龍人鳥の徒然フォト日記

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2018年 01月 15日

『メジロ』

1月15日(月曜)、晴れ。
手賀沼北岸を走る。
木立の葉が不自然に揺れている。
数羽の小鳥がいるようだ。
しばらく木立を眺めていたところ、メジロが現れた。
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何やら、ご馳走を見つけたようだ。
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葉の間に顔を突っ込んで、ご馳走を見定めているようだ。
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フォト:2018年1月15日

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# by ryujincho | 2018-01-15 23:33 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 15日

『ヒヨドリ』

1月15日(月曜)、晴れ。
手賀沼北岸を走る。
ヒヨドリを眺める。
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ヒヨドリを見ると思い出すのは、柳田國男が利根町で少年期を過ごしていた頃の神秘体験のこと。
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「不思議の玉」
祠の扉を開けると美しい玉がありました。
その玉を覗いたとたん、國男はフーッと興奮し、妙な気持ちになりました。
布川で少年國男はこんな体験をしました。
この祠は、小川家が、明治14,15年頃、東作の祖母にあたる人が屋敷神としてまつったもので、屋敷の奥の方に建っていました。
祠には石の小さな扉がはまっていました。
その中がどうなっているのだろうか。
いたずらな少年は、ある春の日、だれもいないのを見計らっておそるおそる開けてみたのです。
すると実に綺麗な玉が入っていました。
それを見たとたん、気持ちが変になって、見上げた空に星が幾十も輝いているのが見えたのです。
と、突然、ヒヨドリが「ピーッ」と鳴いて、空を通りました。
その声で人心地がつきます。
「もし、あの時にヒヨドリが鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたかも...」と、後年、この日の体験を思い出して、國男はのべています。
このような体験が、のちのち、神隠しや異常心理、あるいは、民間の不思議な伝説に関心をいだかせ、『遠野物語』へつながっていったといえるでしょう。
(出典:利根町教育委員会編『少年柳田國男』)
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フォト:2018年1月15日

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# by ryujincho | 2018-01-15 23:32 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 15日

『サギ/ハス群生地にて』

1月15日(月)、晴れ。
手賀沼南岸を走る。
ハス群生地に差し掛かる。
サギの御一党さんを眺める。
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コサギ。
胸に垂れ下がるふわふわの羽毛が温かそう。
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ダイサギ。
ダイサギとチュウサギの見分け方は、嘴の合わせ目ラインが眼の下のどこまで伸びているかである。
後方まで伸びているのがダイサギ、眼の後端で途切れているのがチュウサギ。
ということで、ダイサギと判定。
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先日はオナガガモに<占拠>されていたハス群生地。
この日は、いつも通り、サギたちが群れていた。
やっぱり、<いつも通り>がよい。

フォト:2018年1月15日

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# by ryujincho | 2018-01-15 23:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 14日

『大学入試センター試験』

1月14日(日曜)、晴れ。
朝のニュース。
昨日は大学入試センター試験の1日目、
雪で苦労した受験生もいたという。

こういうニュースを聞くと、いつも思い出すのは一浪しての受験で上京するときのことである。
それは今を去ること、ちょうど、50年前、1968年の2月のことであった。
当時の新幹線は新大阪/東京間。
関ヶ原辺りの雪で、新幹線はいつもダイヤが乱れ勝ち。
小生が上京するときもダイヤは乱れに乱れ、指定席券を持っていても役に立たず、乗れる列車に乗るというものであった。
で、乗れる列車に乗ったのであるが、席は満杯。
さて、どうしたものかと思ったとき、車掌室が空いていることに気づいた。
そこに座っていたところ、車掌さんが通り過ぎた。
これから東京に受験に行くんですと伝えたところ、そのまま、そこに座っていてくださいと有難い言葉。
車掌室ではあったが、二人が座れる程度のベンチシートで、常用の車掌室ではなかったような気がする。
車掌室に座ったまま、無事、東京に到着。
そして、無事、第一志望の大学に合格。
いまでも、杓子定規な対応ではなく、便宜を図ってくれた車掌さんに感謝している。
因みに、当時は国鉄、JNRの時代であった。
新幹線に乗るのは、現役での受験上京時に続く、二度目であった。

50年前といえば、半世紀も前のこと。
そんなときのことを思い出しながら、冬の陽光が輝く手賀沼を眺め、ポタリングするのであった。
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フォト:2018年1月14日


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# by ryujincho | 2018-01-14 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2018年 01月 12日

『彼方の雲は雪雲だろうか』

1月12日(木曜)。
全国的に寒波が押し寄せて来ているが、関東だけは、有難くも、比較的穏やか。
手賀沼に出動。
北東の彼方の空に雲が湧き上がっている。
雪雲だろうか。
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フォト:2018年1月12日


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# by ryujincho | 2018-01-12 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2018年 01月 11日

『バン』

1月11日、晴れ。
手賀沼へ出動。
南岸を走っていたとき、沼とサイクリングロードの間にある草地で2羽の鳥が餌をついばんでいる姿が目に入った。
直ぐに jitensha を止めると驚いて逃げてしまうかもしれないので、10メートルばかり通り過ぎて jitensha を止めた。

先ずは、カメラに収めることが大事。
急ぎ、カメラを構え、シャッターを切る。
バンのようだが、そうでもないようにも見える。
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鳥の特徴を捉えるべく、ズームアップして<鳥見>。
普段、見掛けない鳥だなあと思う一方、バンではないかな?とも思いながら眺めるのであった。
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バンと思えるがそうでもないようにも見えるので、<鳥見ング>図でじっくりと眺めてみる。
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脇の白い斑点や緑色の足から、バンと思える。
しかし、バンの最も大きな特徴は真っ赤な嘴と額板だが、この2羽の嘴と額板は褐色である。
全体的に、羽の色も薄い。
バンの幼鳥か若鳥かもしれないと思うも確証はない。

電脳網で「クイナ科一覧」を検索し、クイナ科の鳥たちの写真と見比べてみた。
ピタリと該当するものはない。

翌日、図書館で鳥類図鑑を参照。
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体は黒っぽく、背は暗い緑褐色。
脇にある一筋の白い縦斑と下尾筒の白色の三角斑が目立つ。
足と指は長く、緑黄色。
冬羽は嘴の赤みがなくなる。
若鳥は全体が褐色で下面は淡色。
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「冬羽は嘴の赤みがなくなる」とある。
なるほど、成鳥であっても冬羽は嘴は赤くないのだ。
若鳥の特徴についても気になる。
別の図鑑で、若鳥の特徴を調べてみた。
若鳥の記述はなかったが、幼鳥の記述があった。
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幼鳥は全身が褐色で喉と下面は淡い。
嘴は黄褐色で、虹彩は黒い。
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成鳥の虹彩は赤いが、幼鳥の虹彩は黒いということが分かった。
<鳥見ング>図を見ると、虹彩は黄褐色である。

あれやこれやを総合的に考えると、手賀沼南岸で出遭った2羽は、バンの若鳥である可能性が高い。
機会があれば、鳥の博物館の学芸員さんに確認しておきたい。

フォト:2018年1月11日




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# by ryujincho | 2018-01-11 23:32 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 11日

『手賀沼ポタ/戌年なので犬を撮った』

1月11日(水曜)、晴れ。
全国的には昨日と変わらず寒い日が続いているが、関東地方は穏やかな天気。
愛馬に跨り、手賀沼へ出動。
昨日は風が強かったが、今日は微風。
快適。

