龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:街歩き、村歩き、ポタリング( 83 )


2017年 07月 07日

『7月7日はカルピスの日』

先日、近所のスーパーマーケットで、「7月7日はカルピスの日」と大書された看板と共にカルピスがずらっと並べられていた。

へぇー、そんなんだ、7月7日はカルピスの日なんだ、と思った。

早速、カルピスのホームページを開いてみた。
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「カルピス」の誕生。
「カルピス」の誕生のきっかけは1908年(明治41年)にまでさかのぼります。
のちに創業者となる三島海雲がモンゴルを訪れたとき、長旅ですっかり疲れていた彼は、現地の遊牧民が好んで飲んでいた白い液状の酸っぱい乳「酸乳」を飲みました。
その後、体力が見る見る回復したといいます。
この経験をヒントに乳酸菌飲料「カルピス」を誕生させたのです。
「カルピス」の発売は1919年(大正8年)7月7日の七夕の日です。
七夕に願いを込めて―。

「カルピス」の名の由来。
「カルピス」の“カル”は、牛乳に含まれているカルシウムからとったもの。
“ピス”は、サンスクリット語に由来しています。
仏教では乳、酪、生酥、熟酥、醍醐を五味といい、五味の最高位を“サルピルマンダ”(醍醐)、次位を“サルピス”(熟酥=じゅくそ)というため、本来は最高のものとして“カルピル”と言うべきですが、創業者の三島海雲は、音楽家の山田耕筰氏やサンスクリット語の権威・渡辺海旭氏に相談し、言いやすい「カルピス」と命名しました。
山田耕筰は『母音の組み合わせが、とても開放的かつ堅実性があってよい。発展性が感じられる。きっと繁盛する』と答えてくれたそうです。
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そんなとき、BSで音楽番組を見ていたら、服部克久が、佐伯孝夫作詞、服部良一作曲の『銀座カンカン娘』について、「子供の頃、自宅にカルピスがよく届きました。この歌の4番で ♪ カルピス 飲んで カンカン娘…♪ という歌われているからです」と語っていた。

服部克久は1936年(昭和11年)生まれ、『銀座カンカン娘』がヒットしたのは1949年(昭和24年)。
克久少年は親父さんに感謝しながら、カルピスを味わっていたのであろう。
カルピス株式会社は、広告宣伝費を掛けることなく、PR出来たということで、佐伯孝夫、服部良一に感謝、感謝であったのだろう。

マイ・ブログでカルピスのことを綴った記憶があり、探してみた。
2008年5月、小豆島「二十四の瞳映画村」を訪ねたときに撮ったカルピスの看板の写真と共に、『夏の飲み物』と題して、こんなことを綴っていた。

----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月22日付け----
『夏の飲み物』
今や、スーパー、コンビニエンス・ストア、自動販売機には、ジュース、炭酸飲料、緑茶、烏龍茶、紅茶、スポーツ系、ミネラル・ウォーターなど様々なソフト・ドリンクが並んでいます。

我々、団塊の世代が子供の頃、夏の飲み物と言えば、カルピスでした。
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カルピスの他にも、希釈タイプの乳酸飲料として、森永コーラス、不二家ハイカップ、そして、ミルトンもありました。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて
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----兄弟ブログ「上総守が行く」/2008年7月24日付け---
『夏の飲み物/セピア・カラ-・ヴァージョン』

7月22日付掲載『夏の飲み物』に対しまして、六々守殿から「ポストとカルピス。モノクロと赤の色合い。それに板塀。これはいいですね!」とのコメントを頂戴しました。

また、人麻呂殿からは「セピアにしますとそのまま昭和30年代にタイムスリップできそうでおじゃります。」とのコメントを頂戴しました。

人麻呂殿の仰せの通り、セピア色で”塗り絵”をしてみました。
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昭和30年代は、もう少し、くすんだセピア色かもしれませんね...。

