龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 09月 01日 ( 6 )


2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(四)』 sg-6

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
続いて、郭内の箱館奉行所を見学。
続いて、半月堡を周堀の外側から眺める。

信州佐久の龍岡城五稜郭を訪ねた際は、五つ稜堡を一つずつ見て回った。
函館の五稜郭についても同様にと思ったが、時間的なことと規模が大きく、五つの稜堡を一つずつ見て回ることは無理なので、入口に最も近い半月堡の稜堡を眺めることにしたのであった。

半月堡。
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半月堡
半月堡は、西洋式土塁に特徴的な三角形状の出塁で、馬出塁ともいいます。
郭内への出入り口を防御するために設置されています。
当初の設計では各稜堡間の5ヶ所に配置する予定でしたが、工事規模の縮小などから、実際には正面の1ヶ所だけに造られました。
北側中央部の土坂が開口部となっているほか、刎ね出しのある石垣に囲まれています。
※刎ね出し 武者返し・忍び返しと呼ばれ、上から2段目の石がせり出して積まれているため、外部からの侵入を防ぐ構造になっています。
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半月堡遺構確認図。
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半月堡の突出角を眺める。
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アップで。
犀の角の如く反り上がった見事な突出角。
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正面から。
こうしたシンメトリーが好きだ。
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アップで。
半月堡は<二段構え>で造られていることがよく分かる。
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更にアップで。
二段構えの上部に積まれた石は軒のように飛び出し、工夫されている。
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本ブログで、函館の四稜郭や五稜郭を綴りながら、あれこれ調べていたところ、四稜郭や五稜郭のほかに、三稜郭や七稜郭もあることを知った。

三稜郭について。
桔梗野台場と呼ばれた台場が三稜郭であったといわれている。
桔梗野台場があった場所は諸説あるが、現在の比遅里神社(ひぢり じんじゃ、函館市桔梗町201番地)が推定地のひとつとされているという。
比遅里神社を地図で確認すると、五稜郭の北西約3km、国道5号線沿いの辺りにある。
四稜郭は五稜郭の北東約3kmのところにあるので、五稜郭、四稜郭、三稜郭を線で結ぶと逆三角形が描かれる位置関係ということとなる。

七稜郭について。
亀田郡七飯町峠下の山中に「峠下台場」と呼ばれる台場跡があるという。
台場跡には七つの突出した角があり、七稜郭とも呼ばれているという。
七飯町峠下を地図で調べてみると、新函館北斗駅の北約2km、五稜郭からすると北西約15kmのところにある。

機会があれば、三稜郭や七稜郭も訪ねてみたいものだ。
七稜郭は山中にあるというから、ちょいと無理かも。
次に函館を訪れるのはいつになろうか。
ひょっとしたら、もうないかもしれないが、もし、再び、となれば、この星型の絵葉書の写真にある五稜郭の桜が満開の頃に。
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信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇し、大満足!の旅であった。

フォト:2017年8月28日

(完)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:36 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(三)』 sg-5

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
続いて、郭内へ。
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特別史跡 五稜郭跡
昭和27年3月29日指定

五稜郭跡は、幕末の箱館開港に伴い設置された箱館奉行所の防御施設で、箱館奉行配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章により、中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考に設計された西洋式土塁です。
稜堡と呼ばれる5つの突角が星形の五角形状に土塁がめぐっていることから五稜郭と呼ばれ、郭内には日本伝統建築の箱建奉行所庁舎とその付属建物20数棟が建てられました。

安政4年に築造を開始して7年後の元治元年に竣工、同年6月に奉行所が移転して蝦夷地における政治的中心地となりました。
その後、明治維新により明治新政府の役所となりましたが、明治元年10月に榎本武明率いる旧幕府脱走軍が占拠、翌明治2年5月に終結する箱館戦争の舞台となりました。
箱館戦争後は、明治4年に開拓使により郭内建物のほとんどが解体され、大正時代以降は公園として開放されています。

五稜郭跡は、築造時の形態がよく残っていて日本城郭史上重要であるとともに、幕末期の洋楽採用の一端を示すものとして学事術上きわめて価値が高いことから北海道で唯一の国の特別史跡に指定されています。
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箱館奉行所。
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入館料500円也。
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日本古来の古建築の技術により復元された箱館奉行所、その内部の部屋、部屋を見学。
”歴史発見ゾーン”で、五稜郭と箱館奉行所の歴史の解説パネルにじっくりと目を通す。

