カテゴリ:東京の灯よいつまでも パート2( 2 )


2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(下)』

1月11日、午後5時。
両国「もヽんじや」、開店。

先ず、麦酒で乾杯。
猪のもつ煮が運ばれて来る。
続いて、猪鍋の肉と野菜、豆腐、しらたきが運ばれて来る。
仲居さんが割り下の入った鍋に肉と野菜、豆腐、しらたきを入れた。
「これ、何人前ですか」。
「二人前を煮て、食べ終わったら、残りの二人前を煮ます。しっかりと煮た方が美味しいです。しばらくお待ちください」と言い残して去って行った。
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鹿刺しが運ばれて来た。
鹿の竜田揚げも運ばれて来た。
熊汁も運ばれて来た。

鹿刺し。
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食い気が先走り、鹿の竜田揚げと熊汁は撮り忘れた。

ぐつぐつと煮える猪鍋を前に、ご機嫌の大給守さんと伊豆守さん。
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「猪鍋は食べ頃です」と仲居さん。
「猪は何処産ですか」。
「丹波篠山です」。「
「我が国許では、ぼたん鍋と称し、やはり、丹波篠山産。直近で、ぼたん鍋を食ったのは2013年の冬だったなあ。兵庫県の越知川上流のコテージでハリポタのプチ別荘遊びをしたときに、ハリポタのメンバーが丹波篠山から猪肉を取り寄せよったんだよね」。
「鹿はニュージランド産。熊はツキノワグマで国内産です」。
「2011年の冬、ニュージランドを旅したとき、羊の放牧と並んで、鹿の放牧を見ました。鹿肉はヨーロッパ向けと言っていましたが、日本にも流通してたんですね」。
「信州からは来ることはありませんか」。
「信州はないですね」。

焼酎をボトルで注文する。
お湯と水、氷も。
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「この店にはお相撲さんも来ますか」。
「そうですね、時々。こう言っては何ですか、四つ足なので、お相撲さんによっては縁起を担いで敬遠する人もいます」。
「なるほど、四つ足ね。昨年末の『赤穂浪士討入凱旋の旅』のとき、本所松坂町の『吉良祭元禄市』で食べたちゃんこは、春日野部屋風で、豚肉だったなあ。毎年、鶏肉だったのに」。

店に入ったときは、我らのグループだけであったが、いつの間にか、満席に近くなっていた。
隣の席では、カップルが猪鍋をつつきながら、赤ワインを飲んでいた。
皆、ジビエ、ゲーム、いや、百獣(ももんじゅう)が好きなのである。
(註:「百獣(ももんじゅう)、「ジビエ」、「ゲーム」のあれこれについては、上の巻をご覧ください)、

猪鍋の第二ラウンド。
(写真解説)指でツンツンしているのではありません、これはセリです、と指差しているのです。
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「あー、喰った、喰った」。
「最初、ちょっと甘めやなあと思いましたが、ちょうど、ええ味やったですね。関西の味付けとは違う、江戸の味やね」。

焼酎のボトル2本を空けた。
締めの乾杯、、、とはならず、、、
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焼酎での、締めの乾杯とはならず、日本酒を二合徳利で数本、頂戴した。

宴は終わり、1階で再び<取材>を。
熊の毛皮、鹿の毛皮。
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「女将さん、これ、何でしょうか?熊の鼻?」。
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「そうです、熊の鼻です。皆さん、触っているうちに、鼻がもげちゃったんです」。

毛皮の前で記念撮影。
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大サービスで、もう一枚。
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表に出て、記念撮影/その1(カメラマン、大給守さん)。
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表に出て、記念撮影/その2(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その3(カメラマン、上総)。
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「ありゃ、人物、真っ暗け。取り直します」。
表に出て、記念撮影/その4(カメラマン、上総)。
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表に出て、記念撮影/その5「金の猪」(カメラマン、上総)。
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毎年末、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の途中、眺めて来た「金の猪」だが、猪鍋を味わったあとの「金の猪」の姿は格別である。

JR両国駅へと向かう。
回向院に差し掛かる。
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「月明かりもあるし、夜の回向院に参っておきましょう」。
回向院の境内に入り、ぐるっと巡り、再び、門の方へ。
前方を歩く三匹の熊さん、いや、御三人さん。
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「手が、熊になっちまった」と大給守さん。
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「手が、熊になっちまった」は、脚本家、上総の脚色。
本当は、「この手袋、例の手袋なんです」という言葉であった。
この皮手袋は大給守さんにとって思い出深い手袋なのである。
或る日、某地下鉄駅の露天販売でこの手袋を買った。
露天商曰く、鹿皮製だと。
しばらくすると、縫製が悪く、縫い目が解け、バラバラになってしまった。
自ら手直しし、愛用している手袋なのである。
鹿皮製であることは間違いないようだが、さて?
因みに、値段については聞かされていない。