フォト:2008年5月4日、小豆島にて(原板:カラー)
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ストローで上品にカルピスを飲んでいるハイカラな黒人さんの図柄。
この図柄は、第一次大戦後、苦難の中にあるドイツ画家を救うために開かれた「国際懸賞ポスター展」で3位に入賞したドイツ人デザイナーの作品とのこと。
カルピスのラベルからこの図柄がなくなったのは1990年前後の頃。
黒人差別論争により、『ちびくろさんぼ』、『ダッコちゃん』、そして、このカルピスのハイカラな黒人さんなども標的になってしまったのだ。

カルピスが誕生したのは、1908年。
以来、ラベル問題のみならず、味の素傘下に入り、更にアサヒビール傘下に、資本も変遷を辿っている。
小豆島「二十四の瞳映画村」でカルピスの看板を撮ったのは、2008年。
ちょうど、カルピス誕生100周年のときだったのだ。

今も冷蔵庫に水玉模様のパッケージのカルピスが入っている。
昔も今も、夏はカルピス!

フォト2008年5月4日
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by ryujincho | 2017-07-07 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『大隈重信像』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校へ。

大隈重信像。
大隈講堂と共に、という典型的なアングルで。
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大熊重信像は、彫刻家 朝倉文夫の作。
現役時代、作者が朝倉文夫であることは知らなかった。
後年、「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」の一環で、旧・東京都庁跡、東京フォーラムに置かれた太田道灌像を訪ねた際、この像が朝倉文夫作で、その繋がりで、大隈重信像も彼の作であることを知った。
現役の頃は知らず、後年、知ったことに、ちょっと恥ずかしい気がした。

「太田道灌ゆかりの地」といえば、「大隈重信ゆかりの地」である佐賀市を訪ねてみるのもいいかもしれないとの話が浮上したことがあった。
2012年、仕事で九州へ行く機会があり、大学時代の友人で、佐賀県久留米市在住の M.T.君と博多で一献、傾けた。
そのとき、M.T.君から「兄貴は慶大卒だけど、同窓会をこちらでやったとき、皆で、佐賀市の大隈重信記念館と大隈重信の生家へ行ったこと、あり。我々も、こちらで同窓会をやり、大隈重信記念館と生家を訪ねるというのもいいかもしれない」との話があった。
あれから5年、大隈重信ゆかりの地、佐賀訪問はまだ叶っていない。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:35 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『イラン人女優タラネ・アリドゥスティ』

6月3日。
久しぶりに、母校へ。
構内を散策していたところ、こんな立て看板が目に入った。
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イラン人女優(アカデミー賞外国語作品受賞作主演)
タラネ・アリドゥスティさんをお迎えして
-映画鑑賞会とトークショー-

Special Welcoming Evento with Iranian Actress
Taranen Alidoosti
-Film Screenings & Talk-

◎日時:2017年6月10日(土曜)13:40開始 (開場 13:00)
◎会場:早稲田キャンパス22号館201教室
※入場無料・事前登録不要
★奔放未公開2作品の上映(ペルシア語、英語字幕)とご本人のトークショー(Q&Aを含む、17:40~)
主催:早稲田大学イスラーム地域研究機構 共催:株式会社スターサンズ/ドマ
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こういうところを拾い上げていくのが大学らしいところである。

イラン人女優、タラネ・アリドゥスティのことを今冬、新聞で読んだような記憶があった。
ネット検索してみた。

2017年1月28日付け日刊スポーツ電子版
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イラン人女優、トランプ氏に抗議しアカデミー賞欠席
【ロサンゼルス27日=千歳香奈子通信員】世界に広がる反トランプの動きが、米最高峰の映画賞にまで波及した。
今年のアカデミー賞の外国語映画賞候補作「セールスマン」に主演しているイラン人女優タラネ・アリシュスティ(33)がトランプ大統領(70)に抗議し、2月の発表・授賞式をボイコットすると表明。
トランプ氏は近くイランなど7カ国の国民へのビザ発給停止を指示する大統領令に署名する見通し。
昨年のカンヌ映画祭で2冠を獲得した「セールスマン」は最有力候補作とみられている。

