龍人鳥の徒然フォト日記

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カテゴリ:秩父の旅( 13 )


2017年 05月 21日

『長瀞ラインくだり(四)』 nt-4

5月18日、晴れ。
三峯神社参拝のあと、長瀞ラインくだりを楽しむ。

長瀞ラインくだり。
親鼻橋乗船場から長瀞乗船場までを下る。
秩父鉄道荒川橋梁の煉瓦造りを愛で、急流の波しぶきを愛で、清流を愛で、奇岩を愛で、舟下りを楽しんだ。

岩畳乗船場で下船。
土産物店の通りを歩く。
この通りは「岩畳通り」というそうだ。
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岩畳通りをツバメが飛び交う。
ラインくだりの舟に乗船するときに、親鼻橋の上空で群れ飛ぶツバメを見た。
岩畳通りを飛び交う一羽が土産物店の軒先に飛び込んだ。
野鳥を追い掛けるのは本位ではないが、折角の機会なので、<長瀞鳥見>をさせて貰うことにした。

軒先にとまるツバメ。
ようこそ、元気に南から。
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更に、1羽が軒先に。
小枝らしきものをくわえている。
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小枝をくわえて、営巣中の巣へ。
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体の向きを変えて、小枝を巣に据える。
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巣の先端が気になるのか、手直しを始める。
手で直すのではなく、くちばしで直すのだから、「手直し」ではなく、「くちばし直し」に言い方を訂正。
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こうやって、小枝や泥を何度も運び、営巣するのである。
健気である。

秩父鉄道長瀞駅前/ラインくだり案内所。
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静かな流れ。
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急流。
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この急流の写真を見ると、我々の乗船時に比べ、相当に水量が多い。
急流というよりも激流であったかもしれない。
我らには、激流よりも急流が丁度いい。

記憶を辿るに、長瀞を訪れたのは1975年の秋以来のことである。
1975年の夏、関西勤務から東京勤務となり、引越しして来て間もない頃、宝登山神社に参拝し、長瀞ラインくだりを楽しんだ。
宝登山神社は、秩父神社、三峯神社と共に、秩父三社の一社であり、今回、秩父神社と三峯神社に参拝したことで、42年ぶりに秩父三社の参拝が叶ったこととなる。

42年ぶりの長瀞ラインくだり、いいところに連れて来て貰った。
三峯講二代目講元に感謝!である。

旅はまだ続くが、「長瀞ラインくだり」の巻はこれでお終い。
次は、川越へ。

フォト:2017年5月18日

(完)
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by ryujincho | 2017-05-21 23:34 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 21日

『長瀞ラインくだり(三)』 nt-3

5月18日、晴れ。
三峯神社参拝のあと、長瀞ラインくだりを楽しむ。

長瀞ラインくだり。
親鼻橋乗船場から長瀞乗船場までを下る。
秩父鉄道荒川橋梁の煉瓦造りを愛でる。
一つ目の急流が現れる。
ビニールシートを被ったり、外したりしながら、急流を楽しむ。
それを過ぎると、静かな流れに。
次に、二つ目の急流が現れる。
この急流は結構長い。
ビニールシートを被ったり、外したりしながら、急流を楽しむ。
二つ目の急流を乗り切り、再び、静かな流れに。
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左の岩を大きく回り込み、静かな流れの中を更に進んで行く。
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左、岩の角を曲がると、彼の有名な「岩畳」がずっと続く。
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岩畳に観光客の姿が。
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遠足の子供たちの姿も。
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崖の上に人影は、先日、録画で見た超リバイバル映画『帰らざる河』(1954年)のワン・シーンを思い出させる。
それは、主人公らを乗せた筏が急流を下る、それを断崖の上からインディアン(今では「ネイティブ・アメリカン」と呼ぶべきであるが)が見下ろすというシーンである。
崖の上の小学生から「おっちゃん、ちょっと、映画の見過ぎと違う?」と言われそうだが...。

「瀞」を間近に眺める。
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「瀞」(とろ、どろ)とは、河水が深くて流れの静かなところ(広辞苑)。
全体的には「瀞」であったも、時には急流もある。
岩の形や位置によって、小さな渦を巻くところもある。
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静かな流れに棹をさす。
静かな流れの中を進んで行く。
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前方、右に黄色いゴムボートらしきものが見える。
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ズーム・アップ!
乾舷に"RAFTING"の文字が見える。
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長瀞はラフティングのメッカである。
インターネットで検索すると、「長瀞/荒川でラフティング」と題し、豪快なラフティングの写真と共に、こんな紹介記事があった。
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長瀞は、荒川上流部に位置する渓谷で、国指定の名勝・天然記念物に指定されているほか、埼玉県立長瀞玉淀自然公園にも指定されている風光明媚な渓谷です。
埼玉県秩父郡長瀞町にあります。
荒川ライン下りと岩畳(特別天然記念物)が有名で、カヌーやラフティング、キャンプを楽しむアウトドア趣味のメッカとなっています。
長瀞は、変化に富んだ水の流れが大きな魅力。
荒川の急流が刻んだ岩畳の中をゆったりのんびりと、ときにはスリリングな早瀬のホワイトウォーターも! 
アクティブに水と遊ぶ長瀞が、いま大人気です。
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ゴールの、長瀞乗船場が近づいて来た。
岩畳上船場から更に下流の高砂橋乗船場へ向かうコースの舟が流れを下って行く。
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岩畳上船場が見えて来た。
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しばし、岩畳乗船場出発組の舟の棹さばきを見物。
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岩畳乗船場で下船。
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岸から、下流へ下って行く舟とラフティングボートを見送る。
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山、緑、川、舟...。
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フォト:2017年5月17日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-21 23:33 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 21日

