龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:街歩き、村歩き、ポタリング( 111 )


2017年 06月 03日

『杉原千畝顕彰碑』

杉原千畝顕彰碑/早稲田大学構内。
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外交官としてではなく
人間として当然の
正しい決断をした

命のビザ発給者
杉原千畝
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6月3日(土曜)。
久しぶりに母校へ。
キャンパスを散策。
以前から、杉原千畝顕彰碑を訪ねてみたいと思っていた。
さて、構内の何処に建立されているのであろう。
スマホで検索すると、「早稲田キャンパス11号館と14号館の間に建立されました」とある。
11号館、14号館といわれても、卒業してから45年、号館までは覚えていない。
構内案内図を眺める。
直ぐに分かった。

杉原千畝。
1900年、岐阜県生まれ。
1918年、早稲田大学高等師範部英語科(現在の教育学部英文学科)に入学。
1919年、官費留学生として日露協会学校に留学するため、中退。
1924年、外務省に入省。
1940年、リトアニアの日本領事館領事代理として、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民約6,000人に対し、日本の通過ビザを発給し、命を救った。
1986年、没。享年86年歳。

「命のビザ発給者」である杉原千畝を顕彰する碑は各地に建立されている。
1985年、イスラエルに、2000年、生誕地の岐阜県に、2001年、リトアニアに。
そして、2011年、没後25周年のレリーフが早稲田大学構内に建立された。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:33 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『早稲田大学演劇博物館 2017.6.3』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校を訪ねた。

東京六大学野球春のリーグ戦。
早慶戦で慶応が勝てば、慶大の優勝。
早大が勝てば、立大の優勝。
で、早大が勝ち、立大が1999年秋以来、35季ぶりに優勝を決めた。
我が母校が優勝した訳ではないが、久しぶりに母校へ行ってみようと思い立った。
そんな中、早稲田大学演劇博物館で『テレビドラマ博覧会』なるものが催されていることを知り、これはちょうどよいと、この日、出掛けたのであった。

久しぶりに演劇博物館を眺める。
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新宿区指定有形文化財 建造物
演劇博物館
所 在 地  新宿区西早稲田一丁目六番地
指定年月日 昭和62年3月12日

正式には早稲田大学坪内博士記念演劇館という。
昭和3(1928)念0月に坪内逍遥の古希と「シェークスピア全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志1500余名の協賛により建設された。
建築の意匠は逍遥の発案によりイギリスのエリザベス朝(16世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。

鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、建坪は約400平方メートルで、内部は逍遥記念室をはじめ八つの展示室、図書閲覧室がある。

また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、2階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。

なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は、「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。

東京都新宿区教育委員会
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現役時代、教養課程で、シェイクスピアの原書を読まされたことを思い出す。
あの頃は<勉強>と思っていたので、読んだというよりも読まされた感が強かった。
作品は『ハムレット』であった。
日本語に訳しても意味不明の点が多々あり、川出書房であったか、筑摩書房であったか、翻訳本を買った記憶がある。
大隈講堂での映画会で、ローレンス・オリビエ監督・主演の『ハムレット』(1948年)を観たのもその頃のことである。
その20年後、倫敦に数年間、住まいすることとなるが、そのときはそんなことは夢想だにしなかった。

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2017年度春期企画展
テレビの見る夢 − 大テレビドラマ博覧会

ドラマはテレビの見る夢だ。
ドラマの作り手たちは、さまざまな家族や恋愛や仕事のあり方、社会問題や未来へのヴィジョンを、フィクションという夢のかたちにして、私たちの日常に送り届けてくれる。
私たちはその夢に泣いたり笑ったりしながら、ときには自分たちの生活や人生を重ね合わせてきた。

本展では、テレビ創成期から現代に至る名作ドラマの数々を、ストーリーに回収されないこまやかな表現に着目しながら、映像、スチル、台本、衣裳、製作ノートなどの多彩な資料とともに振り返る。
心に残るドラマの記憶をみなさまと共有できれば幸いである。
今なお新しい夢をもたらしてくれるドラマの魅力を再発見し、テレビの将来にあかるい希望を託すものにしたい。
(早稲田大学演劇博物館ホームページより)
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日本での地上波テレビ放送の開始は1953年(昭和28年)。
我が家にテレビがやって来たのは、1958年(昭和33年)。
ご他聞に漏れず、子供らは「テレビ、買ってよ」の大合唱、親は「まだまだ」と言い続けるも、翌年4月10日の皇太子明仁親王(今上天皇)と美智子妃ご成婚を控えて、親は購入を決心というパターン。
我らの世代は、テレビの歴史と共に歩んで来たといってもよいくらいなのだ。
本展覧会は、5月13日から8月6日まで。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『高田馬場 2017.6.3』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校を訪ねた。

