龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:街歩き、村歩き、ポタリング( 111 )


2017年 10月 18日

『大放談会/湘南に遊ぶ』

10月18日、晴れ。
定例の<大放談会>。
今回は湘南にて。

片瀬江ノ島駅集合。
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備前守さん、伊豫守さん、小生は<大放談会>のメンバー、これに加え、この日は特別会員として、湘南在住の相模守さんも馳せ参じてくれた。

相模守さんはヨットマン。
相模守さんの案内で、江ノ島ヨットハーバーへ。
相模守さんはヨットハウスのフロント・スタッフと親しげに会話。
以前は江ノ島ヨットハーバーのメンバーだったので親しいのは当然のことだが、何だかカッコいい!
退職後は江ノ島を離れ、沖縄のヨットハーバーに自家用43フィート級ヨットを繋留しているとのこと。
やっぱり、カッコいい!

ヨットハウスの屋上から海の風景を眺める。
稲村ヶ崎をズーム・アップ。
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後ほど、訪ねる予定としている龍口寺の五重塔をズームアップ。
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ヨットハーバー近くのベンチでコンビニ弁当の昼餉を摂る。
空を舞いながら弁当を狙うトビの動きに注意しながら。
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ヨットハーバーから近道の石段を上って、江ノ島神社へ。
近道を知っているとは、流石、地元民の相模守さん。

展望台から海を眺める。
先ほどのヨットハウス屋上の眺望以上に良き眺め。
これまで幾度か湘南を jitensha で走っている。
初めて jitensha で走ったのは2008年の2月、小春日和の日、。逗子から江ノ島まで走った。
展望台から眺めながら、その道筋を思い起こす。
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逗子/小坪漁港とその後背の披露山をズームアップ。
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小坪漁港の”ゆうき食堂”、そこはドラポタのメンバーとの鎌倉ポタリングでは、いつも昼餉を摂る店。
昼餉のあと、小坪漁港で野点のコーヒーを沸かしたり、激坂をヒィヒィ言いながら上り、披露山へ行ったこともあったなあ...。

江ノ島は2020年の東京オリンピック開催地。
宿舎不足とのことで、小坪漁港近くの逗子マリーナ・リゾートマンション群の中に高層ホテルを建設する計画があると聞く。
披露山からの相模湾に浮かぶ江ノ島、彼方の伊豆半島の山々、そして、富士山の眺望を汚さないためにも高層は控えて欲しいと思う。

江ノ島神社を参拝。
先ほどとは別の展望台から<銀波>を眺める。
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参道を下る。
順序が逆だが、銅製の鳥居をくぐる。
扁額コレクション。
額縁は龍コレクション。
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江ノ島から龍口寺へ。

龍口寺。
扁額コレクション。
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手水舎の龍の口。
文字通り、「龍口」である。
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仁王門西側の、龍ノ口刑場跡。
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この刑場跡を見ながら思い出すのは、幼き頃に見た大映映画、長谷川一夫主演『日蓮と蒙古大襲来』(1958年)のワン・シーン。
そのシーンとは、日蓮が処刑されようとした、その時、処刑人が振りかざした大刀に雷が落ちるシーン。

刑場跡の周辺は、何の工事かは不明なるも、大掘削工事中。
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雷が落ちて地面が割れてしまったのであろうか?
まさか...。

今回の龍口寺訪問は、2012年6月以来5年ぶりのことである。
前回は、仁王門、山門から大本堂、五重塔、七面堂のみならず、後背の山頂にある仏舎利塔までめぐったのだが、仁王門の西側にある「龍ノ口刑場跡」を訪ねることを失念。
以来、ずっと、気になっていたが、今回、刑場跡を訪ねることが出来、大満足。

辻堂へ。
伊勢屋で<大放談会>。
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パートナーと天気に恵まれ、感謝!
懸案の龍ノ口刑場跡の見学が叶い、今回の龍口寺訪問の提案者、備前守さんに感謝!
<大放談会>に初参加いただいた相模守さんにも感謝!