「奉行所の守り 五稜郭の設計」。
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三種の絵図に目を惹かれる。
五稜郭タワー展望台に評定風景の場をあらわすミニチュアが展示されていた(写真:本ブログ第3話)が、その場に並べられていた図面である。
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右/箱館柳野御陣之図。
フランスの築城書を写したとされる図面である。
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央/五稜郭図(初度設計図)。
五稜郭の初期の設計図とされているもので、半月堡が5ヵ所に配置されている。
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左/五稜郭目論見図「五稜郭創置年月取調書」付図。
五稜郭の最終設計図の1枚とされる図面で、全体の寸法や建物配置の詳細が描かれている。
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これらの図面については、本ブログの第3話で触れたが、今一度、リピートしておこう。
・右側の図と中央の図は、全ての稜堡の間に半月堡が設けられている。
・左側の図は半月堡が1ヶ所しか設けられていない。
・左側の図が実際に築造された形に近い。

因みに、「半月堡」とは外塁の一種で、星形の稜堡と稜堡の間の外側に設けられた土塁である。
本来、半月堡は稜堡と稜堡の間の都合5ヶ所に設けられるものだが、工期と予算の都合から1ヶ所しか設けられなかった。
この1ヶ所の半月堡が表門近くに設けられたのは、表門から出撃する際に直接視野に入らないようにするためで、いわゆる「馬出(うまだし)」の役割を担うものであった。

当初の計画は、五稜郭と弁天・築島・沖の口台場の築造で、総工費41万両、工期20年というものであった。
しかし、蝦夷地警備を命じられた松前藩(戸切地陣屋)・津軽藩(津軽陣屋)・南部藩(南部陣屋)・仙台藩(白老陣屋)の各陣屋が既に完成していたことから、五稜郭や台場の工事が遅れると箱館市民や外国人に対して幕府の権威を失うことになり、且つ、財政逼迫の折でもあったため、五稜郭と、三つの台場のうち、弁天台場のみの築造に絞られた。
これに伴い、五稜郭の半月堡は5ヶ所から1ヶ所に減じられたのであった。

五稜郭の構造。
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五稜郭の形
①西洋にならった稜堡式城郭
五稜郭は、中世ヨーロッパで発達した城塞都市をモデルに設計されたもので、その形状は西洋文化をいち早く取り入れた先進都市箱館を象徴しています。
②防衛のシンボル
蝦夷地の政治的中心施設である箱館奉行所を防御する外堀としての五稜郭は、諸外国に幕府の威信を示す目的もありました。
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各部の特徴。
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①稜堡
西洋式土塁の特徴である稜堡と呼ばれる突角は、左右対称の星形五角形に配置されています。
稜堡は土塁で築かれ、一部に石垣が積まれています。
②見隠塁(みかくしるい)
本塁間の通路部分の内側に、中を見通すことができないように見隠塁が築かれています。
見隠塁は内側以外の三方が石垣となっています。
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③石垣
五稜郭全体の形状は西洋式ですが、石垣や土塁の積み方や堀の掘り方などは日本伝統の築城技術で造られています。
④半月堡
半月堡は、稜堡の外側にいくつも重ねられるものですが、五稜郭では最終的には南西側に1ヶ所だけ造られました。
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箱館の古地図。
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五稜郭、函館湾、函館山、立待岬、大鼻岬、津軽海峡...。
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五稜郭の石垣を築くための石材は、立待岬近辺の崖から切り出され、海路、築造現場に運ばれたという。
五稜郭は海から3km足らずの距離にあり、五稜郭は、防御上、然程、有利な立地ではなかったと思われる。
更に、前掲のパネル説明にあった通り、五稜郭は諸外国に幕府の威信を示す目的もあり、工期・予算の都合で半月堡は1ヶ所した造られてなかったことなど、当時の幕府は堅固な要塞を築くことよりも形を優先したようにも思われ、後の箱館戦争で五稜郭に立てこもった旧幕府軍は兵力に勝る新政府軍の前に屈さざるを得なかったのである。

郭内から五稜郭タワーの展望台を見上げる。
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展望台も五稜郭に模して五角形となっていることは申すまでもなきことかと...。

フォト:2017年8月28日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:35 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(二)』 sg-4

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上り、五稜郭を俯瞰。
これにて、信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇し、大満足!