南岸を走る。
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北岸を走る。
散歩中のワンちゃんに遭遇。
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今日は1月11日、数字並びのワン・ワン・ワンに因んで、SONYの犬型ロボット、Aiboの発売日でもある。
以前、次男坊の持ち物で、我が家にAiboが居たことがある。
新型のAiboの動きをテレビで眺めながら、昔のAiboの仕草を思い浮かべるのであった。

話が反れた。
散歩中に遭遇したワンちゃんに話を戻そう。
「ワンちゃんのお年は?」。
「去年の6月に生まれた秋田犬です」。
「酉年生まれのワンちゃん。今年は戌年、1枚、写真を撮らせてください」。
で、撮らせてもらったのが前傾の写真。

「毛はフワフワですね。正三角形の耳がこれまた素敵ですね。もう1枚、正面顔を撮らせてください」。
正面顔を撮ろうとするも、そう上手くはいかない。
幼くも凛々しい横顔を撮った。
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フォト:2018年1月11日



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# by ryujincho | 2018-01-11 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2018年 01月 10日

『手賀沼/飛翔するミサゴ、群れるオナガガモ』

1月10日(水曜)、晴れ。
日本海側では爆弾低気圧で荒れ模様と報じられている。
天気は、全国的には、雪、雨、曇りだが、関東地方だけは晴れの予報で、事実、冬晴れ。
愛馬に跨り、手賀沼へ出動。
風が強い。
冬には珍しく、南西の風、冷たい風ではない。

北岸を西へ走る。
上空にミサゴの姿が。
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西から東に飛翔。
太陽の光線の具合で空の色はくすんだ青に。
ミサゴは太陽の光の中に入り、その姿は消えてしまった。
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手賀沼西端から南岸に入る。
南岸を西から東へ走る。
追い風基調、楽チン。
ハス群生地に差し掛かる。
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コブハクチョウやサギらが餌をついばんでいるのが普段の光景だが、今日は何だか雰囲気が違う。
ズームアップして様子を探る。
オナガガモが群れをなして羽を休めているのであった。
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フォト:2018年1月10日


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# by ryujincho | 2018-01-10 23:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 04日

『走り初め+鳥見初め』

1月4日。
三が日は御年賀、初詣などで過ごし、今日4日、走り初め。
ホーム・コースの手賀沼へ出動。

南岸を走る。
jiensha を止めて、お気に入りの入り江の景色を眺める。
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左から右手に鳥が横切り、竹の杭に止まった。
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カワセミや!
鳥見初めがカワセミとはラッキー!
最初に止まった竹の杭はお気に召さなかったのか、塩ビの杭に移動。
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塩ビの杭もお気に召さなかったようで、すぐに別の杭に。
破船が繋がれた杭なので、見てくれのよろしくない背景ながら、カワセミにはここがお気に召したよう。
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次は足元で何かが動いた。
そちらにカメラを向け、シャッターを切った。
鳥見初め第2号はアオジであった。
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再び、入り江を眺める。
僅かに氷が張っている。
氷結部と不凍結の間が潮目のようにくっきりと。
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手賀沼東端、曙橋から沼を眺める。
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北岸に入る。
いつも係留されている小舟と湖面に光る陽光、これもお気に入りの景色だ。
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沖合いの浅瀬は氷結しているようである。
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氷結部と不凍結の境目を泳ぐカモ。
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<走り初め>のつもりで出掛けたのだが、カワセミで始まる<鳥見初め>も叶った、今日の手賀沼一周ポタリングであった。

フォト:2018年1月4日
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# by ryujincho | 2018-01-04 13:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2018年 01月 03日

『初詣』

正月三日。
初詣。
成田山新勝寺。
超広角レンズを持って。

仁王門。
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大本堂前。
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大本堂にて参拝。
表に出て、三重塔を見上げる。
最近の初詣では珍しい光景だが、着物姿の娘さんがいたので、それも一緒に。
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三重塔の装飾は、着物姿の娘さんに負けず劣らず美しい。

平和の大塔。
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大塔の2階の明王殿で、本尊の不動明王、四大明王を参拝。
明王殿の壁画、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図を眺める。
尾垂が浜に本尊が上陸したことも描かれていた。
昨年2月、龍尾寺(匝瑳市)から成田山本尊上陸の地である尾垂が浜(山武郡横芝光町)を訪ねたときのことを思い出しながら、壁画を眺めた。


醫王殿。
昨年秋、紅葉狩で訪れたときには、醫王殿まだ工事中であったが、その後、11月28日、醫王殿入仏落慶大法会が執り行われたことを報道で知り、初詣で、是非、参拝したいと思っていた。
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御手綱。
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御手綱を握り締め、祈る。
そして、醫王殿内へと進む。
醫王殿に安置された薬師如来、そして、薬師如来を護る十二神将を間近にして参拝。
薬師如来の指には御手綱が優美に結ばれているのをこの目でしっかりと見た。

表に出ると先ほどよりも参拝者の列は増している。
彼らも回向柱の御手綱を握り締めた後、醫王殿内へと進んで行く。
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醫王殿に安置された薬師如来と回向柱を繋ぐ御手綱をアップで。
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こうして、恒例の成田山初詣を無事終えることが出来た。
すっきり!

フォト:2018年1月3日
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# by ryujincho | 2018-01-03 23:31 | Comments(0)
2018年 01月 02日

『初詣』

正月二日、初詣。
紅龍山 布施弁天 東海寺。
通称「布施弁天」。

楼門は竜宮城風。
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本堂と冬晴れの空。
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鐘楼の十二支。
今年の干支は、戌。
戌の彫刻に白い房が据えられている。
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フォト:2018年1月2日

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# by ryujincho | 2018-01-02 23:31 | Comments(0)
2018年 01月 01日

『謹賀新年』

謹賀新年。
2018年
平成30年
戌戊(つちのえ いぬ、ぼじゅつ)

元旦。
次男夫婦が何処で紙粘土をゲットして来た。
紙粘土で拵える御題は「犬」。
みんなで紙粘土細工に腕をふるった。
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番号札は出来映えの順位ではなく、あみだくじでの当たり番号。

フォト:2018年1月1日


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# by ryujincho | 2018-01-01 23:31 | Comments(0)
2017年 12月 30日

『走り納め 2017/霞ヶ浦ポタリング/歳末漁師市&富士見塚古墳』

12月29日(金曜)、晴れ。
今年の走り納め。
走り納めは、コースは異なれど、一昨年末、昨年末、本年末と3年連続で霞ヶ浦。

今年のコースは、JR土浦駅~西浦中岸~霞ヶ浦大橋~歳末漁師市@行方市 道のえき「たまつくり」~霞ヶ浦大橋~西浦中岸~富士見塚古墳~西浦中岸~JR高浜駅。
メンバーは武衛さんと小生の2名。

湖岸を走る。
ハス田が続く。
昨年末に比べ、レンコンの収穫作業をしている人が多い。

「上総さん、ハス田に鳥の群れが」と武衛さん。
「何の鳥でしょうかね。ズームアップしてみましょう」。
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「シギです。何という名のシギか、パッと出て来ないのが寂しいところです(帰宅後、調べてみたところ、ハマシギであった)」。
更に言葉を続けて「シギといえば、先日、手賀沼で初めてツルシギなる鳥を見ました。我孫子野鳥の会のホームページを参照したところ、毎年のように見られる種ではない、とありました。掲載されていた写真は夏羽のツルシギでした。冬羽の写真が掲載されていないということは、ひょっとしたら、手賀沼で冬羽を見たのは小生が初めてかも...」。