フォト:2017年10月18日
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by ryujincho | 2017-10-18 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 10月 15日

『上野国史跡めぐり/第七弾』

10月15日、雨。
上野国史跡めぐり/第七弾。

当初のプランは、JR高崎線/倉賀野駅~烏川に架かる流れ橋/佐野橋~観音山古墳~群馬県立歴史博物館~倉賀野駅というものであった。

群馬県立歴史博物館では企画展「海を渡って来た馬文化-黒井峯遺跡と群れる馬-」が開催中。
更に、企画展関連のイベントとして、数日に亘って数々の講演も開催中。
10月15日開催の連続講座、第2回(「黒井峯遺跡等から見た古墳時代の馬の生態」、「古代「群馬」の馬」)を予約。

当日は生憎の雨。
jitensha は携行せず、バスと徒歩にて決行することにした。

歴史博物館行きのバスを調べると;
JR倉賀野駅から
高崎市内循環バスぐるりん
岩鼻線 15系統 「昭和病院行き」 約9分
バス停「群馬の森」下車 徒歩3分
とある。

地図を参照すると、南から北へ歴史博物館、昭和病院、観音山古墳という位置関係にある。
終点の昭和病院で下車し、先ず、観音山古墳、次に歴史博物館の順で、数キロ、徒歩での雨中行軍でめぐることとした。
烏川に架かる流れ橋/佐野橋は方角が違うので、今回は端折ることとした。

JR倉賀野駅からバスに乗る。
終点近く、車窓の左手にこんもりとした森が見える。
「上総さん、あれは古墳ですね」と武衛さん。

終点でバスを降り、先ず、車窓から見えた古墳へ行ってみた。
不動山古墳。
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不動山古墳から出土した舟形石棺。
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不動山古墳から住宅街を通って北上する。
観音山古墳。
観音山古墳は国指定史跡、墳長100m級の前方後円墳。
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観音山古墳から県道13号線を数キロ、雨中行軍。
道路脇に溜まった水を跳ねないようにスピードを落としてくれる車、水を跳ねることにお構いなしの車、いろんな車がいるなあと思いながら歩く。

群馬県立歴史博物館。
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常設展で、観音山古墳の出土品を見学。
企画展「海を渡って来た馬文化-黒井峯遺跡と群れる馬-」を見学。
視聴覚室にて連続講座第2回/「黒井峯遺跡等から見た古墳時代の馬の生態」、「古代『群馬』の馬」を聴講。

本年4月の「上野国史跡めぐり第五弾/黒井峯遺跡」で現地を見学しており、企画展と講座はまことに興味深い内容であった。

群馬県立歴史博物館・近代美術館前に立つブロンズ像。
《巨きな馬》/エミール=アントワーヌ・ブールデル作。
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観音山古墳、不動山古墳ならびに企画展、講座の詳細は、いずれ、兄弟ブログ「上総守が行く(二代目)」で「上野国史跡めぐり第七弾」として綴ってみたいと思っている。

フォト:2017年10月15日
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by ryujincho | 2017-10-15 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 10月 11日

『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/四度目の正直/旧島津家袖ヶ崎邸(下)』 sj-3

10月11日。
清泉女子大学本館/旧島津公爵邸見学ツアー。
庭から外観を眺めたあと、学生さんの案内で邸内を見学。

応接室。
天井に施されたレリーフが美しい。
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レリーフは薔薇。
薔薇は英国の国花。
本邸を設計したジョサイア・コンドルは英国人。
英国人の薔薇への愛着をここに表現しているのである。
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窓に映る灯り。
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二つ目の応接室。
窓の高さはソファに座ったときに庭が見えるように設計されている。
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窓は弧を描いている。
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玄関。
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中央ホールの暖炉。
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マントルピースには、先ほど、眺めた応接室の天井と同様に、薔薇が施されている。
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2階へ。
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階段の踊り場から階下を眺める。
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踊り場から窓の外を眺める。
英国でよく見られる、屋根の上に立つ煙突の風景を楽しむ。
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2階ロビー。
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バルコニーに出てみたかったが、保存管理のため、不可。
案内の学生さんの話によれば、「バルコニーの床面は白と黒の菱模様で、リーフレットの表紙の写真をご覧ください」とのことであった。
今一度、リーフレットを眺める。
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旧島津家袖ヶ崎邸洋館之図。
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リーフレットに「元工部大学校教師英国人建築家ジョサイア・コンドルに設計・施工を委嘱(中略)、鹿児島出身の洋画家黒田清輝監修のもと、家具、壁紙等の室内装飾が施され...」とある。
ジョサイア・コンドルは浮世絵師河鍋暁斎の弟子で、2015年に三菱一号館美術館で開催された『画鬼・暁斎—KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル』でその子弟関係をじっくりと教えて貰ったが、浮世絵師のみならず、本邸の建築を通じて洋画家の黒田清輝との接点もあったということも知った。