『長瀞ラインくだり(二)』 nt-2

5月18日、晴れ。
三峯神社参拝のあと、長瀞ラインくだりを楽しむ。

長瀞ラインくだり。
親鼻橋乗船場から岩畳乗船場までを下る。
秩父鉄道荒川橋梁の煉瓦造りを愛で、一つ目の急流を楽しむ。
一つ目の急流を過ぎ、静かな流れにを楽しむ。
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カヤックで遊ぶ人たち。
うらやましい。
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ハリポタの盟友、六々さん所有のカヤックで遊んだこともあう。
マイ・フィールドの手賀沼で乗ってみようかとも思い、アウトドアの店、mont-bell や WILD-1で、ARFEQ 製VOYAGER 460Tを候補にして購入を検討したこともあるが、諸般の事情で購入計画は頓挫した。

静かな流れを行く。
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二つ目の急流に近づく。
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タイミングを見計らって、ビニールシートを被る。
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ビニールシートを膝まで下ろし、流れを楽しむ。
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この二つ目の急流は結構長い。
先ほど、一度、急流に突っ込み、波を被ったが、続いて、二度目の突っ込みが予想される白い流れが見えて来た。
タイミングを見計らって、再び、ビニールシートを被る。

下船後、分かったことだが、こんなことがあった。
次男坊夫婦は後続の舟に乗っていた。
波がどういう動きをしたのかは不明ながら、ビニールシートを被っていたにも拘らず、次男坊の座っていたところに波が直撃し、次男坊は”水も滴るいい男”に。

ということで、この次男坊スプラッシュ・アトラクション事件の<記念>として、先発の舟ではあるが、ビニールシート越しに撮った、この急流シーンでの連続写真を全て駆使し、<ノーカット版>て再現しておきたい。
掲載枚数が多く、、少々くどくなるが、ご容赦願いたい。
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うわぁー、岩にぶつかるぅーっ!
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角度的に、岩にぶつかりそうに見えるだけで、もちろん、セーフ!
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こうやって、急流を下る連続写真を眺めてみると、白い波の形や動きがどのように変化しているかがよく分かる。
次男坊はビニールシートを被っていたにも拘らず、大波を被ったとのこと。
どんな形の、どんな動きをした波かは想像がつかないが、波もまた<自然の驚異>のひとつである。

急流を乗り切り、静かな流れに。
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左の岩を大きく回り込み、静かな流れの中を更に進んで行く。

フォト:2017年5月18日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-21 23:32 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 21日

『長瀞ラインくだり(一)』 nt-1

5月18日、晴れ。
三峯神社参拝のあと、長瀞ラインくだりを楽しむ。

長瀞ラインくだり。
親鼻橋乗船場。
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親鼻橋の上空をツバメが舞い飛ぶ。
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見えないって?
では、鳥見ング(トリミング)加工して。
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岩畳乗船場へ向け、出発。
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秩父鉄道荒川橋梁。
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煉瓦造りの橋脚。
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煉瓦造り、大好き!
<煉瓦造りコレクション>。
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楕円形の橋脚を、超アップで。
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秩父鉄道荒川橋梁について調べてみた。
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秩父鉄道荒川橋梁
上長瀞駅 - 親鼻駅間で荒川(長瀞渓谷)を渡河。
全長153メートル、荒川本流の最も上流に架かる鉄道橋。
橋脚高さ、約20メートル。
秩父鉄道の前身、上武鉄道の時代の、1914年(大正3年)に架設。
橋梁は汽車製造製。
(出典:ウィキペディア(抜粋))
-----------------------------

橋梁は「汽車製造製」とある。
これは汽車製造株式会社(1896-1972)のことである。
汽車製造株式会社は、1896年(明治29年)に井上勝らによって設立された汽車製造合資会社を前身とする。
井上勝は、幕末に活躍した長州五傑の一人で、明治維新後は、官僚として、また、民間人として、日本の鉄道の発展に寄与したことから「日本の鉄道の父」と呼ばれた人物である。
都内ポタリングの中、自転車倶楽部、ドラポタの盟友、武衛さんの案内で、品川の東海寺大山墓地内にある井上勝の墓に参ったことがある。
墓所のすぐ傍を東海道新幹線が通っており、井上勝は日本の鉄道の父、これも何かの縁なのだろうなと思ったことがある。
汽車製造株式会社は、1972年に我が旧仕官先と合併したこともあり、秩父鉄道荒川橋梁に親しみを覚えるのであった。