東京六大学野球春のリーグ戦。
早慶戦で慶応が勝てば、慶大の優勝。
早大が勝てば、立大の優勝。
で、早大が勝ち、立大が1999年秋以来、35季ぶりに優勝を決めた。
我が母校が優勝した訳ではないが、久しぶりに母校へ行ってみようと思い立ち、高田馬場駅に降り立った。

駅前商店街のマスコット・キャラクターが目に入る。
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群馬県の「ぐんまちゃん」とキャラが被っているが、あちらは県名、こちらは江戸時代の旗本たちの馬術練習場。
どちらも大事な、おウマさんのマスコット・キャラ。

マスコット・キャラの下に立ち、早稲田通りを挟んで、向かいのビルを眺める。
向かいのビルには、数年前に閉店したが、ムトウ楽器店があった。
先月半ば、矢切の渡しに乗船した。
そのときのことをブログに綴った際、ムトウ楽器店のことに触れた。
そんなこともあって、向かいのビルを眺めたのであった。

因みに、先月半ばに綴ったブログは、こうであった(抜粋)。

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先ほど、柴又から乗船した老夫婦の奥さんはスマホで細川たかしの「矢切の渡し」をを流していた。
そのとき、細川たかしじゃなくって、ちあきなおみでお願いします、と言おうと思ったが、気が小さいのでそんなことも言えず。

小生は、ちあきなおみが歌う「矢切の渡し」が好きだ。
歌謡曲「矢切の渡し」は、そのヒットまでに紆余曲折があったようだ。
ウィキペディアにその経緯が縷々書かれている。
その中から抜粋してここに引用させて戴く。
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矢切の渡し(曲)
「矢切の渡し」は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌。
1976年(昭和51年)、ちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表された。
それから6年が経った1982年(昭和57年)、ちあき盤「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで好評を博し、同年6月に開始したTBS系列のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(梅沢も出演した)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。
そこで、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された。
翌1983年(昭和58年)に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしのシングルが最高のセールスとなった。
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「細川たかし 識」の石碑は「昭和59年3月吉日」となっており、ヒットした翌年のものであることが分かる。
細川たかしは歌は上手いが、「おれ、上手いやろ」という気持ちが表に出過ぎて、いわゆる、鼻に付くというやつで、細川たかしファンには申し訳ないことだが、感じが悪い。
プロの歌手なんだから、歌が上手いのは当たり前。
そういうことで、細川たかしは好きではないのである。

その点、ちあきなおみは、いい。
ちあきなおみは、1969年、「雨に濡れた慕情」でデビュー。
高田馬場駅前のムトウレ楽器店でデビュー曲のキャンペーンがあった。
当時、小生は新宿区戸塚町、都電の面影橋近くに下宿していたW大の学生で、クラシック音楽を聴くことが趣味であったので、ムトウレコード店によく通っていた。
そんなこともあり、ちあきなおみなる女性歌手が来店するということを事前に知り、ミーハーでもあったので、当日、ルンルン気分で、店へ足を運んだのであった。

店は1階がポピュラー音楽と歌謡曲、2階がクラシック音楽のコーナーとなっており、ちあきなおみは2階から1階へ階段を下りながら、「雨に濡れた慕情」を歌うという憎い演出であった。

当時は知らなかったが、ちあきなおみは1947年生まれ、小生は1948年生まれ、なおみさんは1歳年上のお姉さんだったのだ。

以来、日劇で彼女のショーを見たりして、ずっと、彼女のファンなのである。
今は、YouTube やテレビ東京系のBSジャパンの懐かしの昭和歌謡番組などで彼女の歌が聴ける、彼女の姿を見ることができるだけであるが、テレビ東京系の「演歌の花道」で来宮良子のナレーションで始まる、ちあきなおみの「矢切の渡し」は何度聴いても絶品である。