8年の月日を経て、四度目の正直で、旧島津家袖ヶ崎邸の見学が叶った。
帰路、品川の「響」で一献傾けながら<反省会>。
大満足の1日であった。

フォト:2017年10月11日

(完)
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by ryujincho | 2017-10-11 23:33 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 10月 11日

『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/四度目の正直/旧島津家袖ヶ崎邸(中)』 sj-2

10月11日。
清泉女子大学本館/旧島津公爵邸見学ツアー。

正門。
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四度目の正直。
8年の時を経て、構内に入る。
坂道を上る。
坂道を上りきり、左に折れると、ジョサイア・コンドル設計の本館の正面玄関が現れた。
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正面玄関上面、「丸に十の字」のステンドグラス。
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「丸に十の字」のステンドグラスは、施主である島津家の要望によるものであろうか、それとも、設計者であるジョサイア・コンドルの発案によるものであろうか...。

庭から本館を眺める。
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庭に聳える大樹。
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品川区指定天然記念物
清泉女子大学のフウ

フウは楓と書くマンサク科の落葉の高木で、台湾や中国南部に自生する。
本樹は享保の頃(1716~35)に日本に初めて渡来した台湾フウの種類で、幹の周りは約3m、木の高さは約20m、推定樹齢は約200年である。
整然とした姿は美しく、木の勢いも盛んである。

本校の敷地は旧仙台藩の藩邸で、明治以降は島津家の邸宅として維持されていたところである。
眺望に優れた庭園の景観をひときわ引き立てているのが本樹で、藩邸の時代にすでに「高尾もみじ」と呼ばれて、有名であった。
この種の木は都内では大変数が少なく、また、これほどの大樹は珍しく重要である。
平成11年3月31日
品川教育委員会
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館内の見学ツアー開始の時間となった。
学生さんの案内付き。
何だか、嬉しい。

フォト:2017年10月11日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-10-11 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 10月 11日

『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/四度目の正直/旧島津家袖ヶ崎邸(上)』 sj-1

10月11日。
四度目の正直で、日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルの設計による旧島津家袖ヶ崎邸(現・清泉女子大学本館)の見学が叶った。
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何故、四度目の正直、それを話し出すと長くなるが、簡単に触れておきたい。

2009年8月1日。
「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」と銘打ち、都内に残るジョサイア・コンドル設計の建物や銅像、墓所などをめぐった。
その際、清泉女子大学を訪ねたが、本館は改修工事中で外観も見られないとのことであった。
そのときのことをマイ・ブルグで次の通り綴っている。
『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/旧島津家袖ヶ崎邸』

2011年1月23日。
都内ポタの途中、日曜は見学不可ということは承知の上で、正門だけでもということで訪ねた。
そのときのことをマイ・ブログで次の通り綴っている。
『修禅寺殿、初陣!都内ポタ/坂道と歴史を訪ねて』/第1話
=備考=
このときの「修善寺」さんは仮のハンドル・ネームで、こののち、「武衛」が正式のハンドル・ネームとなった。

本年1月7日。
輪友、大給守さんは昨年末で長らくの江戸勤番を終え、国許に隠居することとなり、ドラポタ走り初めも兼ねて送別ポタリングを挙行。
その途中、清泉女子大に立ち寄ったが、見学は不可であった
そのときのことをマイ・ブログで次の通り綴っている。
『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/港区~品川区~港区の巻(Ⅰ)』/第2話
2009年、20011年の頃は余り厳しい制約はなく、構内に入り、本館を見学することは可能であったが、それから何年もの歳月が流れ、セキュリティなどが五月蝿く言われるようになった昨今のことであるから、見学にあれこれと条件が付けられることは止むを得ないことであろう。

