龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 09月 03日

『有珠山・昭和新山(下)/ロープウェイからの眺望』 us-3

8月29日。
有珠山の洞爺湖展望台にて昭和新山の形成過程とミマツタイヤグラムに関わる解説を聞く。
続いて、有珠山の「繰り返される大地の変動」に関わる解説を聞く。
続いて、火口原展望台で大有珠、小有珠、有珠新山などに関わる解説を聞く。

洞爺湖展望台も火口原展望台も霧で何も展望出来なかったが、ガイドさんの解説と写真によって<心眼>で景色を見た。

ロープウェイに乗り、下山。
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下るに連れて、霧が晴れて来る。
ロープウェイからの景色を楽しむ。

左に、洞爺湖と中島が見える。
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正面に、昭和新山が見える。
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アップで。
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噴煙が見える。
更にアップで。
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上りのロープウェイとすれ違う。
こういうときはどうしても写真を撮りたくなるのが常だ。
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右手に海が見える。
噴火湾(内浦湾)の湾口あたりのようだ。
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再び、正面の昭和新山を眺める。
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この高さから眺めながると、畑であったところが隆起・噴火して誕生した昭和新山の形成過程がよく理解できる。

ガイドさんから「或る時期の間、当地、北海道有珠郡壮瞥町の名が年に6度、全国に伝わったことがあります。さて、それは何故でしょう」とのクイズもどきがあった。
その答えは、当地は、第55代横綱、北の湖の出身地で、初場所、春場所、夏場所、名古屋場所、秋場所、九州場所で北の海の出身地が館内放送で呼ばれるから、であった。

有珠山、そして、昭和新山を間近に見ながら火山をベンキョー。
我が国が火山国、地震国であることを改めて認識した。

フォト:2017年8月29日

(完)
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:42 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『有珠山・昭和新山(中)/大地の変動』 us-2

8月29日。
有珠山の洞爺湖展望台にて昭和新山の形成過程とミマツタイヤグラムに関わる解説を聞く。
続いて、有珠山の「繰り返される大地の変動」に関わる解説を聞く。

上段/同じ位置から見えた以前の洞爺湖・中島・羊蹄山。
下段/同じ位置から見える今の洞爺湖・中島・羊蹄山(※左の稜線に隠れたようになっている)。
何故、同じ位置からなのに、見える風景が変わったのか。
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1977年噴火当時、中島や羊蹄山がここ東外輪山から展望できました。
ところが、1977年噴火で大有珠は大きく押し出され、大有珠の崩落斜面が外輪山沿いの小道を覆いました。
その毛kkあ、今は中島や羊蹄山を見通すことは出来ません。

北外輪山は約200m、東外輪山は約20m押し出されました。
眼下の昭和新山が1945年に麦畑で誕生したように、大地の変動が再び繰り返されました。
「繰り返される大地の変動」こそが、有珠山の噴火活動の特徴でs。

ロープウェイの保安点検簿によると、1977年噴火に先立ち東外輪山が約25cm押し出されました。
前兆地震も増えました。
有珠山の地震や地番変動は、災害をもたらすだけでなく、一方では噴火前兆を教えてくれる大切な指標です。
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上段/かつてここから中島や羊蹄山が見通せた(1955年頃、松田写真館(松田忠之)による)。
下段/噴火1年後/大有珠の視野が外輪山に迫り、羊蹄山や中島が隠れ始めた。
今や大有珠の背後となり、全く見通せない(1976年8月26日、三松三朗氏撮影)。
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「火口原展望台へ行ってみますか?霧で何も見えないとは思いますが、ひょっとしたら、一瞬、霧が晴れて見えるかもしれません」とガイドさん。
有珠山に来ることはもうないかもしれないし、折角なので、<心眼>で火口の景色を眺めてみたいと思い、火口原展望台へと向かう。

ガイドさんの案内で霧の中を歩く。
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平坦な道、緩やかな坂道、石段を上り、火口原展望台に到着。
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ガイドさんの解説に耳を傾ける。
1977年の有珠山噴火の様子。
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1977年8月13日から12月12日までの有珠山の変化。
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説明板に写真を重ねての解説もあり。
下段写真、左/小有珠、その手前/有珠新山、右奥/大有珠(火口原より 2008年9月27日)。
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説明板に目を通す。
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銀沼大火口は、1977年の有珠山噴火で出来た、直径350mの過去最大級の火口です。
向かって右手には、「小有珠」、「有珠新山」、「大有珠」と続く溶岩ドームがそびえ立っています。
左手下方の「外輪山遊歩道」は、南側尾根と通り、伊達市へ至る登山ルートとなっています。
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説明板の写真、左から、駒ケ岳、噴火湾、銀沼大火口、小有珠、有珠新山、大有珠。

余談ながら、「噴火湾」について、少々、補足を。
「噴火湾」は別称で、正式名称は「内浦湾」。
渡島半島の東側にある、ほぼ円形(直径約50km)の湾。
別称「噴火湾」は、1796年(寛政8年)、当地を訪れた英国のスループ型軍艦兼探検船プロビデンス号のブロートン海尉が、内浦湾がほぼ円形であることや、周囲を取り囲む駒ヶ岳や有珠山などの火山を見て「これは Volcano Bay だ」と語ったことに由来するといわれる。
しかし、内浦湾には陥没量に見合うだけの火山噴出物が周囲に分布しておらず、カルデラに海水が入り込んで出来た湾ではないといわれている。

