2018年 01月 18日
1月16日(火曜)、晴れ。 ドラポタ走り初め。 柴又から新葛飾橋を渡り、矢切へ。 江戸川左岸の土手のサイクリングロードから矢切の渡しを眺める。 「去年5月、矢切の渡しを渡ったときに、矢切の渡船場に細川たかしの『矢切の渡し』と刻まれた碑を見ました。見に行きましょか」。 「それはカットして、野菊の墓文学碑と国府台合戦地跡へ行きましょう」。 「では、東の台地を目指して」。 江戸川左岸の土手のサイクリングロードから外れ、東の台地へと向かう。 昨年5月に走った道なので、迷うことはない。 坂道を上る。 昨年5月は、初めて上る坂道で、その距離が分からなかったので、きつい上り坂だなと思ったが、坂道の距離を知っている今回は楽々で上り切った。 野菊の墓文学碑。 写真と文は、昨年5月に綴ったブログのそれらを流用して。 野菊の墓文学碑 僕の家といふは、矢切の渡しを東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云っている所。 崖の上となっているので、利根川は勿論中川までもかすかに見え、武蔵一ゑんが見渡せる。 秩父から足柄箱根の山々、富士の高峰も見える。 東京の上野の森だと云ふのもそれらしく見える。 村はづれの坂の降口の大きな銀杏の樹の根で民子のくるのを待った。 ここから見下ろすと少しの田圃がある。 色よく黄ばんだ晩稲に露をおんで、シットリと打ち伏した光景は、気のせゐか殊に清々しく、胸のすくやうな眺めである。 伊藤左千夫著 野菊の墓より 昭和三十九年十月 門人 土屋文明 識 --------------------------------- 「保渡田古墳群(群馬県高崎市)へ行ったとき、その近くに、土屋文明記念文学館なるものがありましたね」。 「そうそう、ありました、ありました」。 「また、上野国史跡めぐりで、あの辺りに行くことがあったら、土屋文明記念文学館に寄ってみましょう」。 「伊藤左千夫は、何故、『野菊の墓』の舞台を矢切にしたのでしょうね」。 「さて?この界隈が出身地ではなかったはずだし。後ほど、調べておきましょう」 帰宅後、調べてみた。 答えは、今のところ、不明ならが、次の通り、あれこれ推測しみた。 1864年、上総国武射(むさ)郡殿台村(現・千葉県山武市)の生まれ。 1913年、東京府南葛飾郡大島町大字亀戸の仮寓で死去。 『野菊の墓』は、1906年、雑誌「ホトトギス」に発表。 作品の舞台となったのは、千葉県松戸市矢切付近であり、矢切の渡しは、政夫と民子の最後の別れの場となった所である。 これらのことを勘案すると、伊藤左千夫は、亀戸から柴又へ、柴又から矢切の渡しで矢切に渡るなど、この辺りを散策しながら、矢切を舞台に小説を書いてみようと思ったのかもしれない。 史跡 国府台の戦争。 野菊の墓文学碑と同じ敷地内に「史跡 国府台の戦争」なる説明板がある。 史跡めぐりをテーマとしている我らにとって、これは大事なことであり、武衛さんをここに案内したのは、国府台合戦地跡を紹介したいためでもあった。 写真と文は、昨年5月に綴ったブログのそれらを流用して。 史跡 国府台の戦争 今から約400年前、この国府台で二度の戦争があった。 それぞれ敵味方・千人以上の戦死者がここに死かばねをさらした。 今の真間山から松戸駅東側の台地までを国府台といい、第一回の戦争は、天文7年(1538年)10月7日、相模台の合戦ともいい、これを前(さき)の国府台合戦という。 第二回は、これより25年後、永禄7年(1564年)正月7日の合戦でこれを後(のち)の国府台合戦という。 それはここ矢切台で戦われた。 合戦の背景 この時代の関東地方はだいたい小田原の北条氏の勢力下にあり、松戸太谷口城主 高城(たかぎ)氏や、千葉氏、原氏などもその支配下にあった。 これに対して安房上総地方を侵略して勢力を拡大した里見氏は、県北の下総地方へも手を伸ばして、千葉、原、高城氏らを攻め、やがて、北条氏をも破って関東の実権を握ろうと野望をいだいて、茨城の佐竹氏を通して上杉謙信とも手を結んだ。 合戦のもよう 矢切側には里見義弘を大将として八千騎、これに対して江戸川柴又、小岩側に北条側は、江戸城代家老 遠山丹波守直景と葛西の富永三郎右衛門尉を先陣として着陣した。 