アリシュスティは自身のツイッターで「トランプ氏のイラン人へのビザ発給停止は人種差別です。文化イベントへの出席者にも適用されるかどうかにかかわらず、抗議のためアカデミー賞への出席を辞退します」とツイートした。

トランプ氏は、テロの恐れを理由に、イラン、イラク、シリア、イエメン、リビア、ソマリア、スーダンの中東、アフリカ7カ国の国民に対する入国ビザの発給を30日間停止する措置を検討。
近く発給停止を指示する大統領令に署名するとみられており、これに反発した形だ。

「セールスマン」は、2012年「別離」でイランに初のアカデミー賞をもたらしたアスガー・ファルハディ監督の作品で、昨年のカンヌ国際映画祭で主演男優賞と脚本賞の2冠を獲得。
ミュンヘン国際映画賞では最優秀作品賞を受賞した。
「ヒトラーの忘れもの」(デンマーク)など最終候補に残る5作品の中でオスカー最有力とみられている。

アカデミー賞の授賞式は2月26日、ハリウッドのドルビー劇場で行われる。
今年は主演男優賞候補のデンゼル・ワシントン(62)ら過去最多の6人の黒人俳優がノミネート。
主演女優賞候補にはゴールデン・グローブ賞の授賞式でトランプ氏に抗議し、トランプ氏がツイッターで「彼女はハリウッドで最も過大評価された女優の1人だ」と反撃したメリル・ストリープ(67)も名を連ねる。
毎年世界が注目する華やかな授賞式だが、今年は出席者らからトランプ氏批判が相次ぐ可能性もある。
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2017年2月27日付日本経済新聞電子版
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米アカデミー賞、反トランプのイラン人監督が受賞
 【ロサンゼルス=共同】米映画界最大の祭典、第89回アカデミー賞の発表・授賞式が26日(日本時間27日)、米ハリウッドのドルビーシアターで開かれた。
イスラム圏7カ国からの市民の入国禁止を決めたトランプ米大統領の大統領令に反対していたイラン人のアスガル・ファルハディ監督作品「セールスマン」が、外国語映画賞を受賞した。
ファルハディ氏は大統領令に反対し、発表・授賞式を欠席。
式典ではトランプ氏への批判や皮肉が相次いだ。
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余談。
Taranen Alidoosti
立て看板のカタカナ表記は「タラネ・アリドゥスティ」。
新聞のカタカナ表記は「タラネ・アリシュスティ」。
ローマ字表記の Alidoosti からすると、立て看板の「アリドゥスティ」でよいと思うのだが...。

トランプの、ビザ発給停止を指示する大統領令は未だに尾を引いている。
先ほど、大学構内で、杉原千畝の顕彰碑を見学したばかりである。
トランプは杉原千畝のことを知っているのであろうか、と思ってしまうのであった。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:34 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『杉原千畝顕彰碑』

杉原千畝顕彰碑/早稲田大学構内。
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外交官としてではなく
人間として当然の
正しい決断をした

命のビザ発給者
杉原千畝
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6月3日(土曜)。
久しぶりに母校へ。
キャンパスを散策。
以前から、杉原千畝顕彰碑を訪ねてみたいと思っていた。
さて、構内の何処に建立されているのであろう。
スマホで検索すると、「早稲田キャンパス11号館と14号館の間に建立されました」とある。
11号館、14号館といわれても、卒業してから45年、号館までは覚えていない。
構内案内図を眺める。
直ぐに分かった。

杉原千畝。
1900年、岐阜県生まれ。
1918年、早稲田大学高等師範部英語科(現在の教育学部英文学科)に入学。
1919年、官費留学生として日露協会学校に留学するため、中退。
1924年、外務省に入省。
1940年、リトアニアの日本領事館領事代理として、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ系避難民約6,000人に対し、日本の通過ビザを発給し、命を救った。
1986年、没。享年86年歳。