火口原を眺めてみたかったが、ガイドさんの解説、説明板、そして、<心眼>でその風景を想像した。

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:41 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『有珠山・昭和新山(上)/ミマツダイヤグラム』 us-1

8月29日。
洞爺湖湖畔の洞爺湖温泉、壮瞥温泉を過ぎ、南へ向かう。
昭和新山が見えて来た。
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昭和新山。
1943年(昭和18年)12月28日、壮瞥町周辺で最初の有感地震が起こり、以降、地震が頻発。
翌1944年(昭和19年)初めから、フカバ集落の湧水の温度上昇、洞爺湖に渦巻きが発生、フカバ集落周辺で隆起活動が続く。
6月23日、東九万坪台地で遂に大噴火が起こり、以降、10月30日まで17回の大噴火を繰り返し、17次の大噴火をもって降灰の伴う噴火は収束し、1945年(昭和20年)9月20日、全活動が停止した。
こうして、有珠山の麓にあった平地に火山が形成されたのであった。
山肌が赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったからである。

山肌の赤色をアップで。
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ロープウェイに乗り、有珠山山頂へ。
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山頂は霧、霧、霧。
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先ず、洞爺湖展望台へ。
本来なら、眼下に昭和新山、左手の彼方に洞爺湖が一望できるそうだが、霧で何も見えない。
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昭和新山の形成過程に関わる解説を聞く。
ガイドさんからは、壮瞥郵便局長であった三松正夫氏の観察記録を中心に説明があった。

昭和新山形成過程のスケッチ。
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「昭和新山隆起圖(昭和18年12月~昭和20年12月)」。
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新火山の誕生は、1948年(昭和23年)、オスロで開かれた世界火山会議において報告され、そのときに提出された隆起図は世界で唯一の火山誕生の記録として評価され、ミマツダイヤグラムと命名された。

三松正夫氏とミマツダイヤグラムに敬意を表して、アップで。
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「活動の様子を観測する三松正夫さん 現在の滝之町三叉路にあった郵便局裏から」。
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戦争中のことなので、十分な観測器具がなく、隆起の高低が分かるように基準線となる糸を張ったという(図の赤い線がそれ)。

ガイドさんからこのような説明を聞くまで、三松正夫氏のことは全く知らなかった。
当地を訪ねていなければ、知らないままで終わっていたかもしれない。
齢を重ねても知らないことは多々あり、当地を訪ねてよかったと思った。

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昭和新山は、昭和18年(1943年)の有珠山噴火で誕生した火山です。
粘性の高い溶岩が冷えて形成された溶岩ドームは、世界的にも珍しい例です。
個人の所有でありながら、国の特別天然記念物に指定されています。
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「昭和新山は個人の所有」とある。
1946年(昭和21年)、三松正夫氏が私財を投じて土地ごと購入し、天然記念物への申請などの保護に努めた。
1951年(昭和26年)、国の「天然記念物」に指定され、1957年(昭和32年)、国の「特別天然記念物」に指定された。
昭和新山は現在も三松家の私有地である。

フォト:2017年8月29日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:40 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『雨霧に煙る洞爺湖』

8月29日。
雨霧に煙る洞爺湖。
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墨絵のような洞爺湖の風景、これもまた一興である。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:39 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『七飯町大沼/千の風になって』

8月29日。
七飯町/大沼国定公園。
前日、立待岬から駒ケ岳を眺めた。
大沼を訪ね、間近に駒ケ岳を眺めることを楽しみにしていたのだが、生憎の小雨、曇り空。
<心眼>で駒ケ岳を眺める。
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有難いことに、記念撮影台の看板に駒ケ岳の写真あり。
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モニュメント「千の風になって」。
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このモニュメントは、、名曲「千の風になって」が作家の新井満さんによってこの地で作られたことを記念し、建立されました。
モザイク状の石は、七飯町特産の安山岩です。
いのち・再生の祈りを込めて、円盤の中央はもりあがった形になっています。
どうぞ、千の風に吹かれながら、美しい景観をお楽しみください。
2008年4月25日
千の風プロジェクト実行委員会
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千の風に吹かれながら、今一度、美しい景観を楽しむ。
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沖野の小島にほんのりと赤い色が見える。
紅葉が始まっているのだ。
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遊覧船が航跡を描きながら進む。
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大沼はオオハクチョウの飛来地でもある。
オオハクチョウの飛来は、数ヶ月後。
オオハクチョウの代役で、カルガモを。
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フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:38 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館みやげ/マンホール・コレクション』

8月29日。
函館港を散策中に見たマンホール。
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各地で絵柄マンホールを見て来た。
この函館のマンホールは絵葉書のような出来栄え。
マンホール・コレクションのベスト・テンの上位に入る出来栄え。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:37 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館市青函連絡船記念館 摩周丸』

8月29日、函館港を散策。

函館市青函連絡船記念館 摩周丸。
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船は、普通、船首部から船尾部への順で眺めるものであるが、鉄道連絡船においては、最も特徴のある船尾部から見るのがよろしかろうと思い、その順とした。

青函連絡船に乗ったことはない。
幼き頃、講談社の絵本で鉄道連絡船のことを知ったという記憶がある。
実際に青函連絡船をこの目で見たのは、20年くらい前に青森へ出張に行った際、遠目に、岸壁に繋がれた連絡船を見たのと、今回、函館で見た、その二度だけである。
青森で見た連絡船の船名は?と思い、ネット検索したところ、「青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸」とあった。
20年前に見たときもそうだったのだろうが、「羊蹄丸」ではなかったろうかと思ったりして...。