ハス田は続く。
「去年はハス田にオオバンが群れをなして泳いでいましたが、今年はいませんね」。
「レンコンは1mくらいの深さのところに生えているそう。この深さだとオオバンは潜っても届かないそう。収穫をし易くするため、深さ50cmくらいのところに生えるレンコンを育てている農家もあるそうです。深さ50cmのレンコンはオオバンが突いて商品価値が落ちるそうです。で、ハス田にネットを張っているそうです」。
と話をしながら走っていると、オオバンがネットに引っかかっているハス田が目に入った。
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懐かしの「やましち」。
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「一昨年の11月、大給守さん、伊豆守さんとこのルートを走ったときに、彼らはこの『やましち』に立ち寄り、ワカサギの佃煮やコエビの佃煮をゲットしました。そのとき、天日干ししているシラウオを眺めながら、これは佃煮用と思っていましたが、先日、テレビで『寒曳きシラウオの煮干し』と言っていました」。
そんなことを武衛さんに話していたところに、佃煮工場から男性が出て来たので、尋ねてみた。
「佃煮にするシラウオは天日干しですか、生ですか」。
「佃煮は生です。シラウオの天日干しは煮干しです。シラウオの煮干しは旨いですよ」(と茨城なまりで答えてくれた)。

かすみがうら市水族館。
ちょっと休憩。
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「上総さん、バナナ、食べますか」。
「バナナ?家から持って来たんですか?」。
「いえ、さっき、土浦の駅前のコンビニで昼餉のおにぎりを買ったときに、一緒に買いました」。
「コンビニにバナナを売ってるんですね」。
なかなか旨いバナナであった。

観光マップを眺める。
この日、訪ねることにしている富士見塚古墳のほかに幾つか古墳が散見される。
参考のために、北から順に古墳の名をここに挙げておこう。
風返大日山古墳、風返浅間山古墳、風返稲荷山古墳、太子古墳、富士見塚古墳、坂稲荷山古墳、折返十日塚古墳、牛塚古墳、銚子塚古墳。
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霞ヶ浦大橋を渡り、道のえき「たまつくり」で開催中の歳末漁師市に到着。
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一昨年の暮れの走り納めで、大給守さん、南国守さん、小生の3人で、JR高浜駅~西浦中岸~霞ヶ浦大橋~西浦東岸~石岡市内~JR石岡駅のコースで霞ヶ浦ポタをした際、偶然、歳末漁師市に遭遇。
白魚のかき揚げを試食、これが誠に旨かった。
この話を武衛さんにしたところ、是非、行きたいとのことで、昨年の暮れの走り納めで、霞ヶ浦漁師市(行方市)~三昧塚古墳(同)~舟塚山古墳(石岡市)~府中愛宕山古墳(同)~茨城廃寺跡(同)のコースで、史跡めぐりを挙行したのであった。
本年も武衛さんから「また、霞ヶ浦へ行きたいですね」との希望があり、霞ヶ浦漁師市+富士見塚古墳(かすみがうら市)を企画したのであった。

白魚のかき揚げを試食する。
旨い。
白魚の塩辛も試食する。
これは塩辛い。
塩辛だから当然か。
柚子の香りがよい。
持参したコンビニおにぎりを食す。
武衛さんがコンビニでゲットしたバナナも食す。
腹いっぱいとなった。

昨年、出店していた郵便局さんは今年も出店していた。
昨年、会話を交わした局員さんがいた。
こちらから声を掛ける前に、先方から「あっ、去年、お会いしたお二人さんですね」と声を掛けてくれた。
嬉しいことであった。
今年も、しばし、歓談。

道のえき「たまつくり」の駐車場に水陸両用車が停まっていた。
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「これは水陸両用車ですね」。
「そうです」。
「幾らくらいするんですか?3000万円くらいですか」。
「いやいや、もっと高いです」。
「乗車料金は幾らですか」。
「これは、なめがたファーマーズヴィレッジの送迎車なので、1回幾らの営業はやっていないんです。因みに、この水陸両用車の導入を検討していためとき、横浜や東京で営業している水陸両用車にも乗りましたが、横浜の乗車料金は3800円と高かったです」。
「霞ヶ浦のどの辺りを走るのですか」。
「北浦がメインです。霞ヶ浦(西浦の意)の方は予科練などでよく知られていますが、北浦が水上飛行機の訓練場となっていたことは余り知られていません。水上飛行機の訓練場がまだ残っており、それを利用して水陸の移動が出来るようになっています」。
「北浦が水上飛行機の訓練所だったとは知りませんでした。勉強になりました」。

行方市観光物産館で、干し芋、スナック菓子のなっとう棒、かき餅などをゲット。
物産館の裏手から霞ヶ浦と筑波山を眺める。
この場所からこの景色を眺めるのも恒例となった。
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昨年暮れは、手前の道を右方向へ走り、三昧塚古墳を訪ねたのであった。
今回、訪ねる富士見塚古墳(かすみがうら市柏崎)は対岸のこんもりとしたところの左手辺りであろうと思われるが、さて?

再び、霞ヶ浦大橋を渡り、行方市から かすみがうら市に入る。
霞ヶ浦大橋西詰から湖畔の道を北上する。
菱木川を渡り、湖畔の道から外れ、県道118号線を走る。
右手に「富士見塚古墳公園」の標識が現れた。
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石段を上ると、3基の古墳が現れた。
富士見塚1号古墳は前方後円墳(築造推定時期:5世紀末から6世紀初頭)、富士見塚2号古墳は円墳(築造推定時期:1号古墳と同じ、5世紀末から6世紀初頭)、富士見塚3号古墳は円墳(築造推定時期:6世紀末)。

富士見塚1号古墳。
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墳頂に立ち、対岸に位置する三昧塚古墳を探す古墳ハンター、二人の影。
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事前の調べで、霞ヶ浦を挟んで、南に位置する三昧塚古墳と北に位置する富士見塚古墳は図ったようにぴったりと南北に位置していることは分かっていた。
武衛さんは霞ヶ浦全体と筑波山の位置も分かる地図を傾向、小生は富士見塚古墳と三昧塚古墳を南北に一直線に結ぶ地図を携行。
これらを参照しながら、対岸の三昧塚古墳の位置を絞り込んで行った。
カメラのズームを望遠鏡代わりにして、その絞り込んだ位置を舐めるように眺めて行った。
見えた!三昧塚古墳の姿が!
前方に桜の枝が被っている。桜の枝をかわすため、墳頂を少し移動し、遠・中・近でズームを動かし、シャッターを切る。
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昨年の暮れ、三昧塚古墳を訪れており、周辺の様子が分かっているので、富士見塚古墳の墳頂から見つけることが出来たのであろう。
満足!