橋梁の次は、橋脚について。
橋が大好きと思しきブロガーさんが綴ったブログなどから次のようなことが分かった。
---------------------------------
橋脚は楕円形の煉瓦製4段積み。
現在は橋脚の最上部1段はコンクリート製、下部3段は煉瓦造りとなっている。
煉瓦の積み方はイギリス積み。
橋脚の一部は花崗岩で補強されている。
橋脚に使われている煉瓦は、大宮町(現在の秩父市)への路線延長には、渋沢栄一の経済的な支援があったので、おそらく日本煉瓦製造(埼玉県深谷市)の製品と推測される。
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煉瓦について。
当時の煉瓦製造会社としては、日本煉瓦製造、品川白煉瓦、大阪窯業東京工場などがあった。
日本煉瓦製造の工場は埼玉県榛沢郡上敷免村(現在の深谷市上敷免)にあったことから、地理的には荒川橋梁の工事現場に近いこと、日本煉瓦製造や秩父鉄道に関わりのある渋沢栄一の存在があったこと、更に、同時期に架橋された秩父鉄道黒谷川橋梁の煉瓦に日本煉瓦製造の工場名を示す「上敷免製」の刻印があることなどから、荒川橋梁の煉瓦は日本煉瓦製造製と考えるのが妥当かもしれない。

橋の話が長くなってしまった。
長瀞ラインくだりの流れに話を戻そう。

一つ目の急流。
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タイミングを見計らって、席に準備されたビニールシートを被る。
ビニールシートで波しぶきを上手くかわすのだ。
ビニールシート越しにシャッターを切る。
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波を被る恐れはなくなった。
ビニールシートを膝の上まで降ろし、シャッターを切る。
先ほどまで乾いていた舟縁(ふなべり)や底板が波しぶきで濡れている(船頭さんの足元に注目)。
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急流はひとつでは終わらない。
長瀞ラインくだりは、まだまだ続く。

フォト:2017年5月18日

(つづく
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by ryujincho | 2017-05-21 23:31 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/朝日の中の散策(下)』 mj-8

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

二日目。
早朝に起床し、ご来光を拝み、雲海を楽しみ、午前7時の昇殿参拝、朝餉を終え、出発時間まで再び境内を散策。
これで、前日の霧中散策、翌朝の早朝散策につづく、三度目の境内散策となる。
三度目の境内散策の主な目的は、朝日の中の<狛狼>を眺めることであった。

前日の霧中散策は、遥拝殿(見晴台)近くの鳥居から随身門を抜け、社殿に向かったことでもあり、同じ参道を辿ることとした。

遥拝殿(見晴台)近くの鳥居脇の<狛狼>像や随身門脇の<狛狼>像をめぐり、更に参道を進む。

参道で狛犬コレクション。
右、<狛狼>阿形像。
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左、<狛狼>吽形像。
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阿吽形、両方とも端正な顔立ちである。
阿形像は口を開き、厳しい表情であるが、何処か大人しげな感じもする。
前日は気づかなかったが、阿形の口を見ると「犬歯」がない(見えていない?)。
これが厳しい表情を和らげているのかもしれない。
一方、吽形像の口を見ると「犬歯」が僅かに覗いている。
しかし、厳しさを増すほどには覗いておらず、程よくという感じである。
これが厳しい表情を和らげているのかもしれない。

吽形像の左横顔を見ながら、気づいたことがある。
それは、たてがみ(といってよいのだろうか。人間でいうところの、もみあげ)が僅かに赤く見える。
阿形像はどうだろう?と思い、今一度、見てみたがその形跡はない。
赤い色は光線のせいであろうか、苔が変色したのであろうか、それとも当初は彩色が施されていたのであろうか...。
余り考えると「地下鉄の電車は何処から入れたのでしょう」状態になるので、考えないこととする。

社殿に向かう石段に至る。
石段、中ほどの左右に<狛狼>が鎮座。
石段で狛犬コレクション。

右、<狛狼>阿形像。
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左、<狛狼>吽形像。
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つい、先ほど、朝7時の昇殿参拝で、拝殿内に鎮座する阿形像、吽形像の<狛狼>を目にした。
拝殿内の<狛狼>とこの石段の<狛狼>は、耳の長さや体躯のしなやかさよく似ているように思えた。
似ているように思えた。
唯一、異なるのは、拝殿内の<狛狼>は真っ白な体躯、耳の内側と口は真っ赤ということである。

拝殿。
つい、先ほど、朝7時の昇殿参拝を終えたばかりである。
拝殿の中の様子が目に浮かぶ。
既に参拝客の姿も。
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こうして、一泊二日の三峯神社参拝を終えた。