青函連絡船「摩周丸」を眺めていたところ、ちょうど、津軽海峡フェリーが函館港に入って来た。
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津軽海峡フェリーは、函館と青森、函館と大間を結ぶフェリーである。
入港したフェリーの船名は「ブルードルフィン2」。
時計を見ると、午前8時20分。
時刻表を見ると、青森 5時20分発/函館 9時着、ブルードルフィン2とあった。
入稿したのは、青森・函館航路のフェリーであった。

本州と九州を結ぶのは、関門橋、関門トンネル、新関門トンネル。
関門橋はバスで、新関門トンネルは新幹線で通ったことがあるが、関門トンネルを通った記憶はない。

本州と四国を結ぶのは、明石大橋・大鳴門橋、瀬戸大橋、しまなみ海道の3ルート。
明石大橋・大鳴門橋は乗用車やバスで、瀬戸大橋はJRで、そして、しまなみ海道は乗用車や橋と島の一般道を自転車で通ったことがある。

本州と北海道を結ぶ、青函トンネル。
北海道往復は飛行機ばかりで、JRで青函トンネルを通ったこともないし、津軽海峡フェリーを乗ったこともない。
次回は、JRかフェリーに乗ってみたいものである。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:36 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『ナナカマド/函館港』

8月29日、函館。
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北海道ではナナカマドが赤い実をつけると、もう、秋だなあ、と思うのだそうだ。
今、8月の下旬。
北海道の秋は既に始まっているのだ。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:35 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館朝市/熊コレクション』

熊コレクション/その1。
鮭をくわえた、オーソドックスな熊。
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夕張メロンをくわえた熊。
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首から札をぶらさげた熊。
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札にはこのように書かれている。
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いらっしゃいませ
名前 ケンちゃん
年齢 3才 
分類 ひぐま
性格 おとなしく動かない
お店の販売員に、同じ名前のお祖父ちゃんがいます。
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この熊の口元が何だか変。
何が変なのか、「同じ名前のお祖父ちゃんがいます」で分かった。
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上あごに、入れ歯をしているのであった。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:34 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館朝市/カニ、カニ、カニ』

タラバガニ。
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観察/その1。
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観察/その2。
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観察/その3。
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観察/その4。
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毛ガニ。
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いつぞや、札幌で食べたタラバガニの焼きガニは旨かったなあ。
タラバも旨いけれど、毛ガニの方が好きだなあ。
昔、浜松町にあった居酒屋「宇多美」で毛ガニをよく食ったなあ、確か、小ぶりの毛ガニで、一杯800円だったなあ...。

カニの数え方。
函館朝市の店先の値札には「1尾」と書かれている。
カニの数え方は、生きているカニは「匹」、生きていない状態のカニは「杯」だと思っていたが、市場などでは「尾」と数えるとのこと。
因みに、半身は「1肩」、胴体から切り離された爪や足は「1本」というそうだ。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:33 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館朝市/函館といえば、イカ』

水槽で元気に泳ぐイカたち。
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函館といえば、イカ。
店先で、イカ釣りに興じる少年。
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今年はイカが不漁だという。
この日の新聞で、函館市はイカ加工業者に対し、外国産イカの購入費用として総額1億円を助成すると報じられていた。

先の大戦中、米不足を補うために、当時、豊漁だったスルメイカを使って米を節約しても作れる料理として考案されたのが「いかめし」だったという。
函館の「いかめし」といえば、いまや、全国区。
函館で水揚げされないイカの「いかめし」であってはならない。
豊漁に戻ることを祈りながら、朝市で、イカ釣りならぬ、「いかめし」をゲットした。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:32 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 03日

『函館/宿からの眺め』

8月28日、函館に入り、五稜郭をはじめ名所旧跡をめぐり、湯の川温泉に投宿。
翌29日、朝6時過ぎ、スマートフォン、テレビ、そして、市内の防災スピーカーから北のミサイル発射に関わる緊急警報が流れる。
数分後、テレビで、ミサイルは北海道渡島半島および襟裳岬の上空を通過し、襟裳岬の東1180kmの太平洋上に落下したと報じられた。
テレビ画面に映し出されたミサイルの航跡は、あたかも函館上空を通過しているかの如きものであった。

普段、温泉旅行のときは、朝風呂に入ることにしているのだが、この日に限って朝風呂には入っていなかった。
もし、朝風呂に浸かっている途中で、警報が鳴っていたら、市内の防災スピーカーは警報音はするもののアナウンスの声は響いて何を知らせているのかその内容は分からず、且つ、宿の館内放送もなく、何事が起こったのだろうと、真っ裸で飛び出さねばならなかったかもしれない。
朝風呂に入らなかったのは、ムシの知らせであったかもしれない。

部屋の窓から外を眺める。
彼方に函館山が見える。
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函館山の形成は、約100万年前の海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現、海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ、約5000年前に渡島半島と陸続きの陸繋島になったという。
この砂州の上に函館市の中心街がある。
函館山は、牛が寝そべるような外観から、別名、臥牛山(がぎゅうざん)とも呼ばれているという。
いわれてみれば、確かに牛が臥せたような形をしている。

