龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:街歩き、村歩き、ポタリング( 77 )


2017年 03月 10日

『日フィル/第100回さいたま定期演奏会』

3月10日(金曜)。
日本フィルハーモニー交響楽団 第100回さいたま定期演奏会を聴きに大宮ソニックシティへ。

先月下旬、知り合いから日フィルの演奏会の誘いを受けた。
指揮は、炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎。
ヴァイオリンは、今年で演奏活動55周年の、前橋汀子。
曲目は;
サン・サーンス「序奏とロンド・カプリツィオーソ」
マスネ「タイスの瞑想曲」
サラサーテ「チゴイネルワイゼン」 
マーラー 交響曲第1番「巨人」

コンサートに行きたいのはやまやまなれど、3月6日に白内障の手術を控えていたこともあり、コンサートに行く気などなれず、お断りした。
コンサート当日の今朝、再度の誘いがあった。
術後の調子はよく、お受けすることとした。

ソニックシティ・大ホール。
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このホールは初めて。
収容人員2,505名。
写真は開演30分前の写真で、客はまばらながら、開演前には満席に。

席は前から四番目の上手寄り。
女性の年齢に触れるのは失礼かもしれないが、前橋汀子さんは1943年生まれで、70歳超ながら、真っ赤な衣装を身に纏い、颯爽と登場。
「序奏とロンド・カプリツィオーソ」は、文字通り、助走。
「タイスの瞑想曲」は、若干、迷走。
「チゴイネルワイゼン」で、快走となった。
汀子さんのようなヴィルトーゾであっても、冒頭は調子が上がらず、徐々に調子が上がっていくということがあるようだ。

席は舞台上手寄りで、弦バス近くだったので、マーラーの交響曲第1番第3楽章の弦バスのソロが間近に流れた。
だからという訳ではないが、第3楽章あたりから調子が上がり、第四楽章に突入、繊細に流れる弦から鳥の声に聞こえる木管、そして、咆哮する金管と強打のティンパニー。
まさに、炎のコバケンの名に相応しい演奏であった。

今回の「さいたま定期演奏会」は第100回。
それもあって、最後にコバケンさんの挨拶あり。
挨拶の中で、2000年9月の第1回さいたま定期演奏会は、この日と同じマーラーの交響曲第1番であったこと、そして、中村紘子さんも出演したとの話あり。
紘子さんは昨年7月に亡くなった。
1944年の生まれ、享年72歳、亡くなるには若すぎた。
汀子さんには、薫陶を受けたヨゼフ・シゲティやナタン・ミルシテインの流れを汲む演奏家として、こらからもずっと演奏を続けて貰いたい。

マーラーの交響曲のあとにアンコールなどあろうはずもないが、100回記念として、アンコールに代え、交響曲第1番の金管が咆哮する数十小節が再び演奏された。
これは珍しいことである。

そして、珍しいことと言えば、これも100回記念ということで、帰りにロビーで記念品のプレゼントがあった。

目の調子がよかったことに感謝、埼玉県に感謝、そして、何よりも、誘ってくれた知り合いに感謝の1日であった。

フォト:2017年3月10日
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by ryujincho | 2017-03-10 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 02月 26日

『新井薬師参拝』

年初、ドラポタの走り初めは、東京駅をスタートし、神社仏閣、庭園その他都内の名所旧跡をめぐり、最後は中野/新井薬師と童謡「焚き火」発祥地を訪ね、フィニッシュというコース設定であった。
しかし、中野駅近くに至ったとき、夕暮れ、時間切れで、最後の、新井薬師と童謡「焚き火」発祥地は端折った。

その後、「目の薬師」である新井薬師を端折ったことがずっと気になっていた。

で、2月25日、ドラポタ仲間の武衛さんと新井薬師をお参りした。
すっきりした。
上高田の童謡「焚き火」発祥地も訪ねた。
更に、吉良家の江戸菩提寺、功運寺も訪ねた。

「前に、ここへ来たのはいつのことでしたかね」と武衛さん。
「冬であったことは覚えていますが、さて、何年のことでであったか?早稲田通りを走っていて、都バスに意地悪運転されたことは覚えているんですけど。調べておきましょう」と上総。

