カテゴリ:映画三昧( 31 )


2017年 02月 19日

『映画三昧/マグニフィセント・セブン』

原案『七人の侍』、『荒野の七人』 その魂を受け継ぐ『マグニフィセント・セブン』と冒頭に書かれた看板。
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原題は "The Magnificent Seven"。
近年、原題をそのまま、片仮名表記で邦題とする映画が多い。
配給会社に工夫がないと思うのが常。
ジョン・スタージェス監督、ユル・ブリンナー主演の『荒野の七人』(1960年)の原題も"The Magnificent Seven"。
前作と区別するため、今回の邦題は『マグニフィセント・セブン』としたのであろうと<好意的>に思いたい。

黒澤明監督、三船敏郎主演の『七人の侍』(東宝、1954年)は、筆者6才のときに公開された作品で、公開時リアルタイムでは観ておらず、後年、リバイバルで観た。
因みに、のちにシリーズとなる第一作目の『ゴジラ』も同じ年に公開されているが、これは観た。

余談ながら、2015年、世田谷美術館で開催された『東宝スタジオ展 映画=創造の現場』では「本展では、1954年に公開の2本の映画、東宝の代表作である『ゴジラ』と『七人の侍』に焦点をあて、美術の視点から特殊撮影と東京の時代劇の魅力を探ります」と述べられており、1954年のこの2作は、東宝の歴史において、そして、日本映画の歴史において、更に言えば、世界の映画史上において忘れてはならない作品なのである。
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ストーリーの基本は分かっており、安心して観ていられる。
新作では、基本のストーリーをどう展開するのだろうかという楽しみ方で観た。

特筆すべきは、音楽である。
作曲は、「タイタニック」ではアカデミー作曲賞を受賞しているジェームズ・ホーナー。
映画の前半、仲間がどんどん集まる場面で、エルマー・バースタインの作曲による前作のテーマ音楽の、あの ♪チャン、チャチャチャン、チャチャチャ、チャチャチャン♪ のフレーズを思わせる音楽が流れる。
そして、最後、事が成就し、”Magnicent 7”の文字が現れたときに、前作のエルマー・バースタイン作曲のテーマ音楽そのものが鳴り響いた。
鳥肌が立った。
思わず、拍手しそうになった。

そして、最後、事が成就したときに雇い主の女性が”Magnificent Seven”という言葉で彼らを讃える台詞に対する字幕は「崇高なる七人」であった。
また、鳥肌が立った。
思わず、拍手しそうになった。

この映画は、『七人の侍』と『荒野の七人』に対するオマージュだ。
「崇高なる七人」の言葉は、これら前2作に贈られた言葉でもあろう。
この映画は、『七人の侍』、『荒野の七人』の世代だけが楽しめる仕掛けが随所に散りばめられた作品でもある。
1966年生まれの監督、アントワーン・フークアに拍手!である。

邦題も、原題の片仮名書きである『マグニフィセント・セブン』で納得。
因みに、『七人の侍』の英語タイトルは"The Seven Samurai" である。
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フォト:2017年2月19日、丸の内ピカデリーにて
フォト#4:2015年4月9日、東宝スタジオ表玄関にて(アーカイブより)
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by ryujincho | 2017-02-19 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2016年 09月 22日

『映画三昧/シン・ゴジラ』

『シン・ゴジラ』。
7月29日に公開されて以来、観に行こうか、いや、コンピュータグラフィックのゴジラ映画は絶対に観ない、ゴジラは着ぐるみに限ると固く誓った手前、止めておこう、でも、幼き頃に第1作の『ゴジラ』を観て以来、ずっとゴジラ映画ファンなんだし、どんなゴジラでも観ておかねば、などと、夏の間、ずっと逡巡。

9月13日の某テレビ番組で、能楽師の野村萬斎が『シン・ゴジラ』のモーションキャプチャーでゴジラを演じたときの裏話を語り、加えて、往年のゴジラ着ぐるみ俳優の中島春雄の話も登場。

野村萬斎の話はこうだ。
「人ならざるものの、威厳とか恐怖、畏怖を与えるものという意味で能や狂言の役者がいいんじゃないかということでオファーを貰い、受けた」。
「ゴジラはすり足で演じた。すり足は日本の古典芸能の基本でもある」。
「手のひらは、下向きだと普通の恐竜に思えたので、上向きにして演じた。龍は玉を持っているし、仏像は手のひらを上に向けていることをヒントに、ゴジラの神っぽさを表現するために自分から提案した」。

中島春雄の話はこうだ。
「ゴジラはどんな動きをすれはいいのか。動物園に通い、象や熊などの大型動物の動きを観察。足の裏を見せないで歩くということがわかった。ゴジラの着ぐるみは重さ100kg。着ぐるみの中は60度にもなった。重いし、暑いしで、すり足で歩く以外になかった」。
因みに、中島春雄は1929年生まれだから、第1作の『ゴジラ』(1954年)を<すり足>で演じていたのは25歳の頃、それを観ていた小生は6歳の頃であった。
中島春雄は第1作の『ゴジラ』(1954年)から第12作「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」(1972年)までの18年間、ゴジラを演じていたが、彼の名を知ったのはずっと後のことである。
なお、前述で「ゴジラ着ぐるみ俳優」と書いたが、今は、和製英語であるが、スーツアクターといった方がよいようである。

更に、9月18日付け某一般紙の一面(+二面)のコラム「地球を読む」に「非常時の危機対応 ゴジラにどう立ち向かう」との見出し、「『この国はまだまだやれる』。映画『シン・ゴジラ』の中で、ゴジラ対策の任を負った鑑定の政治家・矢口蘭堂のセリフにホッとした。」との書き出しで、政治学者・御厨貴センセイの投稿も登場。
ゴジラ映画に政治のことを声高に語らせるなとの思いはあるが、それは横に置いて。