アップで。
左手に、昨日、訪ねた立待岬が見える。
右手に、昨夕、訪ねた展望台が見える。
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立待岬では、五稜郭築造のための石材を切り出した崖を眺めた。
津軽海峡を挟んで、下北半島と津軽半島も眺めた。
曇っていたので、<心眼>で眺めたのだが...。
展望台では、函館の夜景を楽しんた。

右の方へ目を遣ると、これも昨日訪ねた五稜郭タワーが見える。
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アップで。
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ずっと手前には、函館競馬場が見える。
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函館競馬場は、1896年(明治29年)に開場、現存する日本の競馬場では最も長い歴史をもつという。
小生は競馬の趣味はないが、この写真は、競馬を第一の趣味とする、関西の輪友、播磨守さんへのプレゼントでもある。

フォト:2017年8月29日
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# by ryujincho | 2017-09-03 23:31 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『函館山夜景見物』

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、四稜郭と五稜郭へ、函館市内の名所旧跡をめぐり、川の湯温泉に投宿。
今回のメインは函館五稜郭であったが、函館山からの夜景見物も。

宿から函館山夜景見物のガイド付きバスが出るという。
ロープウェイに乗らずとも、宿から山頂まで直行。
便利!

写真、ポスター、ガイドブック、いろんなもので見た函館の夜景ながら、直にこの目で!
右手、大きく弧を描く海岸線。
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左手、函館湾/函館港。
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ロープウェイが下って行く。
ロープウェイの姿が夜景にアクセントを添える。。
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山頂は、人、人、人。
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夕方、港で見た航海練習船「海王丸」の帆柱の電飾がくっきりと。
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アップで。
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日本三大夜景とは、函館山から望む函館市街地の夜景、神戸/麻耶山から望む神戸・大阪市街地の夜景、長崎/稲佐山から望む長崎市街地の夜景。
神戸、長崎にない函館の夜景の素晴らしさは、両岸の長く弧を描く海岸線。
両岸の弧を描く最もくびれたところの距離は僅か1キロメートルだという。

ガイドさんの話によると、晴れだからといって、いつもいつもこの夜景が見られるというものではない、と。
函館山は海に近く、水温と気温の関係で、霧や靄が出易く、この夏もここ数週間、全く見られず、この日のようにくっきりと夜景を見ることができたのは久しぶりのこと。
ラッキー!

ということで、諸条件に恵まれてのラッキーな夜景見物であったので、感謝の意を表し、同じようながらちょっとずつ異なる写真を多様してのアップロードと相成った次第。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:46 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『開陽丸?いや、海王丸だった』

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、四稜郭と五稜郭、そのほか、函館市内の名所旧跡をめぐり、函館港へ。

おっ、帆船だ!
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四稜郭や五稜郭を巡って来たばかりであったので、帆船を見て、思わず、榎本武揚率いる旧幕府海軍の主力艦「開陽丸」か、と思ったが、そんな訳はない。
開陽丸は、函館戦争の際、悪天候により江刺沖で座礁沈没。

函館港に停泊中の帆船は、航海練習船「海王丸」(二代目)であった。
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海王丸を見たのは、昨秋、安房国分寺跡、国分尼寺跡、国府跡、総社めぐりの途中、館山湾にの沖に停泊中の姿であったなあと思い、当時のマイ・ブログを紐解いてみたところ、海王丸ではなく、姉妹船の日本丸(二代目)であった。

帆船を見ると血が騒ぐのは、隠居前に携わっていた仕事のせいかもしれない。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:45 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『函館ドック』

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函館ドック。
せっかく、函館に来たのだから、函館ドックを眺めてみた。
造船所をみると、その大小に拘らず、血が騒ぐ。
造船所を見ると血が騒ぐのは、隠居前に携わっていた仕事のせいかもしれない。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:44 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『セグロカモメ/函館港』

8月28日、函館へ。
函館港でセグロカモメに出遭った。
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嘴の先の下に赤い斑点。
これはセグロカモメにもオオセグロカモメにもある特徴だ。
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セグロカモメとオオセグロカモメの違いは背の色である。
セグロカモメは背の色が薄く、オオセグロカモメは背の色が濃い。
色の名で言えば、セグロカモメは青灰色、オオセグロカモメは灰黒色。
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更に違いを言えば、セグロカモメの目の周りはすっきりしているが、オオセグロカモメの目の周りは黒っぽい。

こちらは幼鳥。
いずれ、嘴は黄色に、その先端の下に赤い斑点が、そして、背は青色に。
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それにしても、セグロカモメがついばんでいる白い粒は何であろうか。
こぼれ落ちた白米?
であれば、ご馳走である。

フォト:2017年8月27日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:43 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『洋館の灯り』

旧函館区公会堂。
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旧函館区公会堂の歴史。
1907年(明治40年)、大火で区民の集会所である「町会所」が失われ、会所内にあった函館商業会議所も類焼。
1910年(明治43年)、函館区公会堂として再建。

日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルに興味のある小生、旧函館区公会堂は誰の設計によるものか?と調べてみた。

「設計は函館区技手小西朝次郎、監督は函館区技手渋谷源吉、請負は村木甚三郎などの手によるもの」、「建築にあたっては、レンガ積み工、塗装工、左官などの多くの職人や大工、棟梁達が新しい意匠・技をフルに活用して、地方の鹿鳴館としての公会堂を見事に完成させた」とあり。