「命のビザ発給者」である杉原千畝を顕彰する碑は各地に建立されている。
1985年、イスラエルに、2000年、生誕地の岐阜県に、2001年、リトアニアに。
そして、2011年、没後25周年のレリーフが早稲田大学構内に建立された。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:33 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『早稲田大学演劇博物館 2017.6.3』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校を訪ねた。

東京六大学野球春のリーグ戦。
早慶戦で慶応が勝てば、慶大の優勝。
早大が勝てば、立大の優勝。
で、早大が勝ち、立大が1999年秋以来、35季ぶりに優勝を決めた。
我が母校が優勝した訳ではないが、久しぶりに母校へ行ってみようと思い立った。
そんな中、早稲田大学演劇博物館で『テレビドラマ博覧会』なるものが催されていることを知り、これはちょうどよいと、この日、出掛けたのであった。

久しぶりに演劇博物館を眺める。
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新宿区指定有形文化財 建造物
演劇博物館
所 在 地  新宿区西早稲田一丁目六番地
指定年月日 昭和62年3月12日

正式には早稲田大学坪内博士記念演劇館という。
昭和3(1928)念0月に坪内逍遥の古希と「シェークスピア全集」の完訳を祝って学界・演劇界の有志1500余名の協賛により建設された。
建築の意匠は逍遥の発案によりイギリスのエリザベス朝(16世紀後半)の様式で、シェイクスピア時代の劇場フォーチュン座を模して設計されている。

鉄筋コンクリート造、地上3階、地下1階、建坪は約400平方メートルで、内部は逍遥記念室をはじめ八つの展示室、図書閲覧室がある。

また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており、館の正面は舞台、2階の廊下は上舞台、建物の両翼は桟敷、前庭は一般席となる。

なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語は、「全世界は劇場なり」という意味で、シェイクスピア時代の劇場グローブ座に掲げてあった看板の句である。

東京都新宿区教育委員会
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現役時代、教養課程で、シェイクスピアの原書を読まされたことを思い出す。
あの頃は<勉強>と思っていたので、読んだというよりも読まされた感が強かった。
作品は『ハムレット』であった。
日本語に訳しても意味不明の点が多々あり、川出書房であったか、筑摩書房であったか、翻訳本を買った記憶がある。
大隈講堂での映画会で、ローレンス・オリビエ監督・主演の『ハムレット』(1948年)を観たのもその頃のことである。
その20年後、倫敦に数年間、住まいすることとなるが、そのときはそんなことは夢想だにしなかった。

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2017年度春期企画展
テレビの見る夢 − 大テレビドラマ博覧会

ドラマはテレビの見る夢だ。
ドラマの作り手たちは、さまざまな家族や恋愛や仕事のあり方、社会問題や未来へのヴィジョンを、フィクションという夢のかたちにして、私たちの日常に送り届けてくれる。
私たちはその夢に泣いたり笑ったりしながら、ときには自分たちの生活や人生を重ね合わせてきた。

本展では、テレビ創成期から現代に至る名作ドラマの数々を、ストーリーに回収されないこまやかな表現に着目しながら、映像、スチル、台本、衣裳、製作ノートなどの多彩な資料とともに振り返る。
心に残るドラマの記憶をみなさまと共有できれば幸いである。
今なお新しい夢をもたらしてくれるドラマの魅力を再発見し、テレビの将来にあかるい希望を託すものにしたい。
(早稲田大学演劇博物館ホームページより)
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日本での地上波テレビ放送の開始は1953年(昭和28年)。
我が家にテレビがやって来たのは、1958年(昭和33年)。
ご他聞に漏れず、子供らは「テレビ、買ってよ」の大合唱、親は「まだまだ」と言い続けるも、翌年4月10日の皇太子明仁親王(今上天皇)と美智子妃ご成婚を控えて、親は購入を決心というパターン。
我らの世代は、テレビの歴史と共に歩んで来たといってもよいくらいなのだ。
本展覧会は、5月13日から8月6日まで。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 06月 03日