(2017年5月13日付けブログ『江戸川ポタリング/矢切の渡し(下)』 より抜粋)
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早稲田通りを大学の方へ向かって歩く。
西早稲田交差点の角で「旧跡 高田馬場跡」の説明板を眺める。
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江戸時代、この辺りは「戸塚村」。
小生はこの辺りに下宿しており、当時は「新宿区戸塚町」。
今は「新宿区西早稲田」。
西や東より、「戸塚町〇丁目」でよかったのに。
この辺りに下宿していた当時は、斯様に立派な説明板などはなかった。
あるのは、「安兵衛湯」なるよき名の銭湯であった。
その銭湯も今はなく、マンションになっている。
彼是、50年も前の話である。

水稲荷神社境内の堀部武庸加功遺跡碑は、今回は素通りとし、大学へと向かう。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 04月 25日

『利根川の瀬音』

榛名山の爆発で埋まったという古墳時代の遺跡、「日本のポンペイ」とそれに関わる二つの資料館を訪ねた。
遺跡や資料館もさることながら、吾妻川や利根川の河岸段丘や榛名山麓、赤城山麓の地形を jitensha での走りで、十二分に味わわせて貰った。

4月23日(日曜)。
利根川の支流、吾妻川の流れ。
国道291号線、吾妻橋にて。
水の色は乳白色掛かった青緑色。
今、流れている水も、あと、数キロで利根川と合流する。
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国道291号線をひたすら走る。
ずっと上り坂。
子持交差点を左に入り、「日本のポンペイ」、黒井峯遺跡(渋川市、旧・北群馬郡子持村)に至る。
黒井峯遺跡をあとにして、国道291号線を下り、恵久保(いくぼ)交差点を左折し、県道158号線を東へ走る。
国道17号線との交差点/吹屋東交差点を過ぎた辺りの高台から利根川を眺める。
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彼方の雪山を眺める。
利根川の源流域、谷川岳であろうか。
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明らかに河岸段丘の地形である坂道を利根川に向かって下る。
短い距離の急坂である。
宮田橋にて、利根川の流れを間近に眺める。
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彼方の里山の八重桜が、文字通り、花を添えてくれている。
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宮田交差点を左折、県道255号線を北へ走る。
ずっと上り坂だ。
赤城歴史資料館へ向かう道、県道151号線の入口の手前で休憩。
彼方の景色を眺める。
水上方面へ向かう信越本線の線路、そして、その向こうに、利根川の源流域の谷川岳と思しき雪山を眺める。
先ほど、宮田橋の上から谷川岳と思しき雪山を眺めたが、もっとはっきりと見える。
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県道151号線に入り、赤城歴史資料館(へ向かう。
赤城歴史資料館は赤城山麓、利根川の河岸段丘、ずーっと、上り坂。
途中から<押し>。
赤城歴史資料館(渋川市、旧勢多郡赤城村)に至る。
赤城歴史資料館からの下り坂は、あっという間。

赤城山麓から、再び、榛名山麓へ。
県道158号線、国道17号線(吾妻川に架かる吾妻新橋を渡る)、県道33号線、県道291号線と複雑なルートを辿り、県道291号線金井国町交差点からから県道35号線金井南交差点に出て、県道35号線を北上し、金井東裏遺跡と金井下新田遺跡を目指す。
県道291号線金井国町交差点からから県道35号線金井南交差点に出る道がこれまた河岸段丘の地形で、ずーっと上り坂。
途中で、武衛さん支給の明治板チョコ・ブラックで、エネ・チャージ。
県道35号線金井南交差点から金井交差点を目指し、走る。
この道は、どちらかというと、緩やかな上り基調。
金井東裏遺跡と金井下新田遺跡に至る。
遺跡(といっても新設の道路工事現場)を見学し、県道35号線を南へ走り、県道25号線に入り、駅前旅館に辿り着いた。

4月24日(月曜)。
渋川市の市街地から群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館(旧・勢多郡北橘村)へ。
渋川市街地から坂東橋まで利根川右岸サイクリングロードを走る。
下流に向かっているので僅かに下り基調、楽チン!
坂東橋下、坂東橋緑地公園から利根川を眺める。
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国道291号線(旧称国道17号線)、坂東橋から利根川を眺める。
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利根川左岸、国道291号線(旧称国道17号線)を南下、下箱田交差点を左折、県道160号線に入り、直ぐに右折。
ずっと上り坂となる。
利根川河岸段丘、赤城山麓を上る道である。
途中、景色のよいところで休憩。
榛名山を眺める。
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上り坂の途中で休憩はしたが、<押し>はなく、群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館に至る。