設計者の小西朝次郎は、1879年(明治12年)、函館に生まれ、独学で建築を学んだ後、鉄道の技術員を経て、1907年(明治40年)、函館区役所の土木課営繕主任となった人物。

請負人の村木甚三郎は、1848年(嘉永元年)、新潟県中蒲原郡の生まれの大工で、函館の名刹、高龍寺の建築工事のため、函館に来たが、その後も函館に残り、大工を続けながら建物の意匠について勉強をし、棟梁としての力をつけ、建築請負人になった人物。

明治初期の西洋建築はお雇い外国人の力を借りていた(鹿鳴館はジョサイア・コンドルの設計)が、旧函館区公会堂は日本人によって造られたもので、明治の人の気骨をよく表した建物に思える。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:40 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『北海道函館西高等学校』

函館山の麓、函館ハリストス教会、旧函館区公会堂の並びに建つ高校、北海道函館西高等学校。
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正門へ向かう入口近くに建つ石碑。
右/「北海道廰立函館高等女學校」、左/「北海道函館西高等學校」と刻まれている。
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北海道函館西高等学校の歴史を紐解くと;
1905年、北海道庁立函館高等女学校として開校
1948年、学制改革により北海道立函館女子高等学校と改称
1950年、北海道函館西高等学校と改称、男女共学化
とある。

北海道立の公立高校だが、北海道の公立高等学校の正式名称は、一部の例外を除き、「立」が付かない「北海道〇〇高等学校」であると初めて知った。
因みに、宮城県や長野県の県立高等学校も同様であると初めて知った。

演歌歌手、北島三郎は同校に進学するも、中退し、上京、歌手デビューを目指しながら渋谷で流しをしていたことは有名な話。
中退ではあるが、同校出身著名人の中に名を連ねている。
演歌界のスーパースター、今や大御所のサブちゃんであるから、それは当然の扱いであろう。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:39 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『教会の灯り』

函館ハリストス教会。
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東京神田駿河台のニコライ堂を時折訪ねることがある。
信心からではなく、建物を眺めるために。
函館ハリストス教会とニコライ堂の鐘について次のような興味深い話がある。

1800年(万延元年)、上大工町(現・元町)にロシア領事館建立、実行寺より初代聖堂を移築。
日本人鋳物師による大鐘1個、小鐘4個を鐘楼に設置。
1907年(明治40年)、函館の大火により聖堂が焼失、鐘も失う。
1916年(大正5年)、聖堂を再建。
箱根塔の沢にあった神学校避暑館付設聖堂にあった大鐘1個を移設。
この大鐘は1884年にモスクワで製造されたもので、直径、高さともに約1.5メートル、重量約2トンの青銅製。
1923年(大正12年)、関東大震災でニコライ堂は被災、鐘も失う。
1928年(昭和3年)、ニコライ堂再建に伴い、函館ハリストス教会の大鐘を移設。

折があれば、再び、神田のニコライ堂を訪ねてみよう。
窓からの灯りを眺めに、鐘の音を聞きに。

フォト:2017年8月27日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:38 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『函館でこんな標識を見た』

函館山の麓近くでこんな標識を見た。

「チャチャ登り」。
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「チャチャ登り」とは?
標識の側面に説明書きがあった。
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チャチャ登り
函館では珍しいアイヌ語の地名で、幕末頃ついた名前らしい。
チャチャとはおじいさんのことで、この坂が急なため、前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれた。
------------------------------

「チャチャ登り」の急坂。
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標識の近くに妙福寺が建っている。
坂下の右手には函館聖ヨハネ教会が建っている。
坂道を下り、左へ曲がると、函館ハリストス正教会が建っている。

妙福寺の軒と函館ハリストス正教会の尖塔。
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坂道を挟んで、仏教寺院に正教会寺院、英国国教会寺院が混載じている。
そして、「チャチャ登り」というアイヌ語由来の名も。
これが函館なのかもしれない。

フォト:2017年8月27日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:37 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『函館でこんな標識を見た』

函館山の麓近くで見た「カエルに注意!」の標識。
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エゾヒキガエル。
北海道では1912年7月2日に函館高校女学校(現・北海道函館西高等学校)で初めて発見された。
その後、旭川市・室蘭市でも繁殖が確認され、道内各地(札幌市・石狩市・江別市・深川市等)で次々と捕獲例がある。
当初は北海道固有亜種と考えられたが、関東の個体群であるアズマヒキガエルと同じであるという遺伝子解析結果から国内外来種であることが明らかとなっており、関東・東北地方から北海道各地に移入したものである。
函館市では、現在もなお、「希少なエゾヒキガエル」として扱っており、外来種としての認識は低い。
(ウィキペディア「ニホンヒキガエル」より抜粋)

寒冷地で懸命に生きているヒキガエルだから、「希少なエゾヒキガエル」として扱ってもいいんじゃないかな。
函館ロータリークラブのエゾヒキガエル保護活動に声援を送りたい。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:36 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『高台から函館の市街地を望む』

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高台から函館の市街地を眺めると、あの独特の地形、即ち、ぐっとくびれた地形が手に取るようによくわかる。
くびれた地形の距離は東西約1キロメートルの狭さであるという。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:35 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『立待岬に立つ』

立待岬の崖。
五稜郭の石垣の石材は、ここから切り出され、海路、築造現場に運ばれたという。、
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波静か。
左の方には津軽海峡が広がる。
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天気がよければ、下北半島や津軽半島が見えるという。
そういえば、去年の今頃、下北半島の大間崎から対岸を眺めた。
そのときは薄っすらと対岸が見えた。
ひょっとしたら、立待岬も見えていたのかもしれない。

