃない! 深浦マグロステーキ丼」。
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深浦のマグロ水揚げは青森県ナンバーワン。
マグロステーキ丼は、実は、昼、不老ふ死温泉で食したのであった。

深浦町役場マグステ食堂。
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深浦マグロステーキ丼をアップで。
どんな丼か、それは<深浦マグロステーキ丼>で検索。
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下段に「駅を出て左へわんつか徒歩5分」とある。
文脈から「わんつか」は「僅か」という意味と分かるが、「わんつか」だけなら理解不能であろう。

「五能線前線開通80周年」。
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五能線は、東能代駅(秋田県能代市鰄渕(かいらげぶち)字下悪戸)と川部駅(青森県南津軽郡田舎館村(いなかだてむら)大字川部字上西田)を結ぶ約147kmの路線。
五能線の歴史を紐解いてみた。
1908年(明治41年)、官設鉄道が能代(初代) - 能代町貨物取扱所間を開業。
その後、幾つかの変遷を辿り、80年前の、1936年(昭和11年)、全通により、五所川原の「五」と「能代」の「能」をとって、線名を五能線と名づけたとある。

余談ながら、五能線といえば、NHKあるいはテレビ東京の歌謡番組で時折耳にする、水森かおりが歌う♪五能線♪なる歌が思い浮かぶ。
1977年リリースの♪津軽海峡・冬景色♪ならソラで歌えるが、2005年リリースの♪五能線♪となると、さて、どんな歌であったか?
で、youtube で聴いてみた。
歌と共に、車窓からの日本海の景色が映し出される。
日本海の景色は、当然のことながら、冬景色、そして、夕陽の景色も織り交ぜて。

この歌は、作詞 木下龍太郎、作曲 弦哲也。
作詞家先生は五能線を10往復くらいしたんじゃないかと思わせるほどに、まことによく出来た歌詞だと思う。
そして、youtube も、また、まことによく出来た映像だと思う。

更に申せば、この歌の三番に、♪ 終着駅のそこからが 本当は長いこころ旅 ♪という歌詞がある。
五能線の下りの終着駅は川部駅、そこで、奥羽本線に乗り入れ(乗り換えではなく、乗り入れ)となるのである。
余談が過ぎた。

そろそろ、我らが乗車する快速リゾートしらかみ3号が到着する時刻だ。
改札を通り、ホームへと進む。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-27 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 26日

『黄金崎不老ふ死温泉』

9月4日。
黄金崎不老ふ死温泉。
温泉宿ながら、日帰り風呂もOK。

一風呂浴びる前に、昼餉を頂戴する。
そして、温泉。
前日は男鹿温泉郷に投宿、夜、湯に浸かり、今朝も湯に浸かり、そして、昼は不老ふ死温泉で湯に浸かる。
たまらんなあ...。

カウンターで、貴重品を預ける。
タオルは持参している。
浴衣を借りる。

館内の、パノラマ展望風呂へ、そして、展望露天風呂にも浸かる。
眼下に磯、そこに、不老ふ死温泉の売りものの、海辺の露天風呂が見える。
浴衣を着て、館内を歩き、エレベーターで地上階に降り、出入り口でスリッパから備え付けの草履に履き替え、備え付けの小さな脱衣籠を持ち、磯に向かって歩き、海辺の露天風呂へ。

海辺の露天風呂。
右は女性用、左は混浴。
ひょうたん型の風呂を半分に仕切り、左右に分けているのだ。
左を男性用ではなく、混浴としているところは青森県人のユーモアか。

当然のことながら、左の混浴の方へ。
脱衣場とか掛け湯などはない。
簡単な棚があるだけ。
出入り口から持って来た小さな脱衣籠に浴衣と帯を入れ、棚に置く。

湯に浸かる。
湯は鉄色。
本来は、透明だが、湯に含まれる鉄分が酸化して鉄色の湯になっているのである。
湯船の外は磯。
湯船の外というよりも、磯に湯船がちょこっとあるという状態、といった方が正しいだろう。
湯船から出て、海水浴も出来そうなくらいである。
左手の岩に2羽のウがとまっている。
右手の磯では1羽のダイサギか餌をついばんでいる。
磯の向こうは日本海。
海、磯、温泉の一体感が何ともよい。

海辺の露天風呂から上がり、浴衣を着て、館内の出入り口へ向かう。
冬の間、出入り口と海辺の露天風呂の往復の間は寒いだろうなあ、雪の積もった磯と冬の日本海を眺めながら湯に浸かるというのは粋だろうななどと思いながら、冬の露天風呂を想像する。

出入り口で草履からスリッパに履き替え、エレベータで上階へ上がり、館内を歩き、内湯に戻る。
パノラマ展望風呂へ、そして、展望露天風呂から眼下の磯と海辺の露天風呂、そして、日本海を眺める。