最後に、三峯神社の「峯」という文字、そして、鳥居と<狛狼>について、触れておきたい。

「峯」という文字について。
我がパソコンでは、「みつみねじんじゃ」を漢字変換すると「三峰神社」となる。
だが、ホームページでは「三峯神社」となっており、「峰」ではなく、「峯」が使われている。
一方、地名や駅名、山の名などは「三峰」となっており、「峰」が使われている。
三峯神社の境内では、「三峯」のほか、「三峰」、更に「参峰」(「参峯」ではない)の表記も散見された。
今回、ブログを綴るにあたっては「峯」に統一して使った。

ということで、この機会に、「峯」、「峰」、「嶺」の文字について調べてみた。
広辞苑を紐解くと、[峯]はなく、[峰・嶺]となっている。
-----------------------------
[峰・嶺]
①山のいただきのとがった所。山頂。ね。
②物の高くなった所。
③刀剣の歯の背。棟(むね)。
④烏帽子の頂上。
⑤櫛の背。
------------------------------

更に、インターネットで検索してみる。

調べ/その1/デジタル広辞林:
この辞書における「みね」は[峰・嶺]となっており、意味は広辞苑と同じである。
但し、「み(御)」は接頭語との説明があり、これはベンキョーになった。

調べ/その2/デジタル大辞泉:
この辞書における「みね」は[峰・峯・嶺]となっており、意味は広辞苑や大辞林とほぼ同じである。
但し、《「み」は接頭語。「ね」は山の頂。山を神域とみていう語》との説明があり、これはベンキョーになった。

調べ/その3/Yahoo!知恵袋(抜粋+アルファ):
-----------------------------------
「みね」には、「峰」、「峯」、嶺」がある。
常用漢字は「峰」だけである。。
人名用漢字には「峰」、「峯」、「嶺」の3字体がある。
「峯」は「峰」の異体字である。
異体字とは、標準字体と同じ意味・発音を持つが、表記に差異がある文字のこと。
「峯」の方が「峰」より先に生まれたのに異体字とは奇妙ではあるが、標準字体に対し異体字(旧字体ではない)ということである。

「峯」は、神が降りてくる神木のある山、神がかり、神秘的なことに出逢う場所を表した漢字である。
「夆」は、神の領域にある「鉾杉」や「神杉」のようなまっすぐ伸びた木の秀つ枝(ほつえ=上の方の枝)に、神が降ってくる形である。
「丰」が秀つ枝で、「夂」が上から降るときの後ろ足の形なのである。
そのような木のある山を「峯」といい、そのような神霊に遭遇することを「逢」という。

「嶺」は「やまへん」と「領」から成り立っており、「領」はひざまずいて神意を聴き入る姿や、服の襟首という意味で、ひざまずいたり、襟首というのは、一段低い格好や場所であるから、「嶺」は山頂に対していわば「肩」の部分、山頂より低い場所を表している。
--------------------------------------

「嶺」は山頂より低い場所を表している、とある。
一方、広辞苑や広辞林、大辞泉では「峰」、「峯」、「嶺」は同義語とされているので、矛盾する。
だが、「峯」と「嶺」が同じ時代に使われていたとするなら、前者は山頂、後者は山頂より低い部分を指す文字で、山の部位をきちっと区別して使われていたとも考えられる。
これについては今後の課題とする。
そして、「峯」が「峰」に、いつ、変じたのかも今後の課題とする。

ということで、少し疑問は残るが、今回の調べで、「峯」という文字は神が降りてくる神木のある山を表す文字であることが分かった。
「峯」、スタイリッシュでいい文字である。

鳥居と<狛狼>について。
今回の三峯神社参拝で、3基の鳥居と1基の随身門、6対の<狛狼>を見た。
(1)三峯神社下、駐車場近くの、三ツ鳥居と<狛狼>1対。
  車窓から、写真はなし。
  ※三ツ鳥居とは、明神鳥居とその両脇に小規模な鳥居を組み合わせた鳥居様式。
(2)遥拝殿(見晴台)近くの鳥居と<狛狼>1対。
(3)随身門と<狛犬>1対。
(4)参道中ほどで、<狛狼>1対。
(5)拝殿に向かう石段の中ほどで、<狛狼>1対。
(6)拝殿前の鳥居。
(7)拝殿内の<狛狼>1対。

鳥居はこのほか、下界の国道140号線沿い、大輪地区の表参道入口(標高370m)に”一ノ鳥居”があるという。
この”一ノ鳥居”の脇には<狛狼>が鎮座していると思われる。
更に、奥ノ院およびその途中にも鳥居や<狛狼>があるのではないかと想像する。
機会あれば、それらも見てみたい。

旅はまだまだ続くが、「三峯神社参拝」の巻はこれでお終い。
次は、長瀞ライン下り、そして、川越へ。

フォト:2017年5月18日

(完)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:38 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/朝日の中の散策(上)』 mj-7