=由来好きの、ひとくちメモ=
立待岬の名は、アイヌ語のヨコウシ(待ち伏せするところ、即ち、ここで魚を獲ろうと立って待って待つ)に由来するとのこと。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:34 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『高台から津軽海峡を望む』

函館/厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院の高台から海を眺める。
津軽海峡である。
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右手に函館山。
その先端は立待岬。
手前の建物群は湯の川温泉。
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フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:33 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『煉瓦造りの建物が好きだ』

函館/厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院にて。
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フォト:2017年8月28日、
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:32 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 02日

『悪魔を打ちのめす聖ミカエル』

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函館/厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院で、悪魔を打ちのめす聖ミカエル像を間近に見た。
この像を見て、モン・サン=ミッシェルの尖塔に奉られた金の聖ミカエル像を思い出した。
モン・サン=ミッシェルの聖ミカエル像は地上遥か尖塔の上にあり、悪魔を打ちのめしている姿を間近に見ることは叶わない。
で、昔、モン・サン=ミッシェルの土産物店で買い求めた、金色の聖ミカエルのミニチュア像を飾り棚から取り出し、その足元を眺めてみた。
確かに、悪魔を踏んづけていた。

聖ミカエル
聖ミカエルは大天使です。
悪魔が神に反逆した時、「ミ・カ・エル」(ヘブライ語で「神のように振舞う者は誰か」という意味)と叫びながら、これを破り、神に忠誠を尽くしました。
日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは聖ミカエルを日本の保護者と定めました。
私達も、悪魔の誘いに負けることなく、日々正しく生きるよう、聖ミカエルの保護を求めて祈りましょう。
(厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院、聖ミカエル像台座銘板より)

こうして聖ミカエルのことを綴っていると、余計なことながら、仁王像や四天王像の足元の邪鬼も思い出すのであった。

フォト:2017年8月28日
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# by ryujincho | 2017-09-02 23:31 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(四)』 sg-6

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
続いて、郭内の箱館奉行所を見学。
続いて、半月堡を周堀の外側から眺める。

信州佐久の龍岡城五稜郭を訪ねた際は、五つ稜堡を一つずつ見て回った。
函館の五稜郭についても同様にと思ったが、時間的なことと規模が大きく、五つの稜堡を一つずつ見て回ることは無理なので、入口に最も近い半月堡の稜堡を眺めることにしたのであった。

半月堡。
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-----------------------
半月堡
半月堡は、西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で、馬出塁ともいいます。
郭内への出入り口を防御するために設置されています。
当初の設計では各稜堡間の5ヶ所に配置する予定でしたが、工事規模の縮小などから、実際には正面の1ヶ所だけに造られました。
北側中央部の土坂が開口部となっているほか、刎ね出しのある石垣に囲まれています。
※刎ね出し 武者返し・忍び返しと呼ばれ、上から2段目の石がせり出して積まれているため、外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
-----------------------

半月堡遺構確認図。
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半月堡の突出角を眺める。
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アップで。
犀の角の如く反り上がった見事な突出角。
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正面から。
こうしたシンメトリーが好きだ。
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アップで。
半月堡は<二段構え>で造られていることがよく分かる。
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更にアップで。
二段構えの上部に積まれた石は軒のように飛び出し、工夫されている。
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本ブログで、函館の四稜郭や五稜郭を綴りながら、あれこれ調べていたところ、四稜郭や五稜郭のほかに、三稜郭や七稜郭もあることを知った。

三稜郭について。
桔梗野台場と呼ばれた台場が三稜郭であったといわれている。
桔梗野台場があった場所は諸説あるが、現在の比遅里神社(ひぢり じんじゃ、函館市桔梗町201番地)が推定地のひとつとされているという。
比遅里神社を地図で確認すると、五稜郭の北西約3km、国道5号線沿いの辺りにある。
四稜郭は五稜郭の北東約3kmのところにあるので、五稜郭、四稜郭、三稜郭を線で結ぶと逆三角形が描かれる位置関係ということとなる。

七稜郭について。
亀田郡七飯町峠下の山中に「峠下台場」と呼ばれる台場跡があるという。
台場跡には七つの突出した角があり、七稜郭とも呼ばれているという。
七飯町峠下を地図で調べてみると、新函館北斗駅の北約2km、五稜郭からすると北西約15kmのところにある。

機会があれば、三稜郭や七稜郭も訪ねてみたいものだ。
七稜郭は山中にあるというから、ちょいと無理かも。
次に函館を訪れるのはいつになろうか。
ひょっとしたら、もうないかもしれないが、もし、再び、となれば、この星型の絵葉書の写真にある五稜郭の桜が満開の頃に。
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信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇し、大満足!の旅であった。

フォト:2017年8月28日

(完)
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# by ryujincho | 2017-09-01 23:36 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(三)』 sg-5

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
続いて、郭内へ。
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特別史跡 五稜郭跡
昭和27年3月29日指定

五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
稜堡と呼ばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱建奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。
その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武明率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。
箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋楽採用の一端を示すものとして学事術上きわめて価値が高いことから北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。
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箱館奉行所。
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入館料500円也。
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日本古来の古建築の技術により復元された箱館奉行所、その内部の部屋、部屋を見学。
”歴史発見ゾーン”で、五稜郭と箱館奉行所の歴史の解説パネルにじっくりと目を通す。