再び、下り、利根川左岸を南下。
下流に向かっているので僅かに下り基調、楽チン!
JR前橋駅でフィニッシュ。

榛名山麓、赤城山麓、利根川河岸段丘が作り出す上り坂はきつかった。
だが、利根川の瀬音がそれを癒してくれた。
いつも、河口から80キロ、100キロあたりのゆったりとした流れの利根川を眺めている者にとって、上流域の利根川は魅力的な流れであった。

[Memo]
利根川の源流は、大水上山(おおみなかみやま)。
大水上山は、新潟県南魚沼市、同県魚沼市と群馬県利根郡みなかみ町の境目にある標高1,834mの山で、山系は三国山脈。
谷川岳から巻機山へ連なる太平洋と日本海を分ける中央分水嶺は、大水上山頂で東へ屈曲し、藤原山、平ヶ岳へと続く。
大水上山頂が群馬県の北限点である。

P.S. 遺跡と資料館に関する詳細は、追って、兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」で綴りたく思っております。

フォト:2017年4月23日、24日
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by ryujincho | 2017-04-25 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 03月 10日

『日フィル/第100回さいたま定期演奏会』

3月10日(金曜)。
日本フィルハーモニー交響楽団 第100回さいたま定期演奏会を聴きに大宮ソニックシティへ。

先月下旬、知り合いから日フィルの演奏会の誘いを受けた。
指揮は、炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎。
ヴァイオリンは、今年で演奏活動55周年の、前橋汀子。
曲目は;
サン・サーンス「序奏とロンド・カプリツィオーソ」
マスネ「タイスの瞑想曲」
サラサーテ「チゴイネルワイゼン」 
マーラー 交響曲第1番「巨人」

コンサートに行きたいのはやまやまなれど、3月6日に白内障の手術を控えていたこともあり、コンサートに行く気などなれず、お断りした。
コンサート当日の今朝、再度の誘いがあった。
術後の調子はよく、お受けすることとした。

ソニックシティ・大ホール。
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このホールは初めて。
収容人員2,505名。
写真は開演30分前の写真で、客はまばらながら、開演前には満席に。

席は前から四番目の上手寄り。
女性の年齢に触れるのは失礼かもしれないが、前橋汀子さんは1943年生まれで、70歳超ながら、真っ赤な衣装を身に纏い、颯爽と登場。
「序奏とロンド・カプリツィオーソ」は、文字通り、助走。
「タイスの瞑想曲」は、若干、迷走。
「チゴイネルワイゼン」で、快走となった。
汀子さんのようなヴィルトーゾであっても、冒頭は調子が上がらず、徐々に調子が上がっていくということがあるようだ。

席は舞台上手寄りで、弦バス近くだったので、マーラーの交響曲第1番第3楽章の弦バスのソロが間近に流れた。
だからという訳ではないが、第3楽章あたりから調子が上がり、第四楽章に突入、繊細に流れる弦から鳥の声に聞こえる木管、そして、咆哮する金管と強打のティンパニー。
まさに、炎のコバケンの名に相応しい演奏であった。

今回の「さいたま定期演奏会」は第100回。
それもあって、最後にコバケンさんの挨拶あり。
挨拶の中で、2000年9月の第1回さいたま定期演奏会は、この日と同じマーラーの交響曲第1番であったこと、そして、中村紘子さんも出演したとの話あり。
紘子さんは昨年7月に亡くなった。
1944年の生まれ、享年72歳、亡くなるには若すぎた。
汀子さんには、薫陶を受けたヨゼフ・シゲティやナタン・ミルシテインの流れを汲む演奏家として、こらからもずっと演奏を続けて貰いたい。

マーラーの交響曲のあとにアンコールなどあろうはずもないが、100回記念として、アンコールに代え、交響曲第1番の金管が咆哮する数十小節が再び演奏された。
これは珍しいことである。

そして、珍しいことと言えば、これも100回記念ということで、帰りにロビーで記念品のプレゼントがあった。

目の調子がよかったことに感謝、埼玉県に感謝、そして、何よりも、誘ってくれた知り合いに感謝の1日であった。

フォト:2017年3月10日
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by ryujincho | 2017-03-10 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 02月 26日

『新井薬師参拝』

年初、ドラポタの走り初めは、東京駅をスタートし、神社仏閣、庭園その他都内の名所旧跡をめぐり、最後は中野/新井薬師と童謡「焚き火」発祥地を訪ね、フィニッシュというコース設定であった。
しかし、中野駅近くに至ったとき、夕暮れ、時間切れで、最後の、新井薬師と童謡「焚き火」発祥地は端折った。