本年7月某日。
電車内で「清泉女子大学オープンキャンパス 7月29日、8月11日開催」なる吊り広告が目に入った。
女子大に興味があるのではない。
オープンキャンパスのときに、清泉女子大学の本館を外観だけもいいから見学できれば、と思ったのであった。

早速、武衛さんにメールを送信。
武衛さんから返信あり。
「清泉女子大学のホームページを見ると、10月、11月、12月に『秋の本館(旧島津公爵邸)見学ツアー』なるものがあります。10月半ばの水・金曜日で申し込みの葉書を出しておきますが、如何でしょうか」と。
勿論、オーケーの旨、返信。

見学ツアーには人数制限があるので、<滑り止め>として、小生も12月半ばの水・金曜日で申し込み。

9月某日。
武衛さんより<合格通知>があった。
小生にも<滑り止め>の合格通知があった。

10月11日。
愈々、四度目の正直、「秋の本館(旧島津公爵邸)見学ツアー」の日となった。
清泉女子大正門で武衛さんと落ち合う。

<合格通知>(見学許可書)。
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説明板/旧・陸奥千台半伊達家下屋敷跡。
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旧・陸奥仙台藩伊達家下屋敷跡
東五反田3丁目ほか

伊達家は、陸奥国(現宮城県)仙台藩の藩主で、松平の称号をもつ。
江戸屋敷のうち上屋敷と中屋敷は現在の港区にあり、下屋敷はここ「大崎屋敷」と品川区内にもう一つ大井村の「品川屋敷(味噌屋敷とも)の2ヵ所構えていた。

大崎屋敷は、概ね下図の付近にあり、元文2年(1727年)5代藩主の伊達吉村(よしむら)の時に鯖江藩間部家(まなべ)との相対替(交換)により取得したもので、敷地面積約2万3千坪(約75,000m3)と広大なものであった。
安政2年(1855年)頃の仙台藩主伊達陸奥守慶邦(よしくに)は65万5千石の家禄があり、
明治になって、旧鹿児島藩主島津公爵家の屋敷となったため「島津山」と呼ばれている。
上屋敷は芝口2丁目(現・港区東新橋)にあった。

清泉女子大学がこの地に移転していたのは、昭和37年(1962年)のことで、構内には大正6年(1917年)にJ・コンドルの設計によって建てられた旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)がある。
品川区教育委員会
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余談ながら、仙台藩の江戸屋敷について少々触れておきたい。
仙台藩上屋敷の芝口2丁目(現・港区東新橋)は平たくいうと、現在の汐留地区、巨大複合都市”汐留シオサイト”の辺りである。
仙台藩中屋敷は、現在の新橋5丁目の塩竈公園の辺りにあった。
塩竈公園に隣接する盬竃神社(塩竃神社)は、元禄8年(1695年)、伊達藩内にある盬竃神社本社から分霊を勧請して伊達家上屋敷に創建、安政3年(1856年)、当地にあった伊達藩中屋敷に遷座したという。

説明板/旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館。
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東京都指定有形文化財(建造物)
旧島津侯爵家袖ヶ崎本邸洋館
(清泉女子大学本館)
1棟 附旧事務所 1棟
所在地 品川区東五反田3-191-39
指定 平成24年3月21日

この建物は、旧鹿児島藩主だった島津家の第30代当主、公爵島津忠重(1886-1963)が島津家の本邸として大正4年(1915年)に建築工事の竣工をみた洋館です。

洋館の建つ高台は袖ヶ崎と呼ばれ、江戸時代には元仙台藩伊達家下屋敷があり、島津家の所有になったのは明治初年のことです。
洋館が内装なども含めて竣工した大正6年(1917年)には大正天皇の行幸があり、関東大震災後の大正12年から公爵家が常住しました。
昭和37年(1962年)からは清泉女子大学本館として利用されています。

洋館の設計は、日本近代建築史に大きな足跡を残したジョサイア・コンドル(1852-1920)によるもので、古典様式を基調とした意匠と、当時流行した白タイルを用いた外装が特徴的です。
玄関車寄せはトスカナ式巨大柱を配した重厚なものですが、対照的に、南側庭園に面したバルコニーは列柱廊を一部円弧状に張り出させた軽やかな表現となっています。
内部意匠も大階段室を中心に、島津家家紋をあしらったステンドグラスや、石造マントルピースや天井の繊細な彫刻などが良好に保存されています。