「奉行所の守り 五稜郭の設計」。
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三種の絵図に目を惹かれる。
五稜郭タワー展望台に評定風景の場をあらわすミニチュアが展示されていた(写真:本ブログ第3話)が、その場に並べられていた図面である。
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右/箱館柳野御陣之図。
フランスの築城書を写したとされる図面である。
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央/五稜郭図(初度設計図)。
五稜郭の初期の設計図とされているもので、半月堡が5ヵ所に配置されている。
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左/五稜郭目論見図「五稜郭創置年月取調書」付図。
五稜郭の最終設計図の1枚とされる図面で、全体の寸法や建物配置の詳細が描かれている。
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これらの図面については、本ブログの第3話で触れたが、今一度、リピートしておこう。
・右側の図と中央の図は、全ての稜堡の間に半月堡が設けられている。
・左側の図は半月堡が1ヶ所しか設けられていない。
・左側の図が実際に築造された形に近い。

因みに、「半月堡」とは外塁の一種で、星形の稜堡と稜堡の間の外側に設けられた土塁である。
本来、半月堡は稜堡と稜堡の間の都合5ヶ所に設けられるものだが、工期と予算の都合から1ヶ所しか設けられなかった。
この1ヶ所の半月堡が表門近くに設けられたのは、表門から出撃する際に直接視野に入らないようにするためで、いわゆる「馬出(うまだし)」の役割を担うものであった。

当初の計画は、五稜郭と弁天・築島・沖の口台場の築造で、総工費41万両、工期20年というものであった。
しかし、蝦夷地警備を命じられた松前藩(戸切地陣屋)・津軽藩(津軽陣屋)・南部藩(南部陣屋)・仙台藩(白老陣屋)の各陣屋が既に完成していたことから、五稜郭や台場の工事が遅れると箱館市民や外国人に対して幕府の権威を失うことになり、且つ、財政逼迫の折でもあったため、五稜郭と、三つの台場のうち、弁天台場のみの築造に絞られた。
これに伴い、五稜郭の半月堡は5ヶ所から1ヶ所に減じられたのであった。

五稜郭の構造。
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五稜郭の形
①西洋にならった稜堡式城郭
五稜郭は、中世ヨーロッパで発達した城塞都市をモデルに設計されたもので、その形状は西洋文化をいち早く取り入れた先進都市箱館を象徴しています。
②防衛のシンボル
蝦夷地の政治的中心施設である箱館奉行所を防御する外堀としての五稜郭は、諸外国に幕府の威信を示す目的もありました。
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各部の特徴。
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---------------------------
①稜堡
西洋式土塁の特徴である稜堡と呼ばれる突角は、左右対称の星形五角形に配置されています。
稜堡は土塁で築かれ、一部に石垣が積まれています。
②見隠塁(みかくしるい)
本塁間の通路部分の内側に、中を見通すことができないように見隠塁が築かれています。
見隠塁は内側以外の三方が石垣となっています。
---------------------------
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---------------------------
③石垣
五稜郭全体の形状は西洋式ですが、石垣や土塁の積み方や堀の掘り方などは日本伝統の築城技術で造られています。
④半月堡
半月堡は、稜堡の外側にいくつも重ねられるものですが、五稜郭では最終的には南西側に1ヶ所だけ造られました。
---------------------------

箱館の古地図。
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五稜郭、函館湾、函館山、立待岬、大鼻岬、津軽海峡...。
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五稜郭の石垣を築くための石材は、立待岬近辺の崖から切り出され、海路、築造現場に運ばれたという。
五稜郭は海から3km足らずの距離にあり、五稜郭は、防御上、然程、有利な立地ではなかったと思われる。
更に、前掲のパネル説明にあった通り、五稜郭は諸外国に幕府の威信を示す目的もあり、工期・予算の都合で半月堡は1ヶ所した造られてなかったことなど、当時の幕府は堅固な要塞を築くことよりも形を優先したようにも思われ、後の箱館戦争で五稜郭に立てこもった旧幕府軍は兵力に勝る新政府軍の前に屈さざるを得なかったのである。

郭内から五稜郭タワーの展望台を見上げる。
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展望台も五稜郭に模して五角形となっていることは申すまでもなきことかと...。

フォト:2017年8月28日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-09-01 23:35 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(二)』 sg-4

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
これにて、信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇し、大満足!

ここで、函館五稜郭の歴史を簡単に綴っておこう。

1853年(嘉永6年)、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が来航。
翌1854年(安政元年)、徳川幕府はアメリカと日米和親条約を結び、下田と箱館(「函館」の漢字表記になったのは1869年(明治2年)のことである)の2つの港の開港を決定。

開港に伴い、幕府は直接、蝦夷地(「北海道」と呼称が変わるのは1869年(明治2年)のことである)を治めて開拓し、また、外国との応対のために箱館奉行を置いた。
箱館奉行が置かれた当初、奉行所は函館山の麓(現在の元町公園あたり)に設けられた。
しかし、同所は箱館湾内から至近かつ遮るものがなく、加えて、外国人の遊歩区域内である箱館山に登れば奉行所を見下ろせることから防御に適さないことから、亀田方面に「御役所四方土塁」(のちの五稜郭)を築き、奉行所を移転することとなった。

