龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 07月 12日

『鳥が刻まれた銅鐸』

7月12日、文化庁主催企画展『発掘された日本列島2017 新発見考古速報』にて。

香川県高松市/天満・宮西遺跡。
弥生時代後期 約1800年前。
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アップで。
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「弥生ムラ 見れや壊せや 銅鐸を」。
どういう意味?
その意味は、このあと、分かることとなる。

銅鐸に描かれた鳥。
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超アップで。
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鳥が描かれた銅鐸片は銅鐸の裾の部分。
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説明パネルに目を通す。
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高松平野に所在する、弥生時代後期に栄えた拠点的な集落です。
集落の外れを流れていた自然流路とみられる落ち込みから、長さ49.5cm、厚さ4mm、重さ4.1kgもある大型の銅鐸の破片が出土しました。

銅鐸片は銅鐸作りの最終段階に作られた突線紐式のもので、裾の部分には鳥または鹿とみられる絵画が鋳出されています。
割れ口はゆがみ、破断面は表面と同じく錆びているため、意図的に割られた破片であると考えられます。

集落から他にも、古墳時代へと続いていく新たな祭祀道具であある特殊器台も出土しています。
破砕され、集落の外れに捨てられた銅鐸は、銅鐸祭祀の終わりと新たな祭祀の始まりを考える上でたいへん興味深い事例です。
高松市教育委員会
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なるほど、この銅鐸は意図的に割られたものなのであり、銅鐸祭祀の終わりと新たな祭祀の始まりを考えさせる銅鐸片であるということ。
ベンキョーになった。

讃岐にはヨメの実家があることでもあり、「讃岐国史跡めぐり」を結構やっている。
ということで、次回、機会があれば、この天満・宮西遺跡を訪ねてみたい。
ということで、この遺跡は高松市のどの辺りだろうかと調べてみた。
住所は「高松市松縄町295-1ほか」、「熊野神社の隣接地」とある。
地図を参照したところ、南北に走る県道43号線を挟んで、栗林公園の東に熊野神社があった。
次回、是非、訪ねてみたい。

なお、天満・宮西遺跡の所在地を調べている中で、高松市のホームページにヒット。
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天満・宮西遺跡
高松市松縄町
高松市街地南東の郊外、熊野神社が鎮座する隣接地にあたる。
この地は香東川の扇状地にあたり、現地表面の標高は5~6mと低く、原始においては海岸線まであまり離れていなかったと想定される。
微高地とその北東側で旧河道を確認している。
注目される遺構は、弥生時代前期に属する環濠である。
環濠は直径約65mで、囲まれた範囲内には集落が存在したと想定されるが、後世に竪穴住居跡等の遺構は壊されたようで残っていない。
もっとも数多く確認された遺構は、弥生時代後期から古墳時代初頭のものである。
微高地では、竪穴住居跡だけで20棟以上を数え、多数の溝や井戸、柱穴なども見つかっている。
さらに、驚くべきは旧河道では捨てられた土器の破片がおびただしく堆積しており、発掘調査中は土を掘っているのか土器を掘っているのかわからないぐらいであった。
これは,水の流れがなくなった旧河道に、弥生のムラの人たちが生活不用品の土器を次々と捨てたもので、これによって旧河道がしだいに埋まっていったのである。
ゴミの回収がない昔では仕方がないかもしれないが、これを今風にいうなら,弥生時代の環境破壊といえるかもしれない。
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銅鐸の裾部に描かれた鳥はどういう意味を持っているのだろうか。
古墳時代においては、装飾古墳に船が描かれたものがあり、船の舳先に鳥が1羽、とまっている。
この鳥は、あの世に渡っていく水先案内との説がある。
弥生時代、祭祀に使われた銅鐸に刻まれた鳥は、その後、古墳時代の装飾古墳の鳥へとつながっていくのであろうか...。

フォト:2017年7月12日
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by ryujincho | 2017-07-12 23:33 | Comments(0)


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