本ブログでは富士見塚古墳のことよりも対岸の三昧塚古墳がメインになってしまった感ありだが、富士見塚古墳の詳細については、いずれ、兄弟ブログ「上総守が行く!(二代目)」で「常陸国史跡めぐり/富士見塚古墳」と題し、綴ることとなしたい。

今日の jitensha。
背後の校倉造り風の建物は富士見塚古墳展示館。
この日は年末年始の休館日で見学は出来ず。
事前に電話で確認済みなので、「あっ、閉館や」ということではなく、残念という気持ちはない。
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湖畔の道に出て、北上する。
三昧塚古墳が最も近いと思われるところで jitensha を止め、対岸を眺める。
三昧塚古墳がはっきりと見える。
やっぱり嬉しい!
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JR高浜駅から常磐線に乗り、帰途に就く。
土浦駅で途中下車し、土浦駅前の天ぷら「八起」で反省会、白魚の天ぷら、蓮根の天ぷらで一献、蓮根麺で〆とのプランもなくはなかったが、年末のことでもあり、反省会はなしにして、年明けに新年会(兼)反省会をやることとした。

走行距離45.80km。
企画時、往路(土浦駅~道のえき たまつくり)25km、復路(道のえき たまつくり~高浜駅)20kmと見込んでいたので、ピタリ賞。
気持ち、良し!
幾度も同じコースを走っているから、当たり前のことかな。

冬晴れ、ほとんど風もなく、快適な冬のポタリングであった。

来年も史跡めぐりを中心にいろいろとポタリングのアイデアあり。
愉しみ、愉しみ...。

フォト:2017年12月29日


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# by ryujincho | 2017-12-30 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 30日

『ハマシギ』

12月23日、手賀沼でツルシギを見た。
12月29日、霞ヶ浦でハマシギを見た。
年末になって、シギづいている。

ハマシギ。
霞ヶ浦/ハス田にて。
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冬鳥、または、旅鳥として日本全国に飛来する。
特徴は、やや下に湾曲した嘴。
先日、見たツルシギはゆっくりとした動きだった。
一方、ハマシギは落ち着きなく、スッ、スッ、スッと動き、ハス田の泥に嘴を突っ込んで餌を採っている。
ハス田の水深は浅く、氷が張っているように見える(事実、張っているのだろう)。

フォト:2017年12月29日、霞ヶ浦(西浦)中岸にて
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# by ryujincho | 2017-12-30 23:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 12月 23日

『初お目見え/ツルシギ(冬羽)』

12月21日(木曜)、晴れ。
手賀沼周遊。

北岸を走っていたとき、畔にいる1羽のユリカモメが目に入った。
その脇に、何やら見慣れない鳥がいるように見えた。
jitensha を止め、畔を眺めた。
やはり、ユリカモメの脇に、見慣れない鳥がいる。
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水鳥独特の、頭を背に潜らせての休息ポーズなので、顔は見えない。
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しばらく待ったところ、動き出した。
シギの一種であることは分かるが、名前は分からない。
名前は後ほど調べることにして、折角、動き出してくれたことでもあり、シギさんに感謝しながら<鳥見>に集中。
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なかなか可愛らしいシギだ。

さて、鳥の名調べ。
見た目で印象に残る特徴は、オレンジ色の脚。
「シギ 脚 オレンジ色」でネット検索してみた。
ズバリ、これ!といったものにヒットせず。
「シギ・チドリ識別メモ」なるものに目を通す。
この資料は、和名・学名・英名/分布/大きさ/嘴/足/声などが一覧になっている。
「足」の項をひとつずつ見ていく。
オレンジ色の足というのは見当たらない。
赤色の足というのが2種あり、鳥の名を見た。
ツルシギとアカアシシギ。
これらの写真と小生の撮った写真を見比べてみる。
ツルシギかアカアシシギのどちらかであることが分かった。

更に、ツルシギとアカアシシギについて調べてみたところ、「冬羽のツルシギとアカアシシギはよく似ている。見分け方はくちばしの色。ツルシギは下くちばしの基部のみが赤く、アカアシシギは上下のくちばしの基部が赤い」ということであった。

小生の撮った写真のくちばしを見たところ、下くちばしの基部のみが赤いので、ツルシギと判定。

「シギ・チドリ識別メモ」の「分布」の項で、ツルシギは旅鳥となっている。
更に詳しく調べてみた。
ユーラシア大陸の寒帯や北極圏で繁殖し、冬季はアフリカ大陸中部、地中海沿岸、中近東、インド、東南アジアに渡って越冬する。
日本には、旅鳥として春と秋の渡りの時期に全国的に渡来する。
秋よりも春の渡りの方が渡来数は多い。
まれに越冬する個体もある。

今は秋ではなく、冬、しかも1羽だけ。
旅の途中で群れからはぐれ、手賀沼に飛来したのであろうか(群れで旅をするのかは不詳ながら)。
手賀沼で越冬するつもりなのだろうか。
であれば、時折、その姿を見られるかもしれないのだが...。
いずれにせよ、初お目見えのツルシギであった。

フォト:2017年12月21日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-12-23 23:33 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 12月 23日

『寒雀』

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広辞苑。
【寒雀 かんすずめ】
寒中の雀。美味で薬になるという。<季語 冬>

昔はスズメの姿焼きなんていうものがあった。
今や、スズメを捕って喰おうなんていう時代ではない。
スズメには安心な時代である。

フォト:2017年12月21日、手賀沼南岸にて
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# by ryujincho | 2017-12-23 23:32 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 12月 23日

『手賀沼ポタリング/対空標示(ヘリサイン)』

12月21日(木曜)、晴れ。
手賀沼一周に出動。

手賀沼東端、曙橋近くでサイクリングロードの路面に「手賀曙橋」と白塗りで大書された文字が目に入る。
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一昨日の午前、にここを走ったときはなかった白色文字だ。
ということは、一昨日の午後が昨日、施工されたこととなる。
「手賀曙橋」をアップで。
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「手賀曙橋」に続く文字もアップで。
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【手賀沼土改】と書かれている。
「土改」は「土地改良」の略だとは思うが、「手賀曙橋【手賀沼土改】」の標識文字はサイクリストや散歩の人に「ここが曙橋ですよー」と知らせるにしては大袈裟な標識文字である。
サイクリストや散歩の人に「ここが曙橋ですよー」と知らせる目的なら、道の脇に1本、「手賀曙橋」と書かれた標識を立てておけば、事は足りると思われる。

曙橋北詰の駐車場にも、同様の文字が白塗り大書されていた(写真はなし)。

帰宅後、「手賀曙橋手賀沼土改」でネット検索してみた。
柏市役所のホームページにヒット。
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これは、国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所が設置した「対空標示(ヘリサイン)」と言われるもので、地震・出水等の災害時に上空から河川の被災状態を把握した位置の特定が迅速に確認でき、また、カメラ映像により河川を上空から撮影した場合、その位置を速やかに特定するための一助となるものだそうです。
「手賀沼曙橋 手賀沼土(地)改(良区)」と書かれています。
縦横3mx3m,2mX2mと大きな文字です。
---------------------------------

なるほど、そういうことだったんだ。

そういえば、いつぞや、荒川サイクリングロードを走っていたとき、路面に白塗りで大書された「鹿浜橋」の文字を見た記憶がある。
これはサイクリストのための標識と思っていたが、そうではなく、対空表示(へりサイン)かもしれない。

フォト:2017年12月21日
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# by ryujincho | 2017-12-23 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 22日

『ジャズ・コンサート』

12月12日、久方ぶりに、関西の盟友、播磨守さんと電子飛脚便交信。
「12月17日、熟年バンド、ジャズのコンサートに出演します」と。
「写真を1枚、送って貰えると嬉しいです」と返信。
12月21日、電子飛脚便と共にコンサートの写真が送られて来た。
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熟年バンドのメンバーの中には、播磨守さんのほか、穴子奉行さん、御典医さん、呑々守さん、本町奉行さんらの盟友の姿もあり。

播磨守さんからの電子飛脚便によれは、演目は次の通り。
シルヴァリー・ムーン
ビギン・ザ・ビギン
メモリーズ・オブ・ユー
ハロー・ドーリー
想いでのサンフランシスコ
テイスト・オブ・ハニー
マンボ No. 5
ムーンライト・セレナード

曲名を見ただけで音色が聴こえて来る。
熟年バンド、よー、頑張ってはります。

フォト:2017年12月17日、播磨守殿提供
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# by ryujincho | 2017-12-22 23:31 | Comments(0)
2017年 12月 17日