その後、「目の薬師」である新井薬師を端折ったことがずっと気になっていた。

で、2月25日、ドラポタ仲間の武衛さんと新井薬師をお参りした。
すっきりした。
上高田の童謡「焚き火」発祥地も訪ねた。
更に、吉良家の江戸菩提寺、功運寺も訪ねた。

「前に、ここへ来たのはいつのことでしたかね」と武衛さん。
「冬であったことは覚えていますが、さて、何年のことでであったか?早稲田通りを走っていて、都バスに意地悪運転されたことは覚えているんですけど。調べておきましょう」と上総。

帰宅後、ポタリング記録を紐解いてみた。
前回、この辺りをポタリングしたのは、2012年2月21日であった。
メンバーは、武衛さん、大給守さん、上総の3名。
コースは、<JR中野駅集合~曹洞宗天徳院/梶川與惣兵衛の墓所(「抱きとめた片手が二百五十石」。浅野を抱き留めた梶川殿はその功績で五百石の加増とか)~曹洞宗龍寶山萬昌院功運寺/江戸の吉良家菩提寺~鈴木家/童謡♪たきび♪の垣根の曲がり角~真言宗豊山派新井山薬師寺、別称・新井薬師~哲学堂~北から南へ下がって~妙法寺/日本近代建築の父、ジョサイア・コンドル設計の鉄門~一路、高田馬場へ~~中山安兵衛高田馬場之決闘助太刀ゆかりの地/水稲荷神社境内/「堀部武庸加功遺跡之碑」~甘泉園/徳川御三卿清水家下屋敷跡~面影橋/太田道灌と山吹伝説、石碑「山吹の里」~上総旧宅跡(早い話が下宿先「三ヶ島家」跡)~神田川沿い~関口芭蕉庵~Printing Museum/球形モニュメント~丸の内>と盛りだくさんな立寄り先が記されていた。

話が反れた。
5年ぶりの、新井薬師の話に戻そう。

新井山梅照院。
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通称、新井薬師。
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「新井薬師」の揮毫は東京都知事鈴木俊一によるもの。
1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都庁の新宿移転を強力に推進し、1985年9月、都議会で建設地は新宿副都心と決定、1988年4月着工、1990年12月完成。
その間、鈴木都知事に対する風当たりは強く、、「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」とか、税金の無駄遣いとも言われ、「タックス・タワー」と揶揄されたこともあったが、今やそんなことを言う人は誰もいないし、45階の展望室は東京の観光名所の一つとなっている。

山門。
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境内。
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瑠璃殿。
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作法通り、真言を唱え、<或ること>を祈願。
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白龍権現水屋建立之記。
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白龍権現水屋建立之記
新井の地名の由来は古文書『新井埜草別調べ』によれば「名水湧き出でたる故に村名を新井と名づく」とあり
この地は名水随所に湧出せしが時代と共に次第に減じ都市化の進展に伴い名井ことごとく枯渇し新井の由来を知らすべき証し全て消失せり
当山梅照院の瓢箪池(新井薬師公園)もその昔冷泉滝の如く水坮り場として修行の道場となせり
故に「垢离不動明王」を安置し尊信す
白蛇常に不動明王のお傍にありて守護するが如し 
しかるに公園造成以後は冷泉の涌出も絶えたるにより窪寺伝吉氏が昭和三十五年に境内に出卋垢离不動明王堂を建立霊験灼然として今に多くの信宗をあつむ
白蛇の令を供養せんと貫主智英僧正発願せられ龍王のおすがたに三十三之宝珠を奉ずる石像を刻み明王の使者白龍権現として不動堂に祀る
この度等大悲殿の建立のおり地下二米程の處に御影石の上蓋に保護されたる大井戸を発見す 
涌き出ずる水清洌にして名井の出現を見たり 
これぞ権現の導きなりと貫主その瑞祥を奉戴す
一夜夢枕に不動明王現れ「大悲殿に聖観卋音菩薩を迎えて井戸の冷泉を閼伽水として衆生に施さば即ち利益増長抜苦与楽せん」と告げ給う 
この霊示により同信を募り島根琴次郎 相原新吉両氏と共に双竜を鋳造して水屋を建立す 
功徳の霊泉 末永くあらんことを祈念する
昭和六十年年四月吉日 発願人窪寺克己 記
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双龍/右。
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双龍/左。
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龍口から流れ出る閼伽水(あかみず)で目を洗う。
前回、ここを訪ねたとき、参拝者からこの水で目を洗うと眼病に効くと聞いたので...。

