龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 05月 19日

『秩父神社参拝』

5月17日、曇り。
秩父神社参拝。

本殿の前で巫女さんから御神酒を頂戴する。
参拝を終え、社殿の東西南国に施された数々の彫刻を見学する。
禰宜さんの案内付きなのだが、<独自取材>が忙しく、付いて行くには遅れ気味。
彫刻のハイライトは<龍コレクション>でもある左甚五郎作「つなぎの龍」。
「つなぎの龍」の登場前から、順を追ってアップロードしていきたい。

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扁額コレクション+早速の、龍コレクション。
額縁には龍の彫り物あり。
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本殿中央の、正体不明の彫刻。
袴をはいた何者かが本殿の梁をよじ登ろうとしているようにみえるが、さて?(備忘録:秩父神社に機会あれば確認しておきたい)
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こちらの彫刻は麒麟と獅子。
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社殿は本殿・幣殿・拝殿の三棟からなる権現造り。
社殿の周囲には数々の彫刻があり、それらを時計回りで見学。

「子宝・子育ての虎」。
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説明板に目を通す。
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子宝・子育ての虎
まだ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により永禄12年(1569年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在の御社殿が再建されました。
家康公は寅の年、寅の日、寅の刻生まれということで、虎にまつわる話がすくなくありません。
それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたって虎の彫り物が施されています。
特に拝殿正面左より二つ目の子虎と戯れる親虎の彫刻は名工“左甚五郎”が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。
当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。
いずれに致しましても、子育てにちなんだ虎の逸話は数多く、お子様やお孫様の健やかな成長をお祈りするにあたり、この「子宝 子育ての虎」の縁起物をお持ち帰り戴きますようご案内申し上げます。

親の心得
赤子には肌を離すな
幼児には手を離すな
子供には目を離すな
若者には心を離すな
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説明の中に「当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的」とある。
今一度、眺めてみる。
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確かに、豹である。

「お元気三猿」。
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「お元気三猿」について
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家康縁りの御社であるにも拘らず、当社の三猿は日光とはまったく違った表情をしています。
日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し、当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく、俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれています。
当社の祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。
今や人生100年とも言われる高齢化時代、この三猿にあやかって皆様がいつまでもお元気で、笑顔の絶えることのない生活ができますよう、参拝の機に「お元気三猿」の特製絵馬やお守りをお受けになり、従前にも増して見聞を深めつつ、家族友人共々に旅の土産話に興じて戴きますようご案内申し上げます。
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お元気三猿は何処に居るのじゃ?
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下段の左側じゃ。
おお、居た、居た。
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龍コレクション。
龍の蒐集家としては、「お元気三猿」に加え、どうしても上段中央の「お元気龍」に惹かれてしまう。
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後ほど、登場する「つなぎの龍」はしっかりとした由緒があるが、この緑の龍については特に説明書きはない。

「北辰の梟」。
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説明板に目を通す。
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「北辰の梟」について
ご本殿北側中央に彫刻された梟は、「北辰の梟」といって、菱川師宣描く有名な「見返り美人」よろしく、体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わず、ご祭神をお守りしています。
当社のご祭神と特に縁りの深い瑞鳥であると言えるでしょう。
洋の東西を問わず、梟は知恵のシンボルとして考えられており、当社のご祭神、八意思兼命(やこころおもいかねのみこと)が知恵の神として崇敬の篤いことと重ねて、思慮深い神使として社殿北面に施されたものと思われます。
このご利益にちなんで、机上において学業成就の霊力を得る「梟の置物」をはじめ、「梟=不苦労」に通じることから、開運招福の標とし、身につけて招福を願う「梟根付守り」など、参拝の記念にお受け戴きますようご案内申し上げます。
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「北辰の梟」を少し、アップで。
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「北辰の梟」よりも、柱に描かれたセミかウチワエビ、いや、これもフクロウと思えるのような図柄に轢かれた。
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「つなぎの龍」。
伝 左甚五郎の作。
この日、最大の龍コレクション。
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説明板に目を通す。
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「つなぎの龍」
その昔、秩父札所十五番少林寺近くに、「天ヶ池」という池がありました。
その池に棲みついた龍が暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことからこの彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。
ご本殿東側で鎖に繋がれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。
昔から日本人は家や地域の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武という神使が守っていると信じてきました。
この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工 左甚五郎が社殿彫刻に施したものなのです。
往古より家の鬼門に神仏を祀り、家内の安全と子孫の繁栄とを祈ることが行われてきました。
夫婦や親子といった家族の絆が見直されている現代にあって、多くの庶民の願いは今も昔も変わりありません。
この「つなぎの龍」の特製絵馬を各ご家庭の居間や東北の角にお祀り戴き、ご家族皆々様のお幸せをどうぞお祈りください。
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どう繋がれているのであろうかと、今一度、「つなぎの龍」を眺める。
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よく見えない。
で、更にズーム・アップ。
先ず、左側を、そして、右側を。
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鎖が見える。
繋がれた青龍、跳ねる兎、物静かな山鳥、左甚五郎作の彫刻に大満足!