『高田馬場 2017.6.3』

6月3日(土曜)。
久しぶりに母校を訪ねた。

東京六大学野球春のリーグ戦。
早慶戦で慶応が勝てば、慶大の優勝。
早大が勝てば、立大の優勝。
で、早大が勝ち、立大が1999年秋以来、35季ぶりに優勝を決めた。
我が母校が優勝した訳ではないが、久しぶりに母校へ行ってみようと思い立ち、高田馬場駅に降り立った。

駅前商店街のマスコット・キャラクターが目に入る。
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群馬県の「ぐんまちゃん」とキャラが被っているが、あちらは県名、こちらは江戸時代の旗本たちの馬術練習場。
どちらも大事な、おウマさんのマスコット・キャラ。

マスコット・キャラの下に立ち、早稲田通りを挟んで、向かいのビルを眺める。
向かいのビルには、数年前に閉店したが、ムトウ楽器店があった。
先月半ば、矢切の渡しに乗船した。
そのときのことをブログに綴った際、ムトウ楽器店のことに触れた。
そんなこともあって、向かいのビルを眺めたのであった。

因みに、先月半ばに綴ったブログは、こうであった(抜粋)。

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先ほど、柴又から乗船した老夫婦の奥さんはスマホで細川たかしの「矢切の渡し」をを流していた。
そのとき、細川たかしじゃなくって、ちあきなおみでお願いします、と言おうと思ったが、気が小さいのでそんなことも言えず。

小生は、ちあきなおみが歌う「矢切の渡し」が好きだ。
歌謡曲「矢切の渡し」は、そのヒットまでに紆余曲折があったようだ。
ウィキペディアにその経緯が縷々書かれている。
その中から抜粋してここに引用させて戴く。
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矢切の渡し(曲)
「矢切の渡し」は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌。
1976年(昭和51年)、ちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表された。
それから6年が経った1982年(昭和57年)、ちあき盤「矢切の渡し」は梅沢富美男の舞踊演目に用いられたことで好評を博し、同年6月に開始したTBS系列のテレビドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』(梅沢も出演した)の挿入歌としても使用されて話題を集めた。
そこで、同年10月21日に本作をA面としたシングルが改めて発売された。
翌1983年(昭和58年)に多くの歌手によって競作され、中でも細川たかしのシングルが最高のセールスとなった。
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「細川たかし 識」の石碑は「昭和59年3月吉日」となっており、ヒットした翌年のものであることが分かる。
細川たかしは歌は上手いが、「おれ、上手いやろ」という気持ちが表に出過ぎて、いわゆる、鼻に付くというやつで、細川たかしファンには申し訳ないことだが、感じが悪い。
プロの歌手なんだから、歌が上手いのは当たり前。
そういうことで、細川たかしは好きではないのである。

その点、ちあきなおみは、いい。
ちあきなおみは、1969年、「雨に濡れた慕情」でデビュー。
高田馬場駅前のムトウレ楽器店でデビュー曲のキャンペーンがあった。
当時、小生は新宿区戸塚町、都電の面影橋近くに下宿していたW大の学生で、クラシック音楽を聴くことが趣味であったので、ムトウレコード店によく通っていた。
そんなこともあり、ちあきなおみなる女性歌手が来店するということを事前に知り、ミーハーでもあったので、当日、ルンルン気分で、店へ足を運んだのであった。

店は1階がポピュラー音楽と歌謡曲、2階がクラシック音楽のコーナーとなっており、ちあきなおみは2階から1階へ階段を下りながら、「雨に濡れた慕情」を歌うという憎い演出であった。

当時は知らなかったが、ちあきなおみは1947年生まれ、小生は1948年生まれ、なおみさんは1歳年上のお姉さんだったのだ。

以来、日劇で彼女のショーを見たりして、ずっと、彼女のファンなのである。
今は、YouTube やテレビ東京系のBSジャパンの懐かしの昭和歌謡番組などで彼女の歌が聴ける、彼女の姿を見ることができるだけであるが、テレビ東京系の「演歌の花道」で来宮良子のナレーションで始まる、ちあきなおみの「矢切の渡し」は何度聴いても絶品である。