1855年(安政2年)、フランスの軍艦コンスタンティーヌ号が箱館に入港した際、箱館奉行所で器械製造と弾薬製造の御用取扱を務めていた武田斐三郎は、同艦の副艦長から指導を受け、大砲設計図や稜堡の絵図面を写し取り、この絵図面を基に五稜郭と弁天台場の設計。
1857年(安政4年)、五稜郭の築造を開始し、1864年(元治元年)に竣工。

武田斐三郎像(五稜郭タワー1階展示)。
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1867年(慶応3年)、大政奉還。
1968年(慶応4年/明治元年)、戊辰戦争、勃発。
新政府軍は、旧幕府軍に対し、降伏条件の一つである旧幕府艦隊の引渡を要求。
これを拒否した榎本武揚は旧幕府艦隊を率いて品川を出航、途中、仙台に寄港し、奥羽越列藩同盟軍や大鳥圭介・土方歳三等の旧幕府軍の残党勢力を収容し、蝦夷地へ。
榎本ら旧幕府軍は箱館五稜郭などの拠点を占領し、北海道地域に、通称、蝦夷共和国を樹立。

榎本らは北方の防衛開拓を名目として、朝廷の下での自らの蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出したが、新政府はこれを認めず、派兵。
旧幕府軍は、オランダ製最新鋭艦「開陽丸」を有し、当初は制海権を握っていたが、開陽丸は悪天候により江差で座礁沈没し、海軍兵力は低下。
旧幕府軍の兵力を上回る新政府軍は箱館を総攻撃、土方歳三は戦死、榎本武揚らは新政府軍に降伏し、戊辰戦争は終結した。

榎本武揚像(五稜郭タワー1階展示)。
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土方歳三像(五稜郭タワー1階展示)。
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もうひとつの、土方歳三像(五稜郭タワー展望台展示)。
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武田斐三郎は伊予大洲藩士、榎本武揚は幕臣で、いずれも西洋学を学んだ、いわば、エリートで、明治維新後も新政府で要職を務めた。
一方、土方歳三は農家の出身で、後に幕臣となるも、箱館で戦死。
榎本武揚と土方歳三はいずれも最後まで官軍と戦ったが、今に残る人気度は土方歳三。
五稜郭タワーにおいても、榎本武揚は立像一体であるが、土方歳三は立像と坐像の二体で、その人気度をあらわしているように思われる。

余談ながら、人気者といえば、北海道日本ハムファイターズのこの人も。
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五稜郭タワーから五稜郭へと向かう。

フォト:2017年8月27日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-09-01 23:34 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(うえ一)』 sg-3

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上ることに。
1階で展望券を買い求める。
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大人900円のところ、「〇〇県から来訪、タクシー利用」と告げると割引料金になるとのことで、そう告げると810円に。
ちょっと、得した気分。

エレベーターで展望台へ。
展望台から五稜郭を俯瞰!
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窓枠の都合で、右側の稜堡が欠けたので、右を優先してもう1枚。
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折角なので、左の稜堡をもう一度。
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周堀。
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これにて、信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇!
満足!

展望台で展示パネルに目を通す。
「世界の星形城郭」。
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五稜郭はヨーロッパで発達した「稜堡式城郭」をモデルに造られています。
この城郭は16世紀頃から、大砲の発達に対抗して考え出されたもので、外部の襲撃に備えて都市全体を城壁で囲んだ「城塞都市」が各地に造られました。
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世界地図に各地の星形城郭がプロットされている。
ヨーロッパの城郭。
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<オランダ>へレヴーツリュイス・・・変則的な星形で、稜堡は五つ以上あるように見える。
<オランダ>ナールデン・・・大きく張り出した、二つの稜堡と一つの半月堡が見えるが、星形かどうかは定かではない。
<オランダ>ドッカム・・・稜堡を数えてみると、これは六稜郭である。
<オランダ>ウィレムスタット・・・見事な星形だが、奥の稜堡は残っていないようだ。
<フランス>カレー・・・これは見事な四稜郭である。先ほど見学した函館の四稜郭は長方形だったが、こちらは正方形に近い。

本邦唯二の五稜郭、函館五稜郭と龍岡城五稜郭が並んで、登場!
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龍岡城五稜郭について、縷々述べたいところだが、ここでは控えたい。
郭内は、佐久市立田口小学校となっているとだけ記しておきたい。

設計図を広げ、築造計画を吟味中の光景。
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右側の図と中央の図は、全ての稜堡の間に半月堡が設けられている。
左側の図は半月堡が一ヶ所しか設けられていない。
右側の図は当初の計画図で、左の図が実際に築造された形に近い。

因みに、「半月堡」とは外塁の一種で、星形の稜堡と稜堡の間の外側に設けられた土塁である。
前掲の函館五稜郭の写真で半月堡はしっかりと見られるが、真上からの写真を見るとよりしっかりと認識することが出来る。
BSジャパン『空から日本を見てみよう plus』(毎週木曜夜9時放送)から拝借した写真で、函館五稜郭を真上から見てみよう。
写真最下端の、逆三角形の土塁が半月堡である。
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半月堡が一ヶ所しか設けられたなかった理由は予算と工期の都合とのことだが、詳しくは続編で述べたい。

函館五稜郭はヨーロッパにも負けない造り、いや、日本の城郭造りの技術をもってすれば、然程、難しいことではなかったのだろうなどと思いながら、展望台から1階へ下る。

フォト:2017年8月28日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-09-01 23:33 | 北海道2017 | Comments(0)