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

二日目。
早朝に起床し、ご来光を拝み、雲海を楽しみ、午前7時の昇殿参拝、朝餉を終え、出発時間まで再び境内を散策。
これで、前日の霧中散策、翌朝の早朝散策につづく、三度目の境内散策となる。
三度目の境内散策の主な目的は、朝日の中の<狛狼>を眺めることであった。

前日の霧中散策は、遥拝殿(見晴台)近くの鳥居から随身門を抜け、社殿に向かったことでもあり、同じ参道を辿ることとした。

遥拝殿(見晴台)近くの鳥居。
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前日の霧中散策では気づかなかったが、左右の高台に<狛狼>が鎮座なさっていた。
御無礼仕りましたと、これまでに撮った<狛狼>以上に、念入りに写真を。

狛犬コレクション。
右、<狛狼>阿形像/その1。
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右、<狛狼>阿形像/その2/横顔。
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左、<狛犬>吽形像/その1。
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左、<狛犬>吽形像/その2。
左目は金色っぽく見える。
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アップで。
やはり、金色だ。
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更にアップで。
左目のみならず、右目にも金色の名残りが。
建立時は両眼とも金色だったのだ。
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この一ノ鳥居の<駒狼>は趣き深いものを感じさせる。
長い間、風雪に耐えて来たことは、ひと目で分かる。
それが趣き深いものを感じさせるのであろう。
丸顔の<駒狼>に親しみを覚える。

参道を進み、随身門へ。
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随身門。
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扁額コレクション。
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狛犬コレクション。
右、<狛狼>阿形像。
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左、<狛狼>吽形像。
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前日、霧中散策の中で、この随身門脇の<狛狼>を見て、その印象を次の通り綴った。
---------------------------------------
通常、狛犬の表情は、吽形像より阿形像の方が厳しく見える。
だが、この<狛狼>は吽形像の方が厳しい表情に見える。
これは、阿形像、吽形像の「犬歯」の作りの違いによるものかもしれない。
-----------------------------------------

その翌朝、こうやって、再び、この随身門脇の<狛狼>を見ているのであるが、やはり、この<狛狼>に限って、吽形の方が厳しい表情に見える。

随身門を抜け、参道を進む。
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フォト:2017年5月18日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:37 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/昇殿参拝』 mj-6

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

二日目。
早朝に起床し、ご来光を拝み、雲海を楽しんだ。
温泉に入り、昇殿参拝前の禊をする。

朝7時の昇殿参拝は、通常の昇殿参拝とは異なるものであることを知った。
朝夕の「日供祭(にっくさい)」の朝の部のときに昇殿し、参拝というものであった。
日供祭は、毎日、朝と夕に祭神にお供え物をする祭祀で、祭神に召し上がっていただくお供えを行うと共に、氏子や崇敬者の安寧を祈るというものである。

昇殿参拝の刻限、午前7時となる。
拝殿へと向かう。
5月半ばとはいえ、標高1100メートル、早朝の気温は10度以下。
着るものをしっかりと着て。

昇殿参拝時の写真はない。
記憶を辿りながら、その様子を綴っておきたい。
記憶を辿っての記述なので、記憶違いがあれば、ご容赦願いたい。

宿舎の興雲閣から渡り廊下を歩き、拝殿へと向かう。
途中、手水場があり、手水を使う。
手水場の端に紐で手拭き用の和紙が吊るされている。
手拭いがぶら下げられている手水舎は時折見掛けることがあるが、手拭き用の和紙というのは初めてだ。
手水舎にぶら下っている手拭いを使ったことはないが、手拭き用の和紙は使わせて貰った。

拝殿に入る。
床机椅子がずらっと置かれている。
二代目講元一行、総勢20数名は真ん中の席に。
その他に、家族連れが左右の席に数組。

拝殿の外扉は開かれている。
扉からの冷気が足元を流れて行く。
冬は無理だな、初夏から秋までだなと思いながら、拝殿内の冷気、否、神気を楽しむ。

拝殿中央には祭神が祀られているのであろう(じっと見ると罰当りとなるので、見ず)。
その左右に眷属の阿形の狼、吽形の狼が鎮座。
狼は真っ白、耳の内側と口の中は真っ赤、耳は後ろにたなびくように長い。
更にその外側の左右に、男神であろうか、衣冠束帯姿の像が鎮座している。

渡り廊下の方で太鼓の音が響く。
神官が現れた。
祭神に向かって、右に一人、中央に一人、左に三人の神官が座す。
右に座した一人の神官が、阿形の狼像の前に置かれた大きな太鼓を叩く。
大きな太鼓を叩くリズムは木魚を叩くリズムによく似ている。
神仏習合の時代があったことを思わせるリズムである。
太鼓に合わせ、神官全員で禊払い、大払いが唱和される。
法事のとき、坊さんがお経を唱和するときの響きに何処となく似ている。
これも神仏習合の時代あったことを思わせる。
つづいて、神官から参拝者に対し清めの言葉があった後、大幣(おおぬさ)が左右左と振られ、お祓いを受ける。
つづいて、祝詞の奏上が行われる。
つづいて、右に座した三人の神官が奏する笛や太鼓に合わせ、神楽が舞われる。
この神楽は二代目講元をはじめとする我ら一行の講からの奉納によるものである。
つづいて、二代目講元と副講元が玉串を奉納。
席にいる我らも立ち上がり、講元の二礼二拍手一礼に合わせ、同様に二礼二拍手一礼し、参拝。