平成26年3月 
東京都教育委員会
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この地は、江戸時代/仙台藩伊達家下屋敷~明治時代/島津公爵家袖ヶ崎邸~昭和時代/日本銀行所有(一時期、GHQ管理下)、清泉女子大学と歴史的変遷をたどっている。

正門脇の守衛所で見学者ホルダーを貰い、正門から坂道を上り、本館へと進む。

フォト:2017年10月11日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-10-11 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 08月 13日

『コンスタブルの里』

8月13日(日曜)、晴れ。
早朝、ロンドンで開催中の世界陸上、男子400メートルリレーの決勝をテレビ観戦。
多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、藤光謙司の日本は38秒04のタイムで銅メダルを獲得。

諸般の事情で jitensha は暫く休んでいたが、400メートルリレーの日本勢の活躍に触発され、手賀沼へ早朝ポタリングに出動。

久しぶりに、手賀沼の畔、<コンスタブルの里>の風景をカメラに収めた。
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ジョン・コンスタブルは、ウィリアム・ターナーとともに、19世紀の英国を代表する風景画家。
コンスタンブルは、故郷のサフォーク周辺の身近な風景を数多く描き残している。
サフォークはロンドンの北東部に位置し、今でもコンスタブルの描いた風景が残っている。
今でも、と言ったが、この地を訪ねたのは20数年前のことだが...。
手賀沼の畔に立ち、<コンスタブルの里>を思い出すのである。

フォト/2017年8月13日、手賀沼南岸にて
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by ryujincho | 2017-08-13 11:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 07月 15日

『夏の午後/鉄路』

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フォト:2017年7月15日
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by ryujincho | 2017-07-15 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 07月 07日

『7月7日はカルピスの日』

先日、近所のスーパーマーケットで、「7月7日はカルピスの日」と大書された看板と共にカルピスがずらっと並べられていた。

へぇー、そんなんだ、7月7日はカルピスの日なんだ、と思った。

早速、カルピスのホームページを開いてみた。
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「カルピス」の誕生。
「カルピス」の誕生のきっかけは1908年(明治41年)にまでさかのぼります。
のちに創業者となる三島海雲がモンゴルを訪れたとき、長旅ですっかり疲れていた彼は、現地の遊牧民が好んで飲んでいた白い液状の酸っぱい乳「酸乳」を飲みました。
その後、体力が見る見る回復したといいます。
この経験をヒントに乳酸菌飲料「カルピス」を誕生させたのです。
「カルピス」の発売は1919年(大正8年)7月7日の七夕の日です。
七夕に願いを込めて―。

「カルピス」の名の由来。
「カルピス」の“カル”は、牛乳に含まれているカルシウムからとったもの。
“ピス”は、サンスクリット語に由来しています。
仏教では乳、酪、生酥、熟酥、醍醐を五味といい、五味の最高位を“サルピルマンダ”(醍醐)、次位を“サルピス”(熟酥=じゅくそ)というため、本来は最高のものとして“カルピル”と言うべきですが、創業者の三島海雲は、音楽家の山田耕筰氏やサンスクリット語の権威・渡辺海旭氏に相談し、言いやすい「カルピス」と命名しました。
山田耕筰は『母音の組み合わせが、とても開放的かつ堅実性があってよい。発展性が感じられる。きっと繁盛する』と答えてくれたそうです。
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そんなとき、BSで音楽番組を見ていたら、服部克久が、佐伯孝夫作詞、服部良一作曲の『銀座カンカン娘』について、「子供の頃、自宅にカルピスがよく届きました。この歌の4番で ♪ カルピス 飲んで カンカン娘…♪ という歌われているからです」と語っていた。

服部克久は1936年(昭和11年)生まれ、『銀座カンカン娘』がヒットしたのは1949年(昭和24年)。
克久少年は親父さんに感謝しながら、カルピスを味わっていたのであろう。
カルピス株式会社は、広告宣伝費を掛けることなく、PR出来たということで、佐伯孝夫、服部良一に感謝、感謝であったのだろう。