『サザンカ』

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サザンカの花を見ると、ツバキとどう違うのだろうといつも思うのだが、調べもせずにそのままに。
で、調べてみた。

主な違いは次の通りであった。
花期:サザンカは10~12月、ツバキは12~4月
花の咲き方:サザンカは平開、ツバキは平開しない
落花:サザンカは花弁がバラバラに散る、ツバキは首から落ちる
実:サザンカは表面に毛がある、ツバキは表面はツルツル

余談ながら、サザンカで思い出すのは、やはり、童謡の『たきび』である。
都内ポタリングで、中野区上高田の「たきびの歌発祥の地」を訪ね、歌詞にある♪垣根の垣根の曲がり角♪を眺めたこともある。
そして、もうひとつ、思い出すのは、芸名、山茶花究、それに連動して、八波六十四の名である。

フォト:2017年12月17日、手賀沼北岸にて
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# by ryujincho | 2017-12-17 23:32 | 花紀行 | Comments(0)
2017年 12月 17日

『手賀沼周遊 2017.12.17』

12月17日(日曜)、晴れ。
手賀沼周遊。
愛馬に跨るのは、12月2日以来、2週間ぶり。

12月1日、今日から師走だ、今月も頑張って走るぞ!と日課の手賀沼を一周。
翌2日も手賀沼へ、しかし、5kmばかり走ったところで、体調不良を感じる。
普段、手賀沼一周は大したことではないと思っていたが、このときばかりは無理と感じ、Uターンして帰宅。
過去、所期の目的を達せず、途中リタイアしたのは一度しかないと記憶。
それは、利根川CRから利根運河CRを経由して江戸川CRを走り、江戸川河口を目指していたとき、疲れを感じ、江戸川CRから外れ、最寄り駅の松戸から輪行、帰宅したことがあった。
このときは30kmくらい走ってからのことだったが、今回は5kmほどだったので、Uターン帰宅は大いにショックであった。
ショック払拭のため、しばらく休養、そして、本日の出動となった次第。

手賀沼東端、曙橋にて。
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手賀沼を眺める。
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手賀川を眺める。
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空高く飛ぶ、カワウ。
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沼と川を行ったり来たりして泳ぐ、カンムリカイツブリ。
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快走にて手賀沼一周。
ショック、払拭が叶う。

フォト:2017年12月17日
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# by ryujincho | 2017-12-17 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 14日

『赤穂浪士討入凱旋の旅(下の巻)』

12月14日(木曜)、晴れ。
赤穂浪士吉良邸討ち入りのこの日、高輪泉岳寺の義士祭に出掛けた。
しばし、泉岳寺で過ごし、そのあと、泉岳寺に程近い、浪士らの御預け四家のひとつ、細川家下屋敷跡へ。
そして、来た道を戻り、再び、泉岳寺山門脇へ。

大石内蔵助の辞世を思い浮かべつつ、像を見上げる。
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大石内蔵助の辞世。
あら楽し
思ひは晴るる
身は捨つる
浮世の月に
かかる雲なし

因みに、「あら楽し」が「あら楽や」となっている文献もある。

なお、大石内蔵助の実際の辞世は次の通りとも言われている。
極楽の
道はひとすぢ
君ともに
阿弥陀をそへて
四十八人

やっぱり、「あら楽し...」が内蔵助さんらしくていいんじゃないかと思うのだが、さて...。

大石内蔵助像に関わる説明書き。
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大石内蔵助銅像
この銅像は、浪曲の宗家、桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもので、所有が転々としていましたが、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に序幕したものです。
内蔵助が、当時の風俗である元禄羽織を身につけ、連判状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したものです。
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Bronze statue of Oishi Kuranosuke
The leader of the Ako Gishi r 47 loyal retainers who the attack on Kira's residence.
The statue was built in 1921.
He holds a roll listing the name of the loyal retainers.
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「浪曲の宗家、桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもの」とある。
浪曲と講談は異なるが、2001年、2002年、2003年と赤穂で忠臣蔵三百年祭が開かれた際、東西の講談師が赤穂に集結し、義士伝が演じられたことが思い出される。
何故、3年に亘り、忠臣蔵三百年祭が開かれたのか、それは、松の大廊下事件により浅野内匠頭が切腹した1701年(元禄14年)から300年、赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入った1702年(元禄15年)から300年、そして、寺坂吉右衛門を除く46名が切腹した1703年(元禄16年)から300年と、赤穂は三度、三百年祭を執り行ったのであった。
2000年から関西に単身赴任した小生は、赤穂に出掛け、これら三度の三百年祭を体験し、その中で、講談も耳にしたのであった。
記憶に残っているのは、女流講談師、神田紅が立て板に水ですらすらと四十七士の名を挙げたことであった。
流石、プロだなと思った。

大石内蔵助像の英文説明書きに"loyal retainers "とある。
この言葉を見て、思い出したことがある。
それは、2000年に綴った「赤穂浪士討入凱旋の旅」<番外編>で次のようなことに触れたことだ。
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<The Loyal Ronins>
日露戦争終結後、米国大統領セオドア・ルーズベルトの仲介により、1905年(明治38年)、米国ポーツマスにおいて日本全権小村寿太郎とロシア全権ウィッテの間で日露講和条約が結ばれた。
セオドア・ルーズベルトは日露の仲介を積極的に行い、且つ、日本贔屓であったので、小村寿太郎がその理由をセオドア・ルーズベルトに問うたところ、彼曰く、「自分は『忠臣蔵』を読んだことがある。忠誠心の深い日本人が大好きだ」と。
因みに、英訳「忠臣蔵」のタイトルは”The Loyal Ronins”である。
一度、読んでみたいものだ。
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幟旗「忠臣蔵を大河ドラマに 義士親善友好都市文流会議」。
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NHK大河ドラマで赤穂浪士を題材としたのは、『赤穂浪士』(1964年)、『元禄太平記』(1975年)、『峠の群像』(1982年)、『元禄繚乱』(1999年)の4作である。
1999年以来、暫く、途絶えている。
2020年の東京オリンピックの年に、”The Loyal Ronins”と題し、放送されると期待したい。

ポスター。
山門脇のこの位置にポスターが貼られるのも毎年恒例である。
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右側のポスターは、新橋演舞場/舟木一夫特別公演『通し狂言 忠臣蔵 花の巻(昼の部) 雪の巻(夜の部)』。
大石内蔵助は舟木一夫、浅野内匠頭は尾上松也、吉良上野介は里見浩太朗。
舟木一夫は顔立ちからして浅野内匠頭であろうが、芸能生活55周年とのことなので、大石内蔵助を演じるのもよかろう。
吉良上野介は悪役の似合う役者というのが相場ではあるが、二枚目の里見浩太朗が演じるというのはなかなかに面白そう。

昔の正月映画はオールスターキャストでの「忠臣蔵」、「赤穂浪士」が定番であった。
特に東映、大石内蔵助は片岡千恵蔵、浅野内匠頭は大川橋蔵。
その後の、年末年始の長時間テレビ・ドラマに。
先日、日本テレビで再放映された、年末時代劇スペシャル『忠臣蔵』(1985年)を観た。
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1985年当時、この『忠臣蔵』を観た記憶はなく、興味深く観た。
大石内蔵助は里見浩太朗、浅野内匠頭は風間杜夫、そして、吉良上野介は、何と、森繁久彌。
松の大廊下で、吉良が浅野を苛めるとき、「田舎侍」とか「鮒侍」と呼ぶのが通例(?)かと思うが、このドラマでは、贈り物が鰹節5本であったことから、これに引っ掛けて、「かつお武士、かつお武士」と言いながら苛めていた。