最後に、祭主からの挨拶を頂戴し、昇殿参拝を終えた。
渡り廊下の方で太鼓の鳴り、神官は下がり、つづいて、我らも。
拝殿内に元の静けさが戻った。

造船業に携わっていた者として、その仕事柄、起工式や入魂式で神事を間近に見て来たこともあり、この日の祭祀は誠に興味深いものがあった。
昇殿参拝は、仕事柄、顧客と共に金比羅宮で、あるいは、プライベートでは熊野速玉大社で行ったこともある。
また、伊勢神宮では垣内参内を行ったこともある。
何れの参拝も甲乙をつけるものではないが、今回は「日供祭」、そして、冷気漂う早朝の参拝でもあり、今回の三峯講昇殿参拝は誠に印象深いものとなった。

拝殿内の設えについて記しておこう。
上述の通り、正面に祭神、左右に眷属の狼像、更に左右に衣冠束帯姿の男神が安置されていた。
そして、拝殿外側に施された極彩色の彫刻と同様に、拝殿内にも極彩色の彫刻が施されていた。
三峯神社の建物は皆、新たに築造されたものではないかと思わせるくらいに見事な色彩を放っているが、建物は江戸時代のもので、昭和の大修理、平成の大修理を重ね、今の姿となっているとのことである。
拝殿内は、一時期、彫刻の代わりに絵になっていたこともあるが、その後、彫刻が復活したとのことである。

こうして昇殿参拝を終えた。
二代目講元をはじめ三峯講の一行の皆さんは心を新たにされ、清々しい表情。
宿舎の興雲閣に戻り、朝餉を頂戴した。

日供祭、昇殿参拝の様子は記憶を辿ってのものであり、一部、記憶違いがあればご容赦願いたい。

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:36 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/早朝散策(下)』 mj-5

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

二日目、早朝、遥拝殿(見晴台)から、彼方の雲を微かに赤く染めるご来光に手を合わせる。
そして、雲海を眺め、楽しむ。

前日と同様に、日本武尊像と摂社末社の前を通り、宿舎へ。

前日、霧の中に微かに姿を見せていた日本武尊像を丘の下から眺める。
「どこに見えるかって?真ん中の杉の木の左側」。
これは第3話で霧の中に立つ日本武尊像を掲載したときのキャプションであったが、さて、今回は?
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ミツバツツジと共に。
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ご尊顔をアップで。
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摂社末社。
前日は霧の中に並び、翌朝は朝日の中に並ぶ、さて、どちらの景色がよかろうか...。
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これらの摂社末社についてのh詳細は、第3話で縷々述べた通りである。

社殿前の鳥居と燈篭。
燈篭にはまだ灯りが。
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社殿前の石段にはまだ通行止めの柵が置かれたまま。
時計を見ると、丁度、5時。
拝殿の扉はまだ閉じられている。
拝殿の扉が開き、参拝が出来るようになるのは6時からかもしれない。
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ご来光を拝み、そして、雲海に出遭い、喜ばしい限りの早朝散策であった。

この日の朝の最も大事なこと、それは、朝7時からの昇殿参拝。
昇殿の前に、温泉に浸かり、禊をするのが決まり事とのこと。
禊の歴史を紐解いてみたところ、「『記紀』によるとイザナギノミコトが黄泉 (よみ) 国から帰ったとき,筑紫日向の橘の小戸 (おど) の檍原 (あはぎはら)の流れで禊をしたのに始るとされる」とあった。

宿舎の興雲閣に戻り、温泉に浸かる。
禊は勿論のことだが、標高1100メートル、5月半ばとはいえ、気温は10度以下、早朝散策で体は冷えてしまっており、体を温めるのに温泉が丁度いい。、
興雲閣の湯は、源泉名を大滝温泉三峰神の湯といい、泉質はナトリウム-塩化物泉。
聞くところによると下界の源泉からトラックで湯を運んでいるとも。
いずれにせよ、誠に結構な湯である。

昇殿参拝の刻限となる。
拝殿へと向かう。

フォト:2017年5月18日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:35 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/早朝散策(上)』 mj-4

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

初日の奥ノ院参拝は霧のため中止。
霧の境内を散策。
初日の夕食時、禰宜さんから、条件が整えば、雲海を見ることが出来るれるとの話があった。
翌朝の天気次第だが、東京地方の日の出は4時30分頃、ご来光を拝もうと思っていたことでもあり、これに、ひょっとしたら、雲海見物のチャンスもあることとなった。