1時間ほどの日帰り湯を楽しんだあと、カウンターで預けた貴重品を貰う。

「ちょっと、お尋ねしますが、何故、不老ふ死温泉の、二つ目の『不』は平仮名なのでしょうか」。
「会社の名前も不老不死温泉で、こちらは漢字の、『不』なのですが、書家の先生が漢字の『不』が二つ重なるのはよろしくないとのことで、温泉の名の二つ目は平仮名にしたんです」。

「不」に関わる疑問も、明快な回答で、腑に落ちた、ということである。
温泉に浸かったお陰で、座布団を1枚もらえるくらいに、頭は冴え渡っていたのであった。

温泉はカメラ持ち込み禁止。
カメラでの<取材>は出来ないので、売店で絵葉書を購入。
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不老ふ死温泉のホームページに綴られた言葉をここに引用しておこう。
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極上の開放感にひたる
海辺の露天風呂
日本海が目の前に広がる 海岸と一体化した絶景の露天風呂
遠い水平線を眺めて潮騒に耳をかたむければ 心にしみいる感動と
くつろぎのひとときをお楽しみいただけます。
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まったく、その通りである。

休憩所で野鳥写真を楽しむ。
ルリビタキ、アオゲラ、ヤマセミ、アカショウビン...。

アオゲラ。
初めてみる鳥である。
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アカショウビン。
いつかはホンモノを見てみたい、撮ってみたいと思っている鳥である。
こんなにくちばしを大きく開けている写真を見るのは初めてかもしれない。
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不老ふ死温泉、また来てみたい温泉である。
十二湖辺りでの鳥見を兼ねて...。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-26 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 25日

『白神山地/十二湖』

9月4日。
白神山地/十二湖。
鶏頭池と青池をめぐる。

崩山(くずれやま、標高939.9m)。
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崩山を借景とする鶏頭池。
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ブナ。
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カエデ。
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枯れて白色化した倒木。
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十二湖屈指の、青池。
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「青池」の説明書きに目を通す。
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青池
その名のとおり、透きとおった群青色の水面をのぞかせているが、「青池」と呼ばれる「十二湖」の代名詞ともいえる名湖です。
面接約975m2、最大深度約9.0mほどで、十二湖の湖沼群のなかでは特に大きいほうではありませんが、倒れたブナや遊泳する小魚が透けて見え、「青インクを流し込んだような」と形容される、その美しい青さの秘密は、現代科学でも解明することが出来ておらず、訪れる人々を神秘と幻想の世界へと導いています。
青森県
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青さの秘密は解明せんでよろしい、神秘は神秘のままにしておくのがよい。

「十二湖周辺に住む野鳥」。
鳥見大好き人間なので、図だけでも楽しめる。
左から、キビタキ、アカショウビン、ヤマセミ、エゾクイムシ、カワセミ。
華麗なる水辺のハンター、カワセミ、ヤマセミ、アカショウビンの三種が勢揃い。
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鶏頭池を過ぎ、青池に至る手前にある「崩山登山口」。
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登山口の脇に立つ「白神山地世界遺産地域」に目を通す。
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白神山地核心部のブナ林は、純度の高さやすぐれた原生状態の保存、動植物相の多様性で世界的に特異な森林であり、氷河期以降の新しいブナ林の東アジアにおける代表的なものであることから、青森県と秋田県境にまたがる16、971ヘクタールの区域が平成5年12月、世界遺産条約に基づき世界遺産一覧表に登録されました。
(以下は遵守事項の列挙にてここでの記載は省略)
白神山地世界遺産地域連絡会議
環境省・林野庁・文化庁・青森県・秋田県
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地図の赤い点が現在地。
緑色の区域が世界遺産地域。
十二湖は白神山地の一角にあるが、世界遺産地域には入っていない。

十二湖案内図。
鶏頭池と青池、崩山は案内図の右(東)に位置する。
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十二湖を構成する湖沼群は、宝永元年(1704年)の能代地震による崩山(くずれやま、標高939.9m)の崩壊で川が塞き止められ、形成されたのではないかと推定されている。
十二湖という名称は広大なブナの森に点在する33の湖沼が、大崩(標高694m)から見ると12の湖沼数がが見えるということに由来すると言われているが、詳しくは分かっていない。
但し、偶然にも面積が10,000平方メートルを超える湖沼数は12となっている。
=備考=
能代地震は、元禄7年(1694年)に起こったものと、その10年後の宝永元年(1704年)に起こったものがある。
崩山の崩壊により十二湖が形成されたのは、後者の能代地震である。
(ウィキペディア抜粋)

十二湖をあとにして、海岸線の国道へ戻る。
その途中、「日本キャニオン」なるものを車窓から遠望する。
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アップで。
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日本キャニオンとは、何ぞや?
浸食崩壊によって凝灰岩の白い岩肌がむき出しになったU字谷大断崖で、地元では昔から日暮山と呼ばれていた。
1953年(昭和28年)、十二湖が県立自然公園に指定された際に訪れた国立公園審議委員の探検家・岸衛が、アメリカ合衆国のグランドキャニオンと対比し「なーんだ、ベビーキャニオンじゃないか」と言ったことから、「日本キャニオン」と呼ばれるようになったとのこと。
因みに、日本キャニオンは白神山地世界遺産の区域外にある。
(ウィキペデキア抜粋)

