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龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 12月 14日

『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』

12月14日(木曜)、晴れ。
赤穂浪士吉良邸討ち入りのこの日、高輪泉岳寺の義士祭に出掛けた。

高輪泉岳寺の様子を綴る前に、前置きを少々。

毎年、本所松坂町(現・ 両国)吉良邸跡から高輪泉岳寺まで「赤穂浪士討入凱旋の旅」と称し、jitensha で走っている。
両国・吉良邸跡周辺での「元禄市・吉良祭」は12月14日の直近の土日曜に開される。
高輪泉岳寺での「義士祭」は、曜日に拘らず、討入の日に合わせ、12月14日に催される。
我らの「赤穂浪士討入凱旋の旅」の挙行日は、土日曜が12月14日であれば、その日に、そうでなければ、その直近の土日曜に挙行ということを原則としている。
今年の「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、12月9日(土曜)、武衛さん、南国守さん、小生の3名にて挙行することと相成っていたが、諸般の事情により挙行見送りとなり、本懐を遂げることが出来なかった。
しかし、どうも、それでは落ち着きがよろしくない。
ということで、12月14日の午前、高輪泉岳寺へ電車で馳せ参じることとした。

遠方の南国守さんへの連絡は見送るも、都内在住で、泉岳寺はほぼ地元の武衛さんに「本日は12月14日、赤穂浪士討ち入りの日。討入凱旋ポタ」は見送りとするも、どうも落ち着きがよろしくなく、本日、昼、新宿で所用があることでもあり、その前に1時間ほど、泉岳寺へ立ち寄ろうと思い居りまする。10:48 泉岳寺駅着~泉岳寺~11:50 泉岳寺駅発新宿へ、との予定です。ご一報まで」と電子飛脚便を遣わした。
すると、「某もその時間帯に馳せ参じまする。10時50分に泉岳寺駅改札にて」との返信があった。

泉岳寺。
中門。
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_7283692.jpg
山門とその脇に立つ大石内蔵助像。
これら二つを一緒に撮りたいと以前から思っていたことでもあり、この日は超広角レンズを携行。
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大石内蔵助像。
これは標準レンズで。
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連判状を手に、決意の眼差し。
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山門をくぐり、境内へ。
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_7494329.jpg
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_952252.jpg
本堂。
先ず、参拝。
そして、本堂の表に張られたを幔幕を眺める。
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_9561245.jpg
藩主、赤穂浅野家の家紋は「違い鷹の羽」、国家老、大石家の家紋は「二つ巴」。
2000年の秋、赤穂の浅野家菩提寺、花岳寺を訪ねたときも浅野家と大石家の家紋が染め抜かれた幔幕が張られていた。
そのときのことを綴った「赤穂浪士討入凱旋の旅」<番外編>を読み返してみると、「本堂に張られた幔幕には、主君と家来の関係にも拘らず、浅野家の家紋と大石家の家紋が並列で並んでいた。大石の功績からすれば、それは当然のことか。」と綴っている。
今も同じ思いである。

本堂から山門方向に境内を眺める。
大勢の人出。
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浅野内匠頭、瑤泉院、浪士らの墓所へ向かう人々の長い、長い行列。
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右手のテントは中央義士会の書籍販売所(兼)赤穂義士何でも相談所。
いつそや、書籍販売所のテントで中央義士会の会長さんに声を掛けたことがあった。
残念ながら、今日は会長さんの姿は見当たらない。

行列は墓所の門へと続く。
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_103312100.jpg
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_10333090.jpg
或る年、雨天で本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺までの「赤穂浪士討入凱旋の旅」の挙行が出来なかったとき、今回と同様に、午前中に、電車で泉岳寺を訪れたことがあった。
そのときも、墓所に入る人数を制限するため、ロープを張り、交通整理をしていたことを思い出した。
それはいつのことだったろう?と記録を紐解いてみたところ、「2008年12月14日(日曜)、高輪泉岳寺~本所松坂町吉良邸跡(電車&徒歩)」と記されていた。
更に、「12月27日(土曜)、赤穂浪士討入凱旋の旅&御預け四家の旅、挙行」と記されており、日を改めて、本所松坂町吉良邸から高輪泉岳寺までの討入凱旋の旅を挙行し、且つ、御預け四家も訪ねているのであった。

長い行列であることを言い訳にして、墓所でのお参りはいずれ日を改めてとし、行列の脇からお参りとし、境内を出る。
今一度、山門脇の大石内蔵助像を見上げる。
『赤穂浪士討入凱旋の旅(上の巻)』 _a0289546_10551279.jpg
泉岳寺をあとにして、御預け四家のひとつ、細川家下屋敷跡へと向かう。

フォト:2017年12月14日
フォト#1、2、6~13/超広角レンズにて撮影

(つづく)

by ryujincho | 2017-12-14 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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