ここで、函館五稜郭の歴史を簡単に綴っておこう。

1853年(嘉永6年)、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が来航。
翌1854年(安政元年)、徳川幕府はアメリカと日米和親条約を結び、下田と箱館(「函館」の漢字表記になったのは1869年(明治2年)のことである)の2つの港の開港を決定。

開港に伴い、幕府は直接、蝦夷地(「北海道」と呼称が変わるのは1869年(明治2年)のことである)を治めて開拓し、また、外国との応対のために箱館奉行を置いた。
箱館奉行が置かれた当初、奉行所は函館山の麓(現在の元町公園あたり)に設けられた。
しかし、同所は箱館湾内から至近かつ遮るものがなく、加えて、外国人の遊歩区域内である箱館山に登れば奉行所を見下ろせることから防御に適さないことから、亀田方面に「御役所四方土塁」(のちの五稜郭)を築き、奉行所を移転することとなった。

1855年(安政2年)、フランスの軍艦コンスタンティーヌ号が箱館に入港した際、箱館奉行所で器械製造と弾薬製造の御用取扱を務めていた武田斐三郎は、同艦の副艦長から指導を受け、大砲設計図や稜堡の絵図面を写し取り、この絵図面を基に五稜郭と弁天台場の設計。
1857年(安政4年)、五稜郭の築造を開始し、1864年(元治元年)に竣工。

武田斐三郎像(五稜郭タワー1階展示)。
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1867年(慶応3年)、大政奉還。
1968年(慶応4年/明治元年)、戊辰戦争、勃発。
新政府軍は、旧幕府軍に対し、降伏条件の一つである旧幕府艦隊の引渡を要求。
これを拒否した榎本武揚は旧幕府艦隊を率いて品川を出航、途中、仙台に寄港し、奥羽越列藩同盟軍や大鳥圭介・土方歳三等の旧幕府軍の残党勢力を収容し、蝦夷地へ。
榎本ら旧幕府軍は箱館五稜郭などの拠点を占領し、北海道地域に、通称、蝦夷共和国を樹立。

榎本らは北方の防衛開拓を名目として、朝廷の下での自らの蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出したが、新政府はこれを認めず、派兵。
旧幕府軍は、オランダ製最新鋭艦「開陽丸」を有し、当初は制海権を握っていたが、開陽丸は悪天候により江差で座礁沈没し、海軍兵力は低下。
旧幕府軍の兵力を上回る新政府軍は箱館を総攻撃、土方歳三は戦死、榎本武揚らは新政府軍に降伏し、戊辰戦争は終結した。

榎本武揚像(五稜郭タワー1階展示)。
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土方歳三像(五稜郭タワー1階展示)。
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もうひとつの、土方歳三像(五稜郭タワー展望台展示)。
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武田斐三郎は伊予大洲藩士、榎本武揚は幕臣で、いずれも西洋学を学んだ、いわば、エリートで、明治維新後も新政府で要職を務めた。
一方、土方歳三は農家の出身で、後に幕臣となるも、箱館で戦死。
榎本武揚と土方歳三はいずれも最後まで官軍と戦ったが、今に残る人気度は土方歳三。
五稜郭タワーにおいても、榎本武揚は立像一体であるが、土方歳三は立像と坐像の二体で、その人気度をあらわしているように思われる。

余談ながら、人気者といえば、北海道日本ハムファイターズのこの人も。
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五稜郭タワーから五稜郭へと向かう。

フォト:2017年8月27日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:34 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/五稜郭の巻(うえ一)』 sg-3

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏曰く、函館には四稜郭もあると。
ということで、先ず、四稜郭へ、そして、五稜郭へ。

五稜郭。
先ず、五稜郭タワーに上ることに。
1階で展望券を買い求める。
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大人900円のところ、「〇〇県から来訪、タクシー利用」と告げると割引料金になるとのことで、そう告げると810円に。
ちょっと、得した気分。

エレベーターで展望台へ。
展望台から五稜郭を俯瞰!
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窓枠の都合で、右側の稜堡が欠けたので、右を優先してもう1枚。
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折角なので、左の稜堡をもう一度。
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周堀。
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これにて、信州佐久の龍岡城五稜郭につづき、函館五稜郭を見ることが叶い、本邦唯二の五稜郭を制覇!
満足!