このトラマの中で、浅野内匠頭刃傷のあと、御側用人、柳沢吉保が将軍綱吉に刃傷があったことを報告する際、「処罰のことはのちのこととして、勅使饗応役の代わりは如何致しましょうか」とお伺いを立てると、「下総佐倉の戸田能登守にさせい」との綱吉の言葉があった。
こうした代役の名が出た映画やドラマはこれまでに観たことはなかった。

で、下総佐倉の戸田能登守について調べてみた。
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戸田 忠真(1651年-1729年)
江戸城中で勅旨饗応役浅野内匠頭が高家吉良上野介に斬りつける事件があった際、急遽、勅使饗応役の代役を担当した。
急遽の大任を果たしたにも拘らず、将軍綱吉の不興を買ったのか、同年のうちに下総佐倉から越後高田に移封となった。
将軍綱吉が死去した後、下野宇都宮へと再度関東への移封(帰還)となり、戸田家は高田より雪の少ないことを大いに喜んだ。
後年、老中を務めた。
(ウィキペディア等より抜粋)
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以前から代役は誰が務めたのであろうかと思っていたこともあり、このドラマで新しい知識を得ることが出来た。

余談続きに、テレビ・ドラマの話をもうひとつ。
現在、BS12 トゥエルビで、三船敏郎主演のテレビ時代劇『大忠臣蔵』(1971年、全52話、NET、三船プロダクション作品)が再放映されている。
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この『大忠臣蔵』は全52話の大長編であるから、講談や浪曲でいうところの、刃傷から討入・切腹に至るまでを語る〈本伝〉に加え、討入に参加した四十七士のエピソードを描いた〈義士銘々伝〉、周辺の人物を扱った〈義士外伝〉なども織り込まれている。

吉良上野介が浅野内匠頭を苛めた背景は物語によって異なるが、そのひとつに、吉良上野介は赤穂の製塩方法を吉良郷にも取り入れたいと思い、その伝授を頼むも浅野内匠頭をそれを断ったということがある。
三船敏郎の『大忠臣蔵』では、国許の大石内蔵助が江戸で吉良の要請を断ったことを知り、それでは殿が危うい立場になると慮り、製塩方法を記した巻物を携えた早馬を江戸へ遣り、無事に届くも、浅野内匠頭は「それには及ばぬ」と吉良に渡すことはなかったという場面があった。
全52話の大作であるからこその、こうした肌理細かい物語の展開が織り込まれており、流石、三船プロダクションだと思った。

中門を抜け、外に出る。
武衛さん曰く、「夜、また、泉岳寺に来ます」。
「えっ?何故?」。
「孫がスマートボールを遣りたがっているんです。去年、景品をゲットしたもんで、今年も遣りたいと」。
「境内、参道、門の外と露店は並んでいますが、スマートボールは見当たりませんね」。
近くの露店の小粋な姐さんに尋ねたみた。
「ちょいとお尋ねしますが、スマートボールの店が出ているでしょうか」。
「最近、店の数が減っていますんで、さて?」。
「お忙しいところ、スミマセン。探してみます」。
中門前の通りを南側へ下ってみた。

あった、露天が居並ぶ一番端っこに。
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武衛さんと孫さんは、今夜、吉良邸ならぬ、このスマートボール屋へ討ち入りだ。

「この近くに、武衛さん御用達の床屋がありましたね」。
「第一京浜沿いです。ちょっと寄ってみましょう」。
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11:50、泉岳寺駅から新宿へ。
鮨屋で、Yさん、Kさんと中学同窓会の幹事会(同窓会を開催する予定はないのだが)。
久しぶりの会で、大いに会話は弾んだ。
御酒を三合も頂戴してしまった。

夕、武衛さんより夜の泉岳寺義士祭の様子を伝える電子飛脚便と写真が届いた。
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予定通り、孫を義士祭に連れて行きました。
昼は年配者が主体でしたが、夜は会社帰りの勤め人が結構来ていました。
写真は7時ころですが、子供も多く出ていました。
孫は、案の定、スマートボール台に!
最近の香具師は、小さい子でもビンゴが取れるようにおまけをしたり、サービスのコツを知っています。
お陰で常に満席でした!
写真は「義士祭夜の賑わい」です。
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昼も夜も大勢の人出。
老若男女、みんな、赤穂浪士が大好き!なのである。
もちろん、小生も含め、であることは申すまでもなきこと。

泉岳寺義士祭、そして、新宿でのミニ同窓会。
師走の14日は、いい1日を過ごすことが出来た。

フォト:2017年12月14日

(完)
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# by ryujincho | 2017-12-14 23:33 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 14日

『赤穂浪士討入凱旋の旅(中の巻)』

12月14日(木曜)、晴れ。
赤穂浪士吉良邸討ち入りのこの日、高輪泉岳寺の義士祭に出掛けた。
しばし、泉岳寺で過ごし、そのあと、泉岳寺に程近い、浪士らの御預け四家のひとつ、細川家下屋敷跡へ。

細川家下屋敷跡へは「御預け四家を訪ねて」ポタリングで幾度か訪ねており、道に迷うことはない。
泉岳寺山門脇から高輪高校脇の細道を抜け、坂道を上り、二本榎通りへ出る。
通りを横切り、旧高松宮邸と都営アパートの間の道を入ると、細川家下屋敷跡が見えて来る。

細川家下屋敷跡。
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赤穂義士史跡碑
正義を愛し名節を重んずる者は暫くここに歩を停めよ
此処は徳川時代細川邸の跡
実に赤穂義士の総帥大石良雄等十七名が元禄十六年二月四日壮烈な死を遂げた現場である
昭和三十五年三月二十日
財団法人 中央義士会
東京都教育委員会
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自刃せる義士左の如し。
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大石良雄外十六人忠烈の跡。
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東京都指定史跡
大石良雄外十六人忠烈の跡
所在地 港区高輪1の4、6~16
標識 大正7年4月
指定 昭和30年3月28日

この地は、赤穂事件で大石内蔵助良雄ら一七人が預けられた肥後熊本藩細川家の下屋敷の一部です。
赤穂事件とは、元禄14年(1701年)3月14日におこった殿中刃傷事件とその翌年12月14日夜から15日にかけての吉良邸討ち入り及びその一連の事件のことをいいます。
当時の藩主五代綱利は、老中稲葉肥後守からの御預けの命を受けると、大目付仙石伯耆守の屋敷に総勢875人の藩士と駕籠を送り引き渡しを受けます。
このような大部隊を送ったのは、大藩の威武を示すとともに、上杉家の襲撃を警戒したためといわれています。
細川家は、大藩の威厳と識見をもって優遇し、御預け四家の中で即日引見したのは細川家だけでした。
元禄16年(1703年)3月4日午後2時、上使の御目付荒木十左衛門政羽と御使番久永内記信豊から切腹の申渡しを受け、大石内蔵助が一同を代表して「切腹仰せ付けられ候段有り難き仕合に存知奉り候」と礼を述べました。
切腹の場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭で、背後に池を背負った位置でした。
---------------------------

細川家のことのみをここに掲載するのは片落ちとなるので、御預け四家について触れておきたい。
肥後熊本藩細川家下屋敷/大石内蔵助ほか17名御預け切腹(所在地は高輪/泉岳寺脇を上がる) 
三河岡崎藩水野家下屋敷/間十治郎ほか9名御預け切腹(所在地は芝/田町駅、慶応仲通り商店街)
伊予松山藩松平家下屋敷/大石主税ほか10名御預け切腹(所在地は三田/イタリア大使館)
長門長府藩毛利家下屋敷/岡島八十右衛門ほか10名御預け切腹(所在地は六本木/テレビ朝日傍) 