マイ・ブログでカルピスのことを綴った記憶があり、探してみた。
2008年5月、小豆島「二十四の瞳映画村」を訪ねたときに撮ったカルピスの看板の写真と共に、『夏の飲み物』と題して、こんなことを綴っていた。

----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月22日付け----
『夏の飲み物』
今や、スーパー、コンビニエンス・ストア、自動販売機には、ジュース、炭酸飲料、緑茶、烏龍茶、紅茶、スポーツ系、ミネラル・ウォーターなど様々なソフト・ドリンクが並んでいます。

我々、団塊の世代が子供の頃、夏の飲み物と言えば、カルピスでした。
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カルピスの他にも、希釈タイプの乳酸飲料として、森永コーラス、不二家ハイカップ、そして、ミルトンもありました。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて
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----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月24日付け---
『夏の飲み物/セピア・カラ-・ヴァージョン』

7月22日付掲載『夏の飲み物』に対しまして、六々守殿から「ポストとカルピス。モノクロと赤の色合い。それに板塀。これはいいですね!」とのコメントを頂戴しました。

また、人麻呂殿からは「セピアにしますとそのまま昭和30年代にタイムスリップできそうでおじゃります。」とのコメントを頂戴しました。

人麻呂殿の仰せの通り、セピア色で”塗り絵”をしてみました。
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昭和30年代は、もう少し、くすんだセピア色かもしれませんね...。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて(原板:カラー)
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ストローで上品にカルピスを飲んでいるハイカラな黒人さんの図柄。
この図柄は、第一次大戦後、苦難の中にあるドイツ画家を救うために開かれた「国際懸賞ポスター展」で3位に入賞したドイツ人デザイナーの作品とのこと。
カルピスのラベルからこの図柄がなくなったのは1990年前後の頃。
黒人差別論争により、『ちびくろさんぼ』、『ダッコちゃん』、そして、このカルピスのハイカラな黒人さんなども標的になってしまったのだ。

カルピスが誕生したのは、1908年。
以来、ラベル問題のみならず、味の素傘下に入り、更にアサヒビール傘下に、資本も変遷を辿っている。
小豆島「二十四の瞳映画村」でカルピスの看板を撮ったのは、2008年。
ちょうど、カルピス誕生100周年のときだったのだ。

今も冷蔵庫に水玉模様のパッケージのカルピスが入っている。
昔も今も、夏はカルピス!

フォト2008年5月4日
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by ryujincho | 2017-07-07 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『大隈重信像』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校へ。

大隈重信像。
大隈講堂と共に、という典型的なアングルで。
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大熊重信像は、彫刻家 朝倉文夫の作。
現役時代、作者が朝倉文夫であることは知らなかった。
後年、「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」の一環で、旧・東京都庁跡、東京フォーラムに置かれた太田道灌像を訪ねた際、この像が朝倉文夫作で、その繋がりで、大隈重信像も彼の作であることを知った。
現役の頃は知らず、後年、知ったことに、ちょっと恥ずかしい気がした。

「太田道灌ゆかりの地」といえば、「大隈重信ゆかりの地」である佐賀市を訪ねてみるのもいいかもしれないとの話が浮上したことがあった。
2012年、仕事で九州へ行く機会があり、大学時代の友人で、佐賀県久留米市在住の M.T.君と博多で一献、傾けた。
そのとき、M.T.君から「兄貴は慶大卒だけど、同窓会をこちらでやったとき、皆で、佐賀市の大隈重信記念館と大隈重信の生家へ行ったこと、あり。我々も、こちらで同窓会をやり、大隈重信記念館と生家を訪ねるというのもいいかもしれない」との話があった。
あれから5年、大隈重信ゆかりの地、佐賀訪問はまだ叶っていない。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:35 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『イラン人女優タラネ・アリドゥスティ』

6月3日。
久しぶりに、母校へ。
構内を散策していたところ、こんな立て看板が目に入った。
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イラン人女優(アカデミー賞外国語作品受賞作主演)
タラネ・アリドゥスティさんをお迎えして
-映画鑑賞会とトークショー-