再び、日本海沿いの国道を北上する。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-25 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 24日

『日本海と鉄路、そして、密出入国禁止の看板も』

9月4日。
男鹿半島を出発し、日本海沿いを北上する。
行き先は白神山地の十二湖。
途中、秋田音頭に唄われる、あの♪八森ハタハタ♪の、八森の町を通過する。
八森を過ぎると、青森県となる。
国道沿いに、五能線の鉄路もずっと続く。

穏やかな日本海。
厳冬の頃ともなれば、磯に荒波が打ち寄せるのであろうが...。
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絶景の海岸線が続く中、こんな看板が目に飛び込んで来た。
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鯵ヶ沢・深浦地区沿岸防犯協会・鯵ヶ沢警察署が設けた「密出入国禁止」の看板。
斯様な看板を見ると、某国の脅威を現実のものとして感じる。

五能線の鉄路。
この日の旅程表によれば、五能線乗車は深浦駅からだ。
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海辺の稲田。
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後ほど立ち寄る深浦の千畳敷はこういう磯が隆起したのであろうと思いながら、眺める。
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鉄路、松林、そして、日本海。
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ミニ鉄橋。
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我々のバスも小さな橋を渡る。
橋の袂に立つ、ふたつの標識。
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木製の標識には「濁川 青森県」とある。
帰宅後、この川の読みは?と思い、「濁川」を検索してみたところ、「濁川(にごりかわ、にごりがわ)」なる河川は全国に23あった。
因みに、この日、渡った濁川は、「青森県西津軽郡深浦町を流れる本流の二級河川」とある。
源流の記載はないが、白神山地の十二湖あたりかもしれない。

もうひとつの標識は、「→(右) 津軽国定公園 十二湖」。
バスは右折して、十二湖へと向かう。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-24 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)
2016年 09月 23日

『八森ハタハタ』

9月4日。
男鹿半島を出発し、車窓左手に日本海と五能線を眺めながら北へ向かう。
途中、「八森」の町を通る。
八森は、秋田音頭に唄われる、あの♪八森ハタハタ♪の、八森である。

♪ヤートセー コラ秋田音頭です (ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー)
♪コラ秋田名物 八森ハタハタ 男鹿で男鹿ブリコ 能代春慶 桧山納豆 大館曲わっぱ

秋田音頭には「八森ハタハタ」に続いて「男鹿ブリコ」も登場する。
ブリコはハタハタの卵である。

ハタハタの漁期は、秋田県では11月から12月に掛けてで、雷の多い時期でもある。
ハタハタの名は、雷の擬声語である「はたはた」が由来だという。
雷の擬声語は「ゴロゴロ」が一般的。
広辞苑を紐解き、「はたはた」を調べると、「はたはた」には幾つかの意味があるが、その中に「雷が激しく轟く音」という意味もあった。
広辞苑には、雷鳴の意味の「はたはた」のほかに、魚の「はたはた(鰰・鱩・燭魚)」や激しく轟く雷という意味の「はたはたがみ(霹靂神)」などの言葉も並んでいる。

漢字の「鰰」は、雷を神とすることから、魚偏に神なのであろう。
同じく漢字の「鱩」は、そのものずばり、魚偏に雷なのであろう。
同じく漢字の「燭魚」は、何故、こう書くのかは不明だが、中国由来であるとか、稲妻も「燭(ともしび)」の一種ではないか等、勝手な推測をするのである。

男鹿温泉郷で見た「男鹿のハタハタ」像。
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アップで。
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国道101号線沿い/「八森 いさりび温泉 ハタハタ館」。
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「鰰の町」ポスター。
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ポスターに「八峰町」とある。
八峰町は、2006年、八森町と峰浜村が合併して誕生した町。
「ハタハタ館」の住所を見ると秋田県山本郡八峰町八森字御所の台となっており、合併後も八森の名はしっかりと残されているのである。
よいことである。

「名物 はたはた焼饅頭」。
まだ、9時半、朝餉で満腹状態なので、味見はせず。
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NHK「ダーウィンが来た!」で、ハタハタの生態を見たことがある。
その放送を調べたところ、2015年7月5日放送の「厳冬の日本海 荒波に生きるハタハタ」であった。
荒れた海で産卵するのは、ホンダワラに産み付けられた卵が荒波に揺られることで、卵に酸素が十分に行き届き、卵の成長の助けになるのだという。

10年以上前になるだろうか、地下鉄東西線東陽町駅近くの団地内にある郷土料理の店、「男鹿半島」で、初めて生のハタハタを見た。
魚卵ブリコは緑色であった。
ネット検索したところ、郷土料理の店、「男鹿半島」は健在である。
11月になったら東陽町に出掛け、季節のハタハタを食してみたい。
地元の八森を訪ねたことでもあり、以前、食したハタハタの味とは別の味わいを感じることであろう。

フォト:2016年9月4日
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by ryujincho | 2016-09-23 23:58 | 出羽国・陸奥国の旅 | Comments(0)