四家お預けに絡んで、巷間、「細川の 水の流れは 清けれど ただ大海の 沖ぞ濁れる」なる狂歌が詠まれた。
2008年、初めて、「お預け四家を訪ねて」ポタリングをしたとき、水野家下屋敷の説明書きで、この狂歌を知った。
「細川の」は細川家、「水の」は水野家、「大海の」は(海(かい)と毛利甲斐(かい)守を引っ掛けて毛利家、「沖ぞ」は沖(おき)と松平隠岐(おき)守を引っ掛けて松平家を読み込み、細川家と水野家は浪士らを丁重に扱ったが、毛利家と松平家はそうではなかったという落首である。

この狂歌の通り、細川家と水野家は厚遇であったが、その厚遇の度合いを比べると細川家の方が相当に厚遇であったようだ。
例えば;
①上記の説明書きにもある通り、藩主細川綱利自らが浪士らに引見したとのこと(他の三家は家老クラス)。
②浪士らの生活は座敷であったとのこと(他の三家は侍長屋)。
③浪士らが手紙をしたためことを制限しなかったとのこと(他の三家は幕府に都度お伺い)。
④食事は豪華で酒も付いていたとのこと。大石内蔵助は1年8ヶ月の浪人生活で粗食に慣れ、ご馳走は胃にもたれるので、粗食に変えて欲しいと申し入れるも聞き入れられなかったとのこと。
⑤大石内蔵助以下17名切腹の後、幕府から細川家下屋敷に切腹の庭を清めるための役人が派遣された時、藩主細川綱利は「ここで果てた勇士たちは、屋敷のよき守り神なので、庭を清めるには及ばない。そのままにしておくように」という意味のことを言ったとのこと。

泉岳寺は大勢の人出であったが、ここ、細川家下屋敷を訪ねる人は僅か。
我々が訪ねたときは、ほかに男性二人組だけであった。

フォト:2017年12月14日

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-12-14 23:32 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 14日

『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』

12月14日(木曜)、晴れ。
赤穂浪士吉良邸討ち入りのこの日、高輪泉岳寺の義士祭に出掛けた。

高輪泉岳寺の様子を綴る前に、前置きを少々。

毎年、本所松坂町(現・ 両国)吉良邸跡から高輪泉岳寺まで「赤穂浪士討入凱旋の旅」と称し、jitensha で走っている。
両国・吉良邸跡周辺での「元禄市・吉良祭」は12月14日の直近の土日曜に開される。
高輪泉岳寺での「義士祭」は、曜日に拘らず、討入の日に合わせ、12月14日に催される。
我らの「赤穂浪士討入凱旋の旅」の挙行日は、土日曜が12月14日であれば、その日に、そうでなければ、その直近の土日曜に挙行ということを原則としている。
今年の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月9日(土曜)、武衛さん、南国守さん、小生の3名にて挙行することと相成っていたが、諸般の事情により挙行見送りとなり、本懐を遂げることが出来なかった。
しかし、どうも、それでは落ち着きがよろしくない。
ということで、12月14日の午前、高輪泉岳寺へ電車で馳せ参じることとした。

遠方の南国守さんへの連絡は見送るも、都内在住で、泉岳寺はほぼ地元の武衛さんに「本日は12月14日、赤穂浪士討ち入りの日。討入凱旋ポタ」は見送りとするも、どうも落ち着きがよろしくなく、本日、昼、新宿で所用があることでもあり、その前に1時間ほど、泉岳寺へ立ち寄ろうと思い居りまする。10:48 泉岳寺駅着~泉岳寺~11:50 泉岳寺駅発新宿へ、との予定です。ご一報まで」と電子飛脚便を遣わした。
すると、「某もその時間帯に馳せ参じまする。10時50分に泉岳寺駅改札にて」との返信があった。

泉岳寺。
中門。
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山門とその脇に立つ大石内蔵助像。
これら二つを一緒に撮りたいと以前から思っていたことでもあり、この日は超広角レンズを携行。
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大石内蔵助像。
これは標準レンズで。
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連判状を手に、決意の眼差し。
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山門をくぐり、境内へ。
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本堂。
先ず、参拝。
そして、本堂の表に張られたを幔幕を眺める。
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藩主、赤穂浅野家の家紋は「違い鷹の羽」、国家老、大石家の家紋は「二つ巴」。
2000年の秋、赤穂の浅野家菩提寺、花岳寺を訪ねたときも浅野家と大石家の家紋が染め抜かれた幔幕が張られていた。
そのときのことを綴った「赤穂浪士討入凱旋の旅」<番外編>を読み返してみると、「本堂に張られた幔幕には、主君と家来の関係にも拘らず、浅野家の家紋と大石家の家紋が並列で並んでいた。大石の功績からすれば、それは当然のことか。」と綴っている。
今も同じ思いである。

本堂から山門方向に境内を眺める。
大勢の人出。
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浅野内匠頭、瑤泉院、浪士らの墓所へ向かう人々の長い、長い行列。
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右手のテントは中央義士会の書籍販売所(兼)赤穂義士何でも相談所。
いつそや、書籍販売所のテントで中央義士会の会長さんに声を掛けたことがあった。
残念ながら、今日は会長さんの姿は見当たらない。

行列は墓所の門へと続く。
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或る年、雨天で本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺までの「赤穂浪士討入凱旋の旅」の挙行が出来なかったとき、今回と同様に、午前中に、電車で泉岳寺を訪れたことがあった。
そのときも、墓所に入る人数を制限するため、ロープを張り、交通整理をしていたことを思い出した。
それはいつのことだったろう?と記録を紐解いてみたところ、「2008年12月14日(日曜)、高輪泉岳寺~本所松坂町吉良邸跡(電車&徒歩)」と記されていた。
更に、「12月27日(土曜)、赤穂浪士討入凱旋の旅&御預け四家の旅、挙行」と記されており、日を改めて、本所松坂町吉良邸から高輪泉岳寺までの討入凱旋の旅を挙行し、且つ、御預け四家も訪ねているのであった。

長い行列であることを言い訳にして、墓所でのお参りはいずれ日を改めてとし、行列の脇からお参りとし、境内を出る。
今一度、山門脇の大石内蔵助像を見上げる。
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泉岳寺をあとにして、御預け四家のひとつ、細川家下屋敷跡へと向かう。

フォト:2017年12月14日
フォト#1、2、6~13/超広角レンズにて撮影

(つづく)
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# by ryujincho | 2017-12-14 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)
2017年 12月 11日

『カタバミ』

先月末、江戸時代の豪農、吉田家住宅(柏市)を見学した。
吉田家の家紋は「かたばみ(片喰)」。

カタバミ。
葉は、ハート型の葉がクローバーのように3枚合わさった形。
花は、春から秋にかけて咲き、色は黄色、花びらは5弁。

師走11日、散歩の途中、ハート形3枚の葉をもった、こんな花が目に入った。
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葉はカタバミに似ているが、花の色が違う。
この時期、紫色の花を咲かせ、葉はハート型3枚の花の名は?
調べてみたところ、イモカタバミとムラサキカタバミが候補に浮上。
イモカタバミの花はオシベが黄色、ムラサキカタバミの花がオシベが白色とのことで、イモカタバミと判定。
イモカタバミ、ムラサキカタバミ、いずれも観賞用として渡来し、のちに野の花にもなったとのこと。

さらに、こんな花も目に入った。
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花の色は白、葉は3枚だが、ハート型ではなく、丸っぽい。
この花の名はすぐに、フヨウカタバミと判明。
これも観賞用として渡来したとのこと。