帰宅後、ポタリング記録を紐解いてみた。
前回、この辺りをポタリングしたのは、2012年2月21日であった。
メンバーは、武衛さん、大給守さん、上総の3名。
コースは、<JR中野駅集合~曹洞宗天徳院/梶川與惣兵衛の墓所(「抱きとめた片手が二百五十石」。浅野を抱き留めた梶川殿はその功績で五百石の加増とか)~曹洞宗龍寶山萬昌院功運寺/江戸の吉良家菩提寺~鈴木家/童謡♪たきび♪の垣根の曲がり角~真言宗豊山派新井山薬師寺、別称・新井薬師~哲学堂~北から南へ下がって~妙法寺/日本近代建築の父、ジョサイア・コンドル設計の鉄門~一路、高田馬場へ~~中山安兵衛高田馬場之決闘助太刀ゆかりの地/水稲荷神社境内/「堀部武庸加功遺跡之碑」~甘泉園/徳川御三卿清水家下屋敷跡~面影橋/太田道灌と山吹伝説、石碑「山吹の里」~上総旧宅跡(早い話が下宿先「三ヶ島家」跡)~神田川沿い~関口芭蕉庵~Printing Museum/球形モニュメント~丸の内>と盛りだくさんな立寄り先が記されていた。

話が反れた。
5年ぶりの、新井薬師の話に戻そう。

新井山梅照院。
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通称、新井薬師。
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「新井薬師」の揮毫は東京都知事鈴木俊一によるもの。
1979年に都知事に就任した鈴木俊一は都庁の新宿移転を強力に推進し、1985年9月、都議会で建設地は新宿副都心と決定、1988年4月着工、1990年12月完成。
その間、鈴木都知事に対する風当たりは強く、、「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」とか、税金の無駄遣いとも言われ、「タックス・タワー」と揶揄されたこともあったが、今やそんなことを言う人は誰もいないし、45階の展望室は東京の観光名所の一つとなっている。

山門。
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境内。
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瑠璃殿。
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作法通り、真言を唱え、<或ること>を祈願。
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白龍権現水屋建立之記。
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白龍権現水屋建立之記
新井の地名の由来は古文書『新井埜草別調べ』によれば「名水湧き出でたる故に村名を新井と名づく」とあり
この地は名水随所に湧出せしが時代と共に次第に減じ都市化の進展に伴い名井ことごとく枯渇し新井の由来を知らすべき証し全て消失せり
当山梅照院の瓢箪池(新井薬師公園)もその昔冷泉滝の如く水坮り場として修行の道場となせり
故に「垢离不動明王」を安置し尊信す
白蛇常に不動明王のお傍にありて守護するが如し 
しかるに公園造成以後は冷泉の涌出も絶えたるにより窪寺伝吉氏が昭和三十五年に境内に出卋垢离不動明王堂を建立霊験灼然として今に多くの信宗をあつむ
白蛇の令を供養せんと貫主智英僧正発願せられ龍王のおすがたに三十三之宝珠を奉ずる石像を刻み明王の使者白龍権現として不動堂に祀る
この度等大悲殿の建立のおり地下二米程の處に御影石の上蓋に保護されたる大井戸を発見す 
涌き出ずる水清洌にして名井の出現を見たり 
これぞ権現の導きなりと貫主その瑞祥を奉戴す
一夜夢枕に不動明王現れ「大悲殿に聖観卋音菩薩を迎えて井戸の冷泉を閼伽水として衆生に施さば即ち利益増長抜苦与楽せん」と告げ給う 
この霊示により同信を募り島根琴次郎 相原新吉両氏と共に双竜を鋳造して水屋を建立す 
功徳の霊泉 末永くあらんことを祈念する
昭和六十年年四月吉日 発願人窪寺克己 記
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双龍/右。
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双龍/左。
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龍口から流れ出る閼伽水(あかみず)で目を洗う。
前回、ここを訪ねたとき、参拝者からこの水で目を洗うと眼病に効くと聞いたので...。