この時、小金大谷口城主 高城氏も北条方に加勢のため、下矢切大堀外(今の矢切神社東側)に陣を張り、遠山軍を助けた。 遠山、富永等は大将 北条氏康、氏政父子の到着を待たず、矢切の渡しを押し入り、国府台から栗山、矢切へかけての里見軍へ攻め寄せた。 遠山軍に押された里見軍は、いったん退却するかに見せかけたが、勢いにのった遠山軍が大坂の途中まで攻め登った所を、一挙に坂上から攻め落とした。 北条方の勇将 富永三郎右衛門尉は、朝からジュンサイ池付近から大堀へかけて馬を縦横に馳せて奮戦したが、大坂上で落馬した所を折り重なって里見方に首を渡した。 その場所は、ここ文学碑わきの坂道であった。 又、遠山丹波守は、この坂下坂川の手前、「カイカバ曲がり目の内野」という所で、里見方の里見山之介という16才の少年にその首を打たれた。 この日の戦いは北条方の敗北で、柴又陣に引き退いたが、この夜半、戦勝の酒に酔いしれた里見軍の将兵は、北条氏の大軍にはさみ打たれ、さんざんの大敗戦となり、大将 里見義弘は市川の須和田から中山をへて安房に逃れたが、その後再起することはなかった。 本土寺過去帳に「コウノ台ニテ上下諸人 遠山殿 江戸城主 癸亥正月 其外千余人」と記されている。 南無... 昭和45年正月 撰文 奥山儀八郎 矢切地区風致保存会 -------------------------------- 国府台は幾度かポタリングしている。 武衛さんとは、2016年の5月に「下総国史跡めぐり/国府跡・国分寺跡・総社を訪ねて」と銘打ち、国府台をめぐった。 これにて、国府台の史跡は、ほぼほぼ知っていると思っていたが、これは思い込みであった。 昨2017年の5月にこの説明板に目を通しながら、新たにいろいろなことを知ることとなり、当時、次のように整理していた。 ■真間山から松戸駅東側の台地まで全体的に「国府台」と呼ぶほか、台地の部分、部分には「相模台」や「矢切台」という名もあるのだ。 ■北条・高城・千葉・原氏連合軍 vs 里見氏軍の合戦。 里見氏は下総まで進出していたのであった。 ■高城氏の居城であった小金大谷口城跡(小金城跡)を何れ訪ねてみよう。 ■里見城跡がある里見公園も何れ訪ねてみよう。・・・※今回の企画に。 ■ジュンサイ池は、以前、訪ねたことがあるが、戦跡として改めて訪ねてみよう。 ■紫陽花や花菖蒲でも有名で本土寺(松戸市)には国府台合戦を示す過去帳が残っているとは。 戦跡の関連として改めて訪ねてみよう。 ■説明文の「北条方の勇将 富永三郎右衛門尉は朝からジュンサイ池付近から大堀へかけて馬を縦横に馳せて奮戦したが、大坂上で落馬した所を折り重なって里見方に首を渡した。その場所は、ここ文学碑わきの坂道であった」の記述に反応し、野菊の墓文学碑と野菊苑展望台を結ぶ陸橋から坂道を眺めた。 矢切神社は、この坂を上りきった辺りにあり、次回、訪ねてみよう。。 ■説明文の最後に「大将 里見義弘は市川の須和田から中山をへて安房に逃れたが...」とある。 須和田は1年前に訪ねた六所神社のある辺りのことである。 この六所神社は総社跡ではなく、移転後の新しい神社であり、本来は立ち寄る必要はなかったが、 敬意を表して立ち寄ったのであったが、何処へでも立ち寄っておれば何かの役に立つものである。 野菊の墓文学碑から陸橋を渡り、野菊苑展望台へ。 展望台から江戸川方面を一望。 写真は昨年5月のものを流用。 一方、東京都側は東京スカイツリーがそびえ、江戸川の土手近くまで住宅が迫っている。 昼餉時となった。 当初の計画では、坂を下り、再び、江戸川左岸サイクリングロードに出て、里見公園を目指すつもりでいたが、コンビニで昼餉を調達し損ねたので、松戸街道(県道1号線)沿いの店で昼餉を摂ることにし、松戸街道(県道1号線)を目指し、台地を東へ向け、走った。 フォト:2017年5月12日(アーカイブより蔵出し) (つづく)
by ryujincho
| 2018-01-18 23:32
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