(2017年5月13日付けブログ『江戸川ポタリング/矢切の渡し(下)』 より抜粋)
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早稲田通りを大学の方へ向かって歩く。
西早稲田交差点の角で「旧跡 高田馬場跡」の説明板を眺める。
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江戸時代、この辺りは「戸塚村」。
小生はこの辺りに下宿しており、当時は「新宿区戸塚町」。
今は「新宿区西早稲田」。
西や東より、「戸塚町〇丁目」でよかったのに。
この辺りに下宿していた当時は、斯様に立派な説明板などはなかった。
あるのは、「安兵衛湯」なるよき名の銭湯であった。
その銭湯も今はなく、マンションになっている。
彼是、50年も前の話である。

水稲荷神社境内の堀部武庸加功遺跡碑は、今回は素通りとし、大学へと向かう。

フォト:2017年6月3日
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by ryujincho | 2017-06-03 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 03月 10日

『日フィル/第100回さいたま定期演奏会』

3月10日(金曜)。
日本フィルハーモニー交響楽団 第100回さいたま定期演奏会を聴きに大宮ソニックシティへ。

先月下旬、知り合いから日フィルの演奏会の誘いを受けた。
指揮は、炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎。
ヴァイオリンは、今年で演奏活動55周年の、前橋汀子。
曲目は;
サン・サーンス「序奏とロンド・カプリツィオーソ」
マスネ「タイスの瞑想曲」
サラサーテ「チゴイネルワイゼン」 
マーラー 交響曲第1番「巨人」

コンサートに行きたいのはやまやまなれど、3月6日に白内障の手術を控えていたこともあり、コンサートに行く気などなれず、お断りした。
コンサート当日の今朝、再度の誘いがあった。
術後の調子はよく、お受けすることとした。

ソニックシティ・大ホール。
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このホールは初めて。
収容人員2,505名。
写真は開演30分前の写真で、客はまばらながら、開演前には満席に。

席は前から四番目の上手寄り。
女性の年齢に触れるのは失礼かもしれないが、前橋汀子さんは1943年生まれで、70歳超ながら、真っ赤な衣装を身に纏い、颯爽と登場。
「序奏とロンド・カプリツィオーソ」は、文字通り、助走。
「タイスの瞑想曲」は、若干、迷走。
「チゴイネルワイゼン」で、快走となった。
汀子さんのようなヴィルトーゾであっても、冒頭は調子が上がらず、徐々に調子が上がっていくということがあるようだ。

席は舞台上手寄りで、弦バス近くだったので、マーラーの交響曲第1番第3楽章の弦バスのソロが間近に流れた。
だからという訳ではないが、第3楽章あたりから調子が上がり、第四楽章に突入、繊細に流れる弦から鳥の声に聞こえる木管、そして、咆哮する金管と強打のティンパニー。
まさに、炎のコバケンの名に相応しい演奏であった。

今回の「さいたま定期演奏会」は第100回。
それもあって、最後にコバケンさんの挨拶あり。
挨拶の中で、2000年9月の第1回さいたま定期演奏会は、この日と同じマーラーの交響曲第1番であったこと、そして、中村紘子さんも出演したとの話あり。
紘子さんは昨年7月に亡くなった。
1944年の生まれ、享年72歳、亡くなるには若すぎた。
汀子さんには、薫陶を受けたヨゼフ・シゲティやナタン・ミルシテインの流れを汲む演奏家として、こらからもずっと演奏を続けて貰いたい。

マーラーの交響曲のあとにアンコールなどあろうはずもないが、100回記念として、アンコールに代え、交響曲第1番の金管が咆哮する数十小節が再び演奏された。
これは珍しいことである。

