龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 09月 02日

『洋館の灯り』

旧函館区公会堂。
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旧函館区公会堂の歴史。
1907年(明治40年)、大火で区民の集会所である「町会所」が失われ、会所内にあった函館商業会議所も類焼。
1910年(明治43年)、函館区公会堂として再建。

日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルに興味のある小生、旧函館区公会堂は誰の設計によるものか?と調べてみた。

「設計は函館区技手小西朝次郎、監督は函館区技手渋谷源吉、請負は村木甚三郎などの手によるもの」、「建築にあたっては、レンガ積み工、塗装工、左官などの多くの職人や大工、棟梁達が新しい意匠・技をフルに活用して、地方の鹿鳴館としての公会堂を見事に完成させた」とあり。

設計者の小西朝次郎は、1879年(明治12年)、函館に生まれ、独学で建築を学んだ後、鉄道の技術員を経て、1907年(明治40年)、函館区役所の土木課営繕主任となった人物。

請負人の村木甚三郎は、1848年(嘉永元年)、新潟県中蒲原郡の生まれの大工で、函館の名刹、高龍寺の建築工事のため、函館に来たが、その後も函館に残り、大工を続けながら建物の意匠について勉強をし、棟梁としての力をつけ、建築請負人になった人物。

明治初期の西洋建築はお雇い外国人の力を借りていた(鹿鳴館はジョサイア・コンドルの設計)が、旧函館区公会堂は日本人によって造られたもので、明治の人の気骨をよく表した建物に思える。

フォト:2017年8月28日
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by ryujincho | 2017-09-02 23:40 | 北海道2017 | Comments(0)


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