龍人鳥の徒然フォト日記

ryujincho.exblog.jp
ブログトップ

2017年 07月 04日 ( 2 )


2017年 07月 04日

『龍の角は、鹿の角』

7月3日、輪友、大給守さんから「諏訪へ行って来ました 諏訪大社上社本宮の手水鉢の龍をプレゼントします」とのメッセージと共に、龍の写真が送られて来た。
a0289546_23463660.jpg

龍は水の守護神。
龍の口(たつのくち)は、竜頭(たつがしら)、龍蛇口、水出し龍とも言われ、清めの水の蛇口として、神社仏閣の手水舎、水盤舎、蹲い(つくばい)などの蛇口として用いられている。

龍の口は、龍コレクションの恰好の対象である。
大給守さんは小生が龍コレクションをやっていることをよく承知されており、プレゼントしてくれたのであった。

諏訪大社上社本宮の手水鉢の龍の口は、大振りで、なかなか迫力がある。
殊に、角に目を惹かれる。
a0289546_0145671.jpg
この龍を眺めながら、京都花園の、臨済宗大本山妙心寺法堂の天井画、狩野探幽筆「雲龍図」を見学した際の、「口は鰐、髭は鯰、角は鹿、胴は蛇、爪は鷹、目は牛」との解説を思い出す。

「角は鹿」、まさにその通りである。

フォト:2017年7月某日(大給守殿提供、2葉目は筆者にてトリミング)
[PR]

by ryujincho | 2017-07-04 23:32 | いきものがかり | Comments(0)
2017年 07月 04日

『諏訪/下駄スケート発祥の地』

7月3日、輪友、大給守さんから「諏訪へ行って来ました」とのメッセージと共に、”下駄スケート発祥の地”の写真が送られて来た。
a0289546_992757.jpg
a0289546_994192.jpg

なかなか、いい像である。
下駄スケートを履いて滑っている子供の、生き生きとした様子が伝わって来る。

下駄スケート発祥の地。
1906年(明治39年)、長野県下諏訪町の飾り職人、河西準乃助が、外国製のスケート靴を模して下駄の底に鉄製の刃をつけた下駄スケートを発明した。
下駄スケートの流行により、スケートが日本国内に急速に広まった。
1908年(明治41年)、諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの「諏訪湖一周スケート大会」が開催された。
現在のような革製のスケート靴に完全に取って代わられる昭和30年代中頃まで一般的に使われていたという。
(出典:ウィキペディア、抜粋)

こうしたモニュメントは正面から撮って終わりというのが通例であろうが、背面からも撮ってみようという発想が素晴らしい!
惜しむらくは、諏訪湖の湖面に下駄スケートの下端を合わせていたら、更に良い写真になっていたんじゃないかと思うのであった(ヒョーロン家であるから、何とでも言えるのであるが...)。

この「下駄スケート発祥の地」の写真を見て、思い出したことがある。
それは、この4月、京都三条大橋の袂で「駅伝の碑」を見たことである。
ここ数年、毎年、三条大橋の袂あたりを歩いているのだが、今年初めて、斯様な碑があることに気付いたのであった。
a0289546_9412118.jpg
------------------------
駅伝の歴史 ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が大正6年(1917年)4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。
スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
------------------------

ということは、上野不忍池の畔にも同様の碑があるはずと思い、調べてみた。
あった。
写真によれば、三条大橋の碑と同じデザインである。
時々、不忍池に行くことがあるが、この碑を目にした記憶はない。
京都だけでは片落ち、上野へ<取材>に行かねば。

「駅伝の碑」に「奠都(てんと)」の言葉が使われている。
「奠都」と「遷都」についても述べてみたいが、長々となるので、これは別の機会としたい。

大給守さんからの「下駄スケート発祥の地」をヒントにして、「発祥の地」シリーズをやってみたいとも思った。

フォト#1、#2:2017年7月某日(大給守殿提供)
フォト#3:2017年4月2日
[PR]

by ryujincho | 2017-07-04 23:31 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(2)