天神地祇社。
通り過ぎようとしたが、ちらっと見た説明板の「総社」の文字に目を惹かれた。
各地の国府跡・国分寺跡・国分尼寺跡・総社めぐりをしていることもあって、これは大事と思い、じっくりと説明板に目を通した。
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天神地祇社(てんじんちぎしゃ)について
平安時代から中世にかけて、朝廷の「二十二社」奉幣制度と共に、全国の各国毎に「一ノ宮」「総社」の運営、祭祀の尊重が図られるようになりました。
かつて、秩父地方は、知知夫国として独立した存在でありましたが、その当時には既に武蔵国に属しており、現在の東京都府中市に鎮座致します大国魂神社(別称 六所宮)が武蔵国の総社とされ、その第四ノ宮に当社のご祭神が奉祀されました。
古くから当神社の境内社の一つとされて参りましたこの天神地祇社は、全国の一ノ宮(計七十五座)をお祀りしています。
これほど多くの一ノ宮の神々を、境内社としてお祀りしている事例は全国的に珍しいものと思います。
何故、このような形でお祀りされたのかは定かではありませんが、一説によると、当社のご祭神である八意思兼命(やこころおもいかねのみこと)が多くの神々の意見を纏められ、折々のご聖断を下される神様として古典神話の中で活躍されていることから、たくさんの一ノ宮の神様がお祀りされたとも云われています。
ともあれ、これも秩父の歴史風土に深く根ざした独自の信仰の表れであると云えるかもしれません。
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この説明板に目を通しながら、国府跡・国分寺跡・国分尼寺跡・総社めぐりの一環で、昨夏、武蔵国総社、大国魂神社を訪ねたときの「總社六所宮」と刻まれた<扁額コレクション>を、当時、綴ったブログにアップロードしていたので、そのブログを紐解いてみた。
「總社六所宮」と刻まれた扁額の写真と共に次の通り綴っていた。
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古代、中央から諸国に派遣された国司はその国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していたが、これを効率化するため、国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。
武蔵国では、ここ、大國魂神社が総社となった。
大國魂神社は、武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀ることから、扁額にもある通り、「六所宮」とも呼ばれる。
因みに、武蔵国の一之宮から六之宮は次の通りである。
一之宮:小野神社(東京都多摩市)
二之宮:二宮神社(東京都あきる野市)
三之宮:氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)
四之宮:秩父神社(埼玉県秩父市番場町)
五之宮:金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)
六之宮:杉山神社(神奈川県横浜市緑区)
各地に六所神社があるが、総社も含め六社というところもあれば、ここ、武蔵国のように六社+総社というところもある。
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天神地祇社、全景。
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奉献酒。
神社で奉献酒を見るのも楽しみのひとつである。
地酒の銘柄を知ることが出来るので...。
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日本酒のみならず、ウィスキーもあり。
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リーフレット/「知知夫の総鎮守 秩父神社」。
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平成二十六年 御鎮座弐千壱百年
知知夫国の総鎮守
秩父神社

ご祭神
八意思兼命 (やごころおもいかねのみこと) 政治・学問・工業・開運の祖神
知知夫彦命 (ちちぶひこのみこと) 知知夫国の初代国造・秩父地方開拓の祖神
天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 北辰妙見として鎌倉時代に習合した神
秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう) 先帝昭和天皇の弟宮様。昭和28年に合祀

ご由緒
平安初期の典籍「先代旧事記-国造本紀-」によれば、人皇第十代、崇神天皇の御代、知知夫国の初代国造に任ぜられた知知夫彦命が、祖神である八意思兼命をお祀りしたことに始まります。

社殿
戦国時代の末期に兵火によって焼失したるものを、天正20年(1592年)9月、徳川家康公が大旦那となって、代官である成瀬吉衛門に命じて再建されたのが現在のご社殿です。
建築様式は、本殿・幣殿・拝殿の三棟からなる権現造りで、極彩色に彩られた数多の彫刻群に覆われた豪華な造りとなっており、建造時の棟札と共に埼玉県の重要文化財に指定されています。
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さて、次は標高1102mの三峰山に鎮座する三峯神社へ。
もちろん、バスで。

フォト:2017年5月17日
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by ryujincho | 2017-05-19 23:31 | 秩父の旅 | Comments(0)


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