そして、珍しいことと言えば、これも100回記念ということで、帰りにロビーで記念品のプレゼントがあった。

目の調子がよかったことに感謝、埼玉県に感謝、そして、何よりも、誘ってくれた知り合いに感謝の1日であった。

フォト:2017年3月10日
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by ryujincho | 2017-03-10 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 02月 26日

『新井薬師参拝』

年初、ドラポタの走り初めは、東京駅をスタートし、神社仏閣、庭園その他都内の名所旧跡をめぐり、最後は中野/新井薬師と童謡「焚き火」発祥地を訪ね、フィニッシュというコース設定であった。
しかし、中野駅近くに至ったとき、夕暮れ、時間切れで、最後の、新井薬師と童謡「焚き火」発祥地は端折った。

その後、「目の薬師」である新井薬師を端折ったことがずっと気になっていた。

で、2月25日、ドラポタ仲間の武衛さんと新井薬師をお参りした。
すっきりした。
上高田の童謡「焚き火」発祥地も訪ねた。
更に、吉良家の江戸菩提寺、功運寺も訪ねた。

「前に、ここへ来たのはいつのことでしたかね」と武衛さん。
「冬であったことは覚えていますが、さて、何年のことでであったか?早稲田通りを走っていて、都バスに意地悪運転されたことは覚えているんですけど。調べておきましょう」と上総。

帰宅後、ポタリング記録を紐解いてみた。
前回、この辺りをポタリングしたのは、2012年2月21日であった。
メンバーは、武衛さん、大給守さん、上総の3名。
コースは、<JR中野駅集合~曹洞宗天徳院/梶川與惣兵衛の墓所(「抱きとめた片手が二百五十石」。浅野を抱き留めた梶川殿はその功績で五百石の加増とか)~曹洞宗龍寶山萬昌院功運寺/江戸の吉良家菩提寺~鈴木家/童謡♪たきび♪の垣根の曲がり角~真言宗豊山派新井山薬師寺、別称・新井薬師~哲学堂~北から南へ下がって~妙法寺/日本近代建築の父、ジョサイア・コンドル設計の鉄門~一路、高田馬場へ~~中山安兵衛高田馬場之決闘助太刀ゆかりの地/水稲荷神社境内/「堀部武庸加功遺跡之碑」~甘泉園/徳川御三卿清水家下屋敷跡~面影橋/太田道灌と山吹伝説、石碑「山吹の里」~上総旧宅跡(早い話が下宿先「三ヶ島家」跡)~神田川沿い~関口芭蕉庵~Printing Museum/球形モニュメント~丸の内>と盛りだくさんな立寄り先が記されていた。

話が反れた。
5年ぶりの、新井薬師の話に戻そう。

新井山梅照院。
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通称、新井薬師。
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「新井薬師」の揮毫は東京都知事鈴木俊一によるもの。
1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都庁の新宿移転を強力に推進し、1985年9月、都議会で建設地は新宿副都心と決定、1988年4月着工、1990年12月完成。
その間、鈴木都知事に対する風当たりは強く、、「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」とか、税金の無駄遣いとも言われ、「タックス・タワー」と揶揄されたこともあったが、今やそんなことを言う人は誰もいないし、45階の展望室は東京の観光名所の一つとなっている。

