龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 10月 11日

『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/四度目の正直/旧島津家袖ヶ崎邸(上)』 sj-1

10月11日。
四度目の正直で、日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルの設計による旧島津家袖ヶ崎邸(現・清泉女子大学本館)の見学が叶った。
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何故、四度目の正直、それを話し出すと長くなるが、簡単に触れておきたい。

2009年8月1日。
「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」と銘打ち、都内に残るジョサイア・コンドル設計の建物や銅像、墓所などをめぐった。
その際、清泉女子大学を訪ねたが、本館は改修工事中で外観も見られないとのことであった。
そのときのことをマイ・ブルグで次の通り綴っている。
『ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて/旧島津家袖ヶ崎邸』

2011年1月23日。
都内ポタの途中、日曜は見学不可ということは承知の上で、正門だけでもということで訪ねた。
そのときのことをマイ・ブログで次の通り綴っている。
『修禅寺殿、初陣!都内ポタ/坂道と歴史を訪ねて』/第1話
=備考=
このときの「修善寺」さんは仮のハンドル・ネームで、こののち、「武衛」が正式のハンドル・ネームとなった。

本年1月7日。
輪友、大給守さんは昨年末で長らくの江戸勤番を終え、国許に隠居することとなり、ドラポタ走り初めも兼ねて送別ポタリングを挙行。
その途中、清泉女子大に立ち寄ったが、見学は不可であった
そのときのことをマイ・ブログで次の通り綴っている。
『ドラポタ走り初め 2017/東京の灯よいつまでも/港区~品川区~港区の巻(Ⅰ)』/第2話
2009年、20011年の頃は余り厳しい制約はなく、構内に入り、本館を見学することは可能であったが、それから何年もの歳月が流れ、セキュリティなどが五月蝿く言われるようになった昨今のことであるから、見学にあれこれと条件が付けられることは止むを得ないことであろう。

本年7月某日。
電車内で「清泉女子大学オープンキャンパス 7月29日、8月11日開催」なる吊り広告が目に入った。
女子大に興味があるのではない。
オープンキャンパスのときに、清泉女子大学の本館を外観だけもいいから見学できれば、と思ったのであった。

早速、武衛さんにメールを送信。
武衛さんから返信あり。
「清泉女子大学のホームページを見ると、10月、11月、12月に『秋の本館(旧島津公爵邸)見学ツアー』なるものがあります。10月半ばの水・金曜日で申し込みの葉書を出しておきますが、如何でしょうか」と。
勿論、オーケーの旨、返信。

見学ツアーには人数制限があるので、<滑り止め>として、小生も12月半ばの水・金曜日で申し込み。

9月某日。
武衛さんより<合格通知>があった。
小生にも<滑り止め>の合格通知があった。

10月11日。
愈々、四度目の正直、「秋の本館(旧島津公爵邸)見学ツアー」の日となった。
清泉女子大正門で武衛さんと落ち合う。

<合格通知>(見学許可書)。
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説明板/旧・陸奥千台半伊達家下屋敷跡。
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旧・陸奥仙台藩伊達家下屋敷跡
東五反田3丁目ほか

伊達家は、陸奥国(現宮城県)仙台藩の藩主で、松平の称号をもつ。
江戸屋敷のうち上屋敷と中屋敷は現在の港区にあり、下屋敷はここ「大崎屋敷」と品川区内にもう一つ大井村の「品川屋敷(味噌屋敷とも)の2ヵ所構えていた。

大崎屋敷は、概ね下図の付近にあり、元文2年(1727年)5代藩主の伊達吉村(よしむら)の時に鯖江藩間部家(まなべ)との相対替(交換)により取得したもので、敷地面積約2万3千坪(約75,000m3)と広大なものであった。
安政2年(1855年)頃の仙台藩主伊達陸奥守慶邦(よしくに)は65万5千石の家禄があり、
明治になって、旧鹿児島藩主島津公爵家の屋敷となったため「島津山」と呼ばれている。
上屋敷は芝口2丁目(現・港区東新橋)にあった。

清泉女子大学がこの地に移転していたのは、昭和37年(1962年)のことで、構内には大正6年(1917年)にJ・コンドルの設計によって建てられた旧島津公爵邸(清泉女子大学本館)がある。
品川区教育委員会
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余談ながら、仙台藩の江戸屋敷について少々触れておきたい。
仙台藩上屋敷の芝口2丁目(現・港区東新橋)は平たくいうと、現在の汐留地区、巨大複合都市”汐留シオサイト”の辺りである。
仙台藩中屋敷は、現在の新橋5丁目の塩竈公園の辺りにあった。
塩竈公園に隣接する盬竃神社(塩竃神社)は、元禄8年(1695年)、伊達藩内にある盬竃神社本社から分霊を勧請して伊達家上屋敷に創建、安政3年(1856年)、当地にあった伊達藩中屋敷に遷座したという。

説明板/旧島津公爵家袖ヶ崎本邸洋館。
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東京都指定有形文化財(建造物)
旧島津侯爵家袖ヶ崎本邸洋館
(清泉女子大学本館)
1棟 附旧事務所 1棟
所在地 品川区東五反田3-191-39
指定 平成24年3月21日

この建物は、旧鹿児島藩主だった島津家の第30代当主、公爵島津忠重(1886-1963)が島津家の本邸として大正4年(1915年)に建築工事の竣工をみた洋館です。

洋館の建つ高台は袖ヶ崎と呼ばれ、江戸時代には元仙台藩伊達家下屋敷があり、島津家の所有になったのは明治初年のことです。
洋館が内装なども含めて竣工した大正6年(1917年)には大正天皇の行幸があり、関東大震災後の大正12年から公爵家が常住しました。
昭和37年(1962年)からは清泉女子大学本館として利用されています。

洋館の設計は、日本近代建築史に大きな足跡を残したジョサイア・コンドル(1852-1920)によるもので、古典様式を基調とした意匠と、当時流行した白タイルを用いた外装が特徴的です。
玄関車寄せはトスカナ式巨大柱を配した重厚なものですが、対照的に、南側庭園に面したバルコニーは列柱廊を一部円弧状に張り出させた軽やかな表現となっています。
内部意匠も大階段室を中心に、島津家家紋をあしらったステンドグラスや、石造マントルピースや天井の繊細な彫刻などが良好に保存されています。

平成26年3月 
東京都教育委員会
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この地は、江戸時代/仙台藩伊達家下屋敷~明治時代/島津公爵家袖ヶ崎邸~昭和時代/日本銀行所有(一時期、GHQ管理下)、清泉女子大学と歴史的変遷をたどっている。

正門脇の守衛所で見学者ホルダーを貰い、正門から坂道を上り、本館へと進む。

フォト:2017年10月11日

(つづく)
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by ryujincho | 2017-10-11 23:31 | 街歩き、村歩き、ポタリング | Comments(0)


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