展望台で展示パネルに目を通す。
「世界の星形城郭」。
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五稜郭はヨーロッパで発達した「稜堡式城郭」をモデルに造られています。
この城郭は16世紀頃から、大砲の発達に対抗して考え出されたもので、外部の襲撃に備えて都市全体を城壁で囲んだ「城塞都市」が各地に造られました。
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世界地図に各地の星形城郭がプロットされている。
ヨーロッパの城郭。
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<オランダ>へレヴーツリュイス・・・変則的な星形で、稜堡は五つ以上あるように見える。
<オランダ>ナールデン・・・大きく張り出した、二つの稜堡と一つの半月堡が見えるが、星形かどうかは定かではない。
<オランダ>ドッカム・・・稜堡を数えてみると、これは六稜郭である。
<オランダ>ウィレムスタット・・・見事な星形だが、奥の稜堡は残っていないようだ。
<フランス>カレー・・・これは見事な四稜郭である。先ほど見学した函館の四稜郭は長方形だったが、こちらは正方形に近い。

本邦唯二の五稜郭、函館五稜郭と龍岡城五稜郭が並んで、登場!
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龍岡城五稜郭について、縷々述べたいところだが、ここでは控えたい。
郭内は、佐久市立田口小学校となっているとだけ記しておきたい。

設計図を広げ、築造計画を吟味中の光景。
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右側の図と中央の図は、全ての稜堡の間に半月堡が設けられている。
左側の図は半月堡が一ヶ所しか設けられていない。
右側の図は当初の計画図で、左の図が実際に築造された形に近い。

因みに、「半月堡」とは外塁の一種で、星形の稜堡と稜堡の間の外側に設けられた土塁である。
前掲の函館五稜郭の写真で半月堡はしっかりと見られるが、真上からの写真を見るとよりしっかりと認識することが出来る。
BSジャパン『空から日本を見てみよう plus』(毎週木曜夜9時放送)から拝借した写真で、函館五稜郭を真上から見てみよう。
写真最下端の、逆三角形の土塁が半月堡である。
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半月堡が一ヶ所しか設けられたなかった理由は予算と工期の都合とのことだが、詳しくは続編で述べたい。

函館五稜郭はヨーロッパにも負けない造り、いや、日本の城郭造りの技術をもってすれば、然程、難しいことではなかったのだろうなどと思いながら、展望台から1階へ下る。

フォト:2017年8月28日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:33 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/四稜郭の巻』 sg-2

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

観光タクシーのドライバー氏に五稜郭への案内を頼んだところ、函館には四稜郭もあるという。
それは初耳であったので、五稜郭に加え、四稜郭にも連れて行って貰うことにした。

四稜郭。
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史跡 四稜郭
昭和9年1月22日史跡指定

明治2年(1869)春、五稜郭にたてこもる旧幕府脱走軍は新政府軍の攻撃に備えて各地に防御陣地を築いたが、五稜郭の背後を固めるため、その北方約3キロの緩斜面台地にも洋式の台場を急造した。
これが四稜郭である。
四稜郭は、蝶が羽を広げたような形の稜堡で、周囲に土塁と空壕をめぐらし、郭内(面積2、300平方メートル)には、四隅に砲座を設けたが、建物は造らなかった。
なお、地元の言い伝えによると、旧幕府脱走軍は士卒約200名と付近の村民(赤川・神山・鍛冶村)約100名を動員して、昼夜兼行で数日のうちにこの四稜郭を完成させたといわれている。

明治2年5月11日、新政府軍は箱館総攻撃を開始した。
同日未明、新政府軍の岡山藩・徳山藩の藩兵は赤川村を出発し、四稜郭の攻撃を開始した。
松岡四郎次郎率いる旧幕府脱走軍は四稜郭の防衛に努めたが、新政府軍には福山藩兵も加わり、さらに長州藩兵が四稜郭と五稜郭の間に位置する権現台場を占領したため、退路を断たれることを恐れた旧幕府脱走軍は五稜郭へと敗走した。
5月18日には、五稜郭が開城され、榎本武揚以下が降伏して箱館戦争は終わった。

