龍人鳥の徒然フォト日記

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2017年 07月 04日

『諏訪/下駄スケート発祥の地』

7月3日、輪友、大給守さんから「諏訪へ行って来ました」とのメッセージと共に、”下駄スケート発祥の地”の写真が送られて来た。
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なかなか、いい像である。
下駄スケートを履いて滑っている子供の、生き生きとした様子が伝わって来る。

下駄スケート発祥の地。
1906年(明治39年)、長野県下諏訪町の飾り職人、河西準乃助が、外国製のスケート靴を模して下駄の底に鉄製の刃をつけた下駄スケートを発明した。
下駄スケートの流行により、スケートが日本国内に急速に広まった。
1908年(明治41年)、諏訪湖で下駄スケートによるスピードスケートの「諏訪湖一周スケート大会」が開催された。
現在のような革製のスケート靴に完全に取って代わられる昭和30年代中頃まで一般的に使われていたという。
(出典:ウィキペディア、抜粋)

こうしたモニュメントは正面から撮って終わりというのが通例であろうが、背面からも撮ってみようという発想が素晴らしい!
惜しむらくは、諏訪湖の湖面に下駄スケートの下端を合わせていたら、更に良い写真になっていたんじゃないかと思うのであった(ヒョーロン家であるから、何とでも言えるのであるが...)。

この「下駄スケート発祥の地」の写真を見て、思い出したことがある。
それは、この4月、京都三条大橋の袂で「駅伝の碑」を見たことである。
ここ数年、毎年、三条大橋の袂あたりを歩いているのだが、今年初めて、斯様な碑があることに気付いたのであった。
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駅伝の歴史 ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競争」が大正6年(1917年)4月27日、28日、29日の3日間にわたり開催された。
スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関であった。
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ということは、上野不忍池の畔にも同様の碑があるはずと思い、調べてみた。
あった。
写真によれば、三条大橋の碑と同じデザインである。
時々、不忍池に行くことがあるが、この碑を目にした記憶はない。
京都だけでは片落ち、上野へ<取材>に行かねば。

「駅伝の碑」に「奠都(てんと)」の言葉が使われている。
「奠都」と「遷都」についても述べてみたいが、長々となるので、これは別の機会としたい。

大給守さんからの「下駄スケート発祥の地」をヒントにして、「発祥の地」シリーズをやってみたいとも思った。

フォト#1、#2:2017年7月某日(大給守殿提供)
フォト#3:2017年4月2日
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by ryujincho | 2017-07-04 23:31 | ドラポタ佐久平支部便り | Comments(2)
Commented by ogyunokami at 2017-07-15 12:14 x
某の初めてのスケートは小学校1年生の時。
庭の水たまりを凍らせて、氷の上を歩くことから。
即、田圃リンクにデビュー。勿論下駄スケートで。
Commented by ryujincho at 2017-07-16 01:30
大給守殿 
貴殿の幼き頃が目に浮かびます。
ウィキペディアによれば、「下駄スケートのことを『げろり』または『諏訪式』と呼び、スケートのことを『氷滑り』と言った。また、『かすげ』という下駄スケートもあった。これは、歯を抜いた下駄の下に鎹(かすがい)を打ちこんだもので、地元の鍛冶屋が製造した」とあります。
大給少年は下駄スケートをどのように呼んでいたのでせうかね。


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