「東京の灯よいつまでも」。
この標題は、近々、東京を離れ、国許に隠居する大給守さんの気持ちを代弁してのものである。
回向院前の交差点に立ち、JR両国駅方面を眺める。
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「東京の灯よいつまでも」ではあるが、現在の両国一帯について、若干、補足しておきたい。
その昔、現在の両国一帯は江戸ではなかった。
隅田川を国境として、西は武蔵国、東は下総国であった。
両国橋は万治2年(1659年)(寛永元年(1661年)との説もある)に架橋された。
武蔵国と下総国に跨っていたことから両国橋と呼ばれた。
貞享3年(1686年)に国境が変更され、現在の両国一帯は武蔵国に編入され、北は本所松阪町、南は深川として江戸の一画となり、明治に入り、東京になった。

諸般の事情で南国守さんは参加が叶わなかったが、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、上総の4名は「もヽんじや」の野獣肉コースに大満足の夜となったのであった。

フォト:2017年1月11日
フォト#3,4、910、11:大給守殿提供

(完)
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by ryujincho | 2017-01-12 23:52 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)
2017年 01月 12日

『東京の灯よいつまでも/両国 もヽんじや(上)』

両国「もヽんじや」。
念願の猪鍋を食すことが叶った。
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何故、念願の、であったか。
それを語り出すと少々長くなるが、綴っておこう。

jitensha club ドラポタの年末恒例の企画は、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺まで赤穂浪士ゆかりの地に立ち寄りながら走る「赤穂浪士討入凱旋の旅」。
JR両国駅前に集合し、吉良邸跡から回向院、そして、両国橋東詰めの袂に立つ大高源五の句碑「日の恩や忽ちくだく厚氷」に立ち寄ることを恒例としている。
その途中、「山くじら もヽんじや」の看板と金色の猪を眺めるのも恒例となっている。
一度、店に入ってみたいなあと思いつつ、いつも金の猪を眺めるだけであった。

昨年末の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月10日、武衛さん、南国守さん、上総の3名にて挙行。
「もヽんじや」の店先に置いてあるパンフレットを手に取り、目を通す。
「大給守さんの壮行会を兼ねて、ドラポタの新年会はここでやりましょか」。
「それがいいですね」。
「では、忘年会の席で評定し、決めましょう」。

大給守さんは年末をもって江戸勤番を終え、仕官先を完全リタイア、年明けに引っ越し、国許で隠居ということと相成り、国許の獣肉の流通ルート確立のためにも、「もヽんじや」で市場調査をしておくのもよかろうということも、「もヽんじや」で新年会兼壮行会を開催する背景にあった。

12月15日、大給守さん、伊豆守さん、武衛さん、南国守さん、上総のメンバー5名、全員打ち揃いての忘年会での席で評定。
「新年会兼大給守さんの壮行会を両国『もヽんじや』で行いたいと思います」。
「賛成!」。
「では、『もヽんじや』で決定とします。料理は野獣肉コース、税込金7,140文也。コースの品書きは、先付・猪鍋・鹿刺身・熊汁・鹿竜田揚と相成っております」。
「国許で熊を食したときは、毛が入っていましたね」。
「では、熊は外して、単品の注文で」。
「いや、いや、折角ですから、野獣肉のフル・コースでいきましょう」。
「では、野獣肉コースで、日時は1月11日(水曜)午後5時にて予約しておきます」。

1月11日(水曜)。
JR両国駅。
折りしも、両国国技館で大相撲初場所が開催中。
駅構内での展示物/往年の横綱の手形。
我らの世代は栃若時代。
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沿道といえば、永谷園、永谷園といえば、遠藤。
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今年中に大関と嘱望される正代と御岳海。
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午後4時半過ぎ。
勝負を終えて部屋へ戻る力士。
左側、ポールの外側で、力士を<出待ち>するファン。
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「山くじら もヽんじや」。
午後5時前、両国橋の彼方にうっすらと夕日の残光が。
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「江戸の味 もヽんじや」。
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江戸の味 もヽんじや Momonjiya
享保3年(1718)創業の猪料理店です。
「ももんじ」とは「百獣」のことで、四つ足の動物の肉を扱う店を「ももんじ屋」と総称しました。
現在は、この「もヽんじや」を店名にしていますが、正式には「もヽんじやの豊田屋」です。
しかし、屋号の豊田屋はどこにも掲げられていません。
元は漢方の薬屋でしたが、薬の一種として出した猪が人気商品となり、料理店へ転身しました。
猪の肉は、冷え性や疲労回復に効果があり、肉食が禁じられた江戸時代でも、「山くじら」と称して食べられていました。
猪は丹波や鈴鹿などから仕入れたもので、味噌仕立てのすき焼きにします。
その他、鹿刺し、狸汁など、他ではめったに味わえない珍しい肉料理が味わえます。
(図/江戸時代の宣伝チラシ)
墨田区
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「もヽんじや」のパンフレットでは、「ももんじとは、百獣(ももんじゅう)から発した言葉で...」とあり、「百獣」の読みがしっかりと書かれていた。
更にパンフレットを読み進むと、「猪鍋は、何より肉の良し悪しが肝心で、当店では、三重、滋賀、兵庫などから野生のものを吟味して取り寄せ、養殖ものは使用しておりません」とある。
養殖の猪もいるのである。