で、9月21日、遂に決心(そんなに大袈裟なことではないか?!)、『シン・ゴジラ』を観に出掛けた。
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結論。
まことによく出来た映画だ。

テンポのよい運び、政治家から次々と飛び出る発言に失笑しながら現実と対比して更に笑ってしまう、主人公からは先の大戦での判断ミスを例に大臣を叱責する言葉もあったりで、庵野秀明の脚本は素晴らしい。

ゴジラの動きは、昔は、人が入っていることは承知しているも、あれは中島春雄が入っているんだよ、なんてことは思ったこともないが、今回は、あれは野村萬斎の動きなんだよとどうしても思ってしまうのであった。

そして、<問題>の、上向きの、手のひら。
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いい演出だと思う。

入館前に、これらの写真を撮りながら、何やら違和感を覚えたことがある。
それはゴジラの歯である。
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映画の中でも、歯に関わる台詞が一言、あったと記憶するが、その内容は大したことではなく、忘れた。

過去のゴジラの歯はどうであったか、白く、鋭い歯であったと記憶する。

これまで幾度かゴジラについて綴り、写真と共に、ブログに掲載している。
それらのブログを開き、歯を見比べてみた。
・2008年7月26日付け「上総守が行く!」/「ゴジラ」/小豆島・二十四の瞳映画村のゴジラ看板
・2010年6月5日付け「上総守が行く!」/「伊豆大島ポタリング」/伊豆大島のゴジラ像
・2014年10月16日付け「龍人鳥の徒然フォト日記」/「映画三昧/新作五本+旧作三本、全部纏めて」/日比谷シャンテ前のゴジラ像
・2015年9月8日付け「龍人鳥の徒然フォト日記」/「久しぶりにゴジラのことを(1)」/東宝スタジオ展@世田谷美術館のゴジラ像&東宝スタジオのゴジラ壁画とゴジラ像
・2015年9月9日付け「龍人鳥の徒然フォト日記」/「久しぶりにゴジラのことを(2)」/新宿歌舞伎町のゴジラ像
・2015年9月16日付け「龍人鳥の徒然フォト日記」/「久しぶりにゴジラのことを(3)」/新宿西口公園のゴジラ像

ここでは、ゴジラのことを綴った最初のブログを転載したい。

-----2008年7月26日付け「上総守が行く!」-----

『ゴジラ』。
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第一作が製作されたのは、1954年(昭和29年)。
随分、昔のことです。
今は亡き父、兄、私の三人で見に行きました。
当時、兄は9才、私は6才。
映画好きの父でしたから、ひょっとすると私達以上に父自身が見たかったのかもしれません。

それから30年。
1984年、シリーズ16作目として、第一作と同じ題名の『ゴジラ』が製作されました。
息子達を連れて見に行きました。
当時、息子達は8才と5才。
ひょっとすると、息子達以上に私自身が見たかったのかもしれません。

因みに、第二作目以降は、どちらかというとゴジラは”善”のようなストーリーだったと記憶しますが、第16作は原点に立ち戻り、”悪”のゴジラで、東京湾から上陸したゴジラが、旧日劇跡に建てられて間もない”有楽町マリオン”を破壊する場面が印象に残っています。
今なら、東京湾に現われたゴジラは汐留の高層ビル群を見て、「ありゃ、何だ」と面食らうかもしれません。

余談ながら、1984年版『ゴジラ』は、デビュー間もない頃の沢口靖子さんが出演していました。

フォト:2008年5月4日、小豆島/二十四の瞳映画村にて
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やはり、歯は、白く、太い。
二十四の瞳映画村看板では歯の様子が少々不鮮明なので、2015年の春、新宿歌舞伎町に出現したゴジラに登場して貰おう。
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やはり、歯の形状は、過去のゴジラと今回のゴジラでは大いに異なっている。
その理由は、今のところ分からない。
総監督・脚本、そして、ゴジラ・コンセプ・トデザイナーでもある庵野秀明の意図を調べてみたいと思う。

上陸地について。
いつも興味を持つこと、それは、東京湾に現れたゴジラが何処から上陸するかである。
2008年に綴ったブログでは、今なら、東京湾に現われたゴジラは汐留の高層ビル群を見て、「ありゃ、何だ」と面食らうかもしれません、と綴っている。
今回のゴジラは、多摩川河口から大田区内の呑川を這いずるように遡上し、蒲田で上陸し、北進し、京浜運河から、一旦、東京湾へと姿を消す。
そして、再度、出現し、鎌倉市に上陸、横浜市・川崎市を縦断して武蔵小杉に至る。
武蔵小杉の高層マンション群とゴジラの対比のシーンが印象的である。
ゴジラは、都内進入阻止の防衛線である多摩川を突破し、大田区、世田谷区、目黒区、港区、そして、千代田区丸の内東京駅近くに至るのである。

シン・ゴジラ 豊洲市場を 破壊せり

新作『シン・ゴジラ』を観たあとに捻った川柳である。
某一般紙の時事川柳に投稿したが、今のところ、掲載はなく、選外のよう。

次回作のゴジラの上陸地は豊洲市場地区。
土中の汚染物質をもエネルギーにして、というのは如何だろうか。

『シン・ゴジラ』の「シン」は「新」でもあり、「真」でもあり、「神」でもあるという。
最早、コンピュータグラフィックのゴジラを認めざるを得ない出来栄えの『シン・ゴジラ』であったから、小生にとっては「新・ゴジラ」ということにしておこう。