Special Welcoming Evento with Iranian Actress
Taranen Alidoosti
-Film Screenings & Talk-

◎日時:2017年6月10日(土曜)13:40開始 (開場 13:00)
◎会場:早稲田キャンパス22号館201教室
※入場無料・事前登録不要
★奔放未公開2作品の上映(ペルシア語、英語字幕)とご本人のトークショー(Q&Aを含む、17:40~)
主催:早稲田大学イスラーム地域研究機構 共催:株式会社スターサンズ/ドマ
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こういうところを拾い上げていくのが大学らしいところである。

イラン人女優、タラネ・アリドゥスティのことを今冬、新聞で読んだような記憶があった。
ネット検索してみた。

2017年1月28日付け日刊スポーツ電子版
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イラン人女優、トランプ氏に抗議しアカデミー賞欠席
【ロサンゼルス27日=千歳香奈子通信員】世界に広がる反トランプの動きが、米最高峰の映画賞にまで波及した。
今年のアカデミー賞の外国語映画賞候補作「セールスマン」に主演しているイラン人女優タラネ・アリシュスティ(33)がトランプ大統領(70)に抗議し、2月の発表・授賞式をボイコットすると表明。
トランプ氏は近くイランなど7カ国の国民へのビザ発給停止を指示する大統領令に署名する見通し。
昨年のカンヌ映画祭で2冠を獲得した「セールスマン」は最有力候補作とみられている。

アリシュスティは自身のツイッターで「トランプ氏のイラン人へのビザ発給停止は人種差別です。文化イベントへの出席者にも適用されるかどうかにかかわらず、抗議のためアカデミー賞への出席を辞退します」とツイートした。

トランプ氏は、テロの恐れを理由に、イラン、イラク、シリア、イエメン、リビア、ソマリア、スーダンの中東、アフリカ7カ国の国民に対する入国ビザの発給を30日間停止する措置を検討。
近く発給停止を指示する大統領令に署名するとみられており、これに反発した形だ。

「セールスマン」は、2012年「別離」でイランに初のアカデミー賞をもたらしたアスガー・ファルハディ監督の作品で、昨年のカンヌ国際映画祭で主演男優賞と脚本賞の2冠を獲得。
ミュンヘン国際映画賞では最優秀作品賞を受賞した。
「ヒトラーの忘れもの」(デンマーク)など最終候補に残る5作品の中でオスカー最有力とみられている。

アカデミー賞の授賞式は2月26日、ハリウッドのドルビー劇場で行われる。
今年は主演男優賞候補のデンゼル・ワシントン(62)ら過去最多の6人の黒人俳優がノミネート。
主演女優賞候補にはゴールデン・グローブ賞の授賞式でトランプ氏に抗議し、トランプ氏がツイッターで「彼女はハリウッドで最も過大評価された女優の1人だ」と反撃したメリル・ストリープ(67)も名を連ねる。
毎年世界が注目する華やかな授賞式だが、今年は出席者らからトランプ氏批判が相次ぐ可能性もある。
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2017年2月27日付日本経済新聞電子版
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米アカデミー賞、反トランプのイラン人監督が受賞
 【ロサンゼルス=共同】米映画界最大の祭典、第89回アカデミー賞の発表・授賞式が26日(日本時間27日)、米ハリウッドのドルビーシアターで開かれた。
イスラム圏7カ国からの市民の入国禁止を決めたトランプ米大統領の大統領令に反対していたイラン人のアスガル・ファルハディ監督作品「セールスマン」が、外国語映画賞を受賞した。
ファルハディ氏は大統領令に反対し、発表・授賞式を欠席。
式典ではトランプ氏への批判や皮肉が相次いだ。
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余談。
Taranen Alidoosti
立て看板のカタカナ表記は「タラネ・アリドゥスティ」。
新聞のカタカナ表記は「タラネ・アリシュスティ」。
ローマ字表記の Alidoosti からすると、立て看板の「アリドゥスティ」でよいと思うのだが...。

トランプの、ビザ発給停止を指示する大統領令は未だに尾を引いている。
先ほど、大学構内で、杉原千畝の顕彰碑を見学したばかりである。
トランプは杉原千畝のことを知っているのであろうか、と思ってしまうのであった。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:34 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)