「ジビエ料理」という言葉をしばしば耳にする。
ジビエ(gibier)とは、フランス語で、狩猟によって、食材として捕獲された野生の鳥獣のことである。
日本で「ジビエ料理」という言葉がよく言われるようになったのは、いつ頃からであったろうか。
筆者は20数年前、英国に4年ばかり住まいしていたことがあった。
レストランのメニューに「ゲーム(game)」という欄があり、英国の伝統文化の一つである狩猟を「ゲーム」ということを知り、狩猟による鳥獣肉料理を「ゲーム料理」というのであった。
「ゲーム」、「ジビエ」というのもよいが、我ら日本人には「百獣(ももんじゅう)」が相応しいかもしれない。

表通りの壁に吊るされたイノシシ。
何だか、クマのようにも見える。
これまで毎年末に見て来た、この壁にぶら下がっていたのはイノシシであったので、イノシシだと思うのだが...。
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開店ちょっと前。
まだ、店内は灯りがついていない。。
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午後5時、点灯、扉が開き、暖簾が掛かる。
開店!
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「この店では、まだ、注連飾りは外していないなあ」と武衛さん。

先日7日に挙行した「ドラポタ走り初め」のときも、こんな会話が。
「松の内は今日まで。注連飾りや注連縄を外さなければなあ」と武衛さん。
「松の内は、関西では15日なんやけど、関東は7日なんやね」と上総。

帰宅後、調べてみた。
注連縄や注連飾りは、松の内が明ける頃に外すのがよいとされている。
松の内とは、門松を飾っている期間である。
松の内は、今では地域により異なっており、7日、10日、15日までなどがあるが、元々は全国的に1月15日までであった。
松の内が7日(或いは10日)までとなったことについては、江戸幕府の通達が絡んでいる。
即ち、
松の内は、元々、1月15日までと決められていた。
その頃は、鏡開きは1月20日に行われていた。
鏡餅に松の内の期間、年神様が宿っており、松の内が明けた後の1月20日に鏡開きをして鏡餅を食べるという風習であった/風習である。
江戸時代、慶安4年(1651年)4月月20日に徳川三代将軍家光が亡くなり、毎月20日が家光の月命日となり、月命日に鏡開きをするのはよくないということで、鏡開きを1月11日に行うようになった。
しかし、1月11日は松の内で年神様が宿っており、年神様に失礼であろうということとなり、寛文2年(1662年)、幕府は「1月7日を以て飾り納め」の通達を出したのであった。
幕府のお膝元である関東では松の内は1月7日までが浸透したが、関西では通達は浸透せず(江戸に対抗して無視した?)、従来通り、松の内は1月15日までのままとなったという。
なお、幕府の松の内短縮の通達には左義長(いわゆる「どんど焼き」)の禁止も織り込まれており、注連飾りを燃やす火祭りによる火災予防の意味もあったといわれている。
左義長禁止令は、明暦3年(1657年)の明暦の大火が反映されているものと思われる。

「もヽんじや」に話を戻そう。
「お二階へどうぞ」との案内を受ける。
一階に<取材>したいものが幾つか目に入る。
先ずは、ふたつを<取材>。

平成19年亥年、西暦2007年の年賀状。
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この年は、50代最後の年であったなあ...。

歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」。
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「びくにばし」は、現在の京橋の下を流れていた京橋川に架かっていた橋である。
この絵の手前左側に「山くじら」と大書された看板が、雪景色の中に置かれている。
その向かい側に「〇やき十三里」の看板がある。
栗(九里)より(四里)美味い十三里、焼き芋屋である。

年賀状と浮世絵を眺めながら、涎がじわーっと出て来る。
猪鍋が楽しみ、楽しみと思いながら、階段をとんとんとんと上がり、二階の席へ。

フォト:2017年1月11日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-01-12 23:51 | 東京の灯よいつまでも パート2 | Comments(2)