最後に、2014年10月16日付けのマイ・ブログを引用しておこう。

-----2014年10月16日付け「龍人鳥の徒然フォト日記」(抜粋)-----

日比谷シャンテ前の広場にゴジラが出現していた。
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「このゴジラが最後の一匹だとは思えない。」
    古生物学 山根恭平博士
      1954年11月8日
       GODZILLA

今年はゴジラ生誕60周年なのだ。
小生の心の中にいるゴジラは、終生、1954年製作の『ゴジラ』しかない。

フォト:2014年8月8日、日比谷にて
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『シン・ゴジラ』が現れようと、やはり、ゴジラ映画の原点は1954年に誕生した『ゴジラ』なのである。

おっと、大事なことを書き忘れるところだった。
『シン・ゴジラ』の音楽は、鷺巣詩郎と伊福部昭である。
第1作『ゴジラ』から使われている伊福部昭作曲の、あの「ゴジラのテーマ」は『シン・ゴジラ』でもしっかりと使われているのであった。


フォト#1、2、3:2016年9月21日、MOVIX亀有にて
フォト#4:2008年5月4日、小豆島/二十四の瞳映画村にて
フォト#5:2015年4月29日、新宿歌舞伎町にて
フォト#6、7、8:2014年8月8日、日比谷シャンテ前にて
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by ryujincho | 2016-09-22 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2016年 07月 29日

『映画三昧/鉄塔』

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鉄塔を見ると、思い出す映画がある。
それは『鉄塔 武蔵野線』(1997年公開作品)。
『武蔵野線』といっても、JRの武蔵野線ではない。
送電線の武蔵野線のことである。
少年が自転車に乗って送電線の鉄塔を辿り、鉄塔の真下に手製のメダル(ビンの王冠)を埋めながら、<1号鉄塔>を目指すという物語。

主人公の少年を演じるのは、伊藤淳史。
伊藤淳史は、只今、放送中の朝のNHK連続テレビ小説『トト姉ちゃん』の水田さん役を演じている役者。
伊藤淳史は、1983年生まれ。
映画『鉄塔 武蔵野線』の撮影開始は1995年であったというから、そのとき、彼は12歳の頃。
昔も今も達者な演技である。

フォト:2016年7月29日、手賀沼付近にて
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by ryujincho | 2016-07-29 23:54 | 映画三昧 | Comments(0)
2016年 05月 19日

『丸の内ピカデリー 2016.5.18』

映画を観ることは今も多い。
しかし、TV放映の映画を録画で観ることが殆どであり、映画館に足を運んで観ることが少なくなった。
映画は大画面で観るもの、というのがモットーだったのだが。
直近で、映画館で観たのはいつのことであったろうと手帳を紐解いてみたところ;
・昨年12月2日、『エベレスト3D』、丸の内ピカデリー
・今年3月15日、『エベレスト 神々の山嶺』、日比谷スカラ座
であった。
やっぱり、少ない。

で、久方ぶりに、丸の内ピカデリーへ。
丸の内ピカデリーの2階席前列に座ると大画面を独り占めした感があり、この映画館が好きなのである。
で、観た映画は、これ。
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自宅近くのシネコンと違って、ウィークデーであっても、流石、都心の映画館、客の入りは多い。
ウィークデーだからか、客層は年寄り、いや、シニア層が多い(自分も含めて)。

どんな内容の映画かはほとんど知らずに映画館に入った。
映画は始まり、宮城県で先行公開された理由が分かった。
原作は、歴史学者、磯田道史著『無私の日本人』所収「穀田屋十三郎」。
磯田道史の著書を原作とする映画としては『武士の家計簿』(2010年)に続くもの。
磯田道史は、平成の司馬遼太郎との呼び声が高いとも聞くが、それは司馬さんにも磯田さんにも失礼であろう。
御両氏はそれぞれに歴史観を持っているのだから。
この映画で起用された俳優陣は適材適所、ご愛嬌で原作者自身もちょこっと登場している。
そして、何にも増して、殿様役が良い
殿様役に誰が起用されているかは、敢えて、ここでは言わない。
ということで、プロデューサーに拍手を送りたい。
そして、宿場(吉岡宿)の作りがこれまた良い。
これは、山形県鶴岡市の「庄内映画村」のオープンセットである。

ロビーでの情報。
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俳優・渥美清の奇跡
-没後20年特集上映-
2016.6.11― 6.24 東劇にて
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寅さんが亡くなって、はや、20年が経つのだ。
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上映作品は、"寅さん"以前の8作品。
「あいつばかりが何故もてる」(1962年、松竹、監督/酒井欣也、小山田善六/渥美清、※初主演映画)
「拝啓天皇陛下様」(1963年、松竹、監督/山田洋次、山田正助(ヤマショウ)/渥美清)
「白昼堂々」(1968年、松竹、監督/野村芳太郎、渡辺勝次/渥美清)
「あゝ声なき友」(1972年、松竹、監督/今井正、西山民次/渥美清)
「友情」(1975年、松竹、監督/宮崎晃、矢沢源太郎/渥美清)
「八つ墓村」(1977年、松竹、監督/野村芳太郎、金田一耕助/渥美清)
「沓掛時次郎 遊侠一匹」(1966年、東映、監督/加藤泰監督、沓掛時次郎/中村錦之助、身延の朝吉/渥美清
「喜劇 急行列車」(1967年、東映、監督/瀬川昌治、青木吾一/渥美清)

今、NHK 土曜ドラマ『とっとテレビ』が放送されている。
NHKの往年のテレビ番組、『夢であいましょう』や『若い季節』など、生放送のドタバタが描かれている。
もちろん、渥美清も登場する。
演者は中村獅童、出しゃばることなく、なかなかの好演である。