さらに、こんな花に出遭った。
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花の色は紫。
葉は3枚だが、丸っぽい。
よく見ると、少しだけ凹部があるが、ハート型ほどには切れ込んでいない。
先ほど見たイモカタバミかとも思うが、そう判定するには、葉のほかに、、花びらの形も違うように見える(
花はしぼんでいるものもあり、花びらの形ははっきりとは分からないが)。
取り敢えず、、イモカタバミの<亜種>としておこう。

花の名に疎い小生だが、家紋のお陰で、カタバミ数種の名を知ることが出来た。

フォト:2017年12月11日
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# by ryujincho | 2017-12-11 23:31 | 花紀行 | Comments(0)
2017年 12月 10日

『陸王』

12月10日(日曜)。
TBSドラマ/日曜劇場『陸王』第7話を観る。
NHKのドラマはよく観る方だが、それに比べると民放のドラマは殆ど観ない。
そういうことなのだが、たまたま、『陸王』の第2話を観たところ、これがなかなか面白く、ずっと見続けている。
面白いと思うのは、物語の中身そのものもあるが、ドラマの舞台が行田市ということもある。

行田市は、東日本最大の古墳群である「埼玉古墳群」や「古代蓮の里」、そして、石田三成の水攻めを題材にした映画「のぼうの城」(和田竜 原作脚本/犬童一心、樋口真嗣 共同監督/野村萬斎主演)でお馴染の忍城、そして、足袋の町として有名である。

大輪の蓮の花が咲く季節には「古代蓮の里」へ行ったことがある。
また、ドラポタの面々と浦和から利根大堰まで見沼用水路沿いをポタリングしたときには、途中、行田市に立ち寄り、埼玉古墳群や忍城を訪ねたこともあった。
忍城址内の郷土博物館では、明治以降、行田の基幹産業であった足袋づくりの展示もあり、横綱の足袋で一番デカイのは武蔵丸の足袋であったとの記憶も。

日曜劇場『陸王』第7話の行田市駅伝大会のシーンでは、水城公園や忍城、そして、古墳も登場。
どんな番組でも自分の知っているところが映し出されると嬉しくなるのは毎度のことで、思わず、カメラを取り出し、それらのシーンをカメラに収めた(正確には録画の画面を撮ったのであるが)。

水城公園と忍城(画面、左後方に小さく)。
ポタリングで行田市に立ち寄った際、埼玉古墳群から忍城に向かうときに走ったのが、池の右手の道だった。
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埼玉古墳群。
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埼玉古墳群は、金錯銘鉄剣が出土した稲荷山古墳、日本最大の円墳である丸墓山古墳、武蔵国最大の前方後円墳である二子山古墳、そして、将軍山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳などからなる古墳群。
画面に映し出されたのは二子山古墳(のはず)。

忍城。
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さあ、物語はいよいよ終盤。
楽しみ、楽しみ...。

大迫に
履かせてやりたい
陸王を 
霹靂火/福岡国際マラソン3位、大迫選手への激励の一句

フォト:2017年12月10日
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# by ryujincho | 2017-12-10 23:32 | 映画三昧 | Comments(0)
2017年 12月 10日

『ドラポタ佐久平支部便り/スキーシーズン、始まる』

12月10日。
輪友、大給守さんより「スキーシーズン、始まる」と題し、小海リエックスの写真が送られて来た。
いい天気。
ゲレンデの下に広がるのは佐久平、流れる川は千曲川、そして、彼方のひときわ、高い山は浅間山。
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大給守さんは、昨年末で江戸勤番を終え、今年初めに信州に隠居。
隠居早々にスキー便りが到来して以来、春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、今冬のスキーシーズンが到来したのだ。

「近々、スキー学校でアルバイト開始。アシスタントをやりながら資格取得の予定」とも。
そういえば、先日、ラジオを聴いていたら、投書はがきで「わたしは高齢者ですが、スキーが得意です。先日も滑降してきて、スッと止まったところ、若い女性スキーヤーから、まあ、素敵と言われました。ゴーグルに帽子ですから、若い男性スキヤーに見られたのかもしれません。でも、素敵と言われると益々励みになります」というようなものもあった。
大給守さんは、スキーが上手くて、スラッと背が高く、「まあ、素敵」と言われる部類であろう。
資格を取得するとも申されており、隠居後も<進化>しているようである。

フォト:2017年12月10日、大給守殿提供
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# by ryujincho | 2017-12-10 23:31 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(0)
2017年 12月 09日

『心象風景/レグルス』

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夕方の3時頃、手賀沼公園を散歩。
水辺でユリカモメと戯れる人々にカメラを向けた。
間もなくすれば、夕陽と化する太陽がまぶしく輝く。

これは、ターナーが描く「レグルス」風だなあと思った。

ターナーは好きな画家のひとりだ。
ターナーの絵は、1990年前後、ロンドンに住まいしていた頃にテイト・ギャラリーにて、そして、近年では2013年秋の東京都美術館のターナー展にて鑑賞。

「レグルス」の作品紹介はこうだ。
陽光の黄色く、まばゆい光が空を覆い、海面に反射する。
その色彩の美しさに目を奪われる。
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの代表作の一つ「レグルス」。
紀元前のローマ軍の将軍レグルスが、太陽の光で失明してしまうという逸話を題材にした。
降り注ぐ光が劇的な効果を演出している作品だ。

「レグルス」に描かれた太陽はキャンバスからはみ出すくらいに大きい。
そして、油絵なのに自然光の如くに、いや、それ以上にまぶしい。
ターナーが描く、あの「レグルス」の光を、もう一度、見てみたいものだ。

フォト:2017年12月9日
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# by ryujincho | 2017-12-09 23:31 | 心象風景 | Comments(0)
2017年 12月 05日

『或る日の朝な夕な』

12月5日。
朝6時半、外は霧、霧、霧。
2時間ばかり過ぎ、外を見ると<雲海>。
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西方、霧の向こうの遥か彼方にはうっすらと富士の山。
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朝霧の彼方にうっすらと見えていた富士も、夕暮れときにはくっきりと。
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富士から目を転じて、夕暮れときの東京スカイツリー。
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フォト:2017年12月5日
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# by ryujincho | 2017-12-05 23:31 | Comments(0)
2017年 12月 01日

『鳥の群れ、二題』

12月1日。
朝からどんよりとした空模様。
天気予報では午後から晴れ間が出るとも。
午後2時頃から空が明るくなって来た。
今日は師走朔日、今月も頑張って走ろうと愛馬を駆って手賀沼へ。

手賀沼北岸。
畔の枯れ枝の向こうに、コブハクチョウの群れ。
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1羽が近づいて来て、ハクチョウ体操を見せてくれる。
羽の運動。
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首の運動。
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手賀沼北岸、東端近く。
カモの群れ。
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かもとりごんべえさんは何処に?と探すも、その姿はない。

フォト:2017年12月1日
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# by ryujincho | 2017-12-01 23:31 | 鳥見雑記 | Comments(0)
2017年 11月 29日

『近所の紅葉』

11月29日、晴れ。
手賀沼を一周し、自宅の近所まで戻って来た。
そのとき、真っ赤に色づいたモミジが目に飛び込んで来た。
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10日前、成田山公園に紅葉狩りにいったが、生憎の曇り空で、鮮やかさはなかったので、今日は、より一層、鮮やに感じたのかもしれない。

フォト:2017年11月29日
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# by ryujincho | 2017-11-29 23:32 | 花紀行 | Comments(0)