函館市
文化省
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南側土塁の中央に、郭内への出入り口である<虎口>が切り抜かれている。
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虎口を入ると、一旦、土塁に突き当たり、左へ進み、右に進むという造りとなっている。
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入口の右側の土塁に上って郭内を眺める。
南側中央入口から西へ伸びる南側の土塁。
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郭内北西部/西側と北側の土塁。
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郭内北東部/北側と東側の土塁。
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南側中央入口から東へ伸びる南側の土塁。
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土塁より背高の簡単な展望台でもあれば、四稜郭の全体がよく分かるのだが、そうしたものは設けられていない。
別の案内板に描かれている全体図を参照する。
この図と土塁から眺めた風景を照らし合わせると、四稜郭の全貌がよくわかる。
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四稜郭の外側を時計回りで周回。
南東角稜堡。
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北東角稜堡。
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北西角稜堡。
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南西角稜堡。
右手土塁の先に<虎口>がある。
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こらら四隅の稜堡に砲台が設けられ、郭内から眺めると大砲を引き上げるためのスロープが設けられていることが分かる。
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五稜郭と四稜郭の位置関係(説明板掲載の図)。
図に「権現台場(東照宮)」とある。
箱館戦争時、函館東照宮に砲台を設けたことから権現台場と呼ばれており、当時の土塁が残っているという。
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四稜郭をあとにして、五稜郭へと向かう。

フォト:2017年8月28日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:32 | 北海道2017 | Comments(0)
2017年 09月 01日

『函館/五稜郭のほかに四稜郭もあった/序』 sg-1

8月28日、正午、函館空港に降り立つ。
今回の旅のメインは、函館五稜郭。

日本には五稜郭が二つ、ある。
その一つは函館の五稜郭、もうひとつは長野県佐久市の龍岡城五稜郭。
龍岡城五稜郭は、3年前の秋、ドライブで、そして、ポタリングで二度、訪ねた。
北海道は幾度か訪ねているが、函館の五稜郭はまだ見物したことがなかった。
ということで、二つの五稜郭を<制覇>したく、今回、函館を訪れたのであった。

函館空港で旅行社手配の観光タクシーのドライバー氏がピックアップしてくれた。
「お客さん、市内観光でのご希望はありますか」。
「運転手さんにお任せしますが、是非、訪ねたいところは五稜郭。日本には五稜郭が二つあります。函館の五稜郭と信州佐久の龍岡城五稜郭。信州の五稜郭は二度、訪ねたことがあるのですが、函館はまだだったので、これでは片落ちと思い、今回、函館に参った次第」。
「函館には、五稜郭のほかに、四稜郭もあります」。
「それは初耳。興味あり!です。ところで、昼ごはんを食べたいので、観光の前に、何処か適当な店へ連れて行って貰えませんか」。
「五島軒のカレーライスは如何ですか」。
「五島軒、それでお願いします」。

空港から市街地に入り、市電が走る大通りの十字街を過ぎ、三十間坂を少し上ったところの、五島軒本店に到着。
レトロな造りの店のテーブルに着く。
メニューのビーフカレーに「イギリス式 中辛 辛口」、「フランス式 甘口」とある。
イギリス式とフランス式はどう違うのか尋ねてみた。
同じビーフカレーながら、イギリス式は中辛、辛口で、フランス式は甘口とのこと。
以前、五島軒のカレーセットを贈り物で貰ったことがあるが、イギリス式とフランス式があったかどうか...。
当然のことながら(???)、イギリス式をチョイス。

昼餉を終え、車に戻る。
「先ほど、五稜郭に加え、四稜郭もあると教えて貰ったので、出来れば、四稜郭に連れって行ってください」とドライバー氏に伝える。
「了解しました。四稜郭は少し市街地から離れていますので、先ず、そちらへ行って、そのあと、市街地に戻り、五稜郭、そして、函館の有名どころを回ることにします」。
「それでお願いします」。

ドライバー氏のプランとしては、四稜郭、五稜郭、トラピスト修道院、立待岬、函館ハリストス教会とその周辺、函館港、亀田八幡宮(箱館戦争降伏の場)などであった。
追加希望として、函館ドックがしっかりと見えるところへの案内もお願いした。

四稜郭に到着。
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フォト:2017年8月28日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-09-01 23:31 | 北海道2017 | Comments(0)