二日目、朝4時起床。
窓の外を見る。
空に雲が広がっているが、晴れ基調。
前日の散策のスタート地点でもあった遥拝殿(見晴台)へと向かう。
前日は霧が立ち込め、何も見えなかったが、さて、今朝はどのような景色を見せてくれるのだろうかと思いながら...。

4:29、遥拝殿(見晴台)に立つ。
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先日とはまったく別の景色であった。
空には雲が広がっているが、下界は雲海といってよいだろう。

雲海を、そして、その動きを眺めながら撮った写真は、午前4時29分から4時51分の間の22分間で26枚。
その中から<厳選>して時系列でアップロードしておこう。

4:31、前日の、濃い霧が立ち込め、手前の木立しか見えなかった風景とは打って変わって...。
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4:34、崖の道。
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4:35、雲海。
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4:39、山肌に沿って雲海が上っていく。
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4:45、気温が僅かに変化したのであろうか、雲海が少し薄くなったような...。
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4:48、彼方の雲がうっすらと赤く朝日に染まる。
ご来光に二礼二拍一礼。
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4:50、雲海は徐々に薄くなって来る。
「今日は晴れ!」との兆しを示すかの如く、彼方の空は徐々に明るさを増して来る。
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4:51、明るい空に向かって、もう一度、二礼二拍一礼。
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雲海を見るのは、2013年秋の乗鞍岳、2014年秋の高峰高原以来のことであった。
乗鞍岳と高峰高原は、自転車で上まで登るのは至難の業というか苦手(ヒル・クライムが得意な人もいるけれど)、自転車を携行し、バスで頂上まで上がり、そこから下界へ向かって下るというもの。
乗鞍岳は畳平(標高2702m)から乗鞍高原(約1500m)まで、高峰高原は車坂峠(1973m)から小諸市内(675m)まで。
こうしたことを我が自転車倶楽部の仲間内では、「下りま専科」と称している。

今回の三峯神社参拝で、三峰神社(標高1102m)から二瀬ダム(約550m?)までの間、「下りま専科」コースだなあと思うも、狭い道幅からして、(そして、年齢からして)、これは無理もしれないなあ、とも思った。

話が反れてしまった。
秩父の雲海、いいものを見せて貰った。

フォト:2017年5月18日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:34 | 秩父の旅 | Comments(0)
2017年 05月 20日

『三峯神社参拝/霧中散策(下)』 mj-3

5月17日(水曜)、曇り、18日(木曜)、晴れ。
三峯講の講元である極々近しい人から誘われ、一泊二日の三峯神社参拝の旅に出掛けた。
初日は、奥ノ院参拝、三峯神社興雲閣泊、二日目、早朝に昇殿参拝との旅程にて。

三峯神社に到着。
霧により奥ノ院参拝は中止。
霧、霧、霧の境内を散策する。
先ず、遥拝殿(見晴台)から社殿まで<狛狼>をはじめ、あれやこれやを眺め、楽しみながら、社殿に至り、参拝。
更に、霧の境内を散策する。

日本武尊像。
霧の丘の上に日本武尊像が見える。
どこに見えるかって?
真ん中の杉の木の左側。
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丘の上に上ってみる。
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三峯神社のホームページを紐解くと、その由緒の中に日本武尊について次の通り綴られている。
--------------------------------
当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し、二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。
これが当社の創まりであります。
----------------------------------

日本武尊といえば、われ等の世代はどうしても、東宝特撮映画『日本誕生』(1959年)を思い出す。
三船敏郎がヤマトタケルノミコトとスサノオノミコトの二役を演じていた。
ヤマトタケルノミコトの魂が白鳥となって、高天原に向かって飛んでいくラスト・シーンが子供心に印象的であった。

「大阪・堺ポタリング」で大鳥神社(大阪府堺市西区鳳北町)を参拝したときのことをブログに綴った記憶があり、探してみた。
あった、2011年初夏のポタリングでのことであった。
「大阪・堺ポタリング」第11話
やはり、ここでも東宝特撮映画『日本誕生』に触れていた。
更に、龍の指の数についても触れている。
紙面の都合上、ここでは詳しくは記さないが、龍の指の数について一家言あり、龍の指の数のことがきっかけて<龍コレクション>を始めたのであった。

ツツジの花。
二瀬ダムから三峯神社に上る途中、車窓からあちらこちらで花を咲かせるツツジを見て来たが、この日本武尊像が鎮座する丘でもツツジが花を咲かせている。
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霧が水滴になったのであろうか、花々に水滴がいっぱいついている。

カエルの卵?
いいえ、クモの巣と水滴がつくった景色。
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三つの水滴。
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花の色が映り込む水滴。
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4月初旬、皇居東御苑で早くも花を咲かせたツツジを見た。
「トウゴクミツバツツジ」の札が添えられていた。
トウゴクミツバツツジ、漢字表記は「東国三葉躑躅」。
宿舎の興雲閣で三峯神社の周辺で咲いているツツジの花の種類を尋ねたところ、「ミツバツツジ」とのことで、「トウゴク」かどうかは分からないとのこと。
秩父に咲くミツバツツジだから、さしづめ、「チチブミツバツツジ」といったところかもしれない。
因みに、「ミツバツツジ」の名の由来は、4、5月頃の開花と同時に、或いは、開花後に、枝先に三枚の葉がつくことからこの名がついたとのこと。