季節の花、枝垂れ梅、河津桜。
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山門をくぐり、一礼し、外へ。
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参道の両側には奉納者、賛助者の名が並んでいる。
その中に、スポーツ選手や芸能人の名も散見される。
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スポーツ選手や芸能人と新井薬師の関係は?
新井薬師はスポーツや芸能の仏様ではないし、と思いながら、帰宅後、電脳網で「新井薬師 芸能人」で検索してみた。
節分会追儺式で、岩手県指定無形民俗文化財の伝統芸能「鹿(しし)踊り」の奉納舞いや、スポーツ選手や芸能人の豆まきが行われ、それらの人たちの名が参道に並んでいたのであった。

上高田の童謡「焚き火」発祥地と吉良家江戸菩提寺である功運寺に立ち寄り、下落合駅から東西線に乗り、大手町駅で下車。

八重洲地下街「玉乃光酒蔵」へ直行。
宇和島のじゃご天にみぞれ酒、穴子の柳川にみぞれ酒、かれいの一夜干しにみぞれ酒、焼き鳥にみぞれ酒、厚焼き玉子にみぞれ酒と、新井薬師を参拝し、肩の荷が下りたことも手伝い、御酒はどんどんと進んだのであった。
仕上げは、八重洲ラーメンストリートでタンメンをすすり、フィニッシュとした。

フォト:2017年2月25日
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by ryujincho | 2017-02-26 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 01月 27日

『神田界隈』

1月26日。
神田司町、創業明治38年、「みますや」。
武蔵守くんと一献。
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「神田須田町に以前から気になる燻製専門店あり。行ってみよう」。
靖国通りを渡り、神田須田町へ。
創業明治17年、「神田まつや」。
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創業天保元年、「いせ源」。
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創業昭和5年、「竹邑」。
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創業明治13年、「神田やぶそば」。
早々と灯りは消えてと思ったら、冬季休業であった。
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創業昭和8年、「珈琲ショパン」。
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「けむり」。
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「ここが以前からの気になっていた店。入ってみよう」。
外観に似合わず(と言っては失礼かな?)、店内は独特の雰囲気を醸し出しており、いい感じ。
燻製をつまみにジントニックを2杯ばかり飲んた。
レストラン・メニューもあるから、次回はワインを飲みながらゆっくりと。
以上、神田徘徊の巻、おしまい。

フォト:2017年1月26日
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by ryujincho | 2017-01-27 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 12月 15日

『街歩き/丸の内仲通り』

12月15日(木曜)。
丸の内で寄り合いあり。
その前に、丸の内仲通りへ。
毎年、楽しみにしている、比較的地味な電飾を<取材>。
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ホワイト・タイガー像。
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何故、ホワイト・タイガー像が鎮座しているのであろうか。
今年の干支は申、来年は酉、寅の年はまだまだ先なのだが。
深くは考えないことにする、眠れなくなるので...。

丸ビル前。
シャンペンの立ち飲み出店。
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丸ビル内へ。
ロビーのディスプレーは、去年は『アナと雪の女王』であった。
今年は、『胡桃割り人形』のプロジェクション・マッピング。
プロジェクション・マッピングの映像は写真には上手く写らない。
代わりに、ロビー出店の土産物店の『胡桃割り人形』を拝借。
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寄り合いの店へ。
モエ・エ・シャンドンのシャンパンならぬ、伏見の酒「玉乃光」を痛飲した。

フォト:2016年12月15日
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by ryujincho | 2016-12-15 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 11月 20日

『軽快な調べ』

11月20日(日曜)。
いい天気。
そんなときは jitensha に乗って、ぶらりと手賀沼一周と思い、手賀沼公園方面へ。
手賀沼公園近くで軽快なメロディーが流れて来た。

デキシー・ジャズ・バンド。
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デキシーには欠かせないバンジョー、そして、お洒落なハットのベース・マン。
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ソロは、先ず、トランペットから。
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ソロを終えて、ニッコリ!
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次はピアノ(キーボードだけどね)。
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次はトロンボーン。
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次はクラリネット。
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トランペットとトロンボーンの間に、デキシーでは異質な楽器のホルンが。
或る集合住宅の趣味の人たちが集まって結成されたバンドなので、ホルンだってOK、と司会者さん。
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いいものを聴かせて貰ったあと、口笛を吹きながら、軽快に手賀沼を一周。

フォト:2016年11月20日
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by ryujincho | 2016-11-20 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 11月 17日

『築地本願寺』

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11月14日のスーパームーンは、68年ぶりの大接近であったという。
残念ながら生憎の天気で、スーパームーンを見ることはできなかった。
その3日後、築地で一献の約束があり、少し早めに出立、築地本願寺に立ち寄った。

丸みを帯びた本堂の屋根、そして、その屋根に建つ尖塔。
丸みを帯びた本堂の屋根のモチーフは菩提樹の葉、そして、その中央に描かれているのは蓮の花。
ライトアップに照らされ、明るく輝くその姿は、スーパームーンを感じさせるものがあった。

フォト:2016年11月17日
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by ryujincho | 2016-11-17 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷/2016.9.30/(下)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。
史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。
東大駒場キャンパス構内のレストランで昼餉を摂り、少々、ワインも頂戴し、日本民藝館を見学。
つづいて、駒場公園を抜け、渋谷方面へ。

駒場公園南門を入ると、洋館が現れる。
旧前田公爵邸である。
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建物を回り込むと表玄関が現れた。
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旧前田公爵邸。
1929年(昭和4年)、旧加賀百万石の前田家第16代当主、前田利為(としなり)の本邸として建てられた。
当時の駒場の田園の野趣に合わせ、英国のチュー ダー様式を取り入れた建築。
玄関ポーチの扁平アーチに英国チューダー様式の特徴をみせている。
保存整備工事のため、平成28年7月から平成30年9月まで休館となっている。

東大駒場キャンパス北沿いの道を東へ歩き、山手通り/東大裏交差点を渡り、住宅街の一角にある鍋島松涛公園に立ち寄る。
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「どの家かは分からぬも、正面のどれかが山本富士子の家」と備前さん。
山本富士子といえば、長谷川一夫と並んで、大映の男優、女優の二枚看板。
今でこそ、物まねといえば、歌手の物まねが多いが、昔は、声帯模写と称し、有名人の声色、動物の鳴き声などが主流であった。
山本富士子の声帯模写を得意としたのは、桜井長一郎であった。
山本富士子の特徴は、余り口を開けず、小声で、時折、息を吸うというものであった。
山本富士子は1931年生まれの84歳、最近、映画やテレビでその姿を見たことはないが、今も健在だ。

池の水草が白い花を咲かせている。
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バイカモ(梅花藻)と思われる。
バイカモは冷涼で流れのある清流を好む植物。
池の水は澄んでおり、湧水である。

支柱コレクション。
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数年前、盟友、大給さんの国許御屋敷の松の支柱を検討すべく、手始めに、鎌倉・瑞泉寺の梅の支柱をコレクションして以来、支柱が気になり、コレクションするようになった。
鍋島松涛公園の、この支柱は大型の鳥居型支柱である。

鍋島松涛公園。
江戸時代、この辺り一帯は紀州徳川家の下屋敷があった。
1876年(明治9年)、佐賀の鍋島家に払い下げられ、鍋島家は茶園を開いて「松濤園」と名付け、「松濤」という名で茶の販売を行っていた。
1932年(昭和7年)、茶園は廃止、公園化、東京市に寄贈され、1950年(昭和25年)、渋谷区の管轄となった。

鍋島松涛公園から松涛美術館の脇を抜け、道玄坂下の飲み屋街に。
この店に入ったわけではないが、看板の面白さに惹かれて、カメラを向けた。
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面白い点その1:「ヨロシク!ユウチャン」とあるが、看板に描かれた顔は、ユウチャンではなく、アキラと思われる。
面白い点その2:「串カツ片手に大暴れ ソースは二度漬け禁止だぜ!!」のキャッチ・コピー。

更に、面白い点がふたつ。
それはアップで。
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面白い点その3(看板、左上):「総天然色」ならぬ「総天然食」。
昔は「総天然色」と言っていた。
いつの頃からか「カラー作品」という表示になった。
今じゃ、カラーとかモノクロとか書かれた映画看板やポスターにお目に掛かったことはない。
面白い点その4(看板左下):「日活」ならぬ「串活」。
小・中学生の頃、東映、東宝、松竹、大映、日活の大手五社が華やかりし頃、お袋から日活の映画だけは絶対に見てはいけません!ときつく言われていたことを思い出す。
この看板を見て、この看板に描かれた日活映画のパロディをなるほど!と思える世代は何歳くらいまでであろうか...。

昼のワインの酔いも抜けぬまま、ビールと日本酒を頂戴する。
そして、大放談を。

帰路、再び、JRと井の頭線を結ぶコンコースに立ち寄り、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆を眺める。
昼前より人は増えている図に満足!
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次回は、12月上旬、三浦半島/観音崎の予定。
楽しみ、楽しみ...。

フォト:2016年9月30日

(完)
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by ryujincho | 2016-09-30 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 09月 30日

『街歩き/駒場&渋谷 2016.9.30/(上)』 

9月30日(金曜)、晴れのち曇り。
2ヶ月に1回の大放談会の日である。
大放談会といっても、メンバーは備前さん、伊豫さん、そして、小生の3名。
まあ、格好よく言えば、鼎談である。

史跡めぐりなど軽く散策したあと、一献傾けながら歓談というのが毎度のパターン。
今回は備前さんの企画で、彼が少年期を過ごしたという町を散策し、一献という趣向。

集合刻限と場所は、11時30分、京王井の頭線駒場東大前駅。
井の頭線に乗るのは数十年ぶりである。
JR渋谷駅・東京メトロ渋谷駅と京王井の頭線を結ぶコンコースで、岡本太郎の『明日の神話』を鑑賞する。
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前回、この巨大壁画を鑑賞したのは、壁画がここに設置された年、2008年のことで、これも久しぶりである。

この壁画は、1969年、メキシコオリンピックに向けてメキシコ中心部に建築中だったホテルのために製作されたが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となり、その後、2003年にメキシコ国内で発見され、日本に移送、修復し、各地で一般公開の後、吹田市、広島市、長崎市、東京都渋谷区などが誘致運動をした結果、2008年、渋谷のこの地に恒久的に設置されることになったたという曰く付きの壁画である。

このコンコースでは、巨大壁画の鑑賞のほか、もうひとつ楽しみがある。
それは、渋谷駅前スクランブル交差点を渡る群衆の図である。
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ウィークデーの午前11時過ぎなので、まだ、群衆の数は少ない。
夕方、もう一度、来てみようと思いながら、井の頭線に乗車。

駒場東大前駅で下車。
自宅を出る前に、電車の時刻を電脳網の「乗換案内」でチェック。
到着駅を「東大駒場」と打ち込んだところ、これは間違いで、「駒場東大前」が正しいことに気付く。
普通、東大本郷とか東大駒場とかいうのに、何故、駅名は駒場東大前なんだろう、駅員さんに問うてみようと思いつつ、問わずに改札を通過。
その答えは、昼餉のときに自然発生的に知ることとなり、スッキリ。
その答えは、後ほど綴ることとしたい。

東大駒場キャンパス。
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昼餉は東大構内で、というのが本日の趣向。
我々の世代は、大学構内の食堂となると、いわゆる、ガクショクである。
しかし、昨今は然様なガサツなものではない。
レストラン風、いや、洒落たレストランで、その名も"ルヴェ ソン ヴェール駒場"。

食事を注文。
「酒、飲みましょか」。
「散歩のあとの一献だけど、まっ、いいか。飲みましょう」。
「シェリー酒があります」。
「それにしましょう」。
「シェリー酒といえば、リバプールの中華レストランでのことを思い出しますね。伊豫さん、IM さん、KI さん、小生の4人で出張。リバプールの中華レストランで夕食を摂ったとき、シェリー酒大好き人間の KI さんが TIO PEPE、TIO PEPE と何度も言うんで、中華レストランにそんなもん、ある訳ないやんと言いながら、駄目もとで聞いてみたら、ありましたね」。

「備前さんは、いつ頃から目黒に住んでいたんですか」。
「昭和27年から」。
「小学1年生ですね」。
「そう。夜行列車で上京したんだよね。いまでいうところの、瀬戸だね」。
「昭和20年代、30年代は夜行列車がいっぱいありましたね。親父が東京へで出張するときは、『銀河』で。神戸駅へ見送りに行った記憶があります。『銀河』、ええ名前です」。
「こちらへ来た当時の井の頭線は路面電車のようなもので、駒場駅と東大前駅というのがあったのだけれど、この二つの駅を合体して、駒場東大前駅になったんだ」。
「そうですか。それで謎が解けました。何故、東大駒場前駅じゃなくて、駒場東大前なのかと思っていたもので」。
いつ新駅になったのかと調べてみたところ、1965年(昭和40年)であるから、小生が大学生となり、上京する3年前であった。
親戚の家へ行くのに、隣の、池の上駅で下車していたのだが、池の上駅のひとつ手前の、駒場東大前は開業3年目のまだ新しい駅だったのだ。
今の今まで、知らんかった、街歩きのお陰で、京王電鉄の歴史をベンキョーできたんや、と思うのであった。

シェリー酒が運ばれて来た。
「久しぶりのシェリー酒、旨いですね」。
「ロンドンで飲んだジン・トニックも旨かったなあ」。
「どんなジンかな」。
「ビフィーター、ゴードン...」。
「この間、テレビでジン・トニックの薀蓄を語っていた番組を見ました。ジンはシップスミス VJOP、トニック・ウォーターはフィーバー・ツリー。この組み合わせのジン・トニックが本場ロンドンの味だと。シップスミス VJOPの香り付けは普通より量の多いジュニパーベリー。フィーバー・ツリーのトニック・ウォーターはキニーネ入り。元々、トニック・ウォーターはマラリア予防のキニーネを飲み易くするために作られた薬用飲料水で、更に飲み易くするためか、ジンを加えるようになったということのよう」。
「インドでのマラリア予防。それで、ボンベイ・サファイアというジンもあるんだね」。
「そうそう、ボンベイ・サファイアの、あの青い、透き通ったボトルが旨さを誘いますね」。

料理が運ばれて来た。
「ワイン、飲みましょか」。
「散歩は千鳥足になるかも。でも、飲みましょ」。

昼餉を終えて、柳宗悦によって創設された「日本民藝館」へ。
これは小生の希望で。
柳宗悦は、叔父の嘉納治五郎の別荘が我孫子(千葉県)にあったことから、我孫子に住まいするようになり、同地に志賀直哉らを呼び、我孫子に文人らが集結し、白樺派文学が進展するきっかけをつくったことにより、我孫子市には「白樺文学館」なるものがあり、そこで、柳宗悦の草稿を見たり、地下の音楽室では夫人で声楽家の柳兼子の歌声を聴いたりしたこともあり、駒場の「日本民藝館」を是非訪れてみたいと常々思ったいたので、丁度、よい機会を得、リクエストしたのであった。

日本民藝館本館。
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入館料1100円也。
展示の民藝品の数々を鑑賞。
よくぞ、これだけのものを蒐集したな、そして、分類も、と思うほどに。
展示品もさることながら、建物の内部の造りそのものも見応えがある。

備前さんが係りの人と何やら会話をしたあと、戻って来た。
「大原孫三郎の援助を得て、1936年(昭和11年)に、この地に日本民藝館ができたとのこと」と。
大原孫三郎は、倉敷紡績(クラボウ)、倉敷絹織(クラレ)など経済界で活躍する一方、大原美術館を開設するなど文化事業にも熱心な人であった。
大原孫三郎が柳宗悦の民藝運動にも関わりを持っていたとは知らなかった。
ベンキョーになった。

館内は撮影禁止なので、外で何枚か<カメラ取材>を。
本館入り口の水鉢。
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同じく、本館入り口の水甕(かな?)。
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本館南西角外壁。
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本館南面外壁。
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道を挟んで西側の日本民藝館西館。
こちらは、旧柳宗悦邸を民芸館にしたもの。
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西館の脇に碑が建っている。
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碑の裏面に刻まれた文字。
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不二之碑
日本民藝館創立五十周年記念
昭和六十一年十月
柳 宗理 建立
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柳宗理は、日本民藝館三代目館長。
初代館長は柳宗悦、二代目は陶芸家の濱田庄司(1894-1978)、三代目は宗悦の長男でプロダクトデザイナーの柳宗理(1915-2011)、四代目は実業家(富士ゼロックス元会長)の小林陽太郎(1933-2015)、現在はプロダクトデザイナーの深澤直人となっている。

昭和61年(1986年)が50周年、今年は80周年。
ということで、只今、『創設80周年特別展/柳宗悦・蒐集の軌跡―日本の工芸を中心に-』が開催されているのであった。

見慣れた銘板、登録有形文化財。
「第13-0053号/この建造物は貴重な国民的財産です/文化庁」。
日本民藝館本館、西館共に、登録有形文化財に指定されている。
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「駒場公園を抜けて、渋谷方面へ歩いてゆきましょう。途中、あれこれと眺めながら」との備前さんの案内に従い、日本民藝館をあとにした。

フォト:2016年9月30日

(つづく)
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by ryujincho | 2016-09-30 23:57 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 09月 21日

『こち亀 2016.9.21』

こち亀。
こちら葛飾区亀有公園前派出所。
今月3日、集英社は、神田明神で行われた『こち亀』連載40周年記念絵巻奉納式後の記者会見で、2016年9月17日発売の『週刊少年ジャンプ』をもって連載を完結、同日発売のコミック200巻で最終巻とすることを発表。

TVニュースや新聞で「こち亀、亀有駅ジャック」がしきりに報道される。
亀有駅構内の床面、壁面、階段、エスカレーターなどあらゆる場所をコミック200巻すべての表紙で埋め尽くされている様子が写し出されたり、写真が掲載されたりしている。

長男が生まれたのは、『こち亀』が始まった1976年、次男が生まれたのは1979年。
息子達に『キン肉マン』のコミック本を買ってやった記憶はあるが、『こち亀』のコミック本を買ってやった記憶はない。
小生自身は『こち亀』を読んだことはなく、『こち亀』がどんなものかは主人公の名が両さんということくらいしか知らない。

亀有駅はポタリングで、一、二度、使ったくらいで、余り馴染みのある駅ではないが、現役時代、通勤で毎日この駅を通過しており、そういう意味では馴染みがある駅と言えなくもない。

由来好きの小生、以前、亀有の名の由来を調べたことがある。
地名は地形を由来とするという一般的原則の通り、亀の甲羅に似た土地だったことから「亀が成す」、「かめなす」となり、「かめなし」に転化、「かめなし」の「なし」は「無」で縁起が悪いので、「有」に変え、「亀有」になったのだと。

TVや新聞で「こち亀 亀有駅ジャック」の報道を幾度も見るうちに、どうしても<取材>に出掛けたくなって来た。
7月下旬に公開された映画『シン・ゴジラ』をまだ観ておらず、まだやっているだろうかと上映館を調べたところ、MOVIX亀有で上映していたので、『こち亀』取材と『シン・ゴジラ』鑑賞を兼ねて亀有へ出掛けた。

床面ジャック!
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こち亀 全200巻 表紙一挙大公開!!
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こち亀ファンなら、表紙を見ただけで、どんなギャグが飛び出したかが分かるのだろうなあ、などと思いながら、カメラを向ける。
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記念すべき第200巻は改札口前の床面に堂々(???)の登場!
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南口を<取材>。
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改札口を入る。
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改札口内を<取材>。
壁面ジャック!
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階段ジャック!
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エスカレーター手摺りジャック!
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息子に問い合わせてみた。
長男は海外出張中とのことなので、次男に。
「亀有駅で、こち亀、取材して来たんだけど」。
「結構、愛読していました」。
「では、一両日中に、ブログにアップしておこう。一両日中は、両さんとの掛詞やで」。
ということで、こち亀ファンではない小生ではあるが、一時代を画した作品に敬意を表し、そして、息子達も含め、こち亀ファンへのレポートとして、アップロードする次第である。

フォト:2016年7月21日
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by ryujincho | 2016-09-21 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2016年 07月 23日

『前橋、気温24℃』

7月23日(土曜)、曇り。

上野国史跡めぐり。
JR新前橋駅の北方に所在する国府跡、国分僧寺・尼寺跡、総社、東山道跡などをポタリング。

帰路、東へ走り、利根川を渡河、JR前橋駅へ。
群馬県庁に立ち寄り、32階展望台から東西南北の景色を眺める。

北側の窓からの眺望。
眼下に、前橋市街地前橋公園、利根川の流れ。
後背地は右に赤城山の山裾、左に榛名山の山裾。
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猛暑、酷暑で名高い前橋ではあるが、この日の気温は予報では28℃、実際は24℃で、地元の人たちもビックリの涼しさであった。

フォト:2016年7月23日
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by ryujincho | 2016-07-23 23:58 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)