季節の花、枝垂れ梅、河津桜。
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山門をくぐり、一礼し、外へ。
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参道の両側には奉納者、賛助者の名が並んでいる。
その中に、スポーツ選手や芸能人の名も散見される。
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スポーツ選手や芸能人と新井薬師の関係は?
新井薬師はスポーツや芸能の仏様ではないし、と思いながら、帰宅後、電脳網で「新井薬師 芸能人」で検索してみた。
節分会追儺式で、岩手県指定無形民俗文化財の伝統芸能「鹿(しし)踊り」の奉納舞いや、スポーツ選手や芸能人の豆まきが行われ、それらの人たちの名が参道に並んでいたのであった。

上高田の童謡「焚き火」発祥地と吉良家江戸菩提寺である功運寺に立ち寄り、下落合駅から東西線に乗り、大手町駅で下車。

八重洲地下街「玉乃光酒蔵」へ直行。
宇和島のじゃご天にみぞれ酒、穴子の柳川にみぞれ酒、かれいの一夜干しにみぞれ酒、焼き鳥にみぞれ酒、厚焼き玉子にみぞれ酒と、新井薬師を参拝し、肩の荷が下りたことも手伝い、御酒はどんどんと進んだのであった。
仕上げは、八重洲ラーメンストリートでタンメンをすすり、フィニッシュとした。

フォト:2017年2月25日
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by ryujincho | 2017-02-26 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
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「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
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創業天保元年、「いせ源」。
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創業昭和5年、「竹邑」。
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創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
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創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
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「けむり」。
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「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
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by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 12月 15日

『街歩き/丸の内仲通り』

12月15日(木曜)。
丸の内で寄り合いあり。
その前に、丸の内仲通りへ。
毎年、楽しみにしている、比較的地味な電飾を<取材>。
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ホワイト・タイガー像。
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何故、ホワイト・タイガー像が鎮座しているのであろうか。
今年の干支は申、来年は酉、寅の年はまだまだ先なのだが。
深くは考えないことにする、眠れなくなるので...。

丸ビル前。
シャンペンの立ち飲み出店。
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丸ビル内へ。
ロビーのディスプレーは、去年は『アナと雪の女王』であった。
今年は、『胡桃割り人形』のプロジェクション・マッピング。
プロジェクション・マッピングの映像は写真には上手く写らない。
代わりに、ロビー出店の土産物店の『胡桃割り人形』を拝借。
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寄り合いの店へ。
モエ・エ・シャンドンのシャンパンならぬ、伏見の酒「玉乃光」を痛飲した。

フォト:2016年12月15日
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by ryujincho | 2016-12-15 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 11月 20日

『軽快な調べ』

11月20日(日曜)。
いい天気。
そんなときは jitensha に乗って、ぶらりと手賀沼一周と思い、手賀沼公園方面へ。
手賀沼公園近くで軽快なメロディーが流れて来た。

デキシー・ジャズ・バンド。
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デキシーには欠かせないバンジョー、そして、お洒落なハットのベース・マン。
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ソロは、先ず、トランペットから。
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ソロを終えて、ニッコリ!
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次はピアノ(キーボードだけどね)。
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次はトロンボーン。
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次はクラリネット。
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トランペットとトロンボーンの間に、デキシーでは異質な楽器のホルンが。
或る集合住宅の趣味の人たちが集まって結成されたバンドなので、ホルンだってOK、と司会者さん。
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いいものを聴かせて貰ったあと、口笛を吹きながら、軽快に手賀沼を一周。

フォト:2016年11月20日
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by ryujincho | 2016-11-20 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 11月 17日

『築地本願寺』

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11月14日のスーパームーンは、68年ぶりの大接近であったという。
残念ながら生憎の天気で、スーパームーンを見ることはできなかった。
その3日後、築地で一献の約束があり、少し早めに出立、築地本願寺に立ち寄った。

丸みを帯びた本堂の屋根、そして、その屋根に建つ尖塔。
丸みを帯びた本堂の屋根のモチーフは菩提樹の葉、そして、その中央に描かれているのは蓮の花。
ライトアップに照らされ、明るく輝くその姿は、スーパームーンを感じさせるものがあった。

フォト:2016年11月17日
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by ryujincho | 2016-11-17 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)