摂社末社。
ずらっと並んだ摂社末社。
この写真の右手手前、写真に入っていないところから摂社末社は並んでいる。
左手、霧の中に僅かに見える白い社は伊勢神宮。
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真新しい伊勢神宮の社。
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2013年10月の式年遷宮の後、真新しい社になったのかもしれない。何でも書き留めておきたい小生、社に掲げられた神社名を書きとめておこうと思うも余りの多さにギブ・アップ。
ウィキペディア「三峯神社」を開いてみると、全て記載されていた(ウィキの記述は時折、間違いもあるが、やはり便利)。
ひとつずつ、神社名を見ていくと、神社は結構訪ねているが、馴染みのある名、そうでないものなど、いろいろあり、それらについて、一口コメントを記しておこう。
------------------------------------
御仮屋(大口真神)
祖霊社(開山以来の歴史の祖霊、勤山者、氏子総代又各地の三峯講社関係者や講元、世話人)
国常立神社(国常立尊・瓊瓊杵尊・神倭岩余彦尊)
日本武神社(日本武尊)・・・堺ポタリングの際、大鳥大社を参拝、日本武尊像を眺めたなあ...。
伊勢神宮(天照皇大御神・豊受姫大神)・・・小学校の修学旅行以来、幾度か参拝。直近は2013年の式年遷宮後。
月讀神社(月夜見命)・・・土浦ポタリングの際に、月讀神社なる神社の存在を知った。
猿田彦神社(猿田彦命・天宇受賣命)・・・伊勢参りの際には、こちらの神社にも。
塞神社(八衢彦神・八衢姫神・久那斗神)・・・すみません、馴染みのない名の神社です。
鎮火神社(火産靈命・水速女命・埴山姫命)・・・同上
厳島神社(市杵嶋姫命)・・・幾度か参拝しています。
杵築神社(大国主命・事代主命)・・・「きづきじんじゃ」、すみません、馴染みのない神社です。
琴平神社(大物主命・崇徳天皇)・・・讃岐のこんぴらさん、786段マイナス1段下がり785段の石段、更に奥の院にも。
屋船神社(屋船豊受姫命)・・・「さいじんじゃ」、すみません、馴染みのない神社です。
稲荷神社(宇迦御靈命)・・・各地で。
浅間神社(木花開耶姫命)・・・各地で。
菅原神社(菅原道眞)・・・天満宮、天神社、各地で。一浪後は京都北野の天神さんだった。感謝!
諏訪神社(武御名方命)・・・各地で。勿論、諏訪大社も。
金鑽神社(天照皇大御神・素盞嗚神・日本武命)・・・「(かなさなじんじゃ」、武蔵国五ノ宮としてその名を知る。
安房神社(天太玉神)・・・安房国総社の鶴谷八幡宮は訪ねたが、安房国一ノ宮の安房神社は欠礼した。
御井神社(水速女命)・・・「みいじんじゃ」、すみません、馴染みのない神社です。
祓戸神社(瀬織津姫命・速開都姫命・氣吹戸主命・速佐須良姫命)・・・「はらえどじんじゃ」、すみません、馴染みのない神社です。
東照宮(徳川家康)・・・東照宮といえば、日光。江戸府内では上野と芝。
春日神社(武甕槌命・天兒屋根命・齋主命・比賣神)・・・奈良の春日大社、そして、各地で。
八幡宮(誉田別命・息長帶姫命・比賣神)・・・各地で。
秩父神社(八意思兼命・知知夫彦神)・・・今回の三峯神社参拝の前に「知知夫神社」にも。
大山祇神社(大山祇命)・・・ドライブで、そして、しまなみ海道ポタリングで。
二ツ宮(大山祇命)・・・「ふたつみや」?、さて?
------------------------------------

二代目講元に、いろいろな山や神社の講があるが、何故、三峯講になったのかと尋ねたところ、三峯神社にはいろいろな神社が集まっているからとのことであった。
摂社末社の社が並ぶ光景を見て、なるほど!と思った。

霧の中の掲載散策を終え、社務所の前を通った。
齢を重ねた昨今、余り関係のなくなった「厄年表」だが、下段の「昭和23年」の文字が目に入った。
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「年祝い表(数え年)」のところに「古希 昭和23年」とある。
そうだったんだ、今年、数え年で古希だったんだ。
しかし、既に誕生日は過ぎている。
何事も満年齢で過ごして来ている。
家族でやってくれた還暦の祝いも満年齢であった。
来年、祝って貰おう、生きていれば、のことだけどね...。

フォト:2017年5月17日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-05-20 23:33 | 秩父の旅 | Comments(0)