予告編。
『疑惑のチャンピオン』(原題 The Program)。
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米国人ロードレース選手、ランス・アームストロングの栄光と転落の人生を、英国サンデー・タイムズ紙記者によるノンフィクションをベースに映画化。
ランス・アームストロング選手は、25歳で発症したガンを克服し、1999年から2005年にかけて「ツール・ド・フランス」で7連覇の偉業を達成するも、ドーピング問題で自転車競技界から永久追放を受けた人物。
jitensha 乗りには必見の映画かと。

フォト:2016年5月18日
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by ryujincho | 2016-05-19 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2015年 11月 03日

『ゴジラの日』

今日、11月3日は「文化の日」。
そして、「ゴジラの日」でもある。
東宝映画『ゴジラ』は、1954年(昭和29年)の11月3日に封切られたことによる。
この映画は親父、兄貴と三人で観た。
当時、小生は6歳であった。
以来、ゴジラは大好き。
小豆島・二十四の瞳映画村の『ゴジラ』の看板に感激し、世田谷・東宝スタジオのゴジラに見入り、新宿歌舞伎町に登場したゴジラに喜んだりと、今もゴジラを楽しんでいる。

ゴジラの生まれ故郷、東宝砧撮影所(現・東宝スタジオ)。
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フォト:2015年4月9日、都内世田谷区にて
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by ryujincho | 2015-11-03 05:20 | 映画三昧 | Comments(0)
2015年 09月 16日

『映画三昧/久し振りにゴジラのことを(Ⅲ)』 g-3

第2話で新宿歌舞伎町に登場したゴジラのことを綴った。
その際、歌舞伎町にゴジラが登場したのは4月の何日だったかな?と思い、「新宿 ゴジラ」で検索。
すると、歌舞伎町のゴジラに加え、今、新宿中央公園にゴジラの砂像が登場しているという情報も得た。
これは見ておかなくっちゃと、9月12日、<ドラポタ/江戸府内ポタ>のコースに混ぜて、新宿へと出掛けた。

新宿中央公園/水の広場に現れたゴジラ。
獅子頭風だ。
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左はアンギラスのようだ。
右はミニラだ。
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アンギラスはゴジラ・シリーズの第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)で初登場。
大阪城でゴジラとアンギラスの戦いが繰り広げられた。
幼き頃、この映画を観ながら「大阪城は壊れてしまう」と心の中で思ったことが思い出される。

ミニラはゴジラ・シリーズ第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)で初登場。
日活唯一の怪獣映画『大巨獣ガッパ』(1967年)にも子ガッパが登場する。
こちらの映画は両親+子供のファミリーであるところがユニーク。

キングギドラ。
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キングギドラはゴジラ・シリーズ第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)で初登場。
キングギドラは東宝特撮映画『日本誕生』(1959年)に登場した八岐大蛇をヒントに編み出された悪役怪獣である。

ゴジラ背面の砂像都庁と243mの都庁の図。
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砂像とは。
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砂像とは、砂と水のみで制作された彫刻。
サンドクラフトやサンドアートとも言われています。
芯材などは一切入っていません。
彫刻後、表面の乾燥により砂が流れ落ちるのを防ぐため、定着剤を吹きかけます。
時間をかけて彫刻作業を進めていきます。
砂像の特徴
①表現したいキャラクターや際立たせ、変幻自在の表現、自由な大きさに変更することが可能です。
②誰もが慣れ親しんだ ”砂”をはじめ、自然に優しい素材のみを使用して制作します。
③約2ヵ月~3ヵ月程度の展示が可能です。※天候による
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砂像の説明書きの「③約2ヵ月~3ヵ月程度の展示が可能です」に続いて「※天候による」との注釈が付されている。
この注釈の通り、実は、ゴジラ砂像の台座は崩れていたのである。
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崩れた理由は「9月初旬のゲリラ豪雨で」とあるが、これはゲリラ豪雨ではなく、鬼怒川の決壊をももたらせたあの集中豪雨ではなかろうかと思う。
砂像の修復は簡単であろうが、水害の復旧は長くかかるだろう。
暢気にゴジラを語っている場合ではないが、この場を借りて、お見舞いを申し上げたい。

都庁45階展望台からのゴジラ砂像。
点々と人が見えるのは広場で開かれているフリーマーケット。
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歌舞伎町のゴジラ。
4月29日以来の再会。
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4月のときの方が眼がもっと赤かったように思える。
数ヶ月が経って汚れてしまったのかも。
或いは、光線の具合によるものかも。
4月は午後、今回は午前だったから。
次回は夜のゴジラを眺めてみたいものだ。
夜の歌舞伎町には立ち寄りたくはないが...。

フォト:2015年9月12日

(完)
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by ryujincho | 2015-09-16 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2015年 09月 09日

『映画三昧/久し振りにゴジラのことを(Ⅱ)』 g-2

第1話では、この4月、世田谷美術館で開催された「東宝スタジオ展」や東宝スタジオでゴジラに出会ったことを綴った。
更に、同月、新宿歌舞伎町にゴジラが出現したとニュースで報じられており、新宿にも赴いた。
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4月17日に新宿コマ劇場跡地に建てられた複合商業施設「新宿東宝ビル」がオープン。
その8階屋外テラスにゴジラが頭を覗かせているのであった。
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更に今月26日まで新宿中央公園にゴジラの砂像が登場しているという。
側面や背面にはモスラやミニラ、キングギドラなどのお仲間も彫り込まれているという。
見に行かなくっちゃ...。

フォト:2015年4月29日

(つづく)
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by ryujincho | 2015-09-09 23:35 | 映画三昧 | Comments(0)
2015年 09月 08日