山門。
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境内。
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瑠璃殿。
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作法通り、真言を唱え、<或ること>を祈願。
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白龍権現水屋建立之記。
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白龍権現水屋建立之記
新井の地名の由来は古文書『新井埜草別調べ』によれば「名水湧き出でたる故に村名を新井と名づく」とあり
この地は名水随所に湧出せしが時代と共に次第に減じ都市化の進展に伴い名井ことごとく枯渇し新井の由来を知らすべき証し全て消失せり
当山梅照院の瓢箪池(新井薬師公園)もその昔冷泉滝の如く水坮り場として修行の道場となせり
故に「垢离不動明王」を安置し尊信す
白蛇常に不動明王のお傍にありて守護するが如し 
しかるに公園造成以後は冷泉の涌出も絶えたるにより窪寺伝吉氏が昭和三十五年に境内に出卋垢离不動明王堂を建立霊験灼然として今に多くの信宗をあつむ
白蛇の令を供養せんと貫主智英僧正発願せられ龍王のおすがたに三十三之宝珠を奉ずる石像を刻み明王の使者白龍権現として不動堂に祀る
この度等大悲殿の建立のおり地下二米程の處に御影石の上蓋に保護されたる大井戸を発見す 
涌き出ずる水清洌にして名井の出現を見たり 
これぞ権現の導きなりと貫主その瑞祥を奉戴す
一夜夢枕に不動明王現れ「大悲殿に聖観卋音菩薩を迎えて井戸の冷泉を閼伽水として衆生に施さば即ち利益増長抜苦与楽せん」と告げ給う 
この霊示により同信を募り島根琴次郎 相原新吉両氏と共に双竜を鋳造して水屋を建立す 
功徳の霊泉 末永くあらんことを祈念する
昭和六十年年四月吉日 発願人窪寺克己 記
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双龍/右。
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双龍/左。
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龍口から流れ出る閼伽水(あかみず)で目を洗う。
前回、ここを訪ねたとき、参拝者からこの水で目を洗うと眼病に効くと聞いたので...。

季節の花、枝垂れ梅、河津桜。
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山門をくぐり、一礼し、外へ。
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参道の両側には奉納者、賛助者の名が並んでいる。
その中に、スポーツ選手や芸能人の名も散見される。
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スポーツ選手や芸能人と新井薬師の関係は?
新井薬師はスポーツや芸能の仏様ではないし、と思いながら、帰宅後、電脳網で「新井薬師 芸能人」で検索してみた。
節分会追儺式で、岩手県指定無形民俗文化財の伝統芸能「鹿(しし)踊り」の奉納舞いや、スポーツ選手や芸能人の豆まきが行われ、それらの人たちの名が参道に並んでいたのであった。

上高田の童謡「焚き火」発祥地と吉良家江戸菩提寺である功運寺に立ち寄り、下落合駅から東西線に乗り、大手町駅で下車。

八重洲地下街「玉乃光酒蔵」へ直行。
宇和島のじゃご天にみぞれ酒、穴子の柳川にみぞれ酒、かれいの一夜干しにみぞれ酒、焼き鳥にみぞれ酒、厚焼き玉子にみぞれ酒と、新井薬師を参拝し、肩の荷が下りたことも手伝い、御酒はどんどんと進んだのであった。
仕上げは、八重洲ラーメンストリートでタンメンをすすり、フィニッシュとした。

フォト:2017年2月25日
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by ryujincho | 2017-02-26 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
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「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
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創業天保元年、「いせ源」。
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創業昭和5年、「竹邑」。
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創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
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創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
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「けむり」。
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「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
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by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 12月 15日

『街歩き/丸の内仲通り』

12月15日(木曜)。
丸の内で寄り合いあり。
その前に、丸の内仲通りへ。
毎年、楽しみにしている、比較的地味な電飾を<取材>。
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ホワイト・タイガー像。
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何故、ホワイト・タイガー像が鎮座しているのであろうか。
今年の干支は申、来年は酉、寅の年はまだまだ先なのだが。
深くは考えないことにする、眠れなくなるので...。

丸ビル前。
シャンペンの立ち飲み出店。
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丸ビル内へ。
ロビーのディスプレーは、去年は『アナと雪の女王』であった。
今年は、『胡桃割り人形』のプロジェクション・マッピング。
プロジェクション・マッピングの映像は写真には上手く写らない。
代わりに、ロビー出店の土産物店の『胡桃割り人形』を拝借。
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寄り合いの店へ。
モエ・エ・シャンドンのシャンパンならぬ、伏見の酒「玉乃光」を痛飲した。

フォト:2016年12月15日
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by ryujincho | 2016-12-15 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)