『映画三昧/久し振りにゴジラのことを(Ⅰ)』 g-1

8月末、夏休み最後の子供さん向け番組ということだったのだろうか、「ガメラ平成三部作」がBSで放映された。
「ガメラ平成三部作」とは;
『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)
『ガメラ2 レギオン襲来』(1996年)
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』(1999年)
である。
ゴジラは東宝、ガメラは大映というのが常識ながら、「ガメラ平成三部作」の冒頭に映し出されたロゴマークは<大映>ではなく、あのキラキラ・マークの<東宝>、そして、それに続いて<大映>のロゴであった。

1965年、ゴジラに代表される東宝の特撮怪獣映画に対抗して大映が編み出したのがガメラであった。
その後、大映はガメラを数作製作したが、1971年に倒産し、徳間書店グループ傘下に入り、1990年代に入り、再び、ゴジラに対抗して製作されたのが「ガメラ平成三部作」なのであった。
製作は大映ながら、映画の冒頭にキラキラ・マークの<東宝>ロゴが映し出されたのは配給が東宝であったからなのであった。

大映のガメラの他にも東宝の特撮怪獣映画に対抗して、東映では『怪竜大決戦』(1966年)、日活では『大巨獣ガッパ』(1967年)、松竹では『宇宙大怪獣ギララ』(同)が製作されたが、やはり、特撮怪獣映画は東宝の独壇場で、大映がガメラと大魔神で健闘したという世界であった。
それはそうだろう、東宝は、大映のガメラが登場する10年以上前の、1954年に『ゴジラ』を製作、以来、ゴジラに続き、ラドン、モスラ、キングギドラなどを続々と登場させ、他社の追随を許さない企画力を持っていたのは万人の認めるところであろう。

その証をこの4月、世田谷美術館で開催された「東宝スタジオ展」で見た。
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この展覧会の謳い文句は次の通りであった。
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『東宝スタジオ展 映画=創造の現場』
世田谷は日本のハリウッドだった!
世田谷区砧の東宝スタジオは、1932年に設立された写真化学研究所(通称P・C・L)に始まり、1971年に現在の東宝スタジオへと改称されました。
本展では、1954年に公開の2本の映画、東宝の代表作である「ゴジラ」と「七人の侍」に焦点をあて、美術の視点から特殊撮影と東京の時代劇の魅力を探ります。
また、創立よりスタジオで活躍する様々なクリエイターたち、スタジオで映画製作に携わった美術家や作家なども紹介します。
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この謳い文句の通り、数多ある東宝作品の中でハイライトされたのは「七人の侍」と「ゴジラ」なのであった。

館内ロビーのゴジラ。
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館内ロビーは撮影オーケー。
館内展示場は撮影禁止。

館内展示物をひとつずつ丁寧に見てゆく。
『七人の侍』や『ゴジラ』の予告編を何回も見返した。
そこでこれら二つの作品に幾つかの共通点があることに気づいた。
一つ目は、冒頭にも述べた通り、両作品ともまだ戦後10年も経っていない1954年(昭和29年)に製作されていること。
二つ目は、両作品ともモノクロ、スタンダードであること。
三つ目は、『七人の侍』では島田勘兵衛役として、また、『ゴジラ』では山根恭平博士役として、両作品に志村喬が出演していること。
志村喬といえば、彼が主演した『生きる』(1952年)も挙げておかねばならないだろう。
この映画は何度観ても感動する映画である。
この映画の封切り当時は小生はまだ4歳、リアルタイムでは観ていないが、後年、テレビ放映で幾度か観たのであった。

折角、世田谷美術館まで来たことでもあり、東宝スタジオにも立ち寄ってみることにした。
世田谷通りを歩き、仙川沿いに出ると東宝スタジオが見えて来た。
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壁画のゴジラ。
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正門のゴジラ。
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ゴジラと七人の侍。
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七人の侍/右から二人目が志村喬。
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あのキラキラ・マークの<東宝>のロゴは、ゴジラの生みの親の一人でもある円谷英二の作といわれている。

フォト:2015年4月9日

(つづく)
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by ryujincho | 2015-09-08 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2015年 01月 11日

『ロケ地探訪記/竹原』

NHK朝の連続ドラマ「マッサン」。
年が明け、余市が登場し。
物語は、いよいよ、後半に。

昨年11月、jitennsha を携え、西国行脚。
「マッサン」の故郷、竹原に立ち寄った。
2008年の秋以来、6年ぶりの竹原であった。

夕暮れ時、呉線竹原駅で下車。
早速、改札口の手前でマッサンとエリーちゃんの歓迎を受ける。
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改札口手前から既に「マッサン」一色。
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登場人物。
広島・竹原と大阪・住吉のみ。
北海道・余市は見当たらない。
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物語の舞台。
これには北海道・余市もある。
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マッサンが住吉酒造を辞めてから、住吉酒造のことは回想も含め、とんと登場しない。
あれだけ「優子さん」のことで物語が進んだこともあったのに...。
この辺りが朝ドラの脚本の薄っぺらさかも。

おっと、駅での<取材>が本来の目的ではない。
暗くなる前に、町並み保存地区、趣きある石畳みの町並みの中にあるマッサンの実家へと急ぐ。

夕景/マッサンの実家。
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朝景色/マッサンの実家。
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前夜は、マッサンとエリーちゃんは不在であった。
翌朝、ドラマの放送時間に合わせ、8時丁度に訪ねた。
前日同様、マッサンとエリーちゃんは不在であった。
そら、そやろ、ドラマに出演中なんやから...。

そもそも、今回、竹原を訪れた目的は次のようなことである。
ドラマの冒頭で、マッサンがヨメを連れてスコットランドから竹原に帰って来た時、実家の前の石畳のところで、老人とすれ違い、その老人が振り向くシーンがあった。
これを見て、6年前にここを訪れたなあ、今度はロケ地探訪シリーズの一環として、また、訪ねてみたいなあ、と思ったからである。

このエキストラの老人は地元のお医者さんだそうで、すれ違うときに「おは ようさん」と声を出したら、監督さんから黙っとくようにと叱られたそうな。
素人のエキストラさんでもみんな演技しやはるんやね。
因みに、このご老体、若いとき、脚本家になりたかったとのことで、エキストラ出演が大層うれしかったそうな。
番宣の特番で、ご本人がそう申されて居った。
その気持ちは小生にもよく分かる(その理由はナイショ)。

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竹鶴 政孝。
1894年生まれ、1979年没。
広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)出身。
政孝の実家は、祖母(竹鶴本家9代目当主助右衛門の娘マツ)の代に分家し、製塩業を営んでいたが、故あって、政孝の父・敬次郎が後見として本家に入って酒造業を継ぎ、政孝は分家ながら三男として竹鶴の本家で生まれた。
大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)醸造科にて学び、摂津酒造勤務時代にグラスゴー大学に留学、有機化学と応用化学を学ぶ。
サントリーウイスキーの直接的始祖、ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」といわれる。

竹鶴 リタ。
1896年生まれ、1961年没。
英国グラスゴー近郊にて医師の長女として生まれる。
生名は Jessie Roberta Cowan(ジェシー・ロバータ・カウン)、通称“Rita” (リタ)。
有機化学と応用化学を学ぶためにスコットランドのグラスゴー大学に留学中であった竹鶴政孝と知り合い、1920年に結婚、同年、来日。

ニッカウヰスキー。
1934年、北海道余市郡余市町に、ニッカウヰスキーの前身、「大日本果汁株式会社」創業。
ブランド名の「ニッカ」は同社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが由来。
2001年、アサヒビール株式会社が完全子会社化。

竹原市内も「マッサン」一色。
清酒「龍勢」の藤井酒造の格子戸にも「マッサン」のポスターが。
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マッサン/玉山鉄二:
1980年、京都府生まれ。
直近では、NHK大河ドラマ『八重の桜』(2013年)の山川大蔵役はきりっとしていてよかったのだが...。
今回は、役柄上、仕方がないか...。

エリーちゃん/Charlotte Kate Fox(シャーロット・ケイト・フォックス):
1985年、米国生まれ。
祖母は、エリーちゃんと同様、スコットランド出身という。
朝ドラのヒロイン募集に応募し、選ばれたという。
朝ドラに相応しい清々しい女優さんだ。
彼女の日本語での話し言葉を脚本にするのは大変だろうし、また、日本語に堪能でないにも拘らず、意味を理解し、演技をするシャーロットさんはもっと大変であろうが、素晴らしい。
エリーちゃんの話ことばをベタベタの広島弁や大阪弁にしていないのがなかなかよろしい。
ちょっとだけの大阪弁がなかなかよろしい。

エリーちゃんが歌うスコットランド民謡"The Water is Wide"は前作の「花子とアン」でスコット先生も歌っていたから、被っている。
台所にガス・コンロ云々は前々作の「ごちそうさん」のときにもあったし、これも被っている。
JOAK と JOBK は摺り合わせが出来てないんとちゃうか?と思ったり、いやいや、JOAKとJOBKは旨く連携して、前作、前々作で伏線を張っていたとも思える。
斯様なことを考えながら朝ドラを見るのもまた楽しい。

鴨居の大将/堤真一:
西宮出身だけはあって、大阪弁は上手い。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の鈴木モーターズの社長に似たノリもあってなかなかよろしい。

太陽ワインのポスターのモデル/柳ゆり菜:
誰が探して来たんだろうと思うほどに、「美味 滋養 葡萄酒 赤玉ポートワイン」のあのモデルさんにそっくり。
因みに、ポルトガルの「ポルト」と紛らわしいことから、今は「ポートワイン」ではなく、「スイートワイン」と名を変えている。

森野熊虎/風間杜夫:
映画「蒲田行進曲」(1982年) の銀四郎役のチャラさがよかった。
公開当時、風間杜夫、33歳、今、65歳。
今回の森野熊虎役は、はまり役のよう。
期待!

朝の竹原駅前。
立て看板も幟旗も「連続テレビ小説『マッサン』/竹鶴政孝さんのふるさと ようこそ!たけはらへ」。
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竹原駅線路脇の広告板は「竹鶴酒造/小笹屋竹鶴」ならぬ「ニッカウヰスキー/竹鶴」。
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昨年12月3日付日経朝刊13面に「ウイスキー懐かしの味 ブラックニッカや角瓶、相次ぎ復刻版 ドラマ追い風、ファン開拓」の見出しの記事あり。
アサヒは1月27日に「初号ブラックニッカ復刻版」が、2月24日に「初号ハイニッカ復刻版」が、そして、3月には第3弾の復刻版を発売すると。
サントリーは2月7日に1937年に売り出した角瓶で、味わいやデザインを再現した復刻版を発売すると。
今飲んでいる、サントリーの角瓶と白州から、ブラックニッカ復刻版、ハイニッカ復刻版への乗り換えが今から楽しみである。

小京都 清酒と洋酒が 同居して  霹靂火/いいじゃないの、旨ければ。

紅白は 大河と朝ドラで 成り立てり  霹靂火/大河ドラマや朝ドラを見ていない視聴者も居るのだが。

洋酒党 余市を酔い地と 勘違い  霹靂火/あるちゅーはいまー、に御用心。

ドラマ名 途中で 「エリーとマッサン」に模様替え  霹靂火/マッサンはエリーちゃんに励まされてばっかりやし。

フォト:2014年11月7日、8日
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by ryujincho | 2015-01-11 23:58 | 映画三昧 | Comments(0)
2014年 11月 07日

『映画三昧/ジャージー・ボーイズ』

『ジャージー/ボーイズ』。
7月から9月に掛けて、何度か、映画館でこの映画の予告編を見た。
http://wwws.warnerbros.co.jp/jerseyboys/

9月下旬、カナダを旅した。
ナイアガラのヒルトンホテル前で或る案内を見た。
そのことについて、兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」、10月14日付「秋彩カナダ/ナイアガラ大瀑布/夜景」で縷々綴った。
その抜粋は次の通りである。
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ホテル前のディスプレーに懐かしいグループのショーの案内が次々と現れる。
(中略)
Frankie Valli And The Four Seasons/November 7 & 8
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フォー・シーズンズは、1960年代、フランキー・ヴァリーのファルセットが印象的な「シェリー」で大ヒットしたグループだ。
日本では九重 佑三子+ダニー・飯田とパラダイスキングがカバーしていた。
現在、上映中のクリント・イーストウッド監督作品の映画「ジャージー・ボーイ」はフォー・シーズンズをモデルにしたもので、是非、観たいと思っている。
(中略)
フォト:2014年9月24日、ナイアガラ・フォールズにて
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10月31日、この映画を観た。
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ひとことで申すなら、「流石!クリント・イーストウッド監督や!」である。
映画を観ながらいろんなことを思った。
その幾つかをここに綴っておきたい。

<イタリア移民の子>
フランキー・ヴァリ(Frankie Valli )の本名はフランチェスコ・スティーブン・カステルチオ。
フランキーはフランチェスコから来ているのろう。
或いは、彼が敬愛するフランク・シナトラから来ているのかもしれない。
ヴァリは、彼が敬愛する女性歌手、テキサス・ジャン・ヴァリを由来とするという。
名前に関わる映画の中での会話が印象的である。
「ヴァリ。V・A・L・L・Y だ」。
「Y じゃなくって、I にすべき。VALLI。イタリア系だから母音を大事にしなきゃ。(母音の事例が次々と)」。
「わかった。VALLI だ」。
テレビ映画「ローハイド」のロディ役からマカロニ・ウェスタンに転身し、名を馳せたクリント・イーストウッドはイタリアに思い入れがあることを示しているように思えた。

余談ながら、もう一人のマカロニ・ウェスタンのスター、ジュリアーノ・ジェンマは、マカロニ・ウェスタン初出演のの作品、「夕陽の用心棒」では米国風の芸名、モンゴメリー・ウッドで出演しており、イタリアの名前を捨てている。
「Y じゃなくって、I にすべき。VALLI。イタリア系だから母音を大事にしなきゃ)」の言葉を聞いて、ふと、ジュリアーノ・ジェンマの芸名のことを思い出したのであった。
因みに、クリント・イーストウッドが出演した「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」「『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」は、マカロニ・ウェスタン史上、最高の三部作と位置づけられている。
クリント・イーストウッド出演作品の「用心棒」は「荒野の用心棒」1作だけで、ジュリアーノ・ジェンマ出演作品は「夕陽の用心棒」、「南から来た用心棒」、「星空の用心棒」など「用心棒」作品が複数ある。
これは配給会社が途中から入れ替わったためと記憶する。

話が反れてしまった。
「ジャージー・ボーイズ」に話を戻そう。

<クリント・イーストウッドも登場>
部屋の中のテレビがある。
カーボーイ姿のクリント・イーストウッドがちらっと映る。
「ローハイド」のワンシーンであろう。
勿論、白黒テレビ(昔はモノクロなんて洒落た言い方じゃなく、白黒であった)である。
クリント・イーストウッドの登場で、場内に拍手が湧いた。

監督がちょこっと登場する映画としては、ヒッチコック映画が殊に有名だ。
小生が観たことのある映画では「白い恐怖」(1945年)、「「裏窓」(1954年)、「ダイヤルMを廻せ!」(1954年)、「サイコ」(1960年)、「鳥」(1963年)に登場している。
「サイコ」と「鳥」は中学か高校生の頃、映画館で観たものだが、それ以外は、後年、大人になってからDVDやテレビ放映で観たものである。
製作年からして当然のことではあるが、、、。
ジョン・ヒューストン監督は「天地創造」(1966年)でノア役を演じていたが、これはちょこっとしたお遊び出演以上のものであったかも。
邦画で監督がちょこっと出演した映画を思い出そうとするが思い出せない。
岡本喜八監督であったろうか、本多猪四郎監督であったろうか、、、。

<裏声>
デモ・テープを送った音楽事務所を訪問。
ことごとく門前払い。
一軒の音楽事務所でのこと。
フランキー・ヴァリが一声、唄ったところ、その裏声を聴いて「黒人ならいいんだけどね」と門前払い。
この言葉を聞いて、1950年代、♪オンリー・ユー♪で大ヒットしたプラターズのことを思い出した。
あの頃は、ファルセットなんていうお洒落な言い方ではなく、裏声と言うておった。
アメリカの唄にはファルセットが伝統的にあるようだ。
♪グッドナイト・ベいビー♪でヒットした本邦のコーラス・グループ、キング・トーンズは和製プラターズであったかと。
おっと、フォー・シーズンズのことから脱線しそうだ。
次に進もう。

<フォー・シーズンズのヒット曲、♪シェリー♪誕生の経緯>
この唄はボブ・ゴーディオの作詞、作曲によるものだ。
元々の仲間三人組にボブ・ゴーディオが加わらなければ、誕生しなかったということになる。
というよりも、作詞作曲の才能豊かなボブ・ゴーディオをメンバーに加えたことが成功に繋がったということである。
この唄が日本で流行った頃は、ただの裏声のお兄さんが唄っているという程度であった。
しかし、それからウン十年後に映画を観て、この唄が誕生した経緯を知り、♪シェリー♪がただのヒット曲ではないことを思い知った次第である。

<フランキー・ヴァリのソロによるヒット曲、♪君の瞳に恋している♪誕生の経緯>
この唄は、ボブ・クルー作詞、ボブ・ゴーディオ作曲によるものだ。
映画の中で、フォー・シーズンズが絶頂期の頃、ボブ・ゴーディオとフランキー・ヴァリが他の二人には内緒で「ソロで唄えよ。サキソフォーンを入れた曲を作るから」、「ホーンも入れてくれよな」と会話を交わすシーンがあった。
この曲はホーンもフィーチャーされており、ボブ・ゴーディオはそのときの約束を守ったのであった。

<エド・サリバン・ショー>
エド・サリバン・ショーは本邦でもテレビ放映されていたことがあった。
映画に登場するエド・サリバンの、あのちょっと猫背気味の後ろ姿がホンモノそっくりであった。

<グループ名"The Four Seasons"の名の由来>
ボウリング場のラウンジ演奏のオーディションに落ちたとき、ふと見たボウリング場のネオン・サイン"The Four Seasons"がグループ名となったのであった。
そのときの会話は粋であった。
「いつまでも泥棒をやってる訳にはいかないからな」と字幕に出た。
それまでのグループの名は"The Four Lovers(フォー・ラヴァーズ)"。
"lovers"と"robbers"を引っ掛けたのであろう。
三人組の時代は悪ガキで盗みもやったいたのだから。

映画「ジャージー・ボーイズ」を観たことでもあり、ミュージカル「ジャージー・ボーイズ」について調べてみたようとウィキペディアを紐解いてみた。
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ジャージー・ボーイズ(Jersey Boys ) は、ボブ・ゴーディオ作曲、ボブ・クリュー作詞、マーシャル・ブリックマンおよびリック・エリス脚本によるジュークボックス・ミュージカル。
1960年代、ロックンロール・グループのフォー・シーズンズの結成、成功、解散を脚色したドキュメンタリー・スタイルを採っている。
このミュージカルは四季(フォー・シーズンズ)ごとに場面展開され、それぞれの場面を別のバンド・メンバーがそれぞれの視点によりバンドの経歴や音楽を語り継ぐ。
(中略)タイトルの『ジャージー・ボーイズ』はフォー・シーズンズのメンバー達がニュージャージー州出身であることに由来している。
2005年、ブロードウェイで開幕し、2度の全米ツアーを行なった他、イギリスのロンドンのウエスト・エンド・シアター、ネバダ州ラスベガス、イリノイ州シカゴ、カナダのオンタリオ州トロント、ビクトリア州メルボルンを含むオーストラリア各地、シンガポール、南アフリカ、オランダでも上演された。
2006年、トニー賞においてミュージカル作品賞を含む4部門を受賞し、2009年、ローレンス・オリヴィエ賞においてミュージカル作品賞を受賞した。
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更に読み続けた。
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『Buddy – The Buddy Holly Story 』、『マンマ・ミーア!』の成功後、フォー・シーズンズのオリジナル・メンバーであるボブ・ゴーディオとプロデューサーのボブ・クリューはフォー・シーズンズの楽曲を使い、同様のジュークボックス・ミュージカルを製作することを検討した。脚本にリック・エリスおよびマーシャル・ブリックマン、演出にデス・マカナフを迎えた、、、
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フォー・シーズンズのメンバーの一人で、映画『ジャージー・ボーイズ』の製作総指揮に名を連ねているボブ・ゴーディオは『Buddy – The Buddy Holly Story 』、『マンマ・ミーア!』のミュージカル製作にも携わっていたことを初めて知った(無知であった)。

ミュージカル『Buddy – The Buddy Holly Story 』(初演:1989年)は、20余年前、彼の地に住まいしていた頃、ロンドンのヴィクトリア駅近くの「アポロ・シアター」で観たことがある。
日本での公演について調べてみたところ、1997年に『バディ〜バディ・ホリー物語』の邦題で陣内孝則の主演で日本でも公演されていた。
観たかった。
Buddy Holly はロックンロール草創期に活躍した歌手であり、陣内孝則にピッタリ。
観たかったなあ。
ミュージカル『マンマ・ミーア!』(初演:1999年)は後に映画化され、本邦では劇団四季で上演されていることは申すまでもなきことかと。

フォー・シーズンズを大ヒットに導いた影の立役者、ボブ・クルー(ウィキペディアでは「クリュー」となっているが、映画では「クルー」と字幕にあったので、ここでは「クルー」と表記する)についても触れておかねばならない。
彼はフォー・シーズンズの♪シェリー♪をはじめとする数々のヒット曲を世に送り出したプロデューサーにして作詞家でもある。
フランキー・ヴァリがソロで唄い、ヒットした♪君の瞳に恋してる♪などを作詞。
本年9月11日、死去。享年83歳。合掌。

フィクション、ノン・フィクション、ボブ・ゴーディオとフランキー・ヴァリは映画の製作総指揮に名を連ねているので、ほぼノン・フィクションと思いたい。

今日は11月7日。
ナイアガラで Frankie Valli And The Four Seasons の唄声が流れる日だ。



フォト#1:2014年9月24日、ナイアガラ・フォールズにて
フォト#2:電脳網にて検索借用
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by ryujincho | 2014-11-07 05